高須城日記U(春夏編)


(平成十七年度・棚田オーナー/福井市 藤田幸治)


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【四月の一/土筆の挨拶】4月9日(土)

 今年は、春の訪れが遅いかなと思っていたら、いつの間にか桜が満開となり、人の心を癒している。自宅のすぐそばを流れる足羽川の桜並木は全国でも有名になり、観光バスも止まるまでになった。昨年、民放テレビの生LIVEで河口恭吾が「さくら」をここで歌い、また少し有名に。桜の名所100選にもなっている。本当に綺麗だ。
 新学期が始まり次男は小5になった。親の目では、多少は大きくなったような気もするが、まだまだ幼くいてほしい気もする。その次男と今年初めて高須城へ行く。私はホームページ(高須町)の打ち合わせで、次男はもちろん佐々木さんの息子さんを含む高須城小学校の子どもたちとの遊びだ。
 今年の高須城小は、佐々木さんの長男が中学生となり全校生徒は3人となった。6年生、5年生、4年生各1名となりますます寂しくなった。しかし、そんな高須町にも嬉しいニュースがある。佐々木さんのお嬢さんが福井県でもトップの進学校(藤島高校)に合格した。このお嬢さん中学の時はソフトテニスで福井市1位とまさしく文武両道と言うか、すごい。そして、家の手伝いもきちんとやり今どきの子としては本当に「いい子」としか言い様がない。これもこの高須の地の環境か、佐々木さんご夫妻の躾の良さか。少し誉めすぎたかな?

 さて、4月1日にこの高須町のホームページを開設した。植木自治会長の発案のもと3人が昨年末より準備を進めてきた。一人はもちろん地元の佐々木さん、そして高須大好きの私。残る一人は田中氏、半ば強引に私がこの高須町に連れて来てしまったのだが、一度でこの町の虜(とりこ)になってしまった。48歳、職業は・・・・某中学校の先生。
 とにもかくにも植木さんとこの3人で数回の会議(飲み会含む)をして高須町のホームページができた。
 いつものように研修会館でパソコンを覗きながら打ち合わせをしていると子どもたちの笑い声が聞こえてくる。不思議なもので声の主が分かるようになってしまっている自分に驚いた。もう何回この高須町に来たことだろう。窓から外の様子を見ると子どもたち5人が遊んでいた。高2(女)、高1(女)、中1(男)、小6(男)、小4(女)。市内中心部ではありえない光景だ。みんなが一つのことで遊び笑い、草むらを駆け回っている。これが高須町の良さだ。私が子どもたちに声をかけると元気の良い挨拶が返ってきた。
 私 「何をしてるの?」・・・
 子 「みんなで土筆を取って遊んでるの」・・・
 私 「欲しいからたくさん取ってきてくれないかなあ」・・・
 子 「はーい」・・・

 みんないい子だ。5人の子供たちがそれぞれ山へと向かった15分後にはそれぞれ手にいっぱいの土筆を運んできてくれた。
 子 「取れたよ」「これでいいの」・・・・
 私 「すごいね、こんなにたくさんありがとう」・・・・
 子 「土筆をどうするの?」・・・
 私 「・・・」


 この土筆、今夜の酒のつまみになったことは子どもたちに内緒にしておこう。


△男の酒のつまみ・・・6

 土筆のハカマを丁寧に取り、軽く塩ゆで(2分程度)。土筆を少しのだしつゆと味醂、七味で少し甘辛く炒る。最高。


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【四月の二/銀輪の風】4月24日(日)

 今年で50歳となるが、最近目に見えて体力が無くなってきている。そこで今日は佐々木さんとサイクリングをすることになった。福井市内フェニックス通りの私の店から高須町まで、少しの遠回りのコースで行程約20kmだ。マウンテンバイクでの挑戦となった。20kmの距離自体は問題ない。だが、後半の高須町の山岳コースの登りに一抹の不安がある。

 とにかく午後1時スタート。市内の足羽川堤防をゆっくりとペダルを回す。車では発見できない町並みや美しい自然のものが目に飛び込んでくる。
「気持ちいい」佐々木さんの第一声だ。春のうららかな日差しの中、快調にペダルをこぐ。途中コンビニで給水と喫煙タイムとなる。健康の為のサイクリングのはずだが、タバコだけは大目にみてもらおう。市内中心部から郊外にかかるころ心地よい風が二人に舞う。田植え準備に取り掛かる人々があちらこちらに見られる。トラクターで田起こしだろうか、機械音が響く。
 最近完成した本郷線の道路に2台のバイクが入った。道は新しいのだが暫く緩やかな登りがある。木々の緑、竹林の笹の囁き。佐々木さんが再び「最高に気持ちいい」と叫んだ。

 登りが終わるとトンネルがある。ふたりの汗をトンネル内の涼しさが拭ってくれる。暫くは信号がないので快調にペダルを回す。一王寺町を過ぎた頃、左手小高い丘に新しい小学校が見えてきた。近くの小学校を統廃合して出来た本郷小学校だ。綺麗な校舎である。丘の中腹には「HONGOH」と芝生で書かれている。2回目の休憩タイムを取った。これからは地獄の高須町までの登りだ。ツール・ド・フランスでいうアルプス越えかピレネー越えだ。そんな大げさなものでもないが、とにかく49歳コンビどこまで頑張れるだろうか。
 旧・下郷小学校から登りに入る。ギアは余裕を持ちながら無理をせずゆっくりと回す。二人で会話をしながら車でしか通ったことのないこの道を登っていく。この時までは笑いがあった。10分も過ぎた頃には喘ぎ声にも似た息、噴出す汗。
 ゴルフ場入り口の手前では苦痛に変わる。どちらが先に「休もう」の言葉を待っていた。私が先だった。佐々木さんは以外と体力がある。この時点でギアは目イッパイ軽くなっていた。3回目の休憩で2人は道に大の字に寝そべっていた。苦しいながらも心地いい何かがある。息を整えながら聞こえる鳥の囀り、木々の囁き、風の音。

 高須町まで残り3k、アップダウンをどうにか乗り切り最後の坂に差しかかった。後1k、見覚えある3人の応援がある。佐々木さんの息子さん2人と私の次男だ。「頑張れ、お父さん」嬉しい声援だが今それに応えるだけの余裕はない。必死でもがく私たちを子どもたち3人は子ども自転車で抜いて行った。

 10分後、無事に佐々木さん宅に着いたが、この後のビールの上手さは、言葉では言い表せない。「うますぎる」

 またこのコースにトライするかどうかはさておき、二人はサイクリングの楽しさと再び走ることを誓った。そう、田植えの後にね。


△男の酒のつまみ・・・7

 アルミホイルを四角く型取り(深さ2a)その中にオリーブオイルを入れる。にんにくの表面の皮を取りアルミホイルの中へ。中火で約7分(好み)ボイルする。ほくほく美味い。


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【五月の一/蛙は気象予報士】5月1日(日)

 巷ではゴールデンウィークだと言うのに農家の皆さんは「私たちには関係ない」「この時期は、休んだことがない」と言われる。たしかに田植えのこの時期は作業が沢山ある。高須町へ入ると町の皆さんは慌しく軽トラ・トラクターなどで動いていた。無農薬でしかも山からの清らかな水で育つ高須町のコシヒカリ、美味しいはずだ。
 今日は3人できた。私と次男、そして田中氏(某中学校の先生)。
 次男はもちろん佐々木さんの子どもたちとの遊びで、私と先生はホームページ用の写真を撮るためだ。田中先生も教職で忙しくまた家族サービスもあるだろうに、高須町が本当に好きになってしまったらしい。
 いつもの田んぼに行くとトラクターに乗り真剣な顔で土と格闘している佐々木さんがいた。暫くは声をかけず作業の様子を見学することにした。邪魔はできない。素人の私には今の作業の内容がピンと来ないが、米作りに大きな役割だというのは理解できる。
 佐々木さんが私たちに気付いた。手を止めて私たちの方に来た。今日は風が強くまた天候が悪くなりそうだと言うことで作業も時間との勝負だとのこと。回りでは雨ガエルだろうか鳴き声が聞こえている。雨を知らせてくれる気象予報士だ。
 1時間後、やはり雨となった。私と先生は佐々木さん宅にお邪魔してホームページの打ち合わせとなったが、佐々木さんは一区切りつくまで作業を続けるという。

 高須町に嬉しいニュースができた。FBC(福井放送)がここ高須町で米作りをして秋の収穫後おにぎりにしてイベント参加者に振舞うというのだ。しかも、棚田を使い種もみから田起こし、畦作り、田植え、草取り、刈り入れ、脱穀と全作業を行うというのだ。担当はアナウンサーの2人。FBCが毎日(月〜金)夕方放送している「夕方いちばんプラス1(ワン)」のキャスターで茨城出身イケメンの川島アナ。そして新潟美人の大島アナ。二人とも米作りは初めてというが忙しい仕事の合間でのこの企画、肉体的にも大変だろう。
 特に大島アナには無理をして欲しくない。(個人的感情)

 福井の人は「タカス」というと日本海に面した鷹巣を想像する人が多いはず。その鷹巣との距離わずか2kの高須町のことを知っている人は少ないはず。だから、このFBCの企画は高須町にとって嬉しいことだ。米作り以外でもこの町の良さをPRしてほしい。

 夕方、佐々木さんが作業を終え帰宅してきた。汗と泥の染み付いた顔が手が服が農作業の全てを語っていた。

 数時間後、3人の前には空の焼酎の瓶とビールの空き缶が転がっていた。


△男の酒のつまみ・・・8

 納豆(ひきわり)と烏賊のさしみをまぜる。醤油でもダシでもいい。にんにく系のネギ(北海道ではキトビロ「アイヌネギ」)を湯がき、刻み共に混ぜて食べると最高に美味。


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【五月の二/鶯の囀り】5月8日(日)

 午前9時47分、高須町の棚田に来ている。今日は素晴らしい天気だ。遠くまだ残雪の白山連峰が見える。来週が平成17年度棚田オーナーの田植えだというのに、今週も高須町に来てしまった。しかも一人ではなく、田中先生も来ている。
 目的は、ここである人を待っているからである。
 10時8分、1台の車が棚田の農道を上ってきた。車が止まりドアが開くと、高須町に爽やかな風が吹いた。そこには3人の若者の笑顔があった。FBC(福井放送)のスタッフで「夕方いちばんプラスワン」のキャスターで声が素敵な川島アナ、笑顔が可愛い大島アナ、もう一人は長身でロン髪キャメラマンの・・・・・名前を聞くのを忘れた。まあ、とにかく前回の日記で紹介した「げんき米プロジェクト」の撮影に来たのだった。今回で5回目となる。過去の放送を紹介すると・・・・・

@ 4月13日放送 「げんき米プロジェクト・スタート」
          高須町で棚田探し!

A 4月20日放送 「種まきから育苗へ」

B 5月 3日放送 「田おこしで良い土に」

C 5月 4日放送 「自然の堤防あぜ作り」

D 5月10日放送 「田植えへ最後の準備・しろかき」

となっている。

最初この話を植木さんからお聞きした時は、撮影用に簡単に短時間で作業をするものだと思っていた。今日までは。

 話を戻すと、何故私たちがこの場に来ているかと言うとホームページ用に逆取材を試みようと考えているからだ。
 両アナに挨拶をすると二人とも快く了解してもらった。もちろん我が取材はFBCの作業と撮影が終ってからだ。

 ふと耳を澄ますと下の坂道からトラクターの音が響いてきた。植木さんの登場だ。さすが植木さんスーツ姿も良いが農作業姿も様になっている。この企画の指導は植木さんと同じ高須町の畑智恵子さんが行う。

 今日は「肥料蒔きとしろかき」だ。
しろかき前に田には肥料を蒔くのだがこれは川島アナの仕事だ。背中に重く大きな動墳機?を背負い田んぼ一面に蒔いていく。川島アナなかなか上手い。次は白かきだが、植木さんの後大島アナがトラクターに乗った。可愛い娘は何をしても可愛いと改めて思った。
  

 田の外側から少しずつ内側へ、植木さんが「もう、いいよ」と言うのに大島アナは「もう少しします」と真剣だ。「いつもより多く回っています」と川島アナ。
 この作業中、車が10数台横を通った。高須山に登る家族だろうか。横目に撮影風景を見ながら笑顔で過ぎて行く。本日は絶好のハイキング日和だ。
 トラクターでのしろかきが終わり、次は鍬を使い丁寧に田を馴らしていく。川島・大島両アナとも真剣だ。ここで川島アナが嬉しい一言を言った。「このような体験をして。お米一粒も粗末にできません!」続いて大島アナ「私もそう思います」。回りでこの様子を見ていた私も田中先生も、この二人の言葉を聞いて嬉しく思った。広く米作りの経験のない子供たちにも経験させたいと思った。

 気が付くと午後1時を過ぎていた。佐々木さんも加わり、いよいよ逆取材が始まった。

 監督は植木さん、ディレクターは佐々木さん、キャメラマンは田中先生、そしてインタビューは私が行う。
 大島アナが「いつもと立場が逆だから緊張しますー!」と言った。何故か私も緊張してきた。幾つかの質問をし終わった。
(インタビューの内容はこのホームページのあぜ道インタビューで公開中)
 最後に高須産米で朝作ってきたおにぎりを食べて貰った。 二人とも「おいしいです!本当においしいです!」と言ってくれた。そう、高須のおいしい水と無農薬で作るコシヒカリは最高に美味しいはずです。
 おにぎりをほおばる二人に「はい、チーズ!」。笑顔の爽やかな川島アナ、笑顔の可愛い大島アナ、ご協力有り難うございました。

 いよいよ来週は田植えです。

※ あぜ道インタビュー企画第2段をお楽しみに!


△男の酒のつまみ・・・9

 水菜を3a程度に切り、蛸(ゆで蛸でも生でも好みで)も一口サイズに切り、海鮮かイタリアンドレッシングで食べる。


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【五月の三/棚田の賑わい】5月15日(日)

 早朝4時頃、雨が降り出した。今日は高須町での棚田オーナーの第1回目の作業、田植えの日だ。昨年も小雨が降っていた。お仏壇に手を合わせ、稲の成長と天候の回復を祈ることにした。
 今日15日は福井市内のほとんどの小学校では地区の運動会が行われる。次男(小5)と妻は当然運動会への参加だ。
一人の田植えは心細いと思われるだろうが、高須町の棚田オーナー制度は大丈夫。一人の参加者でも地区の方(先生)が一つの田に必ず一人が付いて指導して頂き、一緒に作業して下さるのだ。しかも、今年からは、この先生が1年間同じ田を管理して頂けることになった。
 簡単な昼食を用意し、7時30分自宅を出発。雨はまだ降っている。まず、車を清水町に向けて走らせる。田中先生を迎えにいくのだ。忙しい中、今日も写真撮影(棚田での田植え)などの為参加して下さることになった。高須町のホームページが早朝更新されていたが、田中先生が徹夜で作業して頂いたみたいだ。もう、高須町の魅力に完全にはまってしまったのか。
 清水町に向かう途中、至る所で集団登校の小学生が見られる。運動会の為にも晴れてほしい。
先生の自宅に着くと先生が長靴姿で待っていた。車中、二人の会話はもちろん高須町のことだ。
 15分後高須町に着く頃、雨がやんだ。願いが通じたのか、誰が晴れ男なのか。
 

 棚田の受付に着くと昨年と違う光景がある。明らかに参加者の数が増えていた。車の台数も多く、駐車場もすでに満杯になっている。
FBC(福井放送)・NHK・福井新聞・中日新聞&日刊県民福井の取材陣も来ている。何かすごい事になっている今年の高須町の棚田だ。もちろん、高須町のほとんどのみなさんも参加して頂いている。
 毎年参加の人、今年が始めての人、おじいちゃんからお孫さんまで家族全員での参加の人、新婚さんだろうか、若いカップルもいる。外国からの留学生も参加している。
  

 オーナー39組・約120人の参加、高須町棚田オーナー制度・平成17年度の開始だ。福井市・農政企画課の本多さんの司会で、いよいよ御大の登場、植木正義さんの挨拶で幕を開けた。その後、田植えのやり方などを丁寧に説明して頂き、抽選で決った棚田に各オーナーが向かう頃には暖かく包み込むような日差しが高須町に降り注いでいた。
 あぜ道にはすでに苗が用意されていた。水田には田植えの目印となるようにと線がある。苗を均等に自分の田に投げていき、さあ田植えの開始だ。私の田植え指導の先生は・・・
 佐々木さんだ。田植えの先生(地元の方)も当日抽選で決めたらしいのだが、やはり佐々木さんとは縁があるのかな。
 今年はゴム長はやめて、裸足で田植えをすることにしていた。泥の感触がまた気持ちいい。苗を4本程持ち植えていく。

 夢中になりながら田植えをしていると後ろで声がした。
「30年振りですよ、田植えは・・・」田中先生だった。いつの間にか手伝ってくださっていた。上手く育つようにと願いを込めながら3人は快調に手と口を動かしながら田植え作業は進んでいく。途中どこからか田植え唄だろうか、聞えてきた。地元の方だろうか、美声が棚田に響いている。
 少しの休憩を入れながらも2時間後、田植えは終った。
 何年振りだろうか、泥にまみれている自分が嬉しくもあり、恥ずかしくもあった。さあ、泥を洗い流そうと、ふと隣の水田を見るとFBCの川島・大島両アナウンサーが真剣に泥と格闘していたがまだ、半分しか苗が植えていない。実は、秋のイベント用に多くのおにぎりが必要と私達の棚田の3倍の面積があるのだ。もちろん、地元の方も一緒に作業しているのだが、放送撮影&インタビューなどを同時進行している為遅れているのだ。
「手伝いましょうか?・・・」
 私の一言から前代未聞の事が始まった。まず、私と田中先生と佐々木さんが手伝いに。次に佐々木さんの次男(高須城小6)も苗を持った。次に他の棚田オーナーの奥さんたちもスケットに来て下さった。もちろん、自分の担当を終えたばかりの地元の皆さんも応援にと、見る見る水田に苗が植えられていった。これが高須町の団結力そして棚田オーナーの皆さんの心の優しさである。川島・大島両アナウンサーもお礼を言いながら無事1時間後、田植えが終わった。
 高台から辺りを見ると、どこの棚田も綺麗に苗の緑が並んでいる。参加者はまだ泥が付いたままで自分の田を満足げに見ている。昨日まで顔も知らないオーナー達がお互い「お疲れ様でした」と、笑顔で声を掛けている。
この後、高須山に登る人、あぜ道にシートを広げて昼食をとる家族、山菜採りにいくグループと、それぞれ高須町での午後のひと時を楽しんだ。
 ちなみに私たちは、いつものように佐々木さんの庭先でバーべキューとビールを楽しんだ。

「運動会、参加せずとも、筋肉痛」お粗末。


△男の酒のつまみ・・・10

 野の蕗を3a程にきり、塩を入れたお湯にて固めにボイル。
お湯を切り、フライパンにサラダ油を少なめに入れ炒める。
芯に火が通った時、薄めのだしつゆ少しを入れ馴染ませる。
水気がとんだ時、ゴマ油を好みで入れ仕上げに七味。最後に白ごまをふりかければ最高に自然の恵みを感じられる。


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【五月の四/里山の歓声】5月29日(日)

 午前4時半、目が覚めた。横に寝ている次男のおでこに手を当てた。実は、2日前に扁桃腺からの風邪で熱を出していて体調が心配だった。「大丈夫だよ!」と、答えが返る。
 今日29日は高須町での体育祭。次男は楽しみにしていた。
昨年始めて参加させて頂き、地区の皆さんの歓迎と何よりも高須城小学校の児童と友達になり、まるで今日ばかりはあたかも自分も高須城の児童であるかのように思っていた。
もう何回ぐらい次男は高須町に行った事だろう。おそらくこの2年で50回以上はお邪魔している。
 6時55分、携帯電話が鳴った。佐々木さんからだった。 佐々木さん、最近特に職場が忙しく連日の残業また、自宅に帰れば農作業と大変だ。今朝も体育祭準備で学校からの電話だった。
 7時50分、自宅を出る。妻と次男を乗せて高須町へ。
車窓から見る水田には少し伸びた稲が綺麗な緑を靡かせている。田植えから2週間、棚田の稲は順調に育っているだろうか。
 8時20分、高須城小学校に着いた。校庭入口には高須町の皆さんが集まり始めている。車を止めると次男のもとに高須城小の3人が寄って来てくれた。「待ってたよ」と3人。次男も嬉しそうに3人と話し出す。

 私は佐々木さんや顔見知りの方に挨拶をした。お名前は存知上げないがお顔は知っている方が増えてきた、それが2年目の棚田オーナーだろうか。
 校庭に地区の皆さん、児童が整列し始めた。当たり前のように次男も高須城小の3人と並んでいる。私達棚田オーナーはオーナー席が設けられていて見守る。不思議にどういうわけかいつもより児童の数が多い。地区の方の親戚の子供達なのか。疑問は石村校長先生の挨拶で理解できた。
「今日は、高須城小の児童達に加え順化小や鷹巣小の児童も参加してくれています」順化小は次男だが、交流のある近隣の鷹巣小の児童数人も応援に来てくれていた。

 また、見回すと昨年よりも参加人数が多い。棚田オーナーも昨年3家族だったが今年は19家族の参加と聞いている。それに、過去高須城小で勤務されていた先生達も参加されている。来賓には松田県議、自治会長の植木さん、鷹巣交番の小西さん。児童の誓いの言葉では、高須城小の3人(6年・さとし君、5年・ひかる君、4年・みさきちゃん)が元気な大きな声で宣誓した。
 ここで私はある人物がいることに驚いた。先程から開会式の様子をあちらこちらとデジカメを持ち撮影している人物、田中先生だ。ホームページ用の撮影にきて下さっていた。
「今日は予定がありますので午前中だけ参加させて頂きます」と田中先生。同じ教員だが小・中の違いだろうか石村校長、朝倉教頭とは初対面らしい。お互い丁寧な挨拶を交わしている。
 昨年同様、この地区ならではの種目がある。一輪車を使いダンボールを3個(昨年4個)乗せて走る宅急便、わらを制限時間内でどれだけ長く編めるかの藁ない競争、大根おろし競争と面白い種目が続く。棚田オーナーの皆さんも連続で参加している。
  

 私の横と後ろには若いご夫婦がいて、今年初めてのオーナーで今年の田植えまでこの高須町は知らなかったという。2組のご夫婦の他にも多くのオーナーのご家族が色々な種目に参加し楽しんでいる。参加賞も日用品を中心に奥さん達が助かるものが多くある。これも高須町ならではだ。
 午前の競技が終わる頃、高須町から参加者全員に高須産のお米で作った五目ご飯が振舞われた。もちろん棚田オーナー全家族にもいただける。沢山の五目ご飯、朝早くから地元の主婦の方は用意が大変だったことだろう。オーナーの皆さんも美味しそうに食べている。お茶も頂き、何から何まで高須町の皆さんの心配りに感謝だ。
 昨年はこの時点で天候が急変大雨になったが、今年は快晴で気持ちがいい。美味しい空気を吸いながらふと校庭の外を見ると、パトカーが巡回している。先程まで地区の皆さんと話しをし、また競技にも参加していた小西さんが定期的に高須町内を巡回し安全を守っている。
 

 昼食中、他のオーナーの皆さんも棚田の話題や高須町の事で話が盛り上がっている。ここで、田中先生と妻が用事のため帰ることとなった。田中先生も沢山の写真を撮り、色々な方と話を交わしていたが、さすが中学校の理科の先生と感じさせられる一面をみた。それは、高須城小の校長室前の展示物を見学した時だった。ガラスケースの中には多くの化石が並んでいる。私も以前見学したことがあるが、それは素晴らしいものだ。田中先生も見とれて動こうとしない。感激している。
 午後の部に入り、恒例の綱引きが始まったが今年は地元高須町VS棚田オーナーで戦うことになった。初めての試みだろう。綱を引く中、歓声が里山に響いている。大盛り上がりの中、地元の皆さんの温情で棚田オーナーが勝った。どの顔にも満面の笑顔があった。
 楽しく行われた体育祭、閉会式が始まろうとしていたが私は高須町の皆さんへ何か感謝を伝えたかった。それは他のオーナーの皆さんも同じだと感じていた。そこで閉会式に全員が整列させて頂くことで表すことにした。私が「整列しましょう」と声をかけると35人全員が心よく賛同して頂き整列した。 「是非、来年も参加します」と若いご夫婦が言った。
どのオーナーも多くの参加賞を頂き、少しの日焼けした顔で帰路に着いた。楽しい1日だった。私と次男は地区の方とともに後かたずけを手伝うことにし、帰宅したのは6時過ぎとなった。
 翌日朝※
「予想より、はるかに上いく、筋肉痛」お粗末!


△男の酒のつまみ・・・11

 豚バラブロックを3ミリ程度にスライスする。フライパンに油を引き少し焦げ目が出るていどに焼く。味付けは焦げ目の付く前に砂糖と醤油で。好みでネギやキノコ類を加えても美味しい。簡単にでき疲れた体に回復料理。


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【六月の一/稲は幼稚園児】6月2日(木)

 高須町での体育祭から4日が過ぎたが、どうにか筋肉痛も取れようとしている。運動不足か、歳は取りたくはないはないものだ。人間50年織田裕二?織田信長では困るが、まだまだ頑張らないと男50才、これからが青春パート2。
 5月31日のFBC「夕方いちばんプラス1」放送の冒頭で川島&大島の両アナが田植えから2週間、「稲の成長を見に高須へ行ってきましたよ」とコメントしていた。素人の私達には自分の植えた苗がしっかりと根を付けているだろうか、上手く成長するだろうかと不安になるものである。だから毎年のオーナーはこの時期、自分の田を見に行くのである。何故なら次回の棚田オーナーの集まり(草取り・案山子・ちまき作り)は7月の初めまでないからだ。
 たまたま、近くに仕事で来ていたので少し足を伸ばし高須町に行くことにした。暫く晴天が続いていたので、曇りも嬉しく思われるし、少しの雨も期待したい。車を止め、あぜ道を歩く。どの棚田の稲も2週間前と比べ緑が少し濃くまた、少しの成長が見られる。
 昨年の高須城日記の冒頭にも書いたが「米作りと子育ては同じ」である。まだ幼い稲を見ていると子供たちが幼稚園に通っていたときを想いだした。「かわいい」時期なのだ。
柄にもなく少しセンチになっていた時後ろから声を掛けられた。70代だろうか、高須山へのハイキング帰りのご夫婦だった。稲をまじまじと見ている私に問いかけてきた。
 ご主人「地元の方ですか?」
  私 「いいえ、違います。ここの棚田オーナーです」
 ご主人「あー、テレビでやっていたとこが、ここですか」
 奥様 「わたしも見ました。えーと、夕方いちばん、おかえりなさーい、ですよね」
(注:福井放送と福井テレビの夕方番組のコラボになっている。正式名は”夕方いちばんプラス1”)
  私 「・・・・・えーまぁ」
  私 「隣の田があのアナウンサーお二人が担当している所ですよ、大きな看板が立ててあるでしょ」

ご主人「秋にいいお米が取れるといいですね」
 私 「有り難うございます」「米作りなど高須町のホームページにその都度のせてありますから見てください」「内容もとても面白いですから」
 ご主人「家にはパソコンないから」
  私 「・・・・・」「高須町、良いとこでしょう」
 奥様 「私たち福井市内から来たんですけど、空気が美味しいです、緑も綺麗だし」
  私 「・・・(ここも福井市内なんですけど)」「ご夫婦でハイキングですか?」
 ご主人「そうなんです。ここの山はそんなに高くないし、しかも上から見える景色が綺麗ですからね」
  奥様「ほんと、ほんと綺麗で好きなんです」
  私 「有り難うございます」
  奥様「地元の方ですか?」(また聞かれた)
  私 「・・・・・まぁー半分地元のような、そうじゃないような」「福井のどこですか?」
 ご主人「田原町です」
  私 「私は順化地区です」「子供にお米作りの大切さを体験させたくて、オーナーになったんですが、この高須町がとても好きになってたまに来ているんです」
  奥様「そうですか。私たちも子育てが終わって、夫婦でガーデニングとかしてるんですよ」
 ご主人「来年はここで米に挑戦したいね」
  奥様「そうね。自分たちで一からやれば、きっと御飯が美味しいでしょうね」

 なにげない会話だが、このご夫婦笑顔で高須町の道を、手を繋ぎ仲良く下りていかれた。お二人の後ろ姿を見送る私の心になにか暖かい風が吹いていた。稲穂が実る頃、このご夫婦にまたこの道を通ってほしいものだと感じた。


△男の酒のつまみ・・・12

 中皿にウィンナーとしめじ、ブロッコリーをのせ塩・胡椒で軽く味付け(粉末のカレー粉を少しかけてもよい)、スライスチーズを具が見えないほど上に乗せて、後はオーブンでチン!
 ※味付けは個人で色々試すのも面白い。


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【六月の二/シャガの花】6月9日(木)

 この2日間、30度近くの日が続いている。梅雨入り前にはこんな日があっただろうか、毎年思うことである。台風4号の影響なのか。地球温暖化の原因なのか。とにかく暑い!鯨の座礁や深海魚が海面近くに出たり、この地球で何かが起きている。
 そんな事を真剣に考えようにも暑すぎる。ポロシャツを着ていても、仕事で汗をかき日に2度は着替える。店にはエアコンがあるが、この時期まだ早い。いやいや、バンコクの猛暑&湿度の中で本選出場を勝ち取ったジーコジャパンの選手を思えば、我慢しなくては・・・・・。
 それでもなお「涼しい所に行きたい」と思っているところに授業を終えた次男が下校してきた、午後3時30分。友達との遊びがキャンセルとなったらしく、少々落ち込んでいるので「田んぼ見に行くか」と声をかけた。次男に笑顔が戻る。自営業の良さか、多少の時間の都合はきく。ランドセルを背負ったままシートベルトをしている次男を乗せ、高須町へGO!
 道中、四季折々の風景を思い出す高須町へと向かうこの道。5年前まで知らなかったこの道。次男はガードレールの傷の場所まで覚えている。つい先日まで白い花を咲かせていたシャガの花もこの暑さのせいかダウンしている。
 棚田に着いた。車から降りた次男はまずは深呼吸。「空気がおいしいね、お父さん」と、知ったような口振り。我が田を目指しあぜ道を進むと怪訝な顔で「もう少し綺麗に植えればよかったのに」と、生意気なことを言う。どうしても機械植えと違い、手植えは見た目綺麗にはいかない。「ここのお米は美味しいから、去年みたいに豪雨がなければいいのにね、お父さん」。

 次男の言葉で昨年のことを思い出した。7月で1年が経つ福井豪雨。今年は無事にどの田も豊作となることを願う頃、先程までの暑さはなくなっていた。あぜ道にたたずむ次男は蛙と遊び、平日約1時間の高須町を過ごした。


△男の酒のつまみ・・・13

 簡単鶏唐。鶏のむね肉から皮をはがす。肉は好みの大きさで塩コショウ。皮も少し大きめで同じく塩コショウ。どちらも片栗粉で、肉は約4分程度、皮は約1分でOK。


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【六月の三/無花果の甘香】6月18日(土)

 梅雨入りの気配もそろそろと感じられたが、どうにも今年は遅いらしい。新聞でも昭和21年の気象庁の発表が始まって以来、史上9番目に遅いと書いてあった。棚田オーナーになるまでは、梅雨がなければなんて思っていたが、今は農作物にとって恵みの雨がほしい。
 高須町のお米は無農薬、自然の環境で作られている。だから自分が植えた稲を見ていると、愛おしくさえ感じることある。毎日、当たり前のようにご飯を食べているが、私はそのお米の歴史に関しては教科書の中の記憶しかない。少し思い出すことにした。

【日本人とお米のお話】

 日本人とお米は深い歴史がある。紀元前300年(2300年前)頃、大陸から北九州に米作りが伝わり、西日本そして東日本へと広まったと昔授業で学んだ。湿地を耕し水田を作り、収穫したお米を湿気から防ぐため、また保存するために作られたのが高床式倉庫だった。
 日本各地で米作りが広まり生産が高まると人口が増え、村は大きくなり、やがて村と村が水や土地をめぐって争うようになった。
 室町時代には二毛作が広がり、水車で田に水を引き始めた。この時代、戦乱から村を守るため農民は自分たちで村を運営しだした。会議(寄合)を開き、規則や行事を決めた。いわゆる惣村である。
 同じ時代、領主に対し年貢の削減を求めたのが土一揆だった。
 社会の歴史の時間で一番思い出すのは、豊臣秀吉による検地刀狩。秀吉は全国各地の土地の面積や作物等のとれ高や生産者などを調べ、検地帳に書き厳しく年貢を取り立てた。
 太閤検地で知られている。また、一向一揆や土一揆で頭を抱えた秀吉が農民の所持していた槍・刀・鉄砲などを取り上げたのが刀狩(1588年)だった。今思えば、農民が鉄砲を所持していることが凄いことだ。時代が違う!
 江戸時代は農民にとって辛く厳しい時代になった。武家支配の時代、士農工商といわれたものの、商人は以外に自由がきいたが農民は年貢で武士の生活を支えており、衣食住にわたり厳しく取り締まられたと言う。順番では武士の次の位のはずだが、今さらながら疑問に思う。
 明治に入り四民平等(1869年)により士農工商は廃止されたが、生活等で大きな変化はなかったと言う。1873年、明治政府が財政を安定させるため税制改革を行ったのが、地租改正だ。この時土地の値段を決めて持ち主から地価の3%を現金で納めさせた。当然農民の負担は増すばかり、案の定各地で一揆が起った。
 20世紀に入り、第1次世界大戦で日本は輸出が増え工業が発達したが、物価が上がり生活自体は苦しくなった。戦争成金(海運業や製鉄関係)の言葉に記憶があるのもこの時代だ。
 そして、米の値段が上がり生活が苦しくなった。たしか同じ北陸の富山県の主婦たちが米の安売りを求めて暴動を起こし全国に飛び火したのが米騒動(1918年)で、この騒動を治めるために政府は軍隊を出した。今で言うとK総理が自衛隊を出動させるようなもの。それほどまでに凄かったお米の値段。
 しかし、大正から昭和になると世界恐慌と言われたがアメリカから世界各国に広まり、もちろん日本でも不景気となった。人々は預金を出すため銀行へ、銀行は次から次へと倒産した。こうなると会社も倒産、失業者があふれる。
 農村では農作物の価格が下がり、追い討ちをかけるように水害や冷害に襲われた。暗い時代だっただろう。
 戦争が終わり日本経済は急激な発展を見せたが、逆に大都市への人口集中となり、過密する都市とは異なり農村・漁村は過疎が問題となった。この様に農村・農民が辿ってきた歴史は苦痛の一言では表せないものがある。お米の歴史そのものが日本の歴史といえる。
 現在、豊かな時代となり子どもが「これ、ほしい」と言えば買い与える親がほとんどになった。過保護となり自分の子どもさえ教育できない親が増えたという。私もその1人かもしれない。
 しかし、高須町での米作りを親子で体験してからまた、高須町の自然を満喫する度、何かが少しずつ変わろうとしている。朝昼夕、一人で食事する子供。一家団欒という言葉さえ忘れようとしている家庭がある今、少しの時間でもいいから家族共通のテーマがあれば心が豊かになる。


△男の酒のつまみ・・・14

 水洗いをしたほうれん草を2等分にし、バターを入れたフライパンで中火ソテー。ほうれん草がしなやかになったところで、塩胡椒で少し濃い目の味付け。簡単です。

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【六月の四/紫陽花の彩り】6月19日(日)

「紫陽花の花に包まれて、そぞろ歩きの足羽山」・・・・<わたしの町、ときめきの町>福井市のこの歌がつい口ずさむ季節になった。市内の至る所でこの色とりどりの紫陽花が咲いている。花関係はいたって弱く、紫陽花にはこんなに多く色の種類があるのかと驚いている。
 さて、よく考えてみると先週だけで3回高須町に来てしまった。もちろん、このホームページの新企画「あぜ道インタビュー」の取材でだが、何だか自分の仕事と高須町のどちらが本職か解らなくなってきた。(笑)まあストレス解消にはいい高須町の癒しの自然。デジカメで町内の主要施設を撮ったのだがいつも見ている物でも改めてレンズを通して見ると、高須町の歴史が感じられる。高須山・棚田・お寺・お清水と古くからこの高須町や人々を時代と共に見つめてきたであろう。
 

 そう言えば最近、里山の自然を守ろうという運動が、日本全国で行われている。この運動地元の人たちだけじゃなく、都市部に住む人たちが中心になって活動しているグループも多くある。いわゆる里山ボランティアと言われているものだ。地元の高齢化に伴い、失われつつある里山の美しい自然を保存し出来る範囲で管理していこうというのだ。
 横浜では、郊外の竹林を守ろうというあるグループがNHKで紹介されていた。このグループは放置されている竹林の管理はもとより、広がる竹林により被害にあっている隣接する家の相談をも受け対処している。インターネットにより全国からの相談、またその地に足を運ぶこともあるという。サラリーマンや自営業者、学生など土日を活用して行動しているという。話を聞いていて面白かったのは、ボランティアだから無報酬は当たり前で春になった時、筍を少し頂きそこで食す、それが全員の楽しみなのだと言う。自分たちで整備した竹林を見ながら片隅で筍料理も粋なものだ。
 高須町にも竹林が多くある。昨年の福井豪雨が原因だろうか荒れた竹林も見られる。ある所有者の方にお話をお聞きしたが竹の根の成長は想像以上であり、「手入れ」と言う簡単な言葉では済まされないらしい。春になると複数の人から筍を頂くが、美味しい筍は竹林のマメな手入れが必要だ。また、筍は1年おきに収穫が多い年と少ない年、いわゆる裏年があるという。うーん、昨年が豊作だったから、今年は少なかったようだ。筍も豊作と言うのかな。
 私も含め最近では農村や漁村で緑や海にじかに触れ合い楽しみながら休みを満喫する「グリーン・ツーリズム」が県内でも全国的にも広がりつつあるようだ。
 高須町の棚田オーナー制度も早々と着目していた。年々、オーナー希望者が増加していることでも感心の度合いが分かる。もちろん、地元の受け入れ側と希望者の節度あるコミニュケーションが必要となるが、自然環境を変えず自然の美を目にし、自然と触れ合い、自然と共存していくことがこれからの人生に必要になっていくのだろう。
 日本人として忘れかけた何かが、忘れてはいけない大切な原点に目を向けて行く必要がある。
 話が別の方向に飛んでしまうのが私の悪い癖だが、「あぜ道インタビュー」の取材で高須城小学校にお邪魔し、校長室にて石村校長先生と約1時間の教育談義になった。色々なお話を伺い教育の原点を改めて感じることができた。こういう環境と先生方がいれば不登校やいじめ等は起こるはずはない。校庭にて校長先生や教頭先生、そして児童全員がジャンケンをしている。ソフトボールのチーム分けだが、どの顔にもにこやかな笑顔があり、大きな笑い声が高須町に響いていた。


△男の酒のつまみ・・・15

 夏バテにはまだ早いが、冷たいビールには枝豆ととうふが定番だが、少し時間があればこの2つをコラボしよう。茹でた枝豆ととうふをスリコギで軽く潰し、少しのだし汁と塩で味付けツミレのように丸くする。ラップで包み冷蔵庫で冷やし固める。醤油で食すのもいいし、甘めのあんかけで食すのもいい。枝豆ととうふの他、好みで他の材料をいれてもOK.

【男の酒のつまみレシピ募集のお知らせ】
 このホームページをご覧の皆様で、自慢の酒のつまみがありましたらレシピを教えて下さい。この日記にて発表させて戴きます。お名前でもペンネームでもOKです。


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【六月の五/梅雨入りの遅刻】6月28日(火)

 沖縄ではもう梅雨明けだというのに、ようやく福井にも梅雨の季節が来た。6月27日の梅雨入りというのは、1958年(昭和33年)、1987年(同65年)の6月28日に次ぐ史上2番目の遅い記録だそうだ。
 夏でもないのに連日のうだるような暑さが少しは和らぐかなと期待するのは私だけ・・・・。(だいだひかる風)
 全国でも水不足のニュースが報道されている。中でも四国・九州が深刻のようで、昔から伝統の雨乞いの儀式を行っていた所もあった。農家では深刻な悩みだろう。棚田オーナーになるまでは気象情報など、さほど興味も持たなかったが昨年の福井豪雨(7/18)以来、新聞の天気図を切り抜きファイルし始めた。月1回の新聞休刊日は仕方ないものの我ながら真面目に続いている。これが意外なところで役に立つ。
 次男の小学校の理科の授業で活用するのだ。先日もファイルを持たせたところ、先生に誉められたと笑顔で下校してきた。
 何故か、私まで誉められた気分になり親子でハイタッチ!
 この原稿を作っているところに又かと思うニュースが入ってきた。新潟県柏崎市周辺での集中豪雨だ。川から水が氾濫し午後から臨時休校となった児童・生徒たちが膝までズボンを捲り保護者に手を引かれ下校していく。米どころ新潟、昨年から豪雨・地震そしてまた豪雨と災難続きだ。有名となった魚沼産コシヒカリも昨年来相当な打撃を受けている。
 また、お隣の中国ではこの2週間で数百人が犠牲となっている。先日も、授業中の校舎に濁流が押し寄せ、逃げる間もなく小学生100人近くが幼い命を亡くしている。言葉は悪いが、雨がもたらす喜びそして悲しみ、人それぞれだが子供からお年寄りまで命を大切に最後には笑顔でいてほしい。
 さて、今日久々にFBC(福井放送)「夕方いちばんプラス1(ワン)」「げんき米プロジェクト〜ライススタイル」が放送された(6/20撮影)。
<放送を御覧になれなかった皆様へ>
 水不足を心配する川島アナ・大島アナが高須町のマイ田んぼを見に行ったのだが案の定、田んぼにはほとんど水が無く不安になる二人。
川島アナ「水が少なくない!」
大島アナ「土が丸見え、カラカラじゃないですか!」
 今年初めて経験した田植えだから、心配するのは当たり前だろう。イケメン&可愛い、二人の顔がこわばっている。
 そこで二人の米作りの先生、地元のお馴染み畑さんのところへ向う。ところが畑さん意外にも平然としていた。
畑さん「うーん、今はあんまり水をあててない(水をやらない)の。」
畑さん「中干しって言って、田んぼの中のガス抜きをせんとあかんの」
畑さん「まだ田んぼの水が多いかもしれない」
「干したり、あてたりせんと分けつせんで」と、畑さんのコメント。
ここでさすがFBC解説が付いた。
<中干し>
6月の中旬から下旬に田んぼの水を抜き土の表面を乾かすことをいう。その効果は。
@稲の根腐れを防ぐ。
A土の中にあるワラが腐って出るメタンガスを抜く。
B根の張りを良くして株を増やす。(→これを分けつという)
 つまり、中干しは苗の成長のために必要な作業だということです。この畑さんのお話を聞き、両アナほっと一安心の様子。二人に笑顔が戻った。
川島アナ「水は与えすぎてもダメなんですね」「子育てと一緒なんですね」
(たしか、二人とも独身のはず)
畑さん 「そーそー、一緒やわね」
とにかく、高須町のコシヒカリは現在順調に成長してます。
 次回、棚田オーナーの集合は7月10日(日)だそうですが作業内容は、草取り・案山子の設置(コンクール)・ちまき作りです。昨年は工夫した案山子が色々と高須のあぜ道に悠然と立哨していましたが、今年はどのようなアイディアの案山子出来るか、そして高須町の一員となるか楽しみです。


△男の酒のつまみ・・・16

 最近、越前ミズナにはまっている私だが、サラダ・酢の物・味噌汁に使っても美味しい。今日スーパーで鰻の蒲焼が安かったので、ひつまぶし風に細かく切り、冷やしたミズナ(3a程度に切ったもの)の上に乗せる。そのままタレでもよしイタリアンドレッシングでも美味しいです。


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【七月の一/向日葵の微笑み】7月8日(金)

 昨日、「夕方いちばんプラス1」の川島&大島アナの最後のコメントで、鷹巣(日本海)にカイトボードにトライしてきた大島アナに対して川島アナが・・・・・
「鷹巣と言えば、その途中の高須町ですね。元気米プロジェクトも、いよいよ今週末に草取りと案山子作りです。頑張りましょう」と、話していた。
 そう、10日の日曜日は天気予報では降水確率50%となっているが、お米の成長を妨げる除草をしなくてはいけない。
 また、田んぼには欠かせない案山子を作る作業もある。昨年、予期せぬ案山子コンクールで1位を頂き、今年も再びと前々からアイデアを考えているのだが、全然まとまらない。初めから賞を狙うのも失礼な話だが、少しは期待してしまう。
 そんな事を考えていると、携帯電話が鳴った。友人からだが、冒頭一番福井弁の早口でこう切り出された。
「お前、相変わらず作文が下手やな!」
「なんの事・・・」
「もう少し考えて文章を作れや!」
「高須町のホームページのことか・・・」
「ほや、あのなホームページを見てる人の気持ちを考えて、笑いをとるか真面目路線で行くか、方向性をはっきりせんとあかんわ!」
「お前に言われたくない!」
「こないだの、お米の歴史かてなんかの参考書か教科書見て作ったやろ。バレバレやざ!」
「・・・・・」(一部当たっている)
「ほやけど、俺は面白くて好きやけど・・・」
「どっちやねん」
「じゃーまた電話するわ。今度、片町で会おう」
「おい・・・」
 友人は一方的に言いたい事だけ言って電話を切った。今現在、会社の社長をしている彼。小・中(順化小・明道中)と同じ学校だった彼だが、たしか成績は私の方が上だったはず。しかし、そんな彼が高須町のホームページの事は教えていなかったのに、見てくれていたのは一応・・・嬉しかった。
 考えてみれば誰が見ているかお互い顔の見えないこの日記、友人の有難いご忠告を聞いて真面目に書かなければと思う。・ ・・だが、やっぱりこのパターンで日記を進めて行こう。

 さて、ロンドンで同時テロが起きた。いつも思うことだが、何故テロリストは無差別にこのような事をやるのか理解に苦しむ。いや、理解できない。罪のない関係のない人を狙う彼らは許すことは出来ない。被害者は悲しみの他に憎しみを増す、この繰り返しが後を絶たない。心の中に少しでも「人を思う優しさ」があれば世界で起きている戦争やテロは無くなるはず。戦争(軍需産業)やウエポン(武器)などで儲ける国や人がある以上このようなことは無くならない。はびこる麻薬も同じ。被害に遭い多くの人が涙を流す、親を失う子どもたち。その子どもに銃を持たせ訓練しまたテロリストへと育てると言う。
 「命の尊さ」を子供たちに教えなければいけないこの時代に、それを否定するかのように毎日起きる事件・事故。
 願いは「ワールド・ピース」。争いが少しでも無くなるよう心から願う。笑顔がある所に争いは無いから。
 高須町での棚田オーナーとしてこの2年間、色々と体験をさせて頂き人生の中でプラスになる事が増えた。人と人との出逢い、物の価値観、自然との共存。手は武器を持つ為のものではなく、人の触れ合いにおいて人の心の優しさを感じるものだと思う。(少し真面目バージョン)
 さあ日曜日は頑張ろう!


△男の酒のつまみ・・・17

 ナスを全体の4分の3のところまで切る。表・裏の皮の部分に切り身を付ける。(縦でも斜めでもよい)水につけアクを取る、ペーパータオルで水を拭き、サラダ油で揚げる。だし汁・醤油・砂糖・酢(好みの味付けだが、全体に薄めがいい。そうめんつゆでもOK)で作ったものにナスを付け冷蔵庫に。鰹節&おろし生姜で食べる。夏に最高!
※ 先日、「たべごろ」(FBC・土曜日午後6時30分から)で徳島県のナスを取り上げていたが、この中で市販の餅をナスに挟み油で揚げていた。この場合、餅を挟む両面に片栗粉を塗り餅が落ちないように爪楊枝でおさえる。付け汁は同じ。・・・意外と美味でした。


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【七月の二/案山子の舞】7月10日(日)

 今日は高須町での第2回目の棚田オーナー集合日だ。何時も思うが高須町にあれだけ通っているのに、高須町へ行くとなると前日からそわそわと落ち着かない。これは次男も同じだ。昨日も高須町へ行き、佐々木さんの竹林で案山子用にと竹を1本頂いてきた。もちろん次男も同行した。佐々木さんの指導で竹にのこぎりを入れる次男。何回も休憩をしながらどうにか高さ5mの竹を切った。自宅に持ち帰り明日の準備と思っていたら、急用で外出しなくてはいけなくなった。
 朝4時、車庫で竹を切る。近所迷惑にならないように音を出さず、約1時間で作業終了。
 外は雨が降り続いている。降水確率50%の気象予報は当っている。案山子作りとなる物を準備し確認しながら車に乗せ、弁当&水筒を持ち、いざ高須町へ向かう。時計は07:30だ。
 途中、次男に「お父さん、朝早く起きて竹を切っていたんだよ」と言うと「うーん、夢の中で音がしていたよ」と、返事が返ってきた。次男は昨年のこの案山子作りには欠席したため、ちまき作りも含め今日は楽しみにしている。
 昨年、案山子コンクール1位だったが、その案山子を直に見せるため次男を連れて高須町を訪れたが、あの福井豪雨の後で案山子はいなかった。だから今年は親子で頑張ろうと車の中で妙なハイテンションの二人。
 棚田に着くと1番乗りだった。次に市農政企画課の本多さんが来られ挨拶を交わす。「雨が止むといいですね」と本多さん。「誰かが雨男なんですよ」と私が言うと、すかさず横にいた次男が「僕じゃないよ」と言う。まあ、誰が雨男でも晴れ男でもいいから、少しでも天気が回復してくれることを祈ろう。
 ふと私の田を見ると6,7人の姿がある。何かあったのかと急いで近寄ると地元のお母さん達が草取りをしている。
「おはようございます」と挨拶すると、「ここの田んぼの人かえ」と返事が返ってきた。「はい、そうです。何かあったんですか」と聞くと、「みんなで草取りしてるんや」と言う答え。「すみません、有り難うございます」
 この地元のお母さんたちの草取り作業、私の田の他に隣、そして次の田と集合時間まで続いていた。ほんとに感謝です。
 昨日も研修会館で棚田オーナー皆さんのお持ち帰り用と手作り用のちまきを長い時間をかけて準備していた。「何本作るんですか」と聞くと、「1000本以上作るんやわね」とのこと。「今年のちまきは美味しいよ。餅米がいいから」その声に作業をしていた20人のお母さんたちもうなずきながら笑っていた。町を上げてのこの棚田制度だが私たちの知らない所、見えない所でお世話になっているのだ。
 午前9時、いよいよ開始だ。お馴染み植木さんが所用の為、地元田渕さんの挨拶後、県農業経営支援部の田中さんから現在の稲の状況な説明を受けた。今年初参加の棚田オーナーの皆さんも真剣に聞き入る。やはり、自分で植えた苗がどのような経過で初秋に実を付けるのか、楽しみでもありいささか不安でもある。草取り作業は何故必要なのかを確認した後オーナーはそれぞれの田に向った。昨年より草は少ない状況だが、それでも全員丁寧に草取り作業に時間を費やした。
 

 その後は案山子作りだ。個性豊かな22の案山子ができた。
昨年よりレベルが上がっている。案山子コンクールの発表が楽しみだ。私の案山子は昨年と同じ竹の畑時能(はたときよし)だ。

 気になるFBCの川島&大島アナの案山子は・・・
 さすが日テレ系、長嶋茂雄読売巨人軍終身名誉監督だ。実は受付で2人に「美術さんが作ったの」と聞いたら、「いえいえ2人で仕事の合間に作ったんですよ」との返事。失礼な質問に心から謝罪申し上げます。この2人のアナウンサー私達以上に何から何まで自分達でやっている。番組の企画の1つではあるが、「元気米プロジェクト」に対する取り組み方に真剣さがある。
 

 草取り・案山子が終わる頃、青空が覗いていた。次は場所を研修会館に移動して、昼食とちまき作りとなる。昨年より棚田オーナーの人数が多いため、研修会館の全てのふすまを取っていた。幾つかのグループに分かれ先生の指導でちまきを作るのだが、昨年も経験しているのに難しい笹の巻き方。
 私のグループは、運動会で親しくなった中村さんご夫妻と油井さんご夫妻。共に今年から参加のご夫婦で、羨ましいほどラブラブ・・・・・なんです。お互い簡単な自己紹介を交わし、さあチマキだ。先生は・・・・ん・・・・なんと佐々木さんのお嬢さん(高1)だ。私は次男にチマキ作りを任せて外で地元の方と少しの談笑。10分後、戻ると少し歪なチマキがあった。次男の作品だ。これもいい経験になる。どの棚田オーナーの皆さんも、楽しそうにチマキを作っている。すぐに湯がいて食べる人がいたが、美味しそうな顔だ。
 

 最後に案山子コンクールの発表だ。今年は4位からの発表となった。司会の本多さんが「4位がお2人おられます」
「藤田さんとFBCの川島さんです」
 景品の大根を頂き2年連続の入賞に感激。そして1位は愛・地球博のマスコットモリゾー&キッコロでした。ちなみにこの案山子に掛かった費用は200円だそうです。とにかく、この22体の案山子さんには秋の収穫まで棚田の見張りを頑張ってもらいましょう。


△男の酒のつまみ・・・18

 私の愛読書の1つに水上勉先生の「精進百選」という本がある。この中でシンプルな素材で簡単に出来るものが多くあるが数年前からお気に入りを1つ紹介します。
もやしのひげを取り、軽く湯がく。酢と醤油で二杯酢を作りもやしを入れる。七味唐辛子をふりかけて食す。まいうー。


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【七月の三/とうもろこしと背比べ】7月12日(火)

 高須町での2回目の作業が終わり、棚田オーナーとしては秋の刈り入れまで少しの休息となる。もちろん農家の皆さんには失礼な話ではある。そこはプロとアマと言うことでお許しを頂こう。
 高須町にお世話になって私は約4年が立とうとしている。お米に対する考え方はもちろん、口にする全ての物の過程を勉強させてもらったような気がしている。次男も同じだ。
 つい2ヶ月に自由研究として持ち帰ったとうもろこしを自宅の玄関横に植えた。もちろん大きな容器に植えたのだが、その成長の早いことに驚く。毎日、学校が終わるといち早く観察に行く次男。
「また、伸びたよ」「どこまで伸びるの」「僕の身長より大きくなるのかなー」と、楽しんでいる。
 先日も高須町での草取りの時、田中先生から「ほら、イモリがいるよ」と声をかけられると、「わぁー、すごい」と手に取り観察している。田中先生から「お腹の所が赤いから、アカハライモリと言うんだよ」と説明され、貴重な課外学習となっている。次男にとって経験・体験がこの高須町で勉強となる。
 さて、今日は「夕方いちばんプラス1・げんき米プロジェクト」が放送された。最近、夕方になると何故かTVの近くに体が動く。この日の放送内容はもちろん先日の草刈り&案山子。
「わぁー、大きくなっているー」と中干しから2週間での稲の成長に驚く川島&大島アナ。草刈り作業に取り掛かるため田んぼに入った。地元・田渕さんから草取りの説明を受ける。「この雑草を取らないと稲に行く栄養分が草の方に取られるんですよ」と田渕さん。

ここで有難い恒例のFBCの説明が・・・。
(あぜの草刈り)
@お米に斑点を付ける。
Aカメムシの住みかを無くすため。
(田んぼの草取り)
@ 雑草に養分を奪われないようにするため。
A お米に雑草の種子が混じり混まないようにするため。
だから、草取りは大事な作業の1つなのです。
 田渕さんの草取りの速さに関心する両アナだが、間違って稲を取ってしまった大島アナ。「すみませーん」と謝る。ここですかさず「ちょっとー、大切な稲なんですからお願いしますよ」とツッコミを入れる川島アナ。いいコンビだ。
 放送にはなかったがハプニングがもう1つ。カメラで撮影していたスタッフが田んぼに足を取られ横転してしまった。
「大丈夫」と駆け寄る川島アナ。「大丈夫ですが、稲を倒しました。すみません、どうしよう」と優しい巨漢のカメラマン。見ると4.5束が横倒しになっていた。目撃していた他のオーナーの皆さん心配しつつも暫し笑いの渦に包まれた。
 次に案山子作りの様子が映った。仕事が終了したスタジオで作業している2人。やはり、何から何まで2人でするとは。
「美術さんが作ったの」と言った私、本当に申し分けない。
 最後に現在の稲の様子を県農業経営支援部の田中勲さん説明を受けていた。

 稲を1本抜き茎の部分を見ると、お米の赤ちゃんが出来ている。これを幼穂(ようすい)というらしい。この幼穂がどんどん上に上がり稲穂になる。「早く元気な顔を見せてほしい」と最後に大島アナの可愛いコメント。でもこれは棚田オーナーはもちろん農家の皆さんも同じことを思っていることだろう。お米作りの大変さとその愛おしさを勉強できました。
 げんき米番組のスタジオからの最後のコメントで川島アナが「棚田オーナーの方から、案山子は会社の美術さんが作ったの?と聞かれたんですが、ちゃんと私達2人で作りました」と締めくくられた。本当に心から謝ります。3回目の陳謝。同じ4位でよかった。


△男の酒のつまみ・・・19

 アサリの酒蒸しは定番だが、私は少しアレンジ。お鍋にアサリを入れお酒を入れ蒸すのだが、紹興酒でもいい。この時、バターを1かけと醤油を数滴落とす。


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【七月の四/蝉のコーラス】7月20日(水)

 梅雨に入り、雨は確かに降ったが、こんなものだろうかと思う毎日。北陸を除きほぼ梅雨が明けたとニュースで言っている。北陸も近日中には明けると気象予報士が語っていた。私の仕事的には雨が降らないと嬉しいのだが、農作物にはこの状況はどうだろうかと考える。新聞やテレビなどで例年より農作物が全体的に不作状態と言う、これは一般消費者も影響を受けるが生産者もそれ以上に被害を受ける。
 最近私は、特に新聞の「農家」や「作物状況」とか「JA」また「生産者直売所」等の農業関連見出しに目が行く。これも、高須町の棚田オーナーになってからだ。自分の中で何故か感心を持つようになった。その中でも新聞・TVにおいて、特に高須町の話題が多く取り上げられるようになってきた。私まで嬉しくなる。
 これは、高須町の活性化事業に伴い、地元の皆さんの努力によるもの、そして今年の棚田制度にFBC(福井放送)「夕方いちばんプラス1」で川島アナ、大島アナの両キャスターが米作りに参加挑戦して「げんき米プロジェクト〜ライススタイル」という企画を設け放映、また福井新聞の御二家族も同様に米作りを体験「福井の棚田米作り体験記」として紙面に連載して話題となっていることが注目される。
 高須町ばかりではなく、県内のいたる所で実施している。また、今立町・池田町なども町を上げて取り組んでいる。本当に最近どこの自治体も自然との共存に再び着目し事業を起こしている。都会から田舎へ、大都市から第二の故郷へと過疎化の問題を克服しつつある町・村も多くある。
 もう何年になるだろう、日本テレビの「鉄腕ダッシュ!」(日曜夜7時)においてアイドルグループTOKIOのメンバーがダッシュ村(番組上命名)で試行錯誤しながら色々なことを経験していく。米つくり・野菜つくり・古民家の再生・水車つくり・炭焼き釜つくりなど数多くの作業を真剣に取り組む様子は、視聴者の感動と共に日本人の忘れかけようとした物を呼び戻すものだ。とある村の何もなかった荒れた土地、一から始めたこの企画だが、地元の方々の指導と協力で現在すばらしい村作りとなっている。
 だが、これに満足することなく常に探求し上を目指している。そこがいい。失敗を繰り返し悔し涙を流す、皆の協力で成功し嬉し涙を流す。この様子を画面を通して見ている視聴者のどれだけの人が「こんな事できるんだ」「私もやってみたい」と思ったことだろう。私もその一人だ。
 お金を使い企画しイベントを行い人を集め話題を集めることは、いつでもできる。だが、そこにあるもの・そこにしかないものを活用しながら地道に進歩するのもいい。今、町や村が置かれている状況をどれだけ地元の方が把握し、何を願うのかが肝心なことである。自分さえよければと考える人が多くなり、郷土愛が薄れてきたという。指示をしなければ動かない、動けない若者(指示まち症候群)が増加する現在。今、必要な環境とは自然との触れ合いの中から生まれてくるものではないだろうか。そこに答えが見えてくる。


△男の酒のつまみ・・・20

 夏バテ解消にピッタリ簡単料理。長芋をすり、油をひいたフライパンに。お好み焼きと作り方は同じ。具はお好みでいいが、私は豚肉・長ネギ・キムチの3種類。長芋自体に味が無いので好みのソースを使う。簡単だが、これがいける。特にビールに合う。


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【七月の五/線香花火の夜】7月24日(日)

 7月10日の高須町での草取りも終わり、一応「ホッ!」と一息。後は稲が順調にこの夏、秋と成長してくれればと願う。そんな事を考えていると、テレビで面白い話題が聞えてきた。岩手県金ヶ崎町で農家の方が考案した「除草下駄」が今、人気になっていると言う。この下駄、労力のいる草取りを少しでも楽に出来ないかと開発?されたものらしい。木で少し大きめ(冬のかんじきを想像して下さい)、底に何本かのピアノ線が通っていて、歩行する時にそのピアノ線が草をカットして行くのだ。まだまだ改良は必要と思うが、意外と全国の農家から購入したいと要望があり、商魂逞しく農閑期に生産し6千円で販売している。アイデァが素晴らしいと思うがプロの農家の方はこの商品をどう思うだろうかと、知人の農家に聞いてみた。答えは「実際に見ていないし、何とも言えないが農家の知恵だな!」と、興味を示していた。重労働と言える農作業、機械化が中心となってはいるが機械が使えない棚田もあるのでこのような手作りのものは貴重といえる。
 さて、昨日は「あぜ道インタビュー」の取材で久しぶりに夜遅くまで飲んでしまった。油井さん&中村さんのご夫妻とスタッフが高須町の事、棚田の事そして人生観などで大いに盛り上がり本当に楽しい時間を過ごすことが出来ました。ビール&焼酎&ウイスキーとどれだけ飲んだことか、また食べたことか。インタビューが目的だったはずなのに、いつのまにか楽しさで話があっちこっちと飛んでしまった。高須町の棚田がご縁での「飲み会」は新しい友人が生まれる。

 次回は「バーベキューをしましょう」と約束を交わし2軒のはしごを終える頃、12時を回っていた。油井さん、中村さん両ご夫妻、美男美女でラブラブでしたが、そんな様子を羨ましく感じたスタッフ一同でした。


△男の酒のつまみ・・・21
 今回、つまみと言うよりも飲んだ後のオススメの食べ物を紹介します。実は私の行きつけのスナック「コンドル」で人気のメニューなんです。「ざるそば」ですが、つけ汁に大根おろしを少し大目に入れる。つまり多少辛くなるが、私は七味を加える。麺は中村製麺の生そばがオススメ。夏に最高!


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【八月の一/麦藁帽子とかけっこ】8月1日(月)

 夏本番、毎日猛暑が続いている。私の子供の頃(昭和30年代)エアコンなどなかった。夕方になると庭でタライに水をはり行水をしたことが懐かしく想い出される。息子2人(高3・小5)は夏休み。長男は「暑い暑い」と言いながらクーラーの効いた部屋でパソコンに向っている。次男は毎日ラジオ体操で順化小学校に行き午前はプールで水泳の練習をしている。
 親として毎年夏休みになると何処かに連れて行こうと思うのだが、なかなか実行出来ない。それでも近場でごまかそうかと考えた。先月23日、次男を福井市営競輪場に連れて行った。当然レースの開催日ではなく、一般の人にバンク(走路)を走らせるという企画があったからだ。この企画は小学生からお年寄りまで男女を問わず自分の持ち込んだ普通自転車で走るもよし、用意された競輪用の自転車でチャレンジするもよし、普段この競輪場で走ることなど経験できないことなので参加者は400mバンクを恐る恐る走る。もちろん地元の競輪選手が指導してくれる。有名S級選手もいてサインを求める参加者もいた。
 次男は最初、持ち込んだサイクリング用の自転車でゆっくりと1周した。「お父さん、コーナーの壁凄いよ!」と驚いた様子。初めて訪れた競輪場に少しの緊張があった。しかし雰囲気に馴れた頃には楽しそうに何周も走りだす。この他にもゲームあり、クジ引きありと盛りだくさんだが、何よりも参加無料というのがいい。次男は手にいっぱいのお土産を持ち満足していた。
 30日には南越前町(旧・南条町)の第6回・日野川ダックレースに行った。事前に往復はがきでエントリーした。もちろん今年初参加。テレビで見たことはあるもののどうゆうイベントか楽しみにしていた。次男を連れて午後1時過ぎ自宅を出た。土曜日ということもあり国道8号線は多少車の流れが悪い。
 それでも鯖江、武生と過ぎ約1時間で南条の会場に着いた。河川敷のパーキングに車を止めるとそこには大きなゴールの文字とアヒルの看板が川の上にあった。上流のイベント会場に歩いて行くと特設ステージではアカペラグループの素敵なハーモニーがあった。回りには何十軒もの屋台があり家族連れで賑わっている。まず、鮎のつかみ取り大会に参加、次男は5匹をGET!満面の笑みかと思えば少し不満の様子。「お父さん、あと1匹が捕まえられなかった」と、我が家族6人分を獲りたかったらしい。
 ダックレースのスタートが4時からなので屋台で軽く昼食とゲームで時間を潰す。そんな時、ステージから聞き覚えのある声が・・・。司会の女性の声・・・「もしや・・・大島アナ」と目を向けると、福井テレビ「おかえりなさーい」の木下栄子レポーターだった。FBC大島アナと間違えた事に陳謝。地元の可愛い女子児童の歌・踊りもあり会場から大きな拍手。次男も同じ小学生の発表を真剣に見ている。
 いよいよダックレースのスタート。上流のスタート地点にはジャンボダックがありその中には参加者の番号が書いてある小さなダックが入っている。花火の合図で一斎にスタート。その数、約11.000羽。もちろん自分のダックは確認出来ないものの、川一面に黄色いダックが流れる様子は壮観でまた可愛い。
 次男は最初、堤防で見ていたのだが遂に我慢できず岸ギリギリまで行っての応援。何故か「頑張れ!」と声を出している。「村長がたくさんいるね、お父さん」次男は「鉄腕ダッシュ」のアヒル村長を思っている。流れに乗りゴールに向かうダックもいれば、途中岸で休憩し黄色のTシャツを着たスタッフに棒で戻されるダックもいる。このレースには実況があり地元町長の解説もある。
 期待に反して我が藤田家のダックは順位不明だったが、とにかく面白い時間を過ごした。この後、演歌歌手のショーや花火大会があり盛り上った。
 帰路、助手席で疲れた様子の次男。寝ているのかと思ったら突然「お祭りはいつなの?」と聞く。「どこのお祭り」「佐佳枝神社、八幡神社どっちのこと」と聞き返すと「高須のお祭りだよ」と言う。次男はどこより高須町がいいらしい。


△男の酒のつまみ・・・22
 夏は冷たいものを・・・に反して、今回は土鍋を用意。昆布でダシをとる。主役はなんと生わかめだ。しゃぶしゃぶで食べる。これがいける。ぽん酢でも胡麻だれでもお好みで。冷酒にあう。


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【八月の二/穏やかな波】8月10日(水)

 猛暑、酷暑と言う言葉がニュースでのアナウンサーの挨拶となっている。このところ睡眠不足が続いているのだが、熱帯夜によるものではなく先ごろの世界水泳(カナダ・モントリオール)と現在行われている世界陸上(フィンランド・ヘルシンキ)が原因である。スポーツ大好きの私にとってテレビを通してでも「Liveで見たい」が本音である。スポーツにはその過程にドラマがあり、本番に予想がつかない何かがある。とにかく面白い。そして何よりも日本選手の頑張る姿にとにかく感動したくなる。アスリートの限界への挑戦を見ていると涙がしらずに出てくる。スポーツはいい・・・。
 ところで先日、夜明け過ぎに高須山に登った。今年2回目のことだが、山頂から見る日本海がお気に入りだ。夏の日本海、波の音が聞えそうなくらい近くに思える。三国の東尋坊や雄島が見えるのだが、今日登った理由は別にある。
 私には眼下その遥か彼方のある島が頭の中のスクリーンに写っている。北海道・奥尻島である。20代の青春の頃、8年間を過ごした島である。地図上では稚内(わっかない)横の利尻島・礼文島は意外と知られているが、奥尻島はさほど有名ではなかった。
 奥尻島が有名になったのは、残念だが北海道南西沖地震で津波の被害により多くの犠牲者が出たことによるもの。(平成5年7月12日午後10時17分・死者行方不明者198名)
 映画「男はつらいよ!・望郷かもめ歌」(第26作・山田洋次監督・渥美清・伊藤蘭)でも人気となり観光地となった。「大島・小島は夫婦の島よ、何故に奥尻離れ島」という地元の唄があった。この島は江戸時代、松前藩の流刑島にもなっていたと聞かされていた。福井とも縁があり1469年に若狭の僧が奥尻に草庵を建てたと言う。
 江差追分で有名な江差からフェリーで約2時間半、もちろん函館から飛行機もあるが、函館―木古内―江差と電車に乗り船のルートが北海道にあう。当時先輩から何度も言われたことだが、江差行き4両編成のこの電車、木古内駅にて松前行きと江差行きで前後2両2両と別れる。油断していると松前方面へ行ってしまう。電車の到着時間に合わせている1日2便のフェリー、当然奥尻行きのフェリーには間に合わない。
 北海道の地名はアイヌ言葉が原語と聞いていた。最初、天気予報で北海道各地の地名を覚える事に苦労した。それは沖縄でも同じである。そもそも奥尻(おくしり)とはアイヌ語で「オクシャンシュリ」といい、意味はたしか「遠くの島」と言う。
 航空自衛隊の基地が島の山頂、神威山(カムイ山585M)にある。私は自衛官として防府南基地・熊谷基地そして奥尻へと赴任した。当時は対ソ連の重要基地として精鋭が集結していた。平成の今でも変りはない。
 奥尻で過ごした日々は本当に私の人生において貴重な思い出になっている。町の人とのふれあい、厳しい冬、緊張の勤務、漁師との酒場での喧嘩(内緒)、バスケットそのすべてに思い出がある。
 奥尻を去る日、フェリー乗り場に見送りに来てくれた数百人もの島の人。ドラの音、桟橋とデッキとの別れの紙テープ。その日から一度も奥尻には足を踏んでいない。津波が襲ったとニュースで知り直に電話をかけるもつながらず、後日何十人もの知人・友人を失ったことを知る。
 平成6年からこの時期になると一人で遠く奥尻を想い、海に面した地を訪れ手を合わすことにしていた。石川の海、福井の三国そして鷹巣、昨年からはここ高須山に登り冥福を祈るようにした。誰にも見られたくないので夜明けがいい。今、高須山から見る日本海は穏やかな顔を覗かせていた。昔は北前船が通ったルート、今は小樽から敦賀のフェリーがある。小樽を出航すると奥尻島の横を通る。
 北海道を去る日、このフェリーに乗りデッキから奥尻島に別れを告げた。そして今、日本海を一望できるこの高須山の頂からそのフェリーの航跡を見ている。白い航跡を見ると我が青春の数々を、そして遠く奥尻島また北海道の友人たちの想い出が甦る・・・。


△男の酒のつまみ・・・23
今日は最近お気に入りのスルメを使う。もちろん焼いてもいいのだが一工夫。醤油・味醂・酒(味はお好み)・鷹のつめの中にスルメを漬け一晩冷蔵庫で。一夜干し風になったところで食べるのだが、焼いてもいいし他の食材とコラボしても面白い。私は少し甘辛くの味付けで焼く。日本酒のオン・ザ・ロックでどうぞ・・・。。


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【八月の三/稲は乙女ざかり】8月13日(金)

 巷では自公「郵政民営化法案」を巡りこの騒ぎで話題がもちきりとなっている。衆議院においては可決、しかし参議院で否決、何故か衆議院が解散となり選挙となる。対象となる議員先生方も大変だろう。
 衆議院議員選挙もさることながら、今のところ私は次男の宿題の進行が気になっている。夏休みも折り返しを過ぎ、例年「早めにやりなさい」と言うものの何故かノンビリしている次男。夏休みに入る前に予定表を必ず作成させてはいるのだが、実際には「予定は未定」となっている。マイペースで宿題をしている姿を見ていると数十年前の自分の姿がだぶって見える。
 ふと机の上の社会の教科書(小5)を捲ると「わたしたちのくらしと食料」という項目で数ページにわたって載っていた。この中に米つくりの盛んな地域として山形県酒田市(庄内平野)の農家を取り上げている。この教科書の内容は大人の私自身も勉強になる。
  「米づくりにはげむ人々」
  「耕地の整備と機械化」
  「安全でおいしい米づくり」
  「日本の米づくりの問題点」
 そして「国土を救うヒーロー田んぼくん!」の各テーマで全16ページになっている。だから今の次男にとってとてもタイムリーの勉強になる。
 もちろん福井県の生まれのコシヒカリも載っている。私も知らなかったのだが、コシヒカリ1944年新潟県の農業試験場で生まれて、福井県の農業試験場で育ったという。
2003年度の主な作付面積は・・・
  コシヒカリ  36.3%
  ヒノヒカリ   9.7%
  ひとめぼれ   9.4%
  あきたこまち  8.0%
  キヌヒカリ   3.6%
  その他    33.0% (農水省統計)となっている。
 実際に高須町の棚田での生きたお米作りの勉強、そして教科書での勉強、もう一つ忘れてはいけないFBC「げんき米プロジェクト〜ライススタイル」も本当に役に立っている。
 そう言えば今週2日続けて「げんき米」の放送があった。これで何度の放送があったかと記録を見た。
   <放送日>    <タイトル>
   4月13日 「げんき米プロジェクト」スタート!
     20日 「種まきから育苗へ」
   5月 2日 「田おこしで良い土に」
      3日 「自然の堤防あぜ作り」
      4日 「田植えへ最後の準備」
     18日 「深すぎず浅すぎず・田植えの心得」
   6月28日 「根の張りを良くして株を増やす!」
   7月12日 「こんにちは・稲の赤ちゃん?」
   8月 9日 「稲穂がふくらんで豊作の予感」
     10日 「イノシシからお米を守るアイデア」
の計10回の放送があった。以前にもこの日記に書いたのだが、川島・大島アナはこれ以外にも高須町を訪れていてお米について勉強している。いや、しているらしい。
 8月5日(金)の午前に高須町での撮影があると川島アナから聞いていたので仕事の合間に見に行くことにした。この日は多くの地元の方がいて賑やかな棚田。
 その中に珍しく若い奥様風の女性がいる。大島アナだ。頭から日焼け避けだろ うか、帽子に手ぬぐいをかけている。だんだん農家のお嫁さんのようになってきた。肥料を蒔き、イノシシ避けの電気柵を立て最後に現在の稲の成長を調べてみると、中にはギッシリとお米が詰まっている。「今年はいいお米が出来るよ」と地元のインストラクター。
 川島アナが
「いま、人間で言うと何歳ぐらいですかね?」と質問。
「そうね、18歳ぐらいかね」
との答え。ここで川島アナ
「じゃ、大島さんくらいですね」
というコメント。横で大島アナが嬉しそうに微笑んでいる。おいおい、大島アナの年齢は・・・・。まあ、いいか。いずれにせよ高須町の棚田のお米は・・・今、乙女ざかりです。


△男の酒のつまみ・・・24
 お盆を前に妻と子供たちが買い物に行った。冷蔵庫を覗くと、蒟蒻(黒)があった。「これを使おう」とまず蒟蒻を一口代に切る。三角形でも長方形でもいい。フライパンに胡麻油を引き水気が無くなり少し焦げ目が付くまで炒める。熱い うちに生姜醤油につけて食す。これも簡単レシピ!


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【八月の四/涙と雨】8月14日(日)

 このところ天候が悪く雨模様が続いている。お盆・お墓参り・雨・・・まあ、似合わないこともないかとひとり言。天気を気にしながらも早朝より部屋でのんびりビデオを観ている。
 昨年の「冬ソナ」のヒットから世の中、韓流ブームとなっている。どこがいいのか、面白いのかと思っていた。ぺ・ヨンジュンがヨン様でチェ・ジウがジウ姫。「ふん、バカバカしい」と感じていた・・・・・が、ハマってしまった。
 「冬ソナ」がBS第1回放送の第2話を偶然見てからだ。
「これは中国のドラマか?」と最初思った。ストーリーが昔の日本のドラマ風であり、何故か懐かしく感じられた。3話4話と毎週観ているうちに、こんな展開はありえないと思いつつも引き込まれて行った。これがきっかけで今では、韓国映画のビデオが私の部屋に増えていくようになった。
「猟奇的な彼女」「シュリ」「JSA」「二重スパイ」「カル」「イルマーレ」「おばあちゃんの家」「火山高」「ホワイトバレンタイン」「恋愛中毒」「シルミド」「花嫁はギャングスター」「風の丘を越えて西便制」「SSU」「殺人の追憶」「チング」「スキャンダル」「リベラメ」「八月のクリスマス」「反則王」「アタック・ザ・ガス・ステーション」「フーアーユー」「リメンバーミー」「ラブストリー」「ガン&トークス」「情事」「銀杏のべッド」「4人の食卓」「スプリング・イン・ホームタウン」「ラストプレゼント」「僕の彼女を紹介します」「ブラザーフッド」  ※赤字が私のオススメ
 で、のんびりとビデオを観ているのだが、先ほどから廊下をドタバタと次男が走っている。理由は夕方からの高須町の夏祭りの用意だ。久しぶりに高須城小学校のみんなと会えるのが嬉しくて落ち着かない様子。昨年も夏祭りでお邪魔して 「里山のお祭り」が気に入ったようだ。まだ午前中なのに今から心は高須町だ。
 そんな事を考えていたら携帯電話が鳴った。佐々木さんからだ。
「残念だけど、祭りは中止になった!」
との事。里山の天候は変わりやすいし、連日の雨。
「仕方ないね」と返事。
 今年は初めて高須町から棚田オーナーの皆さんにお祭りの案内があったのに本当に残念だ。楽しみな企画も多くあったのに・・・。自然が相手ことだから諦めるしかない。
 佐々木さんの電話の後、お祭りの取材に同行する予定だった田中先生に電話、すぐにホームページにお祭り中止を告知してもらう。田中先生も残念な様子が声から分かる。
「延期じゃなくて、中止ですか?」・・・
 電話の後、・・・予定が無くなり、本日2本目のビデオ鑑賞となる。何か大切な事を忘れている気もするが・・・
 思い出せずに1時間過ぎた頃、廊下をバタバタと走る音。
「あっ!」ここでようやく思い出した。次男にお祭りが中止になった事を伝えてなかった。次男を呼び事情を説明すると、先程の元気が急に消え、がっくりと肩を落とした様子。余程楽しみにしていたのだろう。外は雨・・・次男の心は涙雨のお盆となった。


△男の酒のつまみ・・・25
 私のPTA時代の友人(女性)から教えてもらったのだが、これは本来、焼肉で食べるらしいが少しアレンジ。シシトウを炙りわさび醤油でも、生姜醤油でもいける。簡単でおつ。


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【八月の五/お墓参りに行けない!】8月16日(火)

 早朝より何か市内が騒がしく感じられる。Uターンラッシュはもう関係ないし、何事だろうと思っていた。昨日、家族それぞれに用事がありお墓参りにけなかった。今日は行こうと準備をし車に乗り込む。次男はラジオ体操を終えたばかり で少し元気がいい。
 うちのお墓は自宅から車で5分の足羽山にある。足羽川を渡るとなにやら車、車の渋滞状態。「もう少し早くくればよかった」と反省しながらノロノロ運転。しかし警察の車も見かけられ、「うんー、事件か事故か」と変に興味津々。
 ここで車内のTVのニュースで理由が分かった。足羽山西墓地で午前5時過ぎに陥没事故があったと言う。原因はここ数日続いた雨による地盤がゆるんだことらしいが、私たち福井市内に住むものは足羽山自体が昔からの採石による空洞部 分が多い事は知っている。
 問題なのはこの事故による負傷者がいないかどうか、またどの辺りで陥没が起き規模の大きさと、うちのお墓は大丈夫かどうかだ。途中、車をわき道から自宅へ戻した。
 自宅に帰るとすぐさまテレビのニュースを見る。画面に映る墓地は・・・どうやらうちのお墓の付近ではない。一応安心したのだが、この先のことが心配でならない。この陥没事故、被害が拡大しないことを祈るだけだ。それと、当然だ がお墓参りが出来ないためご先祖様に申しわけない。管理している福井市も職員を多数派遣し対応しているのだが、お墓の持ち主等から問いが合わせ相当きているらしい。
 外ではヘリが飛び全国ニュースでも話題になっている。そんな矢先、東北で地震が起きた。家族で賑わう室内プールの天井が落ち、多数の人が負傷した。また、飛行機の墜落事故が外国で相次いで起きている。
 何か大変なお盆明けだが、高須町の稲は来月の刈り取りに向け順調に育っている。このままお願いします・・と、お墓じゃなくお仏壇にお参りとなった。


△男の酒のつまみ・・・26
 ここ数年、福井産のトマト「越のルビー」が人気となっている。少し値段が張るもののやはり美味しい。ちょっと贅沢気分で酒のつまみにする。本日のレシピは・・・やはり生かな。冷蔵庫でガンガンに冷やし、食べる直前にスライスする。ドレッシングはお好みでいいが、私はそのままか塩のみ。ビールに最高。


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【八月の六/稲のかくれんぼ】8月21日(日)

「北陸地方、夕方から激しい雨になるでしょう」と、ニュースの天気予報。先週も雨で高須町のお祭りが中止と、このところ日曜日は雨ばかり。それでも自宅横の市営プール(通称、三秀プール)では朝から子供たちの元気な笑い声が響いている。
 昭和30年代、私の子ども時代だが、まだ運動公園の県営プールが完成前、夏休みになると数々の競技大会がこの三秀プールで行われた。「第1のコース、○○君。○○中学校」とマイクでアナウンス。当時、これが失礼な話だが大変「うるさい!」と怒鳴りつけたい気分だった。勿論、大会期間中は楽しみなプールに入れず、お昼寝もできず、勉強も集中できなかった。うん・・(勉強・・は言い訳)
 このプール、当時夜間プールと言って大人を対象に開放していたこともあった。夜に泳いでいる大人を見ていると凄く気持ちよさそうで、子供の私にとってとても羨ましく、早く大人になりたいと思ったものだった。また、福井工業高校(現・科学技術高校)の水球部もよく練習していて、近所の子供たちとあの独特の泳法をマネしたものだ。
 ところが、昭和42年8月の第20回インターハイ(高校総体)開催と昭和43年10月の福井国体の開催以来、大きな大会は運動公園の県営プールに移ってしまった。隣の市営プールが静かなプールになってから何十年、当時の事を子供たちに話す事がよくあるが、本当に懐かしく想い出される。
 さて昨日、高須町のホームページの件で田中先生が自宅に来られた。用事はもちろん高須町の話だが、途中からは何故か教育論議となる。最近、福井県では教員の不祥事が相次ぐ中、大部分の先生方は真剣に子供達と向き合い、朝早くから夜遅くまで教職という仕事に取り組んでいる。それはこの夏休み期間も同じである。そんな姿を私も知っているから二人は熱く熱く語り合う。今の中学生に何が必要か何を体験また経験させるべきかを語りあった。
「市内中心部にある中学校だから農業体験もいいんじゃない」「ほとんどの生徒は経験ないよ」と私。
「いや絶対必要です。今だから日本の農業、お米の事を学ぶことが将来に役に立つはずです」と田中先生。この会話から始まった。
 今、小中学生は総合学習の一環で色々な体験型学習が経験出来る。次男(小5)は昨年クラス数人と校区内のお店を訪ね、そのお店の歴史や商売においての苦労話、今後の事業展開などを店主から聞き大変勉強になったと感激していた。
 また、中学生も職場体験学習といって、幅広い業種のお店に入り実際に数日経験すると言うことをしている。市役所・銀行・スーパー・酒屋・花屋・病院・幼稚園・介護関係・菓子屋・建設会社・飲食関係(ファーストフード・蕎麦屋等)・ホテル等と年々その業種は50箇所前後。もちろん児童や生徒達を受け入れて下さる皆様には大変ご迷惑な事にはなるが、彼らにとって貴重な経験となっていることには間違いない。県外のある中学校では、長期間(約1ヶ月)に亘り、実施している所もある。しかしこの職場体験もいくつかの問題点がある。受け入れた児童・生徒をどこまで体験させるかだ。
 従来は団体で伺い、係りの方から会社等の説明を聞きそれで終わっていた。ここ近年は少人数体験型となっている。1社1名を行っている学校もある。しかし都市部中学校の場合多くの受け入れ先があるのに対して、郊外の中学校は限りがあり、それを都市部に求めれば多額の移動費用がかかることになる。そして、その内容ももう少し奥に入りたい。
 例えば、八百屋に職場体験した場合、お店で陳列の手伝いやお客への対応などは当たりまえだが、本来は早朝より店主と共に朝市場等に行き商品の流通を目で見て体験し勉強させなくてはならないはずだ。大手宅配便でもセンターでの仕分け業務も大切だが、ドライバーと車に乗り、集配を経験しなくてはならない。ここで一番の問題となっているのは安全面・・・と言うことになる。事故が起きたらどうなる、責任は・・・。
 今年だったか昨年だったかある中学校が漁業の体験をした。当然、漁なので漁船に乗り先生となる漁師と網を引く。体験した生徒はほとんど初体験、「貴重な体験でした」「魚をキレイに食べなければお魚に悪いですね」とのコメント。
 この場合、漁船での事故等を考えているとこの体験は初めから存在しないことになる。安全面を考える学校側と保護者だが本音は真の現場を体験させたいはず。貴重な授業時間の中での体験学習、どこかで歩み寄りが必要となる。
 さて、夕方からの雨を心配しつつ午後1時過ぎ次男を連れ高須町のマイ棚田へ来た。夏の日差しが雲の隙間から稲穂に降り注いでいる。
「大きくなったね、お父さん」と次男。
「そうだね、来月には刈り取りだよ」と、答えた。
昨年はたしか9月26日が棚田の刈り取りだった。
「もう食べれるのかな」と次男。
「まだまだ、稲がまーだだよって言ってるよ」と返す。
「じゃ、かくれんぼだね!」
嬉しそうに稲穂の成長を見る次男、高須町の棚田にすぐそこまで実りの秋が来ている。


△男の酒のつまみ・・・27
 薄あげを細かく切る。(1センチ以内)油を引いたフライパンでうすく焦げ目が付く程度焼く。大根おろしの上に乗せ好みの量の醤油をかけ、まぜる。この時、越前水菜を入れるのもいい。
本来温かいご飯に乗せ食べてもいいが、冷蔵庫で冷やし七味をふりツマミにする。冷酒にあう。


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【八月の七/眠れない夜】8月21日(月)

 そろそろ夏休みも残りわずかとなった。次男の宿題の進行状況を見るため、夜10時過ぎ次男の部屋に侵入した。どこで帳尻を合わせたのか、上手く出来ている。
 机横の本棚を見ると薄い本が1冊。「何だろう」と手に取ると財団法人・歴史のみえるまちづくり協会が発行した福井市歴史人物ガイドブックという本だった。福井市にゆかりのある人物が紹介されている。登場人物28名だが、恥ずかしい話だが知らない人物もいる。勉強不足だ。
 この28名を紹介すると、継体天皇泰澄生江臣東人(いくえのおみあずまんど)新田義貞蓮如朝倉孝景朝倉義景柴田勝家とお市の方結城秀康岩佐又兵衛中根雪江横井小楠笠原白翁橘曙覧鈴木主税松平春嶽三岡八郎橋本左内細井順子日下部太郎とグリフィス杉田定一岡倉天心芳賀矢一岡田啓介大森房吉雨田光平である。
 次男は歴史に興味があるのかと親として少し感心した。眠気を誘うには活字がいいかなとパラパラとページを捲ると、新田義貞の解説の所に高須町ゆかりの
畑時能(はたときよし)の名前があった。
全文を紹介すると、
<新田義貞>正安3年(1301)〜暦応元年・延元3年(1338)
 鎌倉時代末から南北朝時代の武将である。上野国(群馬県)新田庄出身であり、新田家は源義家の孫である源義重を祖とする源氏の名門である。
 鎌倉幕府打倒の動きに呼応し、元弘3年(1333)挙兵、鎌倉を攻略した。建武新政の下では後醍醐天皇に重用されたが、同じ源氏の名門である足利尊氏との対立が深まり、建武2年(1335)に尊氏が背くと、天皇側の中心的武将として各地で戦い、一時は尊氏を九州に追い落とした。しかし、勢力を盛り返した尊氏との戦いに敗れ、建武3年(1336)後醍醐天皇が尊氏に降ると、天皇の皇子恒良(つねよし)親王を奉じて越前に向かい、金ヶ崎城(敦賀市)に立てこもったが翌年に落城した。この落城に先立ち、義貞は杣山(そまやま)城(南条町)に脱出し、各地に援軍を募った結果、暦応元年(延元3年・1338)になると、越前の情勢は義貞方が優勢になった。
 足利方の武将斯波高経は黒丸城にこもり、原目、藤島、安居などのいわゆる足羽七城を連携させた防御体勢をとり、平泉寺僧兵の応援も受けた。
 これに対し、義貞は燈明寺に本陣を置き、全軍を7つに分けて一斉攻撃をかけたが、藤島城での苦戦の報告を受け、50騎を率いて応援に向かうところを敵と遭遇し戦死した。
 義貞戦死後、弟の脇屋義助、武将の畑時能等は越前で奮戦したが、暦応3年(興国元年・1340),南朝方最後の拠点である鷹巣城が落城、脱出した畑時能も戦死し、越前は北朝方が制圧した。江戸時代の明暦2年(1656)燈明寺の田から兜が出土し、福井藩第4代藩主光通(みつみち)はこの兜を義貞のものと認定し、出土地に石碑を建立した。これが新田塚の起こりで大正13年(1924)国指定史跡「燈明寺畷新田義貞戦没伝説地」となった。また、明治3年(1870)義貞を祭神とする藤島神社が創祀され、明治33年重要文化財に指定された兜をはじめ、寄進された多くの文化財が所蔵されて現在に至っている。 (終)
 歴史に纏わる本を読むとき、その時代の背景や人物像が脳裏に浮かぶ。この福井においても遠い昔より現在まで幾多の争いがあり、それが新しい時代を生んできた。昔、NHKで「タイムパトロール」という番組があり過去・未来を行き来し事実を検証する旨の内容だった。もし出来るものなら畑時能鷹巣城においての全てを見てみたいと思った。
 時計を見ると午後11時30分、次男の部屋を出て寝室に向った。ドアを開けようとした時、部屋の中から「ムー・ウー」と変な声が聞えてくる。次男はすでに寝ているはずと、静かにドアを開けた。テレビがついていて、画面には映画「感染」(2004年・監督落合正幸)が映しだされていた。次男は私が録画したビデオをそのまま見ていたのだ。別に見なくてもいいのにと「おい、怖くないのか?」と聞くと、「だって、朝僕が観ていた遊戯王かと思ってスイッチ入れたらこれが写って、それで・・・怖いけど観てた」とコメント。「なんじゃそりゃ」「早く寝ないと、明日のラジオ体操起きれないよ」「はい」・・・・・。
 この後、親子二人で「感染」を最後まで鑑賞、眠れない夜となった。


△男の酒のつまみ・・・28
 最近、裏庭に生えているシソの葉をよく使う。冷麦でもそうめんでもざるそばでもと、長ネギの替わりに使う。ちくわに青しその葉を巻く。もちろん爪楊枝で押さえる。油をひいたフライパンで軽く炒める。醤油でも甘辛味噌でもOK。


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【八月の八/稲の白花】8月24日(水)

 昨日、JA福井市や他のJA2箇所からハナエチゼンが初出荷されたと新聞に書いてあった。今年は順調に生育して良質米だと言う。高須町のコシヒカリも同じだろうか、病害虫に侵されていないだろうか、刈り取り前に台風に遭わないだろうかと、何もかも高須町の地元の方にお任せしお世話になっているのに、このときばかりは都合よく心配になる。
 棚田の稲にとって管理して下さる地元の皆さんは「親」。私達棚田オーナーは年に数回しか会わない「親戚の人」。言葉に語弊があるかもしれないがそんな感じだろう。本来ならもう少し棚田オーナー自身で進んで作業等しなければいけないはず。最近、FBCの川島・大島アナの「げんき米プロジェクト〜ライススタイル」を見ているとなお更思うことである。
 その「げんき米プロジェクト」の第11回目の放送が本日あった。今日のサブタイトルは「待望の稲穂との対面」だ。
 刈り取り前の稲穂の状態を見にきた川島アナ、
「わあーもう、穂が出てる」と少し興奮した様子。
そこへお馴染みインストラクターの智恵子さんが
「綺麗に出揃っています」と返す。
そこで稲穂を手に取りよく調べてみると、まだまだ穂が真すぐなまま。
「これから中の穂が実り、重たくなると穂が垂れてくる」と言う。
中を開けて見ると白い物(お米の元)がある。これから収穫までの約5週間でお米に成長する。ここで川島アナ稲穂に付いてる小さな白い花に気付く。
「これは何ですか?」と聞く。
「これは稲の花やはね!」
「稲の花ですか。なんか虫の卵かと思っちゃった」と驚いた様子。
 初めて見るこの稲の花、しかしこの小さな稲の花が大切なのだ。つまり、おしべ&めしべの関係で、開花している僅か2時間あまりの間に受粉するという。
 また、インストラクターが田の中から1本の稲を取るとその穂は白くなっている。
「これは虫が食べた後」と言う。心配する川島アナ
「これ全部、虫に食べられたらどうする」と困惑気味。
「大丈夫やわね。もうその時期は過ぎたわね」の言葉に安堵の様子。
 しかし、一難去ってまた一難。
「虫の心配はいらんけど、病気の心配をせんとね」と智恵子さん。
「えっ、今度は病気ですか。心配が耐えませんね」と川島アナ。
この病気とは、収穫前に穂首が黒くなる「穂首いもち」のこと。
「それって、うつるんですか?」
「ええ、うつるんやわね」と返された。
「じゃインフルエンザと一緒ですね」とまた心配になる。
この穂首いもちは、これになると葉に斑点ができるらしい。
 さらに心配なのはこれからの台風シーズンだ。高須町でも3年前に台風により壊滅状態を経験していると智恵子さん。手塩にかけて育てたものが、収穫を目前にダメになることは悔しいだろう。いや、悔しいだけでは済まされない。
 そう言えば、台風11号が来ているが出来るだけ避けてほしいものだ。
 害虫―病気―台風と次から次へと心配は耐えないが、現在は元気な高須町の棚田の稲穂である。
 最後に川島アナ
「でも、生成長した穂を見て感動しました。子供がまれる時って、こんな感じなんですかね?」と、得意のコメント。穂が出てからおよそ45日で刈り取りを向かえるが、その時まで丈夫に育ってほしいと願う川島アナであった。
 今週末には日テレ系では、恒例の「24時間テレビ・愛は地球を救う」がある。川島アナも大島アナ(こしひかり娘)も稲穂に負けず体調に気を付けて頑張ってほしい。
 何故、大島アナがこしひかり娘なの?・・・って
 答えは、こしひかり新潟で生まれて福井で育ったもの、だから大島アナと同じなんです。でも、勝手に付けたら大島アナに怒られそうですね。まぁ・・・いいか。


△男の酒のつまみ・・・29
 今日はしめじを使う。出来ればスーパーのものではなく天然のものを使いたいが無理な話。しめじを本当に少量の油で焼く。焼き上がったらここでさっと日本酒をふりかける。スダチかカボスをかけ食べたいところだが、最悪レモンでもいい。
 しめじを直火で焼くとなお美味しいですよ。


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【八月の九/歩いて走って感動して】8月29日(月)

 朝から何かと騒がしいが、理由は子供たち。何やら夏休みの宿題の整理か、やり残したものがあるのか、あと3日で2学期が始まる。親から言えばようやく長い夏休みも終わる。
 振り返れば、この夏休み色々な事があった。以前の日記にも書いたように、海外でのテロ・中国&韓国の反日問題・北朝鮮問題(6ヶ国協議)・衆議院の解散・豪雨による被害・渇水問題・地震・川、海での水難事故・スポーツ界でも甲子園出場校の内部問題などがあった。福井県内では教員及びJAの不祥事など暗い話題が多い。
 まあ衆議院の解散の明暗は、来月の11日の選挙結果によるだろうが、別の意味では今回のこの選挙、国民の関心が前回より上向きなのは事実。これも小泉マジックか。いずれにせよこの日本の将来を我々国民が真剣に考えなくてはいけない。自民党の放った「刺客」と呼ばれる候補者と郵政民営化否決の無所属(元自民党)議員の対決は、自公連立の過半数取りなるか、対する民主党の議席数は、新党2党の結末はと、それぞれ見所がある。そして今回の選挙は政治離れ、選挙投票離れの若年代にも関心を持たれていることは確かだ。投票日11日、今回の有権者数約1,0245万の投票率は、そしてどう審判を下すかが最大の見所だろう。
 さて、先週の心配された台風11号も福井県には被害もなく、まずは一安心。棚田のお米も元気に刈り取りの日を待っている。25日(木)の「FBC夕方いちばんプラス1」の冒頭でお馴染み大島アナ(こしひかり娘)「私、さっそく無花果(いちじく)を食べました。皮のまま食べましたが、とても美味しかったです」とコメント。すかさず川島アナ「無花果は名前の通り、お通じにもいいんですよ」と返す。そして「無花果といえば、高須町も隠れた無花果の産地なんですよ」と嬉しいPR。大島アナも「そうですか、じゃ今度高須町のも頂かないと」と笑顔。
 私も昨年、佐々木さんのお宅で奥様からこの高須産の無花果を頂いたが、本当に美味しくて続けて2個3個と食べたことを思い出した。林檎や蜜柑、それにバナナと比べれば頻繁に口にすることはない無花果だが、だからこそ希少価値があると言える。高須町では昨年からこの無花果を使ったジャムも作っている。(マジ美味しいですよ!)
 週末27(土)、28(日)と日本テレビでは24時間テレビ28「愛は地球を救う」テーマ「生きる」、が放送された。この24時間テレビだが、タイトルにもあるが今年で28回目になる。毎年、涙と感動そして夢をこの番組は私たちに与えてくれている。「生きる」をテーマの今回で始まった、24時間テレビだが、最初の13歳8ヶ月の若い命、だが癌で亡くなった女子中学生の話(女の子が好きだった唄、ハナミズキ・一青窈)、癌と戦う元プロボクサー、カシアス内藤と二人の息子さんの話(カシアス内藤がモデルでできた唄、チャンピオン・谷村新司)、そして昨年に続きヤンキース松井秀樹選手と55球のキャッチボールに挑戦し、44球までで失敗に終わったが基樹君の諦めない姿(夜空のムコウ・SMAP)、この時点で私は感動し泣いていた。この後のドラマ、江の電の運転士に憧れた少年(朋くん)の実話「小さな運転士・最後の夢」では号泣した。江の電関係者の篤い思いで運転室に同席できた朋君、それを全区間(無人駅にも配置)で敬礼をし見送る江の電職員。夢が叶うも、しかしこの4日後亡くなった。ハンカチを手に横で妻も泣いている。長男(高3)も黙って見ている。いつもの次男はお泊り合宿でいない。
 で、この24時間テレビを毎年見ていて思っていたことなのだが、何か自分でもやってみたいと今年も考えた。丸山和也弁護士(59歳)のように、100キロマラソンにチャレンジはとても出来ない。そこで安易に思ったのが、高須町まで自宅から自分の足で行こうと考えた。距離にして約18キロ。いつもは車で行く道。前に一度、佐々木さんとサイクリングした道。「大丈夫だろ、どうってことない」と正直、高を括(くく)っていた。実は先月の25日に某中学校職員室で田中先生に打ち明けていた。
「えっ、本当に走るんですか?」と田中先生。
「24時間テレビのマラソンに対抗して、どうしてもトライしたくなったんですよ」(別に対抗しなくてもいいのだが)
「じゃ、私がサポートしますよ」と、言ってくれた。
「27日か28日のどちらかでします」と約束をした。
 27日(土)午前8時30分、田中先生から電話があった。
「午前中がいいでしょう。天気がいいから行きましょう」
「そ・・・ですね、行きますか」と返事。
「ご自宅に9時に伺いますから待っていて下さい」電話を切った。
 実は前日遅くまで飲み会があり、まだ酒が体に相当の量残っていた。しかし、自分で言い出した事だから「今日はちょっと・・・」とは言い出せない。すぐに水筒・着替え・何故か煙草とライターを袋に入れ用意する。玄関を出ると快晴すぎるいい天気。「暑くなるな今日は・・・」と独り言。9時丁度に田中先生が来られた。先生には車でサポートをしてもらう。先生の車に水筒等を乗せ、ルートの確認をする。田中先生に挨拶する妻は「どうせ、途中、途中で車から降りてそれふうに写真を撮るんじゃないの」と、私の完走を疑っている様子。(普段の行いの悪さからか)

 9時7分出発。足羽川沿いの堤防を西に進む、堤防の下では護岸工事を行っている。スタート直後堤防を走る私に、暫くは車の先生は伴走できない。もうすぐ9月、市内中心部から郊外に入り目に映る景色は秋の気配が少し感じられる。
 足どりも軽く快調に距離を重ね始めた時だった、福井工大野球部の練習場を過ぎ日野川に架かる二光橋を渡ろうとした時、トランクを開けスペアータイヤを取り出している人がいた。車のパンクだ。困っている人(女性)をそのまま見過ごすことは出来ず、「手伝いましょうか?」と声をかけた。「すみません、このネジが硬くて!」確かに硬くしまったもので女性には無理な状況、私はレンチに足をかけ体重を乗せての作業となった。約5分で作業終了したのだが走る以上に汗をかいていた。駆けつけた田中先生だが、女性に理由を話しこの作業を何故かデジカメで撮っている。

 とにかく名前も告げず(別に聞かれもしなかった)走りだした私だが、この作業がこの後の道のりに最大のピンチを招く事になろうとは。私の左足は古傷を持っている。15年間のバスケ選手時代に2度、コーチ時代に2度再発をしている。ギブスを2度経験しているが、これがイヤで時折強力なテーピングなどでごまかしてきた。先ほどのタイヤ交換作業(レンチに体重をかけた時)で靭帯が悲鳴をあげたことはわかっていた。
 だが、この状況でリタイヤは出来ない。先回りし5キロの給水地点で待つ田中先生を裏切ることは出来ない。ゆっくりと足を動かす。本郷線の入り口(深谷町)、田中先生がデジカメと水筒を持ち待っていた。「大丈夫ですか、予定より早いペースですよ」と言ってくれた。

 2分の休憩で水分を軽く取り、再び走りだした。左手に流れる川では小鳥も水遊びしている。暫くは緩やかな登り、交通量の少ないこの道は比較的新しい道で走りやすく景色もいいので、このルートを選んだ。10分ぐらい過ぎただろうか、後ろから1台の車が徐行で近づいてきた。「先程は有り難うございました」あのパンクの女性だった。「いいえ、お気を付けて!」と軽い挨拶で見送った。(やはり、名前は聞かれなかった)

 トンネルの手前、つまり登り坂の終わりになるが、田中先生が車を止めまたもデジカメを構えている。ポーズをとる元気も足の痛みの為か少しづつ無くなっている。トンネルを抜け下り坂では先に待つ田中先生を思い少しペースアップ。
 木米(きよね)町に入ると田んぼはコシヒカリが実りの穂をもたげていた。すると道路前方右手の路肩に80歳ぐらいの乳母車に手をかけているお婆ちゃんがそのコシヒカリをしげしげと見ている。足を止めて、
「この稲はいつ頃刈り取りですか?」と尋ねた。
「なんにゃの」
「・・・・・」「いつごろ収穫されるのですか?」
「はあー・・・何やてけ」
 少しお耳がご不自由なのか、今度はジェスチャーで稲を鎌で刈る真似をした。
すると、お婆ちゃん、
「あー、たぶん9月の10日ごろやろのう・・・このままやと・・・」「今年はイノシシが出んかったで、よかったんやわ」と、答えが返ってきた。
「そうですか」すると今度はお婆ちゃんが私に質問してきた。私の姿をマジマジと見ながら
「どこから来たんやの・・・」
「福井の駅前からです。山の高須町まで走って行くんです」
「ほーお、てんこな話やの・・・駅前から来なったんけ・・・」と驚いた様子。
 この後、このお婆ちゃんの激励を受け、再び走りだした。500mを走った頃、田中先生が自販機で買ったお茶を持って待っていた。「すみません、頂きます」と、ここで2回目の休憩を取る。ついでに喫煙タイムも。気がつけば夏の日差しの中、心地よい風があった。
「足、大丈夫ですか?少し重たくなっているようですね」と田中先生。

 やはり気づいていたらしい。ここまで約10キロ、少しの疲労と足の痛みが感じられる。今から約25年前の航空自衛隊時代、10キロから20キロ程度のランニングはさほど苦にならなかった。しかし、2ヶ月後に50歳になる今、体力・気力とも衰えている事は確かなようだ。だが、それは認めたくはない男心と夏の空?「全然大丈夫ですよ!」と清々しい顔で返答した。ここで、ポケットに入れていた携帯電話を先生に預かってもらう。緊急連絡用にと持っていたのだが、疲れの為かこの軽いはずの携帯までもが実は重たく感じていた。  一王寺からは無理をせず、早歩きにした。後半には坂道があるからだ。旧下郷小学校付近では、早くもコンバインが動いている。さあ、いよいよ登り坂に入る。田中先生にはゴルフ場(フォーレスト)の入り口でスタンバイをお願いした。

 正午近く、日差しが強くなっている。噴出す汗が目に入る。
 途中、ゴルフ場のお客の車や、業者の車にすれ違うものの、相変わらず交通量はすくないこの道。登る坂、前傾姿勢を取り足を小まめに動かすが、同時に「はぁ、はぁ」と息使いが荒くなる。リズムが取れない。ここで自衛隊時代を思い出し間隔歩調とやってみる。「1・・2・・3・・4・・1・2・3・4・12341234」だが坂道に合わず余計にリズムが悪くなった。
「歌がいいかな」と、24時間テレビお馴染みの「サライ」を歌うことにした。「目を閉じて何も見えず・・・・ん」これは「昴」だ。疲労の為か暑さが原因か思考能力も危うくなってきた。「サライ、ってどんなんだったっけ・・・」「ああ・・思い出した。桜吹雪のサライの・・・だったな」しかし、どうしても歌詞の頭が思い出せない。

 で・・・、歌は諦めることにした。回りの景色を見ながらどうにかゴルフ場入り口に着いた。この時、足はほぼ限界に近づいていた。しかし、高須町はもうすぐそこにある。高須町入り口の急な坂はあるものの、ここをもう少し登れば下り坂だ。ゴルフ場から少しの登り坂を「もう少し、もう少し」と思いながら足を動かす。
 

 頂上付近に着き、暫くは下りで休めると思っていた。しかし、この下りでの足の筋肉疲労は想像をはるかに超えていた。歩けば歩くほど容赦なく痛みが足を襲っていた。加えて両足かかとに靴擦れが出来た。気温は30度は確実に超えているだろう。田中先生のお陰で適切な水分補給はしているものの、それ以上の発汗状態。靭帯・筋肉疲労・靴擦れ・・・と最悪。ここで独り言を言いだした。
「誰がこれをやろうと言い出したんや・・・・俺か!」
 とても先生には聞かせたくない愚痴を呟きながら、でも歩くしかなかった。1歩1歩が高須町に近づいている事は確かだ。

 この時、正午を回っていた。高須町手前では補修工事の作業員の方々が昼食後休憩を日陰で取っていた。横になりながら「何してるんだろう」と言いたそうな怪訝な目で汗だくの私を見ている。
 最後の高須町の登り坂では、さらに腰痛が加わった。途中ガードレールに手をつき休む。その時、上から車が降りてきた。軽く会釈するドライバー、たしか高須城小のPTA会長だ。面識はあるが、不審人物と怪しまれそうなのですぐに歩き出す。しかし。10歩歩いては休みそれを繰り返す。先生が途中でデジカメを向けていた。完璧にもうポーズは取れない。

 どうにか町に入り平坦な道。佐々木さんのお宅の前を過ぎようとした時、後ろで気配がした。農作業服を着た佐々木さんがいた。
「おいっす!」と声をかけると驚いた様子の佐々木さん。
「何してるの?」と聞かれる。
「家から走ったり、歩いたりでようやく着いたの」と答えると、
「はぁ・・・・?」と意味が理解できない佐々木さん。ゆっくり説明する元気もないので、
「後でね・・・」と話す。
 ゴールと決めていた高須城小学校前には田中先生の姿が、そして自己満足のガッツポーズでゴールとなった。目標だった2時間を大幅に過ぎ、所要時間3時間半。しかし、どうにか最後まで完走した。夏休みの誰もいない小学校グラウンドをお借りし、休憩した。

「高須はやはり涼しいですね」と田中先生。皆さん農作業だろうか、いつになく静かな高須町だ。
 休憩後、もう一つの目的だった撮影の為に棚田へ移動した。  もちろん私は田中先生の車に便乗だ。棚田に着くとあの案山子たちが待っていた。多少の変化があるものの元気な姿の案山子。景色を見渡せば、そこにはいつにも増して素晴らしい景色が目に映った。日本海そして九頭竜川、広がる緑の平野と私たち二人を癒してくれる。デジカメでその景色を撮影する先生だが、パノラマでもない限りその美しさは表現できない。やはり、実際ここに立ち目で見なければこの美しさは感動できない。
 

「いやー、今日来てよかったです!」と、感動する先生。
 私も当然同じ気持ちだが疲れは取れず、歩くことは困難で先生の車にもたれたまま笑顔だけ。次に棚田の稲穂を撮る。自分の棚田まであぜ道を歩くのはもう無理、そこでお隣FBC「げんき米」での撮影となる。見渡すと、どの棚田の稲穂も重たくも垂れている。
 

「今年は豊作ですね」とファインダーを覗き込む先生。
 その時、3人の女性が高須山から降りてきた。ハイキングだろう、それなりの服装で杖を持ち、背中にはそれぞれリュックを背負っている。
「こんにちは」と挨拶をした。
「こんにちは、いいお天気ですね」と、元気な返事が返ってきた。1人の女性が、
「私達ここの山、初めて登ったけど見晴らしが凄く綺麗で感動したの」と言う。私は、
「そうでしょう、綺麗でしょう。高須山から見る景色は最高ですから」と答えた。
「地元の方ですか?」と聞かれる。
「いいえ、ここの棚田オーナーなんです。今日はホームページ用の取材で来てるんです。皆さんはどちらからですか?」
「武生の郊外の方です。白山からです」
「そうですか」と会話が弾む。
 この3人の女性、とにかく高須山からの眺めに感動した。この後、高須町の事、棚田の事、FBC「げんき米」の事などの話に盛り上がった。約15分ほど話だが田中先生も加わり楽しい時間だった。
 この後、佐々木さんのお宅に寄ったのだがお留守で帰路に着いた。勿論私は助手席。筋肉痛あり、出逢いあり、感動ありの数時間だったが、この夏の思い出としては忘れられないものになった。そして、サポートしてくれた田中先生に感謝である。「生きる」がテーマの24時間テレビだが、私には「生きている」がテーマとなった。


△男の酒のつまみ・・・30
 スーパーで鯵を買ってきた。もちろんお刺身用の新鮮な鯵だ。そのままお造りでもいいが、青しその葉と梅肉(お好み適量)を加え鯵のタタキにする。食べる直前まで冷蔵庫で冷やす。


高須城日記U(秋前編)に続く


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