高須城日記W(春後編)


(平成十九年度・棚田オーナー/福井市 藤田幸治)


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【五月の一/農政企画課から本郷小学校へ!】5月1日(火)

 昨日夜9時過ぎだった、のんびり自室でパソコンを使っていると、私の携帯電話が鳴っていた。だがそれは《メール》音だった。「誰かな?彼女からかな!」(お〜い!君は妻帯者だろ!)と携帯を開く・・・・藤川先生からだった。
 その内容だが、先日私から無理にお願いした例の高須町棚田オーナーへの参加に関してのものだった。「棚田オーナーの件、宜しくお願いします!」との改めてのご返答は・・・私には大変嬉しいメールの内容だったのだ。
 この藤川先生ご家族棚田オーナーへの参加だが、高須町大好き仲間が加わった事でこれからの幾つかあるオーナー行事の楽しみが増えた私だが、その私以上に・・・植木御大は勿論、高須町の皆さん、そして光くん岬ちゃんが喜ぶだろうな!・・・なんて藤川先生からのメールを何度も繰り返し見ながら考えていた私だった(本当に、藤川先生有難う!)のだが、ここで・・・何か肝心な事を忘れている事に後から気付いた私だった。
 それは、すでに私達棚田オーナーには市・農政企画課からの申し込み書や要項書は届いている。しかし、藤川先生棚田オーナー参加は・・・現時点で私と田中先生しか知らない事(そりゃそうだ!)、だから窓口となっている市・農政企画課に申し込みをしないといけないのだ(締め切りまで数日!)
 そこで本日の朝9時、「参加者、一家族新規です!」と、市・農政企画課に電話をかけることにした私だったのだが、いささか緊張の・・・面持ちとなっていたのだ(何で?)。その緊張の理由なのだが、農政企画課・高須町担当者が昨年の藤田さんから西野さんと言う女性に代わったと聞いていたからなのだ。人見知りの激しい私だから・・・初めて会話を交わす電話でも緊張していた(誰が、人見知りするって!)
 受話器を取り・・・電話番号を押した。「♪ツルル・・・」と呼び出し音が鳴っていた(そりゃ・・・そうだ!)「はい!福井市役所農政企画課○○です」と、男性の声。「恐れ入ります。高須町ホームページ担当の藤田ですが、担当の西野さんをお願いします!」と、私(やっぱり声が上擦っていた!)
 数秒後・・・「はい!西野です」と、初めて聞くその声は若い女性の声だった(またまた・・・緊張の私!)
「初めまして・・・私は高須町のホームページを担当している藤田と言いますが・・・・」と、話すと「はい、存じ上げております!お世話になります」と、丁寧に西野さんが答えてくれた(俺って・・・少し有名???違う違う、昨年担当の藤田さんから聞いていたのだろう・・・たぶん「変な人がいるって!」ね!)
 私は藤川先生の棚田オーナーへの参加の件を西野さんに伝えると「そうですか、有難うございます!」と、またまた丁寧にお礼を言われてしまったのだ(好感触!・・・だから何が?)
 そして、「そこで、棚田オーナーの皆さんに郵送したあの要項書と振り込み書など一連の物を藤川先生にお渡ししたいので、用意して欲しいのですが」と、私が話すと「はい、直ぐに揃えます!藤川先生のご住所を教えて頂ければこちらからすぐに郵送させて頂きます」と、西野さんが答えてくれたのだ。・・・ここで・・・しばらく・・・考えた・・・私。
 今日は大型連休前、郵送すると何時(いつ)郵便物は藤川先生の元に届くのだろうと考えていた私だった(本当に?)
 そこで「今からそちらへ取りに伺います。直接、藤川先生にお渡ししたいので!」と、私が言うと「はい、それではご用意してお待ちしております!」と、西野さん「では、30分後に・・・」と電話を切った私だった。だが、本音を言うと西野さんの顔を見たかったのかもね!(やっぱり!そんな事だろうと思っていたよ!)
「ちょっと・・・市役所に行ってくるから。大事な用事でお昼過ぎまでかかるから!」と、父に話して店を出た私。車を市役所の駐車場に止め・・・市役所旧館横を小走りで通り(何で・・・小走りなの!)本館正面玄関から市役所に入った。私の店と福井市役所とは徒歩3分の距離、昔から大勢の職員の方がお客様となって頂き、私も館内の色々な課へと行っていた。しかし、最近ではやはり農政企画課を訪ねる事が多くなっていた私だった。
 エレベーターに乗り・・・ボタンを押そうとした時だった。「乗ります!」と、一人の男性が飛び込んできたのだ。次の瞬間・・・見つめあう私とこの男性。そして、「おう!」(私)「あっ!藤田さん、どうも。今日は何の用事で・・・?」(男性)と、挨拶を交わしていた。
 この男性だが・・・後輩なのだが、今は福井市議会議員となっていた(名前は書きません!)「藤田さん、まだ明道の会長ですか?」「まさか、いつまでもやっているわけないよ!」エレベーターの中、短い時間の会話だった。「頑張れよ!」「有難うございます!」エレべーターの扉が閉まる時、そんな言葉で別れたのだ。「そうか・・・あいつも先生(議員)なんだよな!」何て考えながら・・・農政企画課のカウンターの前に立った私。「すいません!・・・西野さんは?」と、呼びかけた私だが、この市役所の館内は・・・少し暗く感じた私(節電ですかね?!)
 すると椅子から立ち上がった・・・二人の女性職員。一人は、大きなマスクをした昨年までの担当者・藤田さんだった。そして、もう一人の女性職員が笑顔で私の前に近づいてきた。「ご苦労様です!西野です」
 私は名刺を渡し「先程電話をかけた藤田と言います」と、自己紹介。私は西野さんから藤川先生にお渡しする要項書等の入った封筒を受け取った。私は手書きで書いた、藤川先生のフルネーム・ご自宅の住所、そして勤務先を西野さんに渡しのだ。すると、そのメモを見た西野さんが驚いたように「あの・・・本郷小学校って私の同級生が勤務しているんです!」と、話し始めた。「そうですか、誰ですか?」「石黒さんって言うんですが」「えっ!」「ご存知ですか?」「ご存知も何も・・・」こんな会話で初対面の二人の仲は・・・ぐんと・・・・近○○(言いたい事は分かるけど、それは・・・無い無い!)
 またしても・・・世間は広いようで狭いものだと感じていた私だった。この後、私と西野さん、それに大きなマスクの藤田さんと三人の立ち話がしばらく続いたのだ。「あの、高須町のホームページには感謝しています。綺麗な高須町の風景など載せて頂き、更新されるのが私とても楽しみなんです!」と、嬉しいコメントの西野さん(直ぐに、田中先生にメールしなければ!)
 約10分の農政企画課への訪問だった。「じゃ、13日(田植えの日)に高須町で・・・」「はい!」と、再会を固く約束して別れた二人だった(だから、その意味深な文章は止めなさい!)
 エレベーターの中、「西野さんと石黒さんは同級生と言っていたけど・・・二人の年齢は幾つなんだろう?」と、一人悩んでいた私だった(石黒さんに聞こう!)
 車の助手席には西野さんから頂いた封筒があった。私はこのまま藤川先生石黒さんが勤務する本郷小学校に行くことにした(仕事さぼるな!)
 小雨が降る・・・福井市内は少し渋滞が目立つ各道路となっていた(どうして雨の時には渋滞になるのですかね?!)
 大名町交差点から照手方面に車を走らせた。自宅横の三秀プール(市営プール)前を通過、そのまま直進し足羽川堤防を走った。花月橋・新明里橋を横目に見ながら・・・そのまま福井工業大学近くの水越橋を渡った。東安居(ひがしあご)小学校を右に見ながら不規則なY字交差点を右に走りそのままアピタ横の道を直進する。日光橋を渡り、5分ほど走れば、いつもの本郷・一王寺線が左手に見えてくる。お気に入りの私の高速道路???(信号が無いからね。でもスピード違反はダメですよ!)
 一王寺・本郷線を走り、一王寺を右折してそのまま3分走れば・・・・左前方の小高い丘の上にモダンな校舎の本郷小学校が見えてくる(今時、モダンって!)。これで2回目の訪問となる本郷小学校だが、本来ならそんな事もなかったはず・・・藤川教頭先生高須城小学校からの転任により可能となった事だった。
 車を止め、今度は間違わないように小学校の児童玄関に向った私は、職員室の窓を覗くと・・・石黒さんが一人忙しそうに職員室の中を小走りしていた。私はガラス越しに「石黒さん!」と、声をかけると・・・「あっ!」と驚いた顔の石黒さんだったのだが・・・その表情も笑顔となり、私の元へ近づいてきてくれた。窓を開け「今、玄関を開けますから・・どうぞお入り下さい!」と、石黒さん。「藤川先生は授業中ですか?」と、私が聞くと「はい!」と、答える・・・・・可愛いい後輩の石黒さん(順化小・明道中)だった。
 職員室から玄関に、そして扉の鍵を開けてくれたのだが、またまた職員室にお邪魔するのも気が引ける私だった(当然です!)。そこで、「これを藤川先生に渡して下さい。高須の棚田オーナーの要項書が入っていますから。お願いします」と、封筒を渡したのだ。「お茶でもお飲み下さい!」と、優しい言葉をかけてくれた石黒さんだったのだが、お仕事の邪魔をしてはいけないと・・・「じゃあ・・・また!」と別れを告げ、後ろ髪をひかれる想いの中・・・振り向き小雨の中をかけて行った私(だから・・・何が言いたい?)
 本郷小学校を後にした私は、帰路はゆっくりのんびりと車を走らせいた。来た道を戻る私だが、車中から見える一王寺木米町はすでに田植えを終えていた。辺り一面にまだ幼い苗が小雨に濡れて、鮮やかな緑を楽しませていてくれた。
 そんな幼い苗を見ていた私は、素朴な疑問として藤川教頭先生田植え経験があるのか・・・ないのか考えていたのだ。 私と同じ福井市中心部で生まれ育った藤川先生だが、高須城小学校に急遽赴任されたのは、昨年のだった。おそらく田植えは初体験のはずの藤川先生だから、出来れば13日田植え作業はお隣同士の田んぼでお互い励まし手伝いながら楽しみたいと思っていた私だった。
 その田んぼの場所は当日の朝、受付において抽選となるのだが・・・・最近、くじ運の良い私だから可能になるかもね!(ダメな時は・・・植木御大にお願いしよう!)
 さて、以前のこの日記で紹介した本郷小学校の校歌の中の詩で《さわらび》とは何?と書いたのだが、早速に藤川先生から回答のメールを頂きましたので、お知らせします。
《さわらび》(早蕨)・・・芽を出したばかりのワラビの事だそうです。さわらびは、桜の花の咲く頃、天地の恵みを受け、たくましく・・・力強く、ぐんぐん上へ伸びていく様子は子どもたちの成長と良く似ているところから、校歌の中に用いたそうです。因みに旧・上郷小学校の校歌の中にもこの《さわらび》を用いてたそうです(なるほど・・・そんな意味合いがあったのですね!)


△男の酒のつまみ・・・245
 胡麻豆腐!
 はまだだと言うのに少しづつ汗ばむ陽気となっている毎日が続いている。こんな日の晩酌は「何か冷たいものでも!」と決めていた私に・・・健康を考えて冷蔵庫で冷やした胡麻豆腐が頭に浮かんできた。胡麻豆腐の少しプルルンとした食感がたまらなく・・・好きな私。仕事途中の道にあったスーパーで・・・永平寺胡麻豆腐をゲットした。冷たい日本酒冷たい胡麻豆腐・・・「最高です!」


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【五月の二/雨天中止のマラソン大会!】5月2日(水)

 楽しみなゴールデンウィークを前に、何かと公私共に忙しい私となっているのだが(珍しい!)、それでも明日からの連休中の「ごろ寝」を想えばそんな仕事と時間の遣り繰りも・・・問題無いと・・・・楽しい気分なのだ!(ところで忙しいのは、公私の「私」の方では!)
 そんな明日からの連休の我が家の予定だが、両親と小旅行を・・・企て???、長男は父親想いか・・・帰省はせず、そして問題?の次男(中1)ジュニア・リーダー研修会とか何とかで二泊三日で・・・お留守となっていた(う〜ん!独身気分!)
 で・・・その休みに何をするかだが、日毎ごろ寝ばかりでは申し訳なく・・・パソコンでこの高須城日記の作成か?、それとも溜まりに溜まっている新聞切り抜きの整理か?と、迷っている私だった。「いつでも・・・出来る!」そんな甘い考えと、何かしらの甘い誘惑が・・・50男をダメにするのだ(とどのつまりが・・・自分が悪い!)
 買っては見ない・・・新作映画のDVDも数多く、「これはいい番組だから・・・録画しておこう!」の17本のビデオテープもデッキの横に山のように積まれてあるのだ(しかも・・・何が録画してあるのか書いてないし、覚えていない!・・・最低!)
 いずれにせよ、おそらく・・・全て少しずつやる事になるのだが???一人となる連休中の我が家では・・・またまた中途半端で終わりそうな私だろう。
 さてさて、昨日の早朝の事だがいつものように5時前に起きだした私は、おもむろにテレビのスイッチをオンにした。外は小雨模様となっていて静かに雨音が聞こえていた。「雨か?」と、毎日のジョギングも今朝は中止となりそうだった。そこで、テレビのチャンネルを《BS日テレ》にすると・・・「よっ!待ってました!」とにやけ顔で、画面に映る一人の美人を凝視していた。
 最近、私のお気に入りとなっている朝の顔の一人だがそれは・・・中田有紀(なかた・あき)さんだった。青森の地方局から中央の放送局に大抜擢され・・・現在、フリーで活躍している美人キャスターなのだ(少し・・・無表情なのだが!それがいい!)。その中田有紀さんは最近、NHKの番組(ドラマ風)にも出演していて知名度はうなぎ上りとなっているらしい。  そして、私のもう一人のお気に入りの朝の顔なのだが、テレビ朝日のお天気キャスター&フリーアナウンサーの甲斐まり恵さんだ。熊本県阿蘇市出身の彼女だが、番組中にお天気情報を何度か担当するコーナーで・・・意外な事にその顔に似合わない?鼻声が魅力となっている。美人&鼻声がお仕事前のお父さんたちに活力を与えていてくれるのだ(私だけかな???)
 早朝は・・・中田有紀さん。朝は甲斐まり恵さん。夕方は当然、FBCの江守美穂さん大島さやかさん、それに二年目の佐々木愛さんも・・・いい!そして夜のお天気は、以前紹介した、NHKの癒しのお天気お姉さん、気象予報士の半井小絵(なからい・さえ)さんと・・・一日のテレビを楽しむ私だった。でも本当は日本テレビ笛吹(うすい)さん(御両親は福井県出身ですよ!)がいいかも(他に楽しみは無いの?)
 話は戻り・・・おそらく鼻の下を伸ばして、中田有紀さんを見ていた私の部屋に、珍しく早朝だと言うのに次男(中1)が起きだしてきたのだ。
「お父さん、おはよう!」
「おはよう、どうした?めずらしいな!」
「だって、雨だから!」
「雨が、どうした!」
「ほら、今日はマラソン大会だから」
「あっ!そうだったね!」
「雨で中止かな?」
「でも、小雨だから・・・やっちゃうんじゃない!」
「そうかな?」
「たぶんね!」
「じゃ、(マラソンの)用意しておくわ!」
「おう」
 こんな親子の朝の会話だった。時計を見るとまだまだ6時前・・・次男は自分の部屋に戻り、体操着等の用意をし・・・今、起きてきたは、化粧もせず次男のお弁当(普段は給食です)を作り出した(スッピンでも美人の妻です!・・・と、書いておかないと妻はたまにこの高須城日記をチェックするのです!)
 窓の外を眺めると・・・小雨ながらどうやら大雨にはならないと、この時、俄か気象予報士の私の判断だった。「俺もマラソン大会・・・見に行こうかな?!」なんて考えていた時だった。自宅の電話が鳴り響いたのだ(何故か、朝の電話は、音が大きく聞こえる!・・・心臓に悪い!)
「こんな朝から、誰だろう?」と、受話器を取ると「おはようございます!明道中学校の1年○組○○ですが・・・」と、次男のクラスメイトからの緊急連絡だった。「あの、今日のマラソン大会は・・・中止です!」との連絡だった。電話を切り、「小雨なのに!」と些か拍子抜けの私は、すでに運動着を着て準備万端の様子の次男に中止を告げた。すると、「やっぱり!」と、さほど残念な顔をしない次男だった(???)
 あれほど、この日のマラソン大会に向け親子での猛特訓?をしてきた次男だったのだが・・・そそくさと運動着を脱ぎ捨て、学生服に着替えだしたのだった。もし中学生の私なら、「嘘!」とばかりに落ち込むのだろうが・・・如何に、勉強運動のどちらが好きか・・・はっきりしていた親子だった。
 マラソン大会は「翌日に順延です!」とは、なっていたのだが・・・その本日は、またまた早朝の緊急連絡の電話で・・・「大雨中止!」となり結局、本年度のマラソン大会は・・・無くなったのだ(残念!)
「来年、頑張るから・・・お父さん見に来てね!」と笑顔で話す次男の横で、こちらは二日続けて早朝からお弁当を作ったの顔は・・・こわ○○○!・・・いや、美人でした(ふぅ〜危ない!危ない!)
 により楽しみにしていた明道中学校恒例のマラソン大会が中止になり、「頑張るぞ!」と、はりきっていた長距離走の得意な生徒には、少し悲しい出来事だったのだが、何よりも一番可哀想なのは・・・三年生諸君だろう。最後のマラソン大会だったからね。でも、この中止により持て余しそうな体力&気力を来年の高校受験に向けて使って欲しいと願う・・・数十年前卒業の私だった(頑張れ!後輩たちよ!)


△男の酒のつまみ・・・246
 コゴミのおひたし!
 天然山葵と共に大野の親戚から頂いたコゴミ「今朝の採れたてよ!」の叔母様からのお話で、ここはおひたしにした。お湯に少々の塩を振り・・・コゴミを湯がく。固からず柔らかからずが・・・私のお好みだ!花かつお刺身醤油で・・・「頂きま〜す!」


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【五月の三/G・Wは・・・独身貴族に!?】5月5日(土)

 ここ数日のテレビはどこもかしこも人で賑わう観光地や車の流れの絶えない道路(高速)を映している。そして、早くも帰省ラッシュを終え・・・故郷を後にする家族連れが名残り惜しそうな、お祖父ちゃんやお祖母ちゃんに見送られ手を振りながら電車に乗る、そんな駅の風景があった。
 それにしても本当に清々しい、五月晴れゴールデン・ウィークとなっている。「いいお天気で・・・!」と、近所への買い物の途中では、何人もの地元町内会の皆様にこんなありきたりの挨拶でかわしていた私。「どこかに・・・お出かけですか?」と、聞かれる私だが・・・それは今の事か?・・・このゴールデン・ウィーク期間の事なのか?・・・と、解釈に困る私であった。そんな私の答えだが「ええ・・・まあ〜ちょっと!」と、愛想笑いでその返事を許して頂いたしだいだ(ちゃんと答えなさい!)
 次男は大野か勝山(どっちだっかな?)のスキー場にてお泊まり付きのリーダー研修会、妻は運転手を兼ねての実家のご両親とどこかにお出かけとなっていた我が家であった。そんな妻のお出かけの際に「俺も行こうかな・・・一緒に!」何て顔色を見ながら話かけると「貴方は、この連休を利用して遅れている高須城日記を書くんでしょう!」と、ごもっともの妻の返事を丁重に頂いた私だった(ふん・・・だ!俺は一人でのんびりしてるよ!)
 そんな二人が出かけてしまうと、嬉しいやら・・・寂しいやらの独身貴族の私となっていた。「どうせ一人だから食事は簡単に・・・」と、近くのコンビニに行き〔カップ麺&弁当&おにぎり&サンドイッチ〕と、少し多めに買い込んだ私だった。「これでもう部屋から出ないぞ!パソコン(高須城日記)に集中できる!」と、この時・・・確信していた私だった。
 だが思い通りいかないのが・・・私の弱いところとなっていた。いざ、パソコンの前に座りキーボードを打とうとすると「あの本はまだ途中だったな!」と、この一ケ月前から読書していた本のことを思いだしてしまったのだ(突然、頭に浮かぶんです!思い出さなくて良い事を!)。そこで、「時間はある!(連休だから!)本を読んでからパソコンをやろう!」と、残り僅かなページとなっていた本を捲っていた私は、いつもの癖で横になりながの読書となっていたのだが・・・・ついつい・・・熟睡していたのだ(やっぱり!)
「寝ちゃった!」と、大いに反省の私だが(誰もいない部屋での独り言は?)・・・やはり、お昼寝は・・・気持ちが良いものだ(そりゃぁ〜ね!)
 そんな寝ぼけ眼(まなこ)で時計を見ると〔1時27分〕をさしていた。こんな時・・・皆さんは経験ないだろうか?「今は・・・お昼なの?それとも夜なの?」(私だけかな!?)。誰にも迷惑はかからない休日のこのお昼寝だが、意外とその時は焦るものだ(「えっ!」と、なりますよね)
 約3時間のごろ寝だったのだが、結局・・・読書もパソコンでの高須城日記も書けず・・・ただ、読みかけの本のページによだれが付いていただけだった(おいおい!)
 人間の身体とは都合よく出来ているものだ。お昼寝により少しの休息をとると・・・お腹が減っていた。そこで、朝コンビに行き買っておいたカップ麺おにぎりで空腹を満たしたのだ(本当に・・・独身のようだ!)
 しかし、満腹になると・・・またまた軽い睡魔に襲われていた私は「ダメダメ!」と、今度は固い決意でパソコンを開いたのだ(そんな・・・大げさな!)
「早く、次の高須城日記を書かないと田中先生に怒られる!」そんな事を考えながら悪い頭で原稿を作り・・・そのまま神経を伝って不器用な指がキーボードを打つ。軽やかな?指が、いつもより速く軽快にパソコン画面の文章の行を改行していく。「おっ!快調だな・・・少し寝たからかな?」なんて思いながら、1ページ目を終わろうとした時だった。
「ピントン!」・・・いや、失礼「ピンポン!」と、玄関のチャイムが鳴ったのだった『ピントン』はFBCさんでした!そうそう・・・♪ピントンの歌を歌っている、福井高専出身のザ・ルーズドックスですが、NHK?人気アニメの〔メジャー〕のエンディングテーマ曲『夜になれば』も歌っているんですよ!凄く・・・上手いし・・・いい曲ですよ!)
 あっ!また話が脱線してしまいそうで・・・話は戻り、玄関のチャイムが聞こえ、ようやくリズムに乗りかけた私のパソコン作業も・・・手を止める事になってしまった。「誰だろう?近所の人かな?宅急便?それとも、セールスの人?・・・もしかしたら親戚?」と、色々空想していた私だった(でも、嫌な予感が・・・!)
「忙しい時に、面倒だな!」と、出ようか出まいか悩んだのだが・・・やっぱり、この休みを利用して挨拶に来る親戚の人だったら申し訳ないと、小走りで玄関まで行ったのだった。
「は〜い、いま開けます!」と、廊下から声をかけ玄関の鍵を開けると・・・そこに立っていたのは・・・幼なじみだった。「何だ・・・お前か!」と、私が言うと「おう、藤田!」と、少し日に焼けた顔の彼は笑っていた。しかし、私が驚いたのは彼の服装だったのだ。どこから見ても・・・どう見ても・・・誰が見ても、それは釣りマニア?の姿だった。
「何だ、その服は?」と、私が聞くと
「朝から鮎釣りに行ってたんだ!」と、答える彼。
「お前、いつから陸(おか)釣りから・・・川釣りになったんだ!」と、再び尋ねた私に、
「最近だよ、川釣りは奥が深いよ。まあ・・・陸釣りも奥が深いけどな!」と、真顔で答える彼だった(知るか!!!)
「電話しようと思ったんだけど、藤田だったら家にいると思ってさ!これ・・・食べようぜ」と、彼の足元にはクーラーボックスがあり・・・その中には数匹の鮎があったのだ。
「鮎か!」と、私が聞くと
「そう鮎だよ!これが鯛に見えるか?」と、彼。
「お前、喧嘩売りに来たのか?」と、私が言うと
「いや、あぶら売りに来た!」と、彼(昔からこんなだ、こいつとは!)
 そんな幼なじみの彼だが、勿論近所の同級生で・・・今は、実家の不動産屋を継いだ・・・三代目なのだ。最近、私達共通の友人の揉め事で・・・この数ヶ月、毎日のように深夜まで顔を突き合わせいた彼なのだが、日頃のスーツ姿とこの突然の釣りの姿のギャップには、思わず言葉を失くした私だった。
「この鮎で飲もうぜ!」と彼が言い出した。
「今からか?まだ昼だぜ!」と、私。
「いいじゃん!」
「まあ・・・いいけど!」こんな会話で・・・二人の酒盛りが始まろうとしていた。
 当然、鮎の調理は私となり・・・簡単に〔鮎の刺身〕〔鮎の塩焼き〕となったのだ。ところが自宅の冷蔵庫には缶ビールが数本の在庫で・・・足りない!そこで、
「ビール買って来るけど、他に欲しい物は?」と、彼に聞くと
「いや、鮎で十分だよ。・・・・でも、肉系等があれば・・・買ってきてよ!・・・後で・・・割り勘な!」と、彼。
 私が車でスーパーに出かける間、七輪での炭の火熾しを彼に頼み・・・家を後にした私だった。スーパーで缶ビールや日本酒肉のたたき、それに簡単なツマミを買い・・・占めて・・・約一万円也!(もう・・・余計な出費だ!)
 買い物を終え自宅に戻ると、こおばしい匂いがこの町内の一角に漂っていた。「やっぱり、炭火だな!」なんて言いながら、ご近所への迷惑をも・・・少し・・・考えていた(お隣は、新婚さん?で生後間もない可愛い赤ちゃんがいるのです!)。それでも七輪からの煙は差ほどでもなく遠火で鮎を焼いていた(秋刀魚だったら・・・一気に強火で焼くんだけど!)
 男二人、コンクリートの道路の上・・・小さな七輪を挟み・・・しゃがんで・・・缶ビールを飲んでいた。これが高須町だったらそんな光景も絵になるのだろうが!(どこでも、ならない・・・ならない!)
 鮎が焼け、応接間に移動した私達二人は新鮮な鮎に舌鼓を打ちながら・・・冷えた缶ビールや日本酒のオン・ザ・ロックを飲みながら色々と話に花が咲いたのだ。
 お互いの家族の事(ほとんどが・・・愚痴でした!)、揉め事となっていた大切な共通の友人の事(外国にいます!)、そしてお互いの仕事の事(不景気ですから!)、そして高須町の事と夜遅くまでその宴?は続いたのだった。
 そうそう、飲み始めて数時間経った頃だったか「その高須のコシヒカリを食べさせてくれよ!」との友人の希望に、炊きたての特別栽培米を一膳・・・彼の前に置くと・・・「これは!食べなくても見ただけで分かるよ!美味しいのが・・・」と、彼が言うのだ。「お前、お米分かるのか?」と、私が聞くと「いや!」と、想像していた通りの答えだった。それでも美味しそうに食べだした彼の顔は満足げだった。 食べ終えた彼に
「どうだった味は?」と、聞くと
「ん?・・・お代わり!」と、彼(それが・・・答えだった!)
「このお米は、どうすれば手に入るんだ!」との質問に
「いつでも俺に言えよ。高須で預かって来るから!」と、答えた私。
「今は無いの?」
「あるよ30キロ入りのが・・・!」
「じゃ・・・帰りに一袋な!」
「いいよ!一万円だよ」
「そうか、魚沼産から比べれば安いもんだよ!味だって変わらないし・・・」と、珍しく嬉しい言葉の彼だった。
 どれだけ二人で飲んだだろう?スーパーで買ってきたお酒は・・・無くなり・・・追加で近所の自販機でビールのロング缶を10本買ったのだ(飲みすぎですよね?!)
 深夜、彼は車を置いて帰って行った。そんな彼を玄関から見送ったのだが・・・完全に千鳥足の彼だった。昔だったら「今から片町に出よう!」なんてお互いに話したものだが、今はそんな元気は何処にも無い二人だった。それにしても、車は置いておきながら・・・クーラーボックスは肩から下げて帰る彼の姿は・・・愉快だった。
 結局・・・何もしないまま・・・この日を終えた私は、またまたこの後・・・熟睡となったのだった。「すいません!田中先生・・・明日は高須城日記を打ちますから」と、田中先生の自宅のある旧・清水町に向け頭を下げた私だった。
 ところで、「割り勘な!」と言っていた友人だが、ポケットから財布を出す事なく・・・帰って行ったのだ。「あいつ・・・明日、車を取りに来た時に、必ず貰うからな!」と、ロレツの廻らない口調の独り言で・・・目を閉じた私だった。 ・・・・・・「あ〜ぁ、気持ち悪い!」


△男の酒のつまみ・・・247
 天然鮎のお造りと塩焼き!
 鮎のお造りだが、新鮮な鮎は身と骨が離れにくいので難しい。慎重に包丁を入れよう。川魚が苦手な人は酢味噌でどうぞ!
 塩焼きは、手の平に塩を持ち・・・鮎を回すように皮に塩をまぶす。七輪のない方はアルミでくるんで焼いても美味しいですよ!


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【五月の四/田植えの前に、ギックリ腰!】5月7日(月)

 ゴールデン・ウィークが終わり、ようやく静かだった街が動き出した。(ここは・・・東京か?!)朝の福井駅前、少しお疲れモードのサラリーマンやOLさん達は、「また、始まった!」と、言わんばかりに足取りも軽く・・・いや、重たそうだ(気持ちは分かる!)
 そんな通勤途中のサラリーマンをかわしながら追い越す・・・自転車のペダルも軽い、こちら元気百倍の高校生諸君たちはますます・・・「今が青春!」と言わんばかりにその溢れる若さが漲っているようだ。疲れ顔の通勤者たち・・・そして、その真逆の笑顔の高校生や中学生と、朝の福井市内は面白い光景が私の目に飛び込んでくるのだ。入学式からすでに一ヶ月が過ぎた次男(中1)も毎日楽しそうに近所のクラスメイトと登校している。この時期、そろそろ新入生の部活(クラブ活動)も解禁?となるようで、毎晩部屋の中で一人コソコソ準備中のようだ(勉強もしろよ!)
 そんな次男が「お父さん、今度の日曜日だよね田植え?」と、聞いてきた。「そうだよ!」と、答えると「お天気いいのかなぁ〜?」と、心配そうな顔の次男だった。
 13日に迫った高須町棚田での田植えだが、早いもので今年で四年目となる私と次男だった。その心配されるお天気なのだが・・・何だか曇り&雨模様の気配なのだ。晴れ男の私に・・・雨男の次男「晴れだよ!」「僕が行くと・・・雨かな?!」と、親子のどうでもいい会話だが、いずれにしても日曜日高須町行きが嬉しくてたまらない父子となっていた(あれほど・・・高須町に行っているのに???!)。
 さて・・・・どちらに当日のお天気の軍配が上がるかこちらも別の意味で楽しくなっているのだ(たぶん、私が勝つでしょう!)
 夜、私は部屋でお気に入りのDVDを観ながら晩酌をしていた。ただ、頭の中は・・・・「今年の棚田オーナーは何組だろう?」とか「あのご夫婦は、今年も参加するのかな?」と、あの高須町の棚田の風景を想い出しながら、少しウキウキと年甲斐もなく逸る気持ちを抑えようともせず、楽しんでいたのだった(因みに、DVDは「県庁の星」です。織田裕二主演です)
 落ち着きの無い50男!には・・・何かが起こる???と、誰が言ったか・・・言わないか。その何かが起こってしまったのだ。いつものように日本酒オン・ザ・ロックで飲んでいた私、そのが少なくなり「お〜い、氷!」と、妻と次男を呼ぶのだが・・・・二人は1階台所で・・・食事中の様子。
 そこで、渋々・・・自分でを取りに行こうと立ち上がったのだが、何をどうしたのか・・・その時、今まで座っていた座椅子脛(すね)をぶつけてしまったのだ。「痛っ!」と、大声を出したのだが・・・当然、誰を怨む事も出来ずついついその座椅子を蹴ってしまったのだ(おいおい!)
 脛の痛みを堪えながら階段を降り、台所の冷蔵庫の中から氷を取る私。「氷?・・・呼んでくれれば持って行くのに!」と、次男と食事しながら妻が言った。「いや、呼んだんだけど!」と、ついついこの脛の痛みの原因となった矛先を妻に向けようとした私。
 ついでにレモンの輪切りを一片小皿に乗せ、新たなつまみは無いものか・・・と、食事中のテーブルを覗くように台所を後にした私だった。
 階段を上り・・・部屋に着く頃には・・・脛の痛みも消えかかっていた。「さあ・・・飲み直すぞ!」と、蹴飛ばした勢いで斜めになった座椅子を元の位置に戻し、「よっこらしょ!」と座り(君は年寄りか!)座椅子の背もたれに体重を預けた時だった。ほど良く調整しておいたお気に入りの角度の背もたれだが・・・何故か、そのまま・・・部屋の絨毯と一つになってしまったのだ(つまり、ひっくりかえった状態ですね!)
「あっ!・・・・腰が!」と、またまた大声を上げた私だが・・・誰にも聞こえず・・・一人で・・・そのままの姿勢で腰の痛みを堪えていたのだ(座椅子を蹴るからだよ!)。罰が当たったのだろうか?先ほど座椅子を蹴飛ばした時に、その角度調整が緩んでいたのだった。
 もんどりうつ・・・とは言うのだが、この腰の痛みはもんどりうてずに・・・そのまま仰向け状態で・・・天井と睨めっこの私。それは5分ほど続いただろうか・・・ようやく気を取り直して身体を横にしようとした私だが、電気が走るかのように腰から来る痛みが堪らなく・・・耐えられずまたまた横になった姿勢のままでいたのだ。
「ギックリ腰・・・やっちゃった!」と、独り言の私。部屋は・・・・静かに・・・なっていた。ただ、痛みを堪える私の耳に聞こえてくるのは、部屋のテレビから聞こえる織田裕二&柴咲コウの声・・・それに、グラスの中の氷が融ける音・・・そして・・・楽しそうに食事する1階台所の両親&妻&次男の話し声とテレビの音だった。
 10分経過・・・10分経過!(プロレスか!)ようやく食事を終え階段を駆け上る次男の足音が聞こえてきた。「直(ナオ)!」と、部屋の中から呼んだのだが、その私の呼ぶ声と同時に叫ぶ妻の声。「お風呂・・・入っちゃいなさい!」の妻の声に階段途中まで来ていた次男は「は〜い!」と、逆戻り。
「おいおい」と、一人寂しく横たわる私だったのだが、「着替え取って来るから!」の次男の声は正しく天使の声となって私の耳に聞こえていたのだった。またまた階段を駆け上る次男の足音、そしてその次男が私の部屋の前を通り過ぎようとした時、「直っ!」と、腰に響く大きな声で呼びかけた私だった。足音が止まり・・・部屋の扉が開いた。私の異様な状態を見た次男の沈黙約10秒だった。
「何してるのお父さん?」と、次男。
「何も・・・していない!」と、私。
「あのさ、お母さん呼んで来て。ギックリ腰だって言って!」と、私が次男に頼むと
「また・・・やったの!ギックリ腰」
「うるさい!」
「痛いの?」
「見ればわかるだろ!」
「ふう〜ん!」
こんな親子の会話の後、ようやく次男は妻を呼んでくれたのだった。
 妻が部屋に来ると慣れた者でも見るように「湿布かバンテリン・・・どっちにする???」と、聞く。「両方!バンテリン塗ってから・・・湿布!」と、子供みたいな私に「・・・・」と、まるで看護士のように慣れた手つきでTシャツの裾を捲くり・・・ブリーフを少し下げ(恥ずかしい!)、そのバンテリンを手の平にのせ・・・腰の処でゆっくりと延ばしていく(これが・・・また、冷たいのだ!腰に微妙に響くのだ!)
 次に湿布を張り・・・・今度は逆にTシャツとブリーフを戻す妻。「終わったよ・・・痛いの?・・・今度の田植え・・・どうするの?」と、矢継ぎ早に質問をしながら妻は私の視界から消えて行ったのだった(新婚の時はあんなに優しかったのに!)
 深夜、私は布団の上でゆっくりとゆっくりと・・・腰痛ストレッチを繰り返していた。「これで、ギックリ腰・・・何回目だろう?忘れた時にやっちゃうもんだな!」と、腰の痛みに耐えながら・・・日曜日に迫った田植えを考え・・・気の重くなる・・・ストレッチによる汗と・・・・精神的冷や汗をかく私だった。・・・・「早く・・・治さないと!」・・・「痛い!」


△男の酒のつまみ・・・248
 韓国の味・・・ナムル!
 友人から在日韓国の方が造ったナムルを頂いた。家族で焼肉屋さんに行くと必ず注文する大好物のナムルだ。ホウレン草もやし大根ぜんまいと、種類も豊富だ。大根もやしは珍しいキムチ入りだ。
 酸味と辛味が絶妙で、このナムルは栄養もあり・・・ついつい食べ過ぎてしまう。これでユッケがあれば生卵ユッケビビンバにしたいところだ。「カムサムハムニダ!!!」


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【五月の五/ライバルは・・・川島アナ?】5月12日(土)

 何だか蒸し暑い・・・・土曜日の午前中、明日に控えた高須町棚田での田植えを前に、私は曇り空の・・・高須町にいた(おいおい、連日かよ!)
「どうしよう・・・!」と、私の最大の悩みとなっていた一週間前のギックリ腰も、あれから毎日の腰痛ストレッチにより、どうにかこうにか痛みも和らぎ、明日の田植え作業を何とかこなせそうな状態となっていたのだ(とりあえず、良かったね!)
 そんな少し嬉しい私が田植え作業を前に何故、高須町に来ているのかと言えば・・・・それは植木御大にあるお願い事をしなくてはいけないからだったのだ。
 実は私がギックリ腰になる少し前の事だったのだが、あの本郷小学校藤川純一教頭先生(前・高須城小学校教頭)からメールが届いていたのだ。それは、田植え作業日の事で・・・・本来なら明日13日(日)なのだが・・・あいにくその13日当日は会合があり「参加できません・・・どうしましょう???」との内容だった。私は「大丈夫ですよ先生!私と地元(高須町)の皆さんとで、やりますから!」と、その時簡単に即答したのだった(藤川先生への棚田オーナー参加をお願いしたのは・・・私ですから責任が!!)
 だが、そのメール交換の後・・・私はギックリ腰になり、自分の田んぼでの田植え作業もどうなるか心配な状態だったのだ。ましてや2区画分田植えともなるとこの腰の状態では無理、そこでやはりベテラン先生が多い高須町の皆さん応援出動を要請?しなければならないのだ(自衛隊の災害派遣か???)
 自衛隊への災害派遣の要請は・・・各都道府県知事からとなるのだが、高須町の田植えの場合も(同じにするな!)自治会長である植木御大にお願いしなければならない。そこで本日、藤川先生の田んぼの田植えをお願いしようと・・・私はその植木御大のご自宅の前に緊張しながら立っていたのだ(緊張の意味が分からない?!)
 震える指先でチャイムを押した私、すると「♪ピントン」???いや、失礼(またか!!!)「♪ピンポン」と、植木御大の家に鳴り響く音。しばらくすると「ほ〜ぃ!」と、御大の声が聞こえてきた。玄関のドア越しに「藤田です!」と、叫ぶと「今、開けるでのぅ」と、御大の姿がガラスの向こうに見えてきた。
 これで何度になるだろうか・・・植木御大宅へ訪問の私、応接室のソファーに座り・・・その前には普段着の御大がいた。すると「どうしたんやの?」と、さすが御大は私の悩み事を見抜いておられる様子だった。「実は・・・・」と、私は重い口を開いて、藤川先生田植えの件を話し始めたのだった。話は30秒ほどで語り終えていた(早い!)
 すると御大は少し笑みを浮かべながら「何や・・・そんな事でわざわざ来てくれたんか?!」と、口を開いたのだ。「そんな事は・・・皆でやる(田植え)わの!藤田さんが心配しなくてもいいわ!」と、続いた御大だった。取り合ええず胸の痞えが消え去った私だったのだが、それでも少しは申し訳ない思いの私が・・・いたのだった。
「そうか!藤川先生が棚田オーナーになってくれたんか」と、嬉しそうな植木御大に「はい!藤川先生は、お世話になった高須町の皆さんに何か恩返しにと考えておられたようですよ。それ以上に・・・藤川先生の胸の中には、まだ高須町や小学校の事があって・・・忘れられないようです」と、話した私だった。すると「ほうか・・・ほうか!」と、感激したような御大だった。
 この日、御大の奥様はお留守なようで御大自らお茶をいれてくださって・・・恐縮の私だった。
 いつの間にか、話は藤川先生の件から・・・・高須町の事を含む農業問題・過疎化問題・学校問題となり・・・最後には福井日本政治問題へと発展していたのだった(御大の考えは若く・・・いつも未来を見据えています!)。  厳しさの中にも優しさがある植木御大の話だが、これで何度・・・いや何十回になるだろうか御大重みのある論説?には、日頃浮き世離れしている私には勉強になる事ばかりなのだったのだ。「新聞を読むより、御大の話を聞く方が為になりますね!」と、いつか田中先生が話していた事を思い出していた私だが・・・・本当にそれは間違いではないのだった(決して、お世辞ではありませんよ!本当です!)。  植木御大との話は尽きない私だったのだが・・・お邪魔してから1時間を過ぎようとしていた頃、私は・・・ある人物を待っていたのだ。「まだかな???」なんて思いながら御大との話は・・・私や田中先生、そして地元高須町の佐々木さんがスタッフとして運営・管理しているHPの事になっていたのだ。すると、玄関の向こうに車が止まる音が聞こえてきた。そしてチャイムが「♪ピントン・・・」(もういい!)「♪ピンポン」と鳴ったのだ。「どうぞ・・・!」と、御大の代わりに玄関先に出た私(自分の家か!)の前には・・・藤川先生が立っていたのだった。
 実は数日前に藤川先生とのメールの中で「田植えの件でご迷惑をおかけします。申し訳ないので私も植木さんの所にお侘びに伺います!」と、約束していたのだった。
 再び応接間・・・御大の前には、子供のような男二人がいた(順化小&明道中の一つ違いの先輩後輩です!)「明日はご迷惑をおかけします!」と、藤川先生が話すと「いいんや・・・いいんや!そんな事でわざわざ来んでも!」と、今度は御大が恐縮の様子だった。
 高須町の将来を真剣に考えている植木御大と・・・・高須町大好き!な男二人の話は・・・お互い声が途切れることなく続いていた(限りが無いですよね!)。  そんな時「あっ!」と、何かを思い出したように声をあげたのは・・・藤川先生だった。「どうしたの?」と聞いた私に「実は車の中に・・・高須町を見たい(案内)と親戚の者が待っていたんです!」と、藤川先生が話し出したのだ。
 藤川先生御大の家に入られ・・・すでに30分近く過ぎている。「それは可哀相な・・・!」御大と私。「それでは私も帰ります・・・お邪魔しました!」と、席を立つ二人に少し名残り惜しそうな御大だった。
 玄関で再び明日の田植えの件でお詫びする藤川先生だったのだが・・・その後ろには・・・御大宅への新たな訪問者お寺さんが立っていたのだった(御大も忙しいですね!)
 御大に別れを告げ(明日、会います!)藤川先生とも「またね!」「有難うございました!」と、話すと、急ぎ足で自分の車に駆け寄った藤川先生は・・・ドアを開け「お待たせしました!」と、親戚のご夫人だろうか・・・お詫びをしていたのだった。
 この後、藤川先生の車は高須町内へ・・・私は自宅へと向かったのだった。
 胸の痞えが無くなり・・・少し晴れ晴れとしていた私は高須町から清水平(旧・上郷小学校)へと続く道を軽快に走っていた。そして、小学校跡地の馬術クラブが見えて来た時だった。「明日はいよいよ・・・田植えだな!」と、思い浮かべた瞬間・・・ある人物が・・・私の頭に・・・浮かんできたのだった。「何で???!」と、自分でも訳がわからないその人物とは・・・FBC川島秀成アナウンサーだったのだ(何でだろう???)。突然、私の脳裏に昨年の川島アナ農作業姿が浮かび・・・どうにも・・・それはしばらく・・・続いていたのだ(運転中に・・・!)
 あの記憶に残る、川島アナの農作業姿(まるで農家のご婦人のような姿はインパクトがありましたよね!)に驚かされた昨年の番組《げんき米プロジェクト・高須城ものがたり》視聴者と私たち棚田オーナー高須町の皆さんだった。その川島アナに感化されたわけでもないのに「あれは・・・いいなぁ〜!」と、少し羨ましい気持ちがあった私だった(おいおい!川島アナは番組の為に・・・あのスタイルを・・・!)
 そんな川島アナの姿を思い浮かべながら、本郷・一王寺線(私の高速道路!)を福井市中心部に向かって車を走らせていた私はこの道の終点T字路・・・ではなく、珍しく右折した。目的地は、自宅から・・・旧・清水町に最近?出来たというPLANT(プラント)−3だった。以前、「田植え用の長靴が安く売ってたよ!それに色々な物があったよ!」と、妻が話していた言葉を思い出し・・・そのPLANT−3に行こうと決めたのだった(私一人でのショッピングセンター行きは珍しいのです!スーパーは大好きなのですが!)
 車は、旧・清水町を走り・・・・そうそう田中先生のご自宅付近にも近づいていた(田中先生のご自宅には寄るなよ・・・ご迷惑をかけるから!)
 旧・清水町役場を左手に小高い丘を登り・・・そして下り、しばらくすると田園が広がる朝日町までの道があった(そんな解説はいらない!)。そして、右手に見えてきた大きなショッピングセンターPLANT−3清水店「広いな!」と、驚くような広大な駐車場があったのだ。「どこから入るの?」と、少し戸惑いながら駐車場に入り・・・出入り口に近いスペースに車を止めた(初めての場所は何故か緊張しますね!)
 南北に横長のこの建物だが・・・右はフード側、左は日用品だろうか出てくる数人の買い物で理解できた。私は、迷わず左側の入り口に進んでいた。入り口から店内を見渡すと・・・そこには迷路か?と思うような色々なコーナーがあったのだ(なにせ・・・初めてですから!)
 ふと、奥の途中の横を見ると・・・懐かしいような田植えに使う苗籠?(田植え時に腰に着ける・・・紐付きの籠!)があったのだ。大小数種類が陳列してあるのだが・・・その大小一つずつを私と次男(中1)用に・・・カートに入れた私。次は・・・田植え用?長靴だ。「どこだ?どこだ?」と、店内天井からぶら下がる案内表示を探す私だが、そのウロウロする姿はまるで不審人物のようだったかも(自分で言うな!・・・普段でも十分・・・不審者です!)。店内の長靴がありそうな箇所を探すのだが・・・中々見つからず・・・こんな時は、元の位置に戻れ!と・・・戻ると、やっぱり目の前にあったのだ。
 田植え用?農業用?の長靴は水が入り込まないように膝元までゴムが付いてある。こちらも沢山の種類があるのだが、私は〔豊作〕とネームが付いてある長靴を二足購入した(やっぱり縁起を担ぎますから!)。私は26a、次男は28aと、まだまだ身長的には10センチ以上の開きがある私と次男だが、早くも足の大きさは抜かれていた(それにしても、28aとは?!まだ中1ですよ!・・・手足の大きさは母親似かな!)
 カートの中には、苗籠二つ長靴二足・・・「よし、買い物終了!」と、レジに向かう私に・・・またまた川島アナの去年の姿が横切ったのだ。「まさか・・・あの服は!」と、一応躊躇った私だったのだが・・・目の前には菅笠(頭に被る)があったのだ。「これはインパクトがあるかも!」と、少し大きめの笠を購入した私。「川島アナもこれは買わないだろう」と、少し上機嫌になっていたこの時の私だった(川島アナをライバル視するな!)
 レジにて購入代金を払うのだが・・・締めて五千円弱だった。店員が私の購入した品物を袋に入れるのだが、あの笠だけは入らず「そのままで・・・いいですよ!」と、店員に言った私。しかし、レジから外の車まで・・・この後、他のお客さんからジロジロと見られることになったのだった。「俺って・・・農家の人に見えないのかな?」(農家の人も、そんな物は買わない!)なんて思いながら・・・少し急ぎ足で車に乗り込んだのだった。
 帰宅した私は「ほら!」と、買い物の品を次男と妻に見せた。「あっ!長靴だ。有難うお父さん」と、喜ぶ次男に対して・・・「・・・・・また、余計な物を・・・!」と、少しお冠状態の妻がいた(いいじゃないか!)。
 そんな妻を横目に見ながら・・・「明日は頑張ろうな!!!」と、次男に話す私に「明日、何時に出発なの?」と、聞く次男。四年目を迎える棚田オーナー田植え前日は、少しの疲れの中・・・明日のお天気も心配の中・・・静かに過ぎようとしていた。
 そして・・・明日・・・川島アナはどんな服装で高須町の棚田に来るのか?・・・「楽しみですね!」


△男の酒のつまみ・・・249
 オクラの天麩羅!
 ししとうと形が似ているオクラだが、粘りがあり栄養もある食材だ。ネバネバ感が好きな人にはたまらないこのオクラを本日は天麩羅にする。軽く水洗いし表面の汚れを取る。キッチンペーパーで水分を取り、後は天麩羅粉に付けカラリと揚げる。衣は薄めで表面カラリ・・・中はネバネバが美味しい!お酒のつまみには意外と合いますよ!


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【五月の六/高須の棚田は曇りのち晴れ!】5月13日(日)

 いよいよ今年も高須町棚田田植えの日がやってきた。棚田オーナー制度高須町で始まったのは今から六年前、そして私が参加させて頂いて四年目田植えの日となる。数日前よりテレビの天気予報と睨めっこしていた私と次男(中1)だったのだが、どうやら曇り空のまま・・・大崩しないこの日の天気らしい(まあまあかな!)
 さて、誰よりも早く早朝4時に起きだした私は、静かに階段を下り、台所に立った。米櫃から高須産コシヒカリを出してお米を研いだ。「こんな水加減かな?」なんて独り言を言いながら手の踝付近で水の量を測った私だった(やり方、古いですかね?!)
 午前5時前、ふっくらと美味しそうな白いお米が炊き上がった。勿論、その最初のご飯は・・・仏様へのお供えとなる。これは自分自身で決めた三年前からの高須町棚田豊作祈願の行事なのだ。普段余りお仏壇の前に座ることの無い私なのだが、「めずらしいですな!」と、仏様がそんな一言をおっしゃっているような・・・いないような!(いい歳なんだから毎日お参りを!)
 仏間への滞在時間は約五分・・・正座した自分の足が少し痺れる前にお参りを終えた私だった。「高須の美味しいお米です!ゆっくり味わって下さい。そして、今年も棚田での豊作をお願いします!」そんな事を仏様に胸の中で投げかけていた(でも、よくよく考えたら我が藤田家のお仏壇は、毎日、高須産コシヒカリのご飯をお供えしていたのだ!)
 仏間から階段を上り・・・自分の部屋でコーヒーを入れた。コーヒーが出来る間・・・次男の部屋をそっと覗くとまだ爆睡中の次男だった。そんな次男の勉強机の上には、あきらかに小学生の時よりは増えている勉強のプリントが重なっていた。暗い部屋で順番にそのプリントを見ていた私は、「中1って・・・こんなもんだったのか!」と、遠い記憶を辿っていた(しかしながら・・・覚えていない私!)
 部活で余程疲れているのだろう、私の気配も感じることなく寝息を立てている次男を見ながら「ギリギリまで寝かしてあげよう!」と、次男の部屋を後にした。
 熱いコーヒーにミルクを数滴・・・砂糖なし、それが私の昔からのコーヒーの嗜み方だった(でも、何故かインスタントコーヒーには砂糖を少し入れるのです!)
 コーヒーを飲みながら、昨日パソコンで打った棚田オーナーの皆さんへ配布するプリント(高須町HPからの挨拶)をコピーしていた私。あくびをしながらコーヒー・・・と些か誰にも見せられないその光景の結末は・・・コーヒーを涎(よだれ)のように溢していた(何と・・・まあ!)
 車には炊きたておにぎり5個、着替えと取材用のデジカメ、そして昨日購入した(妻の非難轟々の)3点セット(長靴&苗籠?笠)も積み込み、準備OKとなった。後は、次男が起きて来るのを待つだけだ。その次男は・・・7時過ぎに起きだしてきた。「おはよう・・・・!」と、まだまだ夢の中にでもいるような寝惚け眼の次男だった。「行くぞ!早く準備しろよ」と、私が話すと「うん!」と、別段慌てる様子も無く、マイペースで行動する次男だった(こいつは自衛隊には入隊できない!)
 それでも出発の時間と決めていた7時30分には、どうにか間に合った次男を助手席に乗せ、自宅を出た二人だった。
 いつもの道・・・いつもの風景が高須町までの別の意味での楽しみとなっている私だった。武道館近くコンビニに寄り、いつものようにペットボトルのお茶を買う。ここから一王寺・本郷線までは数分となる。そして信号機の無いその道路に入ると、これまたいつものように「おにぎり食べなさい!」と、次男に話しかける私。
 すると今度は「今日は、田中先生は来るの?」と、私に聞いてきた次男に「いや、昨年もそうだったんだけど・・・町内の草刈り作業があるんだって!」と、田中先生が来ない事を伝えると少し寂しそうな次男がいた(毎日、学校で会ってるのに!)
 これで次男と高須町に行くのは何回目だろう?(勿論、100回以上です!)。最初に次男を連れて行ったのは小学4年生の時だった(高須城日記第1話目の時です!)「車で30分ぐらいの所に、こんな山里があるなんて・・・」と、コンクリートの町並みから自然いっぱいの環境に目を白黒させていた次男だった(一応、福井駅前の子ですから!)佐々木さん田植えを見学していたのだが、初めて会った佐々木さん長男&次男には・・・しばらく無言のお互い意識ありだった。それでも1時間もすると3人はお互い名前で呼び合い、ゲームや高須城小学校のグランドで野球と・・・直ぐに仲良くなっていた。光くん(次男とは同じ歳)岬ちゃん(次男の一つ年下)とも、あっと言う間に友達になった。「城山(じょうやま)に探検に行こう!」と、岬ちゃんに誘われ照れながら二人で高須山にも登って行った。
 あれから次男は高須町が・・・大好きになっていた。それは私以上かもしれない。事あるごとに「今度、いつ高須にいくの?」と、聞きにきた次男。小学生の間だけ・・・と、決めていた棚田オーナーへの参加も・・・中学生となった今年も文句も言わず嬉しそうに?・・・今、隣の助手席にいる。
 年々、親子の会話が少なくなると言われるが、次男と私は大丈夫のようだ(今のところはね!)高須町に向かう車の中、数十分の短い時間ではあるのだが父子二人だけのスキンシップが楽しめるのだ。「学校は楽しいか?部活は辛いか?友達はどうだ?」次男と話しながら・・・車は高須町に着いていた。
 休校になった高須城小学校の前に差し掛かると助手席の次男も身を乗り出し・・・その校舎を見つめていた。次男にも小学4年生からの色々な想い出がこの校舎グランドにあるのだった(いっぱい遊んだからね!)
 小学校前から棚田へと続く道、その道から白い軽トラが下りてきた。その運転手だが佐々木さんのお宅の斜め前のKさんだった。このKさんとは棚田オーナー行事時に必ず交わす暗黙の行事があるのだ。狭い道でお互いが徐行しながら車は徐々に近づき、その約束事である挨拶をするため窓を開けた。そして「すいません!この近くに高須町ってありますか?」と、私が聞くと「さあ?私はこの近くに住んでいないので分かりません!この近辺には、その高須は無いでしょう!」と、真剣な顔で答えるKさんだった(クダラナイ!)「またか!」と・・・言う顔で呆れる助手席の次男。しかし、そんな会話の一つが私にとっての癒しの一つになっていた(どんな癒しだ!)
 車は棚田の駐車場に着いた。棚田オーナーの皆さんもまだちらほら状態で、時計を見るとまだ少し早い8時過ぎだった。 次男は「僕の出番はまだだよ!」と、助手席で仮眠している模様で、そんな次男を残し私は受付へと歩いていた。
 棚田の至る所のあぜ道で草を刈る地元の皆さんは・・・すでにうっすら汗をかいていた(ご苦労様です!)。受付ではテントの設営など準備を進める市役所・農政企画課の皆さんの姿があった。
 そんな中、今年から担当となったあの西野さんが忙しそうに飛び回っていた。そして一昨年の担当者、本多さんも笑顔で準備していたのだ。「おはようございます!」と、私が挨拶すると皆さん笑顔で答えてくれる。しばらく受付付近でデジカメ撮影していた私だが、徐々に棚田オーナーの皆さんやお世話になる地元高須町の皆さんも集合してきたのだ。昨年の12月以来、5ヶ月ぶりの再会となる懐かしい顔のオーナー家族や、初めて参加される少し緊張のお顔のオーナーさんもいた。
 順番に受付をして、棚田の場所の抽選をしていく。「今年は、あの田んぼだ!」「〇〇番の田んぼって・・・どこですか?」と、自分が半年間携わる田んぼの場所に気合を入れ直すオーナーさんの姿が新鮮で・・・少し面白く感じていた私だった。
 植木御大も受付近くで高須町の皆さんと談笑しておられる(やっぱりこの棚田には植木御大のお元気な姿が似合う!)
 開会式の時間が近づいてきた。オーナーの皆さんも概ね揃っているようだ。今年の棚田オーナーの参加は23組・約80人と聞いている。初年度からの参加のオーナーさんは7組で、初参加7組七並びで・・・縁起が良い(パチンコじゃないから!)
 受付の回りでは「久しぶりです、お元気でしたか?」「今年も来ちゃいました!」「お子さん・・・大きくなって!」と、この高須町棚田で再会を喜ぶオーナーの皆さんの挨拶が飛び交っていた。
 そんな中、私はFBC川島アナウンサーを探すのだが、いつも早めに来るはずの川島アナの姿はなく「どうしたのかな?」と、少し心配になっていたのだ。「どんなコスプレで登場するんだ・・・川島アナ!はは〜ん、着替えに時間がかかっているのかな?」と、この時一人妄想状態の私だった。
 すると、車の中で寝ていたはずの次男が駐車場から走ってきたのだ。手には私の携帯電話を持ち少し慌てているようだった。「お父さん・・・電話だよ!川島さんから・・・」と、息を切らしながら話す次男から電話を受け取り「もしもし」と、電話に出たのだが・・・・すでに切れていた(ここは電波が!)
 そこで改めて川島アナに電話をかけると「少し、遅刻します、宜しくお願いします!」と、川島アナだった。律儀な川島アナだが・・・やはり遅刻はコスプレが原因だろうか?
 二年間放送した夕方の人気コーナー〔げんき米プロジェクト〕は、今年は・・・・ない!(寂しいです!)川島アナ大島アナで始めたお米作りの一年目、そしてお米の他にも夏野菜作りにも一人で挑戦し、その他にも高須城小学校の子供たちにも密着取材した二年目の川島アナ。その放送回数はこの二年間で33回にもなったのだ。
 FBC福井放送局アナ川島アナウンサーとして、また、川島秀成さん個人として、公私で高須町にとっては大変お世話になった二年間だった。そんな川島アナ「今年、放送はありませんが私個人でお世話になります!」と、話してくれたのは雪解けが終わりかけた2月の事だった。
「えっ!川島さん忙しいのに今年もするの?」と、驚いた私に「だって、ここの皆さんには二年間もお世話になっていますし、それ以上に・・・ここは私の癒しの場所ですから・・・高須は!」と、答えてくれたのだ。
 そんな川島アナとの想い出を頭に浮かべていると「開会式を始めます!」と、マイクで呼びかける西野さんの声が聞こえてきた。その声につられて棚田オーナーの皆さんは受付付近から駐車場奥の広場に集合したのだ。
 西野さんの司会でまずは高須町を代表して棚田オーナー委員会代表植木正義御大の挨拶、そして松井峰雄福井市農政企画課長のご挨拶や福井県農林総合事務所課長のご挨拶と続き、いよいよ地元・高須町田植えインストラクターを代表して、畑さんから本日の田植えの手解きを受けたのだ。
  
 真剣にその話を聞きいる・・・今年初参加のオーナーの皆さん、そして一年振りの田植えを確認するように指植えの真似をしながら聞く、二年目以上のベテランオーナーの皆さんと、どのお顔も笑顔で爽やかな皆さんだった。
 
 そんな開会式の様子をデジカメで撮影していた私だが、「あっ!」とレンズ越しに、いつの間にか開会式に参加していた川島アナを発見したのだ。お互い視線が遭い、少し離れた距離での挨拶を交わしながらだったのだが、その問題の川島アナ今年の服装は・・・・普通だったのだ!(残念!)
 開会式が終わる頃、ぐずついた天気だった空が晴れ晴れとした気持ちのよい青空になっていた(雨男の次男に勝った!)
 そして「いざ、出陣!」とばかりにそれぞれオーナーの皆さんは足取りも軽く、自らの抽選で決まった田んぼに向かって行く。これから約2時間田んぼと格闘しながら、可愛いをそっと優しく・・・「大きくなれよ!」と、この秋の豊作を願いながら植えていくのだ。
 青空の下高須山の中腹の棚田田植え作業が始まった。「きゃあ〜冷たい!」「この泥の感触がたまらなく最高!」「どっちから、植えるの?」「本数(苗)多いかな?!」と、至るところで様々なオーナーさん達の声が聞こえてくる。
 私の田んぼでも新品ゴム長靴を履き、私と次男の今年の田植えが始まった。両端に別れ、田んぼに刻まれた目安となる筋跡を辿るようにを数本持ちながら植えて行く。一年振りの田植えは・・・田んぼの泥の感覚はたまらなく・・・日本古来からの人間本来の姿と思うものだ。幾多の年月、この時期には日本中がこの田植え作業を行ってきた。機械植えなんてない時代、手植えによる厳しい作業を毎年繰り返してきたのだ。そんな事を思うと、少しの面積の田んぼでも疎かにはできないものだ(そりゃそうだ!)
 疎かには・・・と、ふと次男を見ると・・・斜めに苗が植えられていた。「お前なぁ〜・・・綺麗に植えなさい!」と、指示をした私。「あれっ!おかしいな!」と、自分の植えた苗の並びを、「こんなはずでは!」と頭を抱えた次男だった。
 そんな時、隣の川島アナの田んぼから・・・何か聞き覚えのある・・・この高須山の頂にも届きそうな大きな声・・・そして、二年前にも確実にこの棚田で聞いた声が・・・私の耳に届いてきた。
「この声は・・・・大島アナだ!」屈めていた腰を戻し、隣の田んぼを覗き込むと・・・そこにはやっぱり大島さやかアナウンサーが泥の中にいたのだった。昔、ある日曜日の歌番組で「一週間のご無沙汰でした・・・」と、玉置宏の名文句が流行ったものだが、こちらは・・・二年振り大島アナの登場なっていたのだ。
 私は田んぼから上がり、あぜ道に置いていたデジカメを持ち、お隣のその田んぼに向かった。すると、目の前の田んぼの中には《げんき米プロジェクト》が始まった二年前のように川島アナ大島アナの二人が確かにいたのだ。
 応援に駆けつけた地元インストラクターと久しぶりの話しながらも田植えに夢中の二人だった。私はデジカメを構え「大島さん!」と、呼ぶと・・・さすが大島さん、笑顔のナイス・ポーズを取ってくれた。続いて川島アナ、普通の服装には少し落ち込んだ私だが・・・こちらもパチリ!
 
 何だかこの二人を見ていると二年前に初めてこの棚田で会ったあの日の事を想い出してしまう。(高須城日記U【五月の二/鶯の囀り】)
「逆取材をしましょう!」そんな田中先生の発想から慣れないインタビュアーになりマイクを向けた私に、「いつもと逆で緊張します!」と、少しハニカミながら笑顔で答えてくれた川島アナ大島アナ。そして話題になった、あの朝私が握ったおにぎりを頬ばるパネルは・・・いまでも私の部屋にもそして高須町集落センターにも永久保存として飾ってある(勿論、お二人にもプレゼントしました!)
 延べ何万人もの人が見ることとなったあのパネルだが、一番のファンは・・・・今、この棚田の丘からこちらを見ている・・・・植木御大なのだ(相当・・・お気に入りみたい!)
 田植え開始から1時間が過ぎた。私は作業開始の頃よりも多少ペースは落ちてはいたものの田んぼ半分を植え終えていた。次男は・・・相変わらず斜め植えを続行中だ。
 中腰の姿勢、これは一週間前にギックリ腰をやった私に少しづつ負担になっていた。「痛いな!」そんな声を出した時、「お待ちどうさん!」と、あぜ道を歩いてきた佐々木さんAさんの地元の応援が駆けつけてくれた(天の助けだ!)
 田んぼに入りながら「直くん、斜めになっているよ!」と、次男にすかさず注意する佐々木さん「やっぱり!」と、答える次男(斜めに植えると、秋の刈取り時の作業が大変なんです!)
「普段は機械での田植えばかりで、手植えは苦手なんだ!」と話す佐々木さんなのだが、それでもそこはプロの技!速く・・・正確に!・・・綺麗に!植えて行く。二人の応援を受けた私は暫しあぜ道で休憩となった(腰を伸ばすと痛い!)。思いもよらぬ五月晴れの空を見あげながらタオルで汗を拭った。すると、次男も持参した水筒で咽を潤している(お前は休むな!)
 そんな次男が改めて自分が植えた箇所を見て「やっぱりむ田植えは難しいや!」と、反省の色。お手本となる佐々木さん神業に唖然と口が開いていた。
 棚田のあちらこちらで「終わった!」「お疲れ様!」と、声が聞こえてきた。さすがベテランオーナーさん達は慣れた手つきですでに田植え作業を終えたようだ。膝まで泥だらけになりながら・・・何故か、お尻や顔までもが付きながら・・・・それでも、皆さん笑顔であぜ道を歩いていた。
 私の田んぼも佐々木さんAさんの助っ人のお陰で、田植え作業を終えた。そしてほぼ同時に西隣の川島アナ大島アナの田んぼも終わったようだ(それにしても大島アナはどこにいるか直ぐにわかる透き通る綺麗な声だ!)
 そして、私の東隣の田んぼには地元・高須町の皆さん総出で・・・鮮やかな手さばきで田植えが進行中だった。そう、藤川先生田んぼなのだ(私もお手伝いしましたよ!少しだけ!)
「ここは、藤川先生の田んぼです!」と、私が説明するとお婆ちゃんたちが
「ほうけ!先生の田んぼけ・・・嬉しいの、学校が無くなってもこうして高須に想いを残してくれるんやの」と、本当に嬉しそうな顔で話してくれた。
 すると、一人のお婆ちゃんが
「藤田さんは何年目になるんやの?」と、この棚田への参加年数を聞いてきたのだ。
「私は四年目です!」と、答えると
「ほうけ・・・・さっき藤田さんの田植えを見てたんやけど、さすが農家の生まれ・・・上手いもんやのぅ〜」と、お褒めの言葉を頂いたのだ。しかし、
「農家の生まれ????」には勘違いのお婆ちゃんに、となりのお婆ちゃんが
「違うがの!藤田さんは町の子やがの!駅前やざ!」と、紹介してくれたのだ。すると、
「ほうやったかの?駅前って・・・どの辺やの?」と、聞くのだ。
「ワシントンホテルの前です。フェニックス通りです」と、答えると
「はぁ〜?」と、理解困難なようだった(まあ・・・いいか!)
「こんな状況・・・昔もあったようだ!」と、ある記憶を思い出していた私。
 それは京都の美山で国際ロードレースがあった時の事、多くの外国チームに混じり国内チームも大健闘していたのだ。道路の両脇には地元・美山の皆さんが初めて見る自転車のレースに驚いているようだった。福井県から選手を連れてきた私は周回コースの途中で応援していたのだが、レースも終わりに近づいた時、会場アナウンスで「さあ、皆さん・・・今、ブリヂストン(BS)の選手が先頭に立ちました。大きな声で声援を送って下さい!」と、流れたのだ。
 自転車のレース・・・しかし、想像もつかないスピード感があるのだ。ましてや初めてそのレースを見る地元のお年よりの皆さんは沿道ギリギリを駆け抜けるレーサー達に歓喜の声を上げていた。そんな時、私の横にいた一人のお婆ちゃんが私に質問してきたのだ。「あのう・・・ブリヂストンってどの辺にある国やの?」・・・と!(本当の話です!)
 そんな事を思い出していた・・・私だった(また、脇道に逸れましたね!)
 新品ゴム長靴も・・・当然のように泥だらけとなり次男はあぜ道を駐車場に向かって歩いていた。すると隣の田んぼの川島アナ大島アナも少し疲れた表情で歩いてきたのだ。
「写真撮るから!」と、私が声をかけると次男を挟んでの4人のショットとなったのだ(何故か、次男は緊張していた!)
 ファインダーを覗くと・・・そこにはやっぱりこの高須の棚田に似合う笑顔の川島大島コンビの爽やかな笑顔が見えていた。
 棚田の駐車場・・・私が車の外で作業着から短パンに着替え・・・ゴム長靴から開放感のあるサンダルに履き替えていると、田植えを終えたオーナーの皆さんが戻って来られた。
「お疲れ様です!」と、声をかけると「気持ちいい田植えでした!」と、汗を拭きながら満足気の様子。初対面同士だろうオーナーの皆さんも、お互い気軽に声をかけあっている(これが・・・いいんです!)
 私と次男の着替えも終わり車で集落センターに移動しようとした時、「藤田さ〜ん!」と、声が聞こえてきた。声の持ち主は・・・あぜ道インタビューでお世話になった油井さんご夫妻だった。勿論、中村さんご夫妻も今年で三年目の参加となっていた(嬉しいです!)
 正午過ぎ・・・・オーナーの皆さんはそれぞれ、あぜ道お弁当を食べたり・・・高須山に登ったり・・・山菜採りに向かったり・・・集落センター横で友人を呼んでのバーベキューをしたりと楽しんでいたのだった(因みに、川島アナは仕事に戻りました!・・・お疲れ様です)
 集落センターの中では、オーナーの皆さん食事中で、私も次男も持参したおにぎりを食べていた。横には大島アナも食事に夢中のようだ。「田植えの後は、お腹が減りますね!」と、笑顔で話していた。そんな大島アナの可愛い笑顔はまるで女子高校生のように輝いていた???(誉めすぎ?!)
 県農林総合事務所の皆さんや市・農政企画課の皆さんも続々と棚田から集落センターに戻って来られた。そして植木御大も加わり楽しい昼食会が始まった。
 私は県や市の職員の皆さんとあれやこれやと話をしながら・・・今年から担当の西野さん携帯番号ゲットしたのだ(あくまでも・・・高須町の事で連絡を取るためです!)
 そんな時、横にいる次男は場が持たない様子で落ち着きが無い、そこで「佐々木さんの家に行って遊んで来たら?」と、話すと「うん!そうする」と、急ぎ足で集落センターを飛び出して行ったのだ。
 これからゲームに夢中となれば帰りは少し遅くなるかな・・・何て考えていると、再び集落センターの玄関に次男の姿があったのだ。「どうした?」と、聞くと「誰もいないみたい!」と、肩を落とす次男。どうやら佐々木さん長男(中3)次男(中2)部活で留守のようなのだ。そこで私が携帯から佐々木さんのご自宅に電話をすると・・・「もしもし、佐々木です!」と、ご長女(高3)の声が聞こえてきた。「今日は無いです!」「下の二人は?」「部活で留守です!」と、答えてくれた。
「やっぱり、部活でいないみたいだね!」と、次男に話すとまたまた寂しそうな次男の顔。あれほどこの高須町に来るたびに遊び回っていた子供たちだが・・・お互い中学生ともなれば・・・状況は変わってくるのだ(仕方ないね!)
 大人10人の中に中学生が一人・・・これはどうにも可哀相と「じゃ・・・帰るか?!」と、次男に聞くと「うん!」と答えたのだ。「それではお先に失礼します!」植木御大大島アナ、そして皆さんに別れを告げ、集落センターを後にしたのだった。
 高須町から自宅へ向かう車の中、次男はまたまた眠りについていた。「寝る子は育つ!」とは言うが、いつ私の身長を抜く日が来るのか・・・楽しみでもあり・・・少し寂しい、親父の複雑な心境となっていた私であった。
 帰宅後、田植えの疲れが一気にきていた。お風呂マッサージ機ストレッチと1時間半の時間で身体の疲れを癒した私は、この後2時間の・・・冷えたビール日本酒のオン・ザ・ロックで咽を癒したのだった(最高に美味しいです!)


△男の酒のつまみ・・・250
 あさりの味噌汁!
 どうにもこうにも田植えの疲れが原因だろうか、つまみよりも身体が汁物を欲しがってるようだ。そこで、スーパーに行き、あさり薄揚げ茗荷を買い・・・年に何度か飲みたくなる・・・八丁味噌(赤だし)を買った。
 あさり薄揚げとこの八丁味噌は相性抜群なのだ。茗荷はきざんで少量のせる。疲れた身体に程よい八丁味噌の塩分が浸み込んでいく。「これは・・・どえりゃぁ〜美味しいでなも!」(お粗末でした!)



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【五月の七/山谷えり子首相補佐官に聞いちゃった!】5月26日(土)

 棚田オーナーの皆さん泥まみれになりながら奮闘した高須町田植えから約二週間が過ぎようとしている。あれからその苗の成長を見に行こうと何度か「明日は必ず高須に行く!」と、決意するのだが・・・・ここのところ急な仕事が入ったり、次男がお世話になっている我が母校、明道中学校PTA行事が相次ぎ・・・中々、車のハンドルを高須町に向ける事が出来ないでいる・・・可哀相な?私だった。
 そしてもう一人、私と同じ思いをしている人物がいるのだ。それは、まだ見ぬご自分の田んぼを「早く見たい!」・・・そんな想いの藤川先生(高須城小学校教頭、現・本郷小学校教頭)だ。公私共にご多忙の藤川先生は新しい赴任先の小学校での授業は勿論、密に連携を持たなければならない地域との会議、さらに管理職としてのお仕事と目の回るほどの日々のようなのだ(詳しくは藤川先生の新しいブログに書かれていますよ!)。  そんな仕事に追われ・・・人生初となる高須町棚田での田植えをキャンセルしてしまった藤川先生なのだが、「実は、本郷小学校の児童と共に先日、汗を流しました。いやぁ〜難しいものですね!子供たちの方が慣れた手つきで・・・こちらが教えられてしまいました。(笑)」と、電話で話してくれたのだ。そして高須町の藤川先生の田んぼを見に行く約束をその電話やメールでするのだが・・・「来週の木曜日に行きましょう!」「あっ!その日は私がダメです」「じゃぁ、平日の6時過ぎならどうですか?」「いいですよ」なんてそんなやり取りが数度続いたのだが・・・・「雨が降っていますから、お天気の良い日にしましょう!」と、またまた延期となったのだった(まあ・・・仕方ないですね!)。  おそらく藤川先生がご自分の田んぼの少し大きくなった苗と初対面される日は・・・草取り作業の日(7/8頃)までには・・・終わっていることでしょうね!(たぶん!)
 さてさて・・・そんな藤川先生の事を考えながら昨日、次男の通う明道中学校田中先生(不思議なご縁です!この春から次男の理科の先生です!)に、「明日お暇なら・・・高須の写真を撮りに行きましょう?」と、電話をしたのだが・・・「すいません!明日(土曜日)は学校です。藤田さんに学校からご案内(プリント)行っているはずですが!?」との田中先生のお話だった。「???ああ、そうでしたね!」と、答えた私なのだが実のところ・・・完璧に忘れていた私だった(やっぱり!正直に言いなさい!)
「藤田さんも是非お越し下さい!」と、田中先生の言葉に「そうですね!」と、曖昧な言葉で答えた私の頭の中には「何があるんだ?明日」と、最近の物忘れの激しさに・・・・自信喪失状態となっていた(覚える気が無いのだ・・・君は!アイドルの名前は直ぐに覚えるくせに・・・ね!)。その後、慌てた私は自室の学校書類(本年度)のファイルを捲ると、確かに明日は学校行事としての全校登校日となっていたのであった。
 そのプリントだが・・・・5月10日付けで・・・確かに届いていたのだ(田中先生すいません!)。保護者各位と書かれたプリントだが《講演会および記念行事のご案内》となっていて、明道中学校同窓会による進路講演会を行うというものだった。
 昭和二十二年より二万数千人の卒業生を持つ我が母校には各方面で活躍される先輩方や後輩が多くいる。そこで、毎年その卒業生を代表して母校の可愛い後輩たちに卒業してから自分の歩んだ道を話のベースに講演会を行うものなのだ。
 本来は三年生を対象に開催されるこの講演会なのだが・・・・今回は、あの山谷えり子内閣総理大臣特別補佐官のご講演となり・・・全校生徒とその保護者がお話を聞けることになったのだった(山谷先輩のお話は、中々・・・聞けませんからね!そうそう直木賞作家藤田宣永氏も明道中学校の先輩として数年前に母校で講演会をして頂きました!)
 今回の講演会にはお二人が来校されるようで、お一人はその山谷えり子先輩(順化小学校の先輩でもあるのです!)で講演内容は「夢を叶える」となっていて、もうお一人は、丸岡町(あっ!今は坂井市丸岡町ですね!)〔日本一短い手紙〕で有名な丸岡町文化振興事業団理事長大廻政成氏「15年後の私への手紙」というテーマでぞれぞれお話をされるのだ(生徒達にも保護者とっても中々聞く事のない良いお話となるでしょうね!)
 そんなこんなで・・・・次男は本日の土曜日の朝、いつものように登校して行った。「お父さんも来るの?」(次男)「あなたも学校に聞きに行くの?」(妻)と、二人に聞かれ私も是非その講演会に行きたいと思っていたのだが・・・・そこは自営業の辛さで・・・その講演時間に仕事が入ってしまったのだった(普段・・・怠けているからかな!)
「話を聞きたいな!」「まだ、間に合うかな?」そんなことを考えていると・・・またまた新しいお客様への配達があり・・・アウト!となったのだった(もう、諦めた私です!)
 夕方、次男が帰宅してくると私は「山谷さんの話・・・どうだった?勉強になったか?」と、聞いた。すると「うん!やっぱり凄いや!」と、余程講演内容に今の中学生たちが聞き入るお話だったのか、満足気な顔の次男だったのだ。
「たくさん(保護者)来ていた?」「うん、お父さんも来ればよかったのに!」こんな会話は夕食後まで何回か続いていた二人だった。
 九時過ぎの事、妻の携帯電話に次男の同級生のお母さんたち数人から相次いでメールが入ってきた。皆さん同じような内容で・・・「直くんの質問はとても子供らしくて、素直な気持ちで山谷さんに聞いたのね!」と、いうものだった。そのメールを見て・・・妻は驚きの顔で次男に聞いていた。「直くん・・・何か質問したの?」「うん!」「何を聞いたの?山谷さんに!」と、次男に問い詰める妻。
 すると・・・次男は思い返すように説明し始めたのだ。次男の話を要約すると・・・・
 山谷さんのお話はご自分の幼少期の頃から始めて、この福井での思い出などを中心としたものだった。順化小学校を卒業し明道中学校に進んだ頃、山谷さんのお父さんのお仕事による多額の借金が原因で、福井を離れる事になったと言うのだ。「負けたらあかんざぁ!」と、駅に見送りに来てくれた多くの友人たちや愛する福井を離れ・・・見知らぬ町(東京)での苦しい生活がまだ中学生の山谷さんのその後の人生に大きな影響を与える事になっていくのだ。反骨精神?とでも言うのだろうか・・・その後の山谷さんの成功は・・・今の地位を見ればわかるのだ。
 まあ・・・そんな内容のご講演だったのだが、次男はその山谷さんのお話の中で「お父さんの借金って・・・幾らぐらいあったんですか?」と、質問したらしいのだ(そこかい!)
 で・・・その次男の質問に対しての山谷さんの回答は「中学生だったので・・・覚えていないんですよ!」だった。
 次男がその質問をしたとき、明道中学校体育館にいた全校生徒&教職員&保護者(およそ700人)は、驚きと笑いの渦となったらしいのだ(山谷先輩・・・すいません!)
「お前・・・他に質問する事なかったのか!」と、私が聞くと「だって・・・・気になっていたから!」と、答えた次男だった(まあ・・・仕方ないか!)
 翌日の朝刊!その次男と山谷えり子先輩、二人のやり取りの写真が掲載されていた。
 しかし、そんな質問をした次男の勇気に・・・親として、一応の敬意を・・・!(意味がわからん!)


△男の酒のつまみ・・・251
 これはツマミ?!・・トコロテン!
 少し汗ばむ日が多くなってくると、やはり咽は冷たいものを欲しがるものだ。「今日は冷奴っこでも!」と、スーパーに行くと・・・何故だかその横のコーナーに陳列してある、トコロテンに目が行く私だった。「ツマミになるのかな?」何て考えていたのだが・・・すでに空想でそのトコロテンを食べていた私。
 ギリギリまで冷蔵庫で冷やし酢&辛子をかき混ぜ箸から数本落ちそうなトコロテンを咽に流し込む!「最高です!・・・もう夏です!」と、叫びたい私だった。「でも・・・ツマミなのかな???!」


高須城日記W(夏前編)に続く


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