高須城日記V(立春編)


(平成十八年度・棚田オーナー/福井市 藤田幸治)





【二月の一/雪の日は、83回目の誕生日!】2月1日(木)

 ハラハラと雪が舞い降りている。昨年十二月以来の福井市内の雪だが・・・どうやらこの雪もそう長続きとはならないようだ(何か、少し寂しい気もしますね!)
 うっすらと積もった白い道路だが、霙(みぞれ)混じりの雨があり、「バシャバシャ!」(福井だけの表現かな?)と、なっている。過去最低の積雪だと福井地方気象台の発表だが、現在数センチの積雪は、またまた数日後には消えてしまうようだ。
 白い雪が少し眩しい私だが、次男は面白そうに足跡を付けている。我が家で唯一・・・毎年、その足跡が大きくなっている次男だが、そんな雪遊びをしている次男の姿をみると春から中学生になるとは思えない私だった。
 そんな次男に「おい、祖父ちゃんにお誕生日おめでとうって言ったか?」と、聞いた私。「えっ!・・・・・あっ!忘れてた」と、慌てた次男。そう、本日二月一日は私の父の誕生日だった。
 大正十三年二月一日生まれ・・・・つまり、八十三歳となる父(元気だ!)。その父に、朝食の時だが「おめでとう!」と、言った私に「へへへ・・・」と、さほど嬉しくなさそうにしていた父(もう・・誕生日が嬉しい歳でもないのか?)。その時「今日は誕生日?忘れてた!」と、母のかん高い声。
 何十年も連添った夫婦なのに、夫の誕生日を忘れていた母だが少しばつが悪そうに「ケーキでも買わないと・・・」と、話を摩り替えていたのだった(さすが!)
 八十三歳の父と七十八歳の母、少し?物忘れが目立つようになってきたのだが、古い話だけは覚えているから不思議なものだ。子どもの私には非常に厳しかった父だが、やはり孫(長男・次男)にはとても優しく可愛がる父(差がありすぎる!)。これで曾孫ともなればどうなる事か???まあ・・・いつまでも元気で、今度はその曾孫の顔を待っていて欲しいものだ。
 さてさて、最近の事だが新聞で気になる話題が掲載されていた。それは高須町?の事ではないのだが、農家に関わることなのだ。その記事だが、北海道北見市での米泥棒があったのだが、それが・・・兄弟三人によるもので、しかも2,800キロものお米を盗んだと言うのだ。米穀店倉庫から盗んだ30キロ入りの玄米94袋だが、私はこの記事を読んだ時、当然盗んだお米を売り飛ばしたものだと思っていたのだが・・・・実はこの三兄弟が自宅で食べたと言うのだ。警察が自宅から押収した時にはすでに50袋分を食べたらしく、約40袋だけが残されていたと言うのだ。
 農家の倉庫からお米を盗む・・・と、言うのはたまに聞く話なのだが、それにしても94袋ものお米をどうやって盗んだのだろう???当然、倉庫にトラックを横付けして三兄弟「せっせ・・せっせ!」と、協力しながらこの窃盗行為をしたのだろうが、何を考えているのか(いやはや!)
 また、同じ日の別の新聞の記事だが、越前町水仙無人販売コーナーの話で、販売されている水仙の料金を払わず持ち去る者がいるというのだ。この無人販売コーナーでは以前にも料金箱が無くなることもあったらしく相次ぐ被害に頭を抱えているそうだ。一束・二百円で売られている水仙だが、栽培農家の皆さんが丹精込めて作った水仙を無断で盗む行為は当然許しがたいものだ。
 郊外を車で走るとこのような無人の野菜等の販売所があるのだが、「こんなに量があるのに、こんなに安いの?」と、感じるものだ。農家の皆さんのやさしい行為を思うなら絶対止めて欲しいものだ。
 このような記事を読むと、日本人のモラルはどこにいったのだろう・・・と、ついつい感じてしまうのだが何か大きく溜息が出てしまう暗い記事ばかりに農家の皆さんのご苦労が報われない気がする私だった。


△男の酒のつまみ・・・217
 里芋のねぎ味噌づけ!
 里芋・・・は、煮っころがし!が当然の福井の私達だが、少し変わった食べ方?いや、味で食べたくなった私。台所のテーブルの上には、母がどこかで買ってきたねぎ味噌の瓶が置いてあった。
 そこで、里芋をよく洗い皮つきのままでボイルする。竹串がスッと通ったら茹であがり。皮を剥き、そのねぎ味噌で頂く。甘めの味に慣れていた私には、この少し苦い味がお酒のお供となるのだ。


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【二月の二/親子で映画鑑賞に・・・!】2月4日(日)

 見事に・・・雪が消えてしまった福井市内。朝夕冷え込みはきついものの午後になると春の気配?ポカポカ陽気となっていた。日曜日・・・珍しく次男のスケジュールは空いていた(芸能人か?!)
 昨日の夜、いつものように晩酌をしている私に、いつものようにパソコンのオンラインゲームで寛ぐ次男(間違いなく、親子だな!)
 そんな次男に「明日の予定は?」と、私が聞くと「何も無いと思う?」と、次男が答えた(思う???って・・・何だ!)
 そこで、「じゃぁ、映画でも行くか!」と、私が言うと「本当に!」と、パソコンキーボードから両手を離した次男(喰いついた!)。そこで「何の映画を観たいんだ?」と、次男に聞くと「どろろ・・・」と、答えたのだった。最近、テレビで宣伝している妻夫木聡柴咲コウ「あれか!」と、思った私だが、そこは「えっ!トトロ?」と、ギャグを飛ばした私だった(・・・・・)
「違う・・・違う、どろろだよ!」と、反撃?の次男に「知ってるよ!凄いCGの映画だろ」と、一応・・・親の面目?。
 そんなこんなの親子の会話で、本当にその映画に行く事になってしまった本日の日曜日。とりあえず、新聞の映画館情報上映時間を確かめた私、朝一番の上映時間は9時50分だった。「場所は・・・テアトルサンクか?」と、こちらもご近所ならではの頭の中での場所確認だった。しかし、よく確認すると《テアトルサンク3》と書いてある。「3・・・って?」と、急に自信が無くなった私はパソコンにて「テアトルサンク」を検索したのだ。すると、テアトルサンク1〜34・5と場所が分かれていたのだった。ここでようやく思い出した私「そうか・・・そうだったよな!」と、久々の映画館行きにしばらく思い出し笑いだったのだ。
「前に映画館に行ったのは、いつだったかな?何を観たんだっけ?誰と行ったんだろう?」と、遠い記憶を辿ったのだが・・・当然、直ぐには思い出だせない私(まあ、いいか!)
 時計の針は9時を過ぎていた。まだまだ起きて来ない日曜日の次男、「あいつ、忘れているな!」と、少しのお冠状態で次男の部屋に入ると・・・やっぱり熟睡状態の次男。
 そんな次男の上にまたがり「起きろ!」と一喝。すると私の体重の重さに「うっ・・・・う!」と、苦痛の顔の次男。「おい、映画行かないのか?」と、まだ目の覚めない次男に問いかけると「・・・・いく」と、かすれ声の次男。
 誰に似たのか???時間にルーズで呑気な次男(妻だな!)。起こしてから数分経つのだがまだベッドの上であぐらをかいての夢遊状態の次男。そんな次男に「おい、映画を止めて、高須に行くか?」と、話すと「高須も行きたいけど、今日は映画!」と、ようやくベッドから離れた次男だった。
 トイレ、洗面、着替え、そして軽めの朝食を済ませた次男は、「お父さん、お待たせ!」と今度はキリリとした声で話していた(ふざけろよ!)
 外はのような日差しだった。「天気もいいし、歩いていくか?」と話すと「間に合うかな?」と、次男が答えた(お前が言うな!)
 で・・・やっぱり妻に車で送ってもらった私と次男(おいおい!)。しかし、これが正解だったのだ。
 テアトルサンクの入り口に着くと、チケット売り場には数十人の行列が出来ていた。しかも、そのチケット売り場の窓口は一つで対応しているのだ。何故だかマイクを付けた係の女性が「映画は何ですか?どろろ・・・ですか?大人2枚ですね!お車でお越しですか?駐車券は?」と、お客一人に時間が掛かりすぎる状態なのだ。その間にも続々とお客が並んでいる。
 私は、次男に三千円を渡しその列に並ばせた。中々進まないその列に、誰もが上映時間を気にしていた。携帯電話での時間は開演5分前となっていた(少しイライラの私!)。次男の前にはまだ5人が並んでいるのだが・・・・ここでもそのお客の中には財布を手にしていない人が数人いるのだ(直ぐに払えるように、用意しとけよ!)
 次男の順番がきた。「どろろ・・・で、大人一枚小学生一枚」と早口で話す次男(いいぞ!急げ!)。しかし、ここでもまた窓口の女性「お車でお越しですか?駐車券は?」と、小学生の次男に聞いてきたのだ(おいおい!)。すると、余程緊張していたのか、次男は私の顔を見たのだ。「要らないよ!」と、顔をふる私に次男は「いりません」と、窓口の女性に答えたのだ(完全にイライラモード!)
 この後、直ぐにエレベーターに乗り3階まで行った私と次男、この時・・・時間は上映時間ギリギリとなっていた。映画館中央座席に座った二人だが「何か・・・飲むか?」と聞くと「うん!」と答えた次男。千円札を渡し、再び次男はホールの売店に向かった。コーラ&オレンジジュースを買い、私の横に座った次男。その時、会場が暗くなった。
 予告の映画が始まった。《パフューム》「その香りに、世界はひれ伏す!」・・・どうやら中世フランス?をテーマにした、香水造りの男の話だ。
 その予告の後、いよいよ「どろろ」が始まった。映画館ならではのスピーカーからの大音量、「やはりDVDとは、迫力が違うな!」と、囁いた私に「うん!」と、横の次男が頷いた。スクリーンに映る過去か未来か・・・と、定かでない乱世の時代の設定だった。手塚治虫先生原作のこの「どろろ」「正義」「勇気」そして「希望」をテーマにしていた。
 乱世の世に、天下統一を目論む醍醐影光(中井貴一)は、魔との契約で生まれてくる我が子の身体四十八の部分を捧げ、その野望を我が物とした。我が子が生まれた。しかし、その赤ちゃんは手足はおろか目も心臓をも含む四十八の大事な部分が無い子だった。それでもその赤ちゃんは微かに息をしていた。醍醐はそんな我が子を殺そうとするが妻の愛により川に流される。二十年後、その子は赤子の時に助けられた医師により人口心臓や手足を移植され大きく成長していた。百鬼丸(妻夫木聡)は「お前が旅をすれば四十八の妖怪と出会う。そしてその妖怪を倒すことにより手足などお前の身体の部分がお前のものとなる!」と、琵琶法師の助言により妖怪を倒す旅に出る事になる。旅の途中で知り合ったこそ泥・どろろ(柴咲コウ)と共に魔物に奪われた我肉体四十八を求める旅となる。
 簡単に言えば、そんな内容の映画なのだ(説明が下手ですいません!)。どろろの原作漫画を読んだことがない私と次男は、いつしか映画の中に引き込まれていた。迫力ある魔物との対決や想像以上のCGシーンでは、隣の次男の口が開いていた。それにしても妻夫木聡は・・・やはり美男子だった。すでに多くの外国にも配給が決まっているとの事だが、その理由もわかるような気がする映画だった。
 正午過ぎ、映画が終わった。ふと溜息をついた私と次男。・・・・感動していたのだ。「面白かったよ!」との次男の言葉に「そうか、よかったね!」と、答えた私。「どろろ2があるね!」と次男が話した(そう、まだ妻夫木くんは二十四しか魔物を倒していないのだ!)
 映画館を出ると、ポカポカ陽気となっていて春を思わせていた。「お腹・・・減ったか?」「少し」と、よくある親子の会話。この後、妻を呼び出しラーメンを食べに行ったのだが、それは歩いて帰宅するのが面倒だったからかも・・・・ね。
 そうそう、帰りの車の中での話しだが、「どろろ」の前に映画館に行ったのは・・・やはり次男と「ゴジラ」だった。でも三年前だったとか・・・・。

 さて、本日早朝、皆様のご愛顧によりアクセス数二百万件を超えました。「有難うございます!これからも高須町HPを宜しくお願い致します。」


△男の酒のつまみ・・・218
 変わり???玉子焼き!
 何ヶ月かに一度はマジメに食べたくなる玉子焼きだし巻き玉子も大好きでよく妻に頼むのだが、今回はシンプルに玉子焼きとなった。それでも何か工夫をと、シソの葉をみじん切りし・・・きざみ紅生姜とともに玉子の中にいれて混ぜる。勿論、砂糖&塩は普通の分量で。意外とイケマス!


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【二月の三/農業改革が齎す波紋・・・!】2月5日(月)2月4日(日)

 寒い朝だった。月曜日・・・つまりこの地区では《燃やせるごみ》の日で、少し重たいごみ袋を持ちまだ暗い道を歩いていた私。西の空にはほぼ満月に近い月が明るく夜明け前の町並みを照らしていた。それにしても六時前の今朝の寒さは、少し急ぎ足になるくらい底冷えのするものだった。
 部屋に戻りテレビを見ると天気予報をやっていた。「今朝の福井市内は氷点下2.8度で、今シーズン一番の冷え込みとなりました。」と、話していた(寒いはずだ!)「今朝は寒いよ!」と妻に話すと「みたいね!」と軽く交わされた「ほんとうに、寒いわねぇ」ぐらい言えよ!)
 奥尻島(北海道)にいた航空自衛隊時代マイナス何度の世界に慣れていたはずの私だったのだが、その寒さもいつの間にか福井に帰ってからは・・・・身体も忘れてしまっていた私(気が緩んでいる証拠だよ!)
 自衛隊時代、風呂上りに自販機でコーラを買い内務班(独身自衛隊の部屋で6〜8人部屋)に戻る。コーラを温めないようにと二重窓の間に置き、髪を乾かすためドライヤーを持ち洗面所に行く。その間数分・・・コーラは、完全に凍っていた!(そのぐらい・・・寒いのです!)
 ついでに思い出したのだが、この時期になると夜明け前の寒い朝、基地警備訓練があり基地周辺を幾つかのグループに分かれて警備するのだ。凍った雪とその下の土を掘り、その中で数人が数時間ほど銃を持ち警戒態勢をする。航空自衛隊と言えどもそれが訓練の一貫だからね。しかし、その寒いこと寒いこと。当時はまだポカロンなどは無く、下着を何重にも着込んでいた。
 暗い基地周辺・・・掘った壕の中で、私は寒さを紛らわそうと煙草を付けた(訓練中は勿論、禁煙です!)
 しかし、暗い所で火を付ければ・・・・目立つのです。直ぐに監視の幹部が「誰だ〜煙草を吸ってるのわぁ・・・!」と、怒鳴り声。ここでその煙草の張本人だった私の行動は?「誰だ〜っ!」と、私も続けて大声を上げたのです。つまり、私のその声で煙草を吸っていたのは私ではナイ事になるからね!(すいません!)
 おそらくあの当時、氷点下十何度の世界だったはずなのだが、今この福井の寒さが何故かあの北海道以上に寒さが応える私だ(もう一度、自衛隊に戻って・・・鍛え直せ!)
 さて、このところテレビを見ていると農業関連番組が多いような気がするのだ。もちろんNHKが多いのだが!(川島アナ・・・ごめんね!)
 先々週だったか土曜フォーラムでも座談会風にこれからの日本の近郊農業を話していた。そして先日、スペシャル番組《どうする日本・第一弾》として、「誰が支える?あなたの食卓」〜点検・農業改革〜と言うテーマでの放送があった。
 今の日本の農業は大改革の時を向かえ、農家は岐路に立たされているという話で始まった。
 スタジオにはゲストが二人。そのゲストの前には美味しそうな晩御飯が用意されていた。しかし、一人は現在の料理を中心としたおかず(サラダ・ハンバーグなど)が並んでいるのだが、もう一人のゲストの前には・・・何と四十五年前(昭和三十七年)当時の晩御飯(粕汁・ホウレン草のおひたし・白菜の漬物)が用意されていたのだ。しかし、一番違うのは・・・お茶碗に盛られたご飯の量だった。
 つまり、45年前と現在では・・・ご飯の食べる量がおよそ半分になっているのだ。また、食料自給率76%から40%に下がり、今だ下がり続けているらしいのだ。60%は外国からの食料に支えられている今の日本、その未来を考えるならば今の日本の農業を真剣に考えなければならないだろう。
 高齢化・過疎化で悩む日本の農業だが、農業に携わる農家の皆さんは日々汗水を流しながら畑や田んぼを守っている。だが休耕田が増えているのもまた事実、荒れた土地を再生しようという動きは最近になってあるものの、まだまだ少数に過ぎないのだ。
 最近、貿易自由化が問題になり外国からは「日本市場を狙え!」と農業輸出国からは日本の農業をさらに圧迫しつつある。世界第三位の農業輸出国のオーストラリア水田が紹介されたのだが、大きな作付け面積(800f)を持つこの水田は種蒔から肥料散布まですべてセスナ飛行機を飛ばして行っていた。そして驚いたのは、この水田で作られていたのは・・・福井生まれのコシヒカリだったのだ。
 日本の平均的農家の約500倍の水田面積。紹介された農家では広大な面積の水田を全て機械化により管理し、低コスト化に成功しお米の価格を下げたと言うのだ。そのお米の値段は日本の約半分「コシヒカリは良いお米だから」と、話す農家の主人は最近では品種改良にも取り組んでいるのだ。
 つまり、何故品種改良をするのかというと、「日本人にあった、粒揃いで・・・透き通ったお米にするためだ!」と、開発に余念がないのだ。すでに世界20カ国に輸出されている、このオーストラリアのお米は、近い将来日本への輸出を見据えてその準備は着々と進んでいるという。
 このように日本を意識した外国の農家の取り組みは、自由化ともなれば益々、日本の農業を苦しくさせるものになる。 「日本のお米と、外国のお米では比較にならない!問題外ですよ。値段が半分でもお米の味がね」と、考える人は多いだろう。しかし、その味も・・・変わらなくなってきているのだ。味もそこそこで・・・値段が半分だったら?どうなるだろう。日本を意識した、脅威としか言えない外国からの日本農業市場への参入はもうそこまで来ているのだ。
「そんな悠長な話では・・・!」と、お叱りを受けそうなのだが、そう実はすでに少しずつであるがすでに日本に入って来ているのだ。それはアメリカ中国などである。今は高い関税に守られていて殆んど見ない両国の米だが、自由化ともなればやはり市場に流通することは間違いない事になる。
 海外に依存しつつあるお米だが問題点も多い事は確かで、地球温暖化が進行しつつある現在では外国などでは常に干ばつなど等があるため平均的な価格は求められないのも実情である。
 中国インドの需要が伸びている現在、やはり日本国内のこれからの農業に大きな目が向けられているのだ。毎日食べるお米・・・古い日本の歴史そのもののお米だから我々日本人にとってこのお米だけは絶やすことは出来ないのである。
「無くなれば、また一から作ればいいじゃないか!」なんて簡単に考える人もいるらしいのだが、一度止めた農地を取り戻すのに数年の歳月が必要となるし、それよりも日本の高い農業技術は絶対残さなければならないのだ。
 そんな中、国が打ち出した「農業改革!」米・麦・大豆などある程度の広さを必要とするこれらの物に対して、これまで以上に大規模化を求めているのだと言うのだ(???)
 つまり、今までは一農家が平均的な広さの田んぼで稲作をし、また機械(農機)なども個人で購入していたわけだが・・・これには個々に補助金なども支給されていた。
 しかし今後、個人経営は4f(およそ12000坪)・集落農家組織は20fに対して補助をするというのだ。これは生産コストを下げる目的なのだろうが、頭を抱えている農家の皆さんもいると言う。あぜ道を取り除き広い水田の中での共同作業・・・・確かに効率アップにも繋がり、また、他の畑仕事等への時間も出来ると言うのだが、本当に教科書通りに物事は行くのだろうか?
 国の調査では《1戸あたりの所得(1f)》として、現在小規模農家が8万円だったのに対し、集落営農になれば43万円の所得になると言うのだ。つまり35万円のアップになる。「これは、いいんじゃない!」「おいしい話だ!」と、単純に考えるのは・・・・おそらく農家の人以外の人だろう。多くの農家の皆さんは、戸惑いと不安を感じているからだ。
「あそこ(他所)は成功したらしいが、ここではどうなんだろう?本当に上手く行くものなのか?」と、考える多くの農家がおられるのが今の日本なのだ。
 ここで一つの集落が取り上げられた。東北岩手県北上市にある上長沼地区だ。高齢化・後継者不足に悩むこの地区は七十二戸の農家が米作りをしている。昨年の事、この集落に集落営農への参加を呼びかけようと農協が説明会を開いたのだ。この上長沼地区では農家の九割が規模が小さく、新しい制度では補助金が受けられないのである。そこで集落営農への切り替えの選択が迫れていたのである。
 農家からは「集落営農をやっても、安心して生活出来るのか?何故、国は政策をコロコロ変えるのか?」と、意見が出た。農協が事前に行った《集落営農の何が不安?》と言うアンケートでも・・・・
 ・思い通りの稲作が出来ない
 ・収入が減るのでは?
 ・農作業が雑になる など、農家からは戸惑いと不信感が多く書かれてあった。
 この地区の兼業農家の一人O氏(57歳)は、「集落営農には参加しない!」と話す。このO氏は地元の市役所に勤めながら30年以上お米作りをしてきた。個人で揃えてきた農機具などの投資はこれまで1,500万円。田んぼや農機具を共同で使用する集落営農では、今までのように自分のペースでお米作りが出来ないと考えているのだ。「これまでの投資を考えると簡単には参加出来ないという感じがある。自分の土地でありながら、思うような農業が出来なくなる!」と、O氏。過去黒字だったO氏の個人農家収入もここ数年では、多額の投資とお米の値下がりにより赤字続きとなっていた。
「マイナス同士が集まっても、マイナスはあくまでもマイナスで・・・マイナスが増えていくだけ。だから集落営農には参加したくないのが本音です」と、経営が厳しい兼業農家が手を組んでも上手くいかないと、集落営農の先行きにも悲観的なO氏だった。
 しかし、O氏とは逆にこの集落営農が地域の起爆剤になると考えているA氏(54歳)。電気店を経営し兼業農家のA氏は「我々が働ける今のうちに地区の農業を何とかして、やれる人が寄り合いながらでも進められる形を作らないと、働き手が無くなる。このまま放っておいたら本当に農業が駄目になる!」と、話す。また、このA氏は集落営農の成功には大規模専業農家の参加が必要だと考えていた。
 この日その専業農家を訪ねたA氏「農作業にたけた人たちが何人かいないと・・・。何とか協力をもらいながら今後やっていければ!」と、話した。これに対し専業農家は「私は今まで通り、このまま一人で出来ますよ。何故、無理してAさんと頑張らなければならないのか?」と、期待した返事は返って来ない。
 共同で稲作を・・・!今までのように一人で・・・!こんな話を聞いていると、どの意見も正しいような気がする私。 しかし、時間が無い。新たな制度のスタートまで残り二ヶ月・・・・集落営農に向けた農家の足並みはまだ揃っていないのだ。
 そしてまたこの新たな農業改革に対して問題点が出てきたのだ。それは現在、大規模専業農家の屋台骨を揺るがす事だった。
 同じ北上市・北藤根地区で回りの農地を駆りながらこれまで大規模に農業を営んできたI氏(59)。耕作面積はこの地区最大の25ヘクタールだが、この内約8割が借りている農地だった。I氏はこれまで20年をかけて大規模化を計ってきて、これからも更に農地を増やそうとしていた。
 ところが今、集落営農を立ち上げる農家から土地を返して欲しいと求められているのだ。返して欲しいと言われている農地は全体の4割の8ヘクタールで、この農地を返すとT氏の年収は250万円の減収になる。「面積が減ると言うことは、それだけ経営が縮小するし当然収入も縮小する。すなわち、生活に影響するので、計り知れない!」と、不安を募らすT氏。
 これに対し、農地の返還を求めた人達を含む57戸で作る集落営農組織は、T氏に貸している土地が戻れば全体で37ヘクタールの大規模農地となる。貸している農地には国から220万円の補助金があり、集落営農には欠かせない収入となるのだ。この集落営農組織の代表「多少なりとも面積が多いほうがいいわけだし、今度は集落営農を自分達でやろうという考え方なので、当然期限が切れたら土地は返してもらう。我々の農業を集落営農で守るんだ!」と、話す。
 このままだと多くの専業農家は集落営農に潰されてしまうと感じているT氏は「今までの農政は何だったのか、今度の法律は一体どうなのか・・・と、この矛盾点に大いに疑問を感じるし、こうした制度がまかり通ってはならない!」と、悩める心をもらしていた。
 このようなT氏のような大規模農家は日本国中多くいるはず。これまで、自分達では耕作しきれないものを大規模農家に貸すことにより土地代として対応してきた兼業農家などは、これからは集落営農として、より広い土地を確保することにより収益が上がると考えているのだ。大規模専業農家とこれから集落営農を考える農家、それぞれの差し迫った状況が今、波紋を投げかけているのだ。
 この両者の問題には岩手県も仲裁に入ったらしいのだが、糸口は見つけられず亀裂が入ったままのようだ。T氏が借りている農地だが、来月には契約が切れるという。しかし、すでに麦の種を蒔いているところもあり、こうした畑などは収穫を迎える八月まで契約を延ばすらしい。
 現時点では最終的には借地を返さなければならないT氏、自ら集落営農への参入は考えていないらしいのだ。農家の収入増を考慮したはずの農業改革のはずが、今の大規模農家にとっては今の安定した生活を根底から見直さなければならない大問題となっている。同じ集落でこれまで仲良くしてきたご近所さん、それがこの農業改革が原因となり大火事になるかも知れない火種を落としたのだ。
 国の政策・大規模農家・集落営農への参入農家、それぞれが頭を抱える問題だが、この議論には誰もが将来を見据えての事でそれぞれの意見が間違ってはいないのだ。だから余計にややこしくなっているのだろうが。ただ、問題点を一つあげるのならば、やはり国の当事者への説明不足が挙げられる。
 国政だから農政だから改革だからと弱者を頭から見下ろすこれまでの国のやり方、「説明不足です!」と、農水大臣が話すのだが・・・・「これからはグローバル化ですから!とかWTOが・・・」とか、聞いていた私は???と、なっていた。
 この後、この番組では中間山地(高知県の棚田)などの問題点もあげられていたのだが・・・私には大好きな高須町と類似点が重なってしまい・・・・涙が出てきてしまった。
 長い年月・・・先祖から受け継がれた土地だからこそ誰よりも愛着があり思い入れがあるものだ。その大事な土地の事だからこそ本来なら時間を費やし冷静な話し合いをして欲しいものですね。国がこれからの日本の農業を真剣に考えているなら・・・期限時間は配慮して欲しいと願いたい!
 これからも日本の農業を皆さんと共に、考えて行きましょう。私たちの大事な食生活に関わる事だから・・・・


△男の酒のつまみ・・・219
 鯵(あじ)の蒲焼風!
 新鮮なを友人から貰った。嬉しいのだが、処理はしてなく当然・・・内臓などは・・・そのまま!(まあ・・いいか!)で・・・その内臓などを取り出し、三枚に下ろした(時間がかかる)
 鯵は小骨が多いので、なるべく取る。水できれいに身を洗いキッチンペーパーで水分を取る。軽くをふり片栗粉を両面に・・・!タレは、簡単に醤油砂糖日本酒味醂でうなぎの蒲焼のタレ風に。
 フライパンにサラダ油をひき、鯵を焼く。両面が軽く焼けてきたらタレを入れタレ味を馴染ませる。「美味しいですよ!」


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【二月の四/親子で登校・・・?!】2月6日(火)

 全く雪の気配無しの福井地方。朝のご近所の挨拶でも・・・仕事でのお客様との話でも、「雪、降りませんね!楽な冬ですね」と、このところ同じような話で・・・少々飽き気味の私。たまに出てくる雪予報なのだが、この福井市内では全く関係無いようだ。
 春を思わせる陽気が続く毎日となっているのだが、それでも「今月には・・・いや、来月初めには!」と、北陸地方人間ならではの降雪を心の奥で考えている。
 そんな朝、例年なら今の時間は汗をかきながら除雪をしている時間だが、今年はのんびりと新聞を見ている私、すると新聞各紙にお馴染み某生保の《サラリーマン川柳》が掲載されていた。今年で二十回となるこのサラリーマン川柳、毎年この時期だったか年に一度の略して「サラ川」だが、ひとつひとつをじっくり読むと「なるほどな!」と、感心をしてしまう川柳ばかり。時代背景も手伝った内容もあり思わず笑ってしまう私であった。
「イナバウアー 一発芸で 腰痛め!」「デスノート 脂肪脂肪と 書く女房!」など、よく考えるものだと言う作品ばかりだ。そこで私も一句・・・!
◆「千鳥足 妻の顔見て 酔い醒める」・・・お粗末!
 そんなサラリーマン川柳の掲載された新聞をコーヒーを飲みながら読んでいたのだが、またまた妻と次男のバタバタ劇。「今日は何かあったっけ?」と、妻に聞くと「お昼から明道・・・」と、こちらもまたまた簡単な妻のお言葉。
 この春から学生服に身を包みランドセルから学生鞄の次男だが、本日の午後から明道中学校において校区の小学六年生とその保護者を招いて入学説明会があるのだ。
 以前のその入学説明会の案内が届いた時、「お父さんと行くか?」と、次男に話した私だが、「それは、私が行く!貴方はいいわ」と、妻の横槍が入ったのだった。
 この日記でも何度も書いたように次男は新入生の中でおそらく一番だろうか、すでに何十回も明道中学校学校評議員の私と共に明道中学校に訪れたことがあるのだ。職員室体育館などすでに次男の頭の中には校舎の間取りがインプットされているはずだ。そんな次男だから少し余裕の表情を浮かべながら八時前に順化小学校へ登校して行った(昨日も次男を連れ明道中学校の職員室に!)
 慌ただしい午前中の仕事だった私。春江福井市内と数件のお客様宅での修理を終えて簡単な昼食を取ると、時計は2時を過ぎていた。
「あっ!もう二人とも明道に行ってるな」と、得意の独り言の私。名古屋に住む長男が同じようにこの入学説明会に行ったのは・・・七年前。そんな長男の当時のことが懐かしく、また次男の成長を思う私の昼食もノンビリとなっていた。
 高須町でも二年前から佐々木さんの長男と次男がおなじように棗(なつめ)中学校に行き、今度は光くんの番となる。休校が決まった高須城小学校、五年生の岬ちゃん棗小学校への転校となるのだろう(棗は小中併設の学校です!)「みんな大きくなったな!」と、少しセンチになっていると私の携帯にメールが入った。妻からだった。「四時頃にお迎えに来てね!」と、次男がいる明道中学校からのメールだった。
 あれほど「貴方はいいわ!」と、言っときながら今度は「迎えに来て!」との妻の横暴さに腹立たしい思いをしないでもない私だったが・・・・ここは素直に・・・お迎えに行く事にした私だった(弱みを握られているから!)
 都合がいいと言うか、ちょうど明道中学校近くのお宅での修理があり、そのまま学校に車で向かった。しかしその時、時間はまだ三時半だった。車の中で待つことも考えたのだが、そこは毎度お馴染みの職員室へと入った私。途中にある体育館からはマイクで話す先生の声が聞こえていた。入学説明会、次男や妻、それからこの春からの新入生が緊張の中で聞いているのだろうな・・・と、思いながら職員室の戸を開けた。
「お邪魔しま〜す!」と、挨拶すると・・・職員室には珍しく数人だけの先生の姿。ほとんどの先生達は体育館にいるようだ。田中先生も当然その体育館で司会をしているはず。職員室中央まで歩くと「ご苦労様です!」と、女性先生から声をかけられ、いつもながらの美味しいお茶と和菓子に舌鼓の私。どしっり田中先生の机の隣(空席)に腰をおろし、お茶を入れて下さった先生と、世間話に花を咲かせていた私だった。
 すると、この先生「高須城小学校、休校ですね。いい学校なのに残念です。子供がいないから仕方ないですけれど」と、私に話しかけてきたのだ。ここから二人は少子化問題高須町のことで大いに盛り上がったのだ(何で・・・盛り上がる?)
 厚い扉の中の体育館では、まだまだ先生方の説明やら生徒代表の話が続いているようだ。そんな体育館の中の様子を時々職員室から抜け出し見に行く私に、「どうぞ中(体育館)にお入り下さい!」と、話す先生。だが、やはり私には真剣な話が続く体育館よりもお茶とお菓子の職員室の方が居心地が良さそうだ(あれほど中学生の時代は敬遠していた職員室なのにね!)
 予定を10分ほどオーバーして、入学説明会が終わったようだ。多くの先生たちが職員室になだれ込んで来た。校長先生や教頭先生も戻られ、「お疲れ様です!」と、お互いに挨拶となった。「息子さん(次男)、おられましたね」と、何度か次男と会っている校長先生が話すのだが、約200名近くの新入生の中から次男の顔を見つけるとは、さすが校長先生と言えよう。
 だが、ここでもう一つのエピソードが体育館の中であったらしいのだ。それは勿論・・・田中先生次男の事で、司会をする田中先生の前には新入生が並んでいる。そんな中、次男はその田中先生に大胆と言うか失礼と言うか目線で挨拶をしたらしいのだ(おいおい!)
 後から田中先生にも聞いたのだが「直くんと、目で挨拶しましたよ!」と、何故か笑顔の田中先生だった。
 その田中先生も職員室に戻り、なんやかんやとまたまた雑談となっていた私と田中先生。そんな時、職員室に次男が入ってきた。「お父さん、先輩たちの部活を見学してくるね!」と話す次男だが、その次男の横には順化小学校の同級生がいた。やはり、慣れている次男とは違い大いに緊張状態のクラスメイトの顔、初めてだろう中学校の職員室の雰囲気にはそんな緊張が当たり前の話だ。
 次男とクラスメイトが職員室から出て行くと、またまた田中先生と雑談に戻った私だが、次男の様子(部活見学)も気になる私だった。職員室から体育館までは・・・15歩、その体育館の厚い扉は・・・開いていた。
 バスケットボールがコートに弾く音、キュッキュッとシューズがコートに擦れる音が何故か懐かしく感じられる。福井県ナンバー1の実力を持つ男子バスケ部と、私がPTA会長時には全国大会決勝リーグに進出した女子バスケ部。やはりどの生徒も真剣な眼差しでコートを駆け巡っている。
 そんな生徒たちを憧れの眼差しで見つめる部活見学の児童達。おそらくミニバス経験の子供たちだろう、バスケコートの脇に置かれた椅子に座り数十人の児童が身動ぎもせずコートの中の先輩たちのプレーを見学中。そして、その児童の後ろには保護者がいて、こちらも熱い眼差しのようだ。
 小学4年生まで順化小学校でミニバスをしていた次男だが・・・怪我を期に、そのミニバスも止めていた。文化部に入るのかな???と、我が藤田家(スポーツ専門一家!?)としては珍しく期待をしていたのだが「僕、バトミントンをするかも???」の次男の話に・・・・納得の親の顔だった。バスケ部の隣ではそのバトミントン部が練習している。シャトルが小気味の良い音でラケットに弾かれている。
「あいつ(次男)は・・・どこだ?」と、広い体育館内を目線で探す私だが・・・・見つからず、いまだ体育館入り口にいた。15分ぐらい過ぎただろうか、「藤田さん、息子さんが職員室で探しておられましたよ!」と、M先生。次男を探す私に・・・今度は私を探していた次男だった。それにしてもわざわざお忙しい先生にご足労をかけた私と次男は、帰りの車の中で・・・反省中!
「やっぱり、中学生は凄いね!」と、先程までの部活見学に鼻息も荒く私に話す次男。もうすぐ、その次男もその中学生になる(大丈夫かな???)
 結局、親子三人で登校となってしまった私たちだが、それもまた懐かしい想い出になるかも・・・ね!
 明道中学校、伝統ある我が母校。その明道中学校の校章北極星である。福井市中心部から北の方位に位置することから昭和二十四年に制定されたのだが・・・・北極星と言えば一年を通して北の空から動かない星として知られている。多くの卒業生や在校生を見守るその星は・・・いつも同じ場所から私たちを明るく照らし・・・道を間違えないように標(しるべ)となっているのだ。「ん・・・北極星☆☆・・・ポラリス?」(お前はチュンサンか???冬のソナタの見過ぎだ!)
 ところで、次男と共に入学説明会に行った妻だが、次男を残し・・・他のお母さんたちとお茶会でした(何じゃそりゃ!)
◆「父親の 威厳はいつしか 妻のもの!」(再びお粗末!)


△男の酒のつまみ・・・220
 蛸の辛子酢味噌!
 生タコを斜めに薄くスライスし、スーパーで売られているチューブ式の辛子酢味噌で頂く。タコの歯ざわりと鼻に抜ける辛子がたまらない美味さとなる。


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【二月の五/民放で大河ドラマをお勉強?】2月9日(金)

「秋の夜長・・・」とはよく言うのだが、この二月の予期せぬ暖かさに・・・何故だか私は眠れない日々が続いている。そんな深夜は部屋にて読書や新聞、そしてテレビを見るのだが・・・どうにもこうにも、あれほど昔好きだったはずの深夜番組は最近では肌に合わない私(歳かな?)
 ならばとパソコンの前に座りこの高須城日記を書くのだが、それもまた・・・長続きはしないでいるのだ(集中しろ!)。小学生の頃、全国に普及して行ったテレビだが、正に私たちは「テレビっ子!」と呼ばれた時代を過ごしていたのだ。
 テレビは高価な品物・・・と言われていた昭和三十年代、今とは違いどこの家でも「一家に一台」が当たり前だった。夕食時や一家団欒にはそのテレビの前に家族が集まり、白黒のブラウン管を食入るように見つめていた。野球(巨人戦)プロレスマンガとその当時の事が懐かしく思い出される私だが、「おまえはNHKだけを見なさい。そして勉強しなさい!」と、父から言われた言葉が今も胸の奥に残っている。
 つまりその当時、おふざけの民放はダメで・・・お堅い国営放送は良いと言う大正生まれならではの真面目で頑固な父親の意見だったのだ。そんな父が小学生だった私に勧めた番組だが、新日本紀行や日曜日の夜の大河ドラマだった。
「日本の風土や歴史の勉強になる」と、必ず見せられていたこの二つの番組だったが、やはり大河ドラマは子供心に残る印象深いものだったと記憶している。昭和三十八年「花の生涯」は余り覚えていないのだが、翌年の「赤穂浪士」は鮮烈に今でも覚えている。「ジャッ、ジャ〜ン・・・」と、始まるテーマ音楽が子供だった私に自然にテレビの前へと誘う音となっていた。名優・長谷川一夫さんの「おのおのがた・・・」の台詞は本当に懐かしいものだ。また、その翌年の「太閤記」も豊臣秀吉・織田信長と言う日本人が好きな武将の登場ゆえに人気があり、高視聴率だったと記憶している。
 源義経(66)三姉妹(67)竜馬がゆく(68)天と地と(69)樅ノ木は残った(70)春の坂道(71)新・平家物語(72)国盗り物語(73)勝海舟(74)元禄太平記(75)風と雲と虹と(76)花神(77)黄金の日日(78)草燃える(79)獅子の時代(80)おんな太閤記(81)峠の群像(82)徳川家康(83)山河燃ゆ(84)春の波濤(85)いのち(86)独眼竜政宗(87)武田信玄(88)春日局(89)翔ぶが如く(90)太平記(91)信長(92)琉球の風(93)炎立つ(93)花の乱(94)八代将軍吉宗(95)秀吉(96)毛利元就(97)徳川慶喜(98)元禄繚乱(99)葵徳川三代(00)北条時宗(01)利家とまつ(02)武蔵MUSASHI(03)新撰組!(04)義経(05)と続いてきた大河ドラマ、数十年の長い年月の為か記憶に残る・・・・残らないはあるものの確かに見ていた私だった。
 そして昨年の「功名が辻」では小学生の頃を思い出したかのように脚本の面白さも手伝い真剣に毎週欠かさず見ていたのだった(田中先生もお嬢さんも同じく仲良く見ていたらしいですよ!)山内一豊よりも「一豊の妻」イコール「妻の鏡」として古くから多くの日本人に知られていたのだが、この「功名が辻」を見たことによりこの歳になってその夫婦の人物像がようやく理解出来たのだ(本を読め!)。同じ時代には、お馴染み・・・織田信長・豊臣秀吉・徳川家康など登場するため尚更・・・面白くなっていた。「そんな馬鹿な?!」と、大石静の少し大げさな脚本なのだが、誰もが再放送を見るなど高視聴率となっていた。
 そして今年、「風林火山」・・・・だが、このドラマの第一回目の放送開始の時だったか、私と妻の会話を再現すると、
「なあ・・山本勘助って、知ってる?」
「知らない!」
「そうだろ、俺も初めて聞いたよ。それに、信長や秀吉だったら側近の武将も有名な人ばかりなんだけど、武田信玄の回りの武将は知らないわ!」
「そうそう・・・私も知らない」
「何で、NHKも山本勘助なんだろ?無難にまたまた忠臣蔵でもやればいいのに・・・!」
「そうね!」
と、こんな会話だった(山梨県の皆様、並びに山本勘助ファンの皆様・・・すみません)
 本当に知らなかった・・・・山本勘助なのだが、これもお勉強として毎週日曜日八時にはテレビの前に座っていた。不思議なもので何回か見ているうちにそのドラマが面白くなっていく。歴史に強いはずの妻も・・・余程、悔しかったのだろう熱心に大河ドラマを見ていた。「山本勘助って、軍師だったのか?」「そうみたいね!」と、コーヒーを飲みながら目線はテレビから離さない二人。
 そして先週の事、民放の人気クイズ番組で・・・・山本勘助とは「山勘(ヤマカン)」《勘で山をかけること・辞林より》語源だと知ったのだった。この時、目からウロコの私と妻、「ああ、そうなのか!」「なるほどね!」と、お互い顔を見合い暫く唖然としていたのだった(私たちだけかな、知らなかったのは???)
 思いもよらず民放で大河ドラマの一部を勉強した私、益々これからの「風林火山」が楽しみになってきたのだ。そして妻だが・・・・このところ、「風林火山」よりもその後の「華麗なる一族」の方がお気に入り・・・らしい(お〜い!)
 大河ドラマ・・・いつの日かその大河ドラマで高須町の歴史を語る人物、畑時能(はた・ときよし)が一年間の主役になる日を熱望する私だった(エキストラで参加しますから、お願いしますNHK様!)


△男の酒のつまみ・・・221
 キノコと豚肉のニンニク炒め!
 キノコはエリンギ舞茸シメジの3種類を用意し、食べやすい大きさに。豚肉もキノコと同じ大きさに切る。フライパンにオリーブオイルを入れ、スライスしたニンニクを入れ、火をつける。ニンニクがきつね色になる前に取り出し、豚肉を焼く。豚肉に火が通ったらキノコを入れ・・・・キノコがしんなりしたら塩・胡椒で味付ける。シャキシャキ感がたまらなく美味しい一品だ。「ビールが旨い!」


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【二月の六/高須町の棚田の写真が・・・!】2月12日(月)

 雪、雪、雪と心からの神頼みをしていたスキー場関係者の皆さんも、この二月半ばのゲレンデの状態にはすでに諦めつつあるようだと聞いている。今年のこの雪が無い冬模様には、真剣に地球温暖化を考える人も増えているとニュースなどで言っていたが、本当に個人個人が真面目に考えないと大切な地球の危機がそこまで来ているような気がしてくるものだ。「北極の氷が溶ける・・・」とか「海面が何センチ上がる・・・」など特番などで解説しているのだが、まだまだ危機感が無い人も多いはず。「自分だけが温暖化対策をしたって・・・・!」と、消極的になるのだが、その個人の取り組みがやがては大きな結果を齎すはず。家庭で、地域ぐるみでと小さいながらも二酸化炭素問題に取り組んでいる話も話題になっていた。西川きよし師匠の口癖ではないが「小さい事からコツコツと・・・!」が今、必要なのではないだろうか(皆さん考えましょう!)
 それにしても春を思わせる陽気が続いているのだが、我が家のご婦人二人はこの予期せぬポカポカ陽気に喜んでいる様子。例年なら部屋いっぱいに並べられた洗濯物も、きれいに外の物干し竿に並べられている。そんな妻に「この陽気は助かるだろう?」と主婦の日々の苦労を思って話すのだが、「ほんと助かるわ。いつもなら、貴方の除雪でベタベタになった服が無いだけでも助かるわ!」と、やはり最後には矛先が私に向くのは何故だろう???
 さて、昨年の秋の事だが新聞紙面福井市広報からある企画が掲載されていた。その内容だが福井市内で優れた景観を眺望できる場所を291箇所、募集すると言うもので、《福井(291)の景観再発見!》という企画だった。この時、この記事を読んだ私は、「どうせ、足羽川の桜並木や足羽山からの市内の夜景だろ!」と、勝手に決め込んでいたのだった。
 しかし、何故かこの記事の事が数週間経っても頭から離れず、田中先生に話したのだった。すると田中先生「面白いですね。高須の棚田なんて最高ですよ、是非応募しましょう!」と、乗り気の先生だった。そこで、過去数年間の高須町取材写真の中から数枚を選び、私が福井市役所から持ち帰った応募用紙に推薦文を書き、応募したのは昨年の暮れも押し迫った12月だった。
 勿論、この応募の事は高須町植木御大にもご相談したのだが「藤田さんに任せるから!」と、承諾を得ていた。
 ダメもととは思っていた私だが、いざ応募してしまうと結果が気になるのは人間の心理。「まだかな・・・まだかな」と、新聞や市役所のHPを毎日のように見ながらその結果を心待ちにしていたのだ(小心者?!)
 結果の出ぬまま年が明け、いつしか「やっぱりダメだったんだ!」と、諦めかけていた私だが・・・それでも新聞や市役所HPでもその関連記事さえ掲載されない毎日に「もしかして?」と、再び希望が湧いていたのだった。
 そして今月はじめ、市役所から封書が届いたのだ。「ご応募有難うございました。」と書かれたお礼状だが・・・高須町の写真が選ばれましたとも、残念でしたとも書かれていないこの手紙に・・・またまたイライラ・モヤモヤの日々を過ごした私だった。
 今週始め、何気なく開いた市役所のHP。するとそこには福井(291)景観再発見!の文字があった。慌ててクリックした私。幾つものカテゴリーの中に「国見岳付近」の文字があった。そして・・・そこを開くと・・・・応募した写真があったのだ。昨年の春、そう佐々木さん田植えを写した写真だった。丁度佐々木さんの後ろには高須山があり棚田とのバランスが綺麗に写る1枚だった。
「やったあ〜!」と、誰もいない部屋で雄叫びを上げた私。直ぐに携帯電話で田中先生に連絡すると「わっ!凄いです・・・高須町のお宝ですよ!」と、感動していた田中先生だった。
 福井市中心部から郊外まで、昨年春に合併した美山や清水・越廼地区も合わせると、まだまだ「こんな綺麗な所もあったの?」と、お国自慢の景観は291では足りないくらい。四季により色々な顔を持つ美しい風景、そして1歩前後左右動く事によりまた違う味わいのある写真が撮れるものだ。
 写真からビデオに、そしてデジカメの普及によりまた写真の良さが見直されている。記録よりも記憶に残る1枚を・・・・撮りたいですね!


△男の酒のつまみ・・・222
 イカ・バター!
 冷蔵庫に1ぱいのイカがあった。「生は無理かな?」と今夜のつまみを考えた私。そこでシンプルにイカ・バターとしたのだ。イカは少し厚めの切り(1aぐらい)、フライパンに多めにバターを入れる。バターが溶け、香ばしい匂いがしたらイカを入れる。軽めの塩・胡椒はお好みで。
 イカのプリプリ感バターの香りが・・・またまたお酒を美味しくさせる。「福井の海は最高!」


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【二月の七/僕、手を洗わないから!】2月18日(日)

 唐突な話だが、若原一郎川津雄介山本富士子高峰三枝子キャンディーズ兵頭ゆき松坂慶子村上里佳子高田純次など、私が物心ついてからこの歳まで半径1b???以内の近くにいた有名芸能人の方々だ(だから何???何の話???)
 で・・・本日、車の助手席に座る次男(小6)は首から紐で下げたデジカメを大事そうに何回もチェックしながら、大きく深呼吸している。「何だ、緊張しているのか?」と、聞くと「いや、別に!」と、答えるのだが・・・明らかにその声は上ずっていた。
 そんなやや緊張気味の次男と私が向かっているのは、文化会館でもフェ二ックスプラザでもなく・・・県営体育館だった。
 昨年10月、敦賀市に田中先生と行ったJOMO富士通のバスケの試合。その時、JOMOの監督でもあり全日本女子バスケット監督でもある内海知秀氏と二十数年ぶりの再会を果たした私、手ぶらではと高須町の植木御大のご厚意で高須産コシヒカリ「げんき米」30sをJOMOチームに進呈したのだった。
 その後、千葉県柏市内にあるJOMOチーム寮に電話をかけると「とても美味しいお米でした。福井はコシヒカリの古里ですね!」と、選手から大好評の様子だったのだ。
 バスケのチーム・・・いくら女子選手と言えどもその食欲は並みの男性ぐらいでは無いはず。30キロのお米は瞬く間に無くなるのである。「また、げんき米を送ろうかな?」と、年明けから考えていた私だったのだが、何故か今日までスタンバイしていたのだ。
 そう本日の午後、その県営体育館にてまたまたJOMO富士通の試合があるのだ。しかもリーグの首位決定が絡む大事な試合がこの福井の地であるのだ。
 昨年の敦賀市での試合は残念ながら富士通惜敗してしまったJOMO、今回は意地でもそのお返しをしたい大事な大事な試合なのだ。
 数日前、田中先生から「当日は、研修があり残念ですがお供出来ません!」と連絡があった。一人で行くかと思っていた私だったが「僕も行く、敦賀の時行けなかったし・・・そんな実業団のバスケの試合見たこと無いから」と、次男が言い出した。「じゃ、内海監督と握手して貰うか?」と、私が言うと「えっ!・・・いいの?握手できるの?本当に?」と、この時から興奮していた次男。
 その興奮している次男と運動公園に着いたのは2時前だった。家からの途中、「げんき米」の玄米を精米してきた私たち。その「げんき米」は大事に後部座席に置いてある。
 想像していたのだが、その運動公園は車・車・車でいっぱいだった。公園の外周にも多くの車が駐車してあり、私は徐行しながら西側入り口から県営体育館正面へと車を走らせた。「お父さん、駐車出来るかな?車いっぱいだね!」と、不安を募らせる次男だがそんな時、車の正面に警備の人が誘導していた。私は窓を開け「すいませんJOMOに渡すお米を積んでいるんですけど・・・」と、警備のおじさんに話しかけた。すると、まあ・・・何と言う事でしょう!(リフォーム番組か!)体育館正面に1台分の駐車スペースがあったのだ。
「運がいいね!」と、驚く次男。車を止め、外に出た私と次男のもとに、先ほど誘導してくれた警備のおじさんが近づいてきた。「お米ですか?」と、おじさん。私は後部座席の「げんき米」を見せると・・・そのおじさん「盗まれないようにちゃんと見てますから、ご安心して下さい!」と話すのだ。
「すいません、お願いします!」と、頭を下げた私。何ともここまで警備してくれるのかと驚いた私だった。
 体育館からは歓声が聞こえてくる。「お父さん、もう始まってるの?」と、次男が聞いてきた。「いや、中学生の試合があって、その後だからまだだよ!」と、話した私
。  JOMO富士通の試合の前には、男女中学生福井県選抜滋賀県選抜の親善試合があるのだ。勿論、この選抜チームには明道中学校の生徒も選ばれている。
 体育館の入り口、次男は私の後ろにピタリと寄り添っていた。そんな時、「藤田さん」と、声がした。声の方を見ると長男の中学時代のバスケ部の監督でもあり担任でもあった明道中学校M先生だった。「あっ、先生!」と、挨拶したのだが、そのM先生どう見ても体育館から出てきた様子で「負けていますよ、最後までいたいのですが子供が限界で!」と、連れて来た息子さんを見て笑いながら話したのだ。「じゃあ・・・」と、別れたのだが「負けている???」の意味がこの時の私には把握できていなかったのだ。
 嫌な予感がした、急いで体育館に入り1階関係者通路から体育館を覗くと・・・すでにJOMO富士通の試合は始まっていたのだ。しかも前半2クオーターが終わり後半に入っていた。「やばい・・・」と、後ろにいた次男を私の前へと移動させ、試合が良く見える場所へと連れて行った。
 昨年10月敦賀市での試合と比較しても体育館は超満員で、すでに空席は無く、立ち見の観客も大勢いた。私と次男の立っている場所は丁度、JOMOベンチ側で私の10Mほど前にはコート外から指示を送る内海監督がいた。しかし、その顔は苦悩の表情で・・・スコアボードを見ると・・・JOMOはやはり負けていたのだ。
 次男は初めて見る全日本クラスのバスケのプレーに少し感動の様子。目の前で繰り広げられる女子の大型選手のプレーに「すごいね!ほんとに・・・女子なの?」と、瞬きを忘れ凝視していた。
「ほら、あそこにいるのが内海監督だよ。あの大きい選手が193センチの山田選手だよ」と、JOMOチームを教えだした私に、次男は「うん・・・うん」と、頷いている。
 そして、そんな私の話?解説?に耳を傾けながら首からぶら下げたデジカメを手に撮影をしようとした次男。「今はダメ!試合中はフラシュが光ると選手が眩しいから・・・」と、次男を戒めた私だった。
 第3クオーターが終わり4659JOMOは負けている。13点差は挽回不可能な点差ではないものの、ここまでの試合の流れを見て・・・・まず、無理かな???と感じた私。全ては最後のクオーターで決まる。JOMOベンチでは内海監督が選手に激を飛ばし作戦を指示している。コーチのトム・ウィスマンも帯同通訳の古賀さんを通じて個人にフォーメーションの確認をしている。
 私より三歳年下の内海監督全日本の監督そしてこのJOMOの監督として精神的に苦悩の毎日の事だろう。高校(能代工業高校)大学(日本体育大学)実業団(日本鉱業)全日本チーム名選手として活躍したその面影は、今は無く少し白髪が目立った名監督の顔となっていた。
「頑張れ、内海!」と、心から応援していた私。だが、俯き加減で歩く内海監督は、どこか寂しそうな感じもしていたのだ。名門JOMOの監督とは・・・プロ野球で言うならばジャイアンツの監督のような存在なのだ。勝つことが義務づけられたチームなのだ。
 また、私も経験(女子高校コーチ・ミニバス女子監督)があるのだが女子チーム男性監督とは難しいものなのだ(内海監督と一緒にするな!レベルが違うよ!)
 リーグ戦の大詰め、そして同率で向かえた大事な首位攻防の試合がこの福井で行われている。「勝ってほしい!」と、私は思っていた。それは、昨年の敦賀での試合も負け(5568)・・・今日も負けなら・・・内海監督の福井の印象が・・・と思っていたのだ。
 第4クオーターが始まった。観客席からは両チームにいる福井県出身選手JOMO川畑宏美・福井商業出)(富士通畑恵里子・足羽高校出)にも大きな声援が送られている。
 だが、本来ならJOMOの得点源であり中心プレヤーの一人でもある川畑選手は怪我で精彩を欠き、ベンチを温めている(これは痛い!)
 一時、連続得点で差を縮めるものの富士通のアウトサイドからの確実なシュートはその点差からか余裕にも見えた。逆に余裕が無くなったJOMOはフロント・コートにボールを運ぶと短時間での3ポイントシュートを試みるが、ことごとく外れていた。リズムが悪い・・・シュートはリズムで打つものだ!
 終了のブザーが鳴った。6076の16点差でJOMOは負け、この時富士通の1位JOMOの2位が決まった。リーグ戦上位4チーム(3位・シャンソン化粧品、4位・トヨタ自動車)によるプレーオフ(3回戦制)24日から始まるのだが、ここで内海監督の秘策と選手奮闘に期待したい私だった。
 内海監督やスタッフ選手は急ぎ足で控え室に引き揚げた。大勢のファンに囲まれながらだが、選手はそのファンに対応することなく下を向いていた。
 試合前、JOMOチームのベンチの真後ろに座り、内海監督と挨拶をしようと考えていた私、だがこの試合がどれだけ大事な試合であるのかも分かっていた。「大事な試合だから、握手が無理だったら・・・ゴメンな!」と、次男に話していた私だったのだが・・・・この状況では次男との約束も果たせそうにない。
 控え室前の通路・・・係員立ち入り禁止とばかり仁王立ちで関係者以外を遮断していた。私と次男はその係員の前にいた。すると、控え室から内海監督やスタッフが出てきた。だが、そのスタッフや日本バスケットボール協会関係者と何やら真剣な話をしている。私と次男、そして内海監督との距離は・・・10b!
 私は「古賀さん」と、帯同通訳の古賀さんに声をかけた。すると「あっ・・・どうも!」と、挨拶してくれた。その時関係者との話しを終えた内海監督がこちらに歩いてきた。私は次男を前に置き、内海監督に声をかけようとしたのだが、突然・・・数十人の若い女性が監督と私の前に割り込んできたのだ。
 どうやら彼女たちは控え室から出てくるJOMOの選手を待つファンのようだ。うつむきながら歩く監督が通り過ぎようとしたとき・・・「内海君!」と、声をかけた私。すると「あっ・・・藤田さん!」と、立ち止まった監督。
 私は「試合、残念だったね!プレーオフは期待してるから」と、話すと「有難うございます」と、私と握手をしながら微笑んだ内海監督だった。
 そして「内海君、これ息子!握手してやって」と、話すと「そうなんですか・・・こんにちは!」と、笑顔で次男と握手してくれた内海監督。次男は緊張しながらも全日本監督との約10秒間の握手をしたのだった。
 この後、内海監督と私はあれやこれやと立ち話だったのだが、別れの最後に再び握手した内海監督の手は・・・プレーオフでの勝利必ずと、そんな力のこもった意味が握り締めた手から感じた私だった。
 体育館から外に出ると、そこは多くの人の流れで立ち往生状態だった。プロ野球とまでは言わないものの、この体育館にもそうとうの観客が入っていたようだ。明道中学校バスケ部の生徒もいた。名門北陸高校バスケ部の選手の姿もあり、やはり年に数回しか行われない福井での日本リーグの大会は人気を呼んでいた。
 こうなると・・・・当然・・・車は・・・渋滞に巻き込まれ・・・・運動公園から外に出るまで15分!
 ようやく渋滞から解消された時、助手席の次男を見るとその次男は自分の右手を見ていたのだ。右手???そう、その右手は先ほど内海監督と握手した右手なのだ。
 次男にとって、おそらく生まれて初めて有名人と交わした握手だろう、それは芸能人でもなく政治家でもなく・・・・全日本監督内海知秀氏だったのだ。「握手してもらってよかったね」と話すと「うん!」と答えた次男。そして「僕、今日は手を洗わないから・・・」と、興奮冷めやらぬ次男は帰宅までその右手を何度も何度も見ていたのだった。
 私が幼稚園(常盤幼稚園)の頃、当時三国にあったレジャーランド(ジャングル風呂が有名だった!)「♪お〜い、中村君」の歌で有名だった若原一郎さんに握手してもらった記憶があるのだが・・・・「ぼくのお名前は?」「幸治です」「そう・・・幸治くんか!」と、若原さんとの短い会話は今でも鮮明に覚えているのだ。
 次男は今日の内海監督との握手を何時まで記憶するのか分からないのだが・・・・数年後には、その次男の右手は・・・可愛いい恋人の手を少しはにかみながら握る事になるのだろうね!(おそらくね?いいなぁ〜!)


△男の酒のつまみ・・・223
 牛すじの煮込み!
 私が居酒屋に行くと必ずオーダーするのが牛すじの煮込みで・・・私の大好物の一品となっている。そこで自宅でこの牛すじの煮込みを作ることにした私。だが、家庭で牛すじの煮込みを作るのは意外にも大変な作業となるのだ。
 牛すじ肉を鍋にたっぷりの水でコトコトと煮込む。あくを丁寧に取りながら約1時間。ここで火を止め、牛すじ肉をざるに上げ、水洗いする。
 一口大にちぎって下茹でした蒟蒻(こんにゃく)と、千切りした生姜を用意、再び鍋にすじ肉・蒟蒻・生姜を入れ、またまたたっぷりので茹でる。沸騰したら、お酒醤油砂糖を入れ煮込む。ここから約30分、少しの味噌を入れ味を整えて弱火でコトコトと!
 煮込んだ時間だけこの牛すじ煮込みは美味しくなりますよ!きざみねぎをたっぷり乗せ・・・「いただきます!」最高に美味しいですよ!
 ただし・・・すじ肉を煮込む時の臭いは我慢!我慢!


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【二月の八/友人からの電話!】2月20日(火)

 たぶん・・・ひと月前だったか?・・・「今年は、インフルエンザの患者は例年よりも少ないです!」と、テレビで福井市内の某病院の医者が話していたのだが、子供を持つ親にとって「それは・・・いい!」と、そのコメントに安心していた呑気な私だったのだが、花粉症でもない次男(小6)がこの大事な時期(卒業前)に来て、何やら・・・くしゃみが目立ち・・・ティシュを大量に使っている。
 新聞を見ていてもここ数日には何校かの小学校学級閉鎖やら学年閉鎖と目立つようになっている。昨年、インフルエンザ大流行により「タミフルが足りない!」と、騒がれていたのだが、今年もそのタミフルは必要になっている。
 タミフルについては色々とクランケ??失礼!患者との相性もあり厚労省を疑うわけでもないのだが、その安全性については少しの疑問がありそうだ。次男のくしゃみが・・・・タミフルを使わなければいけないインフルエンザでないことを祈らなければならない(それにしても良く風邪を引く次男だ!)
 そんな次男の事を少し気にしながらまたまた明道中学校田中先生職員室に訪ねたのだが、その職員室の前には数人の生徒が立っていた。職員室の扉は閉まっているのだが、その生徒達は入室する様子もなく・・・ただ立っていた。
 私の顔を見て「こんにちは!」と、挨拶する生徒に
「どうしたの?入らないの?」と、声をかけると
「今は入れないんです!」と、言う生徒達。
「ん・・・?職員会議でもしているのか?」と、職員室の扉の上を見ると《テスト期間中入室禁止》と、赤いランプが付いている。
「そうか・・・今、試験中なのか!」と、何故か私もしばらくその生徒達と共に職員室の前で待つ事にした。・・・・約3分・・・と、この時ようやく気が付いた私(気付くのが遅い!君は中学生か?!)照れ臭さ?恥ずかしさを生徒達に気づかれないように職員室の中に入ると、そこはいつもの雰囲気の先生たちがいたのだ。
「ご苦労様です!」「こんにちは!」と、私の顔を見て笑顔で声をかけてくれる先生達。そして、職員室中央の田中先生のもとに近づくとこちらも笑顔の田中先生「お疲れ様です!」と、応対してくれたのだ。
 勿論、職員室の前での事は内緒にして・・・・簡単に用件を済ませた私は再び車で仕事へと向かった。車窓からは二月とは思えない春の陽気が見えていた。そんな春の陽気に誘われてか「高須町に行きたいな!」と、独り言を言いながら珍しく雪の無いこの時期に仕事が忙しい事を喜んでいたのだった。
 明道中学校を出て、すぐそばにある田原町〔たわらまち〕(「サラダ記念日」で有名な歌人・俵万智さんの名前はここから!)踏み切りで一時停止、左右の確認をしてアクセルを踏んだ時だった、助手席に置いていた携帯電話が鳴ったのだ。左手で携帯電話を取り・・・表示を見ると・・・懐かしい友人からだった(運転中の携帯電話は禁止だよ!)
 東京に住む友人からの一年振りになる電話だった。福井市出身の彼は東京の大学に進学すると、そのまま都内の企業に就職し・・・今はその企業で部長となっている。大学時代の彼女が・・・奥様となり・・・一男一女の良き?パパでもある(おそらく???)
 昨年の夏に帰省した時に片町で飲んだその彼は、その夏からこの高須城日記を毎日見る?いや、毎日チェックする読者となっていた。そんな彼からの仕事中の電話に驚いた私は、車を踏み切りを渡ったすぐそばの駐車場に止めた。
「久しぶり」
「藤田、元気か?」
「おう、まあな。何や・・・珍しいな、今・・・仕事中やろ?」
「おう!貧乏暇無しでやっとるわ!」
「俺も同じや!」
「そうか!」
「ところで、何や?福井に帰って来るのか?」
「いや、電話したのは・・・高須の日記の事や!」
「ああ・・・高須城日記か?」
「あのさ、この前NHKの農業改革を書いたやろ。で面白かったんだけど、最後のところで中山間地の事を飛ばしたやろ・・・あれは書かないと!」
「お前・・・良く見ているな?」
「当然!・・・どうせ藤田の事だからビデオに録画してるやろ?・・・だから書けよ!」
「何や、それが用件か?」
「そうや、楽しみにしてるからな!また、電話するわ・・・じゃな、忙しいから!」と、電話を切った彼だった(忙しいなら・・・電話するな!)
 相変わらず、何十年経っても電話では福井弁を使う彼だが、そんな久しぶりの彼からの電話が・・・私は嬉しかった。
 彼の言う中山間地の事だが、【二月の三/農業改革が齎す波紋!】の中で紹介した、NHK特集の中での事だった。確かに彼が話したように高須町などを含む中山間地問題を飛ばす内容になっていたのだが・・・・やはり彼のご要望通り、ここは改めて書かなくてはいけないだろう。
 NHKスペシャル「誰が支える?あなたの食卓」から、中山間地の実情を・・・・。
 大規模化を進める日本の農業、その中で山間(やまあい)地域とその周辺地域を中山間地(ちゅうさんかんち)と言う。日本の農地の約四割を占める中山間地の今は・・・・。
 この日、紹介された中山間地は高知県大豊町(おおとよちょう)。山の斜面には小さな棚田がつらなっている。高須町と同じように山間地ならではのの差により昔から美味しいお米が収穫できる地区だ。
 町は平成八年度《大豊町中山間ふるさと支援事業・(株)大豊ゆとりファーム》という第三セクターを立ち上げた。この第三セクターは、高齢化により耕作が出来ない農家から田んぼを借り、お米作りをしているのだ。
 一つ一つの田んぼの大きさは0.1fに満たないもの。機械が使いにくく農作業は時間がかかるのが棚田での米作り、そこで田んぼの面積を広げる「狭地直し」に取り組んだのだ。 「狭地直し」とは、斜面の上にある棚田を削った土で下の棚田を埋め立て、広い田んぼに作り変える事をいうのだ。田んぼを広くすることにより大型機械が入り農作業効率が上がることを狙ったのだ。
「狭地直し」の工事費は県と町とで7割を補助、これまで3億円を投じてきた。昔からの棚田の風景を変えてでも広い農地に変えようとしたのだ。
 ところが・・・期待した収益の増加とはならなかったのだ。米価がこの十年で約25%も下落し、コストを削減した効果を打ち消してしまったのだ。更に、国の構造改革で町の財政も悪化「狭地直し」の補助金も三年前に打ち切りとなったのだ。
 ここで農業を営む佐々木さん(71)と奥様(67)は、今ある棚田を「狭地直し」にして息子さんに引き継ぐ事を考えていたのだが、補助金の廃止により「狭地直し」を諦めなくてはならなくなった。「小さな棚田での米作りは自分達の代で終わってしまう・・・」と、佐々木さんは考えていた。「これから、どうなるのだろう?」「もったいないけど、どうしようもない!」と、悲しい顔を覗かせていた。
 大豊町棚田・・・今、後継者のいない棚田が目立つようになっている。耕作放棄地三割を占めている。「味がいいお米」を昔から作ってきた大豊町には、今回の農業改革に応じられる集落は・・・・一つもない。
 町の農政担当者「こういう山間地域では、国が勧める農業改革の政策の条件には当てはまらない。条件が非常に不利、労力がかさんで機械化も計れない・・・どんなに頑張っても農地は守れない!」と、話していた。
 瀬戸際に立たされた中山間地での農業はどうなるのか!
 ゲストの熊本大学農村社会学徳野貞雄教授は自ら九州や四国の中山間地を歩き現状を語った。 「今の中山間地の農業は、経済的魅力で米作りはしておらず、昔から暮らしの中でお米を作ってきた。殆んどの農家は自給米や縁故米で、お金にならない。お米はプラスアルファーの所得でしかない。集落営農と言うけれど、営農ばかりが大きく取り上げられているが、今はその集落が大きく変わってきている。農業で村は守れない!でも農業を守るために集落は必要なのだ。〔集落〕は人と暮らし、〔営農〕は農地とお金」と、話す。
 そして、これからの中山間地に必要なのはとの質問に対して「今、一番必要なのは・・・後継者なのだが、専業農家としての後継者は考えておらず近場で仕事をしながら面積の小さな田んぼを守って行くことを考えなくてはならない。手伝いと言う感覚で農業をすれば現状を打破できる。だからそのような就業対策が出来る集落がこれからの生きていける道だ。」
 また、「熊や猪問題、道路などの草刈は高齢者にとっては深刻な事、若い人たちの応援は必要になっている。それに、消費者にももっとお米を食べてもらいたい。お茶碗一杯の値段は約20円、一年間で計算すると一万五千円から二万円・・・これでは少な過ぎる。日本の生産者米価は世界一高いが・・・日本のご飯は世界一安い。こういう状態の中で今、食育とか地産地消と言うけれど消費者は必ず安いお米(外国産)に向いてしまう。悲しい現状だが、やはり農家を守るには日本のお米をたくさん食べて欲しいのだ!」と、語った。
 日本の農地四割を占める中山間地では、全国的に耕作放棄地が見られるらしいが、やはりそんな荒れた田んぼを見るのは寂しいものだ。
 国が勧める農業改革が本当に農家の皆さんの事を考えたものなのか・・・実際には、農家の皆さんを苦しめているのでは?評論化でもなく農家でも無い私がこれ以上書く事は出来ないが、ただ、今出来る事は・・・近場の農家のお手伝いと・・・ご飯をたくさん食べること。皆さん安心・安全な日本の美味しいお米をもっと食べましょう!
 今回、思いもよらぬ東京の友人の電話により書いたこの日記だが、あの時(二月の三)では「涙が出そうになるから!」と、書きたくなかったこの中山間地の問題・・・やはり、出来れば書きたくなかったと今も思っていた(あいつめ!)
 それでも、現実から目を背けてはいけない・・・逃げてはならない今の日本の農業問題を多くの人に知ってもらえるお手伝いをした事に・・・少し満足している私だった(でも、何であいつが農業問題に関心があるのか?・・・まあ・・・いいか!)


△男の酒のつまみ・・・224
 長芋とイカ素麺!
 マグロ長芋との相性は抜群なのだが・・・何か他のものではないか?と、くだらない事に頭を悩ましていた私。
 小鯛など数種類で試したのだが、食べて食べられない事はなく・・・まずまずの味なのだ。中でも「これは・・・いける!」と、思ったのは烏賊(イカ)だ。
 烏賊を細く切り素麺風にする。長芋烏賊素麺、そこに醤油とお好みで少しの山葵生姜で・・・後は混ぜて食べるだけ!意外と美味しいですよ!


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【二月の九/気分はすでに・・・中学生!】2月25日(日)

 二月とは思えない陽気の毎日に、例年になく仕事が忙しくなっている私。この日も修理・配達・修理・配達と福井市内を東西南北・・・車のアクセルを踏まなければならなくなっていた。
 そんな時に限って・・・私の回りを・・・うろちょろする・・・次男(まだ小6!)。何か言いたそうに私の顔色を伺っているようだが・・・・ついに「高須町に行こうよ・・・お父さん!」と、言葉を発した。
 そんな次男の甘い誘惑により、昨日・・・車に次男を乗せ、高須町の棚田に行った私。滞在時間・・・僅か10分だったのだが、やはり、この高須町の棚田に立つと気持ちが爽やかになるものだ。歩道を歩く靴音やエンジン音が当たり前に耳に聞こえる毎日から少し開放され・・・・小鳥の囀り、木々の囁き、どこに行くのか?幾つもの雲たちのお散歩が、この棚田に立つ私を癒してくれる(似合わない事を言うなよ!)
 時折・・・頬に感じる冬から春の風が心地よく、目を閉じ深呼吸をすると・・・そこには確かに春の息吹の匂いがしていた(柄にも無い事をしちゃって!)
 やっぱりこの高須の棚田には、少し早い春の風が吹いている。あぜ道を走る次男は泥濘(ぬかるみ)に足を取られながら、それでも楽しそうに久しぶりの高須町を満喫していた(本当に高須町が好きな親子だ!)
 仕事があり、誰とも会わずのつかの間の高須町だったのだが、それでも私も次男も・・・大満足の時を過ごせたのだ。やはり・・・癒しの高須町は・・・今年も・・・ここにあった!(なんじゃ・・・そりゃ!)
 そんな昨日から本日、朝からまたまたくしゃみ連発の次男、「まさか、本当に花粉症か?」と、少し心配になっていた私、「今日は誰とも遊ばず・・・部屋でゆっくりしていなさい!もうすぐ中学生なんだから身体の健康管理は自分でしなくては!」と、次男に話したのだが・・・「お父さん、今日は明道中学に行く日だよ!」と、切り替えされた。
 そう、本日の日曜日は明道中学校にて、新入生対象の学用品の販売がある日なのだ。学生服・体操服・英語&国語辞書・その他諸々と・・・・あるのだ。学校から届いたその学用品一覧が書いてあるプリントを見た私だが、懐かしい中学生時代を思い返す事も無く・・・七年前の長男入学当時の事も昨日の事のようだとセンチになることも無く・・・ただ、その販売品の金額電卓にて合計していたのだった(セコイ話はするな!)。
 合計?????!(一応・・・十万円以内です)には驚いた私と・・・妻、「そんなにしたっけ!」と、ここで長男の入学当時を思い返したのだが、当然・・・忘れている夫婦。そして、こんな時にだけ心が通い合うのだが「あいつ(長男)のお下がりで使える物は無いのか?」と、微妙に出費を抑えようとする二人だった。
 長男の新品同然の体操服(長袖・半袖)学生ズボンを箪笥から引っぱり出す妻と、辞書等を確認する私、しかし規格や柄などの変更もあるかもしれないと、ここは次男がお世話になる明道中学校のお馴染み田中先生に電話で確認すると・・・・「体操服はOK!」・・・「辞書は新しいものを!」と、的確なアドバイスを頂いたのだ(いつも、すみません!)
 私も遠い記憶の中で・・・新しい教科書や学用品が揃う時は嬉しくて、何故か普段にはまるでしない机の上や本棚の整理・整頓をやった覚えがあるのだ(その時だけ!)
 明道中学校には10時過ぎに行くと言う妻と次男、そんな次男の部屋を覗くと・・・・本棚を片付けていた!(間違いなく・・・親子だ!)しかも、妻にサイズ合わせで着せられたのか長男の時に購入した新品の明道中学校半袖体操服を着ていたのだ。「おっ!」と私が声をかけると「似合う?」と、嬉しそうな次男(気分はすでに中学生か???)
 そんな次男をみると、まだ小学校の卒業前だというのに何故か少し大きくなったように見えるから不思議なものだ。まだ、私と10センチ以上の身長差がある次男だが、いつの日にか間違いなく抜かれるだろうと思う私、いや追い越してもらわないと・・・・(目標・・・180センチだよ!)
 この日、免許更新春江運転者教育センターに行った妻だが、本人の予想を覆しての長い講習時間となり、その妻と自宅で待つ次男は「まだかな?まだかな?」と、時計を気にしている。「免許更新は時間がかかるよ!」と、当然まだ免許を持たない次男に説明する私。すると「だって、お父さんはいつも早いんでしょ?」と次男が聞いてきた。「それは、お父さんが無事故・無違反のゴールド免許だからね!」と、自慢しながら私が言うと「でも、お母さん・・・しばらく違反してないから・・・早く終わるって出かけたよ!」と、次男。確かに、珍しく???(ゴメン!)ここ数年は・・・無違反の妻、初めてのゴールド免許を手にできると・・・家を出て行ったのだが・・・・!
「窓口で手続きを終え・・・検査を済ませ、講習を聞き・・・それから新しい免許を貰うんだよ!」と、次男に説明するのだが、「・・・・・?」と、まだまだそのシステム?に理解出来ない次男。そんな話をしていると、ようやく妻から「今、終わった!」と、電話があった。次男は自宅前の道路に出て、その妻の帰りを待っていた。
 妻と次男が仲良く明道中学校に出かけたのは11時を少し回った時だった。学用品が一括で購入出来る本日は、おそらく多くの新入生とその保護者たちで体育館は賑わうだろう。学生服や靴、鞄類に文具関係と業者の方たちも忙しいだろう。そんな事を考えていると私の携帯電話が鳴った。電話は日曜日なのに明道中学校にいる田中先生だった。「藤田さん・・・今、ご自宅ですか?」と、田中先生。「じゃ、今からお邪魔します!」と、田中先生の言葉に慌ててまだパジャマ姿だった私は着替えをしたのだ(呑気な男だ!)
 明道中学校から私の自宅までは、車で約10分。急いで着替えた私は携帯電話を持ち外に出て、田中先生の到着を待っていた。「いいお天気ですね!」と、近所の奥様が私に声をかけながら二階のベランダで洗濯物を干していた。
 しばらくすると田中先生の車が近づいて来た。車から降りた田中先生の手には・・・・次男への入学祝いのプレゼントがあったのだ。「先生・・・すいません!」「いえ、いえ」こんな短い会話だったのだが・・・再び田中先生は学校へと帰って行った。
 12時過ぎに帰宅した妻と次男、田中先生からのプレゼントを見せると・・・大事そうに手に取り大喜びの次男。直ぐに私の携帯電話で田中先生にお礼を言う次男だが、次男の本音は入学祝のプレゼントも嬉しいのだが、田中先生がこの春の教職員の異動で他校に行かない事が・・・一番のプレゼントのようだ。
 数年前から一つの学校での勤務は7年までを基準にした教育委員会・・・これが良い事か悪い事かは難しい判断なのだが公私共にお世話になっている田中先生には次男が入学しても明道中学校で勤務して欲しい!と、願う・・・身勝手な親子だった。
 夕方、「学生服着てごらん・・・お父さん見たいから!」と、次男に話すと「無いよ!」と次男。どうやら本日の販売だが、学生服などは予約扱いとなっていたようだ。そこで長男の中学時の学生服を次男に着せると・・・・そこには確かにピカピカ???の笑顔の新一年生が立っていた。
「早いもんだな!」と、次男の幼い頃を思い出す私と妻だがそんな二人をよそに、その学生服姿を嬉しそうに「おじいちゃん、おばあちゃん・・・似合う?」と、私の両親に見せている次男がいた(頑張れよ!)
 学生服を着ている為か少しだけ大人の顔をした次男だが、その顔は高須町の棚田のあぜ道を笑顔で駆けている次男とは・・・違っていた!


△男の酒のつまみ・・・225
 ブロッコリーのベーコン巻き!
 我が藤田家、家族全員が大好きなブロッコリーだが冷蔵庫の中には欠かさず何株も置いてある(悪くなるのに!)。そこでこのブロッコリー少ない水で蒸し、カリカリに焼いたベーコンで巻くと・・・簡単なつまみに変身する。
 マヨネーズを少しブロッコリーにつけ「いただきま〜す!」注意するのは・・・ベーコンから出るをなるべく取って下さいね!


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【二月の十/これが・・・タミフル???】2月27日(火)

 もうすぐ三月、とうとうこの二月に入っても雪は降らず嬉しいやら・・・少し寂しいやらの間近の福井市内となっている。そんな市内では、「もう降らないだろう!」と、あちらこちらでスノータイヤからノーマルタイヤへと交換する人が多く見られ、いよいよ心も身体も春待ちの準備となっている(三月にも雪は・・・降りますよ!おそらく???)
 そんな中、自宅付近である足羽川近くの歩道の桜並木だが、この暖かい陽気に誘われているのか、つぼみが少しピンクに膨らみかけているように見える(気のせいかな!)
 さて、先週から花粉症の症状にみられるくしゃみ連発の次男(小6)だったのだが、月曜日の朝の登校前に「頭が痛い!」と、言いながら元気なく学校に登校して行った(卒業前だから!)。残り少ない小学校生活だから「頑張って行きなさい!」と、妻の言葉に背中を押されるように・・・それでもうな垂れながら後何日かのランドセル姿の次男だった。
 この日、私は朝から今年度最後の学校評議員会明道中学校であり、無事四年目の評議員会を終えたのは11時過ぎだった。
 少し早めの昼食をと大好物のおろし蕎麦を作り「さて、いただきます!」と、手を合わせた時だった、嫌な予感の電話が鳴り始めた。「はい、藤田です」と、受話器を取ると「こちら順化小学校ですが・・・」と、優しそうな女先生の声(やっぱり!)
「息子さんが今、37.4度のお熱で・・・」の報告に「直ぐに、迎えに行きます、ご迷惑をおかけします!」と、出来立て・・・美味しそうな・・・おろし蕎麦を我慢しながら、次男の待つ順化小学校に急ぎ車でかけつけたのだった(おろし蕎麦が・・・・!)
 車を学校内の駐車場に止め、職員玄関の扉を開けると応対して下さったのは、石村先生(高須城小学校)の奥様だった。笑顔が爽やかな奥様「いつも、お世話になっています」と、私に言われたのだが・・・それは本来・・・私の台詞。恐縮しながら「いつも・・・すいません。子供が迷惑ばかりおかけして」と話すと「いえいえ」と、直ぐに保健室への電話連絡をして下さる奥様だった。
 保健の先生に肩を抱かれながら廊下を歩いてきた次男だが、少し顔が赤くなっていて熱はまだまだ上がりそうな雰囲気だった。石村先生と保健の先生にお礼を言い、次男を車の助手席に座らせた私は「病院に行こう!」と、次男に話すと「・・・・うん!」と、元気なく頷く次男。
 学校から車で5分弱、掛かりつけの近所の病院に次男と入った私。待合室(ロビー)には母親と共に中学生らしい男の子やサラリーマン、そして年配の女性とそれぞれマスクをしていた。受付で症状を話し、体温計を受け取り私の座るソファーに来た次男だが・・・何故かこの病院に来ると・・・少し元気な顔になっている(私も・・・同じ!)
 だが、体温計は・・・38度を超えていて、それを確認すると再び辛そうな顔に戻る次男だった(こいつ!)「お前、予防注射(インフルエンザ)しただろう?」と、聞いた私に「うん・・・去年ね!」と、答える次男(だめだ!)。診察室に呼ばれる約10分、この間にも数人の風邪の症状らしい患者が受付を済ませていた。
 診察室、次男が医者に問診を受けている。すると、「お父さん」と、私を呼ぶ医者の声。診察室に入ると「今日の夕方か、明日の朝にいらして下さい。インフルエンザかの検査をしますから」と、説明する医者。「今はできないんですか?」と、聞いた私に「はい!」と、あっさり答える・・・医者。どうやらインフルエンザの場合、発症から数時間???が経たなければ検査が出来ないらしいのだ。
 夕方の検査を予約し・・・それでも薬を貰って病院から自宅へ戻った次男と私。次男を部屋のベッドに寝かせると、突然・・・空腹感に襲われた私。そう・・・昼食用のおろし蕎麦は・・・テーブルの上で・・・完全に・・・のびていた!
「給食は食べてないだろう?何か食べるか?」と、次男に聞くと「食欲無いからいいよ!・・・でも、咽が乾いたから」と、答える次男。すぐに冷蔵庫の中を覗いた私だが、その冷蔵庫の中には缶ビールが数本と冷酒があった(お〜い!)。次男の大好きな牛乳を探す私だが、すでに次男は飲んでいたらしく近所のコンビニまで車を・・・いや自転車を飛ばした私(久しぶりに自転車に乗ると・・・太ももが筋肉痛に!)
 牛乳果汁100%林檎ジュース、ついでに遅くなった自分用にと弁当(とんかつ弁当)を買い自宅に戻ると、更に顔が赤くなっている次男がいた。「大丈夫か?辛いか?」と聞くと「だい・・・じょう・・・ぶ!」と、すっかり大病人となっている次男。ゴクゴクと牛乳を飲み干し横になった次男、そんな次男のおでこを触りながら「夕方・・・病院に行こうな!」と話す私(親してる!)
 夕方、虚ろな眼をした次男を車に乗せて再び病院に行きインフルエンザの検査をすると・・・「Bですね!」と、話す医者。つまり・・・やっぱりインフルエンザになっていた次男だったのだ。「木曜日まで学校は休んで下さい。息子さんは体重40キロ以上なのでタミフルを1錠づつ飲ませて下さい!」と、説明を受けた私。診察後、受付で清算とそのタミフルが入った薬袋を受け取った。「これが・・・タミフルか?」と、初めてみる有名な???薬を手に取る私。
 夕食後(勿論・・・お粥!)そのタミフルを飲んだ次男だが、スウスウと寝息をたてながらインフルエンザと闘っていた。妻と私、深夜や夜明け前と何度か次男の様子を見に行くのだが「氷枕して!」「咽が乾いた!」と意外にも元気そうな声の次男に「やっぱりタミフルが効いているんだね!」と、この時まで呑気な夫婦の会話だったのだ。
 翌日・・・新聞やニュースで大騒ぎになっていたタミフル使用後に起こった不可解な中学生の事故インフルエンザが問題なのか、タミフル自体が問題なのか・・・厚労省でも明快な回答は出ていない。この騒ぎに・・・突然慌てだす私たち夫婦(仕方ないですよね!)「大丈夫かな!」「心配ね!」と、次男の様子を見に行く回数が増えていた。
 そんな私達に「大丈夫だよ!何回も来られると煩くて眠れないから静かにしてよ!」と、もっともなご意見の次男。病院に置いてあった〔インフルエンザに要注意!〕〔インフルエンザと風邪はどうちがうの?〕の二冊のパンフを読む私はこの後、パソコン検索にてタミフルを調べたのだった(だから、調べてどうなる???)
 新聞では、またまた県内の小学校数校が学級閉鎖学年閉鎖との記事が載っていた。私は次男の部屋にそっと入り、眠る次男の様子を見ながら勉強机の上にある小6教科書を捲っていた。こんなの習ったかな?なんて思いながら暫く子供の頃を思い出していると「お父さん、何してるの?」と、次男から声がかかった。「辛いか?」「うん、少し!」そんな会話だった。私は新聞記事のインフルエンザによる県内小学校の事を次男に話すと「順化小学校でも何人か休んでいるよ!」と、話す次男。やはりこの時期には全国どこでもインフルエンザの猛威が押し寄せているみたいだ。
 次男の椅子に座り、ベッドに横になっている次男と無言の時間。何故かお互い照れくさいような気がするものだ。「高須城小学校は大丈夫かな?光くんと岬ちゃんはインフルエンザにかかっていないかな?」と、ここでも大好き高須町の事が気になる次男(自分の事を心配しろよ!)
 益々・・・ニュースや特番などで話題の中心となっていくタミフルによる幾つもの事故、しかし原因は究明されておらず次男への心配は深まるばかり。ここで次男の枕元に置いてあるタミフルが入っている薬袋を私達夫婦の部屋へと移動したのだが・・・すでに3錠を呑んでいた次男だった。
 熱は治まりつつある次男、そんな次男の症状を見ながらタミフルを飲ますことにした私だった。「タミフル使用後は数時間患者から離れないで下さい!」と、テレビで話すゲストの医者、そんな話を聞きながら「このタミフルって錯乱状態になるのかな?・・・俺、一度試してみようか?」と、妻に話すと「止めてよ、それでなくても貴方はいつも錯乱状態なんだから!」と、切り返す妻(おい、どういう意味だよ!)
 二日目夜、次男の熱は平熱となっていた。少しづつ食欲もでてきたようだ。「お粥よりもうどんがいい!」「もう少し量を大目にして!」と、こんな感じで病人?ならではの我がままも言う次男。こんな次男の様子にほっと安心する妻と私、それに私の両親だった。
 タミフル問題は早急に結論を求めるものだが、やはり我が子の回復状態に「よかった!」と安堵していた夫婦だったのだ。だが・・・この数時間後・・・名古屋にいる長男から「僕、インフルエンザになったから!」と、辛そうな声で連絡が入ったのだった(おいおい!タミフルは飲むなよ!)


△男の酒のつまみ・・・226
 ニラ入り野菜たっぷり豚肉炒め!
 ニラ1束・モヤシ・キャベツを用意し、豚肉はバラ肉を一口の大きさに切る。フライパンに油、ニンニク&生姜のみじん切りで香り付け。豚肉の両面が焼けたらキャベツを入れ軽く塩・胡椒。キャベツに火が通ればニラ・モヤシを入れ、ここでXO醤と数滴のウスターソース豚肉野菜の相性は・・・バッチグゥー!


高須城日記V(早春編)に続く


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