高須城日記V(立春編)
(平成十八年度・棚田オーナー/福井市 藤田幸治)
【二月の一/雪の日は、83回目の誕生日!】2月1日(木)
ハラハラと雪が舞い降りている。昨年十二月以来の福井市内の雪だが・・・どうやらこの雪もそう長続きとはならないようだ(何か、少し寂しい気もしますね!)。
うっすらと積もった白い道路だが、霙(みぞれ)混じりの雨があり、「バシャバシャ!」(福井だけの表現かな?)と、なっている。過去最低の積雪だと福井地方気象台の発表だが、現在数センチの積雪は、またまた数日後には消えてしまうようだ。
白い雪が少し眩しい私だが、次男は面白そうに足跡を付けている。我が家で唯一・・・毎年、その足跡が大きくなっている次男だが、そんな雪遊びをしている次男の姿をみると春から中学生になるとは思えない私だった。
そんな次男に「おい、祖父ちゃんにお誕生日おめでとうって言ったか?」と、聞いた私。「えっ!・・・・・あっ!忘れてた」と、慌てた次男。そう、本日二月一日は私の父の誕生日だった。
大正十三年二月一日生まれ・・・・つまり、八十三歳となる父(元気だ!)。その父に、朝食の時だが「おめでとう!」と、言った私に「へへへ・・・」と、さほど嬉しくなさそうにしていた父(もう・・誕生日が嬉しい歳でもないのか?)。その時「今日は誕生日?忘れてた!」と、母のかん高い声。
何十年も連添った夫婦なのに、夫の誕生日を忘れていた母だが少しばつが悪そうに「ケーキでも買わないと・・・」と、話を摩り替えていたのだった(さすが!)。
八十三歳の父と七十八歳の母、少し?物忘れが目立つようになってきたのだが、古い話だけは覚えているから不思議なものだ。子どもの私には非常に厳しかった父だが、やはり孫(長男・次男)にはとても優しく可愛がる父(差がありすぎる!)。これで曾孫ともなればどうなる事か???まあ・・・いつまでも元気で、今度はその曾孫の顔を待っていて欲しいものだ。
さてさて、最近の事だが新聞で気になる話題が掲載されていた。それは高須町?の事ではないのだが、農家に関わることなのだ。その記事だが、北海道北見市での米泥棒があったのだが、それが・・・兄弟三人によるもので、しかも2,800キロものお米を盗んだと言うのだ。米穀店倉庫から盗んだ30キロ入りの玄米94袋だが、私はこの記事を読んだ時、当然盗んだお米を売り飛ばしたものだと思っていたのだが・・・・実はこの三兄弟が自宅で食べたと言うのだ。警察が自宅から押収した時にはすでに50袋分を食べたらしく、約40袋だけが残されていたと言うのだ。
農家の倉庫からお米を盗む・・・と、言うのはたまに聞く話なのだが、それにしても94袋ものお米をどうやって盗んだのだろう???当然、倉庫にトラックを横付けして三兄弟で「せっせ・・せっせ!」と、協力しながらこの窃盗行為をしたのだろうが、何を考えているのか(いやはや!)。
また、同じ日の別の新聞の記事だが、越前町の水仙無人販売コーナーの話で、販売されている水仙の料金を払わず持ち去る者がいるというのだ。この無人販売コーナーでは以前にも料金箱が無くなることもあったらしく相次ぐ被害に頭を抱えているそうだ。一束・二百円で売られている水仙だが、栽培農家の皆さんが丹精込めて作った水仙を無断で盗む行為は当然許しがたいものだ。
郊外を車で走るとこのような無人の野菜等の販売所があるのだが、「こんなに量があるのに、こんなに安いの?」と、感じるものだ。農家の皆さんのやさしい行為を思うなら絶対止めて欲しいものだ。
このような記事を読むと、日本人のモラルはどこにいったのだろう・・・と、ついつい感じてしまうのだが何か大きく溜息が出てしまう暗い記事ばかりに農家の皆さんのご苦労が報われない気がする私だった。
△男の酒のつまみ・・・217
里芋のねぎ味噌づけ!
里芋・・・は、煮っころがし!が当然の福井の私達だが、少し変わった食べ方?いや、味で食べたくなった私。台所のテーブルの上には、母がどこかで買ってきたねぎ味噌の瓶が置いてあった。
そこで、里芋をよく洗い皮つきのままでボイルする。竹串がスッと通ったら茹であがり。皮を剥き、そのねぎ味噌で頂く。甘めの味に慣れていた私には、この少し苦い味がお酒のお供となるのだ。
高須城日記Vのトップに戻る
【二月の二/親子で映画鑑賞に・・・!】2月4日(日)
見事に・・・雪が消えてしまった福井市内。朝夕冷え込みはきついものの午後になると春の気配?のポカポカ陽気となっていた。日曜日・・・珍しく次男のスケジュールは空いていた(芸能人か?!)。
昨日の夜、いつものように晩酌をしている私に、いつものようにパソコンのオンラインゲームで寛ぐ次男(間違いなく、親子だな!)。
そんな次男に「明日の予定は?」と、私が聞くと「何も無いと思う?」と、次男が答えた(思う???って・・・何だ!)。
そこで、「じゃぁ、映画でも行くか!」と、私が言うと「本当に!」と、パソコンのキーボードから両手を離した次男(喰いついた!)。そこで「何の映画を観たいんだ?」と、次男に聞くと「どろろ・・・」と、答えたのだった。最近、テレビで宣伝している妻夫木聡&柴咲コウの「あれか!」と、思った私だが、そこは「えっ!トトロ?」と、ギャグを飛ばした私だった(・・・・・)。
「違う・・・違う、どろろだよ!」と、反撃?の次男に「知ってるよ!凄いCGの映画だろ」と、一応・・・親の面目?。
そんなこんなの親子の会話で、本当にその映画に行く事になってしまった本日の日曜日。とりあえず、新聞の映画館情報で上映時間を確かめた私、朝一番の上映時間は9時50分だった。「場所は・・・テアトルサンクか?」と、こちらもご近所ならではの頭の中での場所確認だった。しかし、よく確認すると《テアトルサンク3》と書いてある。「3・・・って?」と、急に自信が無くなった私はパソコンにて「テアトルサンク」を検索したのだ。すると、テアトルサンクの1〜3と4・5と場所が分かれていたのだった。ここでようやく思い出した私「そうか・・・そうだったよな!」と、久々の映画館行きにしばらく思い出し笑いだったのだ。
「前に映画館に行ったのは、いつだったかな?何を観たんだっけ?誰と行ったんだろう?」と、遠い記憶を辿ったのだが・・・当然、直ぐには思い出だせない私(まあ、いいか!)。
時計の針は9時を過ぎていた。まだまだ起きて来ない日曜日の次男、「あいつ、忘れているな!」と、少しのお冠状態で次男の部屋に入ると・・・やっぱり熟睡状態の次男。
そんな次男の上にまたがり「起きろ!」と一喝。すると私の体重の重さに「うっ・・・・う!」と、苦痛の顔の次男。「おい、映画行かないのか?」と、まだ目の覚めない次男に問いかけると「・・・・いく」と、かすれ声の次男。
誰に似たのか???時間にルーズで呑気な次男(妻だな!)。起こしてから数分経つのだがまだベッドの上であぐらをかいての夢遊状態の次男。そんな次男に「おい、映画を止めて、高須に行くか?」と、話すと「高須も行きたいけど、今日は映画!」と、ようやくベッドから離れた次男だった。
トイレ、洗面、着替え、そして軽めの朝食を済ませた次男は、「お父さん、お待たせ!」と今度はキリリとした声で話していた(ふざけろよ!)。
外は春のような日差しだった。「天気もいいし、歩いていくか?」と話すと「間に合うかな?」と、次男が答えた(お前が言うな!)。
で・・・やっぱり妻に車で送ってもらった私と次男(おいおい!)。しかし、これが正解だったのだ。
テアトルサンクの入り口に着くと、チケット売り場には数十人の行列が出来ていた。しかも、そのチケット売り場の窓口は一つで対応しているのだ。何故だかマイクを付けた係の女性が「映画は何ですか?どろろ・・・ですか?大人2枚ですね!お車でお越しですか?駐車券は?」と、お客一人に時間が掛かりすぎる状態なのだ。その間にも続々とお客が並んでいる。
私は、次男に三千円を渡しその列に並ばせた。中々進まないその列に、誰もが上映時間を気にしていた。携帯電話での時間は開演5分前となっていた(少しイライラの私!)。次男の前にはまだ5人が並んでいるのだが・・・・ここでもそのお客の中には財布を手にしていない人が数人いるのだ(直ぐに払えるように、用意しとけよ!)。
次男の順番がきた。「どろろ・・・で、大人一枚小学生一枚」と早口で話す次男(いいぞ!急げ!)。しかし、ここでもまた窓口の女性が「お車でお越しですか?駐車券は?」と、小学生の次男に聞いてきたのだ(おいおい!)。すると、余程緊張していたのか、次男は私の顔を見たのだ。「要らないよ!」と、顔をふる私に次男は「いりません」と、窓口の女性に答えたのだ(完全にイライラモード!)。
この後、直ぐにエレベーターに乗り3階まで行った私と次男、この時・・・時間は上映時間ギリギリとなっていた。映画館中央座席に座った二人だが「何か・・・飲むか?」と聞くと「うん!」と答えた次男。千円札を渡し、再び次男はホールの売店に向かった。コーラ&オレンジジュースを買い、私の横に座った次男。その時、会場が暗くなった。
予告の映画が始まった。《パフューム》「その香りに、世界はひれ伏す!」・・・どうやら中世フランス?をテーマにした、香水造りの男の話だ。
その予告の後、いよいよ「どろろ」が始まった。映画館ならではのスピーカーからの大音量、「やはりDVDとは、迫力が違うな!」と、囁いた私に「うん!」と、横の次男が頷いた。スクリーンに映る過去か未来か・・・と、定かでない乱世の時代の設定だった。手塚治虫先生原作のこの「どろろ」は「正義」「勇気」そして「希望」をテーマにしていた。
乱世の世に、天下統一を目論む醍醐影光(中井貴一)は、魔との契約で生まれてくる我が子の身体四十八の部分を捧げ、その野望を我が物とした。我が子が生まれた。しかし、その赤ちゃんは手足はおろか目も心臓をも含む四十八の大事な部分が無い子だった。それでもその赤ちゃんは微かに息をしていた。醍醐はそんな我が子を殺そうとするが妻の愛により川に流される。二十年後、その子は赤子の時に助けられた医師により人口心臓や手足を移植され大きく成長していた。百鬼丸(妻夫木聡)は「お前が旅をすれば四十八の妖怪と出会う。そしてその妖怪を倒すことにより手足などお前の身体の部分がお前のものとなる!」と、琵琶法師の助言により妖怪を倒す旅に出る事になる。旅の途中で知り合ったこそ泥・どろろ(柴咲コウ)と共に魔物に奪われた我肉体四十八を求める旅となる。
簡単に言えば、そんな内容の映画なのだ(説明が下手ですいません!)。どろろの原作漫画を読んだことがない私と次男は、いつしか映画の中に引き込まれていた。迫力ある魔物との対決や想像以上のCGシーンでは、隣の次男の口が開いていた。それにしても妻夫木聡は・・・やはり美男子だった。すでに多くの外国にも配給が決まっているとの事だが、その理由もわかるような気がする映画だった。
正午過ぎ、映画が終わった。ふと溜息をついた私と次男。・・・・感動していたのだ。「面白かったよ!」との次男の言葉に「そうか、よかったね!」と、答えた私。「どろろ2があるね!」と次男が話した(そう、まだ妻夫木くんは二十四しか魔物を倒していないのだ!)。
映画館を出ると、ポカポカ陽気となっていて春を思わせていた。「お腹・・・減ったか?」「少し」と、よくある親子の会話。この後、妻を呼び出しラーメンを食べに行ったのだが、それは歩いて帰宅するのが面倒だったからかも・・・・ね。
そうそう、帰りの車の中での話しだが、「どろろ」の前に映画館に行ったのは・・・やはり次男と「ゴジラ」だった。でも三年前だったとか・・・・。
さて、本日早朝、皆様のご愛顧によりアクセス数が二百万件を超えました。「有難うございます!これからも高須町HPを宜しくお願い致します。」
△男の酒のつまみ・・・218
変わり???玉子焼き!
何ヶ月かに一度はマジメに食べたくなる玉子焼き。だし巻き玉子も大好きでよく妻に頼むのだが、今回はシンプルに玉子焼きとなった。それでも何か工夫をと、シソの葉をみじん切りし・・・きざみ紅生姜とともに玉子の中にいれて混ぜる。勿論、砂糖&塩は普通の分量で。意外とイケマス!
高須城日記Vのトップに戻る
【二月の三/農業改革が齎す波紋・・・!】2月5日(月)2月4日(日)
寒い朝だった。月曜日・・・つまりこの地区では《燃やせるごみ》の日で、少し重たいごみ袋を持ちまだ暗い道を歩いていた私。西の空にはほぼ満月に近い月が明るく夜明け前の町並みを照らしていた。それにしても六時前の今朝の寒さは、少し急ぎ足になるくらい底冷えのするものだった。
部屋に戻りテレビを見ると天気予報をやっていた。「今朝の福井市内は氷点下2.8度で、今シーズン一番の冷え込みとなりました。」と、話していた(寒いはずだ!)。「今朝は寒いよ!」と妻に話すと「みたいね!」と軽く交わされた(「ほんとうに、寒いわねぇ」ぐらい言えよ!)。
奥尻島(北海道)にいた航空自衛隊時代、マイナス何度の世界に慣れていたはずの私だったのだが、その寒さもいつの間にか福井に帰ってからは・・・・身体も忘れてしまっていた私(気が緩んでいる証拠だよ!)。
自衛隊時代、風呂上りに自販機でコーラを買い内務班(独身自衛隊の部屋で6〜8人部屋)に戻る。コーラを温めないようにと二重窓の間に置き、髪を乾かすためドライヤーを持ち洗面所に行く。その間数分・・・コーラは、完全に凍っていた!(そのぐらい・・・寒いのです!)
ついでに思い出したのだが、この時期になると夜明け前の寒い朝、基地警備訓練があり基地周辺を幾つかのグループに分かれて警備するのだ。凍った雪とその下の土を掘り、その中で数人が数時間ほど銃を持ち警戒態勢をする。航空自衛隊と言えどもそれが訓練の一貫だからね。しかし、その寒いこと寒いこと。当時はまだポカロンなどは無く、下着を何重にも着込んでいた。
暗い基地周辺・・・掘った壕の中で、私は寒さを紛らわそうと煙草に火を付けた(訓練中は勿論、禁煙です!)。
しかし、暗い所で火を付ければ・・・・目立つのです。直ぐに監視の幹部が「誰だ〜煙草を吸ってるのわぁ・・・!」と、怒鳴り声。ここでその煙草の張本人だった私の行動は?「誰だ〜っ!」と、私も続けて大声を上げたのです。つまり、私のその声で煙草を吸っていたのは私ではナイ事になるからね!(すいません!)
おそらくあの当時、氷点下十何度の世界だったはずなのだが、今この福井の寒さが何故かあの北海道以上に寒さが応える私だ(もう一度、自衛隊に戻って・・・鍛え直せ!)。
さて、このところテレビを見ていると農業関連番組が多いような気がするのだ。もちろんNHKが多いのだが!(川島アナ・・・ごめんね!)
先々週だったか土曜フォーラムでも座談会風にこれからの日本の近郊農業を話していた。そして先日、スペシャル番組《どうする日本・第一弾》として、「誰が支える?あなたの食卓」〜点検・農業改革〜と言うテーマでの放送があった。
今の日本の農業は大改革の時を向かえ、農家は岐路に立たされているという話で始まった。
スタジオにはゲストが二人。そのゲストの前には美味しそうな晩御飯が用意されていた。しかし、一人は現在の料理を中心としたおかず(サラダ・ハンバーグなど)が並んでいるのだが、もう一人のゲストの前には・・・何と四十五年前(昭和三十七年)当時の晩御飯(粕汁・ホウレン草のおひたし・白菜の漬物)が用意されていたのだ。しかし、一番違うのは・・・お茶碗に盛られたご飯の量だった。
つまり、45年前と現在では・・・ご飯の食べる量がおよそ半分になっているのだ。また、食料自給率も76%から40%に下がり、今だ下がり続けているらしいのだ。60%は外国からの食料に支えられている今の日本、その未来を考えるならば今の日本の農業を真剣に考えなければならないだろう。
高齢化・過疎化で悩む日本の農業だが、農業に携わる農家の皆さんは日々汗水を流しながら畑や田んぼを守っている。だが休耕田が増えているのもまた事実、荒れた土地を再生しようという動きは最近になってあるものの、まだまだ少数に過ぎないのだ。
最近、貿易自由化が問題になり外国からは「日本市場を狙え!」と農業輸出国からは日本の農業をさらに圧迫しつつある。世界第三位の農業輸出国のオーストラリアの水田が紹介されたのだが、大きな作付け面積(800f)を持つこの水田は種蒔から肥料散布まですべてセスナ飛行機を飛ばして行っていた。そして驚いたのは、この水田で作られていたのは・・・福井生まれのコシヒカリだったのだ。
日本の平均的農家の約500倍の水田面積。紹介された農家では広大な面積の水田を全て機械化により管理し、低コスト化に成功しお米の価格を下げたと言うのだ。そのお米の値段は日本の約半分「コシヒカリは良いお米だから」と、話す農家の主人は最近では品種改良にも取り組んでいるのだ。
つまり、何故品種改良をするのかというと、「日本人にあった、粒揃いで・・・透き通ったお米にするためだ!」と、開発に余念がないのだ。すでに世界20カ国に輸出されている、このオーストラリアのお米は、近い将来日本への輸出を見据えてその準備は着々と進んでいるという。
このように日本を意識した外国の農家の取り組みは、自由化ともなれば益々、日本の農業を苦しくさせるものになる。
「日本のお米と、外国のお米では比較にならない!問題外ですよ。値段が半分でもお米の味がね」と、考える人は多いだろう。しかし、その味も・・・変わらなくなってきているのだ。味もそこそこで・・・値段が半分だったら?どうなるだろう。日本を意識した、脅威としか言えない外国からの日本農業市場への参入はもうそこまで来ているのだ。
「そんな悠長な話では・・・!」と、お叱りを受けそうなのだが、そう実はすでに少しずつであるがすでに日本に入って来ているのだ。それはアメリカや中国などである。今は高い関税に守られていて殆んど見ない両国の米だが、自由化ともなればやはり市場に流通することは間違いない事になる。
海外に依存しつつあるお米だが問題点も多い事は確かで、地球温暖化が進行しつつある現在では外国などでは常に干ばつなど等があるため平均的な価格は求められないのも実情である。
中国やインドの需要が伸びている現在、やはり日本国内のこれからの農業に大きな目が向けられているのだ。毎日食べるお米・・・古い日本の歴史そのもののお米だから我々日本人にとってこのお米だけは絶やすことは出来ないのである。
「無くなれば、また一から作ればいいじゃないか!」なんて簡単に考える人もいるらしいのだが、一度止めた農地を取り戻すのに数年の歳月が必要となるし、それよりも日本の高い農業技術は絶対残さなければならないのだ。
そんな中、国が打ち出した「農業改革!」米・麦・大豆などある程度の広さを必要とするこれらの物に対して、これまで以上に大規模化を求めているのだと言うのだ(???)。
つまり、今までは一農家が平均的な広さの田んぼで稲作をし、また機械(農機)なども個人で購入していたわけだが・・・これには個々に補助金なども支給されていた。
しかし今後、個人経営は4f(およそ12000坪)・集落農家組織は20fに対して補助をするというのだ。これは生産コストを下げる目的なのだろうが、頭を抱えている農家の皆さんもいると言う。あぜ道を取り除き広い水田の中での共同作業・・・・確かに効率アップにも繋がり、また、他の畑仕事等への時間も出来ると言うのだが、本当に教科書通りに物事は行くのだろうか?
国の調査では《1戸あたりの所得(1f)》として、現在小規模農家が8万円だったのに対し、集落営農になれば43万円の所得になると言うのだ。つまり35万円のアップになる。「これは、いいんじゃない!」「おいしい話だ!」と、単純に考えるのは・・・・おそらく農家の人以外の人だろう。多くの農家の皆さんは、戸惑いと不安を感じているからだ。
「あそこ(他所)は成功したらしいが、ここではどうなんだろう?本当に上手く行くものなのか?」と、考える多くの農家がおられるのが今の日本なのだ。
ここで一つの集落が取り上げられた。東北岩手県の北上市にある上長沼地区だ。高齢化・後継者不足に悩むこの地区は七十二戸の農家が米作りをしている。昨年の事、この集落に集落営農への参加を呼びかけようと農協が説明会を開いたのだ。この上長沼地区では農家の九割が規模が小さく、新しい制度では補助金が受けられないのである。そこで集落営農への切り替えの選択が迫れていたのである。
農家からは「集落営農をやっても、安心して生活出来るのか?何故、国は政策をコロコロ変えるのか?」と、意見が出た。農協が事前に行った《集落営農の何が不安?》と言うアンケートでも・・・・
・思い通りの稲作が出来ない
・収入が減るのでは?
・農作業が雑になる など、農家からは戸惑いと不信感が多く書かれてあった。
この地区の兼業農家の一人O氏(57歳)は、「集落営農には参加しない!」と話す。このO氏は地元の市役所に勤めながら30年以上お米作りをしてきた。個人で揃えてきた農機具などの投資はこれまで1,500万円。田んぼや農機具を共同で使用する集落営農では、今までのように自分のペースでお米作りが出来ないと考えているのだ。「これまでの投資を考えると簡単には参加出来ないという感じがある。自分の土地でありながら、思うような農業が出来なくなる!」と、O氏。過去黒字だったO氏の個人農家収入もここ数年では、多額の投資とお米の値下がりにより赤字続きとなっていた。
「マイナス同士が集まっても、マイナスはあくまでもマイナスで・・・マイナスが増えていくだけ。だから集落営農には参加したくないのが本音です」と、経営が厳しい兼業農家が手を組んでも上手くいかないと、集落営農の先行きにも悲観的なO氏だった。
しかし、O氏とは逆にこの集落営農が地域の起爆剤になると考えているA氏(54歳)。電気店を経営し兼業農家のA氏は「我々が働ける今のうちに地区の農業を何とかして、やれる人が寄り合いながらでも進められる形を作らないと、働き手が無くなる。このまま放っておいたら本当に農業が駄目になる!」と、話す。また、このA氏は集落営農の成功には大規模専業農家の参加が必要だと考えていた。
この日その専業農家を訪ねたA氏「農作業にたけた人たちが何人かいないと・・・。何とか協力をもらいながら今後やっていければ!」と、話した。これに対し専業農家は「私は今まで通り、このまま一人で出来ますよ。何故、無理してAさんと頑張らなければならないのか?」と、期待した返事は返って来ない。
共同で稲作を・・・!今までのように一人で・・・!こんな話を聞いていると、どの意見も正しいような気がする私。
しかし、時間が無い。新たな制度のスタートまで残り二ヶ月・・・・集落営農に向けた農家の足並みはまだ揃っていないのだ。
そしてまたこの新たな農業改革に対して問題点が出てきたのだ。それは現在、大規模専業農家の屋台骨を揺るがす事だった。
同じ北上市・北藤根地区で回りの農地を駆りながらこれまで大規模に農業を営んできたI氏(59)。耕作面積はこの地区最大の25ヘクタールだが、この内約8割が借りている農地だった。I氏はこれまで20年をかけて大規模化を計ってきて、これからも更に農地を増やそうとしていた。
ところが今、集落営農を立ち上げる農家から土地を返して欲しいと求められているのだ。返して欲しいと言われている農地は全体の4割の8ヘクタールで、この農地を返すとT氏の年収は250万円の減収になる。