高須城日記V(早春編)
(平成十八年度・棚田オーナー/福井市 藤田幸治)
【三月の一/高須町にまた勲章が!】3月1日(木)
私がまだ幼かった頃、「ねえ、どうして一年は365日と366日があるの?」と、父や母に質問していた。4年に一度訪れる閏年、その閏年を聞くとまたまた「じゃぁ、2月29日に生まれた人はどうなるの?誕生日のお祝いは4年に1回だけなの?」と、こんな事を不思議なくらいしつこく聞いていたのを記憶している(私だけかな?)。
4年間で一つだけ歳が増える???なんて馬鹿な事を考えながら「じゃぁ、8歳の子は2歳だね!」と、自分で変に理解していたから笑ってしまうものだ。
2月29日生まれ、戸籍上では3月1日生まれとなるらしいのだが、4年に一度のその日に誕生する確立は相当にあると言うのだ(そりゃそうだ!)。
閏・・・暦の上で一年の日数や月数が平年よりも多い事。暦の上の季節と実際の季節とのずれを調節するもの。太陽暦では一年を365日とし、地球の公転周期365日5時間48分46秒との差を四年に1回、二月を1日多くして29日とすることで調節する(辞林より)
さて、今年ももう三月に入りいよいよ高須町も少しずつ活気をおびてきた。雪の無かった今年の冬、例年よりは多少行動範囲が広くなっていた高須町の皆さんだが、呑気な私から見れば「何しに行くの?」と言ってしまいそうなくらい、毎日畑や田んぼにと勢力的に通勤???されていたのだ。
そんな高須町の道で車を走らせていた私だが、顔馴染みとなったお婆ちゃんに挨拶すると「藤田さんけ?今日は何処いきなさるんや?」と、質問された。「ちょっと、棚田の写真を撮りに・・・」と、答えると「学校(高須城小学校)が無くなるんで・・・寂しい話やのう・・・」と、突然話が変わり、やはりこの町のシンボルであった小学校の休校問題は寂しい影を落としているようだ(私もです!)。一つの町に一つの学校として長い歴史の中に人々を育んできた高須城小学校、その最後の卒業式は・・・今月16日に行われる。
時の流れの中で多くの子供たちが学び、泣き笑い、思い出をこの木造校舎のひとつひとつに残してきた高須町の子供たちにとって、その学び舎から子供の笑い声や歌声が無くなることは無念の一言だろう。
いつか高須町の植木御大が私に話してくれた「この学校は昔から私たち住民にとって、高須町の高須城小学校ではなく、高須城小学校あっての高須町なんだ!」と。
おそらく最後の卒業生となる答辞を読む光くん(6年生)と、最後の在校生として送辞を読む岬ちゃん(5年生)のそれぞれの思いが高須町の皆さんの心を打つものになるだろう。16日の卒業式には高須町の皆さんも出席されると聞いている。そして地元放送局や新聞各社も取材に訪れると石村校長先生から伺っている。巣立つ光くん(棗中学校へ進学)や岬ちゃん(棗小学校に転校)と共に、一人一人の母校を懐かしむ思いや募る思いが・・・この日、高須町の歴史の1ページとなるのだ。
何か・・・小学校の休校問題で悲しいムードになってきた私だが、今度は高須町の明るい話題を書くことにした。それは昨日の新聞紙面に高須町が表彰されたことが掲載されていたのだ。
詳しく紹介すると、2月27日、JA福井市農協会館において「元気なふるさと福井の農業」推進大会が開かれた。この大会には県内の認定農業者や集落営農組織の代表者、県や市そして町から約500人が参加したのだ。そしてこの大会で〔福井県農林漁業賞・活性化部門〕を高須集落活性化モデル推進協議会が受賞したのだ(おめでとうございます!)。
昨年も北陸農政局長賞を受賞した高須町だが、二年続けての今回のこの受賞は、高須町の皆さんの日頃の努力が認められた嬉しい話題となったのだった。
△男の酒のつまみ・・・227
菜の花と生ハムサラダ!
今が旬の菜の花は色々と調理法があるのだが、ここは新鮮素材を生かしてサラダにしたい。
菜の花は軽くボイル(塩少々)し、茹で上がり時に少しの醤油で軽く混ぜる。
生ハムは食べやすい大きさにちぎり、後はお好みのドレッシングで頂く。白ゴマをお忘れなく!
「美味い!これぞ・・・春ですよ!」
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【三月の二/高須山道に可愛いメッセージ!】3月3日(土)
今年は早い春の到来と少し浮かれ気分だった私だが、ここ数日の天気図を見ていると・・・何やら冬型の天気図になりかけていて、どうやら「雪!」予報となっている。この雪予報には「もう、今年は降らないから!」と、ノーマルタイヤに交換していた妻は「嘘???」と、がっくり肩を落とし何か一人でブツブツ文句を言っている。妻と車・・・だが、妻が洗車をすれば必ず翌日は・・・・雨が降り、遠くへ車で出かけると必ずそこは・・・嵐となっていた(日頃の行ないだよ!)。
実際問題として、北陸地方の人間は生まれてから慣れているはずの雪なのだが、たまの雪となれば・・・話は別となり、転びはしないが積雪時の歩きはそれなりの重心移動を心がけ・・・運転中はそれなりに、ノロノロ運転で車間距離を空けることになるのだ(当然か?!)。まあ、どちらにしろ心が春模様に突入し始めていただけに、この雪予報には寒の戻り・・・ならぬ、心戻りが必要になってきた。
そんな事を考えながら朝一番、いつものようにコーヒーを飲みながら新聞を開いていたのだが、目に飛び込んで来たのは・・・・何やら見慣れた四人の顔が写った写真だった。
「ん・・・何で???」と、朝早い為か頭の回転が今一働いていない私(いつもの事だよ!)。記事を読まずにその四人の写真ばかり見つめていたのだ。
「これは・・・光くんで、岬ちゃんで・・・これが畑先生と・・・藤川先生だよな!何で?」と、まだまだ理解不能状態の私だった(起きろ!)。
あくびを一つ、そしてコーヒーを一口、めがねをかけ、煙草に火を点けた。ようやく目が覚めた私はここでその記事に集中することができたのだ(ん・・・遅い!)。
《3月3日付、福井新聞》
見出しは・・・道しるべに思い出託し「来月休校・高須城小(福井)」最後の児童・高山君、天谷さん〔地元登山道に看板設置〕と、なっていた。
古里の山に永遠の思い出を・・・。全校児童がたった二人で、本年度いっぱいで休校になる福井市高須城小学校(高須町)の児童が地元の山の道しるべを作り二日、登山道に設置した。学校や周囲の自然への思いを看板に託し、二人は最後の卒業式、修了式を迎える。
児童は、高山光君(六年)と天谷岬さん(五年)。同町のシンボルでもある高須山(標高四三八b)は、見晴らしもよく、中腹にある同校を拠点にした気軽なハイキングスポットとして静かな人気がある。同校からは四十分ほどで頂上にたどりつくことができる。
登山道には現在、十年前ほどに同校児童が作った道しるべがあるが、損傷が激しく文字も見えにくくなっていた。休校を前に形に残る思い出をつくろうと、児童と担任の藤川純一教頭が相談し、道しるべの取り付けを決定。一月下旬から図工や総合的学習の時間を使って製作に励んできた。
作製した道しるべは十八枚。縦十五a、横四十aの木製で「お疲れ様 山頂です」「下山道 気をつけて」など、矢印や行き先のほかに思いやりの言葉も添えた。裏には「二〇〇七年三月 高須城小学校」の文字と二人の名前を刻んだ。
この日二人は、藤川教頭らとともに山に登り、頂上付近や分岐点などに計十枚をしっかりと取り付けた。
天谷さんは「作るのは大変だったけれど、立ててみると作ったかいがあった」と笑顔。高山君は「初めて来た人の役に立ってくれればいいな」と話していた。
残りは順次設置し、最後の数枚は十六日の卒業式と二十三日の修了式で町民に披露してから、集落内に取り付ける。
同校は、同町のみを校区とする全国でも珍しい学校だったが、過疎化の影響で新年度は児童が一人となるため、休校が決まった。(終)
高須山(子供たちは城山・じょうやま・と呼んでいる)に光君と岬ちゃんの道しるべが・・・・。それほど高くはない高須山だが、いざ登ってみればこれが意外に足に堪えるのだ(運動不足だよ!)。
今年元旦のご来光をと寒さの中、田中先生とデジカメ持参で登ったのだが、途中の美しい景色に足を止めた(本当は休憩です!)ものだが、今度はその道しるべと出逢うのが楽しみになってきた。18本の可愛いい「道しるべ」・・・今度はそのひとつひとつを取材しなければ・・・・ね!田中先生!
△男の酒のつまみ・・・228
ウインナーの白菜包み!
簡単レシピの紹介です。ウインナーソーセージにあら挽き胡椒を少しふりかけ、これを白菜半分で包み爪楊枝で白菜が広がらないようにさす。これを約3分ボイルする。後はゴマダレかポン酢かお好みのドレッシングで食べるだけ!そのままでもOKです!かぶりつくと・・・白菜の甘みが美味しく・・・中のウインナーの歯応えが・・・たまりません!
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【三月の三/寒の戻りに・・・!】3月6日(火)
昨晩の深酒が残っていた。「気持ち・・・悪い!」と、布団の中で浅い眠りの私だったのだが、何やら外ではカン・ドン・キン・・・と、金属音とタイヤの音が私の耳に入ってきた。まだ・・・瞼は閉じたままの私だが、それでも頭は徐々に活動をしていた。「ん・・・隣のおんちゃんが雪で、またまたタイヤ交換か?ご苦労様です!」と、独り言を言いながら・・・活動し始めた頭を再び休憩中へと戻した私(起きろよ!)。
しばらくすると隣の部屋から、そして下の台所からテレビの音が聞こえている。「うるさいな・・・ボリュームを小さくしてくれよ!」なんて言いながら布団をすっぽり被った私。
「起きて!もう七時半ですよ」妻の声で・・・仕方なく起床となった私。ふらつく足で隣のリビングに移動し、炬燵の中に肩まで入った。妻が入れてくれたコーヒーを飲みながらテレビの気象情報を見ていた。
「雪・・・積もった?」と、妻に聞くと
「うん!ノーマルタイヤでは危ないわ!」と、答えた妻。そこで
「朝早くから、隣のおんちゃんがタイヤ交換していたな!もう少し静かにしてくれればなぁ!」と、私が話すと
「うるさくてごめんね!交換していたのは・・・私!」と、妻(この後、約10分・・・沈黙の時を過ごしていた夫婦!)。
しばらくぶりの降雪に、市内の道路では車は徐行運転となり、その横を逞しく高校生が自転車を走らせている(危ないよ!)。ガソリンスタンドではタイヤ交換待ちか、何台もの車がスタンバイしている。
粉雪?ささめ雪?空からハラハラと雪が舞い落ちている。そんな中、私の前を母校(明道中学校)の生徒たちが通学して行く。三年生男子が二人・・・歴史の話をしながら歩いている。そう・・・今日から県立高校の入試が始まるのだ。少し、厚手のコートを纏い・・・マフラーを首に・・・口にはマスクで風邪予防(頑張れよ!!風邪ひくなよ!)。
毎年平均倍率・・・1.0?倍の高校入試だが、県内少子化となっても募集定員がそれに伴うため変わらない。行きたい高校に行かせれば・・・なんて思うのだが、合格の発表まではハラハラ・ドキドキ落ち着かない受験生とその家族なのだ。あっ!中学の先生達もですよね(ねっ田中先生!)。
雪は・・・どうやら大雪とはならないみたいで、お昼過ぎには青空が見えていた。住宅街の狭い道には、まだまだ雪が積もっているのだが、環状線などの幅が広い道路などでは、すでに雪はタイヤの熱や融雪装置などで消えつつある。
「今日は・・・暇(仕事)だな!」と、次第に強まる風に呑気にテレビに気をとられていた私。そんな時、店の電話が鳴ったのだ。「修理を頼みたいのですが!」と、年配の男性からの電話だった。古くからのお得意様だが・・・そのお宅は、海岸沿いの福井市・鮎川町だった。
心配な雪だが、時々思い出したように降ってくる。店の車はノーマル・タイヤで、タイヤ交換をすべきかいなか迷っていた私(早く、交換しろ!)。
しかし、「大丈夫!・・・だろ???」と、雪道運転が大好きな私は、タイヤ交換を悩みつつも「面倒くさい!」が優先して・・・そのまま鮎川町まで車を走らせたのだ。
「何とかなるさ!」と、車のスリップをも考えながら途中何箇所かで「やばい・・・!」と、強くハンドルを握った事もあったのだが40分後には無事に目的地の鮎川町に到着したのだった。
冬の日本海は風の強さからか、白い波が強く岩肌に打ち寄せていた。途中の堤防では何人かの漁師さんだろうか頭ににぎりタオルで口には煙草を咥えながら海を見つめていた(やっぱり・・・絵になるな!)。「この風では漁はできないよ!」と、通りすがりに素人の私が偉そうに独り言。
鮎川滞在5分・・・再び車を市内中心部へと走らせた。鮎川から鷹巣まで来ると、そこは高須町への分岐点。「ついでに高須に行くか!」と、余計な事を思い付いた私。だが、この数分後には止む無く高須行きを断念することになっていた。その高須町までの坂道・・・雪が・・・多いのだ。車はカーブの度に見事にスリップしていた(おいおい!)。
通行量が少なく、道幅の狭いこの道を利用して、私は雪だまりにタイヤをつっこみながら数回の切替しで方向転換に成功した。昨年末から今年、例年より雪は少ないものの雪が降れば生活道路として毎日この道を使う、高須町の皆さんや小学校の先生方、また、郵便局の配達員さんや新聞配達&宅配便の人は大変だろうな・・・なんて他人の事を心配しつつ、車中から高須山の頂の雪景色を見ていた私だった。
雪が降れば、大好きな高須町へと通う回数は減る私、出来ればこの寒の戻りの雪は続かないで欲しいと心から願うものだ。
△男の酒のつまみ・・・229
厚揚げと小松菜の煮物!
厚揚げを八等分(一口代)に切り、小松菜は茎と葉に分けて切る。鍋に水・お酒・味醂を入れ、次に厚揚げを入れて中火で煮る。一度沸湯したら醤油で味を決める(少し甘めが美味しいですよ!)。味が決まれば、弱火にして小松菜の茎を入れ5分後に葉を入れる。揚げに味が浸み込めば出来上がり。この煮物は茄子を入れてもいいですね!今宵は・・・熱燗ですね!
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【三月の四/新人記者は、高須町が大好き!】3月10日(土)
まだまだ天気図は冬型が続いていて、多少の降雪は予想されるのだが・・・新聞各紙はすでに「桜の開花予想」が載っている。「今年は、早い?・・・遅い?」と、毎年のように短い桜花時期を心配するのだが、卒業式から入学式までの間は美しいピンクの花は咲かせていて欲しいと想う私(卒業式と入学式には桜が似合うからね!)。
来週にはその卒業式が相次ぐ福井市内の小中学校、私が学校評議員として卒業式に参加させて頂く母校の明道中学校は15日(木)で、次男(もうすぐ中学生!)が通う順化小学校や高須町の高須城小学校は翌16日(金)の予定となっている。旅立ち・・・巣立ちとして表現される卒業式だが、最近では学校毎に色々な工夫がされるようだ。涙が似合う卒業式、「いい卒業式だったね!」と、一生記憶に残る式で卒業生を送り出すのもいいですよね。
その卒業間近の次男だが、下校の度に学校からの荷物が増えている。大きな紙袋を抱えながら「これは・・・あれ!これは・・・あの時!」と、ひとつひとつが思いで深い大切な小学校生活の品のようだ(いつまでも、大切にね!)。
そのひとつひとつの品物を自分の部屋で飾っている次男だが、部屋のハンガーには中学生として毎日着るだろう学生服が掛かっている。少し大き目の学生服だがしばらくは違和感のある学生服姿に戸惑う私になるだろう。
よく風邪をひき小学校に「休みます!」と、交互に先生に電話をしていた私と妻だが、出来れば皆勤賞?を願う春からの中学校三年間である(やっぱり・・・無理だよね???)。
インフルエンザによる問題のタミフル投与も・・・何事も無く治った次男だったのだが、そのインフルエンザで学校を休んでいた時の二月末の事だが・・・・私がその次男に付き添うため(タミフルを服用)自宅にいると店の母から電話があった。「今、新聞社の人が来て話を聞きたいらしいんだけど・・・どうする?」と母。どうやら高須町に関連して私と次男の話で記事にするらしいのだ。
数分後、店から自宅に車で来た記者だが若く逞しい身体の持ち主の記者だった。私と次男が高須町の事で新聞社の取材を受けるのは昨年に続き二回目だった。応接間に記者を招き、まずは名刺を頂いた私。地元新聞社で社会部のこの記者だが大きな身体からは想像できない笑顔が似合う若者だった。
コーヒーを飲みながらまずは雑談から始まった。「出身はどこ?」「歳はいくつ?」と、私の方から得意の逆取材。しかし、その質問にもひとつひとつ笑顔で丁寧に答える記者だった。昨年まで同新聞社で高須町を何度か取材していた Y記者(現・小浜支局)もそうだったのだが、今風の若者に似合わない真面目な誠実な記者なのだ(誉め過ぎ???)。
私が高須町HPに携わるまでの経緯や、棚田オーナーとしての感想などを取材ノートにメモすると「5分で終わりますから、息子さんとお話したいのですが!」と、話す記者にインフルエンザ三日目の微熱の次男がパジャマ姿で取材を受けた。高須城小学校の二人の児童(光くん&岬ちゃん)のこと・・・棚田でのお米作り・・・高須町での自然との触れ合いなど少し緊張しながら話す次男。
その記者と次男の話も予定の5分で終わり、またまた私と記者での高須町雑談となったのだが・・・ここで私はある事に気づいたのだ、それは「この記者って・・・高須が好きなのでは?」だった。私が「高須町にいると癒される!」と、話すと「そうなんです!あそこ(高須町)に行くと時間が止まっているんです」と、答える記者。「何も無いから、それが逆にいいんだよね!」と、話すと「あの町の全ての自然で十分なんですよ!」と、語る記者だった。
私の前にいる一人の若者!高須大好き人間がまた一人仲間となった瞬間だった(うんうん!)。
「是非、田中先生とお逢いしたいのですが!」と、話す記者に「じゃぁ・・・次回は飲みながら三人で!」と、約束した私に最後まで笑顔を崩さない新人記者にお互い携帯番号を交換してのこの日の別れだった。
そして本日の夕方、自宅の応接間にその三人がいた。勤務中の記者に学校帰りの田中先生、約束のお酒は飲まないものの、どこまでが取材か雑談か区別のつかない三人の会話だが、すべての会話は高須町の事だった(高須町の話は尽きないのです!)。
五十代の田中先生と私にまだまだ若い二十代前半の記者という、傍から見れば不釣り合いの三人だが・・・高須町が取り持つ縁で・・・ひとつになっていた楽しい数時間だった。
「パソコンを前に・・・お二人の写真を!」に、少し照れながらポーズとなった田中先生と私だが、中年男二人の醜い笑顔???にも真剣にシャッターを押す新人記者がいた。
今回、鷹巣地区(高須町を含む)特集としてその中のひとつに取り上げられる田中先生と私そして次男の取材だったのだが、この取材記事が高須町の魅力を多くの読者の皆さんに上手く伝わるように願う私だった(編集してね!)。
高須町・・・大好き仲間がまた一人増えた今回、近々お酒を飲みながら語ろう・・・と、硬い約束で帰路に着いた田中先生と新人S記者だった(次回は大宴会だぁ・・・!)。
△男の酒のつまみ・・230
ジンギスカン!
揚げたてのコロッケ食べたい!と、近所の肉屋に行った私だが、ふとウインドウを見ると福井では珍しい羊肉が売っていた。「おっ!」と、声を上げた私はすかさず「ラムを500とマトンを500!」と、注文した。
懐かしい北海道時代を思い出し何十年振りのジンギスカンとなったのだった。
しかし、材料は本場のように揃わずスーパーで人参・キャベツ・モヤシ・ニンニクの芽・玉葱を買った。当然、ジンギスカン専用鍋も無くフライパンで帳尻合わせ、タレもスーパーで買う。
マトン(大人の羊)を「臭い・・・!」と、敬遠する人が多いのだが、これが羊肉なのだ。ラム(子羊)の癖の無い柔らかさもやはり美味しい!
北海道時代、一週間に二回は食べていたジンギスカンに遠い若かりし頃を思い出した私だった。「ビールが旨い!」
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【三月の五/七年連続の・・・卒業式!】3月15日(木)
朝7時前、少し贅沢?だが私は朝風呂に浸かり身体を清めていた(心も清めろ!)。温泉旅館でも宿泊しない限り、朝風呂なんてとてもとても出来はしないのだが、今日は特別な一日なのだ!・・・・そう、平成十八年度・明道中学校卒業式の日だからだ。長男が明道中学校を卒業したのは四年前、そして今年の春からは次男が入学する。因みに、私が卒業したのは何十年前になるのだろう???昭和45年だったかな???(計算するのも嫌になる!)
そんな事を湯船に浸かりながら考えていると時計は7時を過ぎていた。慌ててお風呂場から部屋に戻ると妻が礼服を用意していた。新しい下着を着て・・・そのまま鏡の前で御髪のセット、少し伸びた髪に「散髪に行けばよかったかな!」と、遅かりし後悔(毎度の事!)。
ドライヤーで髪を乾かし、ついでに伸びた髪を後ろに梳かす。だが、こんな時に限っていつもの髪型にはならず、少しの焦りとなる中年男。後はポマードで誤魔化すしかないのだ。
ハンガーからYシャツ・・・そして白のネクタイを取り、そのまま妻の鏡の前でハイ・ポーズ!(なんじゃ、そりゃ!)
一年間の中で冠婚葬祭と、たまにしか着ない礼服だが・・・これがまた似合うのか?・・・似合わないのか?いずれにせよ最終的には「はい、OK!」と、妻の愛情たっぷり???のチェックを受け車に乗り込んだ。
学校からの案内には〔8時45分までにお入り下さい〕と、書いてあったのだが、今日は少し早く着きそうな時間となっている(何事も余裕を持って!)。
我が母校、明道中学校・・・いつもの校舎のはずなのだが、どこかこの日はキリリとした雰囲気が漂っている。
校門を入ると私の前には卒業生の保護者だろうか車の駐車スペースを探している。するとその保護者・・・来賓用の駐車場に車を止めようとしていた(まあ・・・いいか!)。ここでどこからか駐車係のおじさんが現れて「保護者の方は生徒玄関前です!」と、案内した。次に私だが・・・勿論、来賓用の場所へと車を走らせたのだが・・・まあ、礼服を着ていたためすんなりと駐車できたのだ(おじさんの言葉を期待していたのに!)。
車を降り、職員玄関に入ると先生お二人がいる受付があった。「ご苦労様です!」と、先生から挨拶を受けた私。「学校評議員の藤田です、本日はおめでとうございます!」と、挨拶をする。「どうぞ、校長室にお入り下さい!」と、案内された私は「失礼します!」と、校長室に入った。
だが、やはり少し早い時間のためかその校長室には、まだ一人のご来賓も来られてはいない。ソファーに座り身体温まる昆布茶を頂く。久しぶりのその昆布茶に「美味しい!」と、独り言。すると、「おはよう」と、同じ学校評議員のO氏が来られた。O氏の後、続々と来賓が校長室に入室されてきた。市長代理・市議会議員・校区内小学校の校長や教頭・学校評議員と、ソファーは埋まっていく。
そして、昨年のこの日もそうだったのだが春山小学校K校長先生との高須城小学校談議に花が咲いた。「私、高須町大好きなんですよ!時間があればいつでも行きたいと思うのですよ」と、K校長先生。実はこのK先生、以前高須城小学校に勤務されていたのだ。「先日、高須城小学校に勤務した皆さんが集い、色々思い出話に時が経つのも忘れました」と、笑顔で話すK先生。この私とK先生の会話に学校評議員のO氏も加わり得々と、高須町の素晴らしさを説明する私とK先生に回りのご来賓の皆さんも・・・・笑顔で聞かれている。
この時だが、少し離れた椅子に座る小学校の校長先生がじっと私達の高須町の話を聞いておられた。この校長先生だが、実は次男が明日卒業式を行う・・・順化小学校のH校長先生で・・・何と!!!!!高須町のご出身なのだ(世間は狭いですね!)。
私は次男がお世話になっている校長先生にご挨拶をと思って席を立とうとしたのだが・・・・「それでは、お願い致します!」と、いよいよ卒業式の始まる時間となってしまったのだ。校長室を出ると来賓が一列となり卒業式会場となる体育館に歩いて行く。
体育館の入り口・・・・粛々とした空気があった。私達の目の前には誰も座っていない二百ほどの椅子が並んでいる。話声はおろか物音一つ聞こえてこない体育館内に一礼をしている。入り口で校長先生と教頭先生の挨拶を受け、ここからは教頭先生の案内で対面にある来賓席まで歩いていく。卒業生が座る多くの椅子の前を歩き、ステージ前から来賓席へと歩いて行く。その途中マイク前で・・・この日、式進行を担当する田中先生と笑顔で軽く・・・無言の挨拶。この時、体育館には私達来賓の足音だけが響いていた。
約二十人の来賓がそれぞれ在校生と卒業生保護者が座る体育館後方の席に一礼後・・・座席についた。
七年連続となった、私の母校明道中学校の卒業式への参加だが、この時私は体育館内をゆっくりと見回しながら過去卒業式を思い出していたのだった。平成13・14年度の卒業式ではPTA会長として祝辞を読んでいた。この時点(式前)ですでに大いなる緊張に包まれていた事や・・・広い体育館でこの時期ならではの寒さに震えていたことだ(毎年、色々と思い出があるのです!)。
静かな会場・・・・だが、私の座る来賓席の後ろで先ほどから・・・何やら足音が聞こえる。「誰?報道?カメラマン?」と、振り向くと・・・・・地元・新聞社「高須大好き!」S記者だった(取材中!)。当然、この場では話しかける事もなくお互いが無視状態となっていた(明日、高須で会うからね!)。
午前九時、「卒業生入場!」と、田中先生の声で今年の卒業式のプロローグとなった。在校生のまるで自衛隊儀仗隊???のようなキリリとした動きは瞬時で椅子に座ったままの90度方向転換で、卒業生を迎え入れる準備が出来た。保護者、来賓、先生方の眼差しは体育館の入り口に注がれている。在校生席の中央につくられたスペースに卒業生が入場してきた。同時に大きな拍手が鳴り始めた。
少し緊張の顔の卒業生・・・照れくさそうな顔の卒業生ななどで登場した、この日の主役・・・189名の顔だった。卒業生全員が席に座り、いよいよ第六十回・平成十八年度福井市明道中学校の卒業式(卒業証書授与式)が始まった。
開会のことばの後、国歌斉唱・校歌斉唱と全員が大きな声で歌うその声は、大きな体育館の天井に反響して心の中を清らかにしてくれる。国歌斉唱に対しては批判的な意見を論じる人たちもいると聞くが、やはり日本人なら・・・いや、この日本の大地に生を受けたなら、国歌を歌うべきだろう。
卒業証書の授与が始まった。担任の先生が一人一人の名前を大きな声で呼んでいく。その声に応えるように「はい!」と、返事して起立していく卒業生。そして各クラスの代表一名が登壇し校長先生から証書を授与される。
卒業証書の最後に読まれる「第○○○○○号」の卒業生の累計番号?だが、二万三千台となっていた。「2万か!」と、この明道中学校の長い歴史の中での先輩や後輩たちの卒業生の人数に少し驚いた私だった。「私の番号は何番だったのかな?」と、またまた余計な事を考えながら静かな授与式を見つめていた私だった(確か?1万1千台でした!)。
学校長式辞が始まった。小林校長の女性校長先生ならではの優しい言葉がこの体育館の全員の心を包んでいた。来賓祝辞では市長代理に続いて、私の二代後のPTA会長が一人の卒業生の保護者として、思い出や先生方への感謝の言葉を述べていく。「卒業生全員が、またこの明道中学校に帰れることを望みます。それはクラス会でも・・・先生になって・・・また、PTA会長として・・・」と、語りかけていく。最後に同窓会会長(明道中学校では50歳となった卒業生が担当する)が「35年後(卒業生が50歳を迎えたとき)に、ここで全員が会いましょう」と祝辞を締めくくった。
来賓の紹介となった。約20名の来賓の名前が呼ばれ、一人一人が起立しながら「おめでとうございます」と、卒業生と保護者の向き、一礼する。これが意外と緊張するのだ。私の順番が近づくと・・・咽の具合を小さく確かめるように「うんっ!」と、咳払い。「学校評議員、藤田幸治様」との案内に少しキーが高めの声で「本日は・・おめでとうございます!」と、挨拶した私だった(何で・・・緊張するのかな???)。
祝電の披露では卒業生に関わった、今は他校に転任されている先生方や小学校の恩師からの言葉が卒業生の心を打っていく。〔卒業生を送ることば〕〔卒業生のことば〕は、それぞれの代表がゆっくりとした口調で先輩への感謝の気持ち・励ましの気持ちや、後輩達に託す言葉・お世話になった気持ち・三年間の思い出など話していく。
この時・・・気が付いたのだが、私の目の前に座る一人の女子卒業生だが・・・近所の子だったのだ。「大きくなったなぁ!もう・・・卒業なのか!」と、その成長ぶりに驚いていた私。まだその子の顔には少しの微笑が見られていた。
式歌「仰げば尊し」の合唱の後、全員で「旅立ちの日に」の合唱となった。今、全国の学校の卒業式での定番となりつつあるこの「旅立ちの日に」だが・・・やはり・・・いい歌なのだ。
♪ 白い光の中に 山なみは萌えて
遥かな空の果てまでも 君は飛び立つ
限り無く青い空に 心ふるわせ
自由を駆ける鳥よ ふり返ることもせず
勇気を翼にこめて 希望の風にのり
このひろい大空に 夢をたくして
懐かしい友の声 ふとよみがえる
意味もないいさかいに 泣いたあのとき
心かよったうれしさに 抱き合った日よ
みんなすぎたけれど 思いで強く抱いて
勇気を翼にこめて 希望の風にのり
このひろい大空に 夢をたくして
※ いま、別れの時
飛び立とう 未来信じて
弾む若い力信じて
このひろい このひろい 大空に
※くりかえし
歌の終盤で歌う・・・在校生と卒業生の歌の掛け合い?の時、卒業生も在校生も・・・・涙があった。そして、それを見ていた私にも・・・・涙が・・・・!(感動しちゃうんです!)
ハンカチで涙を拭く卒業生たち、これが卒業式なんです!
卒業式も終わりの時となっていた。全員が心からの拍手で卒業生を見送っている。鳴り止まない拍手が会場を包んでいる。
「感動したね!」「素晴らしい卒業式でした!」「さすが、明道の子たちですね!」と、来賓の皆さんも涙と笑顔で語り合っていた。
平成12年度から七年連続の参加となった母校の卒業式、だが毎年毎年・・・感動を覚える私だった。
来賓が退場し、再び校長室で終えたばかりの卒業式の話題に花が咲いた。「私は○○中学校の出身ですが、昔から順化や明道の市内ど真ん中の学校に憧れていました!」と、語る来賓の方。「そうそう、明道中は昔から長髪でしたよね!羨ましかった!」と、笑顔で中学生当時の事を懐かしむ来賓もいた。
だが、・・・この5分後には・・・校長室の話題は・・・またまた高須町(高須城小学校)となっていたのだ。
明日はその高須城小学校の最後???の卒業式となる。「一人の卒業式・・・最後の卒業式」と、多くの報道関係者も集まるだろう。勿論、このHPスタッフも取材に行きますよ!でも、また泣いちゃうかも???お楽しみに!
△男の酒のつまみ・・231
ミニすき焼き!
何故だか???たまに食べたくなるご馳走の定番のすき焼き。つまみ用にと家族を無視しながら一人前の簡単すき焼きとなった。牛肉(何故か、牛肉だけは三人前!)・白菜・