高須城日記V(秋後編)


(平成十八年度・棚田オーナー/福井市 藤田幸治)





【十一月の一/げんき米が知事室に参上!】11月1日(水)

 心なしか11月の声を聞くと、朝晩急に寒くなったような気がする私(実際に寒い!)。テレビの天気予報を見ても、やはり昼夜のの差はあり「冬近し!」の心構えが必要となる。6月以降、家の中では、Tシャツ短パン姿で寛いできた私だったのだが、さすがに昨晩には少しの身震いで「なあ〜、ジャージ系(薄)のパジャマを出しておいて!」と、妻に頼んでいた(おい、おい!)
 この時期のの差は意外にも体調を崩し、風邪などで苦しむ人も多いはず。朝夕には9度とかの一桁の温度から昼には21度と汗ばむ気温となる。これが・・・適応できないのだ(君は何年、生きているんだ!)。私も、あの敦賀での内海知秀監督との25年ぶりの再会の数日前から少しの微熱体調不良となっていたのだが、ここに来てまたその熱もぶり返しているようだ。珍しく、食欲が無く・・・好きな晩酌も、人生初だろう・・・5日禁酒となっている(丁度・・いい!今までが暴飲暴食だったのだから!)
 連日テレビでは北朝鮮関係学校内いじめ未履修問題が話題の中心となっているのだが、何か明るい話題がないものかと、新聞の隅々を捜すのだが・・・・無い!
 プロ野球も・・・いつの間にか・・・終わっているし、優勝したのは、昨年のロッテに続きパリーグ北海道日本ハムだし、野球の勢力図も少し変化の兆しが見えてきたのかも知れませんね!(人気のセ・・・実力のパ!)でも、やっぱり今年は新庄選手の一年でしたね。やはり、セリーグにもスター選手を誕生させないと益々人気が無くなりそうです。
 さて、こんな時には(どんな時?!)やはりFBCげんき米プロジェクト高須城ものがたりが最高に癒しの・・・お楽しみの数分間を与えてくれる。本日の放送分で今年は16回目の放送となった川島アナ高須城ものがたり。過去の放送を振り返ると。
 1. 4/12 〜「種もお目ざめです」の巻〜
 2. 4/19 〜いぬ年は豊作?!の巻〜
 3. 4/26 〜畑さんとはたけで農作業の巻〜
 4. 5/10 〜チエコさんはコシヒカリの先輩?!の巻〜
 5. 5/17 〜素早く・楽しく・きれいに田植え!の巻〜
 6. 5/31 〜長寿の秘訣は「運動会」?!の巻〜
 7. 6/14 〜野菜も『相性』が大切?!の巻〜
 8. 7/12 〜たった4人の音楽会の巻〜
 9. 7/19 〜草取りに秘密兵器?!の巻〜
10. 8/2  〜農作業には厳しさも必要?!の巻〜
11. 8/16 〜高須町は動物園?!の巻〜
12. 8/23 〜カレー作れば奥さんいらない?!の巻〜
13. 9/20 〜コシヒカリは奇跡の米?!の巻〜
14. 9/27 〜女神様は川島アナがお好き?!の巻〜
15.10/18 〜目が覚めるような輝きのげんき米!の巻〜
となるのだが・・・今年の川島アナはお米作りの他にも野菜作りに挑戦し・・・そして高須城小学校の子供たちの音楽会(福井市連音)までと、色々なかたちで高須町を紹介してくれた(感謝です!)
「一年目と違う高須町を紹介したい!」と、意気込んでいたそんな川島アナ高須城ものがたりも後何回放送があるのだろう?(昨年は12/27最終放送・全16話)と少し寂しい気もするのだが、川島アナに負けじとこちらも頑張って高須城日記を書かなければならない(張り合ってどうする?!)
 本日の放送だが、先日智恵子さんが話してくれたおにぎりを西川知事への話だ。第16話目《〜高須町は地産地消のふるさとやわねぇの巻〜》の始まりだ。
 この日朝早く、高須町集落センターを訪れた川島アナだが、地元高須町の奥様総出でせっせ・・・せっせとげんき米を使ったおにぎりを大量に作っていた。
「みんなでピクニック?」と思わせるような美味しそうな・・・そのおにぎりだが、実は、ある人物に高須産コシヒカリ(福井県特別栽培米)のこのおにぎりを食べてもらうためだった。その人物とは、福井県知事・西川一誠氏だったのだ。
 おにぎりも出来上がり高須町を後にした三人。いつものコスチューム川島アナと、少しお洒落な服装?のお馴染み畑智恵子さん木村さよ子さんが、おにぎりを手に訪ねて来たのは福井県庁舎
 まずは庁舎前の広場川島アナが意気込みを高めるかの如く二人に「さあ・・・ここが県庁です!今から西川知事にこのげんき米のおにぎりを食べてもらいます!」と、話しだした。すると、少し・・・いや・・・かなり緊張気味智恵子さんさよ子さん「今日は・・・オシャレして来ました!」と、普段と違うハイ・トーン!
 とりあえず県庁の中に入り知事室を目指す三人はエレベーターに乗った。まずは7階秘書室で取り次ぎをしてもらおうと思ったのだが、その前に問題発生!川島アナ服装だった。いつもの農作業のコスチューム川島アナ「その服でいいんかの?」と、智恵子さんが言い出した(今さら、遅い!)。すると、「あれっ・・・まずいかな?着替えた方がいいのかな?でも、今日はこれしか持ってきてないよ!」と、川島アナ(う〜ん、またまた!最初からそのコスチュームでと考えていたな!お気に入りだのもね!)
 西川知事との面会時間までと通された控え室のソファーに座った三人だったのだが・・・・智恵子さんさよ子さん顔面蒼白状態?で落ち着かない様子。そして場慣れしているはずの川島アナまでもが「普段の仕事より緊張する!」と、言い出したのだ(これでは、尚更・・・緊張する二人!)
 すると「あのぉ〜胸がどきどきしている!」と、智恵子さんが言い出したのだが、それはさよ子さんも同じ事。そこで気を解そうと川島アナ「お化粧とか・・・髪のセットとかいいですか?」と、二人に言った。答えは・・・「もう・・これ以上したって・・・(変わらない!)」と、智恵子さん(そんな事は無い・・・今日のお二人は綺麗ですよ!)
 西川知事との面会の時間が刻一刻と近づいてきた。「間もなくですね!」と、言われると「なおドキドキする!」極限状態智恵子さんさよ子さん
 いよいよ知事応接室に案内された三人は、まだ誰もいないその応接室だが、その入り口で深呼吸やら一礼しての入室となった。そして西川知事の入室を待っていた。おそらくこの時の心境は「早く帰りたい!」と思っていただろう・・・川島アナを除いてはネ!だって・・・福井県のトップの西川知事だからね!知事応接室の中を見回す三人、まだ空席の上座のソファーを見て「知事さんはここですか?」と、確認しあう。「近いですね!」とその距離の近さに驚く智恵子さんさよ子さん西川知事が座るソファーの横には川島アナ、そして智恵子さんさよ子さんの順番で座っていた。すると川島アナ「智恵子さん・・・席を変わりましょうか?」と、言い出した。智恵子さん、これには「やめて!」と手を振るしかない。
 そして・・・ついに・・・その時がきた。部屋のドアをノックする音。ドアが開くと・・・西川一誠福井県知事が入ってこられたのだ。まずは川島アナ「福井放送の川島です。こんな格好(かっこう)ですみません!」と挨拶した。これには少し微笑み返しの西川知事。
 上座のソファーに西川知事が座ると「福井県のコシヒカリが五十年ということで、特別栽培米を育てて参りました!」と、説明した。「特別栽培米?!」と聞きなおした西川知事「はい、特別栽培米です!今日はそのお米でおにぎりを作ってきました。是非、知事に召し上がって頂こうと思いまして」と、朝早く高須町集落センターで心を込めて握ったげんき米のおにぎりを西川知事に披露したのだ。
 白く輝く高須産コシヒカリのおにぎりに「おう!」と驚いた様子の西川知事「無農薬で作りました!」と、智恵子さんもアピールした。「頂いていいんですか?」西川知事。お皿にそのおにぎりを一つ取ると・・・まずはお味見となったのだ。
 その感想は・・・・「うん、美味しいね!」とそのお米の粒やその香りを確かめるようにまた一口の西川知事「僕はお米は作ってはいないけど、家庭菜園はやっているから」と、話しだした。「家庭菜園ですか?どんな野菜を作っておられるのですか?」と、この知事の話に食いついた川島アナ「20種類ぐらいは作っています!」と、西川知事が答えてくれた。
 美味しそうにおにぎりを食べる西川知事「こんな所で作っているんです!」と、高須町の棚田のパネル写真を数枚取り出した川島アナ。ここで西川知事川島アナからそのパネルを手に取ると「おう・・・案山子がいるね!イノシシとかどうやってガードしているの?」と質問した。ここで智恵子さんさよ子さんの登場となった。「はい、電気柵で守っています!」と答えたのだ(いいぞ!)
「そうですか!こうやって守っているから美味しいお米が出来るのですね!」とまたまたパネル写真を食い入るように見る西川知事だった。すると、更に「こういう景色を守って欲しいね!」と、癒しの山里・高須町のその美しい景観に興味を示したのだった(さすが・・・西川知事!)
「こういう所で無農薬で色々なものを作ると美味しいものが出来、長生きになりますね。地産地消のふるさとやね〜高須町は!」と、お褒めの言葉を頂いたのだ。
 この後、和やかな雰囲気の中でげんき米のおにぎりでのお昼ごはんは続いたのだが、西川知事は何と三個もおにぎりを食べてその高須産コシヒカリに大満足のご様子。同席した他の職員の方にも、おにぎりを食べて頂いたのだ。
 最後に川島アナが色紙を取り出すと、西川知事《農業についての知事の想い!》を一言書いてもらうことにした。マジックで色紙に書いた西川知事のその言葉は・・・・『農と光』だった。
「どういう意味ですか?」と、西川知事に聞いた川島アナ。すると、その色紙を両手に持ち、ご自分が書かれたその農と光の文字を見ながら「これからも、農業を広めて行って農家の皆さんが光輝くように・・・元気の光を!」と、西川知事
 その西川知事の優しいお言葉に大感激の智恵子さんさよ子さんだった。少し多目に作ってきたげんき米のおにぎりも人気で総てなくなっていた(大好評!)
 緊張の中、西川知事とのひと時を終えた三人、ようやくその緊張から解き放たれた様子で庁舎から外に出てきた。思わずその開放感からか何とも言えない笑顔の三人。
 西川知事から頂いた色紙を大事そうに手に持ち「今日来てよかった!」と、改めてその「農と光」の意味を心に受け止めて益々農業を従事することの意味の大切さを再確認した智恵子さんさよ子さんだった。西川知事も大絶賛だった高須産コシヒカリげんき米、これからも高須町の皆さんの手で永遠にその品質とお味は守られて行くのでしょうね!
 西川知事「農と光」の意味はその言葉以上に重く深い言葉のような気がする。過疎化高齢化で悩む今の農業、でも昔から今まで日本を支えてきたのは他ならぬ農業だっただからこそ今一度、農業の重要性を見つめ直さなくてはならないのだ。自分が生まれ育った愛する土地愛する田畑をこれからも守り通して行くことが明日の日本の光となるのだ・・・・そんな意味が込められている西川知事の言葉だった。
 農業の辛さ、農業への苦労は、農業に従事している農家の皆さんしか理解出来ない。止めることは簡単だが続ける事の重要性がこれからの日本の農業となる。一度止めた田んぼの土を再び元の生きた土に戻すのは何年もかかるのだから・・・・!
 高須産コシヒカリ特別栽培米としてげんき米のおにぎりは西川知事の賛辞を受けた。この福井県内では「おらが土地の美味しいお米!」として昨年から今年にかけて独自のお米を販売する地域が出てきた。池田町・大野市また嶺南の農家でインターネットやその他のやり方で顧客を掴んでいる。
「日本一のコシヒカリ!」とその名の高い新潟県魚沼産コシヒカリもその昔、試行錯誤しながらもその名を全国にとどろかせた。美味しい!が、評判が評判を呼ぶのだが、日本全国に高須産コシヒカリの名を定着させるには地道な努力と斬新な発想と運?が必要だ。
 川島アナが今年首都・東京げんき米を運んでくれた。私も微力ながら全日本女子バスケ監督内海氏高須のお米を食べてもらった。そして今回、福井県知事の西川一誠氏PRした。そんな事の一つ一つが今後の高須産コシヒカリげんき米ブランド米としての生きる道となるのだ。
 川島アナ、そして智恵子さんさよ子さん・・・お疲れ様でした!


△男の酒のつまみ・・・184
 かれい(鰈)の煮付け!
 この時期になると・・・いや、たまに食べたくなるのが鰈の煮付け。ホクホクとした白身の味に醤油が浸み込んだその味は何ともお酒がすすむ。
 スーパーの鮮魚コーナーで少し厚みのを買う。勿論、切身でもいい。水・味醂醤油砂糖(少々)で味を調える。濃い目が好みの人は醤油を多めに。そこにをいれ煮立たせないように中火で煮る。出来上がりにまずは一口「あっ〜至福の時だ!」


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【十一月の二/どっちが・・・親?】11月3日(金)

 日毎に寒さが感じられるようになってきたのだが、ここに来てこの寒さが少し辛く感じられる私。これで約10日になるのだろうか、「食欲の秋!」だと言うのに体調不良が続く私は・・・食欲が・・・無い(本当に・・・珍しい)!風邪による微熱が続き、食欲はおろかお酒も飲みたくない毎日となっている(煙草はいつもの通りです!)
 医者からは栄養を取りなさいとは言われたものの、毎日をスポーツドリンクウイダー・in・ゼリー(エネルギー&マルチビタミン)2種類での栄養補給となっている。
 勿論、お粥やおにぎりご飯類を少しは口にするのだが、それでもやはり飲料水が中心となっている。咳・くしゃみが続くと辛いもので・・・胸が痛く苦しくなる(おいおい!煙草を止めろ!)。ここ数日はその胸の痛みも無くなり回復に向かっているのだが、学校帰りの次男が毎日のように私の顔を見て何か言いたそうにしていた。
 そして本日の祝日ついに「お父さん、やっぱり痩せたね!大丈夫?」と、次男(小6)に言われたのだ(これを言いたかったのか?!)。そんな次男に「そうか!痩せたか?まあ・・・余り食べていないからなあ〜」と、答えた私だが少し気になり体重計に乗ってみると・・・何と!・・・75キロ(10月中旬)あった体重が65キロになっていた。おそらく高校生時代以来の体重となった私だが、改めて体重を知れば、その身体の軽い事・・・軽い事!無理な減量とまでは言わないが、しばらくはこの体重を維持したいと思う私だった(いつまで維持できるかな?)
「男は幾つになっても子供だ!」とよく聞く話だが、意外と嬉しいこの予期せぬ10キロのマイナス体重。何度も鏡を見て「おっ!頬がこけたぞ」と嬉しそうな私を見て、呆れ顔の妻。あれほど「少し、痩せたら」と言っていた妻は、「余り、痩せてもあなたらしくないわ!」と、釘を刺す(どっちだ!)
 25歳・自衛隊時代(青森・三沢基地)での数週間(肉類の食べすぎ!)と29歳・新婚旅行(グアム)での一週間(これも肉類の食べすぎ!)で最高85キロにまでなったことのある私だが、今ではそんな時代が懐かしいと・・・少し・・・余裕の私だ(なんじゃ・・・そりゃ!)。
 さて、あの高須町の夏祭りの日岬ちゃんのお宅で頂いた2匹のハムスター(シロ&チャコ)だが、めでたく先月に7匹の赤ちゃんの親となった。生まれた頃は濃いピンク色で母親(チャコ)のお乳を飲んでいたのだが、2週間目にはケージの中をウロウロと動き回るようになっていた。
 岬ちゃんのお母さんからの助言で「しばらくは父親(シロ)は別にして!」と言われ、新しく購入した大きめのケージで一人?一匹寂しそうなシロの姿だった。しかし、7匹の赤ちゃんハムスターの活発化に伴いケージを引越しとなった。元のケージに戻り安堵の行動のシロだが「・・・・・・」何故か元気のない様子!(寂しいのかな?)それとは逆に大きいケージの中では母親のチャコを中心に赤ちゃんハムスターは日増しに行動力が付いているようだ。
 7匹の赤ちゃんだが、白色が2匹で残り5匹は普通のハムスター色(雄雌の区別は・・・まだ、分からない!)。生まれた時、小指の先ほどだったその大きさは見る見るうちに大きくなってくる。そして食欲も旺盛で赤ちゃんハムスター専用?のマルボーロ風は勿論、お決まりのひまわりの種チーズ、そして焼いたトーストまでとその食欲には驚く限りである。
 毎日朝夕とそのハムスターの成長ぶりを楽しみにしている私と妻、そして次男。「大きくなったね!」「よく食べるね!」「あっ!赤ちゃんの餌をチャコが取ったよ!」と、入れ替わり立ち代りハムケージの前で観察している三人。赤ちゃんハムスターの可愛いしぐさやチャコの献身的な母親ぶりに思わず笑顔となる毎日だった(癒されますよ!)
 生まれて約1ヶ月が経った。益々行動力が激しくなっている7匹の子供たち。しかし、ふとケージを見てみると「どれがチャコ?」と遠目からではその身体の大きさの区別が付かなくなっていた。ハムスター生後4ヶ月で大人になると聞いてはいたのだが、まだ1ヶ月でのこの成長には驚くばかりだ。ハムケージに近づき・・・よく見ると・・・一回り大きいチャコの姿。だが、確実にその身体の大きさは近づいている。
 ここで面白いハムスターの行動?だが、食事が終わりお腹いっぱいになると・・・睡魔に襲われる(人間と同じだ!)。その寝方だが、母親のチャコを一番下に折り重なるように上に上にと赤ちゃんハムスターが登り・・・一塊の集団となって寝るのだ。「重たくないのかな?」と、次男も不思議そうにそのハムスター達を見ているのだが、「そうでもないよ!」と、言わんばかりの余裕の表情で気持ちよさそうに眠っているのだ。
 以前、岬ちゃんのお母さんから「赤ちゃんに人の匂いがあるとかみ殺す事があるから気をつけて!」とアドバイスされた。その言葉を聞き、最善の注意で赤ちゃんハムスターたちを見てきた私たちだったが、ここまで赤ちゃんハムスターが大きくなるとその心配もなさそうだ(よかった!)
 しかし、まだ心配の種はあるのだ。それは、これ以上ハムスターが増えることだ。ここにきて毎日のように赤ちゃんハムスター一匹一匹のお腹の辺りを見て、「雄かな?雌かな?」と俄か獣医となっている。その観察ぶりは日増しに時間が増えつつあり、一匹をケージから取り出しては「・・・・雄だと思うんだけど?!違うかな?」と、こんな調子でハム獣医?の時間を費やしている。
 このハムスターの区別だが、やはり赤ちゃんの時は区別はしにくく、生後2ヶ月ぐらいで判別できるらしい。しかし、まさか・・・の事を考えるとオチオチのん気にもしていられない妻と私。そこで本日、その我が家の獣医?を全面的に信用しての別ケージとなったのだ。曰く「雄が2匹で、雌が5匹!」そこで父親シロのケージに2匹が移る事になったのだ。この1ヶ月、一匹で寂しく・・・気ままに生活していた父親シロにとって成長した我が子との共同生活は果たしてどうなるのか?妻も私も次男も楽しみであり不安でもあった。
 2匹シロのケージに移すと、「・・・・何事?」と、いつもと違う雰囲気にキョロキョロとしている父親シロ2匹の子供に近づくと・・・・何故かその匂いを嗅ぎ出した。すると驚いたように「チューチュー」と叫ぶ子供たち。するとその声を聞き隣のケージの柵に登り心配そうに落ち着きのない行動を取る母親チャコ(そうだよな。今まで育ててきた2匹がいないのだから!)
「シロは自分の子供だって判るのかな?」と、妻と私に質問するこちらも心配顔の次男だが・・・それは私と妻も判らない(いい加減!)
 しかし、そんな心配も1時間ほど過ぎると無くなった。シロを挟んで3匹の雄ハムスター?が仲良く寝ていたのだ。餌の取り合いもしない雄?三匹。思わず「よかった!」と妻の声。隣の大きいケージではそんな事は無縁だと言わんばかりに母親チャコは子供にあげた餌を横取りしている(おいおい!)。
 そんな我が家の癒し系となっているハムスターだが、ここにきて次男が学校(順化小学校)で、妻は順化地区赤ちゃんハムスターの引き取り先を探している。「あっ・・・と言う間に・・・増えるよ!」と、笑いながら話した岬ちゃんのお母さんの言葉が頭に残っている私だけに、真剣に貰い手を探さなければと思うのだが・・・「このままでも・・・いいや!」と思う気持ちが半分以上ある妻と私。短い寿命のハムスターだけに父親シロ母親チャコそして7匹の子供たちと癒されながら暮らすのもいいもんだとのん気な家族だった。
 だが、それは(獣医?)の分類が確実に間違っていない話としてだが・・・・!(何故か・・・一抹の不安が!)


△男の酒のつまみ・・・185
 チンゲン菜のバター炒め!
 中華料理に使うチンゲン菜はこの時期になると何故かお裾分けで大量に頂く事がある。八宝菜ラーメン、細かく刻んでチャーハンと色々な料理で重宝されるチンゲン菜
 だが、男の簡単料理としてはシンプルにバター炒めが一番だ。フライパンを熱し少し多めにバターを入れる。よく洗った(茎の部分には土がある!)チンゲン菜(大きいものは半分に切る)バターと絡ませながら炒め、胡椒で味を調える。


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【十一月の三/郊外で家庭菜園を楽しむ!】11月7日(火)

 11月に入り、ぐずついた・・・いや〜な天気が続く毎日となっている。まあ、北陸地方特有と言うのだろうか昼中でも薄暗い灰色の雲が空を覆っている。こうした天気がしばらく続き長い冬の季節を向かえるのだが、何故か気持ちまで暗くなるのは私だけだろうか(そう・・・貴方だけ!)
 しかしながら時折のぞく晴れ間には思わず太陽の恵みを感謝してしまうもので、妻や母は、その少しの太陽の日差しに期待しながら、洗濯物お布団天日乾しにと忙しそうに時間との勝負を繰り広げている(頑張れ!)
 そしてこの時期になると、何故か福井市内の至る所で行われる道路工事。一年を通じて道路工事は行われているのだろうが、どういう訳かその工事箇所が多く感じてしまうそんな年末に向けての市内の道路状況となっている。
 そうそう最近だが、道路工事区間の両端にいる交通誘導員?若い女性が担当している姿を皆さんは見た事ないだろうか。これはドライバーとして・・・少し嬉しく感じてしまう(何を考えている!)
 頭を下げられストップの合図をする彼女たちに、ついつい早めのブレーキとなり、素直にその合図に応じてしまうドライバーも多いはず(私だけかな?!)。まあ、突然の癒し?となる彼女たち、この時期雨が降り寒さの中誘導している彼女たちを見ると「身体・・・壊すなよ!頑張れよ!」と、優しい言葉の一つもかけたくなるものだ(でも、時給は高いらしいですよ!)
 雨が降れば通常でも市内中心部の道路は渋滞となるのだが、ましてや道路工事が多くなるとその渋滞の長さは首都圏ほどとは言わないが、その目的地まで嫌になるほどの時間を費やす事になる。この予想外の時間がドライバーにとって最悪の結果を齎す事になる。悪天候渋滞道路工事が重なりイライラモード全開での運転となるのだ。割り込み・信号無視・速度違反と多くなる。「急がねば・・・!」と、頭のどこかにこの言葉が幾度となく出てくるのだ。
 もともとだが福井のドライバーマナーの悪さは日本でも一、二を争うほどと言われてきた(私も福井に帰って来た時、それは痛切に感じた!)方向指示器なしでの右左折は日常茶飯事で・・・あれほど危ないと言われている走行中の携帯電話の使用も平然と通話しながらのドライバーはまだ多くいる(本当に危ないです!)
 先日の事だが私と妻と次男の三人が同じ時間帯、別々の場所での交通事故に遭遇したのだ。
 私は大手2・福井県庁正面の道路での事故でスクーター(中年女性)宅配便の車の出会い頭。道路に倒れている女性は幸いなことに意識はあるのだが、腰を強打したらしく何人かの通行人とその宅配便の運転手に支えられていた。
 また、妻と次男は大手3・順化小学校グランド側(栄冠幼稚園前)での車同士の接触事故だ。こちらも大事とはならなかったらしいのだが、ふとした油断や不注意から事故は起こるものでハンドルを握る以上は最善のマナーと免許保有者として常識的な交通ルールは守らなければならない。
 交通事故に直面すると改めて安全運転をしなければと、その場では思うものの・・・時間が経てば・・・忘れてしまう私。
 冬期間になると日の入り・日の出の時間により、遅めの夜明け・・・早めの日没となる。通勤や帰宅の時には必ず暗い中の運転となり、ましてやこれからの時期は雨や雪により視界が悪くなる。歩行者や自転車利用の人もこの時期には防寒用にと黒色系統の上着やコートとなる。すなわち、益々運転席からの視界は最悪となるのだ。「自分は運転には自信がある!」と、感じているのは間違いだと認識して常に安全運転を心がけましょう。
 そうそう自慢するわけではないが、今月で12年間無事故・無違反ゴールド免許の私。先月、同級生の福井県警の友人と飲み会をした時にそんな事を自慢した私だが、さすが警察官・・・心にズキッ!と胸の痛くなる事を言うのだ。「藤田、それはお前が12年間運良く捕まらなかっただけだよ!」と、警察官(う〜ん・・・確かに、ごもっとも!)
 さて、話は突然変わるのだが・・・最近、福井市中心部の奥様方の間で、家庭菜園が流行しているのだ。家庭菜園と言っても・・・自宅のベランダを利用したのにではなく、市郊外土地を買い、また、土地を借りての本格的なものなのだ。私の店(大手3)の順化地区会社・店舗・テナントビル等が大半を占め、自宅に庭など家庭菜園を行うスペースは当然無い。「猫の額ほどの庭でもあれば・・・」と昔からいわれるのだが、ここにきて「土いじりをしたい!野菜や花を作りたい!」と願う奥様方が増えているのだ。
 勿論、自給自足を考えているわけでもなく、ただ少しの時間を利用して自然と触れ合える・・・そんな楽しみが欲しいと言うのだ。
 今日の午後の事、車で走る私の携帯に母から電話があった。
「今・・・どこ?」
「今は二の宮あたりだけど!何?」
「30分ぐらい時間あるか?」
「何で?」
「お客さんの処に一緒に行って欲しいんだけど!」
「いいよ、じゃ・・・今から店に戻るわ!」
 こんな電話での母との会話だった。この時私は当然いつもの修理だと思いながらも「何故、お袋が一緒に行くのだろう?」と、考えていた。
 店に戻ると、車の助手席に腰を下ろした母。「中央の○○さんのお宅へ行って!」と指示されたのだ。私は母の言われるままに中央のそのお宅に向かった(車で5分!)
 車は直ぐにそのお宅前(ビル)に着いたのだが・・・・そこに待っていたのは母より少し年上のお婆ちゃん?だった。お婆ちゃん・・・とは言っても上品で言葉の綺麗な奥様だった。
 この奥様は昔からの店のお得意様なのだが、どうやら今回は修理とは違うようで「下馬方面に行って下さい!」と、私に話す奥様。「はい!」と言われるままに再び車を走らせた私、途中からは「次を右に・・・そこを左に」と、この奥様のナビにより分譲区画が多くみられる郊外へと進んだのだった。
 新しい住宅が並ぶこの区画、そこにポツン?・・・いや、住宅一戸分の土地があった。畑の奥にはプレハブ小屋があり、鎌や鍬など畑で使うであろう道具が丁寧に置かれてある。奥様は少しかがめた腰のまま、急ぎ足でそのプレハブ小屋へと向かうと、小屋の中から鎌・大きめの袋を小脇に抱え私と母の所へ戻ってきたのだ。
 すると「藤田さん、白菜や大根が今、一番良い時です。それにチンゲン菜もいいかな!」と母に言うのだ。「少しでいいですよ!大切に育てられてきたものを・・・・」と、少し遠慮気味の母。ここで、この奥様が母に家庭菜園の野菜を・・・との意味が理解出来た私。
「少しでいいよ!」と、小声でしゃべる私に母は「もちろん!」と、頷いた・・・・のだが。
 この奥様は白菜を10個、大根も10本、チンゲン菜にいたっては15株ほど畑から取ると、その大きな袋に要領よく詰めだしたのだ。
「誰も食べるもんがいないから・・・持って行って下さいな!」と、母に話す奥様に
「あらっ・・・そんなに沢山・・・」と、何故か嬉しそうな母だった(少しだけ・・・と言っていたのに!でも、やはり断り切れないよな!)
 この奥様の畑には他にも、ジャガイモ・人参・ブロッコリーなどもあり、またプレハブ小屋の横には小さなスペースだが何種類かのも育てられていた。
 私はこの奥様の畑に入り、一つ一つを興味深そうに見ていると、
「お兄ちゃんは好きなの(野菜作り)?」と、奥様に聞かれたのだ。
「いいえ・・・とてもじゃないけど私には出来ません!」と、私が言うと
「お兄ちゃん、忙しいからね!でも、土いじりは癒されるのよ!」と、笑顔の奥様。そこで私はこの奥様に質問したのだ。
「この畑ですが?・・・」と聞くと
「ここねぇ〜五年ほど前から一人で少しずつ始めたの。駅前じゃ・・・空いた土地が無いでしょう。ここだったら自転車で着ても歩いて着てもそんなにかからないから。静かで落ち着いてノンビリと土と遊べるからいいの!若い時から一度はこんな事をしてみたいと思っていて、ようやく念願が叶ったんですよ!(笑)でも、もう歳だからいつまで出来るか判らないけど・・・健康にもいいんですのよ!」と、奥様。
 奥様の畑から頂いた多くの野菜を車に積み込み私は畑の外で煙草を吹かしていた。畑では奥様と母がどうやら長話モード(やばい!これは長くなりそうだ)
 歳を取ると何故だか声が大きくなる、母と奥様の会話が離れた処にいる私にまで、はっきりと聞こえてくる。二人の雑談が始まりかれこれ15分。ふと思い出したかのように私を見て「あっ!あの子・・・いたんやわ〜」と、母(お〜い!)
 ようやく後片付けも終わり車に向かい畑の中を歩き出した奥様と母だった。しかし、「でも奥さん・・・この花綺麗ですね!」と、花畑の花を見て母が言い出した(ヤバイ!)。すると、「少し・・・持って行きなさいよ!」と、奥様。「あらっ・・・どうしましょう!」と、母(おいおい!)
 この後、花摘みに5分・・・そして、奥様が忘れていたのだが自宅用干し大根(漬物用)20本を車に積み込み、ようやく車は市内中心部へと戻ってきたのだった。
「たくさん、有難うございます!」と、私がお礼を言うと「いつでも取りに来て下さいね!」と、奥様。車の中ではやはりご近所の奥様数人が郊外での畑で野菜や花を作り楽しんでいるとこの奥様のお話。近場で土地価格の安いのが狙い目と笑顔で話されていた(お金に余裕があればねぇ〜!)
 この奥様をご自宅に降ろし、干し大根も倉庫へと運んだ私は奥様に挨拶をして店へと戻ったのだった。ここで母から後で聞いたのだが、この奥様・・・何と・・・九十歳を超えているとか?!
 驚いた私だったのだが、70代の母と同じくらいに見えた奥様は、やはり好きな畑での土いじりや花作りが気持ちを若返る要因となり・・・健康的になるのだと感じた私。ご自宅からあの畑まで・・・約2キロ。自転車や歩いてと話されていたが、これだけでも凄く健康的なことだ(女性は強し!)
 本来なら「高須町を・・・」と、紹介したいところだが少し奥様方には往復に時間がかかるかもね!これから益々このような家庭菜園的なものが増えていくような気がするのだが土の選定から始まり季節毎の種を植え収穫を楽しむ、収穫した野菜はその日の夕食のテーブルに!そんな事が家族で出来れば最高に素敵な生活の日々になるかも!


△男の酒のつまみ・・・186
 大根の味噌田楽!
 今日頂いた新鮮な大根を使う。厚さ3センチで切り、皮を剥く。出来れば角も少しそぎ落とし煮崩れしないように!
 大根十字に切れ目を入れ、昆布をひいた水で煮る。大根は意外と柔らかくなるまで時間がかかるもので強火でぐつぐつと30分以上・・・・この時から串で大根を刺し、その柔らかさをみる。串がスッと通ればOK!
 味噌は普段使っているお味噌汁用でもいい、大きなスプーン3杯ぐらいの味噌に、味醂砂糖少量のお水を入れ弱火で混ぜながら味を調える。焦がさないようにね!
 お味噌の種類にもよるが・・・とにかく甘めの味付けで!
 味が決まったら火を止め、大根の上に・・・・


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【十一月の四/ようこそ高須城小学校へ】11月11日(土)

 数日前の話だが、私はある人物に逢うために福井市内・某ビルのエレベーターに乗り込んだ。私は8階のボタンを押すと廊下の奥から「すいません・・・乗ります!」と、若い女性の声(ラッキー!)。この場合普通ならエレベーター内の私は《開く》のボタンを押せばいいのだが、私は昔からの癖?でついついドアを手で押さえていた(このやり方、乗る人が安心するのです!)。すると三人の女性が慌てながらエレベーターに駆け込んできたのだ。「有難うございます!」と、私にお礼を言う一人の女性。どうやらこの三人の女性は同じ職場の同僚ようで10階のボタンを押して・・・何やらヒソヒソ話していた(仕事の話のようだ!)
 狭い動く密室で(意味深!)こう言う時、男は意外と緊張するもので、目線の先はドア上の階表示になっていた私。2階、3階とエレベーターは上に、すると先ほどまで楽しそうに話していた三人の女性の声はいつの間にか聞こえなくなっていた。
 私は目線を彼女達に向けると・・・・彼女達三人の目線が私の方に向いていたのであった。いや、正確に言うと私がこのエレベーターの中に持ち込んだ6枚のパネルに・・・彼女たちの目線が釘付けになっていたのである。6枚の剥き出しのパネル一番外側(彼女達に見えるパネル)には、FBCの川島秀成アナウンサー高須町棚田で今春に写した田植えの笑顔のあの写真が大きなパネルとなっていたのだった。彼女達三人は少し頭を横に傾けながら(パネルの縦横の関係で!)
「あの〜、その写真って・・・・アナウンサーの人ですよね?」と、私に聞いてきたのだ。
「そうですよ!川島アナウンサーです」と、私が話すと、
「やっぱりそうだ、ほら福井放送のあの・・・お米を作ってる人だ!」(おいおい、川島アナは農業が専門では無いですよ!)と、エレベーターの中は大騒ぎとなった(川島アナ・・・さすが人気者!)。そんな時、
「8階です、ドアが開きます!」案内音声が聞こえてきた。
「お先に!《リアルタイムふくい》見て下さいね!」と、エレベーターの降り際に彼女達に話すと
「は〜い、見ま〜す!」と、嬉しいお返事(お前はFBCの人間か?)
 実は・・・降りる時のエレベーターの中でも同じような事が、でも今度は主婦お二人でした(まあ・・いいか!)
 さて、本日そのパネル6枚を車に積んで自宅を出たのは10時頃土曜日という事もあり助手席にはこの日学校が休みの次男(小6)が乗っている。
 私と次男の行く先だが、当然・・・高須町・・・ではなく、鷹巣公民館(?!)なのである。R305を走り、白浜荘やサーキット場を通り過ぎ、国民宿舎鷹巣荘の手前にあるのが鷹巣公民館である。
 福井市蓑町(みのちょう)にある鷹巣公民館では明日開催される鷹巣地区文化祭のため、その準備で多くの関係者の方が訪れていた。また駐車場では小雨の中、何箇所もテント設営の準備をしていた(ご苦労様です!)
 私はその駐車場に車を止めて、パネルを持ち次男と共に公民館に入ると、玄関先や廊下そしてホールでは明日の文化祭展示会に向けて何十人もの皆さんがあれやこれやと動き回っている。当然・・・この中には・・・誰一人・・・知る人はいない。
 この鷹巣公民館の中では完全にアウェーの私達。失礼だが浜言葉(方言)が飛び交う中、一人優しそうな男性の方を見つけた私は、勇気を出して「すいません!高須町のコーナーはどこですか?」と、尋ねたのだ。私の予想は的中でこの声をかけた男性は「た・か・す(高須)け?」と、日焼けした顔だが笑顔で案内してくれた。「ここや!」と指差す展示用ボードには白い半紙に墨で書いた「高須町」の文字があったのだ。大きい展示用ボードが3つ並ぶ高須町のコーナーだが、この展示用ボード全てに私が持参したパネル6枚が飾られるのだ。しかし、もう一つ植木御大から依頼(後注)されたボードが必要となる。
 実は数日前に植木御大から「高須町・棚田・コシヒカリ・げんき米・特別栽培」五つの文字を入れて、写真パネルの案内ボードを作るようにと指示があったのだ。この植木御大の要望には頭を痛めた私だった。「コシヒカリ・・・げんき米・棚田・・・?」と、パズルのようなその組み合わせに・・・遂に・・・田中先生に・・・お任せしたのだ(おいおい!)
 そして、この鷹巣公民館にその田中先生作成のボードが届くのを待つ私と次男。ホールではこの文化祭関連地区の皆さんが展示物の設置の準備などで大忙しだ。そんな時、携帯電話が鳴った。田中先生からだ(何というタイミング!)
「あと、5分ぐらいで着きます!」と、田中先生。次男は他の展示物の鑑賞にホールをぐるりと一回りしていた。私も田中先生が着くまでと少し見て回ったのだが、高須城小学校光くん岬ちゃんの可愛いリースも出品されていた。この鷹巣地区文化祭だが、近隣の14地区だか17地区の合同の文化祭ということで予想以上に盛大なものとなるらしい。
 そんな事をしているうちに、公民館に田中先生が登場した。「遅くなってすいません!」と、お休みなのに遠路遥々の田中先生。直ぐに梱包していたパネル6枚を取り出すと・・・ホールの空気が一新した。「おう・・・これは?!」「これって?!」と、今まで慌ただしくしていた皆さんが高須町ボードの前に集合してきたのだ。
 まずは植木御大指示の案内ボード(田中先生の手作り)。《特別栽培のコシヒカリ・げんき米、棚田オーナーの里高須町から》と、なっていた(さすが先生!)
 この案内ボードを一番上に設置すると、後は高須町棚田からにかけての順番で一枚一枚パネルをセットしていく。
田中先生と私、そして次男も手伝いながらの作業なのだが・・・・ボードの前に集まりだした皆さんが
「ほらっ・・・これ、あのアナウンサーの人やが!」
「智恵子さんもさよ子さんも有名〜になって!」
「これは、いい写真やわ・・・!」
と、皆さん大絶賛の様子で私も田中先生もその反響に大満足となり笑顔になっていた。私達はこの数分間でアウェーからホームになっていた(皆さん・・・良い人ばかりです!)
 
 大きな展示用ボードには6枚のパネルが収まった。このパネルだが、植木御大からの要請で昨年から今年の《FBCげんき米プロジェクト》棚田での収録中の様子を、田中先生や私がカメラに収めたものだった。つまり、川島秀成アナウンサーは勿論、昨年の大島さやかアナウンサー(コシヒカリ娘)の姿も写っているのだ。二人の美男?美女?アナウンサーが棚田で奮闘している姿のパネルには「いい表情やわぁ〜、二人とも真剣にやってるわ〜、こんな写真欲しいわ〜!」と、皆さんパネルの前から動かないのだ。
 ふと公民館ホールの時計を見ると、正午近くになっていた。すると先ほどまでこのホールの中で明日の準備をしていた皆さんが、今度はテーブル(折りたたみ)を並べて・・・・昼食の準備となっていた。
 私と田中先生、そして次男はパネルの設置も終わり、まだ小雨が降る公民館の外へと出た。ここで田中先生は仕事のため明道中学校に戻らなくてはならない。
 しかし「私も行きたいのですが!」と、残念そうな表情の田中先生に別れを告げ、私と次男は高須町へと車を走らせた。田中先生が話した「私も行きたい!」と話した訳だが、午後から高須城小学校で行われる授業参観(学習発表会)教育講演会の事だった。
 年に一回開催されるこの学習発表会高須町の皆さんが楽しみにしているイベントで、多くの町内の方が参加されるのである。二人の児童(光くん・岬ちゃん)の発表が楽しみな私であるが、私以上に次男も楽しみなようで数日前から「必ず僕も行くからね!」と、かなりの意気込みとなっていた(何で?お前は関係ないだろ!)
 次男も私と共に高須町に数年前より何十回来た事だろう。当初、佐々木さん長男(中2)次男(中1)とゲームやら高須町の自然の中で遊んでいたものだが、いつのまにか光くん岬ちゃんとも友達になっていて、お互い「直くん!」「光くん・岬ちゃん!」と、呼び合う仲になっていた(子供はいい!)
 土曜日・・・普通ならお互い学校は休みのはずだが、この日のように土曜日にオープン・スクールでの発表会開催となれば同じ小学生として興味深々となるのは当たり前の事。高須町へと向かう車の助手席の次男はすこぶる笑顔で楽しみの様子だ(発表会で邪魔はするなよ!)
《私がホームページでの取材で次男と共にこの日、高須城小学校に伺う事は、事前にFAXでお願いしてあります!》
 高須城小学校前駐車場に着いたのは、12時30分だった。授業参観(学習発表会)が始まるのは13時30分からで・・・まだ1時間後だった。それでも次男と私は高須城小学校内に入り校庭から職員室を覗くと、職員室には畑先生、そして横の校長室からは石村校長先生が笑顔で「どうぞ、お入り下さい!」と、笑顔で私達の来校を喜んで頂いた(すいませんね!)。この時、藤川教頭先生2階教室で授業の様子(静かに・・・静かに!)
 高須城小学校、何度この校舎を訪ねても私の思う事は、この木造校舎独特懐かしい匂いだった。昭和の匂いと言うのだろうか、昔どこの町にもあった木造校舎ならではの温もりがここには残っていた。スリッパを履き、廊下を歩くと木の廊下ならではの音が反響する(やっぱり・・・いい!)
 石村校長先生に向かえられ私は校長室で・・・いつもの教育談義!次男はお昼ごはんにと自宅で妻が作ったおにぎりと水筒を持ち、職員室にとお邪魔となった(畑先生と二人だ!)
 石村校長先生と約30分、色々な話で盛り上がっているともうご飯時となっていた。「お昼にしましょう!」と、校長先生。再び次男が待つ職員室に入ると・・・その次男の姿が・・・無いのだ。私は畑先生「あいつは?」と、聞くと「2階の教室です!」と、笑顔の畑先生。まさか授業の邪魔でもしてるのではと心配になった私は急ぎ階段を駆け上がり教室のドアを開けた。黒板前には藤川教頭先生が・・・そしてその前には光くん岬ちゃんと並び・・・次男の姿があった(おいおい!)
「ごめんなさい!」と、私は藤川先生に謝ると「いえいえ!宜しいですよ!」と、笑顔で次男を歓迎してくれていた(藤川先生も次男の通う、順化小学校の大先輩だからね!)。  それでも私は次男を連れ、再び次男と職員室に向かった。「おにぎりを食べなさい!」と次男に言うと「まだ・・・いい!」と、言う次男。それでもおにぎり一つを手に持ちまたまた職員室から光くん岬ちゃんのいる2階の教室へと行こうとする次男。そんな次男を見て「いいですよ!」と、笑顔の石村校長先生(優しい!)。
 土曜日の学校はいつもの給食ではなかった。校長先生は何故か・・・順化小学校バザーで売られていたカップ麺での昼食となっていた(奥様は順化小学校勤務)。私の妻もこのバザーで大量のカップ麺を買っていた(どこも一諸だ!)。私はそんな校長先生の姿を見ながら、職員室でおにぎりを食べていた(長閑なひと時だった!)
 そうそう、私がお昼時にこの高須城小学校にお邪魔すると必ず同じ冗談を言うのだが、「かつ丼とラーメンの出前をお願いします!」と、私が言うと・・・石村校長先生藤川教頭先生大うけするのだが、畑先生「またか・・・!」と、ばかり・・・完全無視!なのだ(そりゃ・・・そうだ!)
 そんな和やかな職員室でひとときを楽しんでいるうちに、そろそろ授業参観の時間が近づいてきた。校長先生教頭先生、そして畑先生も準備や何やらでこの日の会場となる体育館職員室をスピードアップしながら何往復もされている。次男と光くん岬ちゃんはそんな中でも体育館で遊んでいる。
 窓の外を見ると、先程までシトシトと降り続いていた小雨も、どうやら上がったようだ。そんな中、道路を歩く町内のお婆ちゃん二人の姿があった。どうやらこの学校に来られるようだ(皆さん・・・楽しみのようですね!)
 会場となる体育館には、椅子がたくさん並べられてあった。ふと思い出す4年前、私もこの体育館で同じように授業参観の後、講演会をさせて頂いた事を思い出していた(懐かしい!)
 時間はもうすぐ1時30分になろうとしている。発表を控える光くん岬ちゃんはステージ前の席で・・・余裕の表情。私と次男はその真向かいの一番前の椅子に座り、私はデジカメでの撮影準備に、また、次男は自分の席と光くん岬ちゃんの席と往復し・・・何故か三人での談笑となっていた。
 ステージ前では畑先生やこの日司会の藤川教頭先生学習発表会最終チェックにと真剣な顔。「こんにちは!どうぞお入り下さい!」そんな石村校長先生の挨拶の声が入り口から聞こえてくる。町内の皆さんも続々と学校に集合となっている。時間は予定の1時半を過ぎた。だが、この時石村校長先生から少しお待ち下さいとの案内が入る。どうやらこの日講演をされる長谷川和子先生「私も子供たちの発表を聞きたい!」との事で、その長谷川先生の到着待ちとなっていた。ここで私が横に立つ畑先生「何か前座でもしますか?」と話すと「いえ・・・いいです!」と少し固い表情で返された(う〜ん!・・・冗談なのに・・・!)
 そしていよいよ、今年の高須城小学校学習発表会が始まった。夏休み過ぎからこの小学校の教頭として赴任された藤川先生「皆さん、ようこそお越し下さいました!」との司会で会は始まった。
 まずは総合的な学習の時間として「校外学習のまとめ」が発表される。最初は岬ちゃん(5年)《朝倉氏遺跡周辺》の発表だ。スライドを使い、ステージ上のスクリーンに写しだされる一乗谷周辺での遺跡を巡りその当時の暮らしなどを現在と比較しながら岬ちゃん自身の観察や思いなどを小学生ならではの視点で解説していく。朝倉氏遺跡から資料館へと・・・またえちぜん鉄道を利用してリニューアルされたJR福井駅も紹介した。
 続いて光くん(6年)だ。光くんの発表は《駅前周辺偉人像・石碑》だった。こちらもスライドを使い、福井神社中央公園やその近辺にある偉人像(松平春嶽・横井小楠・日下部太郎など)を、その人物の偉業などを説明しながら分かりやすく解説していた。横で聞く同じ6年生の次男もその発表を真剣に聞いている。だが、スクリーンに福井神社が写し出されると「あっ・・・福井神社だ。順化小学校の横にあるのに、どうして順化に寄らなかったんだろう?」と訳の分からない独り言を呟いていた(そう言う事じゃないだろう!)
 岬ちゃん光くん、それぞれ15分の持ち時間を大きな声で元気に発表した。その二人の発表には、詰め掛けた高須町の皆さんからひと際大きな拍手が送られた(この時、体育館の席は・・・満席だった!)
 続いては次男が最とも楽しみにしていた音楽発表だった。昨年からギターに取り組んでいる光くん岬ちゃん、それは連音などで聞いてはいたのだが、それは全てテレビの中で見て・聞いていた次男。つまり二人の生演奏は初めての次男だった。ステージ前には4つの椅子3つのギターが用意されている(?!)。光くん岬ちゃんギターの指導に携わっていたのは、この七月に亡くなられた前教頭の朝倉先生だった。二人はその後も朝倉先生の意思を継ぎ、畑先生と共にギターの練習を続けてきたのだった。
 音楽の発表となった。まずは「渡り鳥と少年」という曲をリコーダーで演奏する。そして二曲目は昨年の連音の発表曲「星に願いを」だ。光くん岬ちゃんの二人による演奏だったがその二人の爪弾くギターの音には・・・どこかで朝倉先生も一緒にギターを弾いているようなそんな気がした。体育館内に美しく響いた曲となっていた。
 
 三曲目は、今年の連音の発表曲「星の散歩」だ。畑先生もギターで参加、すると藤川先生リコーダーで参加した。
 11月、少し肌寒く感じられる高須山中腹にあるこの高須城小学校だが、この時ばかりは体育館は、四人を温かく見つめる多くの人たちと心のこもった演奏を聞かせてくれる2人の先生、2人の児童の優しい清らかなハートに、心地よい熱気が感じられていたのだった(最高の演奏でしたよ!)
 
 四曲目に「大きな古時計」を全員で、また、最後に高須城小学校校歌も全員で合唱した。「僕、知らないよ!」と私に小声で話す次男だが・・・私も同じで、当然この体育館内にお集まりの皆さんの中でこの校歌を歌えないのは、私と次男それに講演会講師の長谷川先生の三人だけということになる(でも・・・いいじゃない!)
 体育館に高須城小学校の校歌が響いている。岬ちゃんお母さん光くんお父さん親子二代・・・いや三代?の歌声も混じっている。そんなほのぼのとした学習発表会が終った。何故か感動した顔の次男が私の横にいた。
「お父さん、やっぱり高須はいいね!」と、生意気な言葉を私に言う次男。私と次男それに藤川教頭先生の、今は大規模校とは言えない母校・順化小学校もこんな地区を挙げてのこんな心からの温かいイベントが今は必要なのだろう(いや、どこの学校もだ!)
 児童二人が体育館から出て、次は長谷川和子先生の講演会だ。演題は「いのちありがとう」である。元・小学校の先生でもあった長谷川先生のお話には、町内の皆さんも頷きながら聞いていた。私も最後までこの講演を聴いていたかったのだが、この日、ボーイスカウトの行事がある次男を急ぎ車に乗せて自宅に戻ったのは3時過ぎだった。
 まだまだ高須城小学校でのギター生演奏に感動していた次男だが、そんな感動に浸りながらもボーイスカウトの制服に早着替えとなり、今度は妻の運転する車で出かけて行った。
 後で妻から聞いたのだが、この日のボーイスカウトの集合時間は2時となっていて・・・つまり1時間送れの参加となった次男。(本当は、ずっと高須町にいたかったようだ!)
 まだ、私の耳に残るギターの弦の音光くん岬ちゃんの優しい手で爪弾く6本の弦。それを包み込むように笑顔?いや真剣にリードする畑先生リコーダーで参加した藤川教頭先生の大らかさ!そして、そんな4人を笑顔で見つめる石村校長先生。教職員・児童合わせて十人未満の高須城小学校、そんな小さい小学校だから・・・訪れた人をいつの間にか優しい笑顔にする校風がある。
「高須城小学校の皆様、ありがとうございました」


△男の酒のつまみ・・・187
 セイコ蟹のアラカルト!
 冬の味覚!越前かにが解禁となった。解禁となってもやはり越前かに(雄)は・・・・手がでない!(高い!)
 そこで庶民のこの時期の楽しみは、やはりセイコ蟹(雌)となる。甲羅の中は宝石のような美味しいものが。また、足は身が少ないもののそれでも綺麗に取り出し三杯酢で頂く。甲羅は日本酒を入れてお燗を三回!
 また、取り出した後の足は捨てずに八丁味噌でお酒の最後に味噌汁のだしに・・・。これが庶民の楽しみなのだ・・・。セイコだけにセコイかな!


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【十一月の五/18ホールにドラマが!】11月12日(日)

 昨日、高須城小学校での心に残るギター演奏を聴いた私と次男、それは次男が就寝する遅くまでその話題は続いていた。「ギター・・・上手かったね!」「畑先生のピアノと教頭先生のリコーダー、岬ちゃんと光くんのギターと高須城小学校の皆は凄いね!」と、まだ興奮冷めやらぬ次男。「早く寝ないと、明日早いよ!」と、次男に何度も言い聞かせる妻の声に、次男よりもその言葉を聞いていた私の方に早く睡魔がきた土曜日の深夜だった。
 そして、本日の日曜日。何故かこの日曜日になると我が藤田家では早朝よりガタガタ・ドタバタとにぎやかしくなる。時計を見ればまだ6時前。「お〜い、静かにしてくれ!」と、一週間振りの休日を遅くまで寝ていたいと願う私の意志とは別に、この日の妻は綱引きグッズが入った専用バックを持ち、金沢市へと出かけて行った。全日本軽量級綱引き選手権参加のためだ。
 そんな妻が出がけに「直くんを頼むね!8時30分には市の体育館に集合だから!」と、布団の中で半熟睡の私に話していた。「ん・・・ん、8時半?!」と、現実の真ん中の私は・・・仕方なく現実にと戻った。「何だ、結局は起きないとだめなんだ!」と、7時に起きだした私はコーヒーを入れ、寝起きの煙草を吹かし・・・テレビをつけた。
 次男はまだまだ完全熟睡で・・・ベットの上で布団をスッポリかぶっている。2階から1階にエレベーター?で下りた私(エレベーターは無い!)。台所に行った私はフライパンでハム・エッグウインナー2本を焼く。冷蔵庫から牛乳1本を取り出し、トーストを1枚焼き・・・皿にのせる。そして、それらの全てをおぼんに載せると・・・再び2階へ戻る(優しい・・・お父さんでしょ!)。次男の部屋の前「起きなさい!朝食出来ているから、早く食べなさい!」と、次男に声をかける。「はい!」と、返事が聞こえてから・・・・5分!・・・まだ、次男の姿は見えず!
 1杯目のコーヒーを飲み乾し、2本目の煙草に火を付ける。「あっ!新聞・・・忘れた」と、再び1階に下り玄関から外の郵便受けに。新聞を見ながら2階へ戻ると、ようやく起きだした次男が、私の準備した朝食を食べていた(ハム・スターを見ながら!)
「お父さん・・・おはよう!」
「おはよう」
 そんな何気ない朝の挨拶。
「8時15分に出るぞ!」と、私が話すと「了解!」と頷く次男。この日の次男だが・・・こちらも何故か、市営体育館にて子供の綱引き大会となっていた(親子で綱引きか?!)。
 そんな次男を車で送ると・・・またまた独身貴族の私。「寝ようかな?!」と、考えたのだが・・・・何故かもったいない!(やる事はたくさんある!)
 先月末から体調不良が原因で体重が激減した私。そこでこのところ意外と楽しみになっている体重計に乗ると63キロ!と、なっている。2週間で15キロの激痩せだが、これは少しまずい!・・・と、珍しくおにぎり(高須産コシヒカリ)を2個、無理やり胃の中に流し込んだ(やっぱりお米は美味しい!)
 私の体重減だが・・・田中先生曰く、「娘に言わないで下さい!お父さんも少し痩せて!」と、お嬢様(高1)から言われているらしい(あっ、これ内緒です!でも先生と言うのはストレスが溜まるのです!)
 妻と次男のいない日曜日、私はのんびりとテレビパソコン(高須城日記原稿打ち)にと楽しんでいた。午前中に友人から「暇だったら、打ちっぱなし(ゴルフ)に行こうか?!」と、誘いを受けたのだが・・・・この体調では、とても練習にはならないので・・・丁重にお断りとなった(今度ね!)
 一人の部屋、これはついつい煙草の本数とコーヒーの回数が増えてしまうもので、身体に悪いと判ってはいるのだが自分に甘い私となっていた。
 さて、私の日曜日のお楽しみの一つは・・・テレビによるスポーツ観戦だ。そして、この日は男女のプロ・ゴルフに私は大注目していた。
 この時期になると、男女のトーナメント選手は来期へのシード権をかけて一打一打が運命を左右するハラハラドキドキの死闘を繰り返すのだ。来期のシードとは、年間に行われる数十試合のトーナメントへの出場権の事。つまり今年度、賞金ランク50位以内(女子)ならば無条件で来年度の試合出場権が与えられる事になるのだ。このシード権は、トーナメント選手にとっては生きるか死ぬかの大きな意味を持つものでプロ選手にとっては死活問題なのだ。
 今週開催されている、伊藤園レディースゴルフトーナメントもその来期へのシード権争いで50位前後の選手が笑い泣きする大会となる。これは試合の優勝争いとは別に、また違う争いが行われていることになるのだ。
 私が今回注目したのは、大山志保(賞金ランク1位)でもなく、宮里藍選手(今期・アメリカツアー22位、国内10位)でもなく、お気に入りの古閑美保選手(5位)でもなかった。
 その選手とは中堅の白戸由香(しろと・ゆか)選手だった。白戸由香と言う選手がいることは知っていた私だが、顔は知らず・・・・つまり、余りテレビに映らない選手と言う事になる(白戸さん・・・ごめんね!)
 プロ13年目の白戸選手は・・・まだ未勝利青森県出身37歳(既婚)。過去シード権を獲得したのは5回で、今期のランクは現在70位代。しかし、この大会で最終日を残して現在単独首位にいる。もし、今日の最終日に優勝すればプロ生活13年目で嬉しい初優勝となるほか、優勝賞金により賞金ランクで一躍上位ランク(50位以内)され、来期のシード権が確実のものとなるのだ。
 土曜日のスポーツ番組でも日曜日のスポーツ新聞でもこの白戸選手の事が大きく報道されていた。こうなれば応援したくなるスポーツ大好きの私。夕方から始まるトーナメント中継を楽しみに待っていた。
 プロの世界・・・何千人ものプロゴルファーがいる。テレビに映る華やかなトッププロトーナメントの出場を夢見る賞金ランク下位のプロ。そしてゴルフ場などでアマチュアなどを指導するレッスンプロと、多くのプロ選手がいる。かたちは違えどプロプロなのだ。実力社会・・・実力のある選手だけが一握りの地位を与えられる世界なのだ(それがプロなのだ!)
 大山志保選手のように今期、女子プロ過去最高賞金1億六千万を稼いだ選手もいれば・・・獲得賞金0円の選手も多くいる。因みに昨年の賞金ランクでは、1位不動裕理選手122,460,908円に対し・・・・賞金を獲得した選手は179位石津朋子選手192,OOO円180位以下からの選手は獲得賞金0円となるのである(厳しい!)
 強くなれば強くなるほど獲得賞金は増え、またスポンサーも多く付くのがこのプロの世界。宮里藍選手横峰さくら選手クラスになれば(実力&人気)、賞金以外にスポンサー数社から何億円もの契約金が入るのだ。この他、テレビの出演料やCM料と我々には想像も付かない大金が入るのだ(羨ましい!)
 そんな華やかなトッププロ選手に比べ、この白戸選手は所属先のないフリーの選手。つまり、トーナメントでの獲得賞金がほぼ全ての収入となるのだ。ここで、私はある事を調べてみたのだ(暇人!)
 プロ生活13年白戸選手の生涯獲得賞金は117,684,793円となる(意外にある!)。そこで今度はプロ4年目宮里藍選手はと言うと・・・すでに白戸選手を超える290,515,521円となる(やっぱり・・・凄い!藍ちゃん)
 今、この日本では子供の時から将来のプロゴルファーを夢見て、幼い時代からクラブを握り毎日練習をしているジュニアが多くいる。当然この事により日本のゴルフレベルは底上げされた。それはお隣の韓国も同じ事でアメリカ・ツアー日本ツアーで上位を占めるのは、韓国選手となっている。
 そしてここ数年の傾向として中国台湾インドを含む東南アジアでもジュニアの育成に国を挙げて取り組む姿勢が見られる。厳しいプロ社会に飛び込む多くの若者、だが先ほども述べたように一握りの運と実力を持つ選手だけがスポットライトを浴びるのだ。
 ゴルフ練習場に行くと親子でクラブをスイングする光景が最近多く見られる。昔なら「親子でゴルフか・・・いいなあ!」と、ほほ笑んで見ていた私だったが、その実情は・・・・最近では違うのだ。「子供をプロに!」と、願う親。「スポーツは楽しんでする!」とは別の世界で物事は進んでいるようだ。
 野球・サッカー・ゴルフ・相撲・テニス・競馬・競輪・競艇・バイク・バレーボール(一部)・バスケットボール(一部)などがある日本のプロスポーツだが、いったいその実情はどうなっているのだろう。
 またまたつまらない事での長い話となりつつある私(反省!)だが、本日の男子ゴルフ53歳中島常幸が久しぶりの優勝となった。青木・尾崎・中島と長きに渡りこの日本のゴルフ界を支えてきた子の3人もすでにシニアの年齢となっている。
 若手主体のゴルフ界だから今日の中島選手の優勝は特別の意味を持つことになるのだ。世界一美しいと言われた中島のスイング。だが、そのスイングでも世界では勝てないとスイングを直した中島選手。その時から中島選手は奈落の道を歩く事になった。あれから十年余り、苦しんで掴んだ複活の優勝だった。「まだまだ、若い人には負けない!」と優勝インタビュー。ジュニア時代から天才と言われてきた53歳の男が・・・そこにいた。
 スポーツの世界・・・勝つ者、負ける者がいる。それはスポーツの世界だけではないのだが、華やかに写るプロの世界だからこそ、見ている私たちはその一打一打を心に刻むことになる。
 女子ゴルフ白戸選手男子ゴルフ中島選手、そのを分けたのは・・・・やはり、追い詰められた時に、自分の中で・・・・「今、この瞬間を楽しもう!」だったのではないだろうか?!


△男の酒のつまみ・・・188
 牛丼風玉子とじ!
 牛肉のコマ切れ玉葱のスライス、それに軽くボイルしたしらたきをすき焼きのタレで煮込む(多少薄めに!)
 全体に味がしみたら火を止め、溶き卵をかける。勿論、ごはんの上にのせてもOK!つまみでも最高です!


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【十一月の六/雨の中の高須町】11月14日(火)

 そぼ降る雨の中を私はこの日、車を鷹巣公民館へと走らせていた。先週11日(土)に田中先生や次男と搬入した高須町棚田での風景パネル6枚を撤収するためだ。日曜日に行われた鷹巣地区文化祭も聞くところによれば大盛況のうちに終わり、次回文化祭への再会を誓いあったと聞いている(こう言う事が大切なんですね!続けて下さい!)
 この日の朝、鷹巣公民館に電話した私は、パネル6枚の所在を確認し、鷹巣公民館へと向かっていたのだが・・・・実を言うとあのパネル写真の今後が少し心配となっていたのだった。田中先生や私が撮った、高須町棚田でのFBC川島秀成アナ大島さやかアナの真剣な・・・それでも見ているとついつい笑顔になってしまう農作業姿のあの写真は、最高の被写体とも言うべき・・・いつまでも残したい高須町のお宝写真(パネル)なのだ。
 10時半過ぎ、私は鷹巣公民館に着いた。まだ雨は降り続いている。公民館の入り口を抜け「こんにちは!」と、声をかけると「はい!」と、女性の声。
 だが、先日までの公民館とは違い・・・静かな館内に私は驚いていた。しばらくすると女性が私の前に現れた。「あの、先ほどお電話した高須町の者ですが・・・パネルを取りに伺いました!」(お前はいつから高須町の住人になったのだ!)と、私が話すと「どうぞ中にお入り下さい!」と親切なこの女性。
 この女性の後に続き、ホールに入った私。パネルはこのホールの壁に立てかけられてあった。私は持ち込んだパネルの梱包用のビニール袋に一枚一枚パネルを入れ、それをまた少し大きめの段ボールで作った梱包入れに入れていく。そんな作業をしていると先ほどの女性が私に、
「この写真、評判でしたよ、大勢の皆さんがこの写真の前で立ち止まって見ていましたよ」と、嬉しいお言葉を下さったのだ。
「そうですか、有難うございます!」と、お礼を言った私。すると、
「お宅さんは、高須町で農業をしてるんですか?」と、女性が私に聞いてきた。
「いや・・・実は・・・」と、私が高須町との関係を説明すると、
「そうなんですか、高須町は色々な人が来られて楽しそうですね!」と、笑顔で話す女性。すかさず、
「高須町の魅力は今、多くの人に浸透しつつありますから」と、話した私。
 梱包が終わり、
「じゃ・・・帰ります、お世話になりました!」と、公民館を出ようとした時だった。
「あっ、ちょっと!」と呼び止められた私。
「はい?」と廊下の奥を見ると、先ほどの女性が手招きをしていた。私は再びホールに戻ると、
「これは・・・どうします?」と、言う女性。
その指差す方を見るとテーブルの上に草木で作ったリースが二個あった。
「これは?」と尋ねると、
「これは高須城小学校の子たちが作った作品です!」と、説明をする女性。つまり、この光くん岬ちゃんの作品を持ち帰って欲しいと言うのだった。
 しかし、ここで問題が発生していたのだった。この二つの作品だが・・・すでに壊れていたのだった。草の葉は落ち、手で持つと今にも全体が崩れ落ちそうな感じだった。私は先ほどの女性にお願いをして段ボール箱をもらい、その二つのリースをそっと仕舞った。少し動かしても壊れそうなリースには私も神経を使う事になったのだった。
 小雨の中、パネルリース入りの段ボール箱を積み込んだ車を、高須町へと走らせた私。気を付けてゆっくり走っているのだがそれでも荷台の段ボール箱の中でリースが動く音がする(まずい!)光くん岬ちゃんが作った作品だけに・・・「あっ・・・壊れてる!」と、私が壊した事になり兼ねない(信用がないからね!)
 そんな事を考えながら車は高須町に入った。いつもならまずは高須城小学校に行くのだが・・・何故か・・・植木御大のご自宅へと車を向かわせた(やっぱり気が重い!)
 植木御大のご自宅はお留守で、玄関先にパネル入りの梱包した段ボールを降ろした私は・・・次に、高須城小学校へと向かった(どうしよう!)
 小学校の駐車場に車を止め、荷台からリース入り段ボール箱を降ろしたのだが、公民館の時よりも少しまた壊れているような・・・そうでもないようなリースだった。段ボール箱を両手に抱え、校庭の中へ。すると職員室から畑先生が顔を覗かせた。
「こんにちは!」と、畑先生。
 私の抱えていた段ボール箱の中身が児童作品ののリースだと知った畑先生は職員室から玄関まで来てくれた。
「これ公民館から・・・」と、畑先生に話すと、
「すいません、取りに行こうと思っていたんです!」と、優しい笑顔の畑先生公民館の時点ですでにリース壊れていた事を話すと
「そうですか!」と、段ボール箱の中のリースを見て、少し残念そうな畑先生の表情に、二人の児童を想う先生ならではの優しさを見たような気がしたのだった(本当はすご〜く、私に怒っていたのかも?!)。そんな時、
「藤田さん、ちょっと!」と、石村校長先生の声がした(やばい・・・怒られるかも?!)
 職員室に入った私に石村校長先生が話した内容は・・・・ホームページの写真の事だった(よかった!)。実は昨日に鷹巣公民館文化祭を訪れた石村校長先生は、あの高須町パネルを見てしばらく学校に貸してもらえないかとの話だったのだ。
 私は、コーヒーとお菓子をご馳走になりながらしばらく校長先生藤川教頭先生、それに少し怒りモード?の畑先生と話していた。そうそう何故かこの時、職員室には岬ちゃんもいた(休み時間かな?)「あのパネルの写真はいいですね!」と、石村校長先生からは何度もお褒めの言葉を頂いた。
 私はコーヒーを飲み干すと小学校を出て、再び植木御大のご自宅へと向かった。玄関脇に置いたパネルはそのままだった。そのパネルを車に乗せるとまたまた小学校へ逆戻り。パネル職員室に運び入れると・・・石村校長先生は授業で教室に。私はパネルを梱包から取り出すと「わあ・・・これ、いい!」畑先生(この時は・・・笑顔!)「綺麗ですね、これデジカメですよね。画像がこんなに綺麗なんて!」と、驚いた様子の藤川先生
 こんなに喜んでもらえるパネルだが、昨年からの川島アナ大島アナ棚田での農作業風景が何故だか高須の町に、いや高須町やこの写真を見た多くの皆さんを笑顔にしている。モデル(川島アナ&大島アナ)が良いと写真が生きているような、そんな気にもなるものだ。
 職員室でそのパネルを見て笑顔の藤川先生畑先生を見ながら・・・そっと小学校を・・・高須町を後にした私だった(いや・・畑先生から逃げているのではありません!)
 何か疲れた午前中だったのだが・・・まあ、いいか!こんな日もあるさ・・・?!


△男の酒のつまみ・・・189
 水菜入りの湯豆腐!
 この時期には、少しの温かいものが一品欲しくなるもので、冷蔵庫を覗くと豆腐と新鮮な越前水菜があった。
 ここは簡単調理となる。小鍋に昆布(小)を入れ、豆腐を半丁。豆腐が熱くなった頃に水菜を入れて蓋をする。
 ポン酢で頂くのだが、豆腐の柔らかさと水菜シャキシャキ感が何とも言えない・・・つまみとなる!


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【十一月の七/いじめ自殺の波紋!】11月18日(土)

 今年もあれやこれやと毎日を過ごしていると、今年も残り後1月半となっている(早いものだ!)。まだ一年を総括するには少し早いのだが、何かこの一年も暗いニュースばかりが目立ったようなそんな一年だった。時折飛び込んでくる明るい話題や嬉しい話題が、いつの間にか消しさられるようなこのところの暗く切なくなるようなニュースには、ほとほと「どうなっているの!」と、ため息を吐きたくなるほどだ。
 北海道福岡で起きたいじめが原因から起きた自殺だが、私が心配していた連鎖と言うのだろうか、このところの相次ぐ全国での中学生や高校生の自殺には、「何とかしないと!」と、行き先の無い怒りに胸が苦しくなるほどだ。
 毎日ニュースワイドショーで大きく取り上げられる、このいじめ&自殺報道だが、昔からではあるがこの連鎖自殺となるものはあったものだった。その昔、女性がある山の噴火口に飛び込み自殺をしたのだが、その後に起こった同じような女性の連続自殺行為。また、人気アイドル歌手だったO・Yがビルから飛び込み自殺したのだが、これも同じように複数の女性が同じようにビルから飛び込む行為を繰り返した事があった。
 だからこそ、この連鎖となる自殺にはマスコミ報道などには慎重にも慎重過ぎるほどの報道を考えて欲しいと私は考えるのだった。何故なら、同じ悩みなどで苦しむ子供たちがいれば必ず、この報道や新聞等を見て同調し「私も同じだ、だったら私も・・・!」と言う気持ちになるからだ。
 にも先生にも・・・ましてやこの悩みは友達にも打ち明けられない今の子供たち。心底自分の心の中を見せられる友がいない現代の若者。それは・・・中規模以上の市町の子供たちに多く見受けられる傾向となっている。  その昔から「いじめ」はあった。だが、自殺を考える若者はそうはいなかったはずだ。学校が終わりカバンを自宅に放り投げると、誰もが公園や空き地で遊んだものだった。その皆で遊ぶことが少なくとも心のストレスの解消となっていたはずなのだ。
 しかし今は・・・学校が終われば誰もが一人を好むように家へと帰り、テレビゲームパソコン携帯電話孤独の世界へと突入している。学校などでいじめや嫌な事があったとしても、その行為は到底拭い去れない事になる。いつまでも自分の心に残る物、それは時間が経っても益々深く心の奥に残るものとなるのだ。
「自分の存在とは?」「自分が生きる意味とは?」と学校内や世間での自分の存在を確認する。でもまだまだ若い中学生や高校生にはその答えは見つかるはずも無く、結局は孤立への道を突き進み・・・生きることを諦めてしまう事になるのだ。
 家庭での親は・・・私と同じ世代の親は、親になれない世代と言われている。「自分が全て!」と考える世代なのだ。親子の会話も少なく、一家団欒の楽しいはずの食事も少ない。ましてや個々の趣味を楽しむようにプライベートの時間を優先する。これでは見えない家庭崩壊への道となる。そんな親になれない親が必ず言う事が「学校の先生を信頼していたのに・・・!」なのだ。
 自分の愛する子供の悩みを気づかず、いや、気付こうともせずにいる親だから、事が起これば自分の親としての自覚を忘れ・・・学校に怒りの矛先を向けることになるのだ。
 勿論、今騒がれているいじめのほとんどが学校内での行為なのだが、先生たちがそのいじめ行為をどれほど把握しているかと言えば「・・・・・?」となる。先生の指導力不足が騒がれる今の時代、担任を持つ先生がどれほどクラス内の事を掌握しているのか疑問の声があるのだ。
「いじめ行為は気が付きませんでした」「それほど、あの子が悩んでいたとは!」と、後手に回る先生。クラス担任の先生・学年主任・教務主任・教頭・校長とその報告経路は外から見れば不可解なものとなっていく。隠蔽工作と言われる行為がこのどこかで行われる事は少なくはない。ましてやその後の学校長から市町村教育委員会・県教育委員会・文科省への報告となれば複雑怪奇と言えることになる。
 学校いじめ行為を認めれば、それはその上の教育委員会の立場を危うくするものとなる。福岡での先生が生徒の遺影の前で保護者に罵倒されていた画面があったのだが、学校側の二転三転のいじめがあった・・・なかったの話がいい例となっている。教育委員会からの学校への圧力は相当なものと考えなければならない。
「認める・・・認めない」が自分の首を危うくするからなのだ。教員となり定年間近での校長職、定年まで無難に終わることが長い教員生活へのはなむけとなるのだ。それは各教育長も同じ事。学校やその教育委員会の対応の遅れ・・・対応のまずさが、全てを物語っているのだ。
「うちの学校だけは・・・大丈夫!」そんな事は誰もが思う事。だが、今のこの時代だから平穏な学校だから、いざと言う時の危機管理に十分な対策を講じていなければならないのだ。
 しかしながら、冷静に考えてみれば、現在の先生たちに子供と真剣に向き合う時間があるだろうか。答えは「No!」となる。朝早くから学校に出勤し夜遅くまで帰宅できない今の先生たち。授業・部活・教職員会議・多種となる書類作成など、これは一部の先生たちの日課の話だ。
 これ以外に我々が想像も付かないほどの仕事が先生たちにはあるのだ。先生たいのデスクの上、それは書類書類の山となっている。報告書の数だけでも異常過ぎる数をこなす先生たち。これでは到底、子供と向き合う時間は無いことになる。
 ある先生の話だが「クラス全員を掌握することは、今の私たちには、残念ながら不可能です!」と、涙を流す先生がいた。そしてこの後この先生が話したことが私の心に深く突き刺さったのだ。「受け持ったクラスの子だから、みんな可愛い子たちです。それぞれの性格や家庭環境を知ることは教師として当然の事。しかしそれ以上の事を今の教師に求められるとき、それはおそらく自分が倒れるときでしょう!」と、話すのだった。
 先生全てが指導力不足では無い。優秀な先生も数多く各学校にいる。だが、その優秀と言われた先生が力を発揮出来ない状況が今の学校にはあるのだ(残念だが!)
 自殺・・・・今、起こっているこのか弱い日本の子供たちの行為をどこかで無くさなくてはいけない。しかし、その兆しとなるものは悲しい話だが今の日本にあるのだろうか?
 その昔「自殺をする勇気があるなら、生きる事の方が・・・」と、言われた事があった。だが、その言葉は今の子供たちには通用しないことになる。
 文科省大臣宛に送られた数枚の自殺予告。この意味するものとは何だろう?自分の存在を知って欲しい、自分の苦しみの一つでも誰かに聞いて欲しい、そんな悲痛なメッセージなのだろうか。我々大人が今すぐにしなければならない事、それは回りに暮す近所の子供たちだけでも笑顔で話すことではないだろうか。挨拶のしない子・・・挨拶の出来ない子に我々大人が諦めず声をかける事、そんな単純な事から何かが生まれ何かが変わるような気がするのだ。
 福井県でも「いじめ相談110番」となるものが時間を延長して対応している。たしか夜8時までの時間を担当者が電話で対応するとニュースで話していた。このニュースを聞いて私は「良い事だ!」とは・・・思わなかった
 何故ならば、本当に苦しむ子供たちが思いつめ最後に辿り着くのが、このいじめ110番とするならば、夜8時では問題外の話だからだ。悩む子供たちが「私の悩みを聞いて!」と電話をかける時間帯・・・それは、おそらく深夜のはずだ。今の時代、誰もが個人で携帯電話を持っている。多くはないがそれは小学生や中学生も携帯電話を持つという。そんな子供たちがふと電話をかけ話したくなる時間帯は、8時までではないはずだ。
 大人の勝手な思い込みがそんな時間になったのかも知れないが、真剣に子供の事を考えこれ以上の犠牲者を出さないためにも常駐(24時間対応)の電話担当者は必要なのだ(大変な仕事だと理解はしているのだが・・・考慮して欲しいものだ!)
 今のところ、この福井県内ではいじめ問題自殺というような話は聞いていない。だが、どこの学校でも多かれ少なかれいじめはあるのだと考えてもいいだろう。それは大規模校になればなるほどいじめと言う名の形が見えないものとなる。自然の中で大らかに学んでいる高須城小学校には当然その心配もなく・・・また、次男が通う順化小学校でも、そんな話は聞いたことがない。
 私が「順化でいじめはあるのか?」と、聞いたのだが「あるわけないじゃん!」と、笑顔で即答の次男。行動によるいじめ・言葉によるいじめと昔より陰湿になりつつある最近のいじめ行為だが、少しづつでもそんなことが少なくなるように願いたいものだ。
 これからの日本の未来を担う大切な子供たち、そんな子供たちに自分で自分の命の時間を決めて欲しくはない。喜びも・・・悲しみも・・・笑いも・・・泣きもするこれからの長い人生。そんな人生は・・・まだ始まったばかりじゃないか!
 明るい話題をこの高須城日記で書きたい私だが、ついつい世間の波に乗り(乗らなくてもいい!)暗い話題を書いてしまう。
 あっ!・・・そうそう、本日18日は私のめでたい51歳の誕生日だったのだが・・・こちらも・・・そうめでたくは無い報告だ(もう・・・51歳か?!いやはや)


△男の酒のつまみ・・・190
 竹輪の天麩羅・山葵(わさび)添え!
 竹輪を食べやすい大きさに切り、コロモをまぶし天麩羅に。天ツユでもいいのだが、今日は何故か山葵醤油で食べる。
 ホクホクの天麩羅ピリッと辛い鼻をつく山葵がたまらなく美味しいのだ。


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【十一月の八/げんき米の配達先で川島アナは?!】11月22日(水)

 高須町の棚田で収穫した今年の新米コシヒカリげんき米も我が藤田家の家族6人(名古屋の長男にも郵送!)の大いなる食欲のお陰で早くも米櫃の中が心細くなってきている。「美味しいわ!」「やっぱり、新米は違うわ!」と、いつもよりは大目に胃の中に収まってるように見受けられる(みんな・・・良く食べる!)
 三年目を終えた私と次男(小6)とでの高須町棚田オーナー制度の参加だが、春の田植えから始まり秋の稲刈り・脱穀・籾摺りとようやく農家の本当のご苦労が少しだけ理解出来つつある私(いや、まだまだ!)
 高須町に通いだして五年。わずかだが高須町の皆さんに顔や名前を覚えてもらうようになった私だが、だからこそ、なおさら高須町に行くことが楽しくなっているのだ(それは、次男も同じ!)高須町魅力高須町優しさが何故か心に長閑なゆとりを齎してくれる。お店も無く・・・コンビニも無い。「何があるの?」と、聞かれれば「癒しの自然がある!」と、答える私(それで、いいのだ!)
 この五年間でいったい何十人?いや、何百人の人に高須町を紹介しただろう。「鷹巣?」「いや、高須!」「海の?」「いや、山の!」と、何度同じ言葉を繰り返しただろう。それでも大好きな高須町だからこそそんな説明は苦にならない。
 そんな無名の地だった高須町(失礼!)だが、この二年間はちょっぴり有名になってきた。新聞各紙で取り上げられ、人気タウン誌でも、また県や市の広報誌でも何度も紹介されてきた高須町
 でも、やっぱり高須町一番に有名にしたのは・・・FBCげんき米・プロジェクト「ライス・スタイル」(昨年)「高須城ものがたり」(今年)に他ならない(納得!)
 一年目の棚田では川島秀成アナ大島さやかアナ美男美女が絶妙のコンビで高須町に暖かく爽やかな風を運んでくれた。
 そして今年は、男やもめ?になってしまった川島アナだが(ゴメンね!)新パートナーとなる地元・高須町のみなさんと共に異色のコンビ?やトリオ?で楽しく高須町を紹介してくれた。
 昨年の春、春と言ってもまだ残雪が残る高須町に訪れた川島アナ大島アナ。そうそう植木御大を尋ね、棚田探しから始まったげんき米プロジェクトだった(懐かしい!)
 
 慣れない田んぼ泥の中悪戦苦闘大島アナカメラマン。何度・・・しりもちを付いた事だろう。それでもトラクターを運転し、お米作りの大事な基礎となる田おこしに挑戦した。川島アナは背中にちょっぴり重い機械を背負い、肥料蒔きに真剣な顔で臨んでいた。笑いと感動があった昨年の二人の棚田は・・・・回りで見つめる地元・高須町の皆さんや私たちをついつい笑顔にしてしまう絶妙のコンビネーションだった。
 
 二年目となった今年のげんき米、ますます・・・川島アナ高須町に通う回数が増えたこの一年となった。お米夏野菜、それに高須城小学校での運動会音楽会も紹介してくれた。高須町でとれたげんき米を背負い東京にも行った。朝早くから地元の皆さんとおにぎりを作り、西川一誠福井県知事にも会いに行った。
 そんなFBCげんき米プロジェクトの二年間で高須町は何かが変わろうとしている。いや・・・変わったのだ!それは・・・また・・・別の機会にお話しましょう(何で?!)
 そして、本日のげんき米プロジェクト《高須城ものがたり》第17話は・・・
 川島アナが丹精込めて育てたげんき米視聴者プレゼントの幸運な当選者にそのご自宅までのお届けのシーンとなったのだ。で・・・そのタイトル「粕谷さんも森本さんも・・・・」?????と、何やら・・・いつもと違う雰囲気のタイトルとなっていた。
 いつものお気に入りのコスチュームで登場の川島アナ10キロ入り「高須産特別栽培米・新米コシヒカリげんき米」(少し長い・・・か?)は、すでに直前に精米されている。
 11月1日での高須城ものがたり「高須町は地産地消のふるさとやわねぇ」終了後に発表された10名の当選者、その中のお一人にお届けとなった今回の川島アナ、某日の夕方だがあわら市山下さん宅の前にいた。
「今晩は・・・FBCでございます!」と、玄関の戸を開けると・・・そこには笑顔の奥様がお出迎えしてくれた。そしてご近所に住む三男のお嫁さんとその娘さん(山下さんのお孫さん・・・可愛いい!)川島アナを迎えてくれたのだ。
 ところが、何故か泣きじゃくるこのお孫さん・・・カメラに驚いているのか・・・それとも川島アナのコスチュームが原因なのか?そんな川島アナ、この山下さん宅のテレビを見ると・・・FBC「リアルタイムふくい」が映し出されていた(ナイス!)「リアルタイムをご覧頂いて・・・」と、川島アナ少しほっとした様子。
 ここで山下さんの奥様げんき米の説明となった。「これが、当選したげんき米です。今、精米してきたばかりです!」と、そのげんき米を手のひらに乗せ山下さんに見せると「わあ・・・綺麗なお米!」と、山下さん
 早速、このげんき米夕飯にと炊く事になった。珍しいガス釜での炊飯の山下さん宅、この日は5人の夕飯となるらしい。そこで川島アナ「今日は何のおかずで、晩御飯ですか?」と尋ねると「何にしましょう?」と、この奥様に逆に聞かれてしまったのだ。それでも「カキフライと後は・・・」と、さすが主婦ならではで献立メニューを決めて行く。
 そして、ここからが川島アナvs山下奥様トークバトルに笑いの渦となっていったのだった。
 おかず作り準備中の奥様が突然「ピーマン切って・・・!」と、川島アナにお願いすると「いいですよ!だてに一人暮らしも長くないんで・・・」と、少し慣れた包丁さばきの川島アナがまな板の上のピーマンを切り始めた。すると山下奥様「えっ!一人身なの?一人身なの?」と、川島アナを追求していく。「一人身、一人身って繰り返さないで下さい!」と、川島アナ懇願した。
 するとさらにこの奥様「粕谷さんの方が・・・」と、リアルタイムキャスター粕谷アナを出してきた。「粕谷さんは結婚してますよ!」と、川島アナは答えたのだが「粕谷さんの方が若いですよ!」と、この奥様の更なる質問の前に答えたのだった。
 しかし、これでは終わらないこの奥様「森本さんは実物いいわねぇ〜?」と、言い出した。これには笑って絶えるしかない川島アナ「ちょっと・・・森本さんいいわねぇとか、粕谷さん若いわねぇとか、僕は一つも誉められていない!」と、嘆きだす。その川島アナの言葉に、笑う奥様だが「どっか、(川島アナの)良いとこを探さないとねぇ・・・!」と、またまた問題発言
 そんな和やかムード?の夕飯作りも終わりいよいよ夕食の時間となった。ガス釜げんき米も美味しそうに炊き上がりテーブルに運ばれた。「特別栽培の無農薬で」山下さんご家族に説明する川島アナ、すると山下さんのご次男「これは・・・美味しいわ!」と、コメントした。更に「今まで食った中で一番うまい!」とまたまた嬉しいコメントを頂いた。
 実はこのご次男・・・高校が農業高校だったらしく、お米作りの経験者だったのだ。当然、高校では収穫したお米は食べるのだが・・・「その時のお米よりも、全然美味しい!」と、評価をくれたのだ。山下奥様にやり込められていた川島アナも、これには気を取り直して「嬉しいですね!」と、満面の笑みを浮かべた。「美味しく召し上がって頂くと、生産者として本当に嬉しいです!」と、山下さんご家族にこの日げんき米をお届けしたことを喜ぶ川島アナ
 この後、この日まだ帰宅していないご主人のために何故かおにぎりを作る川島アナ。そのおにぎりも出来た頃、ご主人がタイミングよくご帰宅となった。すぐに川島アナお手製のおにぎりを食べるご主人「美味しいです!」と、少しはにかんで答えてくれた。
 10キロ入りげんき米は、当然まだまだ残っている。「皆さんで・・・このげんき米を召し上がって下さい!本日はお邪魔しました」と、当選者のお一人山下さん宅への配達を無事に終えた川島アナだった(川島アナ、お疲れ様です!)
 これで高須産げんき米の味を知るご一家がまた増える事になった今回の企画・・・これは・・・面白いですね!
 さて、「高須城ものがたり」が終わり生放送スタジオに戻ったのだが、この日のキャスター粕谷アナでは無く、森本アナが代役としてこの時間も登場していたのだった。何故かいつもより笑顔の森本アナ「山下家は・・・いろんな意味でいい家族だぁ〜!」と、先ほど山下奥様のコメントに素直に嬉しさを抑えきれない森本アナだった(そりゃそうだ!!)
 次回もこのげんき米当選者へのお届け企画があるそうで、げんき米評価も気になるところだが・・・別の意味で、何が起こるか期待したくなる・・・川島アナ高須城ものがたりだ。
 ※FBCホームページ http://www2.fbc.jp/
 《高須城ものがたり》をクリックして下さい。見のがした方、もう一度見たい方はどうぞ!あの感動?を動画で・・・!
 ※福井市農政企画課ホームページ http://www.city.fukui.lg.jp/d320/nousei/index.html
 高須町棚田オーナー制度の春からの催しが見られますよ!また、高須産げんき米(特別栽培米)について、その福井県特別栽培農産物認証制度についても詳しく解説しています。
 ※○△□小学校Web学校日誌 http://t-jou-e.cocolog-nifty.com/blog/
 高須城小学校教頭藤川純一先生が児童の様子や懐かしい給食メニュー(食べたい!)。また、高須町の風景を日替わりで紹介しています!「あ〜ぁ、あの頃に帰りたい!」そんな気持ちになりますよ!


△男の酒のつまみ・・・191
 大根サラダ!
 この時期には旬となる大根、その調理法は様々ある。おでん・茹で大根・ステーキ風・お味噌汁・お漬物とまだまだ多いはず。
 でも新鮮(取りたて)大根では一度は試したい大根サラダ大根を薄く剥き・・・重ねて細く切る。かいわれ大根水菜を上にのせ・・・お好みのドレッシングで!今日の私は和風ドレで頂きます!「シャキシャキ感がタマラナイ!」


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【十一月の九/新蕎麦のお味はいかが?】11月26日(日)

 金曜日の朝、「寒くなってきたね!」と朝、登校前の次男(小6)がランドセルを背負った背中を少し丸めて曇りの空を眺めている。早いもので数日後には十一月も終わりとなるのだが、県内でも山間部から冬仕度の便りが届く季節となってきた。
 昨年末には予期せぬ大雪となった為か、家の回りには少し早めの雪囲いを準備するお宅や、庭の木にも雪吊りをするなど、やはり市内中心部と比べても奥越地方の皆さんや山沿いの皆さんは大変そうだ。今年春から福井市になった旧・清水町田中先生「少し時間があれば冬仕度ですよ!」と、休日でものんびりとは出来ないらしい。
 昨日の土曜日だが、そんな田中先生とある集計をするため少しの時間だが明道中学校で作業した私。男二人であれやこれやと楽しくやっていたのだが、休日となる職員室にはそれでも数人の先生の姿、机に向かい生徒へのプリントやら授業用の資料作りにと真剣な姿で取り組んでいた。だが暫くするとその先生の人数が増えてくる。どこの学校でもそうなのか・・・やはりこの時期になると生徒(特に3年生!)も先生もピリピリムードとなるらしい。そう言えば来月は・・・師走だ!(旨い!)
 さて先週の事だが、高須町佐々木さんから「やろうか?」と、電話があった。この「やろうか?」だが、高須町の棚田の少し上にある佐々木さんの畑で育てた蕎麦が今年も無事収穫され(猪の被害もなく)、乾燥も順調に終わり・・・新蕎麦を食べよう!と、言うものだった。
「あれから一年経ったのか?」と、考えた私だったのだが、良く考えてみると今年の三月に行った蕎麦会だった。田中先生持参の石臼からそば粉を作り(二度挽き)名人級の腕前を持つ佐々木さんが蕎麦を捏ねる。そして、今度はこれまた意外な特技を持つ田中先生が華麗な包丁さばきで蕎麦切りをする(先生・・・失礼!)。  そんなまだ肌寒い三月の高須町での蕎麦会だった。少し震えながらも・・・おろし蕎麦を楽しむ、これまた想像以上に楽しいものだった(しかし、この時、そのおろし蕎麦をデジカメでの撮影を忘れたのだ!それは全員が食べる事に頭を取られ・・・後片付けの時・・・気付いたのだ!)
 だからこの佐々木さんからの電話でのお誘いにはついつい二つ返事で「うん!やろう・・・みんな誘おうか?」と、仲間に呼びかける事になったのだ。
「蕎麦に・・・猪に・・・鍋に・・・」と、炎の料理人?が騒ぎ出した私(誰が、炎の料理人だって?!)高須町大好きメンバーやH・Pでお世話になった方への電話でのお誘いやらメニュー作りにと、この数日は一人で楽しい時間をとなっていた(暇人!)
 一年に何回あるだろうか・・・楽しい宴となりそうな今回の高須町での新蕎麦会。こうなると、準備段階から中途半端には出来ない性格の私は、当日の忘れ物やお客様への失礼がないようにと・・・変に・・・自分の世界へと入るのだった(それは変だよ!)。色々と準備をする私に、「藤田さんも凝りますね!」と田中先生に言われながらも「まあ・・・好きにさせて!」と、一年一度の・・・いや・・・高須町での一期一会?(意味が違うだろ?!)を大切にしたい私だった。
 そんな本日の9時過ぎ、またまた田中先生の車に同乗させてもらった私は、前日から準備した飲料(ビール・お茶など)や鍋用の野菜を乗せ、高須町へと車を走らせた。
 そして当然、先生の車には本日の主役?となる石臼が乗っている。今年の春の蕎麦会にも大活躍したこの石臼だが、最近では中々「石臼なら・・・あるよ!」と言う人はとんと見かけず、石臼自体が減っていたらしい。昔、そう・・・私たちが子供の頃には町中では見なかったが少し田舎の方に行くと、農家には必ず一つぐらいはあったものだ。時代の流れだろうか、重宝されていた石臼は使わなくなり、倉庫や土蔵の奥へと追いやられてしまった。追いやられるならまだいいのだが、いつしか石臼「邪魔!」とばかりに玄関脇や庭の片隅に花台として使われ・・・そのうち・・・丸い石臼の一片がかけていく。そんな石臼を私は何度か見たような気がしていた。
 と人間とは深い繋がりがあったのだが、石臼の歴史についても古代から色々な用途で人は元となる石挽きなどで使ってきた。それはこの日本だけではなく、ヨーロッパ各地や中国でも古い歴史がある。薬・コーヒー豆・大豆・お茶とその用途は多くあった。長い歴史の上で重宝されてきた石臼も、それに変わる各種機械等が作られ影を潜めてきた。
 しかし、近年には石臼ならではの細かさや味を再び求めようと電動石臼などが多用されている。これは石臼の石自体が無くなってきたのと手作り石臼職人が少なくなってきたのも一つの理由となる。
 何ヶ月か前にある番組でその手作り石臼職人が取り上げられていたのだが、やはり高齢者で幾つものノミなどを使い丁寧に彫っていくのだが、これは時間がかかる仕事となる。用途によっても石臼の溝模様は違うようでやはり長年の伝統と歴史に支えられた職人ならではの仕事となる。当然この手作り石臼は、依頼から発注までは数ヶ月を要し、その値段も数十万円となる。それでも近年の石臼ブーム?で全国から問い合わせが多いらしいのだ。
 そんな貴重な石臼が今、私の後ろにある。先日、田中先生が話していたのだが、この春の高須町・佐々木さん宅での蕎麦会でこの石臼を使って以来、先生のお母上も「私も使います!」と、を挽いたり・・・時々この石臼を使われているそうなのだ(さすが・・・お母上!)市販のきな粉とは違い、体力と時間はかかるものの・・・その味や香りは雲泥の差があるという(当然ですね!)
 車は、いつもの本郷・一王寺線【十月の一】で紹介した近道)から左折し、旧・上郷小学校跡地過ぎの坂道を登って行く。狭い道には落ち葉が路面を覆っている。それでも不思議な事にタイヤの痕だけは路面が見えている。そうそうこの近道だが私がこの日記で紹介?してから、「私もあの道を通りました・・・本当に早いですね!」と、何人もの方から良い近道を教えてもらったと、お礼の言葉を頂いたのだ。
 最初にこの道を通った時は「この道で・・・本当に高須まで行けるの?」と、不安な思いをするのだが・・・見慣れた高須町の風景が目に飛び込んでくると・・・誰もがホットし時計を見ると、「おっ、本当に早いな!」と口にする・・・そんな道なのだ※注意:でも冬期間と夜間はくれぐれも運転に気を付けて下さいね!)
 田中先生と私はまたまたPTAの話題で盛り上がりながら・・・高須町へと入った。今回の蕎麦会の場所なのだが、気温や風を考慮して・・・春の佐々木さん宅から植木御大にお願いして集落センターをお借りすることにしたのだった。
 時間は10時前だった。集落センターはまだ鍵がかかっていた。私と田中先生は車の中から石臼やその他の準備した物を降ろしながら鍵の到着を待つことにした。しばらくすると「おはよう!」と、軽トラの荷台に蕎麦打ち道具一式を積んだ佐々木さんが現れた(佐々木さんは昨日仕事で徹夜!)
 少し風邪気味の様子の佐々木さん、事前の電話では「午前中は寝るでの!!」と、言っていたのだが・・・集落センターの板の間にブルーシートを広げ・・・石臼が置かれると、「さあ・・やろか!」と、睡魔も風邪もどこかに隠れたみたいだった。
 三月以来の石臼での蕎麦の実挽きは、その感触がまだこの手のひらに残っていた。「ガリガリガリ」石臼を回すと上下の石臼の間から蕎麦の実の殻白い綺麗な蕎麦粉が少しずつ落ちてくる。早くも無く・・・遅くも無く・・・石臼を回す。ついでに全員の口も滑らかに動いている(みんな良く喋るのだ!)
 ところで本日の蕎麦会午後の2時半からとなっている。しかし蕎麦打ち体験は10時集合にした本日、佐々木さん田中先生それにの3人が石臼作業をしていると、佐々木さんの先輩である高島さん(久々の登場です!)と、高須城小学校藤川教頭先生が入って来られた。全員作業が続く石臼での蕎麦粉作りを笑顔で交代していく。石臼初体験の藤川先生、休憩中はビデオ撮影やデジカメ撮影をするほどの熱の入れようだ(後日、児童たちと蕎麦打ちがあるらしい!)
 私は、石臼作業から離れて集落センターの厨房をお借りして鍋料理などの準備を始めることにした。前日から野菜などを用意はしたものの、まだまだ当日になるとしなければならない事は多いものだ。一人厨房での蕎麦汁作りから始めた私だが大根おろし(3本分)は・・・肩や腕が相当に疲れるものだ。とりあえず蕎麦つゆの中に少しの醤油を入れ、おろした大根を大鍋に入れ味見をする。「うん・・・美味い!」
 大根おろしを終えて休憩をと煙草を咥えた私の目の前に何やら野菜の入った大きな袋があった。この袋だが、佐々木さん「蕎麦に使って!」と、先ほど厨房に持って来たものだった。袋の中を見ると長ネギ辛み大根が入っていた(愕然!)。私は煙草を箱に戻し・・・またまた辛み大根おろしの作業へとなったのだ(誰か交代して!肩が・・・腕が・・・!)
 厨房の外の板の間からは石臼作業しながら世間話に花を咲かせる中年男4人の楽しそうな声が聞こえてくる(お〜い!)。私は辛み大根をおろし・・・長ネギのみじん切りへと移った。この時・・・厨房の入り口から私の包丁さばきを見つめる可愛い女の子の姿があった。それは、いつの間にか集落センターに来ていた高須城小学校岬ちゃん(5年)だった。どうやら岬ちゃん藤川先生からの話で石臼作業や蕎麦打ちの見学に来たようだ(偉い!)
 集落センター内の畳の間にテーブルを並べ座布団を敷く、本日の客様の名前を書いた名札を置き、コップやお箸を並べる。お鍋用にガスコンロを置き・・・後はお肉とお野菜の準備だけとなった。時間を見ると・・・12時を少し回っていた(時間が経つのが早い!)
 ここで私は、まだ足りない野菜などを買いにスーパーに行くことにした。高島さんにお願いして同行してもらう。この高須町から一番近いスーパーは・・・仙町のハニーとなる。ごぼう・舞茸・椎茸・えのき・焼き豆腐などを買い、近所の量販店で焼肉用に炭も買う。そしてコンビニに寄り氷を少し多めに買った(その他の材料は前日に準備完了!)
 往復1時間のお買い物ドライブだったのだが・・・そうそう、高須町を出てあの近道を走り車が清水平辺りに来た時だった、急に徐行する高島さん。何かあったのかと高島さんを見ると・・・高島さん窓の外を見て「綺麗な紅葉だぁ〜!」と、車窓から見える木々の隙間から覗く、向かいの山の色付きかけている景色に感動しているのだった(いい人だ!)
 高島さんと買い物を終え集落センターに戻ると、蕎麦打ちも大詰めを迎えていた。佐々木さん田中先生、それに藤川先生で蕎麦を捏ね・・・のばし・・・細く切って行く。まさに名人技だ。三人とも会話も少なく真剣に蕎麦と向き合っている(つなぎは・・・黄身と自然薯です!)
 地元・高須町にこの春引越して来た、若手のホープAさんも手伝ってくれている。私のぼたん鍋作りも急がねばならない。ごぼうの皮を剥き・・・包丁で先端から細く切っていく(いわゆる・・・ささがきです!)
 午前中に用意したキノコ類に加え、ごぼう白菜しらたき大皿に乗せテーブル(畳の間)のガスコンロ横に置いて行く。午前中一人だった厨房内では、Aさんも加わり何箇所かのガスに火が付き・・・・蕎麦茹で用や大根が茹でられている。ギリギリでの解凍となった猪肉もどうにか間に合うみたいだ。
 そんな時、集落センター入り口から「こんにちは!」と聞き覚えのある声がした。いよいよ高須町大好き仲間のみなさん集合の時間となったようだ。本日の蕎麦会への出席者は12名の予定だが・・・都合により2名の方が欠席となった。
 続々と集落センターに来られる皆さんだが、すぐに蕎麦打ちを見ようと佐々木さん田中先生の回りを囲んでいる。この時、厨房では最後の仕上げは大忙し状態で・・・汗が吹き出すほど(またまた・・・痩せてしまう!)
 厨房での準備もほぼ終わりとなり少し安堵となった私、蕎麦茹での大鍋もグラグラと蕎麦の出来上がりを待っている。佐々木さんの蕎麦打ち、田中先生の蕎麦切りと名人級の二人が4時間かけての今日の蕎麦会も仕上げの最終段階となっていた。そんな時、蕎麦第1陣が高島さんの手によって厨房に運ばれてきた。すぐに大鍋の中で茹でられる新蕎麦。やはり蕎麦は大量のお湯で茹でないと・・・・ダメだね!(うん!)
 蕎麦が茹で上がり・・・冷たい高須町の水で冷やされる。ザルで水切り・・・器に盛られる。ツユ長ネギカイワレ大根辛み大根花かつお蕎麦の上にのった(食べたい!)
 美味しそうな高須産(佐々木氏生産!)新蕎麦の完成だ。まずはお客様に振る舞われた。「美味しい!」「最高です!」とこの厨房の中にも声が聞こえてくる(そうでしょ!)「御代わり・・・いいですか?」と、空になった器を持って来られたお客様もいる(どうぞ・・・どうぞ!)
 一通りお客様に蕎麦が振る舞われ・・・ようやく厨房の中で私たちも蕎麦を味わう。厨房の中、立ったままの高島さんAさん・・・「あっ!」という間に器の中の蕎麦が口の中へと消えていく。「うまいのぅ〜」(高島さん)「香りが全然違います!こんなお蕎麦初めてです!」(A氏)と、二人の顔は最高の評価を物語っている。そんな二人を見ながら私も新蕎麦を頂いた。新蕎麦の香りが鼻から頭に抜けていく。一口・・・滑らかなのどごし・・・一本・一本にコシがある。「美味しい!」単純な言葉かも知れないが・・・この言葉以外に何がある(他にもあるだろ?!)。  厨房で準備された鍋やその他の料理も全てテーブルに運ばれた。集落センターの玄関先では藤川先生A氏によって猪の肉が炭火で焼かれている(これがまた・・・最高なんです!)
 予定を30分ほど遅れてが始まった(すいません!)高須町大好きの皆さんがテーブルの前に座っている。まずは挨拶だが・・・植木御大の代理として僭越ながら私がさせて頂いた。そして本日参加されたお一人お一人の紹介と、本日のお品書き?も紹介した。
 高須町集落センター・・・一日限りの《郷土料理・割烹たかすじょう》のおしながきは・・・・。
一、 猪の焼肉 塩胡椒仕立て
一、 新蕎麦(高須産)おろし蕎麦
一、 厚揚げ焼き、水菜添え
一、 茹で大根、柚子味噌仕立て
一、 高須風味噌ぼたん鍋     となっている。
 この料理の中の何品かは、私がこの高須城日記の中の『男の酒のつまみ』で書いた料理となる(自信作だ!)
 乾杯の音頭藤川教頭先生にお願いし、楽しいの幕は開いた。ギリギリまで蕎麦打ちに汗を流していた佐々木さん田中先生も・・・また、熱い炭火と格闘していた藤川先生A氏も少し疲れた顔だが笑顔で皆さんと談笑していた。食べながら・・・飲みながら・・・それぞれの事やこの高須町の事を話している(こう言う事が大切なんです!)。高須町在住2名と福井市各所から集まった8名のは時間の経つのも忘れ大いに盛り上がった。
 でも今回の会の本当の主旨は・・・皆さんから高須町について語って頂こうと言うのが目的だった。すると・・・・・
「こんな良い高須町の魅力をもっと多くの人に伝えたい!」
「テレビやホームページを見ても、本当にこの高須町の場所を知っている人はまだまだ少ない!」
「大きくなくてもいいから、この高須町でイベントを・・・!」
「美味しいお米をもっとPRして欲しい!」
「何か皆が憩える施設があれば!」
「小学校の将来が心配です!(子供がいない!)」
「高須産の様々な特産物のPRをして欲しい!」
と、様々な貴重なご意見も頂いた(有難うございます!)
 ぼたん鍋をつつきながらお茶ビールを飲みながら全員で高須町を語ったのだった(皆さん真剣でした!)
 私はふとここにいる皆さんの顔を眺めたのだが・・・・当たり前の事かもしれないのだが・・・「高須町が無ければお逢いできなかった人達」なのだ!(高須町が取り持つご縁!)
 時の経つのも忘れ、気が付くと集落センターの窓の外はすでに暗くなっていた。時折・・・高須山からのだろうか窓を叩く風音が聞こえてきた。「冬は近いな!」そんな事をついつい考えてしまう静寂の高須町だった。
 皆さん・・・ご参加有難うございました。そして、集落センターをお借りした高須町の皆さん有難うございました。
 あっ!そうそう・・・またまた食い気に頭がいっぱいで春に続き新蕎麦の写真を忘れてしまいました(おいおい!)高須産おろし蕎麦の画像はまた次の機会にあらためて!・・・

△男の酒のつまみ・・・192
 牛蒡(ごぼう)天麩羅!
 牛蒡と言えば、キンピラを思い出す私だがその用途は沢山ある。最近ではサラダ感覚で牛蒡を食べる人も増えているらしい(牛蒡は栄養があるのかな?!)
 牛蒡の皮を取り、なるべく薄く包丁でささがきする。アクを抜くため水にお酢を入れ、その中に少し漬けておく。もう一度軽く水洗いした牛蒡(一口分)天麩羅粉で包み、油でカラリと揚げる。これが意外に美味しいのだ!


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【十一月の十/初霜を見た、寒い朝!】11月29日(水)

 朝5時過ぎ、数日前から再開した早朝ジョギングだが玄関から外に出ると、いささか外が曇って見えた。「まさか、近所で火事?」と、慌てた私だったのだが空を見あげれば一面の靄(もや)となっている。「あ〜あ・・寒い!」と、ジャージの襟を立て軽く走り出した。冬用のジョギングシューズだが、何やら路面は滑りそうな感じで一歩一歩地面との接着を確かめながら足羽川堤防のいつものコースへと向かった。
 まだ暗いその堤防(春の桜並木)では靄が原因ですれ違う人を確認するのに目の前数メートルとなっている。「おはようございます!」「寒いですね!」と、数ヶ月前までなら顔を確かめながらの挨拶も・・・この暗闇では少し挨拶するのに気が引けそうな私だった。足羽川河川敷では犬の散歩をしているのか、犬の鳴き声と走る音が微かに聞こえてくる(この寒さでも、犬は元気だ!)
 もうすぐ12月、冬は確かに今年もやって来る(何を今さら!)暖冬・・暖冬と言うけれど北海道ではもう雪景色となっている町もニュースで映っていた。昨年末の予期せぬ大雪に「まだ・・・身体が?!」と、スコップ持つ手が拒否反応していた私だったが、今から少し筋力アップしなければなんて考えながら・・・少し明るくなってきた町並みを見ながら新明里橋を渡っていた。
 を渡ると再び堤防となるのだがこの東へと向かう(花月橋方向)は、車が走る道となっている。車のエンジン音やライトを注意しながら道の端を走ると、堤防に生える雑草の上に霜が降りている。その霜が車のライトにより少し光って見えるのだが・・・逞しく生える雑草とは逆に、早く帰って暖を取ろうとこちらは逞しく無い中年男となっている(軟弱だよ!)
 吐く息も白く・・・呼吸をする度に冷たい空気が咽の奥を擽る。「はあ・・はあ・・」と、軽いジョギングでも最後には呼吸も荒くなり・・・咳も出る(なんじゃ・・そりゃ!)
 自宅付近まで戻って来る頃には、靄も無くなり近所の奥様が玄関前をほうきで掃除中・・・・「おはようございます!ジョギングですか?!」と、声をかけられるとついつい寒さに固まりかけていた身体も・・・両手を肩から大きく回しいかにも「寒くは無いよ!」と、言わんばかりの見栄のポーズを取る私だ(その場・・・だけ!)
 自宅前に戻るとまたまた近所の奥様が玄関前で鉢植えなどを移動していた。そのまま部屋でを・・・と、考えていた私だったが、ここでも見栄の整理運動となる(だから・・・近所の奥様に何が見せたいのだ!)
 深呼吸・・・深呼吸、空を見上げると朝靄も完全に消えて少し青空が覗きかけている。それでもどこか灰色の空、正面に見える公園の大きな銀杏の木には鮮やかな黄色い葉が付いている(綺麗な黄色です!)
「高須町は寒いだろうな?・・・雪は降っていないかな?」なんて考えると、少し温まりかけてきた身体も・・・身震いへとなりかけた。急ぎ部屋に戻り、先日押入れから出してきたコタツに足を入れる(先に・・・着替えだろ!)。
 時計を見るとまだ6時過ぎ、テレビをつけると・・・みのもんた「朝ズバッ!」が。自民党での復党問題やら、学校問題やらで・・・まだまだこの話題は続きそうだ。コーヒーを入れ・・・煙草に火を点ける。深く煙草の煙が咽から胸へ。たまらない一時だ(だから、煙草は止めろ!)
 そんな時・・・いやこんな時に限ってが起きてくる。部屋のドアを開けた瞬間「ゴホン!」と嫌味の咳の妻(いい根性だ!)「咳をする前に朝の挨拶が先だろ!」と、言いたい私だが胸の奥に終う(言えない!)
 続いて次男(小6)が起きてきた。「お父さん・・・おはよう!」と、眠そうな顔の次男。そんな次男に「今朝、靄が出ていたよ!霜もね!」と、話すと「そうなの・・・」と、無関心の様子(まあ・・いいか!)。下(1階)では親父がお仏壇でのお経をあげ(毎日です!)母が廊下を走るスリッパの音がする(いつものパタパタです!)
 何気ない平凡な我が家の朝・・・だったのだが、ここで妻の携帯が鳴った(こんなに早く何だ?誰だ?)。電話は名古屋にいる長男だった。長男と話している妻だったが、深刻そうな表情で「そう・・そうなんか!」と、答えている(どうした?何があったか・・・教えてくれ!)
 電話を終えた妻が「あの子、バイト先で自転車盗られたらしいの!相当落ち込んでるの!」と、説明を受けた私。怪我か事件でもと電話の会話中にあらゆる想像していた私は一応の安心となった。「何だ・・・自転車か!自転車盗まれたぐらいで落ち込むな!」と、強気の親父姿を強調する(何の意味も無い!)。しかし・・・あいつ(長男)何で俺に(電話)掛けてこない!と、心の中で思う私(心が狭い!)
 今年の春から名古屋に住む長男の足はほとんどが自転車となっていた。高校時代から愛用のメーカー品(ミヤタ)だった。それだけに慣れと愛着はあっただろう。マンション・学校・バイト先とその往復は自転車か地下鉄(時々)だった。「どうしよう?どうしたらいい?」そんな長男の電話だった。
 名古屋は日本の自転車メッカと言われる。高級な自転車から二流三流の自転車も数多く至るところに在る自転車店で販売されている。「名古屋で買うか・・・福井から送るか?」で妻と私は・・・相談中となる(どうして?)
 最近では、自転車のほとんどが中国製の時代となりその製造過程から不良品が多い事は知られている。新車でも1万円を切るような自転車が多い世の中だが、「じゃ・・元手は?」と言いたくなるものだ。安い物には必ず何かがある!そんな事を考える私・・・「やっぱり長い目で見て・・・メーカー品を買って・・・名古屋へ送ろう!」と、結論になった(正解かも!)
 それにしてももうすぐ二十歳(来年6月)になる長男が、自転車の盗難で落ち込んでいるとは・・・可愛いものだ!(気持ちは分かる!)余り望ましくはない事だが、こんな風に世間の荒波にもまれて数多くの出来事に対処する免疫を身体で覚えるのだろう。これ(自転車の盗難事件)もいい勉強になったかも?!
 夕方、次男が下校してきたのだが、「お父さん、今朝ね登校の時に道の横の花壇に霜が降りていたよ!」と、嬉しそうに私に報告した(だから・・・霜の事は朝起きた時に君に話しただろ・・・こいつ覚えていない!)。次男が下校の時間になると続いて中学生や高校生も下校となるのだが・・・男の子は少し寒そうに歩くのだが、それに比べ女子高校生はまだまだ制服のスカートはミニ状態!(寒そう!・・・風邪ひかないようにね!)
 夜、次男は嬉しそうな顔でテレビを鑑賞中。妻は食事の後、名古屋の長男と携帯で長話となっていた。で・・・結局、週末・・・妻と次男は日帰りで名古屋へ・・・となった。勿論、車には自転車を積んで行くらしい!(ご苦労さん)
 春に名古屋へ行ってから一人暮らしを満喫している長男だが・・・どうやら年末には帰省するらしい。約九ヶ月振りに逢う長男がどれだけ逞しくなっているかが楽しみな私だが、ただ一つ心配な事は・・・名古屋弁になっていないかどうかだ!「どえりゃ〜ぁ・・・心配でなも!」(お粗末!)


△男の酒のつまみ・・・193
 寒鰤(ぶり)のしゃぶしゃぶ!
 この時期(少し遅いが・・・)になると富山・氷見寒鰤が食べたくなる私(どうしてだろう?)。そこで大型水産問屋を尋ねると・・・あったのだ。当然、丸々一匹は購入する気もなく、手持ちの財布の中身と相談してのグラム購入となった。
「美味しいですよ・・これは!」と、店員に言われ本日はお刺身よりも薄くさばく事にしたのだ。鍋にだし昆布(歯舞産)を入れごまダレでのしゃぶしゃぶとなった。最近お気に入りの越前みずなとの相性も最高です!


高須城日記V(初冬編)に続く


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