高須城日記V(秋前編)
(平成十八年度・棚田オーナー/福井市 藤田幸治)
【九月の一/高須山に初登頂?!】9月3日(日)
親にとって長い夏休みもようやく終わり、「何か・・・変な感じ?!」と口にするほど、初めての経験となった始業式のない学校へと再び登校している次男(小6)、小学生として最後の夏休みを大いに満喫していた。夏休みに行った石川県・熊本県・東京都のそれぞれの楽しかった思い出が写真やお土産と共に次男の部屋に飾られている。
今年度からの2学期制導入により福井市内のほとんどの中学校では8月29日からが授業開始となった。だが、次男たちの小学校はと言うと・・・・今まで通りの9月1日となっている。それぞれ学校週5日制により、減らされた授業時間を穴埋めするための文科省の策なのだが、子どもたちも保護者も・・・・何か少しの違和感を持つ9月となっている。
そんな日曜日の朝、私の携帯が鳴った。時計を見るとまだ7時を少し過ぎたばかりだった。「誰だろう・・・?」と、電話を取ると田中先生だった。「おはようございます!」と、田中先生の元気な声。「先生・・・どうしたんですか?」と、聞いた私だったが「藤田さん、今日は良いお天気です!行きましょう!」と、嬉しいデートのお誘い?!(違う違う!)
実は以前から私と田中先生とで「高須山からの景色を動画でH・Pに・・・・」と、話していたのだった。四季それぞれの顔を持つ癒しの里・高須町、その高須町の集落や日本海、福井平野や遠く白山連峰が一望できる高須山からの景色を動画でと、その撮影を考えていたのだった。
だが、この発案者は・・・・植木御大だった。何ヶ月か前植木御大が福井新聞に掲載されたことがあった。【七月の十/植木御大の福井物語】で紹介した、植木御大の福井物語のことだ。その記事が掲載された後に私が植木御大と話していた時、「藤田さん、高須山からの写真は数多くあるのだが、ビデオでパノラマ式に撮影できないものか!」と、お話があったのだ。
春・夏・秋・冬と四季折々の高須山からの美しい景色をH・Pで全国の皆様に紹介したい、それが植木御大からの私と田中先生へのお願いだった。「わかりました!」と、いつもの安請け合いをした私だったが、よくよく考えると「冬」はどうしよう?と頭を悩ます問題があった。まあ、積雪のまだ少ない頃に高須山に登れば良い話なのだが、それはそれで・・・・考えてしまう私だったのだ
。
そんな植木御大との話を田中先生に耳打ちしたのは8月の夏休みの事だった(何で・・・耳打ち?!)。
「それは・・・いいですね!さすが植木さん」と、田中先生。だが、夏休みでも連日の学校となっていた田中先生、私とのスケジュールが中々会わずにいたのだった。「明日は大丈夫です!」「じゃ・・・明日、行きましょう!」と、約束しても・・・肝心なお天気が悪く・・・延ばし延ばしとなっていたのだった(どうせ撮るなら・・・晴れた日ですよね!)。
公私ともに私よりはるかに忙しい田中先生のお誘いに布団の中にいた私は「行きましょう!」と返事をしての高須山行きとなったのだ。
8時30分、私は田中先生の車の助手席に座っていた。あれやこれやといつもの如く教育談議やら高須町の話で車中は盛り上がっていた。途中の田んぼではすでに幾つかの箇所で稲刈りが行われている。「もうすっかり秋だな!」「高須町も今日あたり稲刈りですかね?」「そうですね!」そんな会話で車は・・・・高須町を目指していた。
高須町に入ると、育苗センターには地元の皆さんが何人か集まっていた。「何だろう?」と、興味はあるのだがお邪魔をしてはと車を走らせた。佐々木さんのお宅には・・・車があった。「佐々木さん・・・今日はいるね!」「寄りますか?」「いや、稲刈りでしょう・・・忙しいと悪いからやめましょう!」と、ここでも途中下車はしない。そして、高須城小学校前、「ん・・・石村校長先生の車があるよ!」「寄りますか?」「いや・・・ご迷惑になるからやめましょう!」「そうですね!」と、またまた断念しながらの高須山までの道を急ぐ二人だった。
高須山・・・今年3回目の登頂となる私(登頂?そんな大げさなもんか!)。これでおそらく過去10回は高須山に登っただろう。高須山へのハイキングは多くの皆さんに人気があり麓に車を止めて数時間かけて登る人もいれば、登山道ぎりぎりまで車で行き、徒歩15分程度の山道を楽しむ人もいる。この日の私たちは、当然・・・後者の方でカメラなどの重い機材があるためなのだ(麓からは・・・無理!)。
ところで田中先生なのだが、すでに何十回も高須町を訪れているのだが、不思議な事に高須山への登山は初めてなのだ。
「えっ!先生初めてなの?」「はい・・・機会がなかったもんですから!」「そうですか!」と、たわいも無い会話の中凸凹山道を車はゆっくりと走らせる田中先生(新車だからね!)。
高須町の集落から狭い山道を約15分、少し広いスペースが見えてきた。そう・・・車数台分の駐車スペースだ。「ここからは歩きです!」と、私が言うと「はい!」と、何故か初登頂を前に気合の入った田中先生。車を止め、カメラや三脚等の機材を下ろし、いざ出陣となった時だった「あっ!藤田さん・・・少しお時間を下さい!」と、田中先生。「いいですよ!」と、返事をした私は田中先生の動きに注目していた。先ほどまでの半袖シャツから長袖に着替え・・・・腰には火を付けた香取線香が入ったケース。頭にはタオルを巻き、完全な登山モードの田中先生(私は・・・普段着なのに!)。
荷物を二分し細い山道を登り出した二人、意外と急な山道に直ぐに息も荒くなっていく。「はあ・・はあ・・」と、お互いの息使いが聞こえてくる(おい・・おい、大丈夫か!)。
それほど重くは無いはずの肩からぶら下げた器材だが、この時ばかりは何十キロにも感じるものだ(歳だよ!)。「先生、大丈夫?」「藤田さん・・・大丈夫ですか?」と、中年二人がお互いを励まし合いながら、途中から見える日本海の美しい景色に後押しされての山道となっていた。

登り始めて約10分、途中一度の休憩も持たず二人は高須山の頂きに着いた。「わあ・・・凄い!・・・綺麗です!」と、その頂きからの360度のパノラマに感動している田中先生。暫し、その景色に目を奪われコンパス(文房具)状態の田中先生だった。そんな田中先生を見ながら煙草に火を付けて休憩状態の私(携帯灰皿持参です!)。空には青空の中に白い雲が流れていた。日本海には大きな船や白い帆のヨット、始まったばかりの底引き網の漁船だろうか沖合いに数隻が見えた。「いやぁ・・・・登ってよかったです!」と、汗を拭いながら笑顔の田中先生。「ここからのパノラマを紹介したい植木さんのお気持ちが分かります!」と、頷く先生だった。

カメラ器材をセットし、モニターを覗きながらリモコンでカメラを動かす田中先生。「あっ、あの風車は国見岳ですね。あれは東尋坊と雄島ですね。九頭竜川のあの曲がりがいいですね!荒島岳も見えますね。」と、まるで遠足に来た小学生のようだった田中先生(気持ちは分かる!)。

しかし、予定では360度の撮影をと思っていたのだが、山頂付近には何本かの木があり、夏の日本海側の景色を遮っている。「先生・・・あの木・・・邪魔でしたら・・・切りましょうか?」「えっ・・・!」「冗談です!」そんな会話をしながらも撮影は順調に進んで行く。《鷹巣城跡碑》や高須町の集落も撮影しながら1時間半の撮影を終えた二人だった。

室町時代から・・・今の平成の時代。長い年月は経つものの、この高須山の頂に築城した畑時能(はた・ときよし)「何故・・この地に城を築いたのか?」そんな畑時能の気持ちが少し判りかけた二人だった(本当に?)。
ビデオ撮影の後も、あちらこちらとデジカメを持ち動き回り景色を堪能している田中先生、そんな田中先生を見ながら私は遠く北海道奥尻島(南西沖地震)に向けて手を合わせていたのだった。そんな私に気づいた田中先生「あっ、奥尻島ですね!」と、目を閉じていた。
小鳥が囀り・・・足元にはコオロギが飛び跳ねている。空にはゆっくりと白い雲が流れている。遠く日本海沖には小樽航路のフェリーが少しずつ動いている。「気持ちいいなあ〜」「最高です!」そんな当たり前の言葉しか出ない高須山での二人だった。
再び器材を背負い今度はゆっくりと山道を降りて行く。狭いその山道には沢山の石が転がっている。どんな山でも危険は下山の時にある・・・そんな言葉を思い出し一歩一歩足を踏み出して行く。「この道は昔からあった道でしょうね!」と、田中先生。「そうですね・・・畑時能の築城以前からあった道でしょう!」「この石は最近のものですね!」「城壁跡の石ではないでしょう!」と、高須町の歴史の重さを語りながら・・・蜘蛛の巣を避け・・・蚊を避けながら、中年二人は無事に下山したのだった(だから、そんな大げさな!)。
車で高須町の集落に入ると、棚田には「もうすぐだよ!」と言わんばかりに稲穂が風に揺られている。近くの畑では地元の皆さんが農作業に汗を流している。長閑な高須町の日曜日・・・どうやら地元の皆さんの稲刈りは来週あたりか!
高須城小学校横、その駐車場にはまだ石村校長先生の車があった。しかも、もう一台車が並んでいた。「日曜なのに何かあるのかな?」と、小学校内の校庭に入った私と田中先生。職員室の窓は開いているのだが先生たちの姿が見えない。
そんな時「あっ・・・どうぞお入り下さい!」と、校長室の窓から石村校長先生が声をかけて下さった。「こんにちは、じゃ・・・少しだけお邪魔します!」と、玄関から廊下を歩き職員室に向った。すると、校長室から石村校長先生と、その後ろにはもうお一人男性の姿があった。その方は7月に亡くなった朝倉俊彦教頭先生の後任として9月1日付でこの高須城小学校の教頭になられた藤川純一先生だったのだ。
お互い校長先生の紹介で挨拶をしたのだが、「えっ・・・先生は・・・?」と、見覚えのあるお顔の藤川先生。すると「私、順化地区です!」と話す笑顔の藤川先生「そうですよね!」と私。世間は狭いと言うのだが、この時ばかりはその事を改めて感じてした私だった。つまり、藤川教頭先生は順化小学校・明道中学校で私の一つ下の後輩になり、田中先生とは教員として同期に当たるのだ(なんとまあ・・・!)。
職員室でお茶をご馳走になりながら暫し雑談の四人、長閑な高須町に笑い声が響いていた。「ところで今日は何なんですか?日曜日なのに?」と、校長先生にお聞きした私だったのだが「今日は藤川先生と今後の授業内容などの話が・・・」と、朝倉先生の代わりに児童二人の新担任になる藤川先生への申し送り等のお話と言う校長先生。
約15分で学校を後にした私と田中先生は佐々木さんのお宅の前を車で徐行していた。「寄りましょうか?」と、田中先生。「いや・・・佐々木さん田んぼで忙しいから!」と、柄にもなく遠慮した私だった(実は、高須山から佐々木さんの携帯に幾度か電話したのだが通じなかったのだ!)。
車は柳原への道を走っていた。すると「藤田さんゴルフ場からの道(崩落箇所)を見に行きませんか?」と、田中先生が言い出したのだ。「何で?」と、私。「今、どんな状況(道路)か見たいんです」と、田中先生。「・・・・・じゃ、行きますか!」と、承諾した私だった。

ゴルフ場入り口の前、そこには《通行止め》の案内標識があった。さらに崩落現場近くまで足を伸ばしてみると、今日は日曜日で作業は休み。そこには大きなクレーン車が止まっていた。そして、その前の道は大きくけずられていて自然災害の怖さが改めて感じる事ができるものだった。高須町の皆さんの生活道路として一日も早い復旧を望まれるものだ。そんな現場をデジカメで撮影している田中先生「早く復旧するといいですね!」と、話していた。

お昼過ぎ、田中先生と別れ自宅でのんびりとごろ寝をしていた私。妻と次男はボーイスカウトで外出中だった。暇な事もあってか・・・何故だか頭の中は晩酌のつまみを考えていた私。財布を手に近所のスーパーに出かけたのだった。野菜売り場で、ほうれん草・サニーレタスと、買い物カゴに入れた私だが、「ん・・・・!」と、方向転換。先ほど気になっていた10個入りの茗荷(みょうが)のパックを買う事にしたのだ。「今日はこれだな・・・」と、頭の中で茗荷料理を想像していた私。この後、肉・魚と買い自宅に戻ったのだった。
夕方・・・携帯が鳴った。高須町の佐々木さんからだった。「藤田さん、今・・・家か?」「うん」「近くにいるから待っててね!」
その電話から10分後、・・・・高須産の大量の茗荷が入った袋を手に佐々木さんが現れたのだった(・・・・・!)。
△男の酒のつまみ・・・163
茗荷の天ぷら!
茗荷(みょうが)と言えば、その料理は酢の物かお味噌汁が定番となるのだが、私は天ぷらにするのが一番好きだ。軽く水洗いした茗荷を縦半分に切り、冷たい水で溶いた天ぷら粉で約30秒揚げる。茗荷のシャキシャキ感と風味が最高!塩でも天つゆでも良い!
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【九月の二/携帯電話が・・・故障中!】9月5日(火)
九月に入り、まだまだ何かと暗い話題ばかりが続く、嫌な世の中となっている。山口県の国立徳山工業高等専門学校での女子学生が校舎内で殺害された事件には、容疑者とされている所在不明の同級生の安否も大いに気になるところとなっている。昔から逃亡するなら「南へ」と、そんな話があったのだが「いや・・・人ごみの多い大阪方面かも!」と、妻と私の推理合戦の毎日(不謹慎!)。何があったのか、真実を知りたい被害者のご両親や学校関係者、また加害者のご両親や警察関係者。19歳という微妙な年齢による保護法ゆえに捜査が送れているようだが、この少年が生きて真実を語る事と、罪を償う事が被害者の女子学生も同級生として待ち望んでいることだろう。
また、昨日には岡山市で小学6年生男児同士の校内傷害事件があった。次男と同じ年齢である。今のところ被害者の児童は意識があると報道されていて、胸を撫で下ろすものなのだがこのような事件の低年齢化は益々増えつつある日本は、学校教育も家庭教育も改めて考え直す時が来ているようだ(遅いかもね!)。
北海道・稚内市での高校1年生母親刺殺事件も同級生を30万円で殺害を依頼するなど、過去に例を見ない事件となっている。このような事件が連日のように報じられているのだが、何か秋田の彩香ちゃん・豪憲くん殺害事件が忘れ去られるようなそんな世の中になっている。
さて、先月の半ばの事だが私の愛用の携帯電話が故障した。遠い昔の話なら「別に・・・いいよ。家の電話や公衆電話を使うから!それで十分だよ」と、なるのだろうが最近では常に自分の分身のように持ち歩く携帯電話だから、不意の故障には大騒ぎとなっていた。
この故障だが、通話が出来ない訳でもなく画面に異常がある訳でもない。では何が故障なのかと言えば発着履歴とアドレスを操作するボタンが稼動しないのだ。仕事関連や友人、高須町関係者、学校関係と私の携帯アドレスには500件のメモリーが入っている。
今の世の中、ほとんどの人が携帯電話を所持しているわけで、その普及率の増加と共に人が相手の番号を覚える事を忘れている。いや、相手ならまだしもいざ「貴方の番号は?」と、聞かれると「・・・・?」自分の番号さえ思い出せずにいるものだ(携帯の番号は長いからね!)。つまり、私の携帯からはキーの操作上・・・直前に着信あった人しか・・・発信できないのだ(分かります?)。
「どうするの、機種変更するの?!」の妻の言葉にも「もったいないよ!」と、何故か似合わない私の言葉。時々、思い出すかのようにキーが動くのだが・・・直ぐにまた動かなくなる。毎日のようにメールをしていた田中先生や友人とも一方通行の日々だ(メールの発信は出来ない!)。
そんなこんなで「仕方ない・・・新しいのを見に行くか・・・!」、近所の携帯ショップを訪れたのは8月の末の事。店内に入るとズラリと並んでいるカラフルな機種。「今日は、カタログでも持って帰るか!」と、決めていた私は陳列棚の新機種を見ながらもカタログを捜していたのだった。
そんな時、「いらっしゃいませ!」と、横から若い女性の声。「機種変更ですか?」と聞かれた私は「ええ・・・まあ」と、少し無愛想な態度。手に持っていた携帯電話をその店員に見せ「ここが、動かないので・・・」と、説明した。すると、「お困りでしょう!今、お持ちの携帯をお預かりできますか?ポイント(累計)をみますから!」と、すでに私が新機種を買うかの如くの彼女。しかし、一応そのポイントが知りたくて彼女に携帯を渡したのだった。彼女がノートパソコンで調べている間、私は再び陳列棚の新機種携帯を見ることにした。
「ウォ―クマン・ケイタイ・・・耐水・耐衝撃ボディ・・・ミュ―ジック・ケイタイ・・・ワンセグケイタイ」と、本当に最近の携帯電話は進化しているものだと感じていた私。
今から何十年前だろう、携帯電話の初期の話だが肩から鞄のようにかけた大きな携帯電話があった。そんな大きな携帯電話だが・・・・「おっ!凄い・・・カッコイイ!」と、思ったものだった。その携帯電話も片手サイズのコンパクトになり某携帯電話会社のモニターとして私が試験的に使い出したのは20年ほど前だった。
当時はまだまだ携帯電話は高価な物で、普及率は低く携帯電話を持っていると「あっ!携帯電話だ!」と、すれ違う人に言われたものだ。今で言う何かセレブになったかのように市内の公衆電話の前を通りその公衆電話で電話をしている人を見ると用も無いのに携帯電話をこれみよがしにかけたものだった(バカ!でもモニターだからね!)。片町の飲み屋に行き、カウンター席やボックス席に座りホステスから「それって・・・携帯電話ですか?」と、聞かれると「まあね!」と、自慢そうにしていた私(当時、片町は電波の状態は最悪で店の外に出ないと通話できなかった!)。
あれから一度も携帯電話を手放した事がない私、だからこそ突然の故障には困惑していたのだった。陳列棚の新機種、昔の携帯はただ電話をかけるだけの物、今は「これって、必要なの?」と、言いたくなるような機能が多くある。
そんな事を考えていると「お待たせしました」と、店員の彼女。「ポイントを全部使いますと、こちらの機種ですと3千円ほどで購入できますが・・・」と、言うのだ。彼女が指差す機種は新型ではないものの今年の人気の機種だ。
「そうなの・・・で、色はどんな色が今あるの?」と、聞いた私。「今、在庫は・・・白、ピンク、シルバーですね!」と、彼女。私の過去の携帯電話の色だが・・黒・シルバー・シルバー・黒・シルバー・シルバーだった。そこで過去に使用したことの色が欲しくなった私は「ブルー系の色で、今在庫あるのは?」と、尋ねてみたのだ。
すると「ブルーですと、こちらの最新機種ですね・・・ワンセグの!」と、答えが返ってきた。彼女が手にしたその携帯だが、スカイブルーの綺麗な色で何やら色々な機能が付いているようだった。「これだと・・幾らなの?」と、聞くと「ポイントをお使いになりますと・・・5千円ほどです」と、言う店員。
「5千円か!」と、悩んだ私だったのだが、この時、妻が数日前に言っていた言葉を思い出したのだった。その言葉とは「私の携帯古いからポイント使って新しいのにしようかな?!」だった。妻と私と長男とは同じ会社(au)の家族割。つまり、誰がポイントを使おうと良い話なのだが、ここは妻の新携帯をと考えた私は累積ポイントを使用するのは止め、実費で購入する事にしてしまったのだ。
「なるべく安くしてね!」と、店員の彼女に話すと「はい、本日までサービス期間ですのでお安くさせて頂きます!」と、嬉しい応対。だが、そこは商人根性の私は「今日は奥さん(社長婦人)はいないの?」と、みえみえの会話をしたのだった。すると「奥様とお知り合いですか?」と、驚いた彼女。「そうだよ!」と、私が言うと「でしたら、もう少しサービスさせて頂きます!」と、少し笑顔の彼女。契約書を広げ説明を始めようと私がカウンターに座った時だった。
「久しぶり!」と、私に声をかけた人物がいた。私が振り向くと、そこには白髪の男性が笑顔で立っていた。この人物は、私の同級生でこの携帯ショップ会社の系列で他メーカーの携帯ショップの役員だった。「おう・・・久しぶりだな!」と、私が言うと「今日は何?機種変更?いつもここに来るの?」と、聞いてきたのだ。「まあね!・・・それにしてもお前のその白髪は・・・・いつから?」と、聞いた私に「いいじゃないか!歳なんだから」と、同級生(同じ歳だろ!)。
しかし、この同級生だが嬉しい言葉を私に対応していた店員の彼女に言ってくれたのだ。「おい!特別サービスしろよ」
「・・・はい!」と、今度は彼女の顔から笑顔が消えていた。
そんなこんなで通常価格の半額近くにまでなった新機種は私の手の中にある(説明書を読むのが面倒だが!)。これから仕事の時も、食事の時も、寝ている時も私の側にいることになる新しい携帯電話(妻よりも私の近くだ!)。
そうそう、サービスを頼んでくれた同級生だがこの店を出る時に「藤田・・・前はボーダフォンじゃなかったっけ!いつからauになったの?」と、聞くのだ。そこで私は「高須町はauがいいから・・・」と、答えた。「・・・・・・・?」と、不思議そうな顔の同級生だった。
家に帰り、説明書を見ながら操作法をあれやこれやと携帯電話をいじっていた私。そんな私に妻は「あっ、それってテレビ見れるんだよね」「うん!」「でも・・・どこで見るの?」「・・・・・・?!」(うるさい・・・でも、確かに!)
△男の酒のつまみ・・・164
獲れたての甘エビ!
数日前から解禁となった底引き網漁だが、三国港近くの親戚から、新鮮な甘エビをたくさん頂いた。何か工夫をとも思った私だが・・・・ここはやはりそのままで食べることにしたのだ。
綺麗な赤色をした甘エビ。夕食(晩酌)まで冷蔵庫にて冷やして置く。今日は日本酒のロックだ!醤油は付けず・・・あえて塩を少し振り・・・口に入れる。最高だ!
甘エビの頭は・・・八丁味噌で味噌汁に!
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【九月の三/祝・親王様ご誕生】9月6日(水)
この時期になると市内の各学校では何やら児童・生徒・学生たちが忙しそうに動き回っている姿が見られる。小学校では秋の運動会があり、中学校や高校では学校祭が行われるからだ。近くの仁愛女子高校では玄関には風船で造ったカラフルアーチが設置されていて、前を行く人の目を楽しませてくれる。
また、母校の明道中学校でもこの日・月と学校祭(文化祭・体育祭)が予定されている。この何日か明道中学校を訪ねると、グランドや体育館では生徒達が応援練習や歌の練習だろうか、一生懸命に・・・楽しそうに取り組んでいる。因みに今年の明道中学校学校祭のテーマは『CIRCLE&CIRCLE〜扉〜』となっている。毎年このテーマは生徒達自身が決めているのだが・・・上手く考えるものだと関心してしまう。私達の時代は・・・《天高く・・・》とか《根性・・・》なんて漢字を使ったものだったのだが・・・やはり時代が違うのですかね。
次男(小6)の通う順化小学校でも明日は運動会が行われる。春は地区の体育祭でこの秋は児童だけでの運動会となる。次男にとって小学生最後の運動会だけに楽しい思い出にと考えているのだが・・・・何やら雲行きが怪しくなっている。
あれほど好天ばかり続いていた福井の空も、ここに来て雨マークが見られる天気予報となっている。水はけの悪い順化小学校のグランドだけに順延は地区の人は慣れている。しかし、当の児童たちは楽しみにしているようで、次男も「お父さん、雨予報だけど・・・大丈夫かな?!明日、あるよね!」と、心配そうな顔で朝、登校して行った(下校時には、早々と順延決定でした!)。
さて、前回のこの日記で「何かと暗い話題ばかりが続く・・」と、書いた私だったのだが、ようやく日本中、いや日本国民が笑顔になる嬉しいニュースが飛び込んできた。本日の午前中に秋篠宮紀子妃が親王殿下をご出産されたのだ。皇室にとって41年ぶりとなる男子のご出産ということで、日本はもとより外国でも大きなニュースとして取り上げられているようだ。
何千年の歴史と伝統を持つ日本の皇室は、世界のあらゆる国には例を見ないものだ。私の子供の頃には、世界で日本とアフリカのエチオピアの皇室が長きにわたり続いていると教えられたものだったが、何十年か前にそのエチオピアの皇室が追放されてしまい、日本が世界で最古の国となったのだ。
そんな事からも日本の皇室には、世界各国から注目されていることになる。そして、本日の男子お誕生のニュースにはとらえ方には多少のニュアンスの違いはあるものの、概ね微笑ましく報じた国が多かったようだ。
ところで、私の父や母は生まれた時代が少し違うためか、過去の天皇のお名前を勉強したのか・・・させられたのか、覚えているのだ。勿論・・・・途中まで!
そこで、お勉強の時間です。歴代天皇をお勉強しましょう。
《歴代天皇一覧》 即位年月日
第一代 神武天皇(じんむ) BC 661.01.01
第二代 綏靖天皇(すいぜい) BC 581.01.08
第三代 安寧天皇(あんねい) BC 549.07.03
第四代 懿徳天皇(いとく) BC 510.02.04
第五代 孝昭天皇(こうしょう) BC 473.01.09
第六代 孝安天皇(こうあん) BC 392.01.07
第七代 孝霊天皇(こうれい) BC 290.01.12
第八代 孝元天皇(こうげん) BC 214.01.14
第九代 開化天皇(かいか) BC 158.11.12
第十代 崇神天皇(すじん) BC 97.01.13
第十一代 垂仁天皇(すいじん) BC 29.01.02
第十二代 ※景行天皇(けいこう) 71.07.11
景行天皇には双子がいて第二子が大和武尊(やまとたける)
第十三代 成務天皇(せいむ) 131.01.05
第十四代 仲衰天皇(ちゅうあい) 192.01.11
第十五代 応神天皇(おうじん) 270.01.01
第十六代 仁徳天皇(にんとく) 313.01.03
第十七代 履中天皇(りちゅう) 400.02.01
第十八代 反正天皇(はんぜい) 406.01.02
第十九代 允恭天皇(いんぎょう) 412.12.?
第二十代 安康天皇(あんこう) 453.12.14
第二十一代 雄略天皇(ゆうりゃく) 456.11.13
第二十二代 清寧天皇(せいねい) 480.01.05
第二十三代 顕宗天皇(けんぞう) 485.01.01
第二十四代 仁賢天皇(にんけん) 488.01.05
第二十五代 武烈天皇(ぶれつ) 498.12.?
第二十六代 継体天皇(けいたい) 507.02.04
第二十七代 安閑天皇(あんかん) 531.02.07
第二十八代 宣化天皇(せんか) 535.12.18
第二十九代 欽明天皇(きんめい) 539.12.05
第三十代 敏達天皇(びたつ) 572.04.03
第三十一代 ※用明天皇(ようめい) 585.09.05
※聖徳太子の父上
第三十二代 崇峻天皇(すしゅん) 587.08.02
第三十三代 推古天皇(すいこ) 592.12.08
第三十四代 舒明天皇(じょめい) 629.01.04
第三十五代 ※皇極天皇(こうぎょく) 642.01.15
第三十六代 孝徳天皇(こうとく) 645.06.14
第三十七代 ※斉明天皇(さいめい) 655.01.03
※同一人物
第三十八代 天智天皇(てんち) 668.01.03
第三十九代 弘文天皇(こうぶん) 671.12.05
第四十代 天武天皇(てんむ) 673.03.27
第四十一代 持統天皇(じとう) 690.01.01
第四十二代 文武天皇(もんむ) 697.08.01
第四十三代 元明天皇(げんめい) 707.07.17
第四十四代 元正天皇(げんせい) 715.09.02
第四十五代 聖武天皇(しょうむ) 724.02.04
第四十六代 孝謙天皇(こうけん) 749.07.02
第四十七代 淳仁天皇(じゅんにん) 758.08.01
第四十八代 称徳天皇(しょうとく) 764.10.09
第四十九代 光仁天皇(こうにん) 770.08.04
第五十代 桓武天皇(かんむ) 781.04.03
第五十一代 平城天皇(へいぜい) 806.03.17
第五十二代 嵯峨天皇(さが) 809.04.01
第五十三代 淳和天皇(じゅんな) 823.04.16
第五十四代 仁明天皇(にんみょう) 833.02.28
第五十五代 文徳天皇(もんとく) 850.03.21
第五十六代 清和天皇(せいわ) 858.08.27
第五十七代 陽成天皇(ようぜい) 876.11.29
第五十八代 光孝天皇(こうこう) 884.02.04
第五十九代 宇多天皇(うだ) 887.08.26
第六十代 醍醐天皇(だいご) 897.07.03
第六十一代 朱雀天皇(すざく) 930.09.22
第六十二代 村上天皇(むらかみ) 946.04.20
第六十三代 冷泉天皇(れいぜい) 967.05.25
第六十四代 円融天皇(えんゆう) 969.08.13
第六十五代 花山天皇(かざん) 984.08.27
第六十六代 一条天皇(いちじょう) 986.06.23
第六十七代 三条天皇(さんじょう) 1011.06.13
第六十八代 後一条天皇(ごいちじょう) 1016.01.29
第六十九代 後朱雀天皇(ごすざく) 1036.04.17
第七十代 後冷泉天皇(ごれいぜい) 1045.01.16
第七十一代 後三条天皇(ごさんじょう) 1068.04.19
第七十二代 白河天皇(しらかわ) 1072.12.08
第七十三代 堀河天皇(ほりかわ) 1086.11.26
第七十四代 鳥羽天皇(とば) 1107.07.19
第七十五代 崇徳天皇(すとく) 1123.01.28
第七十六代 近衛天皇(このえ) 1141.12.07
第七十七代 後白河天皇(ごしらかわ) 1155.07.24
第七十八代 二条天皇(にじょう) 1158.08.11
第七十九代 六条天皇(ろくじょう) 1165.06.25
第八十代 高倉天皇(たかくら) 1168.02.19
第八十一代 安徳天皇(あんとく) 1180.02.21
第八十二代 後鳥羽天皇(ごとば) 1183.08.20
第八十三代 土御門天皇(つちみかど) 1198.01.11
第八十四代 順徳天皇(じゅんとく) 1210.11.25
第八十五代 仲恭天皇(ちゅうきょう) 1221.04.20
第八十六代 後堀河天皇(ごほりかわ) 1221.07.09
第八十七代 四条天皇(しじょう) 1232.10.04
第八十八代 後嵯峨天皇(ごさが) 1242.02.26
第八十九代 後深草天皇(ごふかくさ) 1246.01.29
第九十代 亀山天皇(かめやま) 1259.11.26
第九十一代 後宇多天皇(ごうだ) 1274.01.26
第九十二代 伏見天皇(ふしみ) 1287.10.21
第九十三代 後伏見天皇(ごふしみ) 1298.07.22