高須城日記V(夏中編)


(平成十八年度・棚田オーナー/福井市 藤田幸治)





【六月の十四/週末の・・・約束!】6月25日(日)

 九州や四国をはじめ、太平洋側では大雨の警戒となっているのだが、福井では降るでもなく、晴れるでもない北陸特有のはっきりしない「ぐずついたお天気!」と、なっている。
 朝、その空を眺めては「今日はお天気になるのかな?」と、心配顔の次男(小6)「今日は・・・相撲大会だろ?」と、聞いた私だが、「順化のグランドであるのか?」の質問に「ううん!武道館だよ」と、答えた次男(屋根付きだから天気は関係ないじゃん!)
 次男の毛虫(チャドクガの幼虫)による発疹も、どうにか治まりこの日の相撲大会に間にあう事になった(上半身を裸で戦う相撲大会、赤い斑点があれば、相手に失礼だから・・・あっ!でも、斑点があった方が「気持ち悪い!」と、勝てるかもね?!)
 そんな事を考えている朝、「お父さん・・・行って来ます!」と、次男は付き添いの妻と共に、元気で武道館へと出かけて行った。順化小学校の代表として恥ずかしくない取り組みをして欲しいと願う私だが、何故か相手に優しい次男の性格、「全敗かな?」と、朝のコーヒーを飲みながら思う私であった(何故、次男が代表なんだろう?)
 そんな次男が昨日の夕方に、
「お父さん、高須の田んぼに行こうよ!」と、突然言い出した。
「いいけど・・・何で?」と、聞き返すと
「あのね・・・今の時期の稲の成長を見たいから!」と、答えたのだった。
「じゃ・・・明日の相撲大会で勝ったらね!」と、次男にとって微妙な約束をした私。
 それでも「わかった!」と、頷く次男(こいつ、勝つ自信があるのか?!)。しかし、次男の心の中は読めている私。次男は稲の成長よりも高須町の佐々木さん子供さんたちと遊びたいのだ。長男が名古屋に行き、我が家の次男は現在ひとりっ子状態となっている(きっと、寂しいのだろう!)。そんな次男の顔を見ながら「勝って来いよ!」と、願う私だった。
 この数日、何か気の晴れない毎日となっているのだが、その原因は・・・ブラジル戦で完敗となったジーコ・ジャパンだろう。23日の朝4時からの試合。私はその2時間前から起きだしてテレビの前で一人サポーター態勢を取っていた。
「ダメだろう!」とは思いながら、それでも「奇跡は起こる!」と、信じていた。ジーコ・ジャパン4年間の集大成となるこの試合、しかし決勝トーナメントへの道には条件がある。ブラジルに2点差以上を付けて勝つ事。また、別会場で同時刻で行われるオーストラリア対クロアチアが引き分けるか、クロアチアが僅少差で勝つ事だった。
 自室のテレビを2画面にした私。日本対ブラジル(画面大)・オーストラリア対クロアチア(画面小)を設定し準備万端整えてキック・オフの笛を待っていた。ほぼ同時刻に試合は始まった。「頑張れ・・・頑張れ・・・」と、心の中で叫ぶ私。そんな私を他所に、妻と次男は・・・・・熟睡中(君たちには応援しようとする、日本人の心が無いのか!)
 そして、前半の最初に動きがあったのはオーストラリア対クロアチアだった。先取点を入れたのは何と、クロアチアでこの時、「やった〜」と、叫んだ私。そして、日本は玉田の豪快なシュートがブラジルのゴールネットを揺らした。この時までは、全て日本チームの予選突破となるシナリオ通りだった。前半ロスタイム、ブラジルの不調と言われたロナウドの同点ゴールが決まった。「守れない日本」が再び姿を現した時だった。それでも、奇跡は起こることを信じ応援する私。妻も寝室でテレビを見ていた(寝ながら!)
 後半は・・・・もう・・・書きたくない。1対4、予選2敗1分け。このスコアが、この結果が全て今の日本チームの世界での実力を表していた。4年後までにはどうなる日本チームのレベル。いや、もうすぐアジア予選(8月)が始まるのである。新監督、新メンバーで再び世界に挑戦する日本チーム。その道のりは決して楽なものではないが、スポーツの基本・・・まずは・・・走ることから始めてほしい!
 のんびりと日曜日の時間を過ごしていた私。テレビとパソコンと交互に楽しんでいた。そうそう、当然FBC川島秀成アナウンサーの朝の番組も見ましたよかるたでしたね!)。  次男と妻が相撲大会から戻るのは夕方だと聞いていた私。それでも午後になると、着替えをして出かける用意を始めたのだった。そして、一緒に出かける田中先生からの電話を待っていた。この日の行き先は・・・高須町ではなく・・・県の産業会館だった。前日、その田中先生からの電話で「もし、お時間があれば付き合って下さい!」と先生からのお話に「いいですよ!」と、約束をしていたのだった。しかし、県の産業会館で何のイベントがあるのか聞いていない私だった(まあ・・・いいか!)
 その田中先生だが、昨日の土曜日に・・・面白い(失礼!)事があったと聞いた。少し・・・いや・・・全部暴露すると、土曜日の午前中だが明道中学校に休日出勤した田中先生(先生は忙しい!)。しかし、この日の午後からは、家族サービス(お嬢さん(高1)と映画を見に行く約束をしていた)があったらしい。学校では、週明けの月曜日から生徒たちの定期テストが始まることになっているが、ここで重大な問題が発生!生徒たちに定期テスト前の練習問題を渡せなかったことに気づいた田中先生。「これは・・・大変だ!」と、1クラス分のプリントを手に自転車をこぎ出したのだ。
 しかし、1クラス分と言っても・・・そこはかなり広い明道中学校の校区。生徒一人一人の家に訪問してのプリント渡し・・・どんどん時間が過ぎて行く。そして、とうとうお嬢さんとの映画の約束を諦めた田中先生、映画館の前で先生を待つお嬢さんに電話で謝ったらしいのだ(可哀相なお嬢さん!結局・・・映画館には、田中先生の奥様が急遽・・・お出かけになったとか!)
 自転車のペダルをこぎ、想定外の土曜日の家庭訪問をする田中先生・・・全ての生徒のお宅を訪問し終えた時には・・・夕方になっていたという(ご苦労様でした。でも、いい運動になったかもね!)。この話を聞いた私は「FAXで送ればいいのに!」と、言うと「そうですね、その手がありましたね!」(冗談です!)と、微笑む田中先生だったのだが・・・こんな田中先生の休日の汗まみれの姿を、生徒が心で受け止め、先生と生徒たちとの固い絆ができていくことだろう。
 午後2時、田中先生の運転する車の助手席に腰を下ろした私。
「すいません・・・お休みなのに」と、挨拶をする田中先生の顔や手は昨日の校区内サイクリング?で・・・・日焼けをしていた。産業会館に向かう車中では、その土曜日の経緯や高須町の事で話しが盛り上がる田中先生と私。
「昨日は大変でしたね・・・先生!」
「いや〜参りました、でも生徒たちの事を考えると・・・あれぐらいは・・・!」と、田中先生(いい話や〜!)。それでも
「娘と生徒とどちらが大切なの!」と、私が聞くと
「・・・・」の先生だった(何と言う質問だ!)
 県産業会館・・・久しぶりに来た。昨年の11月26日に行われたFBCフェスタ「ふくい食のめぐみ祭」【十一月の十二】以来だった。しかし、本日のイベントだが・・・何と、「シャープ、グランドフェア」と、なっていた。「田中先生何か買うのかな?」と、思いながらその田中先生の後に付いて会場に入った私。
 会場入り口には受付があり、来場者名簿に名前を書いた私。田中先生と会場内に入ろうとすると「先生ようこそ!」と、田中先生のお知り合いの電器屋さんが顔を出した。とりあえず私も挨拶を行い、会場内に足を踏み入れた。入り口には・・・懐かしい昭和30年代の家電製品のパネルが並んでいた。白黒テレビ・洗濯器(手動の脱水器)・初期の冷蔵庫「懐かしい!」と、思わず声をあげた私。すると、田中先生も「昔はこんなのありましたよね、どこの家庭でも・・・」と、そのパネルを見て立ち止まっていた。
 パネルを過ぎると新型の冷蔵庫や洗濯器、そしてエアコンなどが並んでいた。しかし、会場内で一番目を引いたのは大型のCSデジタルフルハイビジョン液晶テレビだった。大きさも色々で26型・32型・45型と並んでいる。そして、会場ほぼ中央にある65型には・・・目を奪われた田中先生と私。「綺麗・・・」の後の言葉さえ出てこない二人だった。おりしもその画面ではワールド・カップが映しだされていて、ピッチのグリーンが鮮やかな輝きを放っていた。しばらく無言の二人だったが、その65型の気になる値札を見たのだった。「えっ〜!・・・・1,480,000円・・・!」と、またまた無言になる二人(因みに特別価格だそうです!)
 会場内中心部には、各電器屋さんごとにテーブルと椅子が用意してある。このテーブルだが招待したお客様の休憩所でもあり・・・購入の契約場所ともなるのだ。田中先生と私は、その椅子に腰をおろしていると、そこの電器屋さんが「コーヒーをどうぞ」と、運んで来た(サービスがいい!)
 すると、またその電器屋さんが、今から会場内で始まる「ビンゴゲーム」のカードを先生と私に手渡したのだった。会場正面では司会の女性がマイクを手に「只今からビンゴゲームを始めます。本日、五千円以上をお買い上げか、ご契約の皆様にカードをお渡ししております!」と、説明をしている(先生と私は、何も買ってはいないし・・・契約もしていない!)
「いいのかな?」などと考えていると、いよいよビンゴゲームが始まった。番号がアナウンスされる度に「よし・・あった!」「いいぞ!」と、興奮気味の・・・私たち二人(おい、おい)。景品はさすがシャープ、高価な物が並んでいる。どんどんと呼ばれる番号だが、会場内からは中々、「リーチ!」「ビンゴ!」の声が聞こえてこない。私も田中先生もその手のカードは意外にもいい感じで穴が空いている。しかし、ここからが・・・長いのだ。続々と「ビンゴ!」の声で景品を受け取りに行くお客さん達。「本日は何をお買いになりました?」と、司会の女性の問いに「はい、テレビを・・・」とか「冷蔵庫を」と、答えている。この時私は、もしビンゴになった時に何とコメントしようか一応・・・考えていた・・・のだ。
 ゲーム開始から15分、私が考えていたコメントは・・・無駄になっていたのだった(やっぱり!)「まあ、こんなもんですよ、先生!」「そうですよね!」と、虚脱感が漂うビンゴゲーム終了時の二人だった。
 そんな中、田中先生は何やら電器屋さんとひそひそ話をしていた。「おう〜、いよいよ高価なテレビでも契約しているのかな?」と、想像していた私だった。すると、向きを変えた田中先生が私の所へやってきた。「藤田さん・・・10分程度・・・お待たせしますがいいですか?」と、田中先生。「全然・・・いいですよ、ごゆっくり!」と、私。高価なテレビの購入・・・いよいよ値引きの交渉だなと考えていたのだった。「何インチのテレビを買うのだろう?・・・まさか65型・・・じゃないよな!」と、得意の独り言となっていたのだった。
 田中先生と電器屋さんの話をしている前には、その大型65型のテレビがある。「すごいな・・・先生、あのテレビだったら全て込みでも150万はするだろう!」と、田中先生の男の器量に関心していたのだった(俺にはとても買う勇気もお金もないのにと・・・・少しの妬みモード!)
 しばらくすると、テレビの前から移動し出した先生と電器屋さん。「ついに・・・契約か!」と、思ったその時だった。今度は、テレビの前から徒歩約15歩の・・・電話FAXコーナーの前に移動した二人。その陳列棚の新機種を前に、田中先生は、あれやこれやと電器屋さんから説明を受けだしたのだ。
「えっ!」と、その場所へと移動した私、その二人の会話を横で聞き耳を立てていた。すると、田中先生「いや〜家のFAXは・・・今、平成18年ですよね。おそらく平成2年に買った物なんですよ!」と、言い出した。「それは、年代もんですね!」と、感心する電器屋さん。「これと、これとは・・・どこが違うのですか?余り値段が違わないのに!」と、真剣に品定めムードの田中先生。
 つまり、今日この産業会館のフェスタに来た目的は、テレビではなくFAXだったのだった(先生らしい!)。しばらくすると、田中先生「じゃ・・・これに決めます!」と、決断し再びあの契約をするテーブルに戻ったのだった。先生の前には契約書を書く電器屋さん。先生の横には私が座っていた。「火曜日ぐらいにはお届けできますから」と、電器屋さん。「お願いします!」と、先生。無事FAXの契約書の控えを受け取り笑顔の田中先生だったのだが・・・・この3秒後には・・・二人の顔は硬直することになった。
 ふと、その契約を交わしたテーブルを見ると、直前まで座っていたご夫婦の《契約書・65Xテレビ・・・148万円》の伝票が無造作に置かれていたのだ。唖然とする先生と私。「すごいなあ!」「へ〜っ!」と、ただ驚くだけの二人。この後、急ぎ会場から駐車場へと向かったのだった。先生のお陰で、新型テレビに目の保養となった私だが「こんな日曜日もいいもんだ!」と、先生との数時間のデートを楽しんだのだった。
 田中先生と別れ、自宅に戻った私。まだ妻と次男は帰宅してはいない。「相撲大会の結果ぐらいメールしろよ!」と、ぼやきながら再びテレビの前でコーヒータイムとなっていた。テレビでは競馬が放送されていた。競馬は過去1回の馬券購入経験の私(確か、テンポイント&トウショウボーイで本命中の本命を買い、当たりだった!)武豊と日本が誇る名馬・ディープインパクトのコンビが圧勝となった。「すごい!強すぎる!」と、一人感動の私。続いて、楽しみにしていた女子プロゴルフ「プロミス・レディ−ストーナメント」を見た私。お目当ては・・・この日記でも何度か紹介した古閑美保(こが・みほ)選手だった(人気あるんですよ!)
 古閑選手は一昨年の優勝以来(ツアー4勝)、今年の試合も上位には来るものの優勝には手が届かずにいる。167センチの美人ゴルファーでテレビCMにも出演している古閑選手、私は数年前から密かに応援していたのだ。
 初日首位、二日目2位と優勝圏内にいる古閑選手、テレビ中継が始まると・・・単独首位にいた(いいぞ!)。しかし、テレビの解説者は、どうやら古閑選手と同じ最終組でラウンドをしている、藤田幸希(ふじた・さえき)選手をマークしているようだ。私と一字違いのこの選手は、宮里藍横峰さくらと同じ21歳で、栃木県宇都宮市生まれ。そして、この選手の見所は・・・170センチの長身から繰り出される飛距離にあるルックスもいいぞ!)
 この藤田選手だが、現在プロゴルフ協会の非会員なのだが、この大会で優勝するとプロテストは免除となるのだ。そう、高校生から優勝してプロ宣言をした3年前の宮里藍のようなものだ。
 優勝がかかる大事な終盤のホール、ドラマが始まった。2打差を付けて優勝目前の古閑美保選手がボギーをたたいた。このホールを無難にパーで終わる藤田選手。両者の顔・・・古閑選手は少しの緊張が見られた、しかし、まだ優勝経験のない藤田選手はキャディーとの会話で笑顔が見られる。最終18番で、同じスコアとなりプレーオフとなった。経験実積から言えば、古閑選手の有利、だが勢いが見られる藤田選手には緊張感が見られないのだ。「頑張れ!美保」と、ファン心理の私。だが、勝利の女神は・・・藤田選手に微笑んだ。この勝利でプロテスト免除(実技)となった藤田選手。女子ゴルフ界のニューヒロイン誕生か?
「美保ちゃん・・・負けちゃった!」と、悔しい私だが、ここ数日こんな試合が続いている。何か晴れ晴れとしないスポーツ大好き男の日々となっている。サッカーでのジーコ・ジャパン、ゴルフの宮里藍と古閑美保、そして、泥沼の連敗街道を行く、原・・巨人。今の日本にはヒーローではなく、スーパーヒーローの誕生が待ち望まれているのだ。そう競馬のディープインパクトのような存在が欲しいのだ。
 夕方、妻と次男が疲れた顔で帰宅してきた。「どうだった?」の私の問いかけに「準優勝だったよ!」と、次男。「やったじゃん!」と、私は次男を誉めたのだが何故か暗い表情の次男がいる。「団体では準優勝だったけど、個人では負けたんだ!」と、こちらも今いち不完全燃焼の様子。

「高須に連れて行って」の次男との約束は・・・次回の棚田オーナーの集合日までのお預けとなったのだが、それでもこの福井市相撲大会で、1勝した事を・・・準優勝に貢献した事を、小学生の思い出にしてもらいたいと思う私だった。


△男の酒のつまみ・・・140
 焼きうどん!
 何年振りだろうか・・・スーパーで焼きうどんを買った私。以前、この焼きうどんが流行した時には週2回のペースで食べていたものだ。豚肉・もやし・キャベツ・蒲鉾とシンプルな材料で作ってみた。「うん・・・いける!」と、自己満足の私。お酒のつまみとしても・・・意外にいけますよ!


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【六月の十五/響け・・・感動のステージ!】6月29日(木)

 六月も、はや最後の週となり・・・梅雨明けの便りもまだだと言うのにこのところ、うだるような暑さが続いている。仕事がら、軽トラックで一日中動き回る私にとって、この暑さはやや嬉しくないものとなっている。屋外での修理時には額から流れる汗、運転中は背中がビッショリとなる。ならば、カーエアコンをと思うのだが、「まだ、6月だよ!」と誰かの声が聞こえてくる(天の声か?)。まあ、これは冗談だが今からエアコンを使うと7・8月の夏本番がもたなくなる訳で、自分自身で丁重にご辞退申し上げた私。まあ、本音を言えばこの所のガソリンの高騰が第一の訳なのかも。
 さて先週の週末の事、明道中学校の田中先生から携帯に電話があった。
「藤田さん・・・ご存知でしたか!」
「何がですか?」
高須城小学校公開授業があるんです。え〜っと、来週の火曜日27日です。内容は音楽と書いてありますから、もしかすると連音(福井市小学校連合音楽会:29・30日)で発表するギターの演奏が聞けるかも知れませんね。」
「あっ、そうですか!じゃ・・・時間が合えば私が高須に行きますよ!」と、こんな会話の電話だった。
 この公開授業なのだが・・・簡単に説明すると、どこの小中学校においても年数回開かれるもので、福井市の教育委員会を通じ、各学校宛てに案内が来るのだ。市教育委員会の先生や各学校の先生方が他校の授業を見学して、参考となる物を自分たちの学校に持ち帰るという事なのです。まあ相互の勉強会と言ったものですね。
 で・・・「授業風景も見学したいし、取材も兼ねて・・・じゃ・・・行くか!」と、考えていた私だが、一番肝心な事を忘れていた私だった。高須城小学校に行くのはいいのだが・・・私はどこの学校の先生でもなく・・・つまり・・・ただの・・・一般の・・・おじさんなのだ。母校の明道中学校では学校評議員(今年で4年目になりました)としてこの様な形の授業を毎年見学しているのだが、それは明道中学校だけでの話(他校ではただの不審人物だ!)。そこで、高須城小学校石村和道校長先生に電話をしたのだった。「先生・・・27日の授業なんですけど・・・見学をさせて頂いてもよろしいでしょうか?」と、私。すると「どうぞ・・・どうぞ、いらして下さい!」と、快いご返事の校長先生だった。
 今週になり、月曜日の午前中には明道中学校でその評議員会(今年度初)が行われた。新校長先生(明道中、初の女性校長先生です!)と新教頭先生のフレッシュ?な明道中学校の顔となるお二人。しかし、評議員(4人)は従来の顔触れで・・・「まあ、いいか!」と、言った感じ。福井市教育委員会からの学校評議員委嘱状授与の後、それでも会議では学校の運営方針や今年度から導入となった2学期制について意見交換が行われた(マジです!)。約2時間の会議だが内容の濃いものとなった。
 そして翌日火曜日の正午過ぎ、高須町に向かった私。本日は乗用車での高須町となった(だって・・・エアコンが効くから!)を思わせるような日差しが高須町までの道路にふり注いでいる。「暑いんでないかい!」(北海道弁!)と、ハンドルを握りながら呟く私。それでも、高須城小学校の二人の児童は今頃、緊張しているだろうなあ?と「たぶん・・・ギターの練習をしてるのだろう!」と、公開授業前の二人の様子を想像していたのだった。高須町に入り、いつものように佐々木さんの車庫で車の有無を確認した私。「留守だな!」(当たり前だ。佐々木さんは真面目にお仕事中・・・貴方とは違う!)と、通り過ぎた。
 そして、高須城小学校に着くと、・・・・私の想像は・・・覆されたのだった。校庭(グランド)でいつもの野球を楽しむ児童と石村校長先生、朝倉教頭先生、そして畑先生(全員・・・汗ビッショリ!)。そして市教委の先生も仲間となってプレーしていたのだ(へ〜っ!さすが高須城のメンバーは肝が据わっている!)
 駐車場に車を止め、学校に歩き出すと私を見つけた石村校長先生が「藤田さんも・・・入りませんか?」と、声をかけて下さったのだ。元・明道中学校野球部の名プレイヤー(自称!)の私、「よし、・・・野球部の実力を!」と、考えたのだが・・・右足の踵亀裂骨接(ほぼ完治)が頭をよぎった。「すいません・・・足が!」と、言い訳をした私に、「じゃ、職員室でお休み下さい」と、優しい校長先生のお言葉だった。
 職員室に入った私だが、グラウンドから聞こえる楽しそうな声についつい再びグランドに戻ったのだ。高須城小学校ローカル・ルールで行われている野球。何故か石村校長先生がバッターボックスに立つと内角攻め(デットボール)が多い光君。いつも元気な女の子で有名な岬ちゃんは「どうせ・・・打てないから!」と、この時ばかりは元気がない。三振となると「ほらね!」と、可愛い仕草で守備に向かう。時々、誰も守らなくなるキャッチャーに私が入る。この日の御来賓?の市教育委員会の先生も慣れない野球に少々戸惑い気味。それでも昔を思い出したかのように楽しんだ様子で・・・子供の時の笑顔になっていた。
 この高須城特別野球で私が・・・いや、市教委の先生も驚いたのが・・・何と、畑先生だった。「カッキ−ン!」の音と共にその打ち出したボールはフェンスを超え場外ホームランとなる。「凄い!」と、市教委の先生。その女性とは思えない(失礼!)豪快なバッティングに私も唖然となっていた。「何か嫌な事でもあったのか?」それとも「ボールを誰かの顔に見立てているのか?」とにかく呆れるほど豪快なスイングの畑先生だった。そんな時「慣れですよ・・・慣れ!」と、校長先生。そんな言葉を言いながら打席に入った校長先生、畑先生に負けじと豪快な場外ホームランを打ったのだった。場外ホームランになると全員でそのボールを探しに行く(これも・・また、いい!)
 そんなお昼休みの野球も終了となり、いよいよ公開授業の時間が近づいてきた。しかし、その前に・・・掃除の時間となった。「あっ!やっぱり小学校では5時間目の前が掃除なんだ!」と、先日の次男が通う順化小学校での一コマを思い出していたのだ(私の記憶では、昔は下校前・・・でしたよね!いつから?)。中学校では下校前にこの掃除に時間があるのだが・・・「まあ・・・いいか!」と、掃除が終わり職員室に戻られた畑先生に入れて頂いた美味しい麦茶を飲んでいた私だった。
 職員室の時計は1時40分になろうとしていた。校舎内の廊下は急ぐ足音で何やら慌しくなってきていた。公開授業の行われるのは2階音楽室。この学校に何度か訪れた事がある私だが・・・まだ、階段を上ったことはない。石村校長先生の案内でその木造の階段を上っている。「ギシィ・・ギシィ」と、今にも聞こえてきそうな懐かしい校舎。細い廊下を歩くと音楽室・・・そして、その廊下の突き当たりには・・・何故かこの木造校舎に似合わない(ごめんなさい!)コンピューター室と、書かれた教室があった。
 青空が一面となっている高須町の午後、小学校にもその日差しが窓から影となって・・・こちらも授業参観?となっていた。校舎内の全ての窓は開き・・・里山ならではの心地よい風を招いているようだ。
 5時間目高須城小学校2階・・・♪音楽室
 その音楽室にはすでに、朝倉教頭先生と畑先生。それに光くん(6年)岬ちゃん(5年)がスタンバイしていた。教室に一礼して入る石村校長先生と市教委の先生。私は廊下にて見学させて頂くことにした。ところが「どうぞ・・・中にお入り下さい」と、校長先生は私に椅子までご用意して下さった。教室の入り口には公開授業用にと用意された《学習指導案》があった。私は椅子に座り、授業開始までの僅かな時間にそのプリントを読む事にしたのだ。
第5・6年  音楽科 学習指導案
1 題材名  ふしの重なり合いを感じあおう「星の散歩」(合奏)
2 児童について
 本校は、5年1名、6年1名計2名の学校である。2人とも、音楽に興味を持っている。「今月の歌」を自分たちで決めて、朝の会で歌ったり、休憩時間に遊び感覚で楽器を奏でている。
 昨年から、ギターを練習している。そのきっかけは連音である。少人数の児童で発表するのには、ギター演奏は最適だと考えたからである。はじめは、うまく指が動かなくて、なかなか思うように音を出すことができなかったが、練習を重ねていくうちに、少しずつ弾けるようになってきた。昨年は「星に願いを」に挑戦した。夏休みはほとんど毎日練習した。まだまだぎこちなさはあったが、曲がりなりにも連音で発表することができた。その後、地域の人たちの前や、棗公民館の子供会などで演奏する機会を持つことができた。こういう経験の積み重ねの中で子どもたちは、演奏することの楽しさを感じてきているようである。1年たった今では、ずいぶんギターにも慣れ、「あの曲も弾いてみたい」、「この曲も弾いてみたい」とさらに意欲的になってきている。今は、連音で発表することを大きな目標にして、毎日、練習に励んでいる。
3 題材について
 この題材「星の散歩」は、ブラジルの日系歌手小野リサの作品で、ボサノバ特有の和音とリズムで作られている。比較的スローなテンポで、親しみやすいメロディーである。3つのパートに分かれて合奏する。第1ギターが旋律、第2ギターが和音、第3ギターが低音を担当する。旋律と和音と低音の響きを感じ取り、各パートが弾き方を工夫して、それぞれの音が美しく響き合う演奏ができるようにしたい。
4 本時の目標
 ・お互いの音が美しく響き合うように、リズム、テンポ、強弱に気を配りながら、自分のパートを確実に弾くことができる。
 ・連音のリハーサルを行い、出入りの仕方や演奏態度などを理解し、身につけることができる。
「なるほど!」と、一応苦手だった音楽を理解したつもりの私だった。そんな時、「では、今から音楽の時間を始めます!」と、朝倉教頭先生の挨拶で授業が始まった。教室内の全員で挨拶し、まずは・・・・ギター・・・ではなく、歌から始まったのだ。全員起立して「まずは、スマイル・アゲンから」と、大きな声での合唱だった。この後、連音で参加校の児童が全員で歌う「翼を広げて!」なども歌い、そして、いよいよギターの番となった。ここで、まずは指慣らしとアルペジオを軽く全員で行った。教頭先生、畑先生それに光くん、岬ちゃんの弦を爪弾く4人の音がハーモニーとなってこの教室を包んでいた(これが、また・・・上手いんです!)
 4人の指も軽やかになった頃、「じゃ・・・連音で弾く、星の散歩をやってみよう!」と、朝倉教頭先生の声がかかるとその瞬間に畑先生、光くん、岬ちゃんの顔は真剣モードに突入したのだった。
 昨年聞いた「星に願いを!」も素敵なギターの音色で聞かせてくれた児童たち。(昨年は、朝倉教頭、佐々木さんの次男(中1)、光くん、岬ちゃんの4人)今年は、畑先生が加わり名曲「星の散歩!」で、私たちの心を和ませてくれるのだ。スローテンポなこの曲は、一人一人の弦の音色がいくつものハーモニーとなり、この校舎に響いている。

 1回目が終わり「今の所は、もう少し・・・スローに!」「あわてないで」と、的確な指導の朝倉先生。「はい!」と、少し苦笑いの光くんと岬ちゃん。今年になり始めてギターを手にしたという畑先生も・・・村冶佳織のように素敵な音色を爪弾いていた(相当・・・練習したんだね!)
 しばらくすると、「じゃ・・・今度は、リハーサルを兼ねて体育館でやりましょう!」と、全員が体育館に移動した。
 連音の舞台となる福井市文化会館は・・・とにかく・・・広い。観客席も当日には、多くの学校の児童やその保護者や先生たちで満席となる。しかし、この日の観客は私を含めて3人だけ。それでも、4人は壇上に上がり本番さながらのリハーサルとなった。おそらく、初めてお聞きになった市教委の先生も目を閉じ、4人のギターの音色に聞き惚れているようだった。曲が終わり、拍手が鳴る。石村校長先生からこの日の感想などを聞き、いよいよ本番モードの高須城小学校の4人のギターリストたちだった。

 そして本日、第48回・福井市小学校連合音楽会の朝になった。我が次男(小6)も当然、順化小学校での参加になるわけで、朝からいささか緊張気味の様子。「生卵を飲んでけよ!」と、私が言うと「何で・・・生卵なの?」と、喉にいい事を知らない次男(何で・・・生卵はいいのだろう?)
 とにかくいつもの様に登校して行った次男だが順化小学校から会場となる文化会館までは徒歩での移動となる。今回から市の合併により8校が増え、2日間・4部となった連合音楽会の参加校は52校となった。
 次男の順化小学校は一部(午前)、高須城小学校は二部(午後)での登場となる。妻は当然、次男の晴れ姿?を見ようと同じクラスのお母さん方と連れ立って自転車で出かけるのだと言っている。私は・・・次男の登場をケーブルテレビ(生中継)で録画し、午後の高須城小学校をデジカメ撮影と決め込んでいたのだ。
 そして仕事前のコーヒータイムと洒落込んでいた時、携帯が鳴った。FBC川島アナだった。「今、高須城小学校の前にいるのですが、・・・誰もいないんです!もう・・会場(文化会館)に行ったなんてことはないですよね?」と、川島アナ。
 実は川島アナ、この連音に向けての高須城小学校の練習風景などを以前から取材していたのだ。勿論、この日の本番も密着取材をしようと朝早くからカメラマンを伴い、学校の前でスタンバイしていたのだ。時間は朝の8時前、当然二部登場(午後から)高須城小学校は正午前に出発すればいいのだが、学校に灯りがついておらず・・・少々心配な川島アナからの電話だった。
 連音の各部参加校の説明を私がすると「あ〜あ、そうなんですか!朝、全部の学校(52校)が集合するものと思っていたんです!」と、川島アナ。そんな時「あっ今、校長先生が来られました!」と、安心した様子の川島アナのこの日の朝だった。「じゃ・・・会場で!」と、約束して電話を終えた私だった。「真面目な川島アナ!」と、感じた私だが、それにしても、川島アナ早過ぎるのでは!(まあ、いいか!)
 午前9時からケーブルテレビにより生中継は始まった。次男の順化小学校の登場は8番目と分かってはいるのだが、ついつい仕事の手を休め、テレビを見てしまう(親の心理!)
 そして、9時10分・・・緞帳は上がった。(各学校を紹介します)
《29日・一部》
1 合唱 COSMOS        附 属小学校
2 合唱 カリブ夢の旅        東安居小学校
3 合唱 友だち           六 条小学校
4 合唱 つばさをだいて       国 見小学校
5 合唱 鳥になる          下宇坂小学校
6 合唱 明日という大空       日 新小学校
7 合唱 シーラカンスをとりにいこう 森 田小学校
8 合唱 心の中にきらめいて     順 化小学校
9 合唱 西風未来          清水東小学校
10 合唱 ふしぎがいっぱい      西藤島小学校
11 歌と合奏 いつも何度でも     河 合小学校
12 合唱 エール!!          旭 小学校
13 合唱 ひろい世界へ        松 本小学校
《29日・二部》
1 合唱 勇気100%        日之出小学校
2 合唱 エール!!         社 西小学校
3 合唱 「サウンド・オブ・ミュージック」より
                   羽 生小学校
4 合唱 アメージング・グレース、COSMOS
                   清水南小学校
5 合唱 スキンブルシャンクス    円 山小学校
6 歌と合奏 文殊伝説、歌よ ありがとう
                   文 殊小学校
7 合唱 HEIWAの鐘       社 南小学校
8 合唱 勇気のマーチ        大安寺小学校
9 合奏 戦国絵巻          一 乗小学校
10 合唱 やさしい風          湊 小学校
11 合奏 星の散歩          高須城小学校
12 合唱 ひろい世界へ        酒 生小学校
13 歌と合奏 スキンブルシャンクス  和 田小学校
《30日・第三部》
1 合唱 きみと遠回り        中 藤小学校
2 合唱 HEIWAの鐘       岡 保小学校
3 合奏 映画「ライオン・キング」より
     〜 Circle of Life 〜    鷹 巣小学校
4 合唱 島人ぬ宝          越 廼小学校
5 合唱 思い出のメロディー
     〜心の中にきらめいて〜    鶉 小学校
6 合唱 見上げてごらん夜の星を
     〜青春アミーゴ〜      清水北小学校
7 合唱 ひろい世界へ         豊 小学校
8 合唱 星の大地に         啓 蒙小学校
9 合唱 涙をこえて         上文殊小学校
10 合唱 わたしが呼吸するとき    殿 下小学校
11 歌と合唱 旅立ちの日に      春 山小学校
12 合唱 FACE          東藤島小学校
13 合唱 栄光の架橋         明 新小学校
《30日・第四部》
1 合唱 おおシャンゼリゼ、離陸準備完了
                   東 郷小学校
2 合唱 涙をこえて         足 羽小学校
3 合唱 ボクノート         清水西小学校
4 合唱 シーラカンスをとりにいこう 清 明小学校
5 合唱 エール!!         長 橋小学校
6 合唱 歌よ ありがとう     美山啓明小学校
7 合唱 キャンディーマン      木 田小学校
8 合唱 ひろい世界へ        宝 永小学校
9 合唱 「天空の城ラピュタ」より
     〜君をのせて〜        棗 小学校
10 合唱 エール!!         安 居小学校
11 合唱 若返りの水         麻生津小学校
12 合奏 映画「千と千尋の神かくし」より
     〜いつも何度でも〜     本 郷小学校
13 合唱 くしゃみザウルス      社 北小学校
(※ 赤字で紹介の小学校は合併による初参加校です)
 この第48回・福井市連合音楽会の模様は近々、福井ケーブルテレビで放送されます。いずれの学校も素晴らしい発表ですから是非、ご覧下さい(涙が・・・出ちゃいますよ!)
 いよいよ、次男の順化小学校の順番となった。テレビの前で何故か緊張する私だった(会場にいる妻も同じだろう!)
 6年生1クラスでの発表だ。会場が暗くなり、ステージに上がる次男たち。その暗い中でも「あっ!いた」と、次男の姿を見つける事ができた(親だったら・・・当然!)。準備が出来、ステージにライトが照らされた。クラス担任のT先生が指揮を執り合唱が始まった。連日の放課後での練習の成果だろうか、クラス全員が大きな口を開け歌い出した。それにしても少ない母校の人数が改めて少子化時代の波を思い知らされる私だった。それは、どこの学校でも同じだろうが・・・・やはり、寂しいものだ(私の頃は、4クラスだったのに!)
 テレビで映しだされる次男の姿は、何か別人のようにも思えるものだ。次男とよく遊ぶ友達も、この日ばかりは頼もしく大きく映し出されている。「こいつ・・・緊張してるかな?」と、画面越しに次男の顔を見つめる私。

 約4分弱のステージは瞬く間に終わった。録画停止ボタンを押し「ほっ!」と、溜息をついた私。それは、会場に詰め掛けたお母さん方も同じ心境なのだろう。
 午後になり、帰宅した妻からデジカメをバトンタッチとなった私。「うまく・・・撮れたか?」と、妻に聞いたのだが「ダメ・・・1枚だけ!だって・・・聞くのに夢中になってから」と、妻(予想はしていた!)
 午後からの第二部の後半に登場する高須城小学校。その時間に合わせて文化会館に入る予定だった私だが、何故か30分も前に会場に着いてしまった。受付で、プログラムを頂きとりあえず3階席に向かうことにした。上の階から位置確認をするためである。各ドアの前には案内の為だろうか、それとも児童たちの誘導のためなのか、先生たちがいた。私がドアを開けようとすると「どうぞ!」と、優しそうな女性の先生がドアを開けてくれた(この時・・・・この先生に私は、気が付くべきだった!)
 3階席から下を見ると、会場内は児童や先生方、そして保護者でほぼ満席状態。当然この位置からは後ろ姿しか見えず、下の階に下りる事にした私だった。文化会館内は明道中学校の行事で毎年来館しているので慣れてはいるのだが、それでもドアを開ける時は緊張するものだ。
 1階南側のドアを開け通路横の席に腰を下ろした。私の前には、ドア係?の先生が立っている。私はデジカメを取り出しこの位置からのステージのアングルを見た。「まあ・・・こんなもんか!」と、自己満足。しかし、先程からみていると、暗い会場内でカメラなどのフラッシュが無い事に気が付いた。
「まさか・・・フラッシュ禁止?」と、目の前の先生に尋ねると「はい・・・禁止です!」と、答えが返ってきたのだ。「仕方ない!」と、デジカメの操作をしようとした時、目の前のテレビカメラにFBCの文字が見えたのだった。カメラマンが立ち、何やらセッティングしている様子だった。
「川島アナは?」と、尋ねようとした私だが、勿論、この時の会場内は静寂状態で私語は厳禁だ。ふとカメラマンの前の席を見ると・・・・どこかで見たようなヘアースタイルの男性が・・・いるではないか。メガネをかけ、プログラムとステージを交互に見ている男性、川島アナだった。私は、「おぃ〜す!」と、川島アナの隣の席に移動した。「お疲れです!朝の電話・・・助かりました!」と、川島アナ。どうやら朝の電話の後に、「高須城ものがたり」の撮影をしていたらしいのだ(ご苦労様で〜す!)
 しばらくの間、川島アナと私でヒソヒソ話が続いた。ステージから3列目のこの席、後ろを見ると、会場内のだいたいの顔が見える。私は、高須城小学校の光くん岬ちゃんを捜すのだが・・・それは・・・無理な話。そこで、今度は石村校長先生を捜す事にした私。会場中央部には各校の校長先生の席がある。目を凝らすと石村校長先生がおられた。すると、その後ろには朝倉教頭先生が、そして横には畑先生二人の児童がいたのだ。会場内の中央部の特等席に高須城小学校のメンバーは陣取っていたのだった(さすが・・・!)。
 出番が近づいてきた。席を立ち、ステージに移動する高須城小学校の4人。そして、その後を追う川島アナとカメラマン・・・・で・・・私。
 出番前、ステージ横ではギターを手に少し緊張気味の4人の顔があった。その4人にマイクを向ける川島アナ。カメラも撮影している。その様子を「ん・・・何で?」と、言った表情で見つめる他校の先生方(FBC「げんき米プロジェクト」を知らないのか!)
 私は「先生・・・演奏は何分ですか?」と、朝倉教頭に尋ねたのだが「・・・・あっ・・・や、約3分です!」と、先生(緊張していたのだった。昨年も経験しているのに)。この時、児童二人は・・・笑顔で川島アナと会話していた。でも、一番緊張していたのは・・・・畑先生だったのでは。私は「先生・・・緊張しないでね!落ち着いて。みんなが見ているから・・・しかもテレビも生放送しているから・・・大丈夫だよ!」と、畑先生に話したのだった(可哀想に・・・意地悪!)。すると、他校の先生が私のその話に笑い出した。
 そして、出番となった。4人は円陣を取り、手を重ね気合をかける。しかし、何故かその輪に川島アナもいた。「頑張ろう・・・!」と、小声での気合だった(私も仲間に・・・)
 4人はステージに・・・カメラマンと私はステージ前の最前列に陣取った。
「よし・・・最高のアングルだ!」と、デジカメを構えた。会場内は静かに・・・・その全ての目線はステージ上の4人に注がれていた。そして「星の散歩」は静かに・・・始まった。会場には4人の爪弾く弦の音が響いている。

「いいぞ・・・頑張れ!」と、どきどきしながら声援を送る私。そしてその4人を写そうとしてデジカメのシャッターボタンを押した時だった。「ピカッ!」と、光るフラッシュ。私のデジカメだった。
「まずい・・・でも・・・いいか!」と、再びデジカメを構えた私(この時の私を見ている3階席の・・・あのドアの女の先生・・・・がいた)
 4人の演奏が終わった。ギターの弦から指を離し「ふっ!」と吐息を吐いた4人。椅子から立ち観客席に挨拶をすると、会場からは割れんばかりの大きな拍手が沸き起こった。それはどこの学校の拍手よりも大きな拍手だった(感動した〜!よかったぞ!)
 私とカメラマン、そして川島アナはすぐにステージ横のソデに向かった。そこには安堵の表情の4人がいた。どの顔も笑顔だった。その表情をFBCのカメラと川島アナのマイクが追った。そして・・・私のデジカメも。

 連合音楽会・・・次男も、高須城小学校も、そしてどの小学校の児童も大きな声で歌い・・・また、得意の楽器を演奏した。何ヶ月も前から練習して、この日に臨んだ事だろう。大きな舞台・・・大勢の観客・・・そして、たくさんの拍手。こんな経験は・・・何度も経験できることではない。この子供たちにとって、良い想い出となったことだろう。そして、今度は三年後・・・中学三年生になった時・・・再び、この会場で再会する事になる。
※基本的にはこの連合音楽会の参加は小学校は6年生、中学校では3年生の時、参加する。(あっ!、一部の中学校では1年生からの参加もある。高須城小学校の岬ちゃんは、来年は小学生で三回目の参加となるはず)
 夕方、仕事を終え自宅で次男とビデオを見た私。次男は自分が映る度に少し照れくさそうな顔をしていた。しかし、高須城小学校の番になると「上手だね!」と、友達三年目の光くんと岬ちゃんの顔や演奏を真剣に見ている。
 この高須城小学校の演奏の時だが、画面内には・・・異様な動きの人物が捕らえられていた。私だ。最前列でデジカメを構え・・・禁止であるフラッシュを!(最悪!)
 さて、後で分かった話だが、あの3階席のドアの女先生だが・・・・順化小学校の・・・次男の・・・担任のT先生だったのだ。「あれって・・・・藤田さんだったんですか?すごく、目立ってましたよ!」と、落ち着きのない父親の姿をお披露目してしまった私だったのだ(何度も家庭訪問で会っているのに、分からないものだ!)「ああ・・・はずかしい〜!」(もう・・・遅い!)


△男の酒のつまみ・・・141
 竹輪の磯部揚げ!
 何故か、たまに食べたくなる竹輪だが、この日は磯辺揚げをしてみることにした。竹輪は斜めに二等分。ボールに小麦粉片栗粉を少し・・・そして、青のりの粉末を用意する。外はカラッ!中はジューシーが・・・いい。青のりの風味がたまらなくお酒を美味しくするのだ。
 

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【七月の一/禁煙なんか、するもんか!】7月1日(土)

 早いもので、もう7月となってしまった。ついこの間まで大雪の事を語っていたような気がするのだが(貴方だけだ!)、呑気な日々を送っている私・・・「ボ〜ッ」としているうちに今年も半分が過ぎてしまった(まあ・・・いいか!)
 高須町棚田での田植え作業から約2ヶ月経ち、苗の成長も今のところ、健康そのものでついついそんな苗を見ていると「大きくなったな!」と、呟いてしまうものだ。しかし、高須産コシヒカリにとって、これからの2ヶ月が色々な意味で重要な時期となるのだ。遅い梅雨明けとなる福井の気候、が降り続く日々があり、時折、燦燦暑い日差し棚田を照らす。そして、一番の天敵となる台風の到来だ。今春、改良されたコシヒカリ(今のコシヒカリより背丈の低いもの)が研究されていると発表されたのだが、今のコシヒカリにとって台風などによる強風は余り望ましくはないものとなる。いずれにせよ、実りの秋までの3ヶ月はすくすくと成長して欲しいと心から願いたい。
 さて、昨日の・・・いや、本日の0時から煙草を吸っていない私。本日からの煙草の値上げにより禁煙を始めたのだが、最後の1本!(昨晩23時55分)から・・・8時間が過ぎた。すでにニコチン中毒の禁断症状が現れ、少しのイライラモードとなっている(我慢、我慢!)
 24歳から吸い始めた煙草だが、マイルド7・ラーク・ランバージャック(葉巻系)・ケントマイルド・ケント9と、27年の煙草の歴史がある(だから?!)。しかし、過去何回の禁煙を試みたかだが・・・それは・・・数え知れない。
 結婚・長男の出産・次男の出産と、事ある度だが妻に「煙草、止めたら!」と、言われ続けてきたものだ。それは、度重なる煙草の値上げ時も同じだった。しかし「今度こそ・・・止める・・・かな?!」と、曖昧な私がいた。何日かの禁煙には成功?するのだが、そこは、我慢と言うか根性が無く長続きはしないのである。「禁煙パイポ」などが発売されたのは何年も前になるのだが、その禁煙パイポを口に咥え約2時間の我慢!・・・・・だが、その禁煙パイポの後の一服が・・・これがまた・・・美味しい・・・煙草!
 つまり、煙草を止めるつもりが無いのだ(かもね!)。どこかの昔の歌だが・・・寝起きの一服、食後の一服、コーヒー後の一服、仕事の後の一服。お風呂の後の一服、スポーツ後の一服と、つまり一日中・・・煙草は私のポケットの中にあるのだ(就寝以外!)
「煙草とお酒、どちらなら・・・止められる?」と、高須町の佐々木さんと以前話をしていた事があったのだが、「お酒だ!」と、話す佐々木さん。だが私は「・・・・!」つまり、どちらも、止められないのであった。
 そんな今朝、いつもの通り私はコーヒータイムを楽しみながらテレビを見ていた。少し違うのは・・・煙草を吸っていないだけである。そんな中、次男(小6)が遅いお目覚めで私の部屋に入ってきた。
「お父さん・・・おはよう!」
「おはよう!」と、いつもと変わらない朝の挨拶。ただ、次男は
「ん・・・・?」と、直ぐに異変を感じたようだ。
「どうした?」と、私が聞くと
「煙草臭くないね・・・この部屋!」と、敏感な次男。
「分かるか。お父さん・・・これで9時間ぐらい・・・煙草吸ってないんだよ」と、言うと
「何で?煙草・・・止めたの?」と、聞く次男。
「いや・・・ちょっとね!」と次男にまで、またまた曖昧な答えの私だった。
 そんな私に次男は
「お父さん、今日の夜は僕お泊りだからね!」と、囁いた。
「えっ・・・今日・・・何だったっけ?」と、次男に聞いた私。
「前に話したじゃない、熊本の事前研修だよ・・・今日!」と、次男。
「あ・・・あ、今日だっけ!」と、可愛いはずの次男のスケジュールを忘れていた私だった。 「お父さんは高須の事は覚えているのに!」と、次男の蜂の一刺し(うるさい!だんだん妻に似てきた)
 この次男の熊本の研修だが、毎年この福井市では友好姉妹都市交流として市内の小学生の中から、数十名を熊本市結城市(茨城県・FBC川島アナの故郷です!)に相互に派遣?して三泊四日で交流するというもので、今年度は12年目となるらしい。福井からは8月(夏休み)に熊本へ、また熊本からは来年1月(冬休み)に福井へそれぞれ訪問するらしいのだ。この交流の中にはホームステイもあるらしく、次男が熊本でお世話になる家族のお子さんが、来年1月には私の家でお泊りする事になっているのだ(結城市との交流は、今月結城市へ、また来月に福井へとなるらしい)
 で・・・その来月に迫った、熊本での交流に向けて、熊本市の歴史や文化などを事前に勉強するために、福井市脇三ヶ町の少年自然の家で一泊二日の研修があるらしいのだ。
 次男の参加決定通知が来たには半月程前だったか、次男は
「お父さん・・・熊本って・・・知っている?」と、質問してきたことがあった。
「熊本?・・・そうだな、熊本城・水前寺公園に水前寺清子だろ・・・それに、クリームシチュー(漫才コンビ・旧名、海砂利水魚)に・・・あっ、そうそう馬肉が有名だな!」と、答えた私だった(真剣に!)。その私の馬鹿な答えに
「あっ・・・そう!」と、部屋のパソコンを使い、熊本の個人勉強となった次男だった(だって・・・急に聞かれても・・・!)
 そして妻もその来年1月のホームステイ対応に戸惑い?の様子で
「冬に大掃除しないとね!」
「別に、いいんじゃないの!ありのままで」
「どこに連れて行こうか?永平寺・東尋坊・・・どこがいいのかな?」
「高須町!」と、完全に私の意見は無視のご様子だった。
 そんな私に妻は、ある一冊の資料を見せてくれたのだった。その資料だが昨年のこの交流に参加した児童や引率した先生方(市子ども会)などの写真や感想文が書いてある、全147ページからなる報告書だった。「ふ〜ん!」と、その冊子をまるで関心がないようにパラパラと捲る私に「真剣に読んでね!」と、今度は妻からの蜂の二刺し目となった。
 この交流事業の福井市の団長(福井市子ども会育成連合会)の話やお互いの交流会での楽しそうな子ども達の様子のスナップ写真などが多く掲載してあった。その何枚目かを捲った時だった。「えっ!・・・これは!」と、その写真の中のある人物に私の目は集中していたのだった。私は「まさか?」と、ページを戻し団員の役職名簿を見たのだった。「やっぱり!・・・○○君だ!」と、副団長としての彼の名前を見て確認した私は、次の瞬間には携帯電話でその彼の携帯番号を発信していた。 「はい!○○です。お久しぶりです」と、懐かしい声が聞こえてきた(1年振りかな・・・電話は。片町では最近逢った!)
「あのさ〜○○君って・・・熊本の交流のやつ、参加してるの?」
「はい!・・・でも・・・何で?」
「いや〜実は今年、うちの子がね・・・今年、熊本に行くらしくて・・・」
「えっ!・・・ちょっと待ってね・・・」(手元の資料を見ているらしい!)
「あっ!・・・順化小学校の藤田君て藤田さんの息子さんなの?」
「そうなんだ!」
「そうですか!今年も私は熊本に一緒に行く事になっているから、全然心配しないで下さいね!」
「うん!頼むわ・・・父親に似て無口でおとなしい子だから」
「・・・・・」
「でも、○○君がいるから心強いわ!色々と、ご迷惑をかけるけどよろしくね!」
「はい・・・大丈夫です。任せて下さい」と、こんな会話だった。  この電話の相手で次男がお世話になるS氏だが、昔のPTA仲間なのである。私が明道中学校の会長時代に某中学校の会長として、また、市P県Pなどの役員としても活躍していた人望の厚い男性なのだ。日本PTA全国大会でも秋田県埼玉県に行き、共に勉強?をした仲間なのだ。PTAが縁で会長仲間でよく飲み、よく食べに出かけた友人でもある。
そんな彼が、今度は私ではなく次男がお世話になり熊本県に行くのだが・・・これも不思議なご縁だと、感じてしまう私だった。
「お父さん・・・行ってきます!」と、妻が運転する車でお泊まり研修に出かけて行く次男。
「明日のお迎えは、お父さんが行くからね!」と、次男に言うと
「うん!」と、答える次男。しかし、玄関の戸を閉める直前の次男が
「お父さん、無理して煙草止めなくてもいいよ!」と、可愛い言葉を私に投げかけてくれたのだった(サンキュー!)。そんな言葉を聞きながら、車のドアを開けていた妻が次男に囁いたのだ「どうせ、お父さんの禁煙は長続きしないから・・・見てなさい、明日にはプカプカと吸っているから!」と、私に聞こえるように話す妻(こいつ!)
 妻と次男が出かけて10分。一人の部屋。私の目の前には昨日まで吸っていた煙草とライター、そしてご丁寧に灰皿が置いてあった(妻だ!俺を試すつもりか!)
「・・・・・・・・・・・・・ふう〜(煙を吐き出す)、やっぱり・・・煙草は・・・止められないなあ!」禁煙終了!

△男の酒のつまみ・・・142
 さざえお刺身壺焼き
 スーパーの鮮魚コーナーに行くと1パックに2個入りのさざえを見つけた。「もう、さざえが出回る季節か!」と、当然2パックを購入した。「今夜のおつまみはさざえで決まり!」と、自宅に帰り夕食をしている私以外の4人の冷めた視線を感じながら、2個はお刺身に、残りは壺焼きにと、調理を始めた。まずはお刺身だが殻の中から実と肝を取り出し、実は細くスライスする。この時、氷入りの水を用意して、スライスした実を冷たくする(約10秒でOK!)。次に壺焼きだが、こちらはタレが命。醤油&味醂&お酒少し甘めタレを作る(お好みで!)
 炭火の上でグツグツと焼きあがるさざえの匂いは、余計に家族からの非難の的となる(無視!)
さざえの壺焼きを食べる時、実を取り出そうと爪楊枝などで失敗する時があるのだが、そんな時にはカラを手に持ち揺すると簡単に実は取り出せますよ。ただし、火傷に注意してね!


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【七月の二/??ドン騒ぎで、放送が!】7月5日(水)

 最近、国内では何かと目を覆いたくなるような事件が続いているのだが、今度はお隣?の北朝鮮からも嫌なニュースが今朝飛び込んできた。「物争な世の中だ!」の一言では、済まされない大事件である。
「暗闇のミサイル!」と言うべき、北朝鮮のテポドンを含む数発(日本政府発表では7発)のミサイルが日本海に落ちたのだ。勿論、このミサイルには弾頭は付いていなかったようなのだが、間違って日本国内に落ちていたなら、相当の被害をもたらしていた事だろう。
 二ヶ月前から北朝鮮ではこのテポドンに燃料を注入しているという情報が衛星写真の分析で知らされていた。しかし、世論では「北朝鮮はミサイルを撃たない!」が、多くの見方だった。小泉首相も「今、ミサイルを撃っても何のメリットもない!」と、記者会見などで話していた。だが、北朝鮮は実行に移したのだ。しかも、約12時間の間に計7基のミサイルを発射したのだ。@スカッド(ノドン?)Aスカッド(ノドン?)Bテポドン2CスカッドDスカッド(ノドン?)EスカッドFスカッド(ノドン?)の順番だった(推定)
 それぞれ、ミサイルの航続距離は違うものの充分に日本の領土内に届く距離である。つまり、私達日本の安全を脅かすものであるのだ。日米協定によりアメリカ軍が北朝鮮の監視を続けてきたのだが、過去の北朝鮮の情報事情と今回とでは明らかに相違となる事が出てきた。
 従来の北朝鮮内での情報は韓国軍及び在韓米軍の共同発信として、日本政府などにその情報は寄せられてきたのだが、今回は韓国内よりも先に米軍及び自衛隊がより早くその北朝鮮の動向を読む事となったのだ。この事は今後、韓国内での政府の対応の遅れとして議論を呼ぶことになるだろうが、韓国とアメリカの溝の深さが浮き彫りになったと言える。
 また、ミサイルが着水した一番近い地点に位置するロシアのウラジオストックでは、地域住民が困惑しているにも関わらず、ロシア政府は不快感を表明しているものの今一そのトーンは低くなっている。そして、北朝鮮との関係が大きいとされている中国も同じ対応となっている。
 今、北朝鮮国内では何が起こっているのか・・・・・?
 政府指導力に対して・・・軍指導部の地位が逆転しているのか、マカオの銀行に約30億円あるとされている北朝鮮の口座がアメリカにより金融制裁として凍結されたことが今回のミサイル問題の引き金になっているのか。また、開かれていない6ヶ国協議に向けてのものなのか、今月半ばにロシアで開催されるサミットに向けてのものなのか・・・・意図が理解できないのである。
 いずれにしても、今、北朝鮮は国としての岐路に立たされている事には違いないのである。そして、日本外交が世界から注目される時にきたのである。おそらく、国連安保理において何らかの答えが出るであろうが、私達日本の安全を脅かす今回の問題は、厳しい判決が望まれるものである。何故なら、再び北朝鮮がミサイルの発射スイッチを押さないためにもだ。
 この問題は、おそらくここ一月単位で何らかの答えが出されるものと思われるが、最悪のシナリオとならない事を心から願わなくてはならない。
 この北朝鮮のミサイル発射で日本国内ではありとあらゆる所で制限される事となった。それは、小中学校にも至る事になった。日本の危機管理対応は磐石とは言えないのだが、それでも今回の政府の対応には「意外とやるな!」との声も上がっている。それは、安倍官房長官の厳しい発言からも受け取る事が出来た。韓国・中国・ロシアと近隣国との外交が友好的になっていない現在、足並みを揃えることは無理な話ではあるが、このミサイル問題がきっかけとなり、「おそまつ外交」と、言われてきた日本外交が再び世界の国から認められる事を願うのである。
 危機管理に弱いと言われた日本だが、朝の高校生たちの通学を見ていた私。しかし・・・いつもの朝の・・・高校生たちの通学風景だった(おい、おい!)「おい!君たちはミサイルの事を知ってるのか?」「少しは敏感になっても・・・!」と、思いながらも「これで・・・いいのかも!」と、高校生たちの笑顔で登校する姿を見送る私がいた。
 さて、固い話となってしまったのだが、水曜日のお楽しみとしてビデオ録画の用意を朝にして出かけた私、つまりFBCげんき米プロジェクト「高須城ものがたり」を楽しみにしていたのだが・・・・放送は延期となってしまったのだ。「ん・・・ん、残念!」まあ、朝の各局の特番などで、「放送・・・無いのかな?」とも感じていたのだが、それでも「時間をずらして・・・するかも!」と、期待していた私。夕方の放送時には「まだかな・・・まだかな」と、録画ボタンを押す準備をしながらのテレビの前の私だった(暇な人!)
 そんな時、友人やらお客様やら相次での電話の応対に番組を飛ばし飛ばし見る事になっていた。そこで、忙しい川島アナウンサーに電話をかけてみた。「番組は・・・?」と、私が聞くと「おそらく・・・来週になります!」と、川島アナ。
 高須城小学校児童二人先生二人連音(連合音楽会)のステージが放送される予定になっていた今回の「高須城ものがたり」。こちらもミサイル問題で先送りとなってしまったのである(まあ・・・仕方ないかな!)
 日曜日には、棚田オーナー二回目の作業となる「草取り」「案山子作り」そして、美味しい「ちまき作り」が高須町で行われる。こちらは・・・雨が降ろうと・・・槍が降ろうと・・・ミサイルが来ようと?・・・必ず・・・やりますよ!(だって、植木御大は強いからね!某国よりも・・・)
 皆さん、日曜日に高須町でお逢いしましょう・・・。
 最後に、北朝鮮のトップに一言・・・1基、約30億円もするミサイルを発射するくらいなら、食糧難に苦しむ自国の人民のために,そのお金を使え!(興奮して・・・すいません!)


△男の酒のつまみ・・・143
 焼きラーメン?!
 最近、テレビCMで気になるのが永谷園の「博多風焼きラーメン」である。いつもぼんやりとテレビCMを見てる私は「ん・・・美味しそう・・・食べてみたい!」と、感じていたのだ。
 そこで、スーパーに行きその商品を捜したのだが・・・。生麺コーナーには無く、カップ麺コーナーにあったのだ。「とんこつ」「しょうゆ」と2種類。シンプルに豚肉キャベツもやしで試してみた。
「不味くはない・・・だが、・・・こんなもんかな!」と、そんな感じ。
 まあ、酒のつまみとはならないが、珍しいその味は・・・面白いかも!


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【七月の三/棚田の見守り隊、参上!】7月9日(日)

 今年に入り、高須町の棚田オーナー2回目の作業となる日を迎えた本日、心配された天気だが朝の空は幾分曇りとなっている。「今日は、降らないかな?」と、助手席の次男(小6)も時々、空を見上げては雨男の汚名返上とばかり天候に恵まれる事を願っているようだ。
 自宅を朝早く出た私と次男は、高須町・・・ではなく、まず、田中先生のお宅を目指して車を走らせていた。いつものことならその田中先生を乗せて高須町に再び向かうのだが、この日は少々事情が違う。田中先生はこの日、早朝から町内総出の草刈り作業があり、残念な事に高須町には行けないらしい。
 なのに何故、田中先生のお宅に向かっているのかと言えば、それは高須町の佐々木さん故障中のパソコンがようやく田中先生の手により復旧完了したため、私がそのパソコンを佐々木さんに届ける事になったのだ。
 田中先生のご自宅に着いたのは8時過ぎ、すでに先生は草刈りでお留守の様子。そっと、玄関を開けると「は〜い!」と、奥様の声が聞こえてきた。「おはようございます!」と、私が挨拶すると「いつも主人がお世話になりまして!」と、丁寧な奥様の挨拶が返ってきた(お世話になっているのは、私の方だ!)
 玄関横に置かれてあった佐々木さんのパソコンを預かり、そして本日、高須町の作業の一つとなる案山子(かかし)の一部を受け取り、再び車は高須町に向けて走らせた。「佐々木さんの大事なパソコンだから、しっかりと持っててね!」と、次男に言った私。「うん、わかった!」と、次男。
 先生の自宅を出て暫くすると、何十人の地元の皆さんが堤防や道路の路肩に等間隔に広がり、胸の高さまで伸びた雑草を機械で刈っている。車のハンドルを握りながらその中にいるであろう田中先生を捜す私と次男だったが・・・皆さんが同じような服装(作業服姿)で判らずじまい。再び、アクセルを踏み高須町に向かう事にしたのだった。
 いつもの高須町へと向かう道。木米町を過ぎた頃「お父さん・・・お腹減ったよ!」と、助手席の次男の声。「うん、お父さんも減ったから、おにぎりを食べようか!」と、少し多めに作ってきたおにぎりで車中の朝食となった。開校して一年目の本郷小学校を過ぎた時、車を止め路肩の自動販売機にて次男はジュース、私は缶コーヒーを買った。自販機の前で次男が「どれにしようか?」と悩んでいると、日曜日の朝それも田んぼばかりの道の自販機だというのに数台の車が止まり次男の後ろに並んでいた(珍しい!)
 ゴルフ場横の高須町までの道、ふと空を見上げると綺麗な青空が広がりつつある。「おっ・・・今日はいい天気になるな!」と、私が言うと「よかったね!」と、他人事のような次男(おい、おい!)。この時、助手席の次男に違和感を感じていたのだが・・・・。
 高須町に到着、佐々木さんのご自宅前に車を止めた。この時間は佐々木さんや地元の皆さんはすでに棚田に集合しているはず。そこで、パソコンを玄関先の廊下に置いていこうと私は次男からパソコンを受け取ろうとした・・・・のだが、助手席次男の腕の中にあるはずのパソコンが無いのだ。先ほどの違和感はこれか?!と、次男に聞いた私。「おい、パソコンは?」すると「パソコンは・・・後ろ!」と、次男(嘘!)。軽トラックの荷台を見た私は「え〜っ!」と驚いた。本日、棚田に立てる案山子の片隅に・・・・パソコンはあったのだ。「お前・・・いつ・・・パソコンを置いた?」と、聞いた私。「田中先生の家からだよ!」と、答えた次男。つまり、最初から佐々木さんのパソコンは一般荷物扱いとなって、案山子と共に荷台に置かれていたのだった(この事は、一生・・・佐々木さんに黙っていよう!)
 車からパソコンを降ろし、今度は大事に私の両手で佐々木さんの玄関へと向かった。すると、庭先で洗濯物を干していた佐々木さんの奥様が見えた。「おはようございます!」と、私が言うと「おはようございます、パソコン直りました?」と、奥様。「はい・・・田中先生が直して下さったんです!さすが、理科の先生ですよね」と、私(理科の先生は関係ないだろ!)「そうですか、凄い!」と、笑顔の奥様だった。
 佐々木さん宅を後にした私と次男は、棚田に車を走らせた。何故かこの坂道に来ると悲鳴をあげるエンジン音(それもまた・・・いい!)。受付のテントが見えてきた。地元の皆さんや市農政企画部の職員の皆さん、そして、県の職員の皆さんも早めに来られておられた(ご苦労様です!)
「おはよ〜うす!」と、ひと際目立つ長身の佐々木さんが駐車場係で立っていた。「今、・・・パソコンを置いてきたから!」「ありがとう!」(やはり運搬の事は黙っていよう!)
 駐車場に車を止めると、前方にFBC川島アナカメラマンの姿があった。しかし、いつもと違う川島アナの様子。その車のそばから離れようとしないのだ(何か・・・トラブルでも?)
そんな事を気にしながら受付に向かった私と次男。「おはようございます・・・初めまして・・・藤田です!」(いつもの挨拶だ!)すると「初めまして・・・!」と私の冗談に冗談で返してくれる笑顔の奥様(高須城小学校5年・岬ちゃんのお母さんだ!)
「藤田さん、今年の案山子はどんなの作る?」と、声がした。後ろを振り向くと佐々木さんだった。「うん・・・今年は韓国映画のパロディーで!」と、私が言うと「楽しみや!」と、佐々木さん。
 一昨年の案山子コンクールはを使い、地元ゆかりの畑時能(はた・ときよし)を作り優勝昨年はまたまた武将を作り・・・4位。で、今年は韓国映画「僕の彼女を紹介します!」から名場面の風車のシーンを再現しようと決めていた私。だが、本当の狙いは・・・たくさんの風車棚田の風にのってクルクル回る様子を見たかったのだ。その案山子の構想は一週間前に出来上がったのだが、田中先生や妻の協力で昨日の夕方にどうにか完成したものだ。昨日の午後、自宅前で電動ノコやカンナを使い田中先生との共同作業・・・近所の人から「わっ・・・綺麗!」と声がかかるのだが「これ・・・案山子なんですよ!」と、説明すると「・・・・」不思議そうな顔が返ってくる(まあ・・・いいか!)。次男は手伝いをしながら風車を息で吹きかけ回していた。土曜日の午後、案山子作りに汗を流しながらの3人だった。
 さて、高須町の棚田は9時を少し回っていた。市農政企画課藤田さんの司会でこの日は始まった。

昨年まで司会をされていた本多さんは・・・私の横で撮影中!「おはようございます!」棚田に響く、藤田さんの声(女性の司会もいいな!)。最初に植木御大の挨拶、そして県の職員の方から今の稲の成長具合がオーナーに判りやすく説明された。
 

その説明を「あっ・・・そうか!そうなんだ!」と、頷きながら聞く次男(本当に理解しているのか?)。その次男を見ると、まだ靴下を履いていた。次は田んぼに入り草取りを行うはず「おい、靴下は脱いでおけよ!」と、次男に言うと「うん、わかった!」と、素直な次男(少しは・・・成長したな!)

 そんな会話をしていると、「本日は・・・まず・・・案山子作りから行います!」と、藤田さんからの説明があった。「まだ・・・靴下脱がなくてもいいぞ!」「うん!」そんな会話をしながら車の荷台に積んである案山子(風車)を降ろす親子だった。
 佐々木さん、そして私と次男の3人で案山子に見えない案山子のセッティングが始まった。

他のオーナーの皆さんもアイデア満載の案山子を棚田を見下ろす農道横に立てていく。
「あっ・・・そこは・・・こうしよう!」「うん・・その角度がいいわ!」「あっ!あの案山子・・・可愛い!」と、どのオーナーの皆さんも楽しそうに「棚田の見守り隊」となる案山子を作っている。

 年々レベルアップしている案山子コンクール。30分ほど過ぎた頃、早々とあちらこちらで「出来た!」「完成!」の、声が聞こえてくる。「あっ!田中先生いないんだ。・・・取材しなければ・・・・」と、いつも取材をお願いしている田中先生が不在な事に気づいた私はデジカメで撮影をする事にしたのだ。

 オーナーの皆さんの顔は笑顔だった。工夫を凝らした案山子が幾つも並んでいた。「あっ、トトロだ!」と、子供の声が聞こえてきた。ふと見ると、傘を利用しての可愛いトトロがいた。

今度は後ろを見ると、あぜ道インタビューでお世話になった油井さんご夫妻が不要になったパソコン機器で案山子を作っている。「これ・・・面白いね!」と、私が言うと「そうですか!あるもので作ったんです」と、笑顔の油井さんご夫妻。

 そして、昨年長嶋監督を発表したFBC川島アナ。今年は・・・・「ピントン」(FBCの新マスコット)だった(さすが・・・!)

 の幾つもの案山子が高須の里山に完成した。これから数ヶ月、棚田の見守り隊として大事な稲を守ってくれる。これで今年の秋も豊作間違いなしの予感だ。
 案山子作りが終わると、今度は田んぼの中に生えた草を取る。オーナーの皆さんは靴を脱ぎ、ズボンの裾を捲り、久しぶりの泥の感触を味わうように田んぼの中に出陣して行く。「わっ・・・冷たい!」「この感触が・・・気持ちいい!」と、棚田に響く声。
 そんな時、「藤田さん・・・やりますよ〜!」と、隣の田んぼの川島アナの声が聞こえた。
 朝の事、川島アナが中々その車から離れなかった事だが、実は川島アナ・・・車の中に・・・大事な?・・・物?を積んでいたのだった。その大事な物とは、段ボールの中に入っていた可愛い3羽「カルガモ」だった。

日本テレビ日曜7時「鉄腕ダッシュ!」でお馴染みのカルガモなのだが・・・実物を見るのは初めてだった私。次男も「可愛い・・・可愛いね!」と、目を細くしている。田んぼの虫や雑草を食べてくれるカルガモ君たち、今年はそれを川島アナは高須の棚田でやりたかったのだ(いいんでないかい!)
 段ボールのふたが開き、いよいよカルガモ君たちの登場となった。この時、地元高須町の皆さんもオーナーの皆さんも、そして当然FBCのカメラマンも私のデジカメも・・・全員がカルガモを追っていたのだった。ところが、ふたが開いた瞬間・・・あっ!と言う間に・・・田んぼの稲の中に隠れてしまった3羽のカルガモ君たち。(速い・・・!)

「どこ・・・行った!」「そこに・・いる!」「あっ・・そこだ!」「そっちに行った!」と、田んぼの周りで声がする。そんな賑やかな声を時折、首を伸ばして確認するしぐさのカルガモ君たち。しばらくすると、ようやく慣れてきたのか田んぼの中を気持ちよさそうに泳ぎ回る?団体行動の3羽。
 いつの間にか、岬ちゃんや佐々木さんの息子さん(中2・中1)も、カルガモを見に来ていた。そんな中、我が次男は自分の田んぼで真面目に草取りを・・・していなかった。次男は・・・FBCの田んぼに入り・・・カルガモ君を追っていた(やっぱり!)

 それにしても、可愛い愛嬌のあるしぐさをするカルガモ君たち「名前は付けたの?」と、川島アナに尋ねたところ「いや、まだなんです!」と、答えたのだった(番組で一般公募しようか!)極秘情報なのだが・・・川島アナ・・・このカルガモ「さやか」(大島アナの名前)を付けようとしたらしいのだが、その大島アナ「やめてください!」と、川島アナに懇願したらしいのだ(何で?可愛いのに!)
 登場して1時間、すっかり棚田人気者となった3羽カルガモ君たち「ガア〜ガァ!」の楽しそうな鳴き声が里山にこだましていた。高須町アイドル?となる、新しい仲間が増えた記念日だ
 11時、オーナーの皆さんが田んぼ横の小川で足や手に付いた泥を洗い流している。これからは、場所を研修センターに移して、昼食とちまき作り、そしてお楽しみの案山子コンクールの発表となる。
 研修センターでは、オーナーの皆さんがそれぞれ昼食となっていた。少し疲れた顔の方も、いやいや元気に飛び回る子供たちもいる。

台所を覗くと、地元のお母さん方がおにぎり作りやらジャガイモを蒸かしたり大忙しの様子。

 そして外では何人かのお母さんたちが、ちまきに使うを一枚一枚丁寧に洗っている。こんな優しい心配りがあるのが高須町の良いとこなんですね。食いしん坊の私、再び台所に戻ると植木御大の奥様が「藤田さん・・・これ写して!」と漬物を出されてきたのだ。

キュウリたくわんの古漬け?だろうか、少しつまみ食いをした私だが・・・これが、また、美味いのだ。そこで、植木御大の奥様に「これ・・・少し下さい!」と、お持ち帰りをお願いしたのだ(あつかましい!)。すると、「こんなんで・・・いいの!じゃ、帰る時にね・・・用意して置くから」と、うれしいお言葉(有難うございます!)
 昼食が終わり、ちまき作りが始まった。今年、初めて経験されるオーナーは・・・悪戦苦闘のご様子。指導して下さる地元のお母さんの手つきを見ながらも「えっ!もう1回お願いします!」と、その高須町独特の葉の巻き方に困惑の表情だった。

我が次男、今年で3年目だが・・・やはり忘れた様子。岬ちゃんのお母さんにマンツーマンでご指導を受けている。それでも途中からは思い出した様子で順調に葉っぱを巻いていく。そんな次男を植木御大の奥様「僕・・・上手やわ〜」と、誉めてくださった。途端に笑顔でペースを上げる次男(誉められると伸びるタイプの親子です!)
 ちまき作りも終わり、案山子コンクールの発表の時間となった。今年の案山子は優秀な作品が多く、また、ユニークな作品もたくさんあったとの講評でした(私の案山子は7位でした!)
 高須町からジャガイモちまきのお土産を頂きどのオーナーの皆さんも笑顔で高須町から帰られて行った。「今度は秋ね!」「またね!」と、高須町での再会を楽しみにしているようだった。
 棚田オーナーの皆さんが帰った後、研修センターでは再び地元の皆さん方でちまき作りが始まった。さすがに手早いその見事な腕前に感心してしまう私だった。そしてカメラを向けると、少し照れくさそうに「もう・・何十年もこれをしてるから・・・当たり前やわ!」と、笑顔で答えてくれた。

 そんな時、植木御大「藤田さん、ちまきを田中先生に持って行きねの!」と、本日欠席の田中先生にお土産まで用意して下さったのだ。
 雨が降るかな・・・と思われた今日、思いも余らぬ好天に恵まれた高須町の半日。「やっぱり、ここはいいや!」と、川島アナの声がした(同感です!)
 地元の皆さんにお礼を言い、帰ろうとした私だったが次男の姿が無い事に気づいたのだ。「あいつ・・・」そう、次男はお決まりの佐々木さん宅でテレビゲームを満喫中なのだ。
 そんな次男を乗せ高須町を後にした私だが、本日来た道を再び戻り、田中先生のお宅に向かった。ちまきを受け取る田中先生「わっ・・・これ、美味しいですよね!」と、感激の様子だった。
 午後3時過ぎ、自宅近くに来ると・・・助手席の次男は・・・・熟睡していた。「おい・・・もう・・・着くぞ!」と、声をかけると「ねえ、お父さん。今度、いつ高須に行くの?」と聞いてきた。「お前は、そんなに高須が好きか?」と、聞き返す私。「うん・・・だって、高須には、自然がいっぱいだし、美味しいものもいっぱいだし、みんないい人ばかりだからね!」と、半分寝ぼけながらの次男だった(転校させるか!)


△男の酒のつまみ・・・144
 ちまき!
 少し疲れた本日だが、やはり晩酌は欠かせない私。妻は市民体育大会(順化地区)の懇親会で不在。で、つまみを作る元気がない私は「ちまき」をつまみにしたのだった。酒飲みなのに・・・甘党でもある私。全然抵抗なないのだ。きなこをまぶし・・・頂く。「やはり高須産の餅米は美味しい!」
 



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【七月の四/それは・・・突然の別れ!】7月15日(土)

 この日記にて、悲しいお知らせを書かなければいけなくなりました。
 高須城小学校、朝倉俊彦教頭先生が7月12日午後3時18分、急性心筋梗塞にてご逝去されました。まだ、53歳という若さでした。

 7月12日水曜日の夕方、それは私にとって一週間の中で一番となる、慌しい夕方となっている。次男(小6)が下校後すぐにとなる、そして再び順化小学校で地区のスポーツ教室があり、その間には水曜日恒例となっている、FBCげんき米プロジェクト「高須城ものがたり」の放送日があるのだ。
 先週、北朝鮮のミサイル発射騒動があり、その予定されていた放送は、今週に持ち込まれた「高須城ものがたり」。そのタイトルは・・・・〜たった4人の音楽会の巻〜高須城小学校の朝倉教頭先生、畑先生そして光君、岬ちゃんが福井市連合音楽会での感動のステージがメインとなるものだった。
 待ちに待ったこの放送は一週間前から、いや、収録日当日から高須城小学校の石村校長先生をはじめ皆さんが楽しみにしていたのだったはず。そして、誰よりも高須城小学校赴任以来、ギターを児童たちに熱心にご指導されてきた朝倉教頭先生が楽しみにしていたはずだった。
 何かの前触れ・・・と、言うには少し変かも知れないが、いつもの事だと「高須城ものがたり」が始まり、録画ボタンを押し直ぐに次男を車に乗せへと出かけている私。しかし、この日は放送を見てから出かけようと何故か決めていた。そして
「ほら、見てごらん・・・この前の連音の高須城だよ!」と、テレビの前に塾のカバンを肩にかけた次男を座らせ
「お父さん、これ・・・ケーブルテレビで見たよ!」と、言う次男を説き伏せて、共に最後までその放送を見ていたのだった。
「ほら、よかったでしょ!」
「うん・・・なんべん聞いても上手いね!」
「じゃ・・・行くか!」
「うん・・・塾・・・遅刻だよ、お父さん!」
「ごめん・・・たまにはいいよ、この放送を見せたかったんだよ・・・お前に!」と、こんな会話をしながら塾に向かったのだった。
 次男を塾に送り届け・・・・何分過ぎた頃だったか?私の携帯が鳴った。携帯画面は「田中先生」と、なっていた。
「先生・・・お疲れ様です!」
「あっ・・藤田さん。今、大丈夫ですか?」
「全然・・・大丈夫ですよ!何かあったんですか?」そんな田中先生との会話だった。ただ、いつもと違う声のトーンの田中先生に明道中学校で何かトラブルでもあったのかと先回りして考えていた、この時の私だった。
「先生・・・どうしたんですか?」
「いや・・・あの・・・間違いだといいんですが、高須城小学校の朝倉先生が・・・教頭会で倒れられて・・・それで・・・」
「それで・・・どうしたんですか?」
「いや・・・まだ、未確認なのですが・・・朝倉先生が・・・」
「先生、じゃ私、石村校長先生に電話してみます!」
「はい、お願いします!」
「何かの間違いでしょ・・・きっと!だって、さっき放送が!」
「ええ・・・そうだといいんですが・・・」
 こんな慌しい会話で電話を切った私は、間違いである事を祈りながら直ぐに石村校長先生に電話したのだった。
「はい、石村です」と、校長先生の声。私はこの時の電話口の校長先生の声で・・・全ての状況を察する事ができた。
「先生、朝倉先生は・・・?」
「はい、今・・・・」
「そうですか!何か私にできる事がありましたら、いつでもお電話下さい」と、電話を切った。
 突然の訃報・・・・。わかってはいても、さっき放送に映っていたのにと、頭の中がパニック気味の私だった。そして、次に私の頭に浮かんだのは、高須城小学校の二人の児童、光君と岬ちゃんの顔だった。当然この時、まだ二人の児童やその保護者には朝倉教頭先生の訃報は届いてはいない。もし、その連絡を受けた時の二人の心境を考えると、胸が苦しくなるのを抑えられない私だった。
 田中先生の一報の電話から約15分が過ぎていた。録画された「高須城ものがたり」を巻き戻し・・・再び見ながら煙草を吸った。画面に映る朝倉教頭先生、「ふっ〜う!」と、溜息をついた私だが・・・気が付くと涙が零れていたのだった。「先生・・・まだ・・・若すぎるよ!」そんな独り言が何度も何度も出ていた私だった。
 携帯で田中先生に電話をした。そして・・・石村校長先生との会話の全てを話しした。
「そうですか!」と、小声の田中先生。
 次に私はFBC川島アナウンサーに電話をしたのだった。仕事中だった川島アナだが私の話を聞き
「えっ!本当ですか・・・今、放送を終えたばかりなのに・・・」と、やはり驚きを隠せない声となっていたのだ。
 そして、次に地元高須町の佐々木さんに連絡を取ったのだが、幾度携帯にかけるのだが通じず、着信履歴を見ての佐々木さんからのおり返しを待つ事にしたのだった。
 そんな時、石村校長先生からお電話を頂いたのだ。この時、校長先生は病院で朝倉教頭先生にご家族とともに付いておられたのだ。
「藤田さん、今日の放送(高須城ものがたり)は録画されましたか?」
「はい」
「では、そのテープを貸して頂けませんか。それと連音のテープもお借りしたいのです!」との内容の校長先生からのお話だった。
 おそらくビデオテープをお通夜またはご葬儀の会場で流すであろうと予測した私は、再びFBCの川島アナに電話したのだった。すると川島アナから意外な言葉が返ってきたのだった。
「連絡を受けてから、そんな事もあろうかと本日の放送を再編集しています!」と、川島アナ(さすが川島アナ、気転が利く!)
 この後、川島アナと石村校長先生に直で連絡を取って貰うことにした私は、その後、夕食も食べる事も忘れパソコンでの朝倉教頭先生の保存写真などやデータを調べていた。
 石村校長先生のお話では、「児童の家庭には保護者が帰宅される、夜に連絡します!」との事、私はその連絡後の児童の精神的なものを考えるといたたまれない気持ちになっていた。
 そんな時、ようやく高須町の佐々木さんと連絡がとれた。
「えっ!嘘、何で?」と、信じられない声の佐々木さん。呆然とした様子が電話の声からも想像できた。
 14日夕方、福井市花野谷町にある、ご自坊(兼ご自宅)でお通夜が行われた。5時過ぎ、私は明道中学校で田中先生そして佐々木さんとの待ち合わせをした。職員玄関前、礼服姿で私と田中先生が立っていると、通り過ぎる先生方から「ご苦労様です、今から行かれるのですか?」と、声がかかる。この日は下校してきた次男(小6)「僕もお通夜に行く!」と、私の横で神妙な面持ち。しかし、中学生の部活の様子を見ながら来年の自分の姿を想像している様子。
 渋滞に巻き込まれて10分遅れで来た、佐々木さんの車に全員が乗りお通夜へと向かった。車中では、朝倉教頭先生の思い出話があったのだが、まだ三人とも信じられないと言った顔だった。約15分で福井市郊外の朝倉教頭先生のご自坊(ご自宅)に着いた。田園が広がるのどかな町、しかし、農道や市道には多くの車が駐車してある。交通整理の係の方もいたる所で案内をしていた。
 ご自坊から少し離れた所で車を止め、4人は服装を直しながら歩いて行く。会場受付に着くと、多く学校の先生方が見られた。以前PTA関係で知り合った他校の先生方、そして明道中学校から転任され現在は校長や教頭となられた先生方も多く会場におられる。そんな先生方から「お久しぶりです!」「お元気でしたか!」と、懐かしいお顔に少し癒された私。それでも、「藤田さんは、何故ここに?」「朝倉先生とは、どういうご関係?」と、質問攻めにあうこともあった。
 しばらく受付付近で参列者の多さに圧倒されていた私たちだが、石村校長先生のご案内で会場内へ入った。ご自坊の二階にあるお通夜会場、お焼香場は数箇所あるのだが、その参列者の多さで中々列は動かない。そして、石村校長先生が私達を一人一人ご家族に紹介して下さったのだ。
 朝倉教頭先生のご家族、奥様と三人のお嬢様は突然の出来事に今だ悲しみからそのお顔から涙が溢れていた。私と次男、そして田中先生と佐々木さんは一列に並び、祭壇中央にあった朝倉先生のご遺影に手を合わせた。そのご遺影は、先生の優しそうなお人柄が偲ばれるものだった。そして、そのご遺影の前には、朝倉先生のギターを弾く写真と、先日の公開授業の教室での先生の写真があった。
 

 私たちはお焼香を終え、式場脇に座った。回り焼香だというのに参列者は後をたたず次から次へと朝倉先生を偲び人が来られていた。暫くすると、石村校長先生が案内をされ、植木御大が来られた。植木御大も朝倉先生の突然のご不幸に信じられないと言った表情で暫し、ご遺影の前から離れられないでいた。お経が始まり、それでも参列者は多く来られていた。
 私たちは席を立ち一礼をし、帰路に着く事にしたのだった。階段を下り、玄関を出ると畑先生と、高須城小学校の二人の児童が保護者と共に来ていた。光くんも岬ちゃんもまだその状況が理解出来ない様子。それでも次男との会話もほどほどに式会場に入って行った。そして、FBC川島秀成アナウンサーも二人の児童の肩を抱くようにその後を歩いていたのだ。
 帰りの車中、私たち4人はしばらく沈黙となっていた。それぞれが朝倉先生の元気なお姿を思い出していたのだろう。
 帰宅後、私と次男はお仏壇に手を合わせながら、朝倉先生の話をしていた。運動会の事、連音の事、授業の事、職員室での事、全てが走馬灯のように私の頭の中を駆け巡っていた。
 深夜、ケーブルテレビに映る連音での高須城小学校のギター演奏、それは・・・何か・・・不思議なものを見るような感じだった。横で見ていた妻も「何か・・・変だね!信じられない・・・」と、涙ぐんでいた。
 翌日、私はお葬式にと朝8時過ぎに自宅を出た。9時から始まる式にと早めに出たのだが、この日も多くの教職員の皆さんやご近所の方、また、檀家の皆さんで式場は混雑の様子。しばらく受付前で、高須城小学校の畑先生たちと話しをしていたのだが、そんな時、光くんと岬ちゃんがお母さんたちに連れられて来たのだった。何故か緊張気味の二人。その訳は、本日の式内で「お別れの言葉」を二人で言うとの事。「頑張れよ!」と、私が声をかけると「うん!」と、少しの照れ笑いの顔。
 9時、厳かな中、式は始まった。まず、式の前に県教育委員会からの功労賞の伝達が行われた。朝倉先生の奥様とお嬢さんに賞状と記念品が授与された。まさかこんな形での授与は誰も想像していなかったことであろう。長い教員生活、教員そして管理職としてご定年まで、残り数年を完全燃焼するはずだった朝倉先生。
 浄土真宗本願寺派。九人のお坊さんによる低い読経の声。それは厳粛な式の始まりだった。
 30分ほど過ぎた頃だったか、いよいよ二人の児童による朝倉先生への「お別れの言葉」が始まった。石村校長、そして畑先生が付き添いマイクの前に立つ二人。光くんは、緊張しながらも大きな声で2年間の朝倉先生との思い出を語った。
「先生との野球は忘れません。ギターを指導して頂いた時、優しく声をかけてくれた事も僕は忘れません!」
 

そして、岬ちゃん
「先生がお亡くなりなったと、夜、お母さんから聞いて信じられませんでした。そして次の日、学校に登校して先生の姿が見えず、休みかなと思うほど、私にとって何か夢をみているような出来事でした」と、自分たちの言葉で朝倉先生のご遺影に語りかけた。すると、参列者の中から多くの皆さんがハンカチで涙を拭う姿とすすり泣く声が聞こえてきた。担任としての先生への思いをしたためた二人の言葉を聞きながら・・・私も、泣いていた。
 続いて教頭会の同期、山本利幸先生(豊小学校教頭)が弔辞を読まれた。山本先生は、朝倉教頭先生が高須城小学校に赴任されるまでの前教頭だった先生なのだ。山本先生は涙、そして時おり声を詰まらせながらの弔辞となったのだが、同期としての思い出や懐かしい二人の教員時代を振り返りながら、ひとつひとつの言葉を朝倉先生に語りかけていたのだった。
 悲しみに包まれたご葬儀は終わり、思い出となってしまった朝倉先生の連音での一日となった、川島アナが再編集してくれたあの「高須城ものがたり」が、会場内のスクリーンに映し出された。テレビの放映とは少し異なり朝倉先生が多く映っている。会場からは「あらっ!」「先生!」と、叫ぶような声が聞こえる。そして、先生のお嬢様は涙を拭きながら在りし日の先生の姿を心に刻み込むようにスクリーンを眺めていられた。
 その終わりには朝倉先生のコメントがあった。それは二人のこどもたちに送る言葉だった。「生涯にわたり続けてほしい!」と、少しはにかみながらの優しく語りかける朝倉先生。この時、会場からは多くのすすり泣く声が響いていた。
 

 ご葬儀が終わり、いよいよ先生とのお別れの時が来た。高須城小学校の先生達、そして二人の児童と保護者・・・皆さん目を真っ赤にしてその時を迎えている。
 多くの先生方、ご友人、檀家の方、ご近所の皆さんに見送られながら棺が運ばれて行く。
 手を合わせ、目を閉じながら朝倉先生と最後のお別れをしたのだった。
 昨年4月に高須城小学校に教頭として赴任された朝倉先生。今年度からは光くん、岬ちゃんの担任としてもご活躍されていた。私自身、朝倉先生とは高須城小学校内でしかお話をする機会を得なかったのだが、そのお優しいお人柄に理想の先生像を感じていたのだった。この高須城日記にも何回か登場して頂いた朝倉先生。
   平成17年
    【五月の四/里山の歓声】
    【十二月の四/感動の「星に願いを!」】
   平成18年
    【五月の十三/城山にこだまする声】
    【五月の十五/「高須城ものがたり」は運動会!】
    【六月の五/高須城小学校は・・・大忙し!】
    【六月の十五/響け・・・感動のステージ!】

 私の二つ年上となる朝倉先生。穏やかなそのお姿、笑顔が何とも言えず、こちらまでついつい笑顔になるそんなお人柄の先生。昨年、今年と一生懸命児童にギターをご指導された先生。「星に願いを!」「星の散歩!」と、偶然にも「星」と名の付いた曲を選ばれた先生。今はその夜空の星から笑顔で私達を見守っていて下さるのですね。
 朝倉先生・・・心からご冥福をお祈り致します。


△男の酒のつまみ・・・今回は、お休みします。


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【七月の五/川島アナに新・助っ人?登場】7月19日(水)

 先月の梅雨入り以来、雨もそこそこに「今年は雨が少ないね!」と、話していたのだが・・・16日の日曜日から二年前の福井豪雨を思い出すかのような集中豪雨となってしまった。全国各地で被害が相次ぎ、また、県内でも至る所で非難勧告や自主避難となっている。福井市内でも中野町で犠牲者が出た。そして、恐神町でも土砂崩れが起き、民家に大木が突き刺さるという、自然の怖さを思い知る事となった。
 この多くの被害をもたらした梅雨前線だが、しばらく大きな動きはないとの予報で、来週あたりまでまだまだ気の抜けない心配されるものとなっている。こんな感じではおそらく8月に入っての梅雨明け宣言になるかも・・・。そして、私たち棚田オーナーにとっても、毎年のことながらこの大雨は嫌なもので高須町の棚田の状況が気になるところ。今のところ佐々木さんからの被害にあったとの電話が無く、一応の安心となっているのだが、こちらも無事に切り抜けてほしいものだ。
 夏休みを前に次男(小6)も少しの浮かれ気分で「夏休みはこの映画を友達と見に行く約束なんだ!」と、アニメ(ブレイブ・ストーリー)の券を手に握り締めながら笑顔を浮かべている。今年からの2学期制導入で終業式のない夏休みに入り、「何か変な感じ!」と、口にしているのだがそれでも小学生最後の夏休みを今か今かと待ち望んでいる様子だ。次男のその夏休みだが、8月最初には、石川県珠洲市ボーイスカウトの全国大会。お盆前後からは、福井市の交流事業熊本市へとなかなかそのスケジュールも忙しそうだ。広い視野を持ってほしいと願う親の心、そんな親の気持ちに少しずつ成長が見られそうな12歳の夏となりそうだ(今月誕生日!)
 さて、水曜日と言えばFBCの夕方放送のリアルタイムふくい「げんき米プロジェクト・高須城ものがたり第9話目が放送された。今回の放送は先日の草取り&案山子がメインとなったものだ。気になるタイトル〜草取りに秘密兵器?!の巻〜と、なっていた。
 高須町の棚田、田植えから二ヶ月が過ぎて稲も順調に育っている。しかしこの時期心配なのは、その稲の発育を妨げる病害虫。高須町の棚田は無農薬栽培のためその病害虫が人一倍心配されるのだ。そして、田んぼをよく見ると稲と稲の間には草が沢山生えている。私たちの田んぼのほぼ倍?の大きさを持つ川島アナの田んぼ、昨年のようにコンビの大島さやかアナの姿がないため、今年は川島アナ一人が孤軍奮闘でその草取りをしなければならないのだ。そこで、そんな川島アナに可愛い助っ人?が応援にやってきたのだ。それは・・・三羽のアイガモ君たちだった。
 川島アナが車の中から大事そうに抱えながら運んできた大きなダンボール箱、その中には三羽のアイガモ君たちがいた。この日の高須町のインストラクター・新屋馨さん「一人では、この草取りは大変だと思いこのアイガモちゃんを連れて来ました!」と、説明した川島アナ。いわゆる※アイガモ農法への挑戦となるのか!?
 このアイガモ農法を少し調べてみると・・・・・
※アイガモ農法・・・アイガモとは、アヒルとマガモを交配させて生まれた鳥で、日本では主として食肉用に飼育された。アイガモは飛ぶ事は出来ず、水田に放して除草駆除をさせ、無農薬で安全なお米と鴨肉を同時に育てようというのが「アイガモ農法」です。また、このアイガモ農法のメリットとして、次の事などがあります。
@アイガモは雑食性で、水田内のウンカ類など害虫を好んで食べ、優れた害虫防除効果が期待できる。
Aアイガモは、稲作における雑草を食べるがイネ科の植物は食べないので、除草剤を使わない農業の実践に貢献する。
B水田中でアイガモが出す糞尿は、優れた有機肥料となる。
Cアイガモは泳ぎながら口ばしや足で水田の泥水を掻き回し、水田内に酸素を供給する。また、水を掻き回すことで、雑草の繁茂を抑える効果がある。
D稲の株元を口ばしでよくつつくため、株張りがよく丈夫な稲を育てる。
Eアイガモを水田に放している間は農薬が使用出来ないため、水田周辺の生物が生き返るなど、自然環境が復元・保全される。
 さて、アイガモについて事前に下調べを行った川島アナは、数日前に坂井市三国町にあるおけら牧場を訪れていたのだ。  この、おけら牧場だが25年前「おけら」(虫・ちっぽけな・何もない・・・の意味)から、「自分たちは、道ばたの石ころのような存在だけれども、そこから何ができるのか、やれることからやっていこう!生きることはそういうことだ!」と、牧場を始めたらしい(素晴らしい!)
 現在、牛の繁殖や地鶏の養鶏を中心に、無農薬のお米や野菜などを自給自足に近い生活「農のある暮らし!」をモットーに頑張っているところです。
 この日、川島アナはおけら牧場山崎一之さんからアイガモ農法について色々と伝授して頂いたのだった。「新しい一歩を踏み出します!」と、川島アナの並々ならぬ意気込みに、山崎さんも「頑張って下さい!」と、固い握手でエールを送ってくれたのだった。
 さて高須町げんき米の田んぼでは、狭い段ボール箱から飛び出した三羽のアイガモ君たち、田んぼに勢いよく入って行った。まるで水をえた魚のようにスイスイと稲と稲の間を気持ちよさそうに泳いで行く。そして、草や虫などを食べていくのだ。これを見ていた川島アナ「あっ・・・食べてる、食べてます!」と、プロレスのリングアナのような感じで実況中継している。
 

 しかし、アイガモ君たちではまかない切れない広さのげんき米の田んぼに、いよいよ川島アナも草取りを開始した。ところが・・・「川島さん・・・あかんて〜(ダメ!)」と新屋さんから声がかかる。「何で?」と、川島アナ。新屋さん曰く、草取りは根の部分から取らないといけないのだが、この日の川島アナは初参戦のアイガモ君たちの動向が心配だったのか、草の上の部分しか取っていなかったのだ。
 その間にもアイガモ君たちは食事・休憩・食事とコマ目に田んぼの中で泳いでいる。
 しばらくすると、川島アナ「あっ〜疲れた!・・・もう、アイガモ達に任せよう・・・!」と、少しの弱音。そう言えば、昨年の草取りも・・・川島アナは途中仕事で会社に戻ったような・・・?。大島アナが一人で草取りを頑張っていたような記憶があるのだが・・・?
 まあ、いずれにせよこの草取りは見た目以上に疲れるのは間違いないのです。・・・そして慣れない田んぼの中で、ふくらはぎなどの筋肉痛になるのです。
 ここで、気になる一言が川島アナに投げかけられた。「カラスが騒いでる。美味しい餌が来たって!」と、新屋さん。つまり可愛いアイガモ君たちはカラスの餌になるということなのか。「じゃあ・・・ここに放してはおけない!」と、心配気味の川島アナ。それでも、そんな田んぼの中の作業中のアイガモ君たちをあぜ道で見る川島アナ、周りで見つめる地元の人たちに「いや〜今年は一人だから、誰か助っ人が欲しいと思って・・・助っ鳥?!を連れて来たんです!」と、おやじギャグ(寒〜い!)。しかし、地元の方からも「アイガモたちは十分に大島さんの代わりになりますね!」と、声がかかる(だから、昨年は大島アナが一人で頑張ってたのに!かわいそう!)
 草取りも無事?終わり、次は外敵から守ってくれる案山子作りにかかった川島アナ。今年はFBCの新キャラクター「ピントン」だ。少し頭が大きめのピントンだが、それでも可愛い川島アナのピントンだ。そのピントンをはじめ、今年も高須町の棚田に個性溢れる案山子がお目見えとなった。
  

「元気に育て!」と、川島アナのげんき米案山子も完成し、助っ鳥?!のアイガモ君も登場し、そろそろ秋の収穫を夢見ているこの日の川島アナだった。


△男の酒のつまみ・・・145
 じゃがいものバター炒め?!
 この時期になると、何故か台所に多くあるじゃがいも。そう新じゃがの季節だ。親戚やらご近所からとその新じゃがを御裾分けと頂くのだ。カレーライスサラダ肉じゃがなどジャガイモも料理は幾つもある。
 だが、私の好きなジャガイモ料理は・・・シンプルに・・・じゃがバター。本来なら北海道の家庭のように、ストーブの上にアルミホイルに包みバターを乗せて食べたい・・・となるのだが、それは無理な話。
 そこで、ジャガイモを四等分に切り、お湯で煮る。実が柔らかくなったら、残ったお湯を捨て、塩・胡椒を少々ふりかけながら実を潰す(ポテトサラダのように)。ある程度ほぐしたところで弱火にしてバターを多めに入れ混ぜ合わせる。バターは遠慮せずに多めに入れると美味しいですよ!


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【七月の六/道が・・・ない!】7月20日(木)

 朝9時、私はFBC(福井放送)本社ロビーのソファーに座りながら川島秀成アナウンサーを待っていた。この時間は出勤時間だろうか、首からIDカードをかけ放送局の社員の皆さんが急ぎ足。美人の受付嬢「おはよう!」と、声をかけながらそれぞれの部署に入って行く。いささか慣れない場所での私はそんな光景を見ながら「美人だな!可愛いなあ!」と、受付の二人のお嬢さんをチラリチラリ(不謹慎!)
 そんな時、「お待たせしました!」と、川島アナが歩いて来た。「ごめんね・・・忙しいのに!」と、かねてから依頼してあったテープとDVDディスクを川島アナに渡した。「じゃあ・・・しばらくお待ち下さい!」と、川島アナ。私は再びソファーに座って大きなテレビ画面(11ch)を見ながら、またまた受付嬢をチラリ(再び・・・不謹慎!)
 この川島アナに依頼した件なのだが先週の土曜日のこと、つまり高須城小学校の故・朝倉教頭先生のご葬儀当日の朝、朝倉先生のご家族から「連音とげんき米の放送分をテープとDVDで残したいんです!」との依頼を受けた私。「了解しました!」と、引き受けてはみたものの、テープのダビングは自宅で可能なのだが、よく考えてみるとテープからDVDへの録画の器材がなかったのだ。何人かの友人・知人に聞いたのだが、やはりその器材は無く、困り果てていたのだった。
 そんな時、「もしや!」と、頭に浮かんだのがFBCの川島アナ。直ぐに電話をかけたのだが、何故か熊本県に出張中の川島アナ。それでも「じゃ、来週の木曜日には社にいますから!」と、本日になったのだ。放送局ならば色々な器材はあるだろうとそんな安易な考えで川島アナに頼んだ私だが、私的な事を依頼している事を少し反省していたのだった(ごめんね・・・川島アナ!)
 約30分過ぎた頃、「すいません・・・お待たせしました」と、川島アナ。「テープに録画されたものですが、画像が鮮明ではなかったので、こちらの放送した(高須城ものがたりの)元テープを入れておきました!」と、私に説明してくれたのだ。何て言う優しい川島アナ。その川島アナからテープとDVDディスクを受け取り、お礼を言ってFBC本社を後にした私だった。
 この日、半日の休みを取り高須町まで行うと考えていた私だったが、まずはこのテープとディスクを朝倉先生のご自宅に届ける事にしたのだった。国道8号線を南下、いささかの渋滞に巻き込まれながら30分弱で朝倉先生のご自宅に着いた。お通夜、ご葬儀と数多くの車で道が塞がれていた先週だったが、この日はそんな光景も無く穏やかなひっそりとしたご自宅付近だった。奥様やご家族にお会いしたら何て挨拶しようか・・・と、少し緊張しながらチャイムを押すと・・・静かな・・・ご自宅。「お留守かな?」と、しばらく待っていたのだが、玄関脇にテープとディスクを置き、お寺に手を合わせ車に乗り込んだのだった。
 次に向かうのは田中先生がいる明道中学校だった。今年度からの2学期制、その夏休みを前に忙しい先生達。「おそらくその時間帯は職員室にはおりませんから、机の上に置いておきます」と、前日の電話で田中先生から連絡を受けていた。その田中先生の机の上に置いてある物だが・・・・そう、連音(小学校連合音楽会)で私が撮影した高須城小学校ギター演奏の4人(朝倉先生・畑先生・光くん・岬ちゃん)の写真のパネルだった。

そのステージ上での4人の写真を「パネルにして高須城小学校に寄贈しましょう!」と、話していた田中先生と私。まさか・・・朝倉先生が・・・そんな事は全く考えていない私達だったのだが、出来上がったパネルは今、田中先生の机の上にあるのだ。
 午前10時30分、明道中学校到着。近道をしたつもりだったのだが、やはり市内はどこも混雑気味。急ぎ足で職員室に入り、田中先生の机に向かうと・・・やはり・・・先生は授業中!他の先生に挨拶をしながら田中先生の机の上に置かれてあるパネルを手にした。すると、田中先生の隣のM先生から声がかかった。「朝倉先生ですね。・・・とても、いいお写真です!」と、しみじみとそのパネルを見ながら話すM先生。私も「そうですね!先生も健康に気を付けて下さいね」と、しばし二人でそのパネルを見ていたのだった。
 所要時間約5分・・・再び車に乗り、ようやく高須町に向けて走り出した。助手席には高須城小学校の4人のパネルがある。信号待ちの度にそのパネルを見る私だったのだが、このパネルを今、高須城小学校に持って行くことがいい事なのかどうなのか、この写真を見た光くんと岬ちゃんが再び悲しまないだろうかと・・・・悩んでいたのだった。
 県立武道館近くの交差点。いつもなら明治橋を渡り、信号の無い一王子ルートを走る私。だが、この日はどういう訳か車の流れに任せてスカットランド九頭竜方面に向けて車を走らせていた(何故だか・・・赴くままだった!)。この時間、雨が上がり・・・・青空が広がっている。気温の少し、いやかなりの温度となっていた。福井市郊外、青空水田の緑のコントラストが美しく、ハンドルを握る私も何故か少し浮かれ気分!(そんな年齢か!)。そんな私に・・・信号も青・青・青とノンストップとなり快調に高須町に向かっている車。
 だが、そんな時に限って予期せぬ・・・携帯電話の着信音「誰だ!」と画面を見ると「あいつだ!」(久々、登場の同級生!)【四月の八/夜の片町で千鳥足】で高級なお酒を飲ませてもらい、大散財をさせてしまった・・・その時以来の彼からの電話だった。無視しようか・・・とも考えたのだが、奢ってもらった弱みがある私、「仕方ない・・・!」と、車を路肩に止めた。
「おう・・・久しぶり、何か用事か?」
「いやいや・・・藤田、明日・・・暇か?」
「明日の夜の話か?」
「当然!」
「明日は・・・片町に友達と出るわ!」
「そんなら都合いいわ!俺も久しぶりに出るから・・・電話するわ!」
「久しぶりって・・・何かあったんか?」
「いやいや・・・久しぶりって言っても2日振りやけどな・・・」
「お前な・・・身体壊すぞ、ほどほどにしないと!」
「藤田から言われたくない!お酒を教えてくれたのは・・・藤田やが!」
「・・・・・」 「じゃ・・・明日な!」
「おう!」(これが、約2ヶ月振りの会話か!)
 無駄な時間を潰したとは思いながら再び車を走らせた。すると、今度は各信号で、赤・赤・赤となって行く。「あいつ・・・」と、友人の顔が頭に浮かぶ。
 ようやく車が少ない道へと入った。旧下郷小学校からゴルフ場へと向かう道。益々、気温は上昇中の模様。途中で見かけるゴルフ場の作業員?の方も汗を拭きながら機械を動かしている。「後・・・10分で着くな!」そんな事を考えていた時だった、ゴルフ場の入り口に差し掛かった時だった。
 高須町までの専用道路?には看板が立ててある。「ん・・ん!」と、目を凝らして見ると《全面通行止》と、書いてある。
「まさか?」と、私は車を路肩に止め車を降りた。そして柵を乗り越えしばらく歩くと・・・道が無いのだ。「嘘!」と、しばしその場で呆然状態の私。恐る恐る近づくと約20mほどに渡って道路が崩落しているのだ。
 

以前から陥没箇所が多かった道ではあったが、今回の集中豪雨でまさかの状態になっているとは、本当に驚いたこの時の私であった。
 これは補修と言ったものでは済まされない、相当の期間がこの道路の改修にかかるはずだ。以前、植木御大や佐々木さんから「あの道路は、国道でも市道でもない・・・私道なんだ!」と、聞いた事があった。つまり、ゴルフ場の設置に伴って設けられた道なのだ。改修費用?と言えるのだろうか、相当のお金が必要となるはず。その捻出方法はどこから?と心配になっている私だった(君は高須町の住民か!)
 今から4年前だったか、初めてこの道を通った時の事を思い返していた。確か2月の雪が積もる頃だった。高須城小学校で、私の講演会のため、自宅まで迎えに来てもらった佐々木さんの車に乗り通ったこの道。「こんな所に集落があるなんて・・・知らなかった!」と、初めて高須町への道に驚いていた。「すごい所やろ!」と、私の顔を見て笑顔の佐々木さんだった(懐かしい!)
 とにもかくにも、「高須町の人たち・・・困るだろうな!」と、生活道路として高須町の人が利用しているこの道、その道が通行出来ない不便さを考えていた。次に、この状況をホームページで知らせないといけない事を考えていた。しかし、こんな時に限って所持していないデジカメ。「もう・・・肝心な時に!」と、悔やみながら車に戻ったのだった。
 煙草を咥え・・・しばし、溜息をつきながら、高須町までの道を頭の中で整理していた私。高須町までの道は・・・何箇所かある。海岸線からの山越え、それに以前、佐々木さんから教えてもらった一王寺付近からの山道。しかし、やはり何回か通った事のある柳原からの道を選んだ私。いずれにしてもこの道を引き返さなければならないのだ。「これは、しばらくは不便だな!」と、呟きながら再びUターンとなった私であった。
 柳原からの道。約10分の遠廻りだろうか、やけにその道が長く感じられて来た。寺前商店を正面にY字路、その左の道に入り、約10mで左折となる。最初の頃、この道が判らず迷った事もあった。
 

 しばらく走ると、またまた看板があった。徐行しながらその看板を見ると《道路工事のため通行止め》と、書いてある。
 

「そんな馬鹿な!」と、困り果てた私。それでは高須町の人は孤立状態になってしまう。そんな時、前方から一台の軽トラが来た。すれ違い様、その運転席を見ると、高須町の方だった。ここで、ようやく安心した私、車を高須町に向けて走らせた。途中の道では確かに工事をしていた。ただ、丁度お昼時で作業員の方は車の中や木陰でお弁当を食べていた。私が現場の道路を徐行で走ると・・・冷ややかな視線!そんな視線を感じながら坂道を登って行く。

 予定より30分送れで高須城小学校に到着した。私が車から降り、パネルを手に学校に近づくと職員室の窓から石村校長先生が「どうぞ・・・お入り下さい!」と、声をかけて下さった。「お邪魔します!」と、職員室に入り校長先生にパネルをお渡しした。「ありがとうございます」と、笑顔の校長先生。だが、当然・・・複雑な心境だろうと感じていた。記念として音楽室に飾って頂こう・・・それが田中先生と私の最初の思いつきだった。しかし、今は・・・校長室の片隅にでも・・・と、それが本音だった。
 職員室は校長先生と私の二人。畑先生や二人の児童は給食の時間だろうか、賑やかな声が聞こえない。アイスコーヒー校長先生からご馳走になり、また、給食の出口さんから甘いスイカを頂いた。そして話は・・・・道路の事となっていた。「いや〜大変でした!生活道路ですから」と、先生。毎日、通勤にこの高須町まで通う先生達にとっても、あの道が使えない事は重大な事となっていたのだった。
 午前中に朝倉先生のお宅へテープを持って行った事を話した私、「お留守でしたか!では、後から私が電話しますから・・・色々とご迷惑をおかけして、ありがとうございました!」と、石村校長先生。
 ふと、職員室のボードを見ると本日午後「授業参観」と、書いてあった。担任だった朝倉教頭先生、今は校長先生が臨時の担任をされている。フル回転の校長先生「大変でしょう?」と、お聞きすると「いえ、いえ・・・そんな事はないですよ!」と、笑顔で答える校長先生だった。
 道路工事が再び開始されるのは1時、私は急いで車に乗り用事のあった植木御大のご自宅へと向かった。しかし、こちらもお留守で・・・帰路へと着いたのだった。
 結局、今日は誰にも会えない日・・・となっていた。朝倉先生のご家族、田中先生、光くん&岬ちゃん、畑先生、そして植木御大(こんなこともあるものだ!)
 半日の仕事休み・・・約45分遅れで・・・仕事に戻った私。
 夕方、明道中学校の田中先生に高須町までの道路状況を報告し、H・Pのテロップ変更をお願いした。すると「えっ・・・本当ですか?それでは、私が土曜日にその箇所を撮影して来ます!」と、さすが理科の先生(関係ない・・・か)
 そして夜、携帯が鳴った。覚えのない番号が表示されていた。「はい・・・藤田です!」と、電話に出ると「朝倉ですが・・・」と、上品な女性の声。朝倉先生の奥様だった。石村校長先生から連絡を受けて、私にわざわざお礼の電話を下さったのだ。朝倉先生の思い出などを少し話していると、奥様が「藤田さんて・・・高須の方ですか?」と、聞かれたのだ。「いえいえ・・・・」と、簡単に奥様に説明した私だがご理解いただけたかどうか・・・(まあ・・・半分・・・高須在住みたいなものだから!)
 いよいよ明日から夏休み、その夏休みを前に使用道路が不便な高須町。おそらく、次回の棚田オーナーの集合日には柳原経由となるだろう。「高須町はこちら!」の看板を立てなくてはいけないと、少し心配の私の晩酌タイムとなっていた。


△男の酒のつまみ・・・146
 いくらキュウリ添え!
 スーパーでパックのいくら割引価格。そこでキュウリをスライスしてその上にいくらを乗せた。簡単・旨い!
 間に海苔チーズをも試したのだが、やはりこのままの方がいいかも!


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【七月の七/みんなのかんきょう!】7月21日(金)

「ただいまぁ〜・・・夏休みだ〜ぁ!」と、満面の笑みの次男(小6)が学校から下校してきた。普段より少し多めの荷物(宿題は少ない!)を持ち、クラスメイトと楽しそうに談笑しながらの下校風景。それでも、初めての経験となる終業式のない夏休み入りだ。
「夏休みの宿題は多いの?」と、聞くと
「それほどでもないよ!」と、答える次男。
「だったら早めにやっちゃいなさい」と、毎年の夏休み終盤の事を考えて言うと
「了解!」と、その毎年の同じ返事が返ってきた(今年もまた・・・追い込みになるな!)
 福井市のほとんどの小中学校では、本年度から2学期制導入により、終業式は行われてはいない。つまり、各学期の成績を評価される通知表も当然無く、何か少し寂しい・・・親の心理?(通知表・・見たいような・・見たくないような!)。1学期と2学期は10月半ばに入れ替わるのだが、子供以上に私たち保護者もまだまだピンとこない、この2学期制である(私だけかな?)
 夏休み・・・しかし、例年の事?ながら、まだ梅雨明け宣言のない夏休み。早く「夏本番!」と、思うような夏空を感じられる一面の入道雲が見たい・・・そんな事をついつい考えてしまう空模様が続いている。
 さて、2週間前の金曜日の事、高須城小学校の教頭、故・朝倉俊彦先生のお通夜の日の事だが、午後から何故かバタバタと仕事やら私用やらで動き回っていたのだが、不在の私の店に少し重そうな荷物が届けられていたのだ。
 その荷物の中身だが・・・以前、この日記(下記)の中で紹介した「みんなのかんきょう」という冊子だ。
【五月の十一/高須町をPRしよう!】
【五月の十五/「高須城ものがたり」は運動会!】
【六月の一/高須町でもクールビズ?!】
 今回、届けられたその「みんなのかんきょう・bS7」だが、福井県安全環境部環境政策課内環境ふくい推進協議会が年4回発行している冊子の最新版なのだ。以前にもお話したのだが、その担当者の阪本さんが偶然、高須町のこのホームページをご覧になり、また、阪本さんご自身も何度か高須山に登った経験をもつ、大の高須町ファンであった。5月にその阪本さんからご連絡を頂き「是非、高須町を次号のみんなのかんきょうの中で紹介したいのです!」とのお話に、高須町の植木御大が「じゃ、藤田さん書いて!」と、言う事になってしまったのだ。高須町の住民でもない私に、高須町を紹介とは・・・と、深く悩んだ?いや・・・少し悩んだ?・・・それほどでもなかったのだが、一応「私でよいのですか?」と、お伺いを立てた私。しかし、植木御大や佐々木さんから「頼むわ!」の一言で・・・決定してしまったのだ。
 しかし、普段のこの日記とは違い、公(おおやけ)の冊子の中の文章に大いなる戸惑いを感じながらも、珍しく集中して書いた高須町の紹介文だった。県への原稿提出前に植木御大に見て頂き、GOサインが出た時には胸を撫で下ろした事を覚えている。
 あれから約一月半、恥ずかし・・・ドキドキの最新版が私の元に阪本さんが直接、届けて下さったのだ。しかも、高須町の全戸分や棚田オーナーの人数分も考慮しての部数を頂いたのだ(阪本さん、ありがとうございます!)。  その原稿を書いている時や、また、冊子として出来上がるまでは、何故か・・・・「どうしよう・・・」かと、今一度書き直したい気分にかられていた私だったのだが、こうして冊子が刷り上ってくれば・・・多くの人に見てもらいたい気分になってしまう(おい、おい)
 阪本さんに届けて頂いた包みを開け、その最新版「みんなのかんきょうbS7」を、手に取ってみた。表紙は夕暮れだろうか、三国のサンセットビーチの写真。そして、その表紙を捲ると・・・「ふるさとの環境自慢」として、『げんき米』のふるさと〜城山と棚田の山里〜福井市高須町、と題して一面に美しい高須町の写真や地図とともに私の紹介文が掲載されていた。自分で言うのも可笑しい話だが、このように活字として書かれていれば、何か自分で書いたものとは違ったものに見えてくるから不思議なものだ。

 包みから取り出した1冊目を、「これ俺が書いたんだよ!」と、まず店にいる両親に見せた。すると、「ほう・・・いい文章だな!」と、父(まず・・まず好感触!)「字が小さくて読めない・・・メガネがあわないから、後で読むわ!」と、母(新聞の活字より大きいのに・・・!)
 また、高須町大好きの次男に見せると「へえ〜何か、高須じゃないみたいだね(写真)・・・これ1冊ちょうだい、お父さん、記念にするから!」と、次男(何の・・・記念だ!)。で、帰宅した妻はと言うと、「そこに置いておいて・・・後でゆっくり読むから!」(その後、私が置いたテーブルの上に、そのままの状態で・・・3日はあった。読む気なし!)。関心のない家族とは別に、その日、明道中学校の前で待ち合わせをしていた田中先生はと言うと「わあ〜っ、出来ましたね・・・素晴らしいですよ!写真も綺麗ですし、これは、高須町のPRになりますね!」と、絶賛(そうそう、こんな言葉が欲しかった!)。そして、高須町の佐々木さんは表紙を見ながら「あっ・・・出来たんか・・・」で、終ってしまった(読んでよ、必ず!)
 そして昨日(20日)、車に積んで高須町の植木御大に高須町全戸分、また、高須城小学校にお邪魔して石村校長先生にお願いをして、職員分と児童分を置かせて頂いたのだ。ゴルフ場横の道路が通行止めの為、幸か不幸か柳原経由での道、ならばと鷹巣交番の小西さん鷹巣郵便局の上田局長(明道中学校同級生)を尋ね、それぞれPRにと数部を置かせてもらったのだ。この後、道沿いの大安寺郵便局大安寺小中学校にも数部の配布となった(俺・・・何してるの?)
 それでは、改めて紹介させていただきます。
ふるさとの環境自慢
『げんき米』のふるさと〜城山と棚田の山里〜福井市高須町
 高須町は、福井市北西部にある標高438mの高須山の中腹にある世帯数46戸の集落です。福井市中心部から車で約30分、美しく豊かな自然に囲まれた集落が、訪れる人々の心を癒してくれます。また、高須山々頂からは、福井市内はもとより坂井平野や日本海が一望できます。
 高須町の歴史は古く、縄文時代にはこの地に人が住み、弥生時代には稲作を始めたと言われています。室町時代には後醍醐天皇(南軍)と足利尊氏(北軍)の戦いにおいて、南軍最後の砦、鷹巣城がこの高須山に築かれました。新田義貞の家来であった畑時能(はた・ときよし)は、北軍7千人に対し、わずか27人で一年二ヶ月もの間この鷹巣城を守り続けました。高須山々頂にはその城跡として、大正時代に石碑が建てられ、高須城小学校の名前の由来ともなっています。
 高須町ではその恵まれた気候を生かし、水稲(コシヒカリ)や野菜(大根・蕎麦・じゃが芋)などを栽培しています。山間地ならではの昼夜の寒暖差と、高須山からの清らかな自然水が、その多くの作物の味をより引き立たせています。そこで、農業を通じて先祖代々受け継がれた歴史的にもゆかりのあるこの土地を守り、豊かで住み良い集落を作ろうと力強く活動を展開しています。
 平成14年度から始まった高須町棚田オーナー制度は、今年で5年目を迎えました。参加した各オーナーに、一年を通して集落住民全員がインストラクターとして、米作りや野菜作りを指導し、また個々に交流を図っています。その交流人口は県内外で延べ600人以上にのぼります。
 昨年からは某番組で「げんき米プロジェクト〜ライススタイル」、そして今年は「げんき米プロジェクト〜高須城ものがたり」として、わかりやすく米作りや野菜作りをここ高須町から発信しています。標高250mの棚田で育てられた高須産コシヒカリは「げんき米」として今、人気を集めています。
 また、コシヒカリ誕生50年を迎えた今年、「げんき米」は福井県から「特別栽培米」の指定を受け、「美味しいお米」ブランド米として品質の向上に意欲をみなぎらせています。
「癒しと活力の山里・高須町」は、この他にも里山の環境保全に集落全体で取り組み、さらに、グリーン・ツーリズム事業や農家民宿、そして将来を担う子供たちの自然への活動の場を提供しようと、集落が一丸となって取り組んでいます。(終)
 この「みんなのかんきょう」だが、県内にて3,200部の配布があるらしいのだが、それは環境ふくい推進協議会々員への配布と、各市町、そして公民館各小中学校ショッピングセンターなどへの配布となるらしいのだ。つまり、私もそうだったように県の環境課・阪本さんからメールを頂くまでは、「みんなのかんきょう」の存在を知らなかったのだ。
 地球環境・・・温暖化現象・・・砂漠化・・・そして、このところの異常気象と、私たちの生活を営む上で身近な環境問題が今、様々なかたちで取り上げられている。「もっと、環境に関心を持とう!」と、日本全国至る所でそんな声が上がっている。「私たち一人でも出来る事がある!」そんな取り組みの一つとなるのが、この「みんなのかんきょう」かもしれない。
 現在、環境ふくい推進協議会では、会員を募集していて、環境問題に関心のある方は、是非ご入会してほしいそうです。因みに、年会費個人で500円企業会員は一万円、そして、団体では無料となるそうです。


△男の酒のつまみ・・・147
 さざえの甘辛煮!
 妻が友人から、朝獲りたてのさざえを頂いた。ここは妻に「刺身で!」と、言ったところ「ん・・・面倒くさい!」と、答えが返ってきた。「じゃ・・・煮て!」と、再び言うと「失敗したら・・・ごめんね!」と、何やら不安気味!
 さざえ塩水(薄め)でボイルする。煮立ったところで殻から身を取り出す。この時、さざえの壷焼きも同じだが、殻を揺すると綺麗に身が出てくる。
 だし&醤油&味醂&酒&少しの砂糖で味を整える。煮ても潮の香りがするから不思議だ!



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【七月の八/ラジオ体操の前に準備運動】7月24日(月)

「梅雨の長雨」・・・とよく言うけれど、早く夏本番を思わせるようなカラッとした、夏空が見たい7月の終わりとなっている。夏休みの次男(小6)もそんな天気に合わせるかのような、グダグダした夏休みの最初となっている(毎年の事!)
 昨日の夕方の事だが、スケジュールがあってスケジュールのないような生活となっている、夏休みの次男を見ていて何かを忘れているような気分にかられていた私。「なんだ?」と、思い出すのに少しのイライラ模様となっていた。
「夏休み?・・・宿題?・・・ん・・・朝?・・・・あっ!・・・ラジオ体操!」と、ようやく思い出した私。次男を呼び「おい、ラジオ体操は?」と、私が聞くと「だって・・・ずっと雨だもん!」と、答える次男(そりゃ・・・そうだけど!)
 子供たちの夏休み恒例?ラジオ体操。私たちの子供の頃は各町内の子供会を中心に近所の公園などで自宅からラジオを持ち寄り体操をしていたものだ。しかし、いつの間にかその公園でのラジオ体操も1ヶ所2ヶ所と無くなり、ここ数年は地区の中心となっている公園でのみ実施されている。
 自宅から徒歩5分の照手公園(照手2)。昨年までは次男もその公園に行きラジオ体操を行っていた。自宅のある校区は湊小学校の校区、次男には何人かの顔見知りの子供はいるらしいのだが、少しの会話でお互い無表情だった。長男(19・名古屋)も私の子供の頃もそうだったのだが、違う学校の子たちと同じ公園などでラジオ体操となると、何故だか少しの違和感を感じてしまうものだった。私の場合は常葉幼稚園(昔は文化会館の所にあった)に行き、小学校4年までは湊小学校、5年生になる時に順化小学校に転校となり、それでもまだまだ近所の公園(三秀公園)には顔見知りの子供たちも大勢いたものだった。
 しかし、長男と次男は最初から栄冠幼稚園(順化小学校横)順化小学校と全く自宅付近の子供たちとは交流らしきものが無いのだった。それでも私と長男、次男が他校の児童と混じりラジオ体操に通っていたのは、私の父がラジオ体操の指導をしていたからだ。
 昔から早起きだった私の父。この日記の中でも何回かその事を書いた事があるのだが、とにかく朝の早い父は、4時前に起床し(就寝は9時頃)自宅から大手にある店へと行く(ジョギングで!)。店のシャッターを開け、掃除と開店準備(そんな早朝からお客は来ない!)
 そして準備が終わると、順化小学校へ行きグランドを何周かランニング、6時半からのラジオ体操を行う。ラジオ体操が終わると、再びジョギングで自宅に戻り朝食を済ませ7時半頃、店へと出かける毎日。この日課は一年間同じの父だ。
 しかし、毎年の夏休みの頃になると、照手の地区の方から「お願いします!」と依頼され、この夏休み期間だけは順化小学校から照手地区の指導を行っていた父。私の子供の頃から、気が付けばそのラジオ体操の指導として三秀公園でも照手公園でもみんなの前で体操の指導をしていた父。子供心にそんな父を、自慢だったような少し照れくさかったような・・・気持ちだった私。
 私も長男もそんな父の指導で夏休みの朝を向かえていた毎日だった。大正13年生まれの父、・・・現在83歳。まだまだ元気である。
 で・・・話は次男に戻し、雨ならば当然、近所の公園でのラジオ体操は中止となる。では雨天時のラジオ体操の場所は・・・順化小学校の体育館となるのだ(藤田家では!)
 自宅から徒歩15分、自転車では10分弱の時間だが、雨の場合では、6時の起床をしなければならない次男。当然、その6時に起きるはずがなく、妻や私が交互に次男の部屋に起こしに行く事になる毎日。そこで、何故だかその寝ぼけ顔の次男を車に乗せ、順化小学校までの快適ではない朝のドライブとなってしまう(親バカと言うのだろうか、過保護だ!?)
 その順化小学校体育館では6時半のラジオ体操を待つかのように多くの人が軽装で詰め掛けている。「おはよう!」「膝は大丈夫か?」と、声をかけあうお年寄りたち。そう、この体育館にいる約8割の人は、おそらく60歳以上の方となっている。
 この順化小学校のラジオ体操だが、その歴史は古く毎日毎日多くの地区住民の皆さんが一日の朝のはじまりとして、通っているのだ。そして、夏休み前に配られる子供のラジオ体操のカードと同じように、そのお年寄りたちにも毎日のスタンプを押すカードがあるのだ。お互い顔を見合わせ、健康状態を話す人、「昨日の夕食のおかずは?」と、笑顔で会話する人。「あらっ・・・今日はまだ○○さん、来てないの!?」と、心配顔の人。朝の人物チェックとまではいかないが、そんな光景を見ていると面白くなるものだ(失礼!)
 小雨が降っていた少し前、だが、6時半前になるとその小雨も上がっていた。体育館から校庭(グランド)に移り、多くのお年寄たちは・・・何故か同じ行動になるのだ。それは、今からラジオ体操が始まると言うのに、そのラジオ体操前にストレッチだの軽く柔軟体操だの膝屈伸を始めるのだ(不思議だ!)ラジオ体操前の体操?が当たり前なのか、ほぼ小学生以外の全員がグランドの至る所で挨拶をしながら身体を動かしている。
 6時26分頃、突然スピーカーからラジオが流れてきた。もう少しでラジオ体操が始まる。そんな時、次男を見ると大きなあくびをしながらぼんやりと体育館の横で腰をおろしていた。何人かのクラスの女の子たちと会話をしながらまたまた・・・あくび!
 6時半、いよいよラジオ体操が始まった。「今日は北海道○○町の○○小学校からの体操です。ここ○○町は・・・」と、巡回ラジオ体操ならではの紹介が始まる。そして、慣れ親しんだ曲と歌が聞こえてくる。「♪新しい朝がきた・・・」と、誰でもついつい口ずさむ歌だ。そんな曲に乗りながら両手の開閉運動からラジオ体操は始まった。

 そんな時、会場の前の壇上、逆動作で指導する人がいる。「親父だ!」と、唖然となった私。そう言えば・・・何年か前・・・順化地区の体操の会長になったとかならなかったとか、そんな話を聞いた事があった私。私が小学1年生の時にはすでに前に出て指導していたのだから、もう確実に45年はこのラジオ体操の指導をしている父。そんな父の姿を見ながら子供の頃を思い出していた私だった。ラジオ体操第1・・・首の運動・・・ラジオ体操第2と、やはりブランクはあっても身体が覚えている不思議な体操だ。10分という短い時間の体操、だが真剣に一つ一つの動作を行い、また、呼吸方法をすれば汗が噴出してくる(前の日の酒だ!)
 校庭に約200人のラジオ体操・・・グランド横を走るバスの運転手や通勤途中のドライバーもチラチラとその体操風景を眺めて通り過ぎる。
 指導を終えた父も孫(次男)の姿を見つけては、少し嬉しそうな、夏休みならではの朝のひと時だ。そんな父と次男の姿を後ろから見ていた私だったが、いつの間にか親父と次男の身長がほとんど差の無い事に気づいていた。親父が歳をとったのか次男が大きくなったのか・・・?

 いずれにせよ・・・小学生最後夏休みの次男。中学生になればラジオ体操は・・・やらないだろう。だから、三代で行う、このラジオ体操を・・・・一日も・・・この夏は休めない(たぶん!)。
 体操を終え、またまた次男を乗せ、車で自宅に帰る。そんな時、裁判所前交差点を軽くジョギングする親父の姿(頭が下がる!)「おじいちゃん・・・凄いね!」と、関心する次男。だが、そんな次男の口から次に出た言葉は・・・・・「高須城小学校は毎日ラジオ体操してるのかな?光君と岬ちゃんの二人だけ・・・って事はないよね?」と、想像している次男だった。
「二人だけではないだろう・・・ちゃんと地区のみなさんも、もしかしたら中学生も高校生もやっているかもしれないよ!」と、答えた私だが・・・・一度取材に行こう・・・かなと・・・考えたのだが・・・佐々木さんに頼もうと勝手な自己判断!
※ラジオ体操・・・昭和3年11月1日の朝7時、東京中央放送局から、ラジオ体操の初めての放送が行われた。因みにこの当時、ラジオ聴取契約者は約56万人。ラジオのない家庭の人はラジオのある家庭に行き、放送を聴いていたらしい。
 この昭和3年のラジオ体操は旧ラジオ体操で現行のラジオ体操は昭和26年5月から開始された。また現在行われている夏季巡回ラジオ体操は昭和28年7月から始まったそうです。


△男の酒のつまみ・・・148
 キムチ春雨簡単鍋!
 暑い日熱いものが食べたくなる・・・そんな日がたまにある。そこで、今何かと健康食品として取り上げられている春雨を使う事にした。調理は簡単、戻した春雨とキムチで簡単鍋。夏野菜(茄子)ほうれん草を少し加え、グツグツと煮る。「これは・・・いける!」と、汗をかきながら冷たいビールは最高ですよ!


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【七月の九/十二歳の誕生日に・・・!】7月30日(日)

 各地に大きな被害をもたらした今年の梅雨、7月半ばの集中豪雨により福井県内でも2年前のあの時を思い出させてしまうほどの雨となってしまった。高須町に至る道路でも崩落土砂崩れと複旧まではかなりの時間が必要になるものと思われる。そんな長く感じた梅雨も、どうにかこの数日で梅雨明けとなる見込みとなった。
 今朝の4時過ぎ、「喉が渇いた!」と2階廊下にある冷蔵庫を開けてみると、前日に入れておいたはずのお茶が無く、1階台所の冷蔵庫まで行く事になった。コップに氷を入れ麦茶を1杯・・・「はぁ〜」と、声が出るうまさだ。ふと、テーブルの上に置いてある1枚のメモ。「直くんのケーキ」と、母の文字。「そうか・・・今日は誕生日か!」と、忘れていた次男の誕生日の朝だった。
 12歳・・・早いものである。ついこの間までオムツをしていたような次男だが、いつの間にか小学校の6年生。身長も少しずつではあるが、妻や私に近づいてきている(やばい!)
 そんな次男を今朝も6時15分に起こした。
「おはよう!」
「おはよう・・・ん・・・眠い!」
「誕生日おめでとう!」
「あっ・・・そっか、今日・・・誕生日だ!」
「12歳だね!」
「うん・・・12歳だよ。早いもんだね!」
「お前が言うな!」そんな会話をしながら今日も車で順化小学校までのラジオ体操となった。
 この日で6日連続となったラジオ体操。次男の首から下げているスタンプカードには確実にその順化のスタンプが押されてある。日曜日のラジオ体操だが、どうやら日曜日の児童の参加は少なく、「日曜日ぐらい、ゆっくりと寝ようよ!」の親子が多いらしい(我が家もそうすれば、よかった!)
 それでもどうにか眠気と戦いながらラジオ体操をこなし、帰路に付いた私と次男。その車の中で
「ねえ、お父さん。次いつ高須に行くの?」と、次男が言い出した。
「たぶん、夏祭りの時だね」と、答えた私。
「そう、今年は雨が降らないといいのにね」と、昨年の高須町の夏祭りが雨で中止になった事を覚えていた次男。
「今年は雨でもやるらしいよ!」と、答えると
「そうなの、楽しみだね!」と、嬉しそうな次男の顔。

 そんな次男だが、この日からハードなスケジュールが待っていたのだ。記念の誕生日の日、この日は町内のボーリング大会が午後からあり、妻と次男が参加する。私は一人で暫しの独身気分でお留守番(嬉しい!)
 そして夕方からは町内の子供たち何人かと、保護者の引率で「火の用心!」の掛け声を出しながら夜回りをする予定となっていた。

 朝食後、珍しく自ら勉強机に向かう次男。「宿題か?」と聞くと「うん・・・早め早めにやっておこうと思って!」と、夏休みのドリルをこなしている(昨年も同じ事を言っていたような気がするのだが!)
 そんな次男の机の上に大事そうに置かれてある「石」。それは次男が初めて高須町を訪れた3年前に、佐々木さんの次男(中1)と、岬ちゃん(小5)に連れられ高須山の中腹で採取した綺麗なだった。「お前・・・その石・・まだ、持ってたの?」と、聞いた私。「うん・・・だって、僕の高須の記念日の石だから!」と、答える次男。「お前は石が好きだな!」と、続けて言うと「お父さん・・・勉強の邪魔しないでよ!」と、少しおかんむりの次男(怒られてしまった!)。少しずつ成長していく次男の姿、そんな次男を最近、羨ましく・・・・また、逞しく感じる私であった。
 午後、妻と次男が出かけて行った。私も部屋でパソコンを前に一人お勉強の時間となった(何の勉強だ!)。ついつい煙草の本数が増えるのは何故だろう?コーヒー・・・煙草・・・コーヒー・・・煙草の繰り返しとなる一人の午後だった。
 パソコンでの調べ物を終え、いつもの事ながら高須町のホームページを見る。「もうすぐ・・・100万件になるね!」と、午前中に話していた次男。「まだまだだよ!」と、その時、答えた私だったが、改めてアクセス数を見ると「凄いな!」と、ついつい感心してしまう私だった。昨年の4月に開設した高須町のホームページ、植木御大佐々木さん、高島さん、そして田中先生「取り合えず、年間1万件を目指しましょう!」と、話していたのが嘘のような反響になってしまっている(嬉しいです!)
 自分で書いた「高須城日記」・・・田中先生と「最低でも週一更新を!」を目指している。お互い忙しい仕事の中、楽しく趣味?として携わっているこの高須町のホームページ
 そんなことを振り返りながら見ていると、「ん・・・!」と、気になる「あぜ道インタビュー」のコーナー。2月FBC川島秀成アナウンサーの再登場以来、更新していないこのあぜ道インタビューだった(反省・・・!)「これは、まずい!」と近々の更新を電話で田中先生と相談した私。「そうですね・・・じゃ、また取材をしましょう」と、嬉しいご返事(田中先生も高須町大好きから高須町命になっている?!)
 夕方、妻と次男がニコニコ顔で帰宅してきた。そんな妻から何も聞いていない私に、差し出すスコアカード(ボーリング大会)。そのスコアカードを仕方なく見ると想像以上のハイスコア、2ゲームトータル346となっていた。

「おっ、凄いじゃないの!」と、私が言うと
「ここを見て!」と指差す箇所・・・そこには、ストライクが連続4つのマークがあったのだ。
「ターキー・・・か!」と、驚く私に
「こんな事もあるんだね」と、他人事のような妻。
「で・・・直は?」と、聞けば
「あの子も、優勝したよ!」と、親子での優勝で誇らしげの妻。
「お父さんはボーリング出来るの?」と、次男の質問に
「当然!運動神経抜群だから」と、答えた私(最近、やっていないから少し自信がない!見栄張って!)
 誕生日優勝と、本当のハッピー・バースデイとなった次男だが、そんな喜びを押さえながら再び妻と夜回りに出かけて行った。
「12歳・・・おめでとう!!」



△男の酒のつまみ・・・149
 冷たいスティック野菜!
 暑くなると食欲がなくなるこの時期だが、疲労回復となるお肉中心にも飽きがくる。そこで新鮮野菜新鮮な血へと考える本日となった。セロリ人参キュウリを同じ長さで切り、少しの塩をふりかけ深めのワイングラスへ。そのまま冷蔵庫で冷やし・・・・酒のつまみ。「健康第一!」


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【七月の十/植木御大の福井物語!】7月31日(月)

 遅かった・・・長く感じた、梅雨がようやく明けた。福井の空にもすみきった青空が一面に広がっている。夏本番と唸らせる暑い暑い日が、この7月の最後の日にやってきた。
 朝のラジオ体操でもラジオの音の傍で聞こえる蝉の声、隣の福井神社かそれとも福井県庁のあるお堀からだろうか、ハーモニーとなってその蝉の声が聞こえてくる。
 そうそう、前のこの日記で次男(小6)が聞いていた「高須の二人の児童のラジオ体操」だが、気になった私は岬ちゃんのお母さんに電話をかけ聞いてみたのだが、その答えは「朝・・・二人だけだよ!」と、あっさりしたお答えが返ってきたのだ。
 いくらなんでも児童二人だけでは可哀想と感じた私は「何で?他の皆さんは?」と、聞き返すと「その時間は、みんな田んぼやらに行っているから!」と、美人のお母さん(納得!)
 最後に「藤田さん、一度・・・朝に来たら!息子さんと」と、誘われてしまった(えっ!高須まで・・・ラジオ体操に!)
 その事を次男に話すと「僕、行こうかな!」と、言い出した。そこで「じゃ・・・行ったら!」と、言うと「僕一人で・・・!」と、そんな事で悩んでいる。そして、最後に「でも、スタンプは押すのかな?」と、更に深く悩む始末。まあ、いずれ機会があれば高須城小学校の朝のラジオ体操の様子を取材しても・・・と、思う朝だった。
 夏の風物詩と言われる、高校野球も福井県大会の決勝が終わり「やっぱり・・・福商か!」と、ついつい頷いてしまう結果となった。強豪、福井商業対初出場を狙う鯖江高校の対戦だったのだが、どちらも母校ではないもののやはりテレビ観戦していて「頑張れ!」と、興奮してしまうものである。
 そして、この高校野球のテレビ中継をNHK福井放送(FBC)の2局が中継していたのだが、FBCの実況は川島秀成アナウンサーだった。「上手いなあ・・・川島アナ!」と、声を出すほど滑らかな川島アナの中継ぶり。年間にそんなに野球中継の機会もないだろうに、川島アナの実況中継は、そのまま東京ドームに行ってもおかしくないほどだった(勉強してるんだな・・・川島さん!)
 甲子園に出場が決まった福井商業高校、甲子園の常連校としてまた、福井29校の代表として頑張ってほしいものだ。
 そんな今朝、コーヒーを飲みながら各紙新聞を捲っていると福井新聞植木御大が登場していたのだ。「おっ・・・植木さんだ!」の私の声に「植木さん!」と、私の元に近づき新聞の写真を覗き込む次男。「あっ・・・ホントだ!」と、何故か嬉しそうな次男の顔。とにかく高須町が大好きな次男だ。
 その植木御大が登場となった記事だが、《私の福井物語》高須山・・・棚田に活気取り戻す・・・と、見出しされている。記事を全文、紹介します。
 西に三里浜や日本海、東には福井平野。晴れた日は遠く能登半島や丹後半島も一望できる。福井市西部の山並みの北端にある高須山(標高四三八b)頂上からの三百六十度のパノラマ風景。
 

 幼いころからふもとで暮らし「高須山はわしの一部みたいなもんやな」と話す植木正義さんの大好きなスポットだ。
 南北朝時代、新田義貞の家来、畑時能が頂上付近に鷹巣城を築いた山を、地元の人は親しみをこめて「城山」と呼ぶ。中腹に広がる棚田は、秋になると「黄金色の階段」を斜面に形作る。

 植木さんは子どものころから昆虫採集、キノコ狩りなどいつも山を遊び場所にしていた。枯れ木や枝で竹馬、スキー板を作ったり、田植え前の棚田で泥んこになってはしゃいだ。
「学校が終わるとそのまま山に行き、友達と暗くなるまで過ごした。生傷が絶えなかった」

 一九九三年に自治会長に就任すると、高齢化、過疎化で増加していた耕作放棄を食い止めようと「村づくり推進委員会」を設置。自ら委員長に就き、棚田オーナーを募集したり、集落内の空き屋や畑を格安で希望者に提供するなどの試みに取り組んだ。
 募集を始めた六年前は十人ほどだったオーナーは今年は三十四組百二十人にまで増加。三軒あった空き屋もすべて埋まり、県内外からの人の出入りで集落内は確実に活性化している。しめ縄作り、ちまき作りなど新しい交流活動も生まれている。
 

「山は生き物だから人が手を加えないと荒れてしまう。もっと高須山に興味を持ってもらえるよう工夫したい」とさらに意欲を燃やしている。
 六月に体調を崩し、山に入る回数は減ったが、「大雨で棚田の苗は荒れていないか」「土砂崩れは大丈夫か」と、頭の中は山のことでいっぱい。「棚田の収穫のころまでには体を治し、頂上でゆっくりと景色を楽しみたい」と笑顔で話している。    植木 正義さん  高須町、76歳

 高須町の顔である、植木御大だが昨年密かに入院されていたのだ。地元の佐々木さんからその事を聞き心配した私は、佐々木さんや田中先生と病院までお見舞いに行った事があった。
 病室までのエレベーターや廊下でその病状を心配しながらも、「植木さん・・・俺たちの顔を見て、誰やの?って言ったらどうしよう!」と、心配しながらの三人だった。しかし、そんな三人の心配も植木御大の病室から聞こえる御大の大きな声に、安堵の声を上げたものだった。
 病室を覗くと「よう来てくれたの!」と、植木御大。付き添いの奥様も「元気ですのよ!」と、笑顔で私たちを迎えてくれたのだった。
 しかし、そんな植木御大だが、病室のべッドで話す事は、常に高須町の事や棚田の事ばかり。御大の頭の中はいつも高須町の事しかないのだ。それは、退院された今もなんら変わりはない。
 それどころか、益々その思いは深まるばかりの植木御大だ。生まれ育った故郷・高須町。少子化・高齢化・過疎化な悩むそんな田舎は全国どこにでもある。だが植木御大が眼光鋭く高須山(城山)から高須の集落を見下ろす今は・・・・高須町は益々、活性化への道を走るであろう。


△男の酒のつまみ・・・150
 辛子明太子アルミホイル焼き!
 簡単つまみとなるのが、辛子明太子だ。生でももちろん美味しいのだが、アルミホイルで包み軽く焼く。皮パリ、中生が私のお気に入り。ついつい冷たいビールを飲みすぎてしまう!


高須城日記V(夏後編)に続く


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