高須城日記V(春後編)


(平成十八年度・棚田オーナー/福井市 藤田幸治)


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【五月の一/命の尊さを・・・】5月1日(月)

 五月に入り、いよいよ高須町の棚田にも活気を感じられる季節となってきた。今年で5年目になる棚田オーナー制度、14日(日)には、「こんにちは!」「しばらく!」と、高須町の棚田は新たな出会いや約半年振りの再会の場になるだろう。そんな棚田では地元高須町の皆さんが「元気やったか?」「お帰りなさい!」「今年も来たんか!」と、温かく笑顔で迎えてくれる。植木正義御大を中心に町全体の住民の皆さんが、親切にお米作りを指導して下さり、この秋の収穫そして12月の感謝祭までの間、私達棚田オーナーのもう一つの心の故郷になるのが「癒しの郷・高須町」なのである。
 私自身としても棚田オーナーとして3年目になるのだが「今年もするんか!もう、いいんでないか!」と、昨年に続き地元・高須町の佐々木さんに言われいた。しかし、やはり次男(小6)は、「今年もやりたい!」「田植えがしたい」と、春先になると口にするのだ。私は田中先生に任せきりとなっているこのH・Pを考えて「今年は取材に専念しよう!」と、心に決めていたのだが、その矢先に市・農政企画課の本多さんからのお電話で「藤田さん、今年も当然、するでしょう!」の一言に「勿論です!」と、答えてしまったのである。「嫌!」と、言えない性格なんです!)
 高須町の棚田のオーナーの皆様を少し拝見すると、およそ3割が新規の方で7割の方がリピーターとなっている。初年度(平成14年度)から5年連続の参加となるご家族もおられ、やはり高須町が第二の故郷のように思われておられるようだ(有難うございます!)。また、お米作りばかりではなく、FBC川島秀成アナウンサーのようにでの野菜作りをしておられるオーナーの方も何組かおられると伺った事がある。私も、もう少し時間に余裕があれば大好きな茄子カブ、そして蕎麦などにチャレンジしたいと考えている。(無理かな!無理!無理!)
 最近の新聞を読むと、団塊世代は勿論、若者の農業新規参入という記事を目にする事が多くなってきた。福井県内各所でのこの事業は農業者の高齢化が進む中で、嬉しい話題となっている。某町に都会から移住してきた若いご夫婦(共に30代)は、「見る事、やる事、全てが初体験です。でも、土と触れ合えるのが楽しくて・・・」と、話していた。農業の大変さはこれから体験するのだろうが「まずは、夫婦で時給自足出来れば、一年目として上出来でしょう!」と、コメントしていた。また、この若い夫婦を受け入れて指導しているベテラン農家のご主人は「息子夫婦と思い接してますよ!教える事は山ほどある。あせらず、毎日少しづつやっていきます。私も、逆に若いパワーを貰っております」と、毎日が楽しそう。そこで、記者が「都会と比べ、不便さは感じませんか?」と質問すると「その不便さがまた魅力なんです!」と、答えた。便利が当たり前の私にとって、まさに耳の痛い言葉である。「不便さがいい!」「不便さを楽しむ!」まさに昭和の初期にタイムスリップするかのようだ。
 高須町を訪れるようになってもう何年経つのだろう。縁あって佐々木さんと知り合い、そして棚田オーナーになり、高須町H・Pのお手伝いもさせて頂いている。おそらく、もう100回以上は高須町に通っているはず。それでも飽きないのが高須町だ。それは、次男も同じである。「お父さん!ちょっと行って来るね」と、最近では一人で行く市内のお気に入りのコンビニ通い(流通の勉強かな!)。そのコンビニがない高須町だが、コンビニ以上に次男にとって大切な生きた自然の勉強の教室となっている。道の変化で自然の怖さを知り木々の葉の色で季節を感じ風の流れで雲を読み、そして虫たちの動きで成長を知る
 福井駅前の繁華街で私と同じように育った次男。恥ずかしい話だが、ミミズも触れないほどの虫嫌いとなった私の幼少期の頃。(いや・・・今もかな!「虫類はダメで〜す!気持ち悪いで〜す!」欧米か!タカ&トシ風に)
 そんな私と比較すれば次男は高須町で色々な事を学ばせてもらっている。昨年も田んぼにいた虫などを平気で手のひらに乗せ観察している。そして、その虫を記憶し自宅の昆虫図鑑で勉強する。また、高須町で蝉の死骸を見て、蝉の命の短さを学び、蛇の脱け殻を見て、蛇の成長の過程を学んでいる。
 先日、自宅の部屋に小さな虫(てんとう虫)が迷い込んできた。それを見た次男は「あっ!てんとう虫だ!」と、指でそっとつまみ、手のひらに乗せ観察している。私が「おい、気持ち悪いからティッシュでくるみ、潰しなさい!」と、次男に言うと「可哀想だから、逃がしてあげる!」と、外に出て庭の草むらに逃がしてきたのだ。(親として恥ずかしい!)
 小さな虫にも「命」がある。当たり前の事だが、今の時代には誰もが再認識しなくてはならない事となっている。毎日のように起こる殺人事件。「またか!」と驚きながらも、その悲惨な事件が慣れてきている私たち。人の命の尊さが人の手によって失われていくこの時代は、いったい何なんだろう。
 関係ない話かもしれないが、私が航空自衛隊に在籍していた時、ある司令官(防衛大出)がこんな話をしていた。「これだけ男(基地内の自衛官)ばかりなのに、喧嘩が少ないのはいかがなものか!」と、言うのだ。私が「司令、それはどういう意味ですか?」と、尋ねると「昔は、つまらない事で喧嘩が始まったものだ。些細な事でね。しかし、今の子(新人隊員)は、喧嘩の一つも出来ない軟(やわ)な子ばかり、だから痛さを知らない事になる。殴る痛さ、殴られた痛さを知らない。だから、窮地になった時には、その痛さを知らないから・・・大変な事になるだろう!」と、言うのだ。別に喧嘩を容認するわけではないのだが、確かにこの司令の話には頷けるものがあった。喧嘩で痛さを知らない今の子供や若者たち。それが、状況によりその場になった時・・・痛さを知らない事により、手加減を知らず・・・人を死に至らしめてしまう事になっている。そんな事件が多いのも事実だ。
 親にも叩かれたことのない子供・・・親にも怒られたことのない子供が、現実にいるのだ。だから、実際に叩かれ怒られるとパニックになるのだ。先に話した続きではないが、私は航空自衛隊(北海道・奥尻島)でこんな場面に出くわした事があった。それは、その年に入隊した高校出の新隊員の事。勿論、仕事半人前の18歳。何でも東北のある地方の出身らしいのだが、家はパチンコ店を数店、それからスーパーも数店経営してるらしいのだ。いわゆる、お金持ちの「おぼっちゃま!」だ。
 ある時、先輩から仕事内容で厳しく叱られていたのだった。「・・・・」無言で頷く新隊員。たまたま、近くで見ていた私は「何故返事しないのだろう」と、見ていたのだった。(「はい!」か「すみません!」の一言の返事でいいのに!)「おい、理解しているのか!」と、その先輩隊員。それでも返事しない新隊員、とうとう泣き出してしまったのである。
 その様子を見て、呆れ返る先輩隊員(私も同じだった!)。私はその新隊員と同じ隊(系列)ではあるが班(部署)が違うため、しばらくは口出しはせず、様子を見ていたのだった。「おい!分かるのか?分からないのか?それだけでも話せ!」と、ますます激しい口調の先輩隊員。「・・・・」それでも無言で泣いている新隊員。その時だった。遂に頭にきた先輩の拳が飛んだのだ。「ゴツン!」と一発、新隊員の頭に・・・。すると次の瞬間、その新隊員は走り出したのだ。「おい!」と、呼び止める先輩隊員。だが、新隊員は一目散に廊下を走ると、ある部屋に飛び込んだのだった。その部屋とは・・・・なんと基地司令室だった(マジかよ!)。唖然となる先輩隊員とそばの私、お互い顔を見合わせていた。
 後で聞いた話なのだが、ノックもせずに司令室に飛び込んだこの新隊員は、恐れ多くも司令に対し「僕、○○3曹(階級)から、殴られました!」と、言い出したらしい。突然の入室に「は〜あ?」と、答える司令。次に司令がこの新隊員に口にした言葉、その言葉で再び大泣きとなった新隊員。その司令の言葉とは、「おい!・・・ここは小学校の校長室ではないぞ!そんな事で国を守れるか!」・・・でした。(この基地司令・・・福井の勝山市出身でした!)
 こんな若者が自衛隊に入隊してくる事自体が間違いなのだが、こんな若者が多いのも事実だろう。因みに、この後グランドで仲良く腕立て伏せ100回している新隊員先輩隊員の姿があった。(司令からの命令だった!喧嘩両成敗ってとこかな!)
 念のため・・・自衛隊では上司の命令には服従しなくてはいけないのです!例え・・・間違ってると、思っていても
 いずれにしても最近の頻繁に起こる事件の元は、教育のあり方・・・学校教育ではなく、家庭教育に問題があるのではないだろうか。「大人に成りきれていない、親!」(他人の事は言えないのだが!)が、多い。高度経済成長の中心の中で育ってきた私たち。そんな同年代が親となっている。
 結婚し、妻のお腹に赤ちゃんが宿る。「元気に生まれてきてほしい!」と、ただそれだけを願う親。元気な産声をあげおサルさんの顔にも似たその顔に、「健やかに育ってほしい!」と、願う。子供の成長に伴い、大きく期待する親。「勉強しなさい!予習、復習はしたのか?」と、自分がこどもの頃、親に言われ続づけてきた言葉を繰り返す親。それでも、世間並みにと色々な物を買い与え甘やかす。
 高校入試、いや高校に進学しても「勉強しなさい!」と、繰り返す。大学入学、その途端、親の口から「勉強」の言葉は消える事になる。親から「良い子」とは、・・・勉強のできる子・・・なのか!他人にはない固有の子供の個性を、どれほどの親が知っているのだろうか!親は子供を・・・見てはいない、それが実情かも知れないのだ。(私もそうかも!)
 今、食事を一人でする子供が増えている。どの家庭にも色々と事情があるだろうが、子供の笑顔の先は、父親でも母親でもなく、・・・テレビとなっている。こういう環境からでは、子供と親との会話が無くなり次第に笑顔が絶える事になっていくのだ。昭和22年教育基本法から半世紀以上の今年、その基本法が見直される事になった。確かに、今の時代にそぐわないこの古い法も問題なのだが、それ以上に個々の家庭にあるだろう親子の法(心)も今一度、見直す時に来ていると言えよう。
 またまた、高須町と関係ない話となったのだが、いつもの事とお許し願いたい。
 ただ、・・・「命の尊さ!」を教えなければいけない親が「命の尊さ!」を知らない時代だけにはしたくないものだ。


△男の酒のつまみ・・・112
 連休に家族でお出かけ?と、いうのは多いだろうが逆に自宅でゆっくりと過ごす人も多いようだ。でも、すこしドライブでもと海沿いに車を走らす。
 ここで、見られるのが美味しそうな「一夜干し」の海の恵み。烏賊・鰈・鯖・鯵などがある。一夜干しならではの味覚。言葉的には「焼く」というより「炙る」が似合う。
 鯖や鯵の開き・・・醤油を垂らす・・・身をほぐし、口に・・・「日本人でよかった!」と、改めて思う至福の時だ。乾杯!


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【五月の二/高須町は田植えで大忙し!】5月4日(木)

 G・Wも半ばとなり各高速道路では故郷に帰省したり、行楽地に向かう家族連れでお決まりの大渋滞となっている。「のんびりしたい!」と、心の奥底で願うお父さんも少なくないのだろうが、それでも家族サービスが最優先とお出かけになるのだろう。我が藤田家はと言えば、・・・当然、仕事となっている。(自営業だからね!)
 この春、進学した長男(18歳)名古屋から帰省せず始めたばかりの学生の一人暮らしを大いに満喫しているようだ。(バイトもあるらしい!)
 そして、「どこかに行こうよ!」が口癖の次男(小6)は、ボーイスカウトのキャンプ(越前市)に参加で昨日朝から明日の夕方まで留守となっている。(寂しい!)
 そんな我が家の夜だが、子供の姿のない食卓は本当に口数の少なくなるもので、両親も私達夫婦もテレビを見ながら簡単なおかずで済ませている。私も巨人・阪神戦を観ながら晩酌をしている。(私にとっては、これが至福の時!)
 そんな私の最近だが、テレビを見ている私は独り言が多くなっていると、妻が言うのだ。例えば、テレビCMで長澤まさみ(18)「可愛い・・・」と言うと私も笑顔で、その彼女を見て「可愛いい・・よ!」と言う。そんな私を見て妻が冷たい一言「馬鹿じゃないの!」と、呆れ顔。
 山田優(21)の水着姿のCMでも「おう!スタイル抜群」と叫べば、「芸能人だからね!」と、妻が私の世界に割り込んでくる。アイドルの松浦亜弥(19)を見て「んん・・・あややだ!」と、呼べば、「年を考えたら・・・」と、人をロリコン扱い。遅咲きのグラビアアイドルほしのあき(29)を見て「おう!いいね!」と、言えば「どうせ、胸でしょ!」と、私の目線をチェックする。また、モデルタレントで人気の蛯原友里(26)長谷川潤(20)を見て「綺麗だ!綺麗だ!」と、連呼すれば「私の事!」と、勘違いもはなはなだしい。
 また、トリノオリンピックで一躍人気者となったカーリング娘の一人、本橋麻理選手(19)を夜中にパソコンで検索していると「大変ね!ご苦労様!」と、嫌味。ビーチバレー界のアイドルでモデルの浅尾美和選手(20)のプレーを見ていれば「どこ見てるの?」と、釘を刺す。(ばれた!)「エロかっこいい!」でブレークした歌手の倖田来未(23)を凝視すれば「アナタがエロイ!」と、蜂の一刺し。そして、テニス大好きの私、そんな私だから妖精、M・シャラポア(18)の試合を見て「あっ!惜しい!(プレー)」と、叫べば「何が見えなくて、惜しいの?」と、罵倒する。
 そんな妻だが、今人気ナンバー1の若手俳優の速水もこみち(21・186a)が画面に映ると「わっ!カッコイイ!背が高くて、顔が小さ〜い素敵!」と、言っている。(どうせ俺は、背が低く顔が大きいよ!)また、昨日の夕方だがFBC「リアルタイム・ふくい」のご存知、大島さやかアナが真面目にニュース原稿を読んでいる時、「大島さんを見ると、やっぱりツナギの服を想像してしまう!」と、昨年までの高須町での農作業姿を思い返している。(お前も独り言かよ!)
 そんなお似合い?の夫婦の本日の朝。私は妻がまだ熟睡中(爆睡!)に起き出しての、恒例のジョギングに汗を流した。
「今日は暑くなる!」と、肌で感じる五月の朝だった。ジョギングを終え、自宅に戻りシャワーを浴びて体脂肪計に乗る。「変化なし!」と、また独り言。朝7時、配達を1件済ませる。(お客様に無理を言っての早朝での配達・・・これには理由があるのです!)
 先日訪れた高須町、田植えかなと佐々木さんのお宅に行ったのだが、「田植えは、明後日かな!連絡するから」と、佐々木さん。そこで、おにぎり缶コーヒーを持ち高須町に配達後の出発となったのだ。前にもこの日記で書いたのだが、佐々木さんのお母上は怪我で入院されておられ、こんな私でも少しはお役にと、人手不足を補おうと私は考えていたのだ。(勿論、H・Pの取材も兼ねてだが!)
 8時、何故か私は田中先生の自宅前にいた。田中先生とはH・Pの件で打ち合わせがあったのだ。それ以外に、今春の高須小学校での卒業式の写真を、佐々木さんの次男(中1)や小学校の二人の児童小6・小5)にプレゼントするために焼増しをお願いしていたからだ。(先生、いつもスミマセン!)
 何ヶ月振りかの完全休日の田中先生だったが、この日も早朝からこの高須町H・Pの更新をしていたのだった。「もうすぐ、更新できます!」と、玄関から出てきた田中先生。年度を跨ぎ早朝から夜遅くまでの激務、少し疲れた表情に教職という仕事の大変さを改めて感じられる。「先生、更新が終わったらゆっくり休んで下さい。今日の高須町は私一人で大丈夫ですから!」と、私が言うと「いや、今から妻と娘(高1)と連れて家族サービスなんです!ちょっと、親戚まで・・・」と、田中先生。そんな立ち話を10分ほどしていただろうか、先生に別れを告げ私は高須町に向かったのだった。(この時、田中先生も私と高須町に行きたそうだった!)
 まさに五月晴れの日となっていた。田中先生の住む旧・清水町の水田も田植え日和で、あちらこちらで人や機械が動いている。「急いで高須町に行かないと、佐々木さんに悪い!(手伝いができない)」と、少しアクセルを強く踏んだ。(当然、制限速度内です!たぶん!)そんな時だった。助手席に置いていた携帯電話が鳴ったのだ。車を路肩に止め電話に出ると佐々木さんからだった。「午前中は下の田んぼにいるから」と、高須町内に数箇所ある佐々木さんの田んぼの場所を教えてくれた。(田んぼの場所によって、携帯電話が圏外になるため!)
「今、もうそちらに向かってるよ!」と、私が言うと「あっ、そうなの!」と、佐々木さん。「30分以内で着くから!」と、電話を切った。再びエンジンをかけ後方から来た一台の乗用車をやり過ごし車を走らせた。(これが、間違いだった!)「急ごう!」と、思うのだが先程やり過ごした前を走る車が・・・ノロノロ運転で走行している。(嘘!)
「おい、おい頼むよ!」と、少し焦る私。その車をよく見ると4人が乗っていて、運転手も含め全員が右左と顔を向けている。当然、車は少し蛇行していた。「危ないな!」と、私。追い越しも考えたのだが、その前の車は時折センターラインも跨いでいるため追い越せない。対向車も危険を感じてか急遽、徐行運転状態となる。只今時速25キロで走っていた。(冗談やめてよ!)
 ミラーで後ろを見ると私の車の後に約十台の車がついていた。もうすぐ別れ道、しかしこんな時は得てして悪い方になる。私の行く道に前の車はウィンカーをあげた。(最悪!)この後、私のイライラは5分ほど続いたのだが。結局、この前の車だが・・・・山菜採りの人たちだったのだ。(時間があれば車を止めて注意していただろう!たぶん!)
 再び車は快調に進んで行く。木米から一王寺と慣れた道、その両脇ではこちらも田植えやその準備で多くの車が止めてあった。高台にある統合された新しい校舎の本郷小学校は青空の中で綺麗なで包まれている。そんな時、前方に一台の・・・ノロノロ運転の車を発見した。(まさか!)
 予感的中だった。旧下郷小学校からの高須町までの道に入っていった。坂道という事もあり、徐行状態の車は後ろを走る私を見るわけでもなく、お構いなしに両脇を散策している。
「だめだこりゃ!」と、隙をみて追い抜きをかけた私。本当に迷惑な山菜採りの皆さんだ。この時だった、バックミラーに映る一台の車、猛スピードで私の車に追いついてくる。「うん?ベンツだ!」と、私は確認した。みるみる私の車の後ろに付くと、煽りだしたベンツ。今度は私が邪魔者になっていた。私は、路肩に寄りこのベンツをやり過ごした。けたたましいクラクションを鳴り響かせゴルフ場に消えて行ったベンツだった。(ベンツには負ける!)
 ゴルフ場の門横を抜け、高須町専用高速道路に入った。数箇所陥没箇所があるためスピードは出せない。注意・棚田オーナーの皆さん田植え14日は気を付けて下さいね!)
 めったに対向車と出会わないこの道だから、陥没箇所を避けながら道幅いっぱいを使い走行して行く。すると、珍しく対向車が来た。「おっ!」と、見覚えのある車だった。対向車も私に気付いたのか徐行となった。すれ違いの時、お互いが停車し窓を開けた。対向車の運転は先日、次男や私と山菜採りに出かけたMちゃん(高須城小5年)のお母さんだった。
「先日はどうも!」「いや、こちらこそ有難うございました!」と、挨拶し田中先生から預かった写真を渡した。「じゃ、また今度(14日)お願いします!」と、再び車を走らせた。この時点で佐々木さんに言った約束の時間を過ぎていた。ゴルフ場のコース脇を過ぎ、下り坂では視界に入った高須町や高須山は五月の春の日差しを浴びて輝くような美しい景色の中にあった。「やっぱり、いいな・・・ここは!」と、何度来ても感動する私の中の癒しの景色だった。
 景色に見とれ高須町に入ったのだが、やはり今日は「田植え日和」と町中は活気づいていた。佐々木さんのお宅に着くと、農作業姿の佐々木さんが待っていてくれた。「おはよう!」と声をかけると「疲れたわ!」と、佐々木さん。どうやら昨日も夜遅くまで田植えやその田んぼの水廻りをしていたらしいのだ。「これからはどこの田んぼ?」と、聞いた私。「うん、そこの!」と、佐々木さん。まずは小学校手前の田んぼの田植えが本日の初めとなるらしいのだ。
 倉庫から田植え機(一輪歩行型)を出し、バランスを取りながら押して行く。私はその佐々木さんの後ろを歩く。
 

 田んぼにはすでに苗箱が置かれていた。まだまだ赤ちゃんの苗だ。こんな幼い苗が雨風に耐えながら、秋にはたわわの穂をつける。佐々木さんはこの田植え機にその苗をセットし、ゆっくりと進んでいく。その佐々木さんの田植えの様子を地元の皆さんが何人か見ていた。通りかかった近所のお婆ちゃんも佐々木さんの田植え作業を見ながら苗の事を話しているのだが、何を話しているか分からない。(田植え機のエンジン音と・・・・同時通訳が必要!)
 機械の爪?により数本の苗が2列に植えられていく。その間を佐々木さんは田植え機を押しながら歩いて行く。時々、ブレーキをかけ倒れかけた苗を手で植え直している。真剣な表情の佐々木さんに私は声をかけることもできず、ただカメラを向けていた。
 

 そんな時、私の後ろを赤い車が通っていった。小学校横の道から高須山を目指して。(山菜採りかな?)しばらくすると、その赤い車はUターンして私の前で止まった。助手席の奥様だろうか声をかけられた。「すいません!タカスに行くにはどの道に・・・?」(ここはタカスです!高須?鷹巣?この雰囲気だと鷹巣と思った私は「海の鷹巣ですね?」と、聞きルートを教えたのだった。
 この間にも佐々木さんの田植えは順調に進んでいた。そして1時間後、最後の外周を植えて終わった。益々、気温は上がっていた。麦わら帽子をかぶる佐々木さんの額からは汗がこぼれていた。
 学校手前の田んぼが終わると、休む事もせず次の田んぼに向かう佐々木さん。ここで、佐々木兄弟(中2・中1)の登場となった。長男は佐々木さんが今まで使っていた田植え機を次の田んぼまで押して行く。次男は一輪車(作業用)を押して行く。佐々木さんと私は苗を積んだ軽トラで移動となった。少し広い次の田んぼ、細いあぜ道に苗を積んだ一輪車を押して佐々木さんの田んぼ脇におろして行く。この作業を数回繰り返す。しかし、肝心の田植え機がまだ到着していない。

 しばらくすると、坂の向こうから微かなエンジン音。少しぎこちない手さばきでゆっくりと農道を歩きながら田植え機を操る長男の姿があった。
 午前10時、青空の中に2本の飛行線があった。爽やかな五月の空、回りの田んぼでも田植えが始まっていた。農道を行き交う数台の軽トラック。家族総出、そして親戚総出となっている今日の高須町の田植えだった。休む事もせず、田植えを進める佐々木さん、そのバックには高須山があった。

 私は、空となった苗箱を持ちあぜ道を歩き軽トラに載せる。佐々木さんの兄弟は・・・・言えない!
 この時だった、私の携帯が鳴った。(メールだ!)その相手は・・・田中先生だった。「今から、そちらに向かいます!」だった。「親戚は?家族サービスは?」と、私。そのメールを佐々木さんに伝えた私。「先生、わざわざ何しにくるんやろ!」と、佐々木さん。(田中先生、高須が大好きだから!)
 お昼前、2箇所目の田んぼも無事田植えが終わり、自宅に戻る。ここで、昼食・・・とはならず次の田んぼに向かうため佐々木さんのビニールハウスの中からを運び、軽トラに載せて行く。ここで、田中先生が到着となった。「ご苦労様です!」と、田中先生。すぐに私たちの作業を手伝いだした。
「先生!服が汚れるからいいですよ!」と、佐々木さん。「いえ、これは汚れてもいい服なんです!」と、田中先生。
 このビニールハウスの中には、田植えを待つ苗箱がたくさんあるのだが、よく見ると箱により苗の成長が異なっている。
「なるべく背の高いものを・・・」と、佐々木さん。その指示に従い運びだす田中先生と私。軽トラに苗箱が10箱、当然、この苗箱は重ねる事は出来ないため田んぼとこのハウスの往復は数回にもなる。次の田んぼは少し遠く、鷹巣までの道の途中から農道に入りその奥にあるのだ。軽トラの荷台には苗箱と私と佐々木兄弟、助手席には田中先生。道を走りながら顔見知りの地元の方と挨拶を交わす。どの棚田も賑わっている。田んぼに着くと、私は1輪車に箱を3箱乗せ狭いあぜ道を奥の田んぼに進む。田中先生と佐々木兄弟は手に1箱づつ持ちあぜ道を歩いて行く。この間、佐々木さんは再びハウスの往復と田植え機を軽トラに載せるため前の田んぼに行く。(大変な農家の作業!)
 降り注ぐ春とは思えない日差し、「いったい何度あるんだろう?」と、私と田中先生。デジカメのチェックをしていると田中先生の携帯がなった。微かな電波・・・「もしもし」と田中先生。「お父さん・・・12時頃帰るからね!」どうやら電話の相手はお嬢さん(高1)のようだ。
 佐々木さんが軽トラで田植え機を取りに行っている。田中先生と佐々木兄弟は・・・・棚田横の水遊びとなっていた。私は上着を脱ぎ、あぜ道に腰をおろし今年初めての日光浴をしていた。「気持ちいいな!」と深呼吸。日光浴というより森林浴と言ったほうがいいだろう。回りの棚田を見ると、上でも下でも機械植えや手植えで綺麗な緑の列になっていく。高須鷹巣を結ぶ道には、山菜採りの車が通り、また、高須山へのハイキングに訪れた親子が「こんにちは」と、田植えをする地元の方に挨拶をしながら歩いて行く。
 そんな時、「じゃ、私失礼します!」と、田中先生。今から奥さんとお嬢さんの所へ戻るのだが、・・・・佐々木さん(車)は、まだ来ない。「先生、佐々木さんが戻るまで待っていたら」と、私。ここから先生の車のある佐々木さんの自宅までは徒歩10分ほどだが、すべて登り坂で急勾配(高須町の最後の急坂!)となっている。「いえ、大丈夫ですから!」と、田中先生。あぜ道づたいに歩き、橋を渡り坂道を登って行く。
 そして、先生が歩きだして213歩目(数えていたのだ!)だった。坂の上から田植え機を積んだ佐々木さんの車が来たのだ。そして、車は田中先生の所で止まった。佐々木さん田中先生は何やら話している。勿論、その様子は私の所から見えるのだが、話声が聞こえない。おそらく・・・・・・
「先生・・・帰るんか?」
「ええ、お邪魔しました!」
「じゃ、送るから乗ってきねの!」
「いえいえ、ご面倒ですから歩いていきます!」
「そんな事言わんと・・・・」だと想像した私。結局・・・田中先生は佐々木さんの車の助手席に。そして再び私の所へ戻ってきた。(田植え機を降ろすため!)
「先生、お帰り!」と、私。田中先生・・・213歩のお散歩だった。
 田植えが再び始まった。前の二つの田んぼと同じように田植え機を動かす佐々木さん、そして空になった苗箱を車に積む私。高須町の午後はどこの棚田も同じように忙しく、そして静かに過ぎていったのだ。(どっちだ!)
 そうそう佐々木兄弟は午後から仲良く部活(中学)のソフトテニスに行った。(佐々木さんが田植えの合間に中学まで送っていたのだ)
 3時過ぎ、高須の空に太陽と青空の中に白く微かな月が写っていた。この日、3つ目の田んぼの田植えが終わろうとしていた。田植え機をあぜ道に置き、水(川)の調整をする佐々木さん。疲れた表情も見せず一つ一つ無駄のない動きだった。
 農家とは言え、サラリーマンでもある佐々木さん。兼業農家として大変な毎年のG・Wとなるのだが、今年はお母上がいらっしゃらず(入院中)、なおさら心労の佐々木さんとなっていた。そんな佐々木さん「農家に生まれた者の宿命や、だけど、この土地(高須町)を愛しているから、作業も苦にならんのやわ!」と、笑顔を見せた。(さすが!)
 私が高須町を後にしたのは4時前だった。佐々木さんはこの後、もう一つの田んぼの田植えに出かけて行ったのだった。
 自宅に帰り、今、この日記をパソコンで書いているのだが、妻が「顔・・・日に焼けたね!」と、笑っている。(うるさい!)
 高須町での農家の田植えを見たのは、今日で何回だろうか?美味しい高須産のこしひかりを愛情込めて育てている高須町の皆さん。有難うと心から感謝します。
 夜8時、携帯が鳴った。名古屋の長男からだった。
「お父さん!お米、送って」
「近くのコンビニでも売っているだろ!」
「うん、でも高須のお米がいい・・・お願い!」
一度も高須に行ったことのない長男からの電話だった。


△男の酒のつまみ・・・113
 佐々木さんの田植えのお手伝いの間に、少し山菜を採っていた私。水蕗・わらび・タラの芽を少し頂いた。勿論、天婦羅にした。水蕗は茎を2センチの大きさに切り、お味噌汁にも入れた。この蕗類だが、身体に良いと取り上げられている。そうそう、花粉症にも効果があるらしい!


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【五月の三/こどもの日だけど・・・】5月5日(金)

 縦に長いこの日本列島、青森県の弘前市(ひろさき)にある弘前公園では、今が桜の満開時を迎えている。G・W中の桜のお花見はこの地方では昔からの恒例行事となっているそうだ。(昔ですが、一度だけ行ったことがあります!)
 に全国各地の観光地には人が押し寄せている。そして連休を利用しての海外旅行も多いそうだ。しかしながら、「家に居れば事故はない!」と、頑なに動かない人もいるそうだ。(私も同じだ!)
 それにしても凄い人出となっている。ニュースで見たのだが、どこかのでの潮干狩り(あさり)あさりより人の数の方が多いのじゃと、思わせるほどの人の数。(そんな事はない!)しかし、管理事務所からだろうか、ここでアナウンスが入る。「お客様にお願い致します。あさりを探す前に、ご自分の子供さんをお探し下さい!只今、迷子の数が多くなっております!」でした。(ナイスなアナウンス、思わず、笑ってしまった!)
 その大型連休(私には関係ない!)も後半に入り、今日は「こどもの日」と、なった。しかし、我が藤田家ではその子供がいない寂しい朝となっていた。おそらく二人の子供がいないこどもの日は初めての事だろう。長男は名古屋に、次男はボーイスカウトのキャンプにとそれぞれのこどもの日を迎えている。
 朝、目を覚ますといささか身体が火照っていた。昨日の高須町での佐々木さんの田植えによる手伝いで、少しの日焼けとなった事が原因だろうか。(色白なもので!)
 そんな佐々木さんは田植えの疲れはどうだろうかと心配になった。同じ年の佐々木さん、昨年に腰を痛め無理は出来ない身体。しかし、田植え作業は待ってはくれない。美味しいお米を育てるには、私達消費者の知らない大変な半年近くの農家の重要な仕事の一つとなる。
 さて、高須町とは関係ない話で恐縮なのだが(毎度の事)、先日のスポーツ新聞で私にとって嬉しい話題が掲載されていた。それは、巨人の・・・・いや、違う。30年振り金田一耕介がスクリーンに帰ってくるのだ。「ん・・・・?」と、思われる方も多いはず。横溝正史の作品の主人公、探偵金田一耕介には、これまで多くの名優が登場してきた。映画では古くは、片岡千恵蔵・高倉健・渥美清・中尾彬・西田敏行・鹿賀丈史などがいた。テレビドラマではシリーズとなって人気となった、古谷一行を筆頭に片岡鶴太郎・豊岡悦司・中井貴一・上川隆也・役所広司そして最近のスマップ稲垣吾郎などである。勿論、舞台でも田村亮などが演じている。
 番外編としては、日本の大スターと言われた三船敏郎がパロディーで金田一を演じたらしいのだ。20人とも30人とも言われる金田一耕介を演じた俳優。その中で、私が一番好きな金田一耕介が・・・・石坂浩二の金田一なのだ。
 過去の石坂金田一の映画を紹介すると、「獄門島」「女王蜂」「病院坂の首くくりの家」「悪魔の手毬唄」そして、今回再び映画化される「犬神家の一族」である。
 リメイクとなる「犬神家の一族」は、1976年と同様に監督に巨匠市川昆監督がメガホンを握るのだが、今回どのようにスクリーンの前に私たちを呼んでくれるのかが楽しみである。(映画館には次男と必ず行きたいものだ!)

 夕方4時過ぎ、その次男がボーイスカウト2泊3日のキャンプを終えて帰宅してきた。だが、少しお疲れモードで制服も何をしてきたのか汚れている。一昨年までのカブスカウトと比べて幾分、大きくなったようなそうでもないような感じとなっている。「敬礼!」と、声をかけると疲労の中でも敬礼する(可愛い!)
キャンプに持参した大きな荷物を片付けしながらも、「はぁ〜」と、あくびをしている。「すぐ、お風呂と食事をして寝なさい!」と、言うと「うん!」と返事する。頭に被る緑の帽子・・・これを見る度に私はグリンベレーを想像してしまうのだが・・・・(私だけかな!)
 ※グリンベレー(アメリカ陸軍特殊部隊を言う!)

 少子高齢化の中、今朝の新聞には25年連続15歳未満の子供の数が減っていると書いてあった。1747万人の中の一人となる我が次男は、将来どのような大人となるのであろうか。家業を継ぐのかサラリーマンなのか・・・まさか、高須町で農業なんてことも考えておかなければならないのだろうか。(ありうる話かも!)
 この日になると必ず新聞に登場する「大人になったらなりたい職業!」(某生保調べ)
    1989年  (男子)  2005年
 1  野球選手         野球選手
 2  警察官・刑事       サッカー選手
 3  おもちゃ屋さん      学者・博士
 4  サッカー選手       食べ物屋さん
 5  パイロット        お医者さん
 6  学校の先生        警察官・刑事
    学者・博士        電車・バスの運転士
 8  お医者さん        消防士・救急隊
 9  サラリーマン       大工さん
    電車の運転士       パイロット
                 お店屋さん
           (女子)
 1  保育園・幼稚園の先生   食べ物屋さん
 2  お菓子屋さん       保育園・幼稚園の先生
 3  学校の先生        看護師さん
    看護師さん        学校の先生
                 花屋さん
 5  花屋さん
 6  ピアニスト・ピアノの先生 歌手・タレント
 7  歌手・タレント      飼育係・ペット屋さん
                 調教師
 8  美容師さん        ピアノ・エレクトーン
                      の先生・ピアニスト
 9  マンガ家         お店屋さん
10  客室乗務員        お医者さん
  と、なっているそうだ。

 夜8時前、次男の部屋を覗くとベッドでスヤスヤ寝息をたてている次男がいた。余程、疲れたのだろう。「こどもの日」の今日、この子は何を見て、何を学んで来たのだろう。可愛い寝顔の耳元で「敬礼!」と私が言うと、無意識に右手を布団の中から出し、頭の所まで・・・持ってきた次男。(自衛隊に行かせるか!)寝顔は・・・少し笑み、良い夢見てるのかな!


△男の酒のつまみ・・・114
 筍と豚肉とチンゲン菜炒め!今が旬の筍(ボイル済)を食べやすい大きさに切り、サラダ油で豚肉とチンゲン菜とで塩・胡椒(共に少々)で炒める。私は胡麻ドレをかけて食べるのがお気に入り。味付けはお好みで・・・!


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【五月の四/オーナーの田植えの準備とは】5月8日(月)

 子供にとっては嬉しい、親にとっては多少の苦痛であった、長い連休がようやく終わった。連休前にはニコニコ顔の次男(小6)も、昨日の夕方には翌日から始まる学校の準備に笑顔が消えていた。(こら〜!)
 そんな昨日の夕方には、田中先生と高須町の佐々木さんが相次いで自宅に来られ、おのおの高須町のミニ・スタッフ会議となっていた。田中先生は日曜日だと言うのに学校に、佐々木さんは連休中の農作業を終えてのどちらも少しお疲れの様子だった(ご苦労様です!)。高須町の事となると話が尽きない私たち、あれやこれやと意見が・・・いや雑談となるのだ。(高島さん《佐々木さんの先輩》・・・元気かな!)
 高須町・・・「ひと雨毎に暖かさが増す、そんな癒しの山里!」(表現がうまい!・・実はあるニュースでの某局アナウンサーのパクリ!)
 そんな高須町での棚田オーナーの田植えを日曜日に控え、町の皆さん総出での棚田の準備が昨日、早朝より行われた。参加する私を含め、35組のオーナーの皆さんに気持ち良く、高須町にお越し頂き、田植えを楽しんでもらおうと一日かがりの準備となった。
 田んぼの中のシロカキは勿論の事、草刈やあぜ道の整備からゴミ拾いまで夕方遅くまでその作業は続いた。連休最終日となった昨日、高須町に皆さんはご自分の田植えを終えたばかりで疲労もピークと言うのに、疲れた顔をも見せず段取り良くその作業をこなして行ったのである。それは、14日の朝つまり、私達の田植えの当日も行われる。(有難うございます!)
 ここ2年、余り好天に恵まれない高須町での田植えだが、今年はどうであろう。予報は・・・「曇り・・雨・・か!」(8日現在予報)気まぐれなこの時期のお天気だから、暫しの晴れ間が覗く事を期待したいものである。今から田植えの準備を始めた私だが、その様子を見て妻が「貴方は、高須の事となると一生懸命になるのね!」と、嫌味気味に語りだした(うるさい!)。しかし、妻の言う言葉も当たっている。この3年間、私の頭の片隅に常に高須町があった。私にとっての癒しとなる高須町の全ての自然はまさに、「癒しの宝石箱や〜!」(だから彦麻呂かって!)
 さて、肝心の田植えの準備だが、福井市農政企画課からの案内にも書いてあったのだが、少し追加したい。(大きな、お世話かも!)
田植え用足袋古靴下。長靴(膝上)でもOKです!
  私は昨年、裸足で行いました。田んぼの感触は最高ですよ。
  但し、虫類の駄目な方は何か履いて下さい。
タオル
  田植えは汗をかきますので、タオルを首に巻いて下さい。
  また、大きなバスタオルも用意して下さいね。
着替え
  当日、雨天の場合は当然必要ですが、汗をかなりかきますので
  下着類や上下の服の予備は必ず用意してください。
お弁当水筒
  ご自由に・・・!
  天気がよければ棚田を見ながらのお弁当も最高です。
  また、高須山の頂上からの日本海福井平野(曲がりくねった九頭龍川)
  は、必見です!
  雨天の場合は、町内の研修センターでお弁当をどうぞ!
ビニール袋
  田植えで汚れた服や履物を入れるため、大きなゴミ袋がよいでしょう。
  また、山菜採りをされる方はスーパーなどの袋が最適です。
帽子
  雨天の時は当然ですが、好天の時も日焼け対策に必要となります。
  前かがみで田植えを行うため首(うなじ)あたりが日焼けします。
雨合羽
  なるべく軽いものを用意して下さい。
  汚れを考えてコンビニなどの携帯用の透明の安い物がいいですね!
その他
  田植えを終えると受付の場所付近にある洗い場で手足に付いた泥や汚れを落します。
  この時に、ビーチサンダル的な軽く履けるものがあれば楽でしょう。
  また、山菜採りをされる方は軍手の用意も必要でしょう。
  受付横の駐車場はスペースが狭いため棚田下研修センター学校正面の駐車場(徒歩10分)などもご利用下さい。混み合いのため、奥に止めた車の移動が出来ないことも予想されます。他車が移動できるように駐車して下さい。
 14日には、高須の棚田は今年一番の賑わいとなるでしょう。初めて高須町を訪れる方も、毎年来られる方も・・・・皆さん、笑顔で来て下さいね。お待ちしております。
 そうそう、日曜日が好天になりますように願いましょうね!「癒しの山里、高須町」で、大いに自然と米作り(げんき米)の第一歩となる田植えを楽しみましょう!


△男の酒のつまみ・・・115
 スーパーの生肉コーナーでスペアリブを買った。最近ではどちらかと言えば魚が多くなってきた私だが、たまには骨ごとかぶりつきたいと、そんな衝動にかられ購入した。別のコーナーでスペアリブ用の漬け汁?を買う。自宅に帰り、準備を始める。四角のボールに軽く塩・胡椒したスペアリブを入れ、専用の漬け汁に漬ける。そして、ここからが一工夫。薄くスライスしたニンニク・生姜・長ネギの部分を共に漬け、冷蔵庫で約3時間(時間はお好みで!)。後は、レンジでもオーブンでもフライパン(弱火)でも、いいですよ!肉汁が・・・たまらない!


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【五月の五/想定外の出来事!】5月9日(火)

 今年一番の暑さではなかったろうか、お昼過ぎのじっとしていてもが出てくる気温には、道行く人もハンカチ片手にを仰いでいた。配達に修理にと、ほぼ一日軽トラを運転する私だが、車のエアコンを入れたいところだが、このところのガソリンの高値に、窓を開けて我慢するしかない。(本当に、ガソリンの急騰は私たち自営業にとって、切実です!)
 そんな本日だが、次男が通う順化小学校では昨日と本日の二日間、今年度始めて(年4回)の地区の廃品回収が行われた。週初めの月・火曜日に行われる順化小学校PTAのこの廃品回収だが、市内中心部という事もあり各自が個人で家庭や企業(会社)に貯めてあった、段ボール・新聞紙・チラシ・古本・一升ビン類を綺麗に分別して順化小学校に持って行くのだ。
 我が藤田家では、この廃品回収はいつも最終日となる火曜日に持って行くのだが、家業がら春には通常の3倍となるその量に2日続けてのお届けとなった。そして、もう一つの理由としてこの春から名古屋に行った長男の部屋が、この廃品回収に大きな協力となっていた。参考書(少し!)マンガ類(莫大な量!)と、なっていた(信じられない量です!)。長男が名古屋に行った4月から、時間があれば少しずつと、長男の部屋を片付ける妻と私。「おい!順化の廃品回収って、いつだったっけ!」「もうすぐじゃない!」と、心待ちにしていたのだった。
 仕事の合間を見つけて自宅に戻り、束ねた本類や段ボールを軽トラに積み込むのだが、その量の多さとこの暑さにしばらくすると、汗が噴出してきた(積み込み作業30分!長男の部屋が2階のため!)。タオルで汗を拭きながらの車の運転で、順化小学校に向かった。(背中には汗が流れていた!)
 順化小学校の駐車場、廃品回収の時は全て駐車禁止となっている。駐輪場(自転車置き場)に高く積まれた、段ボールや新聞紙、そして本の数々。「ラッキー!」と、その時偶然にも置き場には私以外には誰もいなかった。(荷卸作業15分!)順番に降ろしていくのだが、時々本を縛ってある紐が緩んでいる。「あいつ!」と、妻のせいにしながら括り直す。ふと、校舎の廊下から目線を感じた。廊下からこちらを見ている男性。「校長先生かな?」と、今年の春にこの順化小学校に赴任された林校長先生かなと感じた私。(前任の校長先生も林校長だった!同じ名前)軽く会釈した私に校長先生らしき方も頭を下げられた。いつも行く明道中学校とは違い、次男が通うこの母校では、知っている先生は・・・担任のI先生と、先日の評議委員会議でお世話になった山下教頭先生と、高須城小学校の石村校長先生の奥様だけだ。
 軽トラの荷物も残りわずかとなり、「ラスト〜!」と、いささか疲れた腕力に最後の力を振り絞る私。その時だった、 「♪あるこ・あるこ、僕らは元気・・・」と、となりのトトロの曲が校舎内で流れ出した。「さすが小学校だな!」と、ついつい一緒に歌いながら荷物を降ろしていたのだった。(この曲は元気がでるのだ!)でも、何でこの時間に曲が流れるのか不思議だった。お昼休みの時間は過ぎているはず。
 そんな事を考えていると、乗用車が一台入って来たのだ。近くの会社のOLだった。トランクを開け、重そうな本類を降ろしだした。私の目線に入ったその姿は、本当に重たそう・・・・で、ついつい「手伝いましょうか?」と、言ってしまった。(男性だったら当然無視!)
「すいません!」と、OL。二人の無言の作業は約2分で終了した。「有難うございました、助かりました!」と、笑顔を残しOLは去っていった。見送る私だが「お人良しだな!」と独り言(それでも、何故か満足!)。そして、次に来た若奥様の荷物も手伝う事になってしまった。二人の女性の荷物を手伝い、ようやく自分の残された荷物も終わり、帰路につこうと車のドアを開けようとした時だった。見覚えのある車が駐車場に入ってきたのだ。
 車から降りてきたのは、一歳年上の先輩で、長男と同級生のお父さん、しかも私が明道中学校でPTA会長をしている時に学年委員長をしていただいたYさんだった。「おう!元気けの!」と荷物を降ろしながらの先輩の挨拶に私は、・・・・手伝うしかなかった。
 先輩の車には、うず高く積まれた参考書や教科書、そしてマンガ本。
「長男がいなくなって(大学進学)、部屋の整理をしてたんやけど、すごい量(本類)で、疲れるわ!」と、先輩。(どこの親も同じだ!)
「藤田君!悪いの、手伝ってもらって」と、先輩の言葉に
「いやいや、いつもお世話になっておりますから」と、言うしかなかった私。
 すると、この先輩荷物を降ろしながら
「今、高校のPTAをやってるんやわ!明道の時のメンバーもいるざ」と、先輩のご次男(高校)の学校で役をしているのだと言う先輩。(PTAは中々、抜けられないのです!)
「藤田君も下の子(次男・小6)が来年また明道やろ・・・ご苦労さんやの・・・」と、先輩言い出した。
「いや、私はもう・・・いいですよ!」と、私が言うと
「ほんな事言ったかて、学校(明道)がほっとかんやろ!」と、先輩。
「いや、あれからずっと(会長を終えてから4年)評議委員やってますから!」と、私が言うと
「それとこれとは話は別やから!」と、先輩。(何が別なのか?)
 こんなたわいもない話をしながら荷降ろしは続いた。自分の荷物、女性二人の荷物そして先輩のと、私の上着には汗が浮かび上がっていたのだった。(自業自得だ!)
 全ての作業を終え、お客様のお宅に修理に向かう途中に田中先生に用事と明道中学校に寄った私。職員室に入ると授業中でその田中先生はいなかった。直ぐに帰ろうとしたのだが、ここでも顔見知りの三人の先生に捕まった私。
「そう言えば、高須町の田植えは日曜日ですね!」と、女先生。
「そうです!よくご存知で!」と、答えた私。
「私も一度、高須町に行きたいと思っているんです!」と、女先生が言い出したのだ。
「じゃ、是非今度の田植えにいらして下さい!」と、私が言うと
「・・・・」だった。(高須町の魅力に、また一人の先生が捕りつかれそうだ!)田中先生の授業中、職員室での4人による高須町談義に、またまた時間オーバーとなってしまった私。
 夜・・・疲れていても、晩酌は欠かさない・・・いや、疲れている程、美味しいのがお酒。今日から始まったプロ野球セ・パ交流戦ジャイアンツオリックスを楽しんでいた。しかし、画面は2画面となっていてサッカージーコジャパンブルガリア戦も見ていたのだった。(スポーツはいい!サッカーの試合前の国歌斉唱では、初めての試みだろう大阪の小学生数十人による「君が代」の斉唱には、胸がジンとなった。少し目が潤んでいた私・・・年かな!)本日付けのスポーツ新聞を見ながらのスポーツ観戦につまみを持ってきた妻も呆れ顔の様子。(いいじゃない!)
 そして、スポーツ新聞の片隅の記事を見た時だった。
「おい!」と、妻を呼び止めた私。
「どうしたの?」と、妻。
「あの、白いんげんは駄目だって!」と、私が言うと、妻が
「なんで?」と、私の話に飛びついてきたのだった。(珍しい!)
 この「白いんげん」・・・なのだが、実は話は3日前にさかのぼる。夜、テレビを見ていた私と妻。TBSの番組でダイエットにこの白いんげん豆粉末にしたものが良いと、話していたのだった。減量大好きな妻(綱引き!)と私(何となく!)は、この番組を食い入るように見ていたのだった。
「炭水化物のご飯は太る!しかし、この粉(白いんげん)をかければ、大丈夫!」の言葉に「へ〜っ!」と、関心していた。そして、番組終了時だった。
「おい!スーパーで白いんげん売ってるかな?」と、私。
「あるんじゃないの!」と、妻。
「買って来いよ!」
「今から?」
「たぶん、この番組見ていた人は、スーパーに走ってるぞ!行ってこいよ!」
「もう遅いから今度ね!」と、こんな会話の3日前の夜だった。
 そして、新聞のその記事なのだが・・・・ご注意!!白いんげん豆ダイエット・・・・と、なっていた。記事をよく読むと、この番組を見た視聴者から、激しい嘔吐や下痢などになったと、苦情が三十数件あったらしいのだ。「誰も考える事は一緒だな!」と、私は苦笑いをしていた。あの晩、もし妻をスーパーに行かせていたら私も今頃・・・。そればかりか、私はこんな事を考えていたのだった。「これからは白いんげんも、直ぐに高須町の佐々木さんに教えて栽培しなければ・・・!」(電話しなくてよかった!)
 今日一日の何回かの想定外の出来事に、暫し反省の私だった。(おそらく、寝たら忘れるだろうが・・・)
 あっ、そうそう次男が通う順化小学校でのお昼過ぎの曲なのだが、下校してきた次男に聞いてみると、「掃除の時間だから!」と、答えが返ってきた。「掃除は授業が終わってからじゃないの?」と、聞くと「ううん、掃除はお昼の給食が済んでからだよ!」と、言うのだ。今いち理解しかねる私だった!(まあ、どうでもいいんだけど!)


△男の酒のつまみ・・・116【テイクアウト編・・・3】
 前回のこのテイクアウト編で「餃子の王将」を紹介したのだが、「餃子」で思い出した私の一番のお気に入り・・・、それは「鶴来」だった。この鶴来は、JR福井駅の角にあった地元では昔からの有名なお店。ここの餃子を求めて多くの人が押し寄せていた。私もテイクアウトに何回・・・いや何十回か行っていた。特に片町のホステスに喜ばれるのだ。
 駅前の再開発で駅南通りに移転した「鶴来」創業50年のその味は「中はジューシー・・・・皮はパリパリ!」で、本当に美味しいです。餃子本来の味かも・・・。


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【五月の六/川島アナも田植えの準備!】5月10日(水)

 ここ数日、「もう夏なの?」と、思わせるそんな暑い日が続いている。私の店に来られるお客様に母は「もう、会社では冷房をかけてるの?」と、質問している。(そんなはずな無いだろう!)
 新潟(上越市)では、30度を越えているらしいのだが、その一方では昨年、水不足となった四国のダムでは豪雨により軒並み貯水量がほぼ100%近くになっているらしい。
 福井も強風が吹いている。店の前を歩く人の髪は乱れ、高校生は自転車のペダルを扱ぐ足も力強くなっている。(どうなっている、この日本の気象!)
 さて、二年目を迎えた川島秀成アナウンサー(FBC)「げんき米プロジェクト」〜『高須城ものがたり』第四話〜チエコさんはこしひかりの先輩!〜の巻が夕方放送された。すっかり高須町の準住民となった川島アナ、前回までの畑でのジャガイモ作りから、田んぼに現場を移し14日(日)の真近かに迫った田植えに備えて、美味しい米つくりに大切な準備をする事になった。
 今日の川島アナだが、何故か帽子の下にはタオルを被っている(違和感がない!)。そして、棚田の道路で植木御大を待っている。その植木御大だが耕運機を運転しながら坂道を登ってきた。(これは、時間がかかるのです!)
「植木さ〜ん!」と手を振り、声をあげた川島アナ、カメラに写った運転席の植木御大だが、何故か川島アナと同じ帽子の下にはタオルが・・・・あった!(寒い時の撮影だったのかな?)川島アナと植木御大のコンビは何故かほのぼのとしている。(お爺ちゃんと孫・・・いや、お爺ちゃんと息子?)
 そして、肝心の今回の作業なのだが、この耕運機を使い「田おこし」&「しろかき」「あぜ塗り」そして「肥料散布」をすることになる。
 田んぼは昨年秋に収穫した稲刈り作業のままで、稲穂が切り取られた株がそのままの状態にある。まずは、その株もろとも耕運機で土と一気の混ぜていく「田おこし」の作業となる。(田んぼの為の、柔らかい土作りの一つです!大切なんです!)
 一応、耕運機の操縦法を植木御大から指導を受ける川島アナだが、さすが2年目・・・綺麗に田んぼの中を進んでいた。(ん・・・・昨年は、こしひかり娘大島さやかアナがほとんどトラクターに乗っていたような・・・!)
「去年一年やったで(経験したから)、上手いが・・・!」と、植木御大から誉め言葉を頂いた川島アナ、少し嬉しそうだった(機械の操作は、見た目以上に難しいのです!)。しかし、田んぼの外側の部分は難しいと、植木御大が自ら耕運機を操った。それを見つめる川島アナ「さすが!植木さん。あんなギリギリの所まで・・・凄い!自由自在に耕運機を操ってる!」と、関心していた。(そりゃ、植木御大は大ベテラン。神様です!)
「田おこし」が終わり綺麗になった、げんき米の田んぼ。次の作業は・・・「あぜ塗り」だ。ここでの指導はお馴染み千恵子さんと、・・・おそらく初登場かな、地元・高須町の内田仁司(うちだ・ひとし)さんとなった。
「まずは、何をしましょうか?」と、川島アナ。それに答える智恵子さん「ん・・腹をとる!」と、答えた。この「腹をとる」だが、草が生えた昨年の「あぜ」を取り除く事を言うのです。鍬を持ちあぜの土を少しずつ取って行く川島アナ。
 この作業中、川島アナから予想外の質問が智恵子さんに「今、お年・・・お幾つでしたっけ?」(女性に聞いちゃった!) 「今、78です!」と、智恵子さん。「えっ、78。78って事はこしひかりが誕生して今年で五十年だから、智恵子さんが28歳の時にこしひかりが出来たんですね!」と、川島アナ。「そうそう・・・」と、笑顔で答える智恵子さん。
 その当時は「コシヒカリって、新しいのが出来たからって、みんなで作ったんや!」と、智恵子さん。つまり、50年前の「コシヒカリ」、そして一昨年誕生の「イクヒカリ」の二つの誕生を知っている智恵子さんだった。ここでまた川島アナが一言「んじゃ・・・こしひかりより長く生きているんだ智恵子さん!」(おいおい!)それでも当時の事を思い返しながら「昔より、今のこしひかりは美味しいや!」と、懐かしそうだった。
 次の作業は「あぜ作り」。このあぜ作りは、田んぼの水が漏れないように丈夫なあぜを作る事を言うのです。平ぐわを使い泥をベタベタと叩いていく。まるで建築現場の左官屋さんのようでした。「叩くのが上手になったね!」と、智恵子さん。そして、その作業をあぜ道で見ていた植木御大からも「腰付きが定まってきた!」と、お褒めの言葉がかかった。
 そして、次は「肥料散布」となった。機械を背中に背負い田んぼ全体に有機肥料を均等に撒いていく作業なのだが、これは川島アナの得意分野?(昨年も経験済み!)余裕の表情でこなしている。
 最後は再び耕運機に乗っての作業「しろかき」だ。田んぼを平らにして、田植えをしやすくしていくのだ。しかし、機械ではどうしてもムラ(凹凸)になる箇所が出てきてしまう。そこで、やはり最後は手作業となった。(それにしても、川島アナは熱心です!)
 この日の作業は約3時間。泥だらけになった川島アナに植木御大からこんな一言があった「田んぼに対しての気配りが昨年とはぜんぜん違う!」と、川島アナのげんき米・2年目の進歩を称えていた。(嬉しそうな川島アナだった!)
「最高の出来!」と植木御大から田植えを待つ田んぼを評価された川島アナ、14日田植えを待つばかりとなった。


△男の酒のつまみ・・・117
 筍のきんぴら!今年は豊作となった筍だが、筍ご飯・天麩羅・筍の酢味噌とワンパターンとなりがち。そこで、茹でた筍の下の固い部分を細く切り、きんぴらにしてみた。しゃきしゃき感がたまらなくいいですよ。筍と水蕗も一緒にね。


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【五月の七/高須の棚田は、五月晴れ!】5月14日(日)

 昨日から今日未明にかけての激しい雨も夜明けと共に上がり、予期せぬ嬉しい五月晴れの日となった。(過去2年は小雨!週間予報でも曇り雨だったはず!)
 早朝より家族全員が起きだして、おのおの準備をしている。「田植えがしたい!」と、あれほど楽しみにしていた次男(小6)は、順化小学校相撲大会があり妻と参加で、またまた欠席となっていた。(やはり、雨男はこいつだったのか!)
 7時過ぎ、恒例となったお仏壇に手を合わせ、今年の豊作を祈願した。田植え日の私は、何故か朝風呂に入り心身ともに清らかにと、心がけている。(心はもう清らかにはならない!)
 素早く着替えなどの準備を済ませ、車に飛び乗った私。受付でオーナ−の皆さんお渡しする「お知らせ」をコピーするため武道館近くのコンビニに寄った。コピー機を操作していると外の道路を市役所の車が信号待ちをしている。「ん・・・本多さん(市・農政企画課)達かな?」と思ったのだが、何故か助手席には女性の姿があり、「違うかな!」と、一人空想の世界になっていた。私も急がなくてはとコピー機を見ると用紙切れ、「こんなもんだ」と、苦笑いの数分だった。
 それでも車でその市役所の車を追いかける私だが、今度は車のガソリンがほぼの状態となっている事に気がついた。「おいおい!」と、ぼやきながら通り沿いのスタンドを見るのだが休業ばかりで、どうしようもない。「あそこなら!」と、鷹巣手前の川尻町のガソリンスタンドまで足を延ばす事にしたのだ。日曜日の朝からの営業は助かるもの。
「開いててよかった!」と、スタンドの定員に言うと
「どちらまで?」と、聞かれた。
「高須まで!」と言うと、
「じゃ、そこですね、鷹巣だったら!」と、言う定員。話が長くなりそうなので
「そう・・・ね!」と、答えた私。
 川尻町から高須町までの農道を快調に車は進んで行く。すると、またまたノロノロ運転の車が前方にいる。「また、山菜採りか?」と、幅寄せをしようと思ったのだが「もしかして棚田オーナーかも」と、思い丁重に追い越しをかけたのだった。
 高須町の棚田受付には、時間前だというのにすでに多くのオーナーの皆さんや地元の方が集まっていた。佐々木さんも他の地元の皆さんと談笑されていた。(この日の地元の皆さんは6時半の集合でした。ご苦労様です!)車を駐車場に止め受付に行き、デジカメを構える私。(そう、田中先生は本日、地元の用事で来られないのです!)
 私は受付けの横でデジカメで撮影をしていると、昨年までのオーナーの方が「お久しぶりです!」と、笑顔で挨拶をしてくれる。そして、「ごぶさたです!」「今年も宜しく!」そんな会話があちらこちらから聞こえていた。
 

 横の土手では本日インストラクターとして田植えの指導をして頂ける地元の皆さんが待機している。(皆さんお元気だ!)受付では田んぼの抽選を行い、田んぼの地図を見て「どこ!」「少し遠いね!」「あっ!そこだ」と、名前を書いたプラカードを手に楽しんでいた。
 本年度の棚田オーナーは、7割リピーターとなっていた。勿論、この高須町の棚田オーナー制度が始まった5年前からの連続参加となった7組をはじめ、4年連続が3組、私と同じ3年連続が3組、そして2年連続が最多の12組となっている。勿論、この中には昨年「あぜ道インタビュー」でお世話になった美男美女のご夫婦中村さん油井さんご夫婦もおられる(運動会が楽しみですね!)。因みに今年から初参加のオーナーの方は7組でした(頑張りましょうね!)。そして報道陣も多く、地元新聞社や福井県の「グラフふくい」の担当者、そしてお馴染みFBC「げんき米プロジェクト」川島秀成アナウンサーも爽やかに登場してきたのだった。
 9時過ぎ、いよいよ高須町の棚田での田植えが始まる。高須町棚田オーナー制度が始まって5年目、そして私の3年目の日を迎えた。(よし、やるぞ!)自分では少し慣れたかなと思う米作りだが所詮は素人の行う事、今年も地元・佐々木さんや高須町の皆さんのご協力を仰ぐ一年となりそうだ。(また、お世話になります!)
 福井市農政企画課藤田さん(女性・・・助手席の人だった!)の司会で始まった。本多さんはデジカメで撮影中。植木正義御大の挨拶で和やかに今年の高須町の棚田は動き出したのだった。コシヒカリ誕生から今年で50年、その記念の年にそのコシヒカリの田植えを出来る幸せを感じていた私だった。
 

 この時だった、受付付近で雑談やらデジカメ撮影をしていた私だったが、肝心な受付や田んぼの抽選をしていなかった事に気が付いた(遅い!)。急ぎ受付に戻ると受付を担当している地元のあのMちゃん(高須城小5年)のお母さんが「藤田さんは・・・いいよ!」と、言うのだ。(顔パス!)
「田んぼは?」の質問には「・・・昨年と一緒だったよ!」と、答えが返ってきた。と言う事は、私の今年のインストラクターは?・・・・・佐々木さん・・・だった!(やっぱり!)
 家族連れ、そして若いご夫婦、カップルと、五月晴れの下で棚田はそれぞれに花が咲いていた。「冷たい〜!」と子供の声が聞こえる。私の田んぼの回りでも笑い声や地元の方に田植えの指導をしてもらうオーナーの「はい!」と、言う声が聞こえてくる。
「田植え日和」と、なった高須町の棚田。私の田んぼも佐々木さんと私で順調に田植えが続いていた。約半分が終わった時だろうか「お父さん!」と、声が聞こえてきた。次男かな、と声の方向を見ると、あぜ道を駆け降りてくる佐々木さんの次男(中1)がいた。「お前も手伝えや!」の佐々木さんの言葉に「・・・いや!」と、次男。(こんなもんだ!)
 中腰の痛みに腰を伸ばそうと、ふと手を休めると福井平野の空を飛行船が飛んでいた。「それにしても、いい天気になったね!」と、私が言うと「ほや〜」と、佐々木さん。いつのまにか佐々木さんの次男も田んぼに入り、田植えを手伝い始めていた。(サンキュウ!)
 ここで、またしても大事なことを思い出した私。ぬかるんだ田んぼから出て、デジカメを持ち、お隣の田んぼへと向かった。お隣の田んぼはFBC川島アナだった。昨年、大評判?となったあの「川島アナ&大島アナ」おにぎりのツーショットの写真の今年度版を撮らなくてはいけなかったのだ。専門の田中先生が不参加のため、泥まみれの姿で川島アナの田んぼに入った私。アングルを考えながら川島アナに近づいて行く。その川島アナの本日の姿だが・・・・モンペ!だった。なにやら自分で購入してきたらしく「安いんですよ!」と、笑顔で言っていた。(二枚目は何を着ても似合う!)
「じゃ、撮るよ!」と、デジカメを構えると「いいですよ!」と、手を止めてポーズを取る川島アナ。(さすが!)

 撮影を終え、自分の田んぼに戻ろうとした時だった、川島アナが「藤田さん・・・息子さんは?」と、聞いてきた。「相撲大会でさ・・・」と、言うと「田植えの競争をしたかったんだけど!」と、川島アナ。そう、1年前に佐々木さんの次男とこの田んぼで楽しそうにした事を思い出した私。その時の佐々木さんの次男は隣の田んぼにいる。「お〜い!川島さんが、また競争しようって!」と、大きな声で私が言うと「え〜っ!」と恥ずかしそうに顔を歪める佐々木さんの次男。それでもあぜ道に上がりズボンの裾を再び捲くり上げる次男(やる気満々じゃん!)。それにしても、今年のFBCのこの田んぼは何故か寂しい気がする私。そうこしひかり娘(大島アナ)のあの大きな声が聞こえないからだ。棚田に響いたあの大島アナの声・・・懐かしい・・・かも!
 そんな中でも取材を絡ませながらモンペ姿の川島アナは真剣な表情で丁寧に田植えを進めていた(さすがだ!)。昨年同様の広いこの田んぼ、地元の応援があっても大変な手作業のはずだ(頑張れ川島アナ!)
 10時過ぎ、早々と田植えを終えあぜ道を歩く家族がいた。「さすが、ベテラン・・・もう終わったんですか?」と、聞くと「そうなの・・・早いでしょ!」と、笑顔の連続参加のオーナーの女性。当たりを見回すと、子供が田んぼで遊び、苗箱を届ける地元の方、そして小川のせせらぎで足や手に付いた泥を落す人がいる。そんな和やかな中、高須町の棚田の田植えは終わろうとしていた。
 私の田んぼも後一列を残し、佐々木さんとラストスパートとなった時、「藤田さん・・・株が太いよ(苗数が多い)」と、佐々木さん。「もう少し、前に言ってよ!」と、私。側で見ていた何人かの顔馴染みの地元の方も「・・・まあ・・・いいんじゃない!藤田さんだから・・・」と、笑っていた。(どう言う意味!)
 全てが終わりあぜ道で煙草を一服の佐々木さんと私。植えた田んぼを見ると、佐々木さんの担当した箇所は綺麗に列をなしていた。しかし、私の所は・・・間隔もまばらで・・・とても上手いとは言えない状態だった。それども高須の地元の方からは「藤田さん・・・腰付きが上手くなったの!」「もう、ベテランやから!」と、お褒めの言葉を頂いた。(誉められると伸びる私なんです!)
 駐車場に帰り、車の中で着替えをしていた私。どこからともなく「ホームページの担当の方ですか?」と、聞こえてきた。「はい!」と、返事をすると中年の・・・いや、若い女性の方だった。「ホームページを楽しみに見てます。大変でしょ、あの日記。でも、あの日記は面白いから皆で笑いながら見てるんですよ!」と、嬉しいお言葉を頂いた。「有難うございます。これからも頑張ります!」と、お礼を言った私は何故か熱いものが込み上げていた。(本当です!)
 少し泥の付いた足・・・またまた日焼けした顔で自宅に戻ると、私の机の上に一通の封書があった。「ん・・・高須城小学校から、あっ!運動会の案内だ!」と、急ぎ中の案内を読む私「運動会は・・・28日か!」の声に、私の後ろにあるカレンダーの28日の空欄に「たかすの運動会!」と記入する次男がいた。(おいおい!)
「相撲はどうだった?勝ったか?」の私の質問に「・・・・」の次男(こいつ、負けたんだ!)。しばらくすると次男が私の耳元でこんな言葉を言った。「高須の運動会は頑張るね!」(意味が違うし、その一週間前には順化小学校の運動会があるだろ!)
 まあ、今年の我が藤田家も高須町も何やら楽しくなりそうですよ!みなさん、「癒しの里」高須町で大いに遊びましょう!


△男の酒のつまみ・・・118
 高須町のあぜ道で摘んだ蓬(よもぎ)を水で洗い、みじん切り。だし巻き卵にひと摘み入れる。卵の甘さとの苦味がいい具合となっている。前にも紹介しましたがこのの新鮮な新芽の部分(上の部分)天麩羅は最高ですよ!


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【五月の八/川島アナの田舎コスプレ?!】5月17日(水)

 高須町での田植えから二日が過ぎ、腰やふくらはぎなどの筋肉痛も少しは治まりつつある(歳かな、いや、まだ若い!)。日焼けした顔の鼻の皮も、洗顔と共に剥けている。それにしても、手植えでの田植え作業は疲れるものだ。毎年思う事だが、私達オーナーの田んぼの面積などは、たかが知れている。昔、機械など無い時代には、手植えが当たり前で農家の皆さんの苦労が少し分かったような気がする。
 いつか植木御大が言っておられたのだが「米は、その字の通り八十八の手間がかかる」と、聞いた事がある。春の田植えから秋の収穫までの約5ヶ月の間にはその都度、毎日のようにお米に関わる仕事があるのだ。イモチ病など稲の病気を心配し、昼夜を問わず雨風を気に病み、たわわに黄金色の穂が垂れるまで我が子と同じように、愛おしく育てる事になる。(農家の皆さんは、大変な仕事である!)
 私達、棚田オーナーはこれから7月の草取り案山子作り、9月の稲刈りはさがけ、そして10月の脱穀と体験していくのだが、その間の棚田は高須町の皆さんによって全て管理して下さる事になる。(宜しくお願いします!)
 それでもと、昨年まで棚田オーナーの一部の皆さんは何週かに一回、高須町に訪れご自分の田んぼの草取りやらあぜ道の草むしりを小まめにしておられる光景を目にしたことがあった。(棚田オーナー皆さん、集合日だけじゃなく、どんどん高須町に行きましょう!)
 さて、高須町の田植えに取材に来ていた新聞社、その記事だが翌15日付日刊県民福井(6面)16日付福井新聞(4面)で掲載されていた。田植えの当日に少し話した某新聞社の記者だが、オーナーの田植え風景を何とか良いアングルで捉えようと、靴や靴下を脱ぎ、ズボンの裾を捲くりあぜ道はおろか、田んぼの中まで入り奮闘していたのだ。先日の石川県のある有名な棚田でも一人の新人記者(テレビ局)が田植えボランティアとして参加して、高須の棚田より狭いその棚田で、あぜ道から滑り落ち、田んぼの泥に足を取られ転び、約3時間悪戦苦闘しながら田植えを体験していた。(やはり、実際に体験しないとね!)
 そして、本日お待ちかねFBCリアルタイムふくいの「げんき米プロジェクト」『高須城ものがたり』第五話、素早く楽しくきれいに田植え!〜の巻が放送された。今回の放送は、先日の14日の田植えの風景だった。そして、冒頭は「問題です!私はどこにいるでしょう?」と、なった。それは当日の朝、受付け横の土手に腰をおろしていた地元のイントラクターのお婆ちゃんたちに混じり座っていた川島アナ、確かに側で見ていた私も「えっ!」と、一瞬分からない状態だった。(しかし、そうきたか!)
 

「早乙女で〜す!」と、意外にもそのコスチュームが気に入っている様子の川島アナだ。(まあ、自分で選んだのだからね!)そして、いよいよ今年の「げんき米」の田植えが始まった。本日の地元のインストラクターは、お馴染み畑智恵子さんと、木村さよ子さんだった。そして、福井農林総合事務所杉本義則さんが手植えのポイントとして「苗は3本から4本ずつ整えて植えましょう」と、解説。(これが、ついつい増えてしまうんです!)
「いや〜久しぶりの感触!やっぱり、いいなぁ〜」と、一年振りの田んぼの泥の感触を楽しむように川島アナの田植えが始まった。2年目という事もあり、少し慣れた手付きの川島アナ。しかし、この日の「げんき米」の田んぼは、この川島アナのコスチュームで話題騒然。あぜ道では、人気者のを写そうと他のオーナーの皆さんがデジカメを構えている。私も当日、隣の田んぼから幾度となく川島アナの田植えを見ていたのだが、どれが川島アナかと探すのに時間が掛かったのだ。しかし、モンペ姿川島アナのその風貌は、・・・何と言うか・・・その・・・「田舎コスプレ!」とでも表現したくなる姿だった。(不思議と似合うんだよね!)

 その川島アナの田植えも半分が過ぎた頃、「疲れた〜!」と、中腰姿勢が辛い様子。ここでインストラクターから指導を請う事になった。「川島さん!左手を膝の上に置けば楽なんやわ!」(つまり、予備苗を持つ手を膝に置く姿勢だと腰が幾分か楽になる)と、言うのだ。早速、その通りにして見る川島アナ、「あっ!本当だ!」と、少し感動の顔。しかし「もう少し、早く言って下さいよ!もう半分ぐらい終わってるのに!」と、川島アナ。
 そして、ここで昨年に続き「田植え競争!」が始まった。佐々木さんの次男(中1)vs川島アナ、この対戦も昨年と同じだ。中学生になり大きくなった佐々木さんの次男、スターと直後、川島アナの先を慣れた手付きで快調に苗を植えて行く。川島アナも負けじと追いかける。しかし、余裕の佐々木君は鼻歌を歌いながら川島アナの場所を確認しながら作業を続けている。
 ここで、この対戦を見ていたインストラクターから助言が入った。「川島さん、佐々木君の植え方は昔の植え方だから・・・」と、アドバイスが入った。スタートでは二人ともが前向きに田植えを始めたのだが、途中から佐々木君は後ろ向きに植えていたのだ。「なるほど!」と、川島アナも後ろ向きで田植えを始めた。すると、佐々木君との差が詰まってきたのだ。
 そして先にゴールしたのは・・・僅かの差で、地元の佐々木君だった。(さすが川島アナ、大人だ!)佐々木君への勝利者賞は、FBC新キャラクター「ピントン」でした。(次男が一言、「いいなあ〜」)
 五月晴れ、高須の棚田の「げんき米」の田植えも無事に終了した川島アナ、地元の皆さんに一文字づつ看板に字を書いてもらった。
 ここで高須町として植木御大から嬉しいお知らせがあった。高須産のこの「げんき米」コシヒカリだが、この度、福井県から「特別栽培米」として、認定されたのだ。実はこの話は昨年から植木御大からお聞きしていたが、コシヒカリ誕生50年の記念の今年、高須町独自の稲作法と恵まれた環境が齎(もたら)す美味しいコシヒカリが県から認定されたと言う事になったのだ(高須町の皆さん、おめでとうございます!。この特別栽培米だが、化学肥料や農薬などを基準の半分以下に減らして作るお米の事を言う。
 そして、川島アナは智恵子さんと共に高須町の山の奥に行き今度は筍(たけのこ)を掘った。大きなをゲットした川島アナは、満面の笑みで大事そうに抱えていた。今年は豊作の年と言われたこの筍、佐々木さん曰く「それでも、大分が猪(いのしし)に食われた!」と、嘆いていた。(そんな、貴重な筍を私も沢山、頂きました!)
 今年の川島アナだが昨年以上に心も身体も、そしてコスチュームもパワーアップしているようだ。ある、民放の人気アナウンサーAさんが番組の中で言っていたのだが、アナウンサーは「私達はまず、も・の・づ・く・りを第一に考えなくてはならない。この、ものづくりの気持ちが大切なんです。これを忘れてしまえば視聴者に感動を伝える事は出来ない」と、言っていた。まさに、川島アナはその言葉通りに番組を作っている。(誉めすぎかな!)
 さて、ようやく田植えも終わりこれからの棚田での稲の成長が楽しみになっているのだが本日、沖縄石垣島では早くも、稲刈りが行われたとニュースで報道されていた。これは、「超早場米」(ちょうはやばまい)コシヒカリだと言っていた。このニュースを見ていた私は思わず唖然としたのだが、一度このお米を食べて高須産コシヒカリ「げんき米」と比較したいと思うのだった。


△男の酒のつまみ・・・119
 この時期の山菜として、もう一つの味覚となるのは「うど」だろう。高須町でもこのうどは多少あるのだが天然物はやはり貴重で美味しいものだ。このうど天麩羅もいいが、やはり酢味噌が最高!お酒がどんどん進みます!


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【五月の九/親子で発熱!】5月19日(金)

 世の中では、信じられない食べ物が多くあるものだが、我々日本人からしても近隣の中国や東南アジア諸国(一部)での虫系統を食する事は信じがたい光景である(この日本でも地方によりあるのだが!)サソリタランチュラを油で素揚げして食べる事や、オーストラリアの原住民アボリジニの大きなイモ虫などは・・・遠慮したくなるものだ。そんな日本人も、欧米の人々から見ればいわゆる「ゲテモノ」を食べる人種と言われているらしい(生魚を食べる事など!)
 フランス料理にイタリアン、中国料理(広東・四川など)に韓国料理、ベトナムにタイ料理と数え上げればきりが無い。世界各国のほとんどの料理がこの日本にはあると聞いた事があるのだが、それ程、私たち日本人の食通ぶりはこの戦後60年で大きく変化したと言える。しかし、殆どの食材を輸入に依存しているこの現代日本、この後、どう変貌していくのか予想もつかない。
 ただ、一つ言える事はお隣、中国の経済成長に伴い今までのように「食べたいものは手に入る!」とはいかなくなりそうだ。約12億3千万の人口をもつ中国、発展著しい都市部農村部との貧富の格差があるとは言うのものの徐々にではあるが確実に裕福と言う波はその農村部まで近づいているようだ。家庭中心の食事から外食が多くなり自給自足が当たり前の時代が過去のものとなりつつある。裕福となり、高層マンションに住み、高級車を乗り回し、高価な肉を多くの人が食し、高価な装飾品で身を包むそんな時代に、今、中国はなってきたのだ。そう、この日本が高度経済成長の時代のように中国は大きな転換期の時代の中にあるのだ。
 そんな中国の勢いを物語る話が、日本の裏・・・ブラジルで始まりつつある。いや、すでに始まっている。アメリカ、日本そして中国での「大豆争奪戦!」がこのブラジルで今、行われているのだ。私たちは大豆イコール、アメリカと勉強してきたものだった。それは、世界の大豆生産量は約1億6000万トンで、その半分がアメリカで作られているからだ。
 日本でも大豆を生産しているものの、その生産量は約27万トンと、僅かなものになっている。日本人にとってお米とこの大豆(畑の肉)は食生活から欠かせないもの。簡単な物でも味噌・醤油・豆腐・納豆と、まさに食生活の基盤が大豆と言える。日本の大豆の輸入量は470万トン、その約80%が油、つまり「採油用」となっている。日本でもこの大豆の使用は年々、増加傾向だがそれは世界各国でもそれは同じ事、貴重な大豆を争奪する・・・・そんな時代になってきているのだ。
 しかし、ここ数年の地球温暖化現象による穀物の不作により、各国の収穫は減少している。それは、大豆大国のアメリカも同じ事である。
 そこで、注目されたのが広大な農地を持つブラジル(日本の約23倍の面積)で、この農地で昔から作られてきた大豆、国産の良質な大豆と比べいささか実は小ぶりで味も落ちる。だが大豆の苗1本には多くの実を付ける。「油」をより多く確保するため国家間(企業がらみ)での争奪戦が繰り広げられている。
 アメリカの大手企業は昔から大豆農家に対して厳しい条件での契約をしてきた。つまり、農家に対して収穫される全大豆を収める契約を交わす代わりに、農地拡大や農機具の購入に金銭を与えてきたのだ。当然、この契約には「儲けがない!」と、農家の人々は嘆く事になった。それでも契約は守らなくてはならない大豆農家。
 しかし、そのブラジルの大豆農家の一部にも、昔からどこの国とも契約を交わさず、つまりフリーの大豆農家がいる。日本の大手商社、Tはそんなフリーの農家を束ねる仲買業者と契約を結ぼうとする。当然、「いい値」と、なる訳だが仕方がない。アメリカの企業よりも高値で取引される大豆だが、ここに中国の企業(国家企業)が参入し立ちはだかる事になる。まだまだ、余るブラジルの広大な土地を大豆農地とし大豆農家を増やすことを考えたのだ。そしてコスト削減の大部分を占める、収穫後の輸送をも考慮して独自で、新たな鉄道建設にも乗り出してきたのだ。
 つまり、この計画は一企業としてではなく、中国の国家事業として着手しつつあるのだ。ここ近年、どの企業主からもありとあらゆる面において中国インドは魅力ある国と注目されてきたのだが、益々「繁栄」の道を走る中国には、色々な意味で私たちは脅かされる事になるだろう。(来年から、高須町で大豆を作るかな!安易!
 さて、少し固い話になってしまったのだが、先日のテレビのニュースでの話で驚く話があった。北海道夕張(ゆうばり)と言えば、炭鉱・・・ではなく「夕張メロン!」を思い出す人も多いはず。高級品だが、その何とも言えないみずみずしい甘い、上品なその味は「一度でいいから丸ごと一人で食べてみたい!」と、思うはず(最近、食べてないなあ〜!)
 そんな夕張メロンだが、先日初セリが行われ、ご祝儀相場とでも言うのか、何と「80万円!(2玉)」の値が付いた。 「うそ〜!」と、思わず叫んでしまった私だが、どんな人物が購入するのか興味があった。画面に現れたのは中年の男性、「出来れば、自分で食べてみたいですね!」と、笑みをもらし、多くの報道陣のインタビューに答えていた。まあ、この80万円夕張メロンのその後はどうなったかは、知るよしもないが私は手頃な価格メロンで我慢したい(病気時!)(やっぱり、大豆は止めてメロンを作ろうかな!またまた安易!
 先週の高須町での田植えから一週間が経とうとしているが、その田植え後に暑さの余り佐々木さんのお宅でTシャツ&短パンのラフ過ぎる姿でいた私(夏でも無いのに!)
 夕方過ぎから幾分冷えてきた高須町の気温の中、それでも田植えの筋肉痛が手伝って同じ服装でいたのだった(バカ!)。 月・火・水と、「少し微熱があるかな?」と、思っていたのだが、「大丈夫さ!」と、気にも留めずにいたのだった。
 しかし、昨日の朝だった。恒例の早朝ジョギングにと起き出したのだが、少しの軽い目まいに襲われ、そして吐き気がしたのだった。体温計で熱を計ると38度を超えていた。そのまま布団にUターンとなり「俺・・・熱・・・38度・・・親父に言っておいて!」の、片言を妻に投げかけてダウン。この時、朝の5時30分だった。
 お昼前、私のTシャツは発熱による汗で濡れていた(ベトベト!)。再び体温計で熱を計ると、37度5分に下がっていた。まだまだ少しの吐き気はあるものの、幾分だが虚ろとなっていた視線や頭痛は治まりつつあった。そんな時、誰も居るはずもない自宅で人の気配がする。しかも、廊下を歩く音が聞こえる。
「ん・・・・泥棒?・・・まさか!」そんな事を考えていた私。数日前からこの自宅の屋上を修理しているリフォーム業者の人達の、屋上を歩く音と聞き違いかと思い再び寝る事にした私。しかし、数分後またまた廊下を歩く音が耳に聞こえてきた。ゆっくりと静かに布団から起き上がり寝室のドアを開けた私。その私の目の前にいたのは次男(小6)だった。「おっ!」「わっ!」と、お互いに驚く馬鹿親子。次男の顔を見れば明らかに熱のある顔で赤くむくんでいた。「学校、休んだのか?」「うん!」「医者行ったのか?」「ううん!」「じゃ、一緒に行くか?」「うん!」この会話の後、ご近所の医者にて私は点滴・・・次男は注射となっていた。
 医者からの帰りの車の中、「日曜日・・・順化の運動会だろ。小学校最後の運動会だから、早く直さないとな!」と、私が言うと「うん!頑張る。でも・・・最後の運動会は来週の高須の運動会だから・・・お父さん」と、次男。「そうだな!」と、答える私。本当に似た者同士のA型馬鹿親子だった(妻には言えない会話だった!)


△男の酒のつまみ・・・120
 このところスーパーの鮮魚コーナーで目に付くのが、「鰹のたたき」である。鰹って今の時期だったかな?と、思うのだがそれでも少しの安さで棒のままの鰹(冷凍)を買う。自宅に帰り、流水で解凍する。きざみネギニンニクのスライスを用意しておく。解凍した鰹を少し厚めで切り、皿に盛る。その鰹の上にネギとニンニクを乗せ、再び晩酌の時間まで冷蔵庫に入れる。冷たい鰹のたたきには、ポン酢で食べる。
 冷たい鰹の美味しさとニンニクのコラボがたまらなくいいのだ。ただ、妻からの一言・・・「臭いから、喋らないでね!」
 

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【五月の十/1位でゴールテープを!】5月21日(日)

 前日までの雨でグラウンド状態が心配された次男(小6)が通う順化小学校での順化地区区民体育大会が本日、五月晴れの中で行われた。地区の体育大会という事で各地区の役員などは、4月の声を聞くとプログラムの広告集めに、そして約1ヶ月前から各種目の選手集め(大人)に町内を走り回っていた(毎年の事!)
 福井市中心部のこの体育大会は、朝早くから動き出す。順化小学校のグランドでは、早朝より毎年持ち回りとなる地区の場所でのテント張りが恒例となり、役員や選手(大人)が眠い眼をこすりながらグランドに集合する。地区によっては「優勝よりも、皆で騒ごう・・・」と、テントを建てた直後から○―ル?片手に盛り上がっていた(今年はなかった!)
 毎年のこの時期になると、「運動会の天気はいいやろか!」と、誰もが口にするのだが雨天順延ともなれば地区住民全てのスケジュールが変更されてしまう事になる。予備日はあくまでも予備日であって、出来れば雨天でも午前中の種目だけは成立させたい(運動会として成立!)・・・これが本音である。
 数日前からの降雨で、前日まではグランド内は水浸し。特に、順化小学校のグランドのは昔から水はけが悪く、当日が好天となっても来週に「順延!」と、なった年もあったものだ。予報では土曜日までは、当日は晴天となっていた。妻などは「大丈夫!やってしまうわ!」と、役員として意気込んでいた。次男は小学生最後の区民体育大会を地区のリーダーとして迎える為、少しの緊張の中で「運動会あるかな?」と、心配していた。「秋にもあるじゃない!(子供だけの運動会)」の私の言葉にも、やはり春のこの区民体育大会は別格なもので、多くの地区の皆さんが一同に顔を揃え、大きな歓声を送るこの大会には6年生として、地区の下級生のリーダーとして特別なものなのだろう(私も覚えがある!)
「でも、お父さん・・・順化の運動会が延期になったら、高須の運動会に行けなくなるよ!」と、次男の言葉に「あっ!そうだな」と、やはり本日開催を願う早朝の我が家となっていた。
 7時前、「ドーン!ドーン!」と、足羽地区や自宅がある湊地区で区民体育大会開催を告げる号砲があがった。グラウンド状態を車で見に行った妻は「みんなで、砂を入れていたから、やるみたい!」と、帰宅してきた。急ぎお弁当を作り水筒を用意している妻。私は呑気にコーヒーを飲みながら煙草をふかしていた(余裕・・・です!)
 次男は集団登校のため通常通りに自宅を出た(妻が車で送る)。30分後、次に地区の役員の妻も自宅を出た(自転車で!)。その時私は、パソコンで調べもの(まだ、余裕・・・です!)
 9時前、自転車に乗り順化小学校へと向かった私。「これは、暑くなるな!」と、ペダルをこぎながら汗ばんでいた。
 順化小学校に着くと早くも低学年の徒競走が始まっていた。入学したばかりの1年生、可愛く手を振りながら50mを駆けて行く。スタート地点やゴール地点でその姿を写そうとデジカメやビデオを構える親の姿。途中で転びながらも、再びゴールを目指して走り出す。「がんばれ!」と、大きな声援が聞こえる。
 自分の地区のテントに陣取った私。「先輩、ご苦労様です!」「藤田さん、お疲れ様です!」と、母校であるこの順化小・明道中の後輩達から声がかかる。
 テントからグランド全体を見渡すと・・・・やはり児童の数が少ないと改めて思った私。市内中心部・・・ドーナツ化現象・・・「あ〜あ、寂しいな!」と、溜息が出てしまう。児童数の減少により、いつの間にか近隣地区を同じチームとして参加することになった。
 何年か前のこの大会での校長先生の挨拶だが、開口一番「皆さん、子供さんを作って下さい。お願いします!」と、会場内の笑いをとられた事があった。しかし、今、現実にこの児童数を目の当たりにすると、「何とかしないと!」と、思うのであった(少子化は、マジ問題ですよ!)。それは、この順化小学校でも近隣の春山・宝永・松本でも同じである。そして、勿論・・・・高須でも!
 児童の種目、そして大人の種目が次々と行われていく。そんな中で次男100m走が始まった。緊張しているのは次男ではなく、妻と私だった。身長が近い児童が並んでの徒競走では・・・・私の知る限り・・・次男はいつも2位だった。 「よーい・・・ドン!」の瞬間、私は息を呑んでいた。そして、心の中で「頑張れ!頑張れ!」と叫んでいた。次の瞬間、次男が1年生の時の徒競走での姿を思い浮かべていたのだった。
 5年前、運動会の前日まで「ドン!と鳴ったら両手を思いきり振って、前のテープだけを見て駆け抜けろ!」と、私のアドバイス。そして、リハーサルをと一緒に何度も走ったものだった。しかしいざ本番になると、スタートと同時に手を振ったのは私と妻にで、しっかりとゴールまで私達の顔を見ていた次男だった(あれから5年!)
「おお〜っ!」の声に、次男を見るとトップを争っていた。成長した次男がそこにいた。そして、見事に胸の差で勝ったのだった。「やった!1位だ!」と、声をあげた私(嬉しいものだ!)

 地区のテントに笑顔で帰ってきた次男に、地区の皆さんからは「すごいぞ!」「速いね!」と誉められ、また、下級生からは「藤田君・・・すごい!」と、ハイ・タッチで迎えられていた(さすが、我が息子!・・・こんな時だけ!)
 どの参加者も午後になると、少しの日焼け顔。朝、これでもかと日焼け防止クリームを塗りたくっていた妻も・・・無駄な抵抗だったようだ(砂埃かもね!)
 順調にプログラム通りに進行している区民体育大会。最後の地区対抗リレーの時間になる頃には、全員総立ちとなり声を限りに声援を選手に送っていた。
 閉会式、次男は地区のリーダーとして校長先生から賞状を頂いていた。後ろ姿の次男が少しだけ目映く見えた。その姿を近くで写す妻の顔。
 

 今日一日は、次男が主役となった一日だった。多くの競技に参加し、遊ぶ下級生を優しく注意し、また、最前列で応援をする次男、・・・・・この6年間で大きくなったものだ。
 帰路、「お疲れさん!」と、声をかけると「うん!頑張ったでしょう・・・お父さん!」と、疲労の中にも笑顔の次男。
「来週も(高須城小学校での運動会)頑張るね!」と、嬉しそうだった。「僕、春に二つも運動会があるなんて、本当にうれしいよ!」と、次男が言った(そうだよな!)。
 来週28日高須城小学校で行われる「高須町体育祭」。3年連続の参加となる私達だが、他の棚田オーナーの皆さんの参加も年々、増えている。昨年には、初めは戸惑いながら見ていたオーナーの皆さんが最後の閉会式では児童、地区の皆さんと並んで整列をしていた。私達、オーナーが参加する事により、地元の皆さんは色々とお世話をしてくれる。
「お弁当あるんか?」「お茶、飲みねの!」と、優しく声をかけてくれるのだ。だから、初めての人でも楽しめる高須町の心のふれあい運動会
「高須町の皆さん今年も、お世話になります!」


△男の酒のつまみ・・・121
「エイのひれ」と、言えばよく片町などのスナックでおつまみとして出てくるものだが、そのエイのひれを友人から大きな袋で頂いた。片町では、軽く炙り細く裂きマヨネーズ&醤油&七味で食べる。何か他に工夫をするべく試行錯誤したのだがやはり、片町風が美味しいのだ。ただ、醤油&ワサビも・・・イケる・・・かも!


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【五月の十一/高須町をPRしよう!】5月23日(火)

 昨日の事だが、私の店に来た女子高校生の3人組。修理をしていた私の耳にこんな話が聞こえてきた。「ねえ、11チャンネルの川島アナウンサーの米、作ってるとこ・・・タカスってどこか知ってる?」「タカスって・・・海水浴場の鷹巣やろ!」「え〜っ!マジで・・・でも、私も最初そう思ったんやけど何か違うみたい!」「じゃ、どこ?」「知らんて・・・」と、こんな会話だった。
 修理をしていた私は思わず笑ってしまったのだが、実はこんなお客様の話は以前にも何度かあったのだ。当然、高須町の場所とPRをこの後彼女たちに話した私だが、女子高校生げんき米&高須城ものがたり」を見ているのかと、嬉しくなった瞬間だった。勿論、このH・Pの事も帰宅したら「見てね!」とコマーシャルしたのだ。(さすが、川島アナ人気者!・・・だが、「米」って言わずに「お米」って言いなさい女子高校生諸君!)
 帰り際、この女子高校生の一人が「おんちゃん、何で高須の事知ってるの?」と、質問してきたのだが「ホームページ見れば分かるよ!」と、答えた私。(しかし、おんちゃんはないだろう!・・・・・仕方ないか!)
 先週の事だが新聞で、小泉首相が石川県の有名な棚田「白米の千枚田」を訪れた。輪島市の海に面した棚田は国指定名勝になっていて、この地を訪れた人々は暫し、その棚田と日本海の調和に見とれるらしい。小泉首相も「ここの記録映像を撮っても面白い。この景色は残さないとね!」と、話していた。(日本の棚田百選の一つだからね!)
 週末(土・日)にかけて北陸地方を訪問した小泉首相だが、これは、地方の観光名所伝統工芸アピールするためで、まだまだ日本各地にある地方の魅力再認識してもらい、地域振興につなげるための訪問らしいのだ。
 能登半島では、キリコ会館(地元のお祭りで使用する巨大な灯籠を保存してある展示館)、輪島漆芸美術館そして最後に棚田を訪れた。翌日には、金沢市の兼六園九谷焼の窯元、そして、富山県高岡市の伏木北前舟資料館を見学した。
 北陸地方に小泉首相が・・・と、聞いたので福井にも来られるのかと少し期待した私だったが、石川・富山で東京に帰る事になった小泉さん、残念です。ジャイアンツの北陸遠征と同じですね。(次回は是非、高須町の棚田へ来て下さいね!)
「人を集める!」「人を呼ぶ!」・・・この言葉は、観光地や集客を狙うイベントや商売などで使う事が多い。しかし、今、日本全国の自治体などでも「○○○○○に来てね!」など、その地方の特色を出してPR戦略を練っている。これは、テレビドラマや映画の撮影地誘致、スポーツイベントの誘致活動などにも見られることである。例えば、人気映画シリーズの「釣りバカ日誌!」の撮影があれば、必ずその映画の封切の後には多くの人がその場所を訪れる。遠い昔だが、私のいた北海道・奥尻島で渥美清の代表作「男はつらいよ!・望郷かもめ歌」があった後には、奥尻島には多くの観光客が訪れていた。【高須城日記・平成17年、八月の二/穏やかな波】(凄かった!)
 スポーツならなおさらその効果は大きくなる。オリンピック世界選手権、そしてワールドカップの誘致ともなれば、その波及効果は空前の物となる。まあ、世界クラスとはいかなくても、国内の大会でもその効果は大となる。例えば、国体やインターハイなどでも人の波は確実に押し寄せて来るものだ。経済効果を掲げ、オリンピック誘致に旗挙げした福岡市東京都もこれを狙うものだろう。
 ドイツで近々開催されるサッカーのワールドカップでも大会前の合宿地に名乗りを挙げた無名の地方があった。優勝候補のブラジルに対してこの合宿期間の選手役員の滞在費や移動費の全額を負担してまでも誘致した町である。ブラジルチーム滞在の2週間弱での経済効果は、この町の負担分を大きく上回る事になるのだ。この無名の町と言うのは、スイスヴェッギスという人口約1,000人の町なのだ。スター軍団のブラジルチームの誘致合戦に勝ち、一躍この町は有名となった。2002年、日韓ワールドカップ時で、カメルーンチームの到着が大幅に遅れた事により日本国民が知る事になった、大分県中津江村(旧)もそうだった。無名だった町が一夜にして、有名になる事は過去にも多くの例があったことだ。
 それでは福井県の場合はどうだろう。過去に福井国体高校総体等、幾度となく全国クラスの大会やイベントがあった。近年では、体操フェンシングの世界選手権も開催された。
 しかし、福井の知名度は余り知られてはいないのが現実だろう。私が北海道にいた時だが、先輩にこんな言葉をかけられた事があった。「藤田は福井市の出身か!じゃ、石川県だな!」(まあ、これは特例だろうが!)
 福井と言えば・・・「長寿・コシヒカリ・越前かに・おろし蕎麦・めがね・東尋坊・永平寺・焼き鯖すし・五木ひろし」と、答える私達だが、県外の方に同じ質問をしてみると、「・・・・あっ、それって福井なの?」「ところで、福井はどこにあるの?」と、逆に聞き返される事が多いはず。意外と言うか、まだまだこの福井は全国的には知名度が弱いのが実情なのです。東京・大阪・名古屋と「福井」の特産品などを紹介するイベントを県は年に数回実施している。(これが重要なのです!)
 余談になるが私が小学生の頃、福井を代表するものとして自慢?していたのが「北陸トンネル」(全長13.9キロ)だった。当時、日本で一番長いトンネル(現在は青函トンネルで53.85キロ)として、福井と言えば北陸トンネルだった。(えっ、私だけかな?)
「これは福井」と、いう強いインパクトのあるものが望まれる今の福井、既存の物で勝負するのか、また、新たな伝説と呼ばれるものが生まれてくるのか今後の福井が楽しみでもある。
 さて、話はまた戻り高須町(一番肝心!)だが、「癒しの山里!」とごく少数ではあるが、この言葉が浸透しつつあるようだ。
「少数?」とは、失礼かと思うのだが、まだまだ高須町を訪れる人は少ないのが現実。それでは、先にも書いた「人集めを!」と、大きなイベントを催せばそれはそれで集客となるだろう。つまり、これまで以上に高須町を有名にする事は簡単に出来るだろう。高須町の農業や自然を前面に出してもいいだろう。また、高須町の地の利を生かして、あるスポーツ競技の開催も可能である。ひきだしは幾らでもあるのである。
 しかし、そんな事は高須町の地元の皆さんは望んではいないはず(私も!)「自然の美しさ・・・緑に眼を奪われ・・・風が生きている事を教えてくれる」そんな事を改めて感じさせてくれる高須町。
 昨年から、テレビや新聞などでこの高須町が取り上げられてきた。「高須大好き!」の私にとって大変嬉しい話が続いてきたのだった。その勢いはこのH・Pのアクセス数をみても分かるのだ。県内は勿論、北海道から九州まで多くの皆さんがこの高須町のホームページをご愛顧して下さっている。
 そして今年に入り、県のある課からも「高須町を紹介したい!」と、お話が届いた。(また、紹介します!)こんなお話が今の高須町に沢山あるのです。(有難うございます!)
 高須町の良さを知って頂くには、この高須町を訪れた方が「高須町も高須山もいい所だよ、一度行ってみたら!」と、口コミPRして頂くのが、一番良いのかも・・・。
 是非一度、高須町にお越し頂き、城山の頂上から景色を眺めて下さい。「癒しの山里、げんき米の故郷・・・高須町!」最高ですよ!


△男の酒のつまみ・・・122
 少し暑い日が続くようになってきた。こんな夜の晩酌は、冷たいビール・・・ではなく、私は日本酒オンザロックとなる。つまり、ドーンと一升瓶の日本酒(本日は石川県の名酒手取川です!)を横に置き、常滑焼(一万円!・・・愛知県半田市の方からのプレゼントです!自分では買えない!)のグラスに氷を3個。(最高に美味しいお酒・・・至福の時です!)
※石川県のお酒は、「天狗舞」「菊姫」と有名で美味しいのですが、この「手取川」は本当に美味しいですよ。
で・・・今宵のおつまみは・・・冷たいお酒にはシンプルに「鯵のたたき」(おろし生姜&醤油です)と、「子もちししゃも」。少し焦げ目がついたししゃもは、頭からガブリと、いきたい。「ん〜ん・・・・最高です!」


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【五月の十二/ドイツよりも・・・高須町!】5月25日(木)

 世界中が注目しているドイツ開催のサッカーワールド・カップも、もう少しで始まろうとしている。代表32ヶ国が参加するこの大会は、世界各国何十億人がテレビの前に釘付けとなる。この一大スポーツイベントは、4年に一度の開催でつまりオリンピックと同じという事になる。4年に一度・・・「待ってました!」これが人気に拍車をかけるのであろう。
 各大陸での予選は本選の約2年前から始まる。この長い長い道のりの戦いがこのワールド・カップの人気の特徴かも知れない。
 日本チームはこのワールド・カップ、今回で連続3回目の出場となる。フランス大会(予選敗退)日韓大会(ベスト16)と、着実にレベルは向上していると思われる。しかし今大会、日本のグループには、優勝候補筆頭の世界ランク1位のブラジルがいる。スター軍団のブラジルチームに母国ジーコ監督率いる日本がどう戦うかがこの予選での大きな見所となる。勝利・・・は難しい、だが引き分けには持ち込んでほしい・・・これが、大方の予想だろう(出来れば、勝ってほしい!)
 予選の初戦となるオーストラリアはランキング(FIFA)では日本(18位)に劣る42位。しかし、蓋を開けるまで分からないのがスポーツだ。前回大会で韓国チームをベスト4まで導いた、名将ヒディング監督がこのオーストラリアを指揮するのだ。(不気味だ!)
 また、2戦目のクロアチアはランキングでは23位となる。レベル的には日本と互角の試合が予想される。しかし、オーストラリアもクロアチアも平均身長でいずれも185センチを超える大型チーム、空中戦は当然通じず日本チームには速いパス回しからの足元勝負が要求される。
「サムライ・ブルー」と言われる、今回のジャパンチーム23人の若き戦士たちに、世界のレベルに近づいた日本のサッカーをドイツの地で見せてほしいものだ。
 ところで、私たち日本人はサッカーの呼び名を古くは「蹴球」(しゅうきゅう)と、読んでいた。サッカー・・・つまり、アソシエーション・フットボールと呼ぶのは、日本・アメリカ・カナダ・オーストラリアだけで、ヨーロッパやアフリカ・南米では「フットボール」、イタリアでは「カルチョ」と呼ばれているそうです。(豆知識です!)
 さて、交流戦に入った日本のプロ野球だが開幕から好調だったジャイアンツに陰りが見えてきた。故障者が相次ぎ、ベストメンバーでの戦いが出来ず、原監督の顔から笑顔が消えてきた。昨年優勝の阪神も村上ファンドの心配の種を消すかの如く、いつの間にかジャイアンツの背中に張り付いて来ている。古田ヤクルトもここに来て、息を吹き返している。益々、面白くなってきたプロ野球だが、交流戦終了時にセ・パの順位がどう変動しているか、目が離せなくなっている。
 そして、海の向こうの大リーグではN・ヤンキースの松井の怪我で日本人観光客が減り、日本での中継も視聴率が落ちている。マリナーズのイチローは、春先の心配も他所にいつの間にか3割台をキープしている。(さすがだ!)
 ゴルフ界では、今年からアメリカツアーに挑戦している、宮里藍が優勝圏内にはまだまだ届かず苦戦中、諸見里しのぶと共に世界の壁を経験している。しかし、藍ちゃんは一試合毎に何かを吸収している。シーズンオフまでには嬉しいニュースが飛び込んでくるかもしれない。
 国内の女子ゴルフでは、女王・不動と中堅・大山との賞金女王争いが熾烈となっている。私の注目する古閑美保選手はまあまあ・・・頑張っている。横峰さくら選手とキャディを勤める父との言葉の駆け引きも面白い。宮里の不在で今一つ盛り上がりにかける女子ゴルフだが、「強い!美人!」と、インパクトのある選手に登場してもらいたいものだ。(願望です!)
 先日だが、フジ「ジャンク・スポーツ」を見ていた私だが、「バスケット界の貴公子が登場!」の文字に「誰だろう?」と興味が注がれた。番組を見ていると、その男子選手、確かにイケメン(今風!)で可愛いのだ。名前は五十嵐圭(いがらし・けい)と、紹介されていた。ここで私、「まさか、この五十嵐って・・・?」と、固くなった頭の・・・記憶を呼び戻していた。「この五十嵐選手は・・・確か、北陸高校出身では・・・・なかったか!」(こんな感じで!)
 つまり、ジャンク・スポーツには以前、同じ北陸高校の先輩で日本代表だった佐古賢一が出演していた。そして、今度は五十嵐選手が出演している。佐古選手と同じ、中央大学を経て実業団チームで活躍している五十嵐選手は、世界選手権の日本代表候補でもあるのだ。(津田先生も嬉しいだろうな!)
 さて、夜のテレビでワールド・カップ参加国のチーム状況を見ていた私、次男はパソコンで何やら最近お気に入りのゲームに熱中している。そんな次男に「ワールド・カップ、もう少しで始まるぞ!楽しみだな」と、話すと「僕は見れないから、・・・だって夜中に放送するんでしょ!僕は、サッカーよりも今度の高須の運動会の方が楽しみだよ!」と、次男。
「雨かもしれないぞ!」と、私が言うと「え〜っ!」と、パソコンのキーボードの指を止める次男。どうやら、世界的行事のワールド・カップよりも高須町の運動会が次男には大切な行事となっているようだ。
「雨・・・降らないで!」と、神様&仏様に願う次男だった。(雨男のジンクス・・・か!)


△男の酒のつまみ・・・123
 冷たいトマトをスライスし生ハムをのせる。青じその葉を細かく切り、その上に少し盛りイタリアンドレッシングを数滴かける。爽やかな味が口の中に広がりますよ!


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【五月の十三/城山にこだまする声】5月28日(日)

 早朝3時頃だったか、激しい雨音に目を覚ました私。「今日は・・・中止ね!」と、横で眠る妻の声に「たぶんね!」と、相槌を打った。ここ数日前からの天気予報でも曇りとなっていた本日の天気、それでも次男(小6)「高須の運動会はどうしても行きたい!」の、強い願いが通じるように私も願っていたのだった。(次男よりも、私の方が楽しみにしているかも!)
 激しい雨から小雨に変わったものの、それでも高須町の天気や高須城小学校のグラウンド状態が気になり起きだした私。誰よりも楽しみにしている、次男の部屋を覗くと「スヤスヤ」と、寝息をたてていた。(昨日、この日の運動会が心配で遅くまで起きていた次男だった!)
 そしてもう一人、本日の運動会の開催の有無を心配している人が・・・・旧・清水町にいた。「もし、雨で中止ならH・Pでテロップを流しますから連絡をお願いします!」と、昨日私と電話で話していた田中先生だった。
 朝5時、天気予報をテレビで見る私だが雲行きは依然、怪しいものだった。しかし、午後からの予報は「曇り」と、なっている。「逆だったらいいのに・・・」と、独り言を言いながらいつものようにコーヒーと煙草を自室で楽しんでいた。(ついでに、ビデオで「ダビンチ・コード」を鑑賞中!)
「田中先生・・・たぶん、パソコンの前でスタンバイしているだろうなあ」と、想像していた私。(後で田中先生聞いたら・・・その通りだった!)
 ビデオの「ダビンチ・コード」も・・・何やら・・・訳が分からず「今度、ゆっくりと落ち着いて見なければ!」と、今度はパソコンの前に座り高須町のH・Pを開けてみた。「嘘!」と、いつも間にかの68万件のアクセスに驚いていたのだった。「色々な人が高須町のホームページをみているんだなあ!」と、改めて感動していた私だったが、そんな時田中先生からCメールが飛び込んできた。「おはようございます!朝早くからすみません。本日は残念ですが中止でしょうね?」との、内容だった。直ぐに、返信した私「おそらく、この天気では中止ですね!佐々木さんから電話が入り次第、先生に電話します!」と、絵文字無しのメールを打ち返した。
 そう、高須町の運動会当日の開催があるかないかはこの3年、佐々木さんから朝、私の携帯に連絡が入ってきているのだった。高須町では植木御大をはじめとする役員の皆さんや高須城小学校石村校長先生が早朝より学校に集まり、開催の有無を検討しているのだろう。(私の想像です!)
 朝6時過ぎ、まだ佐々木さんからの連絡は入らない。「まさか・・・やるの?」と、のんびりとしていた私はいささか慌しくなっていた。もし、運動会があるなら用意をしなければならないからだ。中止と決め込んでいたから!)
 6時49分、携帯が鳴った。佐々木さんからだった。
「おはよう・・・今日・・・やるよ!」と、佐々木さん。
「えっ!」と、私。
「グラウンドがダメなら、体育館でやろうかって話になって、・・・でも、これから天気が回復するらしいから状況をみてグラウンドで出来るかもね!」と、佐々木さん。
「了解!有難う・・・じゃ、後で」と、簡単な会話で電話を切り、次にパソコンの前で待機しているであろう田中先生に電話したのだった。
「先生!やるみたいですよ!」
「えっ!そうですか」と、やはり驚く田中先生。
「先生・・・本日、開催のテロップに変更して下さい!」と私が言うと
「了解しました。直ぐに切り替えます!」と、田中先生。中止を確実だと信じ込んでいた先生も慌しい朝となっていた。  7時、再び携帯が鳴った。FBC川島秀成アナウンサーからだった。川島アナも兼ねてより「今年の高須の運動会は是非参加します!」と、楽しみにしていた一人だった。そんな川島アナも心配していた本日のこの雨での運動会、中止かどうか気になっていたのだった。
「おはようございます!朝からすみません・・・今日って・・・高須の・・・・」と、さすがアナウンサー、朝から爽やかな声の川島アナ。
「やるそうです!」と、私が答えると
「えっ!・・・そうですか・・・分かりました!」と、やはり驚いた声の川島アナだった。
 台所では、まさか・・・の時を想定して待機していた妻が、私と次男にお弁当を用意し始めていた。卵焼き&鳥の空揚げ&ウインナー&海老フライ・・・レモンのスライス、そして藤田家の定番、高須産コシヒカリ「げんき米」でのタラコ入りのおにぎりが手際良くテーブルの上に並べられていく。
 妻も本日の運動会を楽しみにしていたのだが、妻の親戚に不幸があり、不参加となっていた。「美味しそう・・・!」と、私が言うと「つまんだら・・・ダメよ!」と、妻の一言。(読まれていた!)
 そんな夫婦の会話の途中で高須の佐々木さんからまた、電話が入った。
「藤田さん、1時間延ばして・・・10時からにしたから!」と、佐々木さん。
「そうなの!サンキュー」と、電話を切った。
「10時からだって!」と、おにぎりを握る妻に声をかけると「そう!」と、簡単な返事。自室に戻り着替えなどを用意し始めた私の前では、パソコン画面に「あいにくの・・・本日・・高須町・・・運動会・・・9時より・・・」と、高須町のホームページ画面で田中先生が急遽変更したテロップが流れていた。「あっ!田中先生に連絡・・・」と、急ぎ携帯を手に持った私。「10時ですね。了解しました!直ぐに訂正します!」と、田中先生。この後、川島アナにも時間の変更を連絡した私だった。(この時点で・・・早くも・・・少し・・・疲れていたのだった!)
 因みに、この時・・・次男は・・・まだ・・・熟睡中・・・だった!(おい・・・いい加減に・・・起きろよ!)
 8時15分、私と次男は曇り空の中、高須町へと車を走らせていた。「よかったね・・・運動会・・・あって!」と、助手席の次男に声をかけると「・・・・」(次男は、寝ていた!)「おいおい!・・・喉が渇いたから・・・コンビニに寄ろかな!」と、独り言の私に「うん!僕も行く!」と、次男の声。(こいつ!寝た振りか・・・)こんな馬鹿親子の車中での会話の時、ある場所で・・・とんでもない出来事が起きていたのだった。その場所とは・・・・田中先生の・・・・パソコンの異常だったのだ。(ジャジャジャ〜ン!・・音響)
 実は10日程前に、あるイベントの開催(6月・東京)高須産こしひかり「げんき米」をPRするとの話を聞き、私と田中先生とでそのイベント用にチラシの原案を考えていたのだった。そのチラシのサンプルを良い機会だと、運動会終了後に植木御大佐々木さん、そして川島アナに見てもらうため田中先生にパソコンで構成してもらっていたのだった。早朝から高須町の運動会開催のテロップの内容変更で忙しい思いをしていた田中先生。
 さあ、肝心のチラシのサンプルを用意して高須町に出かけようとした矢先の出来事だった。「パソコンにウィルスか?」と、あぶら汗を流した田中先生だった。
「パソコンに異常がありまして・・・」と、連絡を受けた時、私と次男は高須町に着いた時だった。
「先生・・・何とかなりませんか!運動会の写真は私が撮りますから・・・お願いします!」
「はい!何とか・・・やってみます!」こんな会話だった。(この日、一番忙しい思いをしていたのは、誰よりも・・・田中先生だった!すみません・・・先生)この東京でのイベントだが、今度、詳しくお知らせします。
 高須町、高須城小学校に着き、小学校前の駐車場に車を止めると、次男の下へ高須城小学校の二人の児童H君Mちゃん(6年・5年)が笑顔で走ってきた。「待ってたよ!」と、もう、すっかり顔馴染みで、この日ばかりは次男も高須城小学校の児童となっている。そして、グランドでは石村校長先生や朝倉教頭先生をはじめ先生方、佐々木さんや地元高須町の皆さんがテント張りやグラウンドの土入れの準備をしていた。
 受付前にいた地元の若奥様方に「はじめまして(んな、わけない)、棚田オーナーの藤田と言います!」と、私が言うと「あっ!藤田さんって言われるのですか、はじめまして(んな、わけない、これも)、高須にようこそ、今日は楽しんで下さいね!」と、お互いが笑顔(の冗談)で会話した。(さすが、高須町の皆さんのノリはいい!)
 1時間の順延で地元の皆さんも本日参加予定の棚田オーナーの皆さんも、少し余裕の時を過ごしていた。(パソコンと格闘中の田中先生以外は・・・!)グランドで地元の皆さんに混じり準備のお手伝いをしていた私、そんな私に石村校長先生が声をかけて下さった。
「藤田さん・・・いつも・・すいませんね!」
「いえ、こちらこそまた、お世話になります!」
そして、朝倉教頭先生とは棚田オーナー席の案内紙を張りながら
「先生、村冶佳織がこの間、福井に来ていたそうですね?」
「はい!」
「高須にきてくれないですかね?」
「無理でしょう!」
「子供とギターの共演でもしてくれれば、良い思い出が出来るのですがね!」
「そうですね!実現すれば、子供たちは素晴らしい思い出になる事でしょうね!」と、こんな準備中の会話だった。
村冶佳織・・・1978年・東京生まれ。3歳からギターを始める。日本を代表する天才ギター奏者。しかも美人!(何故、高須に村冶佳織かの説明は、高須城日記・平成17年【十二月の四】をご覧下さい!)
 準備をしていると、続々と地元高須町の皆さんや棚田オーナーのみなさん、そしてご来賓の方々が小学校の来られだした。そして川島アナカメラマンを伴い笑顔で登場した。その時、高須山の空は・・・爽やかな風が吹き・・・雲の切れ間から青空がのぞいていた。(何で・・・凄い!)
 10時、今年も楽しみな高須町での体育祭が始まった。石村和道、高須城小学校校長先生のご挨拶から、植木御大の来賓挨拶と進み、児童二人による元気な「誓いの言葉」が高須の町に響いていた。勿論、昨年と同様に次男も高須の児童の後ろに並んでいる。そして、大会初だろう・・・棚田オーナーの皆さんも開会式に整列しているのだった。いつも間にかジャージに着替えた川島アナも並んでいた。
  

 

 全員による準備体操の後、いよいよ今年の高須町体育祭の号砲が鳴った。棚田オーナー席には昨年同様・・・いや、昨年以上の皆さんが来られている。地元の皆さんも笑顔で競技に拍手をしていた。最初の種目「障害物競走」では次男も、そして川島アナも参加していた。(みんな、いい笑顔だ!)「川島さ〜ん・・・頑張って!」と、黄色い声・・・ではない声が聞こえていた。
 

 

 高須町の体育祭ならではの種目「なわない競争」が、始まった。を両手で揉みながら、一番長く編んだ人を決めるのだが、これは地元の方が強い。「あっ!」と言う間に長い縄となって行く。そして、毎年参加のオーナーの方も健闘している。この競技にも参加の川島アナだが「えっ!これは無理ですよ、無理!無理!」と、幾ら編んでも長くならない藁に苦戦していた。号砲が鳴り、終了した「なわない」。選手の後ろで控えていた地元の皆さんが長さを計っている。
 

 この競技で優勝したのは、当然地元の方でその長さは僅か3分で7メートル以上にもなっていた。その長さを見た川島アナは、唖然とした表情で「いや〜凄いですね!何で?」と、自分の縄と比較していた。注目の川島アナは・・・自分で後ろに伸びた藁に目をやる川島アナ「おや?」の顔となっていた。川島アナの記録は約3メートル?・・・しかし、これは地元の藁縄の先生、畑さん(年末の正月飾りの先生)がご自分で編んだ藁をこっそり川島アナの縄に結んでいたのだった。「そうでしょう、変だと思った!」と、川島アナの言葉に会場は爆笑していた。
 紅白にわかれてのこの体育祭だが、誰がどちらのチームなのか途中で訳が分からない状態で進んでいく。(これが結構楽しい!) 参加賞も奥様には嬉しい日用品が準備されている。「助かります!」「嬉しい!」と、参加した棚田オーナーの奥様から声が上がる。これも高須町ならではのアイデアなのだ。
 私は、競技には参加せずデジカメで撮影していたのだが画面に映るこの会場内の皆さんの顔がいつにも増して微笑んでいる事に気付いていたのだった。 高須町の皆さん、そしてその親戚の方のご家族一家、棚田オーナーの皆さん、ご来賓と、おそらく200人以上の皆さんが参加している。ここまで心配された天候も、青空になっていた。「やって良かった!」と、佐々木さん
 昼食タイムになった。ここで地元・高須町から「チラシご飯」が全員に振舞われた。(これがすごく美味しいのです!)私も、棚田オーナーの皆さんに配りながら・・・田中先生の分も確保していたのだった。そうそう、妻のお弁当だが次男と川島アナ、カメラマン、佐々木さんの次男(中1)で完食でした。
 来賓席には、鷹巣交番小西さんや明道中学校で同級生の鷹巣郵便局長上田君がいる。(目と目で笑顔で挨拶!) 「ビンゴゲーム」や、石村校長先生との勝ち抜けじゃんけん勝負の「王様じゃんけん」で、益々ヒートアップとなる高須町の体育祭。確実に午前中よりも参加人数は増えていた。
 デジカメ撮影やら、種目参加で少し疲れた私は棚田オーナーの席に座り暫しの休憩を取る事にした。次男は佐々木君兄弟(中2・中1)や、高須城小学校の二人の児童と共にほとんどの種目に笑顔で参加している。気が付けば参加賞は10以上になっていた。(妻は喜ぶだろう!)
 この時、何かを忘れていた事に気付いた私「あっ!田中先生は?」急ぎ携帯電話の着信をみると「着信3件!」と、いずれも田中先生からの発信だった。直ぐに、田中先生に電話すると「もう、3分程で着きます!」と、田中先生。ゆっくり休むはずの日曜日なのに、早朝からあれやこれやと高須町の事で田中先生にご苦労をかけてしまっていたのだった。
「すいません、遅れまして!」と、登場した田中先生の手には・・・パソコンから取り出した綺麗な「げんき米」サンプルチラシがあった。そのチラシを見て「いいですね!」「おう!綺麗」と、佐々木さんと川島アナが言うと「そうですか、有難うございます」と、田中先生。そんな4人のつかの間の時間だった。
 この間にも種目が行われていた。次男の参加により益々増える参加賞の数。ティシュ×2・ざる・サランラップ×2・そうめん×2・サラダ油洗剤となっていた。
 午後3時、最後の種目となる体育祭の花「リレー」ではぬかるんだ土に足を取られ、転倒する選手もいたがそれはそれでご愛嬌・・・順々とバトンが渡されていく。そしてアンカー高山PTA会長と川島アナだった。「アンカーは2周です!」の声に、すでに走り出した川島アナ「えっ!」と驚いた顔。それでも川島アナ・・・速かったですよ。
 

 高須山に届けとばかりに大きな歓声の中で行われた今年の高須町の体育祭も無事に終わりの時間となった。閉会式では全員が整列して、この大会の開催にご苦労にあたった関係者の皆さんに感謝の意を表していた。閉会の言葉の前には高山PTA会長が「来年もこの大会が開催される事を信じています!」と、児童数が1名となる小学校での体育祭を心から願った言葉で締めたのだった。(来年も必ずやりましょう!ずっとね!)
 

「お疲れ様でした!」「お世話になりました!」「来年もまた来ます!」「今度は草取りと案山子ですね!」と、棚田オーナーの皆さんもお互いに笑顔で挨拶しながら、また、高須町の皆さんにお礼を伝えながら帰路に着いて行った。グランドでは後片付けが先生たちや地元の皆さん、そして児童の手で行われていた。
 私は、田中先生が作成した例のチラシを植木御大に見て頂いた。植木御大の「OK!」のサインが無ければ、やり直しとなるからだ。「・・・・おお!いいね!」と、御大の顔に微笑みが見られた。「後は、任せるから!」の御大からの言葉にようやく安堵した私だった。田中先生、佐々木さん、そして川島アナと私。4人でのチラシの最終校正がグランド横で始まった。「ここの文字を少し小さく・・・!」(私)「この写真は綺麗だね!」(佐々木さん・・・自分で撮影した写真だった!)「コシヒカリ生誕50年も入れましょう!」(川島アナ)と、意見が飛び交った。それをメモりながら纏める田中先生、帰宅後またパソコンとの格闘となってしまいそうだ。(申し訳ないです・・・先生!)
 会議の後、田中先生は自宅へ・・・川島アナとカメラマンは「げんき米」の棚田へ・・・佐々木さんは地元の皆さんと反省会?へ・・・と、なった。
「じゃ、お世話になりました!」と、高須町の皆さんにお礼を言い帰路に着こうとした私だったが、・・・・次男の姿が無い。「またか・・・」次男の所在は見当が付いていた。佐々木さんのお宅でゲームだった。
 次男を車に乗せ、すっかり通い慣れた道を戻る私だったが、その助手席では、今度は本当に疲れて眠る次男がいた。
棚田オーナーの皆さんが楽しみにしていた高須町の体育祭も、地元の皆さんのお陰でとても満足して帰られたようだ。 「癒しの故郷・高須町」この高須ファンがますます増えそうな気がした一日だった。
「高須町の皆さん・・・本当に有難うございました」(田中先生に高須町からのお弁当を渡しそびれた事に帰宅後に気付いた私・・・反省!)


△男の酒のつまみ・・・124
 鰯のたたき
 このところ、鰯(いわし)が高値となっている。昔は獲れ過ぎて捨てたなんて話もあったものだが、頭にも身体にも良いこの鰯が高級魚となるなんて、やはり乱獲が原因なのか。でも、食べたいものは食べたい。鰯を5尾買った。頭を落とし内蔵を取り除き3枚におろす。皮の部分は取り、お刺身の大きさに切る。生姜(適量)おろしがねですり、卸した生姜は鰯と合わせ包丁で叩く。この時、生姜の汁は後で醤油に好みで入れる。青じその葉もあれば一緒に叩く。私は鯵の原型が少し崩れた位が好きな食べごろ!とにかく、新鮮な鯵で・・・・!


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【五月の十四/川島アナは・・・人気者!】5月29日(月)

 昨日の高須町での体育祭も好天の中で開催され、地元高須町の皆さん、そして棚田オーナー皆さんと、多くの参加者が笑顔の中で里山の一日を過ごしていた。(楽しかった!)
 3年連続の参加となった私と次男(小6)も、2週間前に行われた、順化小学校の体育祭以上に興奮し、楽しんでいたようだ。「どの種目が楽しかった?」と、聞くと「全部、全部だよ!」と、答える始末。(誰でも参加できて、誰でも楽しめる高須町の体育祭だからね!)
 そんな高須城小学校での体育祭での出来事、このホームページ用のデジカメ撮影と、何種目に参加させて頂きと常に走り回っていた私は、「疲れた〜!」(やっぱり歳かな?)と、少しの休憩を取ろうと棚田オーナー席に座った。すると、私の後ろの方でこんな会話が聞こえてきた。「ねえ〜あれって、川島アナウンサーだよね!」「う〜ん・・・あっ、ほんとだ川島アナウンサーだ!横にカメラマンもいるから間違いない!」「やっぱりそうだよね、テレビより実物の方が素敵よね!」と、こんな会話だった。
 私は何気なくその声の方を見ると、・・・初めてお顔を拝見するご家族だった。「今年からの棚田オーナーの方なのかな?」と、考えたのだが、しかし川島アナを初めて見たような会話に「オーナーだったら、田植えの時に見ているはず!」と、疑問を持ったのであった。若いこのご夫婦とお子様一人、楽しそうに体育祭を見ながら、交代で種目にも参加していたのだった。
 私が途中、棚田オーナー席横で田中先生と佐々木さん、それに川島アナと例の「げんき米」チラシの打ち合わせを行い、その後自分の席に戻った時だった。先程のご夫婦が私に話しかけてきたのだった。
「あの〜・・・もしかして藤田さん・・・ですか?ここ(高須町)のホームページで日記を書いてる・・・?」と、男性。
「はい、そうです藤田です」と、答えると
「私たち高須城日記のファンなんです!いつも楽しみに見ているんです」と、言うのだった。(うんうん!)
「そうですか、有難うございます。あの、失礼ですがオーナーの方ですか?」と、私が聞くと
「いえ、今朝のホームページを見て、初めて高須町に来たんです」
「ここ、やっぱりいいとこですね。それに先程、地元の方からお弁当まで頂きました」と、話すのであった。
 つまり、かねてからのこの高須町H・Pをご愛顧頂いているご家族が「一度、高須町に行こう!」と、考えていたのだが、昨日の体育祭の時にと、この高須町に来られたらしいのだ。
 その後、話を聞くと道路で車を止め小学校に入ると地元の方が「あそこ(オーナー席)に座っての!」と、案内されたのだと言うのだ。オーナー席に座り「ここ、いいのかな?」と、少し不安を抱いていたこのご夫婦だったが体育祭の盛り上がりにその不安も忘れ、高須町でしか見られない種目などに満喫していたらしいのだ。
「ここ、やっぱり・・まずいですよね!」と、ご主人。
「いや、いいですよ。楽しんで下さい。高須町の皆さんは歓迎してますよ!」と、私が言うと
「皆さん優しそうで・・・何か・・・田舎の実家に帰ったような感じなんです!」と、奥様が話した。(でしょう!またまた、高須町のファンが増えた。また、このH・Pも宜しくネ!)
 そして、この奥様だが川島アナ大ファンらしく先程から携帯写メールで「パチリ!パチリ!」と、川島アナを激写しているのだ。体育祭終盤での抽選会で自分の番号が中々読まれず、少しイジけて茣蓙(ござ)の上に横たわった川島アナの姿にも「ス・テ・キ」と、少し潤んだ目をしていたのだった。(横にご主人がいるのに!)
 そして本日、その川島アナの人気が幅広い世代にあることを思い知らされる出来事があった。昨日、高須町で検討されていた「げんき米」チラシが早くも発注先の印刷業者から作成者である田中先生の元に届けられたのだ。(さすが、プロは速い!)そして、その連絡を受けた私は、一早くそのチラシの出来栄えを見ようと私は明道中の田中先生を訪ねたのだった。そして同時刻の事、この日も高須町を訪れていた川島アナは、田中先生からの連絡を受け「じゃ、帰りに伺います!」と、初めて明道中学校に来る事になったのだった。(最近では、FBCのアナウンサーが明道中学校を訪問したのは、川島アナで3人目だった。江守美穂さん(母校での後輩への講演会)野田美佳子さん(取材)
 放課後の明道中学校を訪れた川島アナ、まずは職員室の田中先生の所へ向かった。川島アナと田中先生、それに私の3人は「げんき米」の刷り上ったばかりのチラシに感激していた。
「どうですか?これでいいですか?」(田中先生)
「いや〜最高ですよ!綺麗ですね!」(川島アナ)
「・・・いい!この出来は、植木御大も満足なさるでしょう!」(私)
約15分で3人でのミニ会議は終わり、それぞれの仕事に戻ろうとした時だった。
川島アナが「ところで、田中先生は部活は何の顧問をなさっているのですか?」と、聞いたのだ。
「私は、放送部と・・・」と、答えかけた田中先生の話も途中に
「放送部を拝見させてもらってもいいですかね?」と、川島アナ。
「いいですよ!」と、田中先生の案内で川島アナは、職員室を出て廊下奥横の放送部に向かったのだった。途中、廊下ですれ違った女性の先生、川島アナを発見して「えっ!・・・えっ!・・・川島さん・・・だ!」と、興奮し廊下に棒立ち状態となっていた。(おい!おい!)
 で、放送部のドアを開けた川島アナ、「こんにちは・・・突然ごめんなさいね!」と、話かけた瞬間だった。「キャア〜キャア〜」と、悲鳴にも似た複数の声が聞こえたのだった。放送部室には女子生徒約10名がいて、時ならぬ川島アナの登場に興奮する生徒や、逆に驚き過ぎて声が出ない生徒も出る始末。(この母校の放送部には、男子生徒はいないのか!)
 そう言えば、こんな光景を以前にもあったような・・・あっ!そうそう、私がPTA会長時、後輩の江守美穂ちゃん(川島アナと同僚)に母校の生徒たちに講演してもらった時だった。今回とは逆に、男子生徒「お〜お!お〜お!」と、美穂ちゃんに興奮していたのだった。
 話は戻り、この時、部室にいた顧問のU先生(若い)はさすが冷静に「あっ、藤田さんご苦労様です!」と、・・・唯一、私の相手をしてくれた。(ありがとう!)
「今、何をしていたの?」と、女子生徒たちに質問する川島アナに
「朗読の練習をしていたんです!」と、一人の生徒が答えたのだった。その回りでは「サインもらおうか!」とか「握手してもらおうか!」と、小声でコソコソ密談する生徒もいたのだった。
「じゃ、僕にその朗読・・・聞かせてくれるかな?何かアドバイス出来るかもしれないから!」と、川島アナが言うと「お願いしま〜す!」と女子生徒たち。川島アナを上座にテーブルを囲んだのであった。しかし、椅子が足りない事に気付いたU先生、生徒達に「椅子を用意しなさい!気が付かないわね!」と、またも冷静に注意したのだった。「は〜い」と、元気な返事に、生徒達は椅子を用意し川島アナによる朗読の勉強会がスタンバイされた。
 この時、田中先生と私も・・・部室の中に・・・いたのだが・・・椅子は・・・誰も・・・持って・・・こなかった!(川島アナしか見えていない、女子生徒たち。一応、私は君たちの大先輩で、しかも元PTA会長で、ここ4年間は学校評議委員なんだけど!まあ・・・この子達には関係ない・・・か!)
「イケメンは・・・どこに行っても・・・人気者!」(お粗末!)
川島アナの「明道中学校での部活の細道・・・!」(うまい!・・・しかし、意味が違うか!)
 少しイジけた私と田中先生(嘘です!)は、この後それぞれ仕事へと戻ったのであった。翌日、田中先生から聞いたのだが、川島アナは親切、にアナウンスの基本や言葉の大切さなどのアドバイスを生徒達にして頂いたようだ。(さすがプロ!ありがとう!)
 この生徒たちにとって、ひと時の川島秀成アナウンサーとのふれあいは、よい思い出になると共にきっと日本語の美しさを再認識したに違いないだろう。
 最後に明道中学校放送部生徒たちから川島アナに伝言が・・・「川島さん、ご指導ありがとうございました。是非、また来てくださ〜い!」とのことでした。


△男の酒のつまみ・・・125
 キムチ冷奴!
 晩酌に何かないかと冷蔵庫を開けると、豆腐が目に飛び込んできた。そこで、冷奴をと皿の上に盛った。鰹節と生姜と醤油が定番なのだが、これでは面白くない!
 そこで、同じ冷蔵庫に入っていたキムチ(白菜)をまな板(ラップを敷く)で、細かく叩く。そして、豆腐の上に・・・。意外な味に・・・満足かも!


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【五月の十五/「高須城ものがたり」は運動会!】5月31日(水)

 最近だが、次男(小6)の下校時間が遅くなっている。親として「遅いな!心配だな!」(一応!)と、気を揉むのだが、その遅くなっている理由は、下校途中の寄り道でもなく遊びでもなく、安心な事に順化小学校での6年生全員による合唱の練習があるためなのだ。この合唱の練習とは、毎年、福井市内全小学校が参加して行われる福井市連合音楽会(6月29〜30日)《通称・連音》で発表するために連日、放課後に居残り練習となっているのだ。(頑張れ!)
 そのため帰宅直後には、次男は「もう、喉がカラカラだ!」「あ〜疲れたよ!」と、冷蔵庫の麦茶牛乳ヨーグルトを一気で飲み干す事となっている。(私も覚えがある!)
 この連合音楽会だが、昨年までは福井市文化会館を会場に一日で開催されていたのだが、今年春の福井市合併により参加校が増え、今年より二日間の開催となったのだ。
 この連合音楽会の参加する児童だが、大規模校は6年生のみの出場で、逆に小規模校は高学年全員や先生達もステージに上がり工夫を凝らしたその学校独自のカラーで合唱や演奏を発表するのだ。昨年の高須城小学校のように朝倉教頭先生と児童3人による、ギター演奏(星に願いを!)は、大規模校に負けない感動の発表となった事は今も記憶に残っている。
 何年か前だが、高須町の佐々木さんからこんな電話があった。
「藤田さんのとこって、ケーブルテレビ入ってるんか?」と佐々木さん。
「うん、入っているけど何で?」と、聞いた私。
「悪いけど家のお姉ちゃんが連音(当時中学3年)に出るから、録画してくれない!」と、言われた事があったのだ。(連音は小学校と中学校がある。残念ながら高須町はケーブルテレビのサービスエリア外!FCTVさん何とかしないと!)
 この時、録画をセットし帰宅後にその佐々木さんのお姉ちゃんの中学校や母校の明道中学校の素敵なステージを見たのだが感動してしまい以来、毎年連音の録画が恒例となっているのだ。
 勿論、私の長男も明道中学校3年当時(4年前)には、同じ文化会館で発表しているのだが、その時には私も妻も観客席にて見ていたものだ。(親バカ!かな)そして、今回は次男の登場となっているのだ。しかし、次男は歌の練習以外にも少し心配な事があるようなのだ。それは、仲の良い高須城小学校の2人と会場で逢えるか・・・・なのである。
 次男曰く「高須城小学校は同じグループかな?同じだったら会場で会えるのになあ!」と、心配な様子。そこで、調べてみると・・・残念な事に別のグループとなっていたのだった。
「そうか!」と、肩を落す次男に
「仕方ないよ、いつも会ってるんだから、いいじゃないか!」と、私が言うと
「でも、ギターを生で聴きたかったんだ!」と、次男。(気持ちは判る!でもビデオで我慢しろ!まあ、ケーブルテレビを契約している皆さん、是非ご覧下さいね。高須城小学校順化小学校ですよ!)
 さて、私達「高須町大好き集団?(仮称)」(田中先生・川島アナ・私)この数日何かと慌しい日々となっているのだが、それは通常の仕事の加え高須町関連の用事が数件あり、バタバタとあちらこちらと飛び回っているのだ。(これはこれで嬉しい)
 前回まで、この日記の中でお話した高須産コシヒカリ「げんき米」のチラシ。何故、今この時期にチラシを作る事になったのか・・・・・疑問に持たれた方も多いはず。それは、コシヒカリ誕生50年の記念のこの年に、我が「げんき米」が、とあるイベントで、なんと・・・・福井県を代表して東京に上京する事になったのだ。(やった〜!)
 高須町の棚田で作られた美味しいコシヒカリが東京に行く事になったきっかけはFBC川島アナであるが・・・その経緯は来月のイベント終了後に詳しく紹介します。(待っててね!)
 それから【五月の十一/高須町をPRしよう!】でも少し紹介したのだが、このH・P宛に福井県の環境ふくい推進協議会から一通のメールを頂いたのだ。それはこのような内容だった。
「環境ふくい推進協議会では冊子(みんなのかんきょう)を年4回発行しており、その中の「ふるさとの環境自慢」というコーナーがあり、県内各地の自然環境などを紹介しています。次号(7月中旬発行予定)高須町(城山や棚田)の紹介をと考えておりましたところ、貴H・Pが目にとまりました。つきましては、原稿執筆をお願いできないかと思います」
 この「みんなのかんきょう」という冊子だが、各市町村、公民館、小中学校そしてショッピングセンターなど県内に3,200部配布されている人気の冊子らしいのだ。(恥ずかしい話だが、私は知らなかったのです。実は、田中先生から聞きました。さすが理科?の先生!)
 この「みんなのかんきょう」担当の福井県環境政策課坂本様と電話で内容などをお聞きしたところ、その日のうちに坂本様は私の店に前号数部を届けて頂いくご親切さに「これは高須町には良いお話だ。是非、書かないと!」と、考えたのだった。そこで、直ぐに地元・佐々木さんを通じて植木御大にご報告したのだが・・・「うん!これは・・・いいね!是非、紹介して頂こう!」と、二つ返事の植木御大だった。
 冊子には、文字数制限があるため高須町の全ては書ききれない原稿となったのだが写真も何枚か掲載して頂けるらしく、私は高須城日記とは違う、真面目路線で「みんなのかんきょう」の原稿を書いたのだった。(高須城日記もマジメですよ、一応!)
 そして本日、その原稿内容を高須町の植木御大に見て頂くために車を高須町に走らせたのだった(今日は、暑い!)。植木御大は私の原稿を微笑みながら読んでいく。「うん、いいね!これで、いいよ!」と、OKサインが出た。やっと安堵となった私。すると、植木御大が「今、川島さんがここに来るよ!」と、言われたのだ。この数日、毎日のように高須町と会社との往復で忙しい川島アナだが、現住所が高須町となる日も・・・そう遠くはないようだ。(それは、無いか!)
 7月中旬に発行の「みんなのかんきょう」が楽しみなのだが、私たちがこの冊子を見るためには学校か公民館で見るしか手はなく、植木御大曰く「高須町と棚田オーナーの分を貰ったら!良い機会だから」と、言う話になってしまった。  担当の坂本様にお願いして高須町全戸分と棚田オーナー分の部数を頂かなくてはならない。(坂本様・・・150部程、お願いします!次回の棚田オーナー集合時、受付で配布します!)
 さて、水曜日と言えばFBCげんき米プロジェクト「高須城ものがたり」の放送日だ。ところで今週のリアルタイムふくいは司会が後輩の江守美穂ちゃんだが・・・まあ、いいか。
 今回は、日曜日に高須城小学校で開催された体育祭が映しだされた。第六話目となった今日のサブ・タイトルは・・・〜長寿の秘訣は「運動会」?!の巻〜だった。(なるほど!長寿と運動会か・・・上手い!)
 冒頭では高須城小学校の二人の児童からの可愛い招待状を紹介した川島アナだが、この招待状は私たち棚田オーナー全員に配られたもので、とても心が和む招待状なのです。そして、高須城小学校が東海・北陸で児童数が最っとも少ない小学校であることを紹介した川島アナ。(寂しいですね!でも、二人の児童はいつも笑顔で元気です!)
 そして、運動会の様子を次々と紹介して行く。高須町の運動会ならではの種目を取り上げた。「太公望」「縄ない」「大根おろし」と、紹介されていった。(あっ!私が写ってしまった!)「おい!やっぱりテレビって、太って見えるよな!」と、私が言うと「・・・だって、太ってるから!変わらないよ!」と、妻の一言。(あ〜、そうかい!)
 地元の皆さんや参加した棚田オーナーの楽しそうな表情が画面からも伝わってくる。塾帰りに、横で一緒にこの放送(録画)を見ていた次男も顔が笑っている。「やっぱり、高須はいいや!」と、完全に高須大好きな子供になっている次男。
 最後のスローの部分では、佐々木さんの次男(中1)がリレーで先を走る大人が転倒した足に触れ、巻き込まれて横転するシーンには「痛そう!」と、顔を歪めていた。
 川島アナそしてカメラマンの方、お疲れ様でした。さすがプロ、良い映像の数々でしたね。(カメラマンの方に一言。「あの・・・一気飲み競争の貴方は・・・速すぎます!」カメラマン1位・・・地元の方2位・・・私3位・・・川島アナ4位、川島アナはラムネをチョイスしたのだが蓋が開かなくて時間がかかったのだった!)
 棚田オーナーの皆さんFBCの川島アナやスタッフの参加により大いに盛り上がった高須町の体育祭・・・いや、運動会でした。地元の皆さんの笑い声が高須山にこだましていましたね。「楽しかった・・・!」と、最後に次男。(まだ、言っているのです!)

△男の酒のつまみ・・・126
 玉子豆腐素麺
 本日の気温28度。「暑いですね!」の挨拶に晩酌には冷たい物をとお昼から考えていた私。市販の玉子豆腐(汁付き)少量の素麺を盛る。意外とイケルこの美味しさ!ただ、素麺はホントに少量にして下さい。汁が少ないからね!実は素麺汁(薄め)で試したのだが・・・悲惨な結末だった。


高須城日記V(夏前編)に続く


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