高須城日記V(春前編)


(平成十八年度・棚田オーナー/福井市 藤田幸治)


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【四月の一/可愛い子には旅を・・・!】4月2日(日)

 早いもので、もう四月となった。日々、呑気に生活しているのだが月日の経つのはやはり早いものだ。
 先週初めだが帰宅した私に二男(小6でいいのかな?)が玄関先まで飛んできて慌てた様子で話かけてきた。
「お父さん!FBC川島さん大島さんが今週で終わりだって!」
「えっ!嘘」と、驚いた私。
「だって、夕方いちばんで川島さんが言ってたよ!」
「本当に・・・!」
「うん!」確かこんな会話だった。
 4月・・・、どこの会社や公務員でも異動などがある時期なのだが、それはテレビ局でも同じ事。見慣れた番組が終わり、そして新番組が始まる。だから川島さんも大島さんもそうなのかと、考えていた。(寂しい!)
 昨年の春、高須町の棚田で始めて合い、そうそうあのオニギリを食べた写真を撮った日だった。あの日から迷惑も顧みず、馴れ馴れしく取材だのインタビューだの飲み会だの誘ってきた私たち。でも、嫌な顔も見せずに笑顔で付き合ってもらった川島アナと大島アナ。棚田での米作りがどれほど昨年一年間の反響を呼んだか計り知れない。夕方いちばん「げんき米プロジェクト〜ライススタイル」この番組が高須町を一躍有名と言うか、地名度を挙げてもらったのは言うまでもないことだ。
 そして、川島&大島の絶妙のトークが私は好きだった。ようやく本当の意味で息が合ってきた二人だから、ここで夕方に同じ画面でツー・ショットが見れないのは残念なのである。
 そこで、川島さんに電話をした私。電話の向こうにはいつものナイスガイの川島さんの声
「私は、朝(ズームイン担当?)で、大島は夕方のニュースに廻ります!」
「寂しくなるね!」と、私が言うと
「有難うございます!でも、これからもお世話になります!」と、川島さん。
 そして、川島&大島アナ最後の生放送。私はテレビの前で二人の姿を目に焼き付けていた。(最後じゃないんだから!) 人気の夕刊マンも本日が最後となるらしい。そして、5時4分前、「これで、私達二人でお届けするのは、今日が最後となりました!」と、コメントする川島アナ。横の大島アナも心なしか少し寂しそうな表情だ。そして、いよいよ最後のコメントがあった。「でも、げんき米は私が担当しますので、また、この時間でお会いすると思います!」と、川島アナげんき米宣言が出た。(川島&大島アナ、とりあえずお疲れ様でした。でも、まだまだ取材しますよ!)そして、「FBC夕方いちばんプラス1」「リアルタイムふくい」となります。(これからも、もちろん見ますよ!)
 さて、昨日の事になるが我が藤田家では早朝より家族全員があれやこれやと大忙しとなっていた。原因はというと、長男が今日から進学のため名古屋に行くからである。電化製品は直送となっているものの、大半は軽トラと乗用車の2台で運ぶことにしたのだ。べッド・自転車・ラック・机・椅子・布団・・・そして、忘れてはならない高須産・コシヒカリを乗せ、私の運転する軽トラは助手席に二男(小6)が座り、10時前に自宅をでた。妻と長男は親戚などに挨拶廻りのため11時過ぎに福井を発つ予定となっている。(たぶん!)
 自宅を出ると、まずはガソリン・スタンドで満タン給油となった。「満タン、4,350円です!」(軽トラ)と、店員。本当に高値が続くこの原油高。そんな事を考えながら車は8号線を走る。妻の運転する乗用車と到着時間を合わせるためにと、高速利用は武生から、いや越前からと決めていた。途中のコンビニでドリンクを買う。オニギリは用意して二男の前の袋の中にある。高速道路に入ると土曜日というのに交通量が少なく感じられる。(北陸道だからか?)
 前々日まではこの区間(木の本まで)チェーン規制がかかっていたのだが、本日はポカポカ陽気で春模様。楽しいドライブになりそうだ。軽トラということもあり追い越し車線の大型トラックが横を過ぎると煽りを受ける。敦賀手前のトンネルが続く所にくると、二男は「えっ!このトンネル、1キロもある。あっ!ここは短いね」と、楽しんでる様子だ。
 私は、好天に恵まれた事もあり高速を走り出して直ぐにはなるのだが、杉津PAで休憩することにした。晴天の日に、この杉津PAから眺める日本海の景色は最高だからである。車を止め、二男と共に景色を眺めデジカメでパチリ!(何故か、Xサイン!)

「ここの、お蕎麦は美味しいよ!」と、二男に言うと「食べよう!」と、二男が言う。そこで、親子できつね蕎麦(330円)を注文する。ネギをたっぷりとのせ、一気に口の中へ。
 私は北陸道の中では、ここ杉津神田の蕎麦が昔から好きなのである。二男の様子をみると、「美味しいね!」と嬉しそうに食べている。「何で、ここが美味しい事を知っていたの?」と、聞く二男。「だって、ここは有名だから!」と、答える。(答えになっていない!)「この前の高須で食べた、佐々木さんのお蕎麦と、どっちが美味しい?」と、聞くと「どっちも美味しいよ。だって、両方とも最高の景色の中だから!」と、答えてきた。(こいつ!)
 約15分の休憩で杉津PAを出発。敦賀を過ぎると道の両脇には残雪が見られた。安全運転を心がけ制限速度の80キロを守っている。(何故か、スピードメーターは110キロ!)長浜を過ぎる頃には、助手席の二男は満腹&早起きのため、スヤスヤと寝息を立てていた。すると、その二男の顔の上の車窓から雪景色の伊吹山が私の目に飛び込んできた。
「わっ!綺麗」の私の声に、二男が起きた。「何が?」「ほら、左の山、見てごらん!雪の伊吹山だよ」「わっ!凄い」と、デジカメを構える二男。「あっ!邪魔だ。あっ、まただ!」と、中々その伊吹山を被写体に出来ない二男。(田中先生を思い出した!)その二男が写したい伊吹山だが、米原から名神高速に入った所でようやくデジカメの中に入ることとなった。(二男と伊吹山との格闘、15分!)

 さすが名神、交通量も多く福井ナンバーの車は見当たらない。お決まりの覆面パトカーも登場して路肩で違反車を止めている。(無視!)関が原そして長良川と二男はデジカメで撮影している。(訳が分からない!)そんな時、二男が言った。「ねえ、お父さん。お母さんとお兄ちゃんはもう福井出たかな?」「さあ!あの二人は呑気だからね!」「そうだね!」(関係ないが、私と二男はA型。妻と長男はB型である。)
 そんな噂をしていると、携帯が鳴った。二男がでると妻からで今、高速に乗った(福井インター)とのことである。(やっぱり!)「お父さん、お母さんがゆっくり行ってって言ってたよ!」と、二男。(もう、一宮だ!)
 長男が移るワンルームマンションは、千種区にある。予定ではここ一宮からそのまま名古屋高速で吹上(ふきあげ)まで行こうと考えていた私。しかし、相手が相手(妻たち)。ここは途中から高速を降りることにしたのだ。楠J(くすのき・ジャンクション)をわざと過ぎ、勝川で高速をおりた。
 これには意味があったのだ。しばらく走ると正面にプロ野球中日ドラゴンズの本拠地、ナゴヤドームが見えてきた。「ほら、名古屋ドームだよ!」と、二男に言うと「わっ!凄い!初めて見た」と、感激の二男。「お父さんはもう何十回もドームに行ったことあるんだよ!」と、少し自慢。「いいなあ!」と、二男。(二人とも、大の巨人ファンなのに!)
 名古屋市内には少し詳しい私、長男の住所の書いた紙だけを頼りに車を走らせていた。名古屋市内中心部に入ると、信号待ちの連続が待ち受けていた。すると「渋滞だね!」と、二男。「これは、いつもだよ。渋滞じゃないから」と、説明すると不思議そうな顔の二男。福井市内、それも駅前に慣れているはずの二男だが、やはり名古屋に来ると、ただの田舎者になっている。(私も同じだ!)
 前方に東山公園の案内標識が見えてきた。「ここを曲がろう!」と、左折した。約300m走ったところに長男が本日から新しい生活をするマンションが見えてきた。「お父さん、凄いね。道に迷わなかったね!」と、二男。到着時刻12時22分だった。このマンションだがその前の道路は一方通行で道幅は車一台分しかない。私の軽トラには、荷物が積んである。妻と長男がここに着くまで待つしかない二人だ。(鍵は長男が途中で管理人から受け取るため)車はマンションギリギリの路肩に止めた。(軽トラでよかった!)
 狭い軽トラの中、二男は退屈なのか「お父さん、探索に行ってくる!」と、このマンション付近を歩きだした。そんな時、妻から2回目の電話が入った。「今、一宮に着いたから!」(遅い!)「気を付けて来てね!」と、私。
 妻と長男は一度だが、2週間前にここに下見に来ている。しかもナビ付き。「いくらなんでも、道に迷う事はないだろう!」と、この時は思っていた。二男が探索から帰り、再び車の中に戻った。携帯のゲーム機や単行本を交互に手に持ち楽しんでいるのだが、明らかにイライラムードが感じられる。(この時、13時30分!)
 この4月1日は、引っ越しが多いのか近所のマンションや長男のマンションにも次から次へとトラックが来て、大きな荷物を運送業者が、そして日用品の入った紙袋を両手に抱えた親子が何往復もしていた。車のナンバーを見ると、「浜松」「神戸」「富山」と色々だ。
 私と二男は、ただその様子を軽トラの中で見るしかなかった。ただ、先程からこのマンションの入居者を見ていると、若い女の子が多い事に気づいた私。(いいな!)
 午後2時、「お父さん、お母さんたちはまだかな?」と、言い出した。(もう限界かな!)「いや、もうすぐだろうから荷物を降ろそうか!」「うん!」と、私たち二人の作業が始まった。軽トラからマンション内の自動ドアの前までの作業だった。(鍵がないから!)しかし、この作業も約15分足らずで終了した。「僕、電話するね!」と、二男は私の携帯を手にした。「お母さん、今どこ?」と、早口の二男。(この時、名古屋駅前のマンション管理会社で入居の説明を受けていた)「ふう〜!」と、溜息の二人だった。しかし、荷物を降ろしたことで後部が空いた状態になっている軽トラ。二男はその後部で大の字で寝っころがっている。運転席の私は、しばしば外に出て背伸び程度を繰り返しているものの、車からは離れられないでいた。(駐禁があるため!)
 名古屋到着から約3時間。ようやく妻と長男が着いた。笑顔の中にも申し分けなさそうな二人の表情があった。まさか!と思い「道に迷った・・・って事はないよな?」と、聞いた私。「・・・」(どうやら図星のようだった!)しかし、今その事を怒ってはいられない。直ぐに長男に部屋に鍵を開けさせて荷物を運び入れなければならない。そして、もう一つ・・・私と二男・・・・トイレの・・・限界寸前だったのだ!
 長男の部屋はマンションの4階。エレベーターを利用するものの他の入居者の利用もあり、中々捗らない。ワンルームではあるが、まあ、いい部屋ではある。ここが長男の新生活の拠点となる。しかし、今はそんな事は関係なく、次から次へと荷物を運び入れる。中では妻&長男&二男が梱包された段ボールを取り除いている。(二男は梱包用の発泡スチロールと笑いながら格闘している!スチロールのちぎれたものが静電気で二男の服に付くのだ!)
 約1時間後、どうにか作業が終わりつつあるようだ。私は、不要になった段ボールを再び軽トラに乗せる。長男と妻はラックなどの組み立てをしている。二男はまだ、格闘中だ。私はこのまま福井にトンボ帰りとなるが、妻&二男はこの部屋で泊まる事になっている。「じゃ、しっかり頑張れよ!」と、長男に言葉をかけ、マンションを後にした。(この時、5時過ぎ!)
 名古屋中心部を走りだした。どの道から帰ろうかと、考えていたのだが、時間的に本当に渋滞に巻き込まれそうだった。 無難に中日新聞社横を過ぎ、岐阜方面を目指す事にした。一宮インターまでは約20分。横には二男の姿もなく、一人寂しくとなる帰路になった。一宮インターから高速に乗り快調に福井を目指す。「帰りはゆっくりと、帰ろう!」と、アクセルは緩めとなっていた。(メーターは・・・100キロ!)
 北陸道に入る頃には夕暮れになっていた。交通量も少なくなり、ただボンヤリとハンドルを握っていると、何故か長男の顔が浮かんできた。
 生まれたての頃、初めてその顔を見て考えていた名前を呼んだ時、私の顔を見た。(偶然だ!)オムツを交換すると何故か喜んだ。(何回かしか経験ない!)お風呂に一緒に入り、アニメソングを歌った。(歌を覚えていない!)
「お父さん!電車を見に行こう!」と、自転車の後ろに座り、私の腰にしっかりとしがみついていた。バスケットの覚えたて、私のドリブルを真似て練習をしていた。中学3の卒業式の朝、「お父さん、祝辞頑張って!」と、応援された。高校に入り、雨や雪の中でも毎日を自転車通学した日々。
 それが、今は一人暮らしをするようになった。子どもの成長は早いものである。4年間のこの名古屋での生活が長男にとって長い人生の貴重な経験となることは間違いないだろう。不安と戸惑いとそして、新たな友との出会いが人間として男として、大きくなるはずだ。「可愛い子には旅をさせろ!」とは、少し意味が違うかもしれないのだが、我が子の成長を楽しみたい心境となっていた。


△男の酒のつまみ・・・102
 生わかめを水洗いし食べやすい大きさに切る。鳥肉もボイルしてスライス。キュウリ&みょうがも細く切り、ラップして冷蔵庫に!酢のものにしてもゴマタレでもOK!


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【四月の二/黄砂にふかれて・・・】4月5日(水)

 自宅近くの足羽川の(全国桜100選)も、ほんのりと色づきかけてきた。2月まで雪置き場となっていた場所には観光バスの駐車場となっている。堤防歩道には提灯ボンボリが飾られ夜になると、まだ蕾の桜をほのかに照らしている。河川敷には「※ふくい春祭り」の屋台が準備を初め、恒例となった「越前時代行列」(4月9日)の到着を待つばかりとなっている。

※ふくい春まつり・・・今年、第21回目を迎える。期間は4月1日から31日まで。9日の日曜日には勇壮果敢な越前時代行列が市内中心部を練り歩く。今年は、千百人の行列となる見込みで、注目の柴田勝家には俳優の的場浩司さんが演じる。音楽隊・そして、武者隊には松平軍(松平春嶽隊、結城秀康隊)新田軍(新田義貞隊、新田義宗隊、脇屋義助隊)朝倉軍(朝倉宗滴隊、浅井長政隊、朝倉義景隊)柴田軍(柴田勝家隊、お市の方隊、佐々成政隊)が行軍する。
 この時代行列のコースだが、県庁(福井城跡)で正午に出陣式を行い、12時30分にスタートする。県庁を南下し駅前電車通り(福井西武前)を西へ、大名町交差点からは北上し裁判所交差点からは再び西へ。さくら通りから呉服町通りに入り九十九橋から足羽川左岸河川敷までとなる。この河川敷にはステージがありそこで御馴染みとなっている、各隊の口上や勝家&お市の方の時代絵巻が見られる。この時代行列の頃には、おそらく桜並木の桜も満開となり、美しいひと時のタイムスリップを体感できることになるだろう。是非、見てくださいね。また、夜にはライトアップ(9日まで)もあり夜桜も楽しめます。

 さて昨日の昼頃だが、福井市内の空が何だかぼんやりと霞んで見えた。気のせいかと思っていたのだが今日の新聞で原因が分かった。「黄砂」だった。この黄砂だが、中国大陸の砂漠の砂が嵐などによって巻き上げられ、偏西風に乗って2〜5日間で日本に来るものだ。特に春先に多く、年に数回、また多い年になると十数回の黄砂が日本に飛来すると言うのである。
 中国の砂漠が広がるというのもここ数年の話題になっていて深刻な問題となっている。そして砂漠化を少しでも防ごうと日本や世界各国から樹木などを植えるボランティアグループが増えているそうだ。しかし、その一方では中国国内での過剰な放牧や耕地事情があり、この砂漠化現象や黄砂などが問題視されている。黄砂が頻繁にみられると、農作物に多大な被害をもたらし、また、環境面や健康面でもマイナスとなる部分が多いのだ。
 関係ない話かもしれないのだが、昔はスモッグ注意報というのがあった。最近は聞かれないのだが、この黄砂も注意報を出してほしいものだ。(無理かな!尚、この黄砂だが連続して飛来する場合があるのでこれも注意して下さい。)
 我が藤田家も先日、長男が名古屋に行き、少し寂しい5人家族となった。夕飯では妻がオカズを6人前用意したり祖母がお風呂の順番で長男の名前を呼んだり、まだまだ慣れない様子となっている。二男(小6)も自分の部屋から無人の長男の部屋に行き、「お兄ちゃん!ゲームしよ!」と、声をかけている。「あっ!・・・居ないんだ!」と、自分で苦笑いをする始末。私が可哀想に思い「何のゲーム?お父さんとしようか!」と、言うと「お父さんではこのゲームは無理だよ!」と、そっけない返事が返ってくる。まあ、この長男一人が不在の珍現象は今暫く続きそうな我が家である。
 明日6日は、いよいよ二男も学校が始まる。今年度からは福井市内のほとんどの小中学校で2学期制となるのだが、今いちこの2学期制が馴染めない保護者が多く見られる。「夏休みは、どうなるの?」「通知表は2回だけ!」と、こんな話題がよく聞かれるのだ。昨年から今年の初めにかけて、市教育委員会から学校を通じて各家庭に、この2学期制についてのパンフが配布されているのだが「見ていない!」「あったけど、読んでいない!」と、言う保護者がいるのだ。興味が無いのか、それとも子どもの事は全て学校任せなのか、「ほんとに親なの?」と、疑いたくなる事が多いのだ。(人の事を言えるか!)
 それで・・・話は戻し、その「2学期制」なのだが、1学期の終了は10月中旬(10月第2週の土曜日まで)となり、また、10月中旬(10月第2週の日曜日、つまり月曜日)から2学期の始まりとなる。(通知表は2回)春休み・夏休み(多少短くなることもある)・冬休みは、ほとんど従来のままとなる。また、小学校の保護者懇談会や中学校の三者懇談も従来通りに年3回のままだ。
「じゃ、どうして今のままではだめなの!」と、言う質問があるわけなのだが、「ゆとり教育」として、完全週5日制の導入により、授業時間の減少が問題となっていたわけだが、終業式と始業式が(中学校では定期テストも)それぞれ1回減る事により、小学校では10時間程度、中学校では30時間程度の授業時間を増やす事が出来るらしい。これによって、ゆとりのある授業が出来るようになり、先生は児童や生徒一人一人の学習能力を考慮した指導が出来るという。
 昨年度、福井市内で7校の小中学校がモデル校となり、2学期制を試行してきたのだが、ほぼどの学校も大きな問題もなく導入できたと聞いている。「何事も慣れ」とは言うが2学期制は、これから各学校でまた保護者との対話の中、慎重に進めて行かなければならないだろう。


△男の酒のつまみ・・・103
 蒟蒻と竹輪の煮物!酒のつまみは基本的には簡単に調理出来てすぐに食べれるものがいい。冷蔵庫を覗くと板蒟蒻と竹輪が数本あった。板蒟蒻は縦に6〜7枚に切り、竹輪は斜め切りにする。ついでにピーマンもあったので縦に4等分に。簡単便利の寿がきやのだしを水で薄めて好みの濃さで煮る。ダシは少なめの方がいいですよ!


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【四月の三/ちょっと、高須町まで・・・】4月9日(日)

 晴天の日曜日となった。本日行われる「越前時代行列」に合わせてか桜もほぼ満開となり、近所の桜並木もこの時期ならではの、桜の回廊となっている。足羽川の九十九橋付近のステージではその時代行列の最終地点という事もあり、多くの見物人や桜見の人々が出ている。近くの道路も一部、通行止めとなり・・・仕事中の私にとっては・・・「ん〜ん・・・非常に不便!」と、なっている。
 家族連れや恋人同士で歩道も人・人・人となり、道路も車・車・車で渋滞となっている。
 そんな午後、数日前から「高須町に行くよ!」と、硬い約束をしていた二男(小6)は、・・・急遽、ボーイスカウトの行事となり、その時代行列の警備?となった。(おい、おい!)
 で、・・・先週から会う度に「日曜日は天気がいいから、取材がてら高須町にいきましょう!」と、御馴染みとなる田中先生とも約束をしていた。
 年度替わりで学校では先生たちは忙しいのだが、そこは、気分転換にと、田中先生を誘っていたのだった。「空いた時間にお電話します!」と、その田中先生からの電話を待っていたのだが、中々電話はなく、すこし退屈な時間を過ごしていた私。そこで、高須町の佐々木さんの携帯に電話をしてみた。
「・・・・・」と、呼び出し音は鳴るのだがつながらず、「仕事かな?田んぼかな?」と、一人で想像していた。妻は朝から名古屋へ行った長男の空き部屋を掃除している。(まあ、誘ってもこないだろう!)そこで、一人高須町へ行く事にしたのだ。「田中先生からはそのうち電話あるだろう!」と、携帯電話と取材用のノートを持ち、車に飛び込んだのだった。「どこへ行くの?」と、妻。「ちょっと、高須まで・・・」「そう!」と、簡単な夫婦の会話でエンジンをかける。
近所の信号待ちでは、渋滞のため普段の3倍の時間をかけて通過する。(何だ、こりゃ!)
 少し風はあるものの、暖かいポカポカ陽気となっている。「春だな!」と、独り言を言いながら高須町を目指す私。通い慣れた道の為か、途中では歌を口ずさんでいた。木米町や一王寺町ではすでに田んぼに人が出て作業をしていた。ゴルフ場の道では途中何ヶ所かに車が止めてあり、おそらくいつもの山菜採りであろう。(ルールは守りましょう!)
 高須町に入り、佐々木さんのお宅に着いた。「車はある!」と、在宅を確認し「ちわ〜!」と、玄関を開けた私。しかし「・・・・・・」家の中からは返事が無く、佐々木さんは農作業中だと考えた。しかし、ここからが問題となるのだ。そんなに広くない高須町だが、個人の田んぼはこの町の中に何ヶ所にも分かれているのだ。「どこの田んぼだろう?」と、考えた私。まず、車で1ヶ所目を目指した。道の上から下に広がる棚田を見渡した。2年前、あの豪雨の被害を受けた棚田だ。しかし「いない!」。で・・・「上か?」と、再び車を走らせた。高須城小学校横を通り少しの高台から棚田を見た。「いない!」。それじゃ・・・と、三度車を走らせた。途中の高須町の育苗倉庫では何人かの皆さんが、無花果の作業をしていた。高須町から鷹巣町までの道。「ここに、いなかったら帰ろう!」と考えていた。佐々木さんの田んぼで私が知っている田んぼは、これが最後だった。3年前の・・・この高須城日記・第1話に登場した・・・二男(当時、小4)と、佐々木さんの息子さん二人(当時、小6と小5)が初めて出会った・・・あの田んぼだ。「もう3年も経つのか!」と、懐かしく当時の事を思い出しながら車を走らせていた。
 車の正面右手には、遠くの白山連峰にはまだ残雪が見られていた。途中には道路工事があり、徐行すると下の棚田に人影があった。幾つかの棚田に二人、三人と農作業をしている。
「ん・・・ん!」と、目を凝らして見ると、手前の川岸横に木棒を振り回す少年がいた。佐々木さんの二男(中1)だった。「あっ!いた」と、思わず声をあげた私。「お〜い!」と、声を出すと私の車に気付き「お〜い!」と、返事した佐々木さんの二男、車に駆け寄って来た。「お父さんは?」「いるよ!ほら、あそこにお兄ちゃんと・・・」
 指差す方向を見ると、確かに田んぼに入り作業をする佐々木さんと、それを手伝う長男(中2)がいた。私は車を路肩に止め、川づたいからあぜ道を通り佐々木さんの田んぼに歩いた。私の姿に気付いた佐々木さん「おう!どうしたんやの?」と、いつもの笑顔で声をかけた。「うん!あまり天気がいいから、取材でもと思ってさ。多分、佐々木さんが作業してると思っていたから・・・後で、田中先生も来るから」「ほんとに!」いつもの二人の会話だった。春先のこの時期になると、特にこのような天気のいい時には仕事は多くあるものだ。
 佐々木さんは棚田に小川から水を引き田んぼの土の状態を見ている。小川の水源近くには水の調整をする長男がいる。あぜ道には、何本かの杭、そしてスコップ・鎌・鍬がある。
 私がお邪魔した事で、喫煙タイムとなったのだがそれも毎回の事だ。(まあ、いいか!)
「先生は、いつ来るの?」と、佐々木さん。「もう直ぐだと思うよ!」と、答えた。すかさず携帯電話を見たのだが、何とここは圏外で・・・通話はもちろん出来ないのだ。「まずい!」と、私は車に戻り圏内を探した。「そうだ!佐々木さんの家の前なら・・・」と、車を走らせた。もし、田中先生から電話や、先生が最近お気に入りのメールがあれば申し訳ないからだ。もしや、もうここ高須町に向かっているのかと、電話をかけてみた私。
「・・・・・はい、田中です!」と、先生。
「先生、今どこ?」と、聞いた。
「すいません!今、ちょっと・・・・」と、口を濁した先生。
「どうしたんですか?」と、聞いた。
「今ごろ、なんだと思われるでしょうが、家の周りの雪囲いを外してるんです。中々、忙しくて出来なかったものですから!」と、先生。
「そうですか!」と、私は答えたのだが、何かと言えば先生を頼りにしていた自分を恥ずかしく思っていた。教職員の異動や勿論、学校全般の事、そしてたまの休みは家庭の事をやらなくてはいけない先生の多忙さを忘れていたのだった。しかも、珍しく好天に恵まれた日曜日だという事も重なり、やる事はいくらでもあるのが当たり前のはずだった。
「じゃ先生、今日はご自宅で作業して下さい」と言った私に
「すみません!」と、誤る先生だった。電話の後、再び佐々木さんの作業する棚田に向かった私。佐々木さんに田中先生の事を話すと
「そう、先生も色々と忙しいの!」と、笑顔の佐々木さん。
 暫くすると、バケツに肥料を入れ水の入った田んぼに蒔き始めた佐々木さん。これは田んぼの土の肥料だ。黒の小さな丸のもので、右手にその肥料を掴み、田んぼに均等に蒔くていくのだ。熟練の技
「機械で蒔くのもいいのだが、やはり手蒔きが自分には合う!」と、佐々木さん。見ていてその技に感心してしまった私だった。何かお手伝いをとも考えたのだが、そこは素人同然の私、暫くあぜ道にてその作業を見学していたのだった。近くの棚田でも忙しそうに何人かの方が作業していた。ポカポカ陽気の棚田に春の日差しが差し込んでいる。ふと、あぜ道横をみると、土筆(つくし)が顔を覗かせていた。そして、その横には少し大きくなったフキノトウもある。私は、何本かのフキノトウを摘み、再び佐々木さんの作業を見学していた。
 ここで、先程から何かいつもの棚田に足りないものを感じていた私だったのだが、ようやく気付いたのだった。何回かこの佐々木さんの棚田を訪れた時、田んぼの回りを忙しそうにあちらこちらと動き廻る、佐々木さんのお母上が・・・本日は、見えないのだ。
「佐々木さん、お母さんは?」と聞いた私。
「実は・・・」と、佐々木さん。少し深刻そうな表情だった。
「実は、昨日・・・転倒して膝を骨折したんやわ!」と、答えた佐々木さん。
「えっ!それは大変やが・・・」と、少し大声の私。
 佐々木さんの話によれば、昨日の朝、農作業を始めようと道路に出た時に、つまずき膝を打ったお母上。その日は、簡単な打撲ぐらいだろうと思っていたらしいのだが、夜になっても痛みが増して中々眠れない・・・。これは、打撲だけではないと、本日の朝、病院に行きレントゲンを撮ったところ、骨折と判明したらしい。
「で、入院したの?」と、聞いた。
「うん!手術するから、暫く入院する事になった!」と、佐々木さん。
 私と佐々木さんは同じ年、そして佐々木さんのお母上と私の親父も同じ年。この高齢での骨折は大変であるのだ。ギブス&リハビリと続く事になる。そして、何よりも大変なのは・・・そう、これから忙しくなる農作業のこの時期に、佐々木さんの先生役でもあるお母上が少しの間だがリタイヤとなることなのだ。勿論、佐々木さんも農家としてプロではあるのだが、やはりその師匠であるお母上の姿が無いのは寂しいものである。(我が家も同じである!)
 3時過ぎ、肥料蒔きも終わり作業道具を軽トラックに積んだ佐々木さん、一度自宅に戻るのだが長男と二男は荷台にいる。高須町では見馴れた光景だ。(鷹巣交番の小西さんには内緒!)自宅に戻ると、佐々木さん今度はトラクターを出してきた。燃料を入れ、エンジンをかける。独特のそのエンジン音だ。これからこのトラクターでまた田んぼで作業をすると言う。しばらくのひと時だったが美味しい空気を満喫した私。ここで帰路につくことにしたのだった。(邪魔になるから!)
 春風が少し寒く感じる高須町、そんな棚田では地元高須町の皆さんの田植えの準備が始まっている。行き交う町の皆さんと、少し顔馴染みの挨拶となっている私だが、この高須の町でも、やはり高齢化の波は押し寄せている。でも、毎日を元気で棚田に向かうその姿がある以上は、この高須町はまだまだ熱く感じられる。優しい笑顔で私たちを迎えてくれる、今年の棚田オーナーも、もうそこまで来ている。
 来月には「お帰りなさい!」と、高須町の皆さんと美しい自然が、そして棚田も・・・声かけてくれるのである。


△男の酒のつまみ・・・104
 少し大きくなったフキノトウ。葉の部分を取り、よく水洗いする。勿論、まだまだ天婦羅でも美味しいのだが、本日は豚肉と甘辛炒め。フキノトウの苦味が・・・たまらなく・・・酒に合うのである。


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【四月の四/川島アナ2年目の「げんき米」スタート!】4月12日(水)

 まだまだ朝夕、寒く感じられるのだが、それでも日昼は春の模様。桜も満開となり、花見に訪れた人々がデジカメやカメラ付き携帯でパチリ!と写している。

足羽河原では夕方になると、会社帰りの仲間がシートを敷き、夜桜の宴となっている。当然、火気厳禁の河原なのだが、この時期ばかりはと、持ち込んだバーべキューを囲む多くの姿がある。(ゴミは必ず、持ち帰りましょうね!)「乾杯!」と、大いに盛り上がるその宴だが、中には「クシュン!」と、クシャミをする人も多いのだ。そう、夜の花見は・・・いささか寒いものである。(でも、最高に綺麗です!)
 そんな本日だが、朝いつものように新聞に目を向けると「おっ!」と、声を上げた私。テレビ欄の中のある箇所に集中していた。それは、・・・お待たせしました。今年も、やります「げんき米!」の文字だった。
 昨年のFBC川島アナウンサーとの「あぜ道インタビュー」の中で、「来年も高須町でやりますから・・・」と、聞いていた私は、番組マル秘情報?を考えこのホームページでの掲載を控えていたのだ。(う〜ん、しゃべりたかった!)
 そして、先月末の事だが「明日、収録で高須町に行きます!」と川島アナから聞いていた私。いよいよ、今年の「げんき米」が始まるのだと、少し嬉しく興奮していたのだった。
 私たち棚田オーナーより、約一月前に始動となる川島アナだが、昨年からのコシヒカリ「げんき米」作りでの独自の勉強は並大抵のものではないはずだ。当たり前の話ではあるが、番組作りは予備知識を必要とするのである。昨年は初体験の米作りとして、一つ一つの工程が視聴者に分かりやすく伝えられたと高須町の植木御大が語っておられた。しかし、同じ事を2年も・・・とは、番組構成上いかないのも事実だろう。きっと、川島アナも悩んでいたはず。(素人に何が分かるか!)そんな事を考えながら、私は夕方にはテレビの前にいたのだ。(勿論、正座です!)
 新聞には、「コシヒカリ誕生から50年!げんき米2006スタート」と、なっている。そして、その紹介では「こしひかり誕生50年。今年も『げんき米プロジェクト』がいよいよ始動。昨年の収穫から半年がたち、川島アナウンサーが福井市高須町を訪ねた。」と、書いてある。(うん!楽しみ)
 4月12日水曜日、午後5時7分。今年の「げんき米」がスタートしたのだった。気になる新タイトルは・・・「げんき米プロジェクト・高須城ものがたり」第1話《種もお目ざめです〜の巻》だった。(そう来たか!)
 半年ぶりに高須町を訪れた川島アナ。この日はあいにくの雪模様で傘をさしての登場となった。その川島アナの注目のスタイルは・・・・昨年と同じだった。(何故か、似合っているから不思議だ!)
 まず、最初に訪れたのは高須町集落センター横の白山神社だった。昨年末の大雪と落雷により木の枝が折れ、神社本殿の屋根を直撃していた。神社の前にある、狛犬も台座から落ちていて自然の怖さを改めて思い知らされたのだった。次に立ち寄ったのは、町内の湯口さんのお宅だった。湯口さんの奥様に神社の事を聞く川島アナだが、何故か椎茸栽培の現場(山の中)に同行となった。季節はずれの雪から大切な椎茸を守ろうとビニールシートを被せに出向いた湯口さんと、それを手伝う川島アナ。「大きな椎茸を持ってきねの!美味しいんやざ!」と、湯口さん。鎌を片手に大きく傘を開いた椎茸を収穫する川島アナだった。(高須町の椎茸は、美味しいんやざ!)
 次に訪れたのは、高須町の農業生産育苗組合だった。そして、ここには植木御大が川島アナを待っていた。「植木さん、お久しぶりです!」と、川島アナ。「お元気でよかったです」と、笑顔の植木御大。「今年も、お米を作らせて下さい!」と、川島アナのお願いにも「どうぞ、どうぞ」と、嬉しそうな植木御大でした。歓迎!川島アナは高須町でも大人気です!)
 ところで、作業中だった植木御大だが、何の作業だったかと言うと、お米作りの第一歩とも言うべき大切な作業工程の一つ「催芽」(さいが)だった。この催芽とは種モミをお湯で刺激を与えて芽を出やすくすることを言うのである。種モミはお湯に漬けると芽の一部が殻を破り、発芽態勢に入るのだと植木御大。このお湯の温度だが32度が適正で、その種モミを一昼夜の間、漬けるのだと言う。昔の農家では、自分のお風呂場でその作業を行っていたと言うのだが、今現在でもそうしている所があるらしいのだ。美味しいコシヒカリを作るにはやはり大変な管理体制の中で、人の愛情が必要になる訳なのだ。
 そして川島アナ「ところで植木さん、今げんき米の田んぼはどうなっていますかね?」の質問に、植木御大らしい答えが返ってきた。「今、みんなを待っている状態やね!」(さすが御大!)この後、川島アナは昨年の春から秋の収穫までを共にした棚田を訪れたのだが、まだその棚田は昨年のままで少しの雪化粧となっていた。「懐かしいなあ」と、川島アナ。
 今年も元気に「げんき米!」にチャレンジする川島アナの顔には2年目となる今年に架ける新たな意欲が感じられていたのだった。(私も負けないぞ!)
 そんな事を思いながら第1回目の放送が終了したのだが、「お父さん、今年は大島さんはやらないの?」と、そばで見ていた二男(小6)が言い出した。「今年は川島さん一人じゃないかな!」と、答えると「ふ〜ん!」と、少し寂しそうな二男の顔。(こいつ、色気付いたかな!)
 でも、川島アナの横にはやはりコシヒカリ娘(大島アナ)の姿が似合う・・・そんな事をついつい思ってしまう私でした。


△男の酒のつまみ・・・105
 鳥肉のキムチ焼き!スーパーの鶏肉パック(皮付き)を買った。そのまま調理してもいいが、美味しさを追求するのなら、3分だけ手間をかけたい。鶏肉をそのまま蒸し器で3分
 次に、一口の大きさに切る。コチュジャン(好みの量)と、少しの醤油で軽く下味をつける。フライパンにサラダ油をひき、鶏肉を入れ全体に火を通す。ここでキムチを入れ軽く味を馴染ます。最後にゴマ油を数滴・・・皿に盛り付ける。ネギのみじん切りを上にかけ、出来上がり。味付けはそのご家庭の味付けで・・・どうぞ。


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【四月の五/桜吹雪が手のひらに!】4月17日(月)

 名所となっている桜並木に県外からの観光客や市内の人々も急ぐ足を止め、ピンクの花弁の可憐な美しさを観賞している。しかし、不思議なものでこの桜が満開の頃を迎えると、天候が不順になり雨や風によって花弁が落ちてしまうのである。「花の命は短くて・・・」と、少しセンチになる訳ではないのだが、何かその光景を見ると物悲しさを感じてしまうのである。(そんな、ガラか!)
 次男(小6)も学校の登下校には、足羽川堤防横やさくら通りの桜の下、そして学校横の県庁のお堀を通るのだが、いずれの桜の名所でも「綺麗だね!」と、12歳の春を満喫しているようだ。しかしながら、この桜にも毎年の事だが困る事があるのだ。それは、散った後の処理の事。道路と路肩、そして歩道一面にピンクの絨毯状態になるのだ。朝になると近所の奥様方がほうきと塵取りを持ち、ゴミ袋の中にと入れていく。(これが、意外と大変なのだ!)それは、葉桜となるまで毎日のように続く事になるのだが、これも桜の名所ならではの裏・風物詩?となっている。
 さて、14日付けの福井新聞で福井市田ノ谷町大安禅寺(だいあんぜんじ)で昔の甕(かめ)が裏山で見つかったと記事になっていた。この甕だが、備蓄銭が入っていて他には木札もあったのだ。この木札の裏面には「明応九年七月吉日」の年号と人名、そして花押が書かれていて表面には梵字が七文字あったと言うのだ。この梵字(ぼん字)だが、サンスクリット文字とも呼ばれ、つまり古代インド文字の事なのだ。
 この記事を読んでいた私は「ん・・・サンスクリットって、確か・・・高須町の清慶寺の石碑にも、サンスクリット文字で、天・地・風・水・火と、書かれていたよな!」と、思い出したのだ。高須町田ノ谷町は、そう遠くもない距離で直線距離にして約1キロ程度。「何か関係があるのかな?」と、興味を持った私であった。
 この発見された木札に書かれてある「明応九年」とは、西暦1500年で日本は室町時代である。つまり、この六年後の1506年には、越前の守護朝倉貞景が加賀・能登・越中の一向一揆を鎮定した時代。
 ここで思い出したのは、高須町にあった言われている大きなお寺は高須町から田ノ頭町にかかるもので、つまり高須町から福井テクノポートの方向となり、大安禅寺とは逆方向になるのだ。そして、新聞の記事をよく読むと「当時この地はた泰澄大師(たいちょうだいし)の創建とされる田谷寺の寺域で、四十八の坊舎があった」と、書かれてあった。
 つまり、高須町とは概ね・・・関係がないと言うことなのか。梵字(サンスクリット)の見出しにつられ、少し時代にタイムスリップしかけた私なのだが、それでも歴史の勉強に少しなったと、自己満足していたのだった。
 この発見された備蓄銭と木札の入った甕だが、越前焼きと言うことで、歴史的にも重要だそうで今後、福井市文化財保護センターによって調査を続けていくそうです。
 話は変わり先日の事、我が藤田家には・・・4年目となる「ルル」と言う名前の猫(メス猫)がいる。生後2週の子猫で我が家族の一員となったのだが、近所には大きな野良猫が多くいて、また、外に出ると病気等の心配がある事から、半年後からは首輪に紐を付けて2階のリビングに飼われていた。
 たまに、その紐を外し家の中を散策するのだが、いざ外にと連れ出すと「ふ〜っ!」と、しっぽを太くし玄関付近から遠くに行こうとはしない。2階のベランダがお気に入りの場所で、春の日差しを浴びながら気持ちよさそうに日なたぼっこをしている。 「首輪の紐を外そうか」と、家族会議を開いた事もあったのだが、結局は・・・そのままになっていた。ところが、先日の夕方の事、2階リビングにはルルの姿は無く紐は固定された柱からベランダに伸びている。「また、ベランダにいるのか!」と、その姿を求めると・・・居ないのである。
「ルル!」「ルル!」と呼び、探し回る妻と次男。とうとう、逃げ出したのかと誰もが考えていたのだった。生まれて始めて自由の身となったルル、近所の野良猫との喧嘩、病気にかからないかと妻は心から心配していたようだった。「お腹が減れば戻ってくるさ!」と、私は言うのだが、それでも妻と次男は近所の路地裏などにルルの姿を探していたのだった。
 でも、どうして首輪が抜けたのかとその原因を追究した私。どうやらベランダの外枠に紐が絡み、自分で何とかしようとしていたらしい。しかし、所詮猫の頭・・・絡んだ紐は直すことは出来ず、少しゆるめにしておいた首輪から頭を強引に抜いたようだった。外に連れ出すと誰といても紐があるのに、ビクビクとしていたルル。約1時間の捜査にも・・・姿はなかったのであった。夕食を済ませ、再び近所を探す妻と次男。私は・・・パソコンにて・・・遊んでいた。(白状なヤツ!)
 その時だった、私の後ろで何か気配がした。いや、その何秒か前に「ドン!」という音がした。後ろを振り返ると・・・
 ルルだった。つまりドンという音は、リビングの洋箪笥の上から飛び降りた音で・・・首輪から抜け出した後、逃げ出す事も、「ちょっと、そこまでニャ〜!」と、散歩する事もなく急に不安になり、洋箪笥の上にいたらしいのだ。外から戻りルルの顔を見て安堵の表情の妻と次男。いつも以上に猫可愛がり?をしている。私は「だから、言ったろ!」と何気ない素振りをしていたのだが、・・・内心・・・誰以上に心配していたのだった。(嘘だろ!)


△男の酒のつまみ・・・106
 この時期になると、蕗(ふき)がスーパーなどに出始める。このは他の野菜などと炊いてお煮しめにして食べてもいいのだが、意外な効果があると先日のテレビで解説していた。それは花粉症に効くというのだ。蕗を煮た汁を飲んでもいいのだが、蕗のお味噌汁でも充分にいいらしい。あっ!花粉症で思い出したのだが、もう一つ・・・それは、生姜(しょうが)だと言うのだ。この生生姜を少し切り、後ろ首筋のツボあたりにエキスを付けていく。
 そして、トントンと軽く指先で叩き、後はドライヤーで乾かすのだ。(ドライヤーは近づけないように!)これは、民放の「ウルルン」で中国の魔法の指を持つと言う、有名な先生がスタジオで行っていた。直ぐに、次男にやったのだが、・・・・「鼻がすうすうするね」と、効果があるようだ。(でも、人それぞれ効果が違うようなので気を付けて下さいね!)
 で、蕗だが・・・本日は蕗と鶏でシンプルに煮た。鶏の脂が蕗に入り、これがまた美味しいのだ。そろそろ、高須町の水蕗も大きくなっている頃だ。楽しみだ。


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【四月の六/川島アナ、「げんき米」の2年目のジンクスとは!】4月19日(水)

「また、飲んでるの!」と、妻の声。そう本日も、いやこのところ美味しいお酒(晩酌)となっている私。その原因となっているのは、プロ野球開幕(セ・リーグ)の序盤だが、快進撃のジャイアンツの連勝にある。(強い!強すぎるぜ!)
 子供の頃からのジャイアンツファンの私。当然、川上哲治監督率いるX9時代を見てきたのだった。1番・柴田、土井、王、長島、国松、黒江、高田、森、末次とスター選手が多くいた。投手も国鉄から移籍した400勝投手の金田正一(内海、覚えろよ!)を筆頭にサウスポーの高橋一三や変則投法の城ノ内、山梨・甲府から高卒で連勝した掘内、そして藤田、8時半の男・宮田と個性派揃いだった。
 問題となった「空白の1日」の入団、江川卓投手の時(79年)も賛否両論となって日本中がこの話題に持ちきりとなっていた。この時も「頑張れ、江川!」と巨人ファンとして心から応援していた私だった。
 そして、今から十数年前の事、愛知県名古屋市にある中日新聞本社ビル内での事、私の前にいた某局長(現・取締役)「藤田君はどこのファンかね?」と、質問してきた事があった。「勿論、ドラゴンズ(中日)です!」と、答えるのが普通なのだが、ここで嘘は付きたくない私。迷わず「はい、ジャイアンツです!」と、答えた事もあった。(実は凄く緊張していたのだ!)この時、私を局長に紹介した担当者はおろか、今まで忙しそうに仕事をしていた、その近くの局員達までが一同「シ〜ン!」と、なっていた。(当たりまえだ!)しかしこの後、その局長が私をフォローしてくれたのだ。「まあ、福井だから・・・仕方ないね!」(さすが、大物!)
 またまた、話が横道に行きそうになってしまったのだが、それぐらい大・大・大のジャイアンツファンの私である。だから、今年の原ジャイアンツの好成績に毎日のスポーツ新聞を読むのが楽しみなのである。(何回も読む!)
 昨年までの堀内監督には申し訳ないのだが、やはり原監督は見ていて爽やかなのである。そう、今から数十年前のドラフト前日の夜、プロ野球ニュースにゲスト出演した当時、東海大学4年の原監督は、司会者から渡された色紙に「明日、の貴方を希望する球団名を書いて下さい!」との、無理な願いに少し戸惑いながら「・・・読売巨人軍!」と、書いたのだ。それを見た私はテレビの前で号泣したものだった。
 また、これも古い話だが、まだジャイアンツが福井に遠征に来ていた頃の話。佐佳枝廼社(大手3)のお祭りで町内のお神輿2つ(大人神輿&子供神輿)我が商店街を巡回していた。現在のフェ二ックス通りパレスホテルに差し掛かった時だが、大人神輿が勢い余ってホテルから出てきたある人物にぶつかってしまった。この人物が桑田真澄投手なのである。「すいません!」と、桑田投手。「大丈夫ですか!」と、神輿の先頭にいた私。次の瞬間だった、「キャァ〜」の悲鳴にも近い叫び声で子供神輿に帯同していたお母さん方が、子供神輿を放り投げ子供を置き去りに、その桑田投手を囲んだのだった。それでも嫌な顔一つ見せず笑顔でサインに応じていた桑田投手、ホテルの前には多くのジャイアンツの選手と県営球場に向かう大型バスやタクシーが待っていたのにね。
 今、この日記をパソコン相手に打っているのだが、テレビの野球中継では、・・・・東京ヤクルトに負けている。野間口が先発しているが、ヤクルトの青木(昨年、イチロー以来の200本安打を記録)を毎回のように出塁させている。どうやら本日は負けの気配だ。まあ、引き分けをはさんで8連勝しているから少し余裕はある・・・と思う。高橋由伸と高橋尚成、そして亀井の離脱は大きいが、何とか頑張ってほしいものだ。
 さて、先週に続きFBC川島秀成アナウンサーげんき米プロジェクト「高須城ものがたり」第2話が、本日放送となった。先週の催芽【さいが】(籾を発芽させる為、催芽器の中で、32度のお湯に一昼夜漬ける)の作業から、次の工程に入るのだ。高須町の育苗センターには、植木御大をはじめ地元の皆さんが揃っていた。お馴染みとなった畑智恵子さんも笑顔で川島アナを迎えた。「今年も宜しくお願いします!今年は私、一人なんです!」と、川島アナ。「あら、相棒(大島さやかアナウンサー・通称こしひかり娘)は?」と、智恵子さん。すると川島アナ「相棒は、今ニュースやってるの!」と、説明した。
 で、その次の作業なのだが種籾を蒔くことになるのだ。催芽が終わった種籾は水分をふくんでいるのだが、その中に含まれた水分を脱水する。洗濯機のような機械にかけ、遠心分離機のような感じで行う。これは、種籾自体に水分があるとバラバラにならず苗箱に蒔きにくいからだと言う。脱水された種籾はパラパラ状態となり、流れ作業(ベルト・コンベアー)の機械に移される。
 まず、苗箱には土が盛られブラシでその土が綺麗に均されていく。次にその土の上に肥料が均一に蒔かれていく。すると、次の工程は、その上から水が撒かれる。そして、次が脱水した種籾が均一に蒔かれていき、最後に再びその上から土を蒔くのだ。お米作りには大切な工程の1つとあって皆さんの顔は真剣そのものだった。川島アナもその一つ一つを学ぼうと顔は引き締まっている。
 ここで、川島アナは智恵子さんに今年のお米はどうだろうと質問したのだ。すると、智恵子さんの口から意外な答えを聞く事になった。昨年末からの大雪で、虫などが死んでいてお米作りの天敵となる害虫の心配は無いのだと話した。そして、ここからは農家ならではのジンクスというか古来からの言い伝えを話す智恵子さん。それは「今年は戌(イヌ)年!だから豊作だ!」と、言うのだ。申(サル)・酉(トリ)の年は不作の年は豊作!と、聞いた川島アナ、思わず笑顔になっていた。(昨年のげんき米も豊作でしたよ!)それにしても、そのようなジンクスがあるなんて皆さんは知っていましたか?じゃ、その他の年はどうなのかと気になった私、今度植木御大に詳しく聞いてみますね。
 そして川島アナだが、次に植木御大と智恵子さんと共に訪れたのは・・・なんと高須町のだった。げんき米の他に、今年は何やらこの畑で野菜も育てるのだと言う。「げんき米」「げんき野菜」プロジェクトとなってしまった。何の野菜を作るのかな。ジャガイモ?茄子?キュウリ?大根?かな。(でも、川島アナ一人で大丈夫かな?)
 人一倍熱心で勉強家の川島アナ、期待していますよ。今年も楽しみな川島アナの「高須城ものがたり」の一年となりそうだ。


△男の酒のつまみ・・・107
「鯖のへしこ」は酒のつまみとして、欠かせない一品である。私は少し焼き食べることが好きなのだが、その焼いたへしこを小指の大きさに切り、チーズの上に乗せ頂く。チーズへしこの相性もいいですよ。但し、塩分の取り過ぎに注意しましょうね!


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【四月の七/初めての修学旅行】4月22日(土)

 少し荒れ模様となった木曜日以降、気がつけば「あっ!」という間にの季節が終わってしまった。桜の花弁が舞い落ちる、その様を「桜吹雪」と書いた前回【四月の六】の私だが、対して某新聞の見出しには「桜のシャワー!」と、なっている。(さすが、上手い表現だ!負けた!)
 一年に一度のこの時期、人々の期待する通りにその美しい花を咲かす桜。そんな桜を見ると、私も何か年に1回ぐらいは花を咲かせたい・・・そんな気分になる本日だった。(メルヘンの世界は似合わない!)
 ところで、私の高須好きにつられて、共に「僕も高須、好きだよ!今度はいつ行くの?」と、口癖の次男(小6)
 そんな次男だが、雨と風が吹き荒れる中の20日(木)の早朝に順化小学校の修学旅行で奈良・大阪への一泊二日に出かけた。当然、自身初の修学旅行となるのだが、数日前からソワソワ&ニヤニヤと落ち着かない様子であった。(楽しみなのだろう!)学校からのしおりを何回も読み返し、「着替えは・・・お母さん!」「折りたたみ傘は・・・お母さん!」「保険証のコピーは・・・お母さん!」と、その都度妻を連呼する。
 そして最後に、「お小遣いは・・・五千円までか・・・お父さん!」と、都合のいい時だけ、私を頼りにしていた。(お小遣いの五千円は、可愛い孫へと祖父ちゃんの担当となった!助かった!)
 前日の夜、「明日は早いから、早く寝なさい!」と、妻と私の言葉にも中々、眠れない次男だった。(気持ちは分かる!)
 そして当日の朝、5時過ぎに起きたのは、・・・家族全員(5人)となっていた。荷物の最終チェックをする、妻と次男。
「明日には帰るんだから・・・別に・・・忘れ物があったって・・・!」と、私の冗談の声にも聞く耳もたずの二人、そんな二人の姿を見ながら煙草を咥えていた。
 妻が部屋から廊下に出た時、「お小遣いあげようか!」と、私が言うと「えっ!本当に・・・うれしいな!」と、こんな時ばかりは素直に聞こえる次男だった。「誰にも内緒だよ!」「うん!」(規則違反だが、五千円プラス千円となった)「お土産はいいからね。友達と仲良くして、奈良では古い建物やその歴史を勉強して、大阪ではお父さんが中学の修学旅行で行った、万博会場をよく見てきなさい!」と、私が言うと「うん!楽しみなんだ」と、次男。(でも、少しの土産は・・・期待したい。キーホルダーは止めて!)
 6時20分の集合に対して、6時05分には家族全員に見送られ(妻は学校まで!)、雨の中・・・後ろを振り返る事なく次男は順化小学校に出かけて行ったのである。(やはり、こいつが雨男なのか?)
 バスを見送り帰宅した妻から聞いたのだが、一人の遅刻者も欠席者もなく、予定通りに出発したと言う。(そうだよな!)
 朝7時過ぎ、「ほっ!」と一息の中、妻とコーヒータイムとなっていた。長男(この春から名古屋在住)と次男がいない我が家。少し寂しい家の中であった。
「ところで、お前の小学校の修学旅行の時の事、・・・覚えているか?」と、妻に聞いた。「憶えていないわ。・・・中学校の時は、憶えているんだけど」と、妻は言った。それは私も同じだった。
 確かに、小学校の修学旅行は次男と同様に・・・いや大阪ではなく、奈良と京都だった。しかし、余り記憶がない。中学校は東京&横浜で、この年(1970)に大阪で万国博覧会が開催されたため、通常の年よりも一泊多く、その大阪(万博)にも行く事になった。そして、高校は九州だった。福岡・熊本・鹿児島・宮崎と記憶している。
 そんな記憶を辿っていたら妻が口を開いたのだった。「中学校の修学旅行の時、添乗員が大学生のバイトの人で、後日、私宛に学校にラブレターが届いて大騒ぎになっ事があったの。でも、大学生が中学生にだよ・・・今、考えるとおかしいよね!ふふふ!」「・・・・」(自慢話かよ!)
 そんな妻に対抗して、「俺も、もう閉館したけど横浜のドリームランドの観覧車に乗った時、俺と女の子3人が・・・」「その話、何回も聞いたから・・・」と、話を中断させた妻。(浮気してやる!チィクショウ!【小梅太夫】そんな・・・バカ夫婦の朝だった。(でも、・・・子供二人がいないと・・・やはり寂しいものだ)
 昨日の朝、気温が下がり益々天候は荒れて大野を中心として奥越地方では数センチの雪が降った。福井市内でも早朝だが霰が降り、路面に落ちている桜と季節はずれの同居となっていた。それにしても寒い朝だった。
 そして、次男が帰路に着く前の午後の事、田中先生に用事があり明道中学校を尋ねた私。車を職員玄関横に止めたのだが、正面のコピー室にその白衣を着た田中先生を発見した。車から降りるとそのコピー室の窓ガラスを外から「コンコン」とノックした。すると、驚いた田中先生だが直ぐにいつもの笑顔になった。私が職員玄関に回ると、コピー室から全速力の田中先生、「ご苦労様です!」と、出迎えてくれた。職員玄関内、ここで少し立ち話となった。
 来校者や廊下を行き来する先生や生徒たち。そんな中、田中先生と話をするのだが「あっ、先生こんにちは!」「先生、元気ですか?」と、前を通りすぎる昔からの先生との挨拶に話が中断してしまう。
 そして、N先生が近づいて来た。またまた、話が中断してしまい「先生、来年うちの子が入学しますから、宜しくお願いします!」と、私が言うと「藤田さんのお子さん二人とも良い子だから・・・楽しみです」と、N先生。実はこのN先生、前任校は順化小学校だったのだ。つまり7歳離れた兄弟の我が長男と次男を知っているのだ。(田中先生もだが・・・)
「順化にいた時に低学年だったみんなが、もう中学生なんて・・・早いものね!」と、少しの思い出に浸るN先生だった。ここで、田中先生との話がどこまでだったか、全く分からなくなった私、忙しい田中先生に失礼な事をしたのだった。(話は・・・高須町のH・Pの事です!)学校滞在時間約15分・・・田中先生との会話・・・約5分・・・だった。
 そうそう、田中先生から聞いたのだが先月、高須町の佐々木さん宅で蕎麦打ちで使用した石臼(いしうす)だが、「我が家でも、使おうよ!」と、最近は粉引きなどでちょくちょく使い始めたらしいのだ。(石臼を使うと、味は勿論だが風情があるのだ!)
   夜、7時過ぎ・・・「まだかな!」と、次男の顔を待つ祖父と祖母。(一泊しただけなのに!)私も気にしながらもテレビで伝統の巨人・阪神戦で・・・晩酌(本日は焼酎)していた。妻は学校にお迎え、因みに本日のつまみは、サイコロステーキとふくらぎのお刺身、そして野菜サラダと山菜の酢味噌である。(勿論、自分で調理しました)
 そして、修学旅行を終えた次男が帰ってきた。(一応・・・疲れた顔で)「ただいま!」と、元気な声。直ぐに私の元へきた次男だが「お父さん・・・お刺身・・・ちょうだい!」と、2切れを食べた。(おい、おい)
「お帰り、楽しかったか?」と、聞いた私だが
「うん、バスでも旅館でも大騒ぎだったよ!」と、次男が言う。
「最初にどこに行ったの?」の質問には、
「最初は、・・・お父さんと行った所だよ。ほら、お蕎麦食べたとこ!」
「お蕎麦食べたとこ?・・・えっ!どこ?」
「名前は、分からないけど・・・お兄ちゃんの所(名古屋)へ行く時に食べた所!」
「・・・・高速のサービスエリアか!」
「うん!」
「お前!それは、トイレ休憩で寄ったんだろ!」
「うん!」
「で、それは杉津(敦賀の手前)だったのか?」
「・・・分からない!だって、どこも同じような感じだから」
「・・・」(後で確かめたら、神田でした)
 こんな帰宅後の会話だった。この後、次男は夕食で台所に行き、ごはんを一口、最初に言った言葉が「やっぱり、ご飯は高須町こしひかりだね。福井のお米は美味しい!」だったらしい。
 次男が夕食を終え、「修学旅行のしおり」を手に私の部屋に来た。その「しおり」を私に見せた。「お前、しおりより話をきかせてよ!」と、私が言うと「だって、お父さんジャイアンツ(野球中継)見ているから!」と話す次男。(心得ている!)
 しかし、ここは親子の会話が優先と次男から修学旅行の話を聞くことにした私だった。
「で・・・最初に見学した所は?」と、再び聞いてみた私。
「んんとね、西陣会館!」
「西陣って、京都だよ!京都に行ったんだ!」
「うん!」
「そうだよな、やっぱり、京都は行くよな!」
 こんな親子の会話だった。西陣織を体験したらしく「織物って、すごいね。すごく綺麗だったよ。」と、次男が話す。この西陣会館から再び高速に乗り、次は奈良に行ったと言う。奈良公園・大仏・南大門・二月堂・三月堂と回ったと言う。友達と鹿に餌をあげ、大きな大仏に「うぉ〜!」と、声を上げたと言う。(奈良に何回も行っているのに!)
 そしてこの後、法隆寺を見学し宿泊は東大阪石切温泉、「じゃ、お決まりの枕投げしたの?」には、「ぜんぜん!」と、答えた次男。(時代が違うのか!)
 そして、二日目。大阪市中央卸売市場を見学した後、万国博記念公園エキスポランドで遊んだらしい。「あの、太陽の塔!想像したよりも、大きかったよ。岡本太郎って人が作ったんでしょ!」と、しっかり学習もしていた。小学生の修学旅行はこんな感じかと次男を見て思ったのだが、とりあえず次男は初めての修学旅行を満喫したらしい。(ずっと覚えていてほしいものだ!)
 ところで、気になるお土産だが、じいちゃん&ばあちゃんには、鹿の角のお箸、妻や親戚にはお菓子(「鹿のふん」と名前のついたもの)、何故か私にはエキスポジュース(200円)だった。私は奈良公園の鹿の餌(200円)と同じだった。(まあ、いいか!)そして、次男本人は、横笛を買った。(しばらくは、うるさくなるな!)
 因みに、お小遣いだが親戚やら何やらで合計で1万円近く集まったらしい。しかし、次男は規則を守り5千円だけを持参したらしい。(偉い!)
 深夜、次男の部屋。ベッドで疲れて眠る次男の顔。小学校6年生とはいえ、まだまだ子供の顔をしている。そんな次男の寝顔を見ながら・・・次の修学旅行は2年後になる次男。明道中学校で行く事になるのだが、これからの長い人生、見るもの聞くもの多くを学び視野の広い男になってほしいと願う私だった。


△男の酒のつまみ・・・108
 この時期になると、美味なのが富山の「ほたるいか」である。生でも煮ても焼いてもおいしいのだが、獲れたての新鮮なほたるいかなら「しゃぶしゃぶ」も美味しいのだ。この時の漬けダレは・・・ゴマがいい。一口で食べられるほたるいかは、何ともお酒のつまみには最高の贈りものである。綺麗に輝くほたるいか、「まさに、海の宝石箱や〜!」(彦麻呂か?)


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【四月の八/夜の片町で千鳥足】4月23日(日)

 昨日の夜の事、「巨人vs阪神」戦のナイター中継に、土曜日という事もあり、お決まりの晩酌と興じていた時、私の携帯がなった。「誰かな?」と、画面を見ると知らない一般の電話番号が表示されていた。
「どこの番号だろう?」と、思いながら電話を取ると
「藤田さんですか?」と、聞き覚えのない若い女性の声がする。
「はい!」と、少しの緊張の中、返事をすると
「私・・・わかります!」と、質問された。
「いや・・・誰?」と、聞き返した私。
「私、・・・私です!この声・・・思い出せませんか?」と、再び聞かれた私。
「いや〜、ごめん。わからない!」と、私が言うと
「俺だよ!俺!」と、今度は聞き覚えのある男の声がした。久しぶり登場となった同級生の、あ・い・つ、だった。そう、白のベンツで高須町に行った男。その、あいつが片町の飲み屋から電話をかけてきたのだった。しかも、飲み屋のホステスを使い、悪戯目的なのか、それとも酔いに任せてか電話をしてきたのだった。(この時、電話を切れば良かった!)
「おまえか!」と、私が少し怒り気味で言うと
「藤田、今さ片町の○○○○○って店にいるんだけど、来いや〜」と、言うのだ。
「おまえさぁ〜、もう9時前だぜ!」と、言うと
「若い綺麗な女の子がいるよ!藤田に逢いたいんだって!」と、答える同級生。
「えっ!何で!」と聞くと、
「まあ、とにかく来いや、今、自宅だろ。じゃ、10分後にタクシー廻すから」と、言い一方的に電話を切られてしまったのだった。
 晩酌で焼酎を10杯程度飲んでいた私は、少しの睡魔に襲われていたのだが、同級生からの誘いもあり仕方なく片町に出ることにしたのだった。(本当は、「若い女の子・・・」が引き金に・・・!)急ぎ、スーツに着替え外に出るとタクシーが待っていた。黒の大型タクシーで運転手が後部座席のドアを外に出て開けていた。(あいつ、見栄をはりやがって!でも、少し社長気分!)タクシーでは無言の中、カーラジオからの野球中継が流れていた。5分程で片町の店の前に着いた。
「片町」・・・福井の夜の繁華街。20代から30代にかけて、毎晩のようにこの片町に繰り出したものだ。5・6軒のハシゴは当たり前、夜明け前に帰宅した事も数知れず。友人や商店街の青年部のメンバー、そして一人でも出かけたものだ。(地元だからね!)当時は、行き付けの店が満員で入れず、近くの店で時間潰しをした事もよくあった。道には人、人、人が溢れ多くの店が賑わいをみせていたものだ。
 最近では、その人の流れもまばらとなり、片町の店も入れ替わりが激しくなっている。「行きたい店がない!」「どこも一緒!」などと良く聞かれるようになった。
 今、タクシーの窓越しにその片町(土曜日・9時半)を見ているのだが、やはり賑わいは失せたと言わなければならない。タクシーが止まり料金を払おうとすると、「先程、頂いております!」と、運転手が言った。(中々、気の付く男になったな!)
 エレベーターで4階、初めて入る高級なクラブだった。ドアを開けると、ママだろうか、「いらっしゃいませ。藤田様ですね、お待ちしておりました!」と入り口で待っていたのだった。店の中をママに案内され同級生の待つ席に向かった。
 店の奥、つまりVIP席と言われるボックスに同級生は座っていた。そして、彼の横には若いホステスが2人いた。
「おっす!悪いな・・・でも、飲んでいたんやろ!」と、彼。
「まあな!」と、私。これが最初の挨拶だった。彼の前にはヘネシーがあった。
「水割りでよろしいでしょうか?」と、若いホステスが私に聞いたのだが、言葉使いの良さに少し驚いていた。
「いいよ!」と、私が言うと
「ダメダメ!藤田は、ターキーだよ!バーボンだよ!」と、同級生が言い始めた。(こいつ、俺の好きな酒を覚えていたか!)すると、
「ママ!ターキーあったやろ、出して」と、注文した彼。
「は〜い!」と、しばらくすると私の前には、ターキーのニューボトルがでてきたのだった、ところが・・・・12年物だった。(やばい!この店の感じだったら、・・・5万円はする!)そんな事を考えていた時だった。
「藤田、今日は久しぶりに飲もうや、俺が奢るから・・・」(助かった!財布には3万円しか入っていなかった)
 そして、たわいもない同級生の会話が始まった。小学生の頃の事(順化時代)、中学生の頃の事(明道時代)。そんな中年男の話を笑顔で聞くママと二人のホステス。しばらくすると
「おい、藤田。今年もあの・・・高須で米作るんか?」と、聞く同級生。
「おう!」と、答えた私。(まさか!)
「じゃ、俺もやろうかな!」(やっぱり!) 「いや、残念だけど、すでに満杯で締め切ったぞ!」と、答えた。
「なんじゃぁ〜、俺今年はやってみようと思っていたのに・・・」と、彼。(だから、白のベンツは高須には似合わない!)
 すると、私の横にいたホステスが質問してきたのだ。
「お米って、こしひかりですか?・・・私の実家は秋田こまちを作っているんです!」と、言うのだ。
「えっ!そうなの。秋田の出身なの?秋田はいいとこだよね!」と、私。
「秋田に行かれた事あるんですか?」
「あるよ、会議(日本PTA全国研究大会が秋田で平成13年開催された)で行ったんだけどね。ナマハゲ館・竿灯・じゅんさい・きりたんぽ、そして稲庭うどん・・・秋田はよかったよ!」と、私が言うと
「わぁ〜嬉しい!良くご存知ですね!」と、少し感動している彼女。
「でも、秋田って言えば俺からすると・・・能代工業だけどね!」
「じゃ、バスケされていたんですか?」
「まあ、一応ね、これでも若い時は193センチあったんだよ!」(いつもの片町でのペースになっていた。バカ男!)
そして、そんな彼女に追い討ちをかけた私
「福井の桜はもう終わったけど・・・秋田はこれからだね!千秋公園は綺麗だからね!」
「そうなんです!よくご存知ですね!」と、満面の笑みを浮かべる彼女だったのだが、その秋田市の千秋公園の桜は・・・偶然、知っていただけで、行ったことも見た事もない私だった。(ばか!)
 話は和み?・・・私も完全に片町モード全快で・・・新しいボトルも半分を一人で飲んでいた。(ターキーはアルコール度数が高く、普通女の子は飲まない!)同級生の方は、ヘネシーが2本目に突入していた。ヘネシーは同級生とママが、女の子二人はビールだった。(こいつ、幾らこの店に落とすつもりだ!単純計算ではすでに、10万は越えているはずだ!大丈夫か!)
 そんな時だった、ママの甘〜い声が聞こえてきた。「○○さん、お腹減らない。わ・た・し、お寿司・・・食べたいの」と、ママ。すると「じゃ、○○で出前してもらえよ!」と、同級生が言い出した。(嘘!○○は片町でも、いや福井でも特に高いお店だぜ!)
 お寿司が来るまでだったが、お互い既婚者という事も忘れ、暫し独身時代に戻っていたのだった。(たまには、いいか!)
「そう言えば、順化のミニバス全国大会で準優勝だったんだよな!凄いね!」と、突然言い出した同級生。
「いや、正式には5位なんだ。ブロックで勝ち抜いたんだけど決勝トーナメントで負けたんだよ!でも、凄い事だよ!」と、私。
「凄いよな!じゃ、明道のバスケも強くなるよな!」と彼。
「ああ、でも今でも明道のバスケは男女共強いよ」と、私。
 そんな話をしていると、店のドアが開き寿司の登場となった。寿司職人だろうか、若者は下駄履きで髪は角刈り、白い職人服を着ていた。「毎度ありがとうございます!」店内に響くその声・・・聞き覚えのある声だった。
 すると、その職人が私の顔を見て「あっ!監督、お久しぶりです!」と、声をかけてきたのだった。「おう〜、元気か!」と、私。その若い寿司職人は○○寿司の長男で、家業を継いでいる。(修行中)
 彼が小学生の頃、順化小学校の男子バスケをやっていて、私は当時、女子の監督をしていたのだった。何年ぶりかで会った彼はもう20代後半になっていた。笑顔の彼に「一杯飲んでいくか?」と、誘ってみた私。
「監督・・・お気持ちだけで、まだ、営業中ですし・・・それに、修行中ですから!」と、答えたのだった。(偉い!)
「この寿司・・・お前が握ったのか?」と聞くと
「いえ!まだまだ親方(彼の父)の許可が下りませんから」と、言うのだった。
「私が前(カウンター)に立つようになったら、監督・・・店にお越しください!」と、言うと寿司代金(2万円)を持って帰って行ったのだった。
「行くよ!」と、答えた私。(高くて行けるか!)
 テーブルの上には見事な職人技の寿司があった。福井では中々味わえない新鮮なコハダもある。(私の大好物!)「美味しい!」「最高!」と、その寿司を味わう私達。
 ここで、ママがお茶(日本茶)を出してくれた。「さすが、気が利くね!」と、同級生。私もそのお茶を口にした。ところが、そのお茶を一口飲んだ時、お茶には疎い私でもそのお茶が高級な事に気が付いたのだった。「このお茶美味しいでしょ、100グラム五千円なんですよ!」と、ママが言った。(もったいない!)「このお茶って、何でも宇治の最高級ランクなんですって!お客様から頂いたの」と、続けてママ。(このお店はそんな人種の溜まり場か!)
 ターキーをほぼ1本飲み、寿司も食べた。この変で私は少しの睡魔に襲われかけていた。携帯で時間を見ると、すでに12時を回っていたのだった。(若い子と喋ると時が早いものだ!)そんな時だった、私の眠そうな顔を見てか同級生が「ママ、チェック!」と、言い出した。(勘定か!寝たふりしようか!)しばらくすると、ママが勘定書きを持って来た。
「○○さん、今日はご馳走様ね!」と、艶のある声を出した。(みんな、この声に騙されるのか!)「おう!」と、スーツの内ポケットから財布を出した同級生。勘定書きをみても別段驚いた顔もせずに、お金を取り出したのだった。(カードじゃないのか!)「釣りはいいよ!」と、またまた気前のいい男の台詞。ここで、私も一か八かの賭けにでたのだった。「おい、割り勘にしようか?」と、言ってみた。「じゃ、そうするか!」と、言われたら恥をかくのに!)すると、「何言ってんだ、今日は俺が誘ったんだから・・・」と、彼が言った。(助かった!)「フ〜さん(私の事)また、来て下さいね!」と、ママの艶のある声に見送られ店を後にした二人だった。(因みに、この店での代金は18万だった。寿司代別)
「お前、いつもあんな店で飲んでるのか?」と、私は尋ねてみた。「まあ・・・月2ぐらいかな、接待で時々な!」と、答える彼だった。(領収書・・・経費で落せるのか!)
 少し肌寒い深夜の片町、人影もまばらで多くのタクシーだけが目に映っていた。二人ともしばらく無言で歩いていた。ぶつかる肩と肩、二人とも完全に酔っていた。「おい!もう一軒行くか?」と、私が声をかけた。「・・・そうだな!軽くな!」こんな会話の後、中年同級生二人は久しぶりに?片町の夜を・・・巡視?したのだった。(この後、2軒のパブと締めは屋台のラーメンとなり、帰宅したのは午前4時過ぎだった!いや、らしい!《妻から聞いた》)
 朝、布団の中で熟睡していた私、夢の中だろうか何故か川島アナウンサーの声が聞こえていた。「かるた」と、川島アナの声。「百人一首でもするのか?」と、考えていた私だった。そんな時、「お酒臭い!」と、妻の声。ここで、少し瞼を開けた私。「だいぶ飲んだのね!」と、再び妻。「ああ!」と短く答えた私。ふとんの中からテレビを見ると、川島アナが農家にいた。「えっ!高須・・・か?」と、思った私。ここで目が覚めたのだった。川島アナ、イコール、高須町。日曜から「げんき米」をやっているのかと驚いたのだった。でも、さっき「かるた」って声がしていたような・・・・。
 実はこの朝の番組だが7時30分から放送の「おはようふくい730」と言う番組で、今日は福井の自慢をいろはかるたを基に紹介するものなのだ。農家は残念ながら高須町ではなかったのだが、足羽川の桜、三方の梅など川島アナは県内各所を紹介していた。そうそう「お市の方」とのツーショットもありました。でも、川島アナには大島アナ(こしひかり娘)が何故か似合うような気がしてしまう私でした。
 そうそう、昨日の同級生との話の中で、面白い事を話していたので紹介すると、「お前のあの高須城日記だけど、何か予言めいたものがあるよな!」と、彼は言うのだ。「どういう事」と、聞くと、例えば女子バレーボール選手の事でその選手が妊娠し、全日本チームから身を引いた事。【十一月の八】そして、トリノオリンピックでのカーリング娘達の人気ぶり(特に、マリリンこと本橋麻理選手)の事。【二月の四】最近では黄砂は続く、と言った事があるというのだ。【四月の二】まあ、予言ではないのだが・・・説明が出来ない事ってこの世の中にはありますよね。(それにしても、あいつ、よく読んでいるな!)


△男の酒のつまみ・・・109
 牛ロースと筍のピリ辛炒め。旬の筍(ボイルした物)を一口代の大きさに切る。牛ロースを塩・胡椒で炒める。表面の色が変わったところで、筍を入れる。そして、中国のヤンニンジャン(無ければ他のものでもよい!)でからめる。砂糖・醤油(共に少々)で味付けし、最後に鶏がらスープ(中華スープでもよい!)を少々入れ、味をなじませる。


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【四月の九/川島アナの野菜作りは・・・】4月26日(水)

 朝5時、「寒い!」と思わず口にした目覚めとなった。布団から起き出すと軽く身震いするほどの寒さであった。恒例となっている朝のジョギングをと外に出ると、外気の冷たさが顔に少しの絞まりを与えてくれた。(ただ、飲みすぎで顔がむくんでいただけ!)早歩きからジョギングに移行すると電線に止まっている雀が「チュン、チュン」(頑張れよ!)と、声をかけてくれる。(いや、「無駄な事はするな!」と、言っているかも)
 肌寒く呼吸をすると喉の奥までもが冷たくなっていく。「今朝は何度だろう?」そんな事を考えて走っていた。同じく散歩やジョギングで顔馴染みとなった人たちの服装も、今朝は厚めの様相となっていた。そんな中、足羽川の河川敷では子犬が元気そうに飛び回っている。「犬は寒さに強いな!」と、寒さに苦手意識がある私、北海道で8年過ごした事が無駄となっていた中年男の春の朝だった。
 午前中、美山方面のお得意様から帰る途中だが市内の勝見交差点で信号待ちをしていると、私の目の中に一台の白いワゴン車が飛び込んできた。そのワゴン車の側面ボディには「げんき」の文字。「ん・・・げんき!」と、口にした私。まさか、げんき米ではないだろうと再び目を凝らして見てみたのだった。FBCのPR車かな、とも考えていた私だったのだが、実は某病院の介護車?だった。「そうだよな!」と、早合点した自分を笑っていた。
 午後からは春江方面に出かけたのだが、市内をぬけ広がる水田にかかると大型の機械が入り田植えを始めていた。農道には数人の農家の人たち、そして軽トラッくには積み重ねられた数多くの苗があった。「もう田植えの時期なんだな!」と、機械で植えられていく緑の絨毯の美しさに、しばし目を取られていた私だった。
 高須町の棚田での田植えも来月の中旬には開始される。しかし、私達オーナーの前には地元の農家の皆さんはご自分たちの田んぼで田植えを行う。棚田での田植え、・・・大型機械での田植えは出来ず、小型機や手植えでの作業となる。広い水田を大きな機械で、今は行う、だが・・・「昔は、ここも手作業だったはず」と、思わず高須町の皆さんの顔が浮かんでいた。(今年は3年目、少しは田植え要領も良くしないとね!)
 さて、今週で3週連続の放送となったFBC川島アナウンサーげんき米プロジェクト「高須城ものがたり」が、夕方放送された。今年に入り高須町からの放送は・・・4回となった。紹介すると・・・
2月 1日(水)「夕方いちばん」として、高須町から生放送。
4月12日(水)「リアルタイムふくい」
        高須城ものがたり〜「種もお目ざめです」の巻〜
4月19日(水)この日の放送では「育苗」だったが、サブタイトルはなかった!(最初の音楽も!)
4月26日(水)高須城ものがたり〜「畑さんとはたけで農作業」の巻〜
 本日も元気な川島アナウンサーだが、昨年だったか私に密かに話していたことを思い出した。「高須町は大好きなんです!・・・だけど、通う(収録の為)のが大変なんです!」と、笑っていたのだ。(実は私もだった!)
 しかし、今年も「げんき米」作りや、新たに「野菜」を作り始め、つまりまた今年も数十回は高須町にドライブする事となった川島アナ、「有難う!」の言葉に「ご苦労様です!」と、放送中に声をかけてしまう私だった。その今回の「高須城ものがたり」は、前週に野菜作りに挑戦する事になった川島アナウンサーが、美味しい高須産こしひかりに合う野菜をと、ジャガイモの種を蒔く事になった。このジャガイモだが、原産は南米で16世紀にヨーロッパに伝えられた事は、誰でも知っている事。当初は鑑賞用として栽培されていたのだが、飢餓に苦しむ人のためにと食用として広く栽培されだした。では、何故「じゃがいも」と日本で言われるようになったのかだが、それは、インドネシアジャガタラ(現在のジャカルタ)からと、言うことで「じゃがたらいも」そして「じゃがいも」になったのです。因みに、日本に伝えたのはオランダ人だそうですよ。
 日本で栽培され始めたのは明治時代(さつまいもは江戸時代)と、比較的に新しいものだ。じゃがいもは栄養素満点(ビタミンC)が多く、リンゴの3倍はあるというのだ。北海道に8年間いた私、少しはこのジャガイモの知識はある。(えっへん!)じゃがいもには、体内の塩分を排出する成分のカリウムが含まれていて、尚且つ高血圧予防にも効果があるのだ。そんなじゃがいもだが、川島アナは何の種類を植えるのか・・・北海道では、じゃがいもと言えば、代表的なものとして「男爵」「メークィーン」そして「北あかり」(黄金男爵と呼ばれている)がある。(さて、何でしょうか?)
 いつのまにか「畑インストラクター」と、なったおなじみ植木御大畑智恵子さん。その二人の指導で最初の作業が始まった。まずは機械を使い畑の土を耕す事からだった。しかし、使い慣れないと言うかおそらく初めて使う機械に四苦八苦の川島アナ。勝手に前に進んでしまう機械に引っぱられているようだった。機械の予想外の馬力に「凄い!凄い!」を連発する。(浅田真央か!)
 それでもコツを掴むのが上手な川島アナ、直ぐに慣れて畑の土を耕していくのだった。機械により畑が耕されると、次は石灰(せっかい)を撒くのだ。何故、石灰を撒くのかと言えば、畑の土の性質を整えるからだと言う。これを撒くことにより畑の土を酸性化させないようにするのだと植木御大の説明だった。ここで、川島アナから質問が出た。「田んぼと畑の違いはなんですか?」と、川島アナ。そして「田んぼに比べ、水の管理がない!」と、智恵子さん。(なるほど!)
 続いての作業は「うねきり」(種を蒔く場所を掘ること!)と、いう作業だった。ジャガイモの種を蒔くため、鍬である程度の土を掘る作業なのだ。鍬を使い土を掘る川島アナだが・・・その土の行方が問題だった。土は種蒔き後に再び種にかぶせるために横に置かなければならない。この鍬作業は慣れないと難しいものだ。「これは、田んぼより難しい!」と、またも連発する川島アナだった。
 そして、ついに「この作業は機械でやってはくれないんですか?」と、少し弱気の発言が出てしまった。「機械では、やってくれんのやわぁ〜!」と、あっさり答える智恵子さん。約20センチ程度の深さに掘った川島アナ、いよいよジャガイモの種を植えていく。気になるその種類だが「北海道産の男爵!」と、植木御大。ジャガイモの芽を上にして、約30センチから50センチの間隔をあけて均等に植えていく。これは、植えた芽からその種を中心に多くのジャガイモが育つからだ。
 その次は、その植えた種の間に肥料を撒いていくのだ。「手いっぱい撒かんと!」と、智恵子さん。「※水戸泉が塩をまくみたいに?」と、川島アナ。ここで植木御大「水戸泉は塩を散らすけど、これは散らしたらあかん!」と、助言する。(いいトリオだ!)※元関脇・水戸泉(現・錦戸親方。川島アナと同郷の茨城県出身。手にいっぱいの塩を持ち土俵の上高くまくそのしぐさに人気があった!)
 最後にその上に土を被せた川島アナ、鍬を持つ手が板についてきたようだ。このジャガイモだが、約2週間ほどで芽が出てくるのだ。(つまり、棚田の田植えの時期ですね!)「このジャガイモだったら、カレーもいいですけど蒸しても美味しいですね!」と、早くも収穫後を想像する川島アナだった。このジャガイモの収穫は6月の末となるそうです。楽しみですね。
 番組の終わりだが田んぼ、両方は大変ですね」と、川島アナ。農家の皆さんのご苦労がこの番組から、そして川島アナの作業からも伝わりますね。


△男の酒のつまみ・・・110【テイクアウト編・・・1】
 新たなコーナー・・・かと、思われたでしょうが、たまたま妻が会合で留守、そして、私自身も疲れて調理する元気もない。そこで、テイクアウトとなったのだ。市内各店で出来るこのお持ち帰り、これから時々となるがご紹介したい。まずは、人気の「秋吉」が第1弾となった。種類は豊富で、電話で時間を指定すればOKだ。今宵の私の注文は、あか・しろ・ねぎま・純ケイ・串カツを各10本だ。(次男の分も!)月に1回程度だが秋吉を食べたくなるのは、やはり福井人だからだろうか。テイクアウトはしないが、この秋吉のキュウリ&キャベツは・・・何故、美味しいのだろうか?


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【四月の十/GWは、高須城山を散策!】4月30日(日)

 金曜日にニコニコ笑顔で下校してきた次男(小6)「学校で何かいい事あったのか?」と、聞くと「別にないよ!」と、答えた。どうやらその笑顔の原因は明日から、いやもうすでに(授業終了後から)突入している、ゴールデンウィークにあるようだ。昨年のこの時期に、この日記で「どこの農家にもゴールデンウィークなんて関係ない!」と、高須町・佐々木さんのコメントを書いた事を思い出した私。よく考えれば、我々自営業者も関係ない、この連休となる。学生や会社務めの皆さんには、暫しの休息となる何日かだろうが、日銭を稼がなくてはならない私たちには、「関係ない!」と、言わざるえないのだ。(コメントが嫌らしくて、ごめんなさいね!)
 しかしながら、次男にとってはそんな事はこれもまた「関係ない!」で、「ねぇ・・・どこに連れていってくれるの?」と、要求してくるのだ。「お母さんに聞いてごらん!」と、妻頼みを期待するのだが、「お父さんにお願いしてね!」と、妻は言う。(やっぱり!)そこで「じゃ、映画(名探偵コナン)でも行くか?」と、声をかけたのだが「コナンは友達と行くって約束したから!」と、次男は答えた。「それじゃ・・・高須町に行くか?」と、言うと「うん、行く!」と、元気な返事が返ってきた。(本当に、高須町が好きなんだな!)

 高須町はもう田植えの頃だろう・・・と、佐々木さんの携帯にかけてみると「・・・・・」つながらない。そこで、自宅にかけると佐々木さんの次男(中1)が出た。「お父さんは?」と、聞くと「田んぼ!」「どこの?」「知らん!」と、言うのだ。「やはり、田植えか・・・」と、想像したのだった。次男は山菜採りの鎌を持ち、私は収穫用にスーパーの袋と軍手を用意した。高須町に行くことでルンルン気分の次男、そんな二人を見送る妻だが「マムシに噛まれないように!」と、出掛けに嫌な事を言いだした(蛇が大嫌いな私!)。私と次男は妻が用意したおにぎり水筒を持ち高須町に向けて車を走らせたのである。
 ポカポカ陽気となった午前10時過ぎ、市内をぬけ水田が広く見渡せるようになると、小鳥が春の囀りを聞かせてくれる。そんな中、まだまだこれからだろう田植えの終わっていない田んぼが多く見られる。「いつもよりも今年は遅いな!」と、そんな事を思いながら車は毎度お馴染みの道を走っていく。道路の両脇には、無人の車が多く見られる。「お父さん、あの車はきっと山菜採りだね!」と、次男。「ほら、大きな袋にいっぱい入っているよ!」と、道を歩く男の人に目線を走らせている。「じゃ、今日は高須で山菜を摘もうか?」と、私が言うと「うん!」と、嬉しそうな次男の顔。(この次男、私と同様に山菜大好きなのである!)
 ゴルフ場を過ぎると高須町までの道。しかし、この道には昨年よりも、いささか・・・いや、大きな陥没が数箇所出来ている。その大きな穴を徐行で避けながら車を走らせるのだが、「わっ!大きな穴、何で・・・何で、お父さん?」と、その都度、質問してくる次男(俺に聞くな!)。「雪が原因かな、雷かな、それとも単なる陥没かな!」と、次男は小学校6年生の頭で想像しているようだ。また、途中のガードレールも確実に昨年よりも湾曲していて、「おう!」と、これもまた驚く次男であった。(確か次男は、今年3回目の高須町のはずなのに!)
 高須町に入ると、まずは佐々木さん宅を訪れた。庭先では佐々木さんが農作業の準備をしていた。軽トラに色々道具を積み込み田んぼに、いざ出陣といったところだ。挨拶をすませると私と次男は再び車に乗った。(佐々木さんの邪魔は出来ない!)そうそう、佐々木さんの次男だがこの連休明けから中学の部活が始まるらしい。で・・・その前に・・・テレビゲームに集中している。
 山菜採りは素人同然の私達親子。地元の方の応援をと、お願いしたのはのMちゃん(高須城小5年)だった。次男とは1つ違いのいつも元気な女の子。次男がこの高須町に来るといつも仲良く遊んでくれる。今日も「付き合って!」と、頼むと「いいよ!」と笑顔で答えてくれた。Mちゃんのお姉ちゃん(高3)も私とは顔なじみで学校帰りに毎日、私の店の前を通るのだ。車に次男とMちゃんを乗せると、見送りにきたお姉ちゃん「一緒に来る?」と尋ねると「私はいいです!」と、断られた。(そうだよな!)
 Mちゃんの案内で車は棚田の上に向かう。そう、高須山の登山道だった。「山菜がありそうな所を教えてね!」と、私が言うと「そこらじゅうにあるんだけど!」と、Mちゃん(再び、そうだよな!)。高須町の家並みを見下ろせる所で車を止めた。Mちゃんと次男は山の中に入っていく。
 しばらくすると「あった!」と、Mちゃんの声。「どれどれ?」と、次男。わらびがあったのだ。「あんまり、開いていないのがいいよ!」と、次男に教えてくれる。「わかった!」と、次男。

この二人だがさすがに子供、道なき道を進んで行く。しばらくすると、袋に多くのわらびを持っていた。私は二人とは別行動で、タラの芽を探していた。以前に佐々木さんとこの道を通った時にたらの芽の場所を覚えていたのだった。しかし、時すでに遅し・・・誰かに取られていた。それでもと、大好物を探す私。で、結局・・・7個の収穫となったのだった。山菜採りのルールとして、欲張らずにその日に食べる分だけを採る・・・と、言われている。また、根の部分からもぎとらず、また来年の為に残さなければならない。
 再び車に乗り、別の場所に移動した3人。ここは、佐々木さんの田んぼ横だった。あぜ道を楽しそうに進む次男とMちゃん。そんな2人を見ていた私だが「高須町で小さな恋のメロディーか?」かと、何か微笑ましくなる小学生の二人だった。ここでも少しのわらびを収穫したのだが、私の元に戻ってきた二人の後ろには青空とともに春の高須山が美しい姿をのぞかせていた。

 お昼を少し過ぎた頃、山菜採りに同行してくれたMちゃんに別れを告げ、私と次男は佐々木さんの自宅に向かった。まだ、佐々木さんは田んぼから戻ってなく、自宅には次男同士(ゲーム好き!)と、私の留守番となっていた。私は、佐々木さんの農作業を見ようと車で出かけることにした。農道を走り竹林の隙間から下を見ると、佐々木さんの姿があった。
 佐々木さんは田んぼのあぜ道などの草を刈っていた。缶コーヒーを持ち、佐々木さんに近寄った。「ウィーン、ウィーン」と、豪快な機械音で雑草が刈り取られていく。「おう!」と、私の姿に気付くと機械を止め、私に近づく佐々木さん。休息にあぜ道に座る中年男二人。「田植えは?」と、私が聞くと「まだ、苗が小さいからおそらく連休後半で田植えかな!」と、佐々木さん。「でも、田植えまでには色々とやることがあるんやわ!」と、この佐々木さんの言葉に農家ならではの大変さを感じる私だった。二人が座るあぜ道・・・谷間には春の爽やかな風が吹いていた。(男同士だから・・・!)
 缶コーヒーを飲み、煙草を咥え、あれやこれやと話は尽きない二人だった。(また、佐々木さんの作業の邪魔をしてしまった!)
「山菜採れたんか?」
「Mちゃんが案内してくれたから、いいわらびが採れたよ!」
「そうか!ほら、この下・・・あそこに、蕗があるから、あれも採ればいいよ」
「有難う!」
「そう言えば、川島さん(FBC)は今年一人なんか?」
「そうらしいよ!」
「田んぼに畑に、大変やろ!」
「でも、若いから!」
「ほやな!」
「ほやほや!」(変な会話!)
 この後、佐々木さん宅に戻り父子二人カップル同士の昼食となった。佐々木さんは簡単に昼食を済ませると、再び別の田んぼに向かった。鍬を持ち、あぜ作りをしている佐々木さん。その真剣な表情にデジカメのレンズを向けた私だが、言葉をかけることは出来ない佐々木さんのオーラがあった。

 青空の高須町。まだ、田植えの始まらない田んぼにはおたまじゃくしが小さい尾を振り泳いでいる。小鳥が囀り、その小鳥の羽ばたきの向こうでは、高須山に春の日差しが振り注いでいる。僅か5分後、雲の流れがいささか速くなっている。そして、風音が棚田に響きわたる。遠く白山連峰にはまだ残雪があった。益々、強くなる風音。そんな中、「サク、サク」と、佐々木さんが鍬を振り落とす土の音だけが、私の耳の一番近くにこだましていた。


△男の酒のつまみ・・・111【テイクアウト編・・・2】
 前回に続き、私のお気に入りのテイクアウト編第2弾。今回は、餃子「王将」となった。餃子大好きの私にとって自分で作る事もあるのだが、やはり「めんどくさい!」が本音。だから、近くの「王将」についつい電話をしてしまうことなる。
 オーダーは勿論、餃子となるのだが他にも、酢豚レバーニラ炒めがお気に入りだ。次男は、「僕は、カニ玉!」が口癖になっている。学生時代だが京都駅近くの「王将」にも通ったのだが、何故か味が違うような気がするのだが・・・私だけかな!
 晩酌の最初、この餃子ビールがたまらなく・・いい!


高須城日記V(春後編)に続く


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