高須城日記U(秋後編)


(平成十七年度・棚田オーナー/福井市 藤田幸治)


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【十一月の一/男涙の恥ずかしさ】11月5日(土)

 十一月に入り、布団から起きることも少し時間がかかるようになった。「寒い!」というには、まだ早いのだが秋から冬の気配が日増しに感じられるようになった。
 高須町の皆さんも、この時期は農繁期と比べ少しはゆとりがある季節かと思うのだが、私の思いとは違いこの時期だから出来る作業が多くあると聞いた。冬に田んぼに雪が積もり、その雪が融けるまでの間が暫しのお休みとなるのだろうか。
 地元の佐々木さんのように会社に勤務している方は、「身体が二つあれば楽なのに!」と、よく口にするが、まさしく一年中が目の回る忙しさだろう。私たちが毎日美味しく食べている新米だが、佐々木さん曰く、「俺たちは古米が当たり前で、新米なんてめったに食べないよ。他の農家も同じじゃないかな!」と、言う。そう言えば佐々木さんは「藤田さん!どう新米(高須産コシヒカリ)の味は?美味しい?」と、頻繁に聞く。「新米・・・食べないの?」と、以前聞いた事があったのだが、「新米が出来ると、親戚にあげたり友達から頼まれたりするからね!」と答えが返ってきた。
 四年前、お互いPTA会長として佐々木さんと知り合い、三年前、それが縁で私が高須町で講演をさせて頂き、そして二年前から棚田オーナーとなった。植木さんや佐々木さん、そして高須町の皆さんにお世話になっている私だが、考えてみるとその四年前から新米を食べる割合は以前と比較して目に見えて多くなっている。
 高須山の清らかな水、高須町ならではの寒暖の差、そして愛情たっぷり大切に育てたられたコシヒカリ「美味しい!」と、初めて口にした人は言う。FBCの川島アナウンサー「このお米は、一粒も無駄に出来ません!」と言ったように、一粒一粒をゆっくりと噛み締めて味わわなければならない。それが生産者の農家の皆さんに対しての日本人としての礼儀である。
 そうそう、先週のFBC夕方いちばんプラス1での放送で、JR福井駅から中継の江守美穂キャスター(福井のチェ・ジュウ?と呼ばれている美人!)が稲の切り株の後から、また新たな穂が出ている事を話していた。これは、私がこの日記内で先月に紹介したもの。(佐々木さんの田んぼにて!)

 いつもは福井市内で見かけたその季節折々の花を紹介する江守キャスターだが、珍しくその稲株を取り上げた。スタジオでは、当然その話題に食いついた川島アナ「はいはい、げんき米の田んぼの後にもありました。これは、なるべく早く処理しないといけないんです!」と、コメントした。すかさず江守キャスターが「そうです。川島さんも頑張ってくださいね!」と、返した。その新しい稲の事だが、その地方ならではの名前があるらしい。一番多く農家の方に呼ばれているのが、「孫生え(ひこばえ)」らしい。先月もお話したのだが、本当に稲の逞しい生命力を感じる光景だった。
 ところで、スタジオには川島アナが一人で番組進行していたのだが、こしひかり娘大島アナは3ヶ月遅れの夏休みらしい。少し寂しそうな川島アナ、「大島さんは今頃、何をしてるんでしょうね?」と、心配していた。
 さて、今月いよいよ50歳を迎えてしまう私(オジサン!)だが、このところ涙もろくなってきた。いや、昔から感動すると涙腺が弱いと思っていたのだが、最近は頻繁に涙が頬を伝う。(そんな綺麗なものでもない!)映画やテレビでそういう場面があれば、いつしれず泣いている。あの「冬ソナ」が原因かもしれないが、先日の民放特番で「吹奏楽の旅」「高校生の合唱部」を見た時は、一人画面に食いつき泣いていた。次男(小5)は、「お父さん・・・どうしたの?」と、心配している。だが、涙が止まらない。言葉は悪いが、今どきの高校生が部活とはいえ、一つの事に打ち込み青春をかける姿は親として、男として感動してしまう。野球やサッカーなど注目を浴びるスポーツ部と比較して、文化部の高校生たちがこれほどまでに全力投球している姿は美しくもある。同じ所ジョージの番組で「新体操部」も、以前取り上げられていた。
 この新体操部は実は男子なのだが、近くこの種目は国体種目から削除というか撤退されるという。しかし、全国にはこの新体操に命をかける高校生が多くいる。(男子新体操は昔から歴史があり、国士舘大学などは名門!)
 福井でも科学技術高校はこの新体操部に昔より伝統がある。たしか、丸岡高校(女子新体操部)の顧問の瀬谷先生と科学技術の顧問、瀬谷先生はご夫婦で、共に全国レベルの中、長きに亘り指導されている。
 スポーツ部にしても文化部にしても、真剣に取り組む姿は本当に美しいものだ。先に挙げた野球やサッカー以外はマイナーだと、失礼な事を言う人がいるが、人気種目ばかり報道関係に取り上げられて、それ以外は新聞の片隅に小さな記事で載っている。だが、新聞に載るだけでも凄いと言う。その新聞に全く載らない部も多くあった。昔の卓球もそのいい例だ。「暗い!」とか「陰気くさい!」とか言われていた時代があった。
 だが、日本の卓球の歴史には黄金時代があった。世界チャンピオンが何人もいた。男子では、伊藤・長谷川・小野がいた。私も小学生時代にテレビで世界選手権の決勝を見て興奮したことを覚えている。スエーデンのベントソンと中国のソウソクトウ(漢字を忘れた!)の対決は凄いものだった。ベントソンはシェイクハンドの守備型でソウはペンホルダーの攻撃型。その白熱したラリーの応酬はまさしく、これぞ卓球というものだった。
 いつしかその人気も衰え、低迷期を迎えた卓球だが、ご存知、福原愛選手(青森山田高校1年)の登場により再び、スポットを浴びようとしている。それは卓球ばかりではない。ゴルフでも同じ事が言える。俺も私もと練習場に通い、そしてコースデビューした。予約が取れないほどゴルフ場は盛況していた。しかし、バブル後、そのゴルフ場は閑古鳥が鳴いている。男子プロゴルフも青木・ジャンボ尾崎・中島のトップ3の時代が終わり、次のスターを我々は捜した。丸山茂樹はその存在だったが、アメリカでの最高峰の世界を求めた。
 女子ゴルフ界も同じだ。樋口久子(現会長)たちが低迷期を支え、岡本綾子(昔、ダイワボウ福井のソフト部に在籍)が次の時代を担った。そして岡本自身もアメリカにその場を移し、とうとう賞金女王を獲得した。樋口会長に続き岡本もその功績が認められゴルフ殿堂入り(3人目・男子では青木功)が決定した。そして、その岡本に続けと小林浩美や福島晃子などがアメリカに行く。ここで、女子ゴルフ界に陰りが見えてきた。人気選手が国外に行き、年間の競技数(大会数)がスポンサー事情により減った。失礼ながら美人選手?(注目選手)がいない事も原因だったと言える。
 しかし、今はどうだろう。ここ5年、賞金女王の不動裕理(ふどう・ゆり)の強さの中、それを阻む他の選手がいる。そして、宮里藍の登場により、どの大会も沢山のギャラリーが入場している。男子ツアーより人気の女子プロの世界。可愛さ&実力&二十歳と思えぬ受け答えが、私たちを魅了する。宮里ばかりではない。横峰さくらとその父の漫才にも似たゴルフ問答。そして、美人ゴルファーの登場だ。誰もが好みの、またひいきの選手がいるのであえて名前は出さないが、私個人では古閑美保(こが・みほ)がいい。この選手は九州・熊本の出身でコンスタントに成績を残している。CM(ゴルフ用具)にも登場し、その人気はうなぎ登りだ。今シーズンはまだ未勝利で賞金ランキングも11位か12位あたりに位置している。170p近くの長身でそれなりのスタイルを持つ。(やはり、それか!)
 宮里藍北田瑠衣が今シーズン開幕前に南アフリカ・ジョージで開催された、第1回W杯で優勝したことは記憶にも新しいが、この大会に世界の女王、A・ソレンスタム(スエーデン)は参加していなかった。宮里藍や諸見里しのぶの人気選手が来シーズンのアメリカツアーの出場権をかけて最終予選会に渡米するのだが、活躍の期待と国内で見れない寂しさが同居している。
 ところで、ここにあげた選手達だがある共通点がある。宮里・諸見里は沖縄県。横峰は鹿児島県。古閑と不動は熊本県。北田は福岡県と九州地区ばかりなのだ。これは九州や沖縄のジュニアの育成が進んでいるからだろうが、それにしても凄い。ちなみに、樋口久子会長は埼玉、岡本綾子は広島、小林浩美は福島、福島晃子は神奈川だ。(どうでもいい話かな!)
 福井県では勝山出身の山岸陽子選手がいる。この山岸選手は昨年、ミヤギ杯・ダンロップオープン大会で優勝した郷土期待の選手だ。今シーズンはランキング66位とイマイチなのだが、これからの奮起に期待したい。
 女子ばかり注目される事が多いゴルフ界なのだが、ようやく男子にも新しいスターとなる選手が出てきた。しかもアマの中学生、伊藤涼太(いとう・りょうた)君だ。三重県出身の彼は現在この福井市を拠点に各プロのトーナメントに出場している。しかも、プロを相手に堂々と予選通過はあたり前、上位を伺う内容なのだ。勿論、将来プロになるだろうが宮里藍のようにプロトーナメントをアマ資格で優勝してほしいものだ。大いに期待したい。
 しかし、これほど多くの大会に出場している伊藤君だが、親も大変であろう。まだ、中学生の親として、子供の体調管理やメンタル面は普通の中学生の何倍も気を使うことだろう。そして、嫌らしい話だがお金の面も気になるところだ。トーナメントに出場する際には、プロも10,500円を払うと聞いた。しかし、これ以外に全国各地で行われる大会への移動費用や宿泊費用はバカにならないはず。アマの為、スポンサーなどの契約や提供は無いはずで、ご両親の負担も莫大なものだ。アマ選手に対しての色々な面での緩和の話も最近出てきたのだが、まだ欧米に比べ日本は格差があると言う。とにかく、伊藤君には頑張ってもらいたい。
 またまた、関係ないところに話が飛んでしまったのだが自称スポーツ評論家なので許して頂きたい。(ごめんなさい!)
 さて、高須町の佐々木さんも年末まで会社に農作業に忙しいらしく、最近飲んでいないのだが、棚田オーナーの12月に開かれる大収穫祭(オーナー最後の集まり)でとことん飲みたいものだ。


△男の酒のつまみ・・・55
 昨日、父の友人から天然のナメコ(大野の山奥で収穫)を沢山頂いた。子供たちは「これ、何?」と、スーパーなどのしか知らないので本物(倍以上の大きさ)を前に驚いている。
 そこで、本日はこのナメコでつまみを作ることにした。しかし、やはり父の希望で大半は味噌汁に使い、残りを山芋とのコラボでいただく。わさびと好みの醤油で混ぜ合わせれば、自然の山の恵みが口の中に感じられる。


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【十一月の二/味覚の秋「まいうー!」】11月6日(日)

「天気が好ければ高須町にいきましょう!」と、前日に田中先生と約束していたのだが、本日はどうも雨予報。朝6時前に起きだした私は部屋の窓から空の様子を見て、そしてテレビの天気予報で再確認した。日頃、寝覚めの一服と決めているのだが、そのタバコが切れていた。
 ジャージを着て近所の自動販売機に行くことにした。外に出ると風の冷たさが改めて11月に入ったことを思わせる。自転車にまたがりペダルを扱ぐ。「うー!」と、思わず声が出る。頬にあたる風の冷たさが寝起きの私にいささか心地良い。
 自動販売機が見えてくると、先客がいた。しかし、何やら戸惑っている様子の先客。近づくとどうやら目がご不自由な様子の方でボタンやお金の投入口を手で捜している。この時間まだ店は開いておらず、困っておられた。自転車を降り、その人の横に立った私。「どのタバコを買うのですか?」と、聞いた。おそらく70代のその人は「ケント1やけど、目が見えないもんでどのボタンかわからんのや!」と、答えた。「じゃ、私が買いましょう!」と、お金を預かり代わりに購入した。しかし、またこの人がこの自動販売機で購入するかも知れないと思い、「ケント1は、下の列から2番目で左から3番目です!」と、手を取りその箇所を確認してもらった。
「ありがとう!」の言葉に、少し朝からいい気分。自分のタバコを買い再び自転車に乗った。途中に先ほどの人を抜いたのだが、白い杖を付きながら歩きタバコになっていた。「気をつけてくださいね!」と、声をかけると「おう!」と元気な返事が返ってきた。多分ご近所の方だろうが目がご不自由では生活も大変であろうと考えながらペダルを扱いだ。
 久しぶりののんびりとした日曜日、テレビを見ながらくつろいでいた。チャンネルを色々変えながら面白い番組を捜していると「おー、川島アナだ!」と叫んでしまった。たまに見るスーツ姿で真面目な対談番組を進行していた。
 私の横では次男が今流行のカードゲームで遊んでいる。「今日は高須に行かないの?」と、聞かれ「うん、天気が好ければ行くはずだったんだけど中止になったんだ。お前も久しぶりに行きたかったんじゃないの?」と、聞くと「うん!、でも友達が遊びに来るから!」と、言う。「じゃ、聞くな!」と、言うと「佐々木君・・・何してるのかな?」と独り言の次男。
 午後に入り、さらにのんびりとしていた私だったが携帯電話が鳴った。佐々木さんからだった。「今どこ?」と聞かれ「自宅にいるよ!」と、答えた。「じゃ、今近くにいるからおじゃまするわ!5分ぐらいで着くから」と、佐々木さん。
 玄関先でその佐々木さんから秋の味覚を頂いた。自然薯・柿・大根といずれも自家製のものばかりだった。「うれしい!」とお礼を言うと、「田舎のものばかりで・・・」と佐々木さんが言うのだが、私にとって、その田舎のものが嬉しいのだ。しかも佐々木さんが丹精込めて育てたものだからなお更嬉しく思う。気が付くと、次男も私の後ろで佐々木さんを迎えていた。「直くん!久しぶりやの・・・」と、佐々木さん。「はい!」と笑顔の次男。約15分ほど話をした後、佐々木さんは雨の中、高須町に帰っていった。
 その1時間後、大野から親戚が来た。新米(大野産こしひかり)と、大好きな里芋(上庄産)を頂いた。「今日は色々と貰う日になったな!」と、嬉しい独り言。秋の味覚が満載の我が藤田家となった。そう言えばもうすぐ蟹の解禁日だが、残念な事に漁師に親戚は無く、こちらは自分で買うことになるだろう。昔はご近所から蟹を頂くことがあったのだが、その蟹も今は高価なものになった。おそらく蟹の解禁日にはセリで3万円や4万円の高値が付くだろう。益々われわれの口から遠ざかりつつある蟹、「セイコ蟹がいい!」と、我慢する今年になりそうだ。
 以前、東京から友人3人が来た時の話なのだが、近所の寿司屋に招きその有名な越前がにをご馳走することになった。有名な高価な越前がにを味わえると、嬉しそうな友人たち。目の前に置かれたその蟹をしばらく感激の眼差しで眺めていた。「美味しい!」「これが越前がにか?」「やはり美味い!」と、さすが冬を代表する福井の味に感動していた。
 しかし、まともにこの越前がにを彼らに振舞っていればおそらく4人前で安く見ても6万円になる。そこは地元の利で私も考えた。事前(3日前)に寿司屋に電話をした際、ズボ蟹を用意してと、お願いしておいた。ズボ蟹と言えども同じ越前かにであることには間違いない。価格も手ごろなお値段になった。(友人たちは知らない!)
 夕飯時、食卓には本日頂いたものが並んでいた。佐々木さんからの自然薯は短冊切りで、大根はおろして醤油と混ぜる。大野の里芋はもちろん煮っころがしで、デザートは柿となった。秋の味覚に家族全員が「まいうー!」の表情だった。


△男の酒のつまみ・・・56
 最近、話題のごぼうのから揚げに挑戦した。少し大きめ(太さ)のごぼうを5センチほどの長さに切る。それを横に薄くスライスする。小麦粉・片栗粉・ベーキングパウダーを混ぜたものにまぶし、油で揚げる。味付けは揚げた後に軽く塩を振りかける。これがまた美味いのだ。お試しあれ!


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【十一月の三/紅葉の彩、高須町】11月10日(金)

 一昨日、5年振りに自動車免許の更新で春江町にある運転免許センターに行った。朝8時30分から9時10分までが受付時間で講習が30分。新しい免許の交付は10時頃だと言う。過去に違反等があればこの講習時間も1時間や2時間になるらしい。
 当日朝、免許センターからの葉書で持ち物等の確認をしていた。「えっ・・と、この葉書と、・・免許証と、・・手数料が2,800円か!」しかし、ここで安全協会費の事を思い出した。
 先日のあるテレビで、この交通安全協会費について特集をしていた。全国各地の協会により温度差があるものの、更新時に手数料を支払う際に、この協会費を求める所、また別の窓口に設けて、自分の意思によりこの協会費を納める所など色々あった。テレビで行われていたのは、窓口にて係りの女性が訪れた更新者に対して何度も何度も協会費の支払いを求めていた場面だった。まるで強制的に支払いを求め、更新者が「俺は払わない!」と言うと、態度が豹変し別の窓口に追いやられてしまったのだ。
 この、交通安全協会費については色々難解な事は多々あるのだが、集められた協会費がどのようなことに使われているかと言うと・・・・。
(窓口から渡された資料)
1,子供お年寄りの保護
  新園児、新学児童に安全帽子・ワッペン・ランドセルカバー・腕章等の贈呈。
  お年寄りに夜間反射材の贈呈。
2, 会員へのサービス
  優良運転者、交通安全功労者の表彰。
  更新手続きや交通安全に関する資料。
  5年間無事故、無違反のステッカー贈呈。
3, 交通安全活動
  各季節の交通安全運動の推進。
  街頭における交通安全指導。
  事故防止用のチラシ、のぼり旗の作成。
4, 交通安全教育
  子供の自転車の安全運転指導。
  二輪車安全運転大会の開催。
  子供、高齢者の交通安全教室の開催。
  各地区にて法令講習会の開催。
 以上が徴収された会費の支出と言うことなのだが、肝心のことが書いてないのだ。それは、この交通安全協会に勤務する方たちの給与の事だ。そのテレビで報じられていたのは徴収された分の半分が彼らの給与となるらしい。まあ、これも必要な仕事で当然のものであるから仕方のない事だ。しかし、昨年だったかこの福井の交通安全協会でその貴重な会費が関係者の手で横領された事件があった。その結末はどうなったのか記憶にないが、せめて私達が納得するように収支書を、この更新時でいいから見せてほしいものだ。さらに、上記に書いた文の中に、給与も含めてほしいと考える。
 正直、迷っていながら出かける前のコーヒータイム。妻も昨年に免許更新したので聞いてみた。すると、「強制じゃないからどちらでもいいんじゃないの。私は一応払ったけど!」と、返事が返ってきた。
1年間が500円の安全協会費、つまり私の場合5年間分で2,500円を支払う事になるのだ。不透明な部分があるこの協会費を何故か今回は真剣に考えながら春江のセンターに向かった。入り口には職員男女二人がいて、アンケート用紙(本人の病気関係)を渡された。アンケートに記入し別の職員に今日までの免許証を渡し、いよいよ問題の窓口の列に並んだ。私の前には男女二人がいた。声は聞こえないが女性は1万円札で支払っていた。前の男性も「はい!」と、例の協会費を払った。私の番になり、この時私はまずは免許更新手数料を手にしていた。窓口の女性職員が早口でしゃべり始めた。最初は手数料の内容で、次にいよいよ交通安全会費になった。
 私は、もし強制的にそして横柄な態度で支払いを求めてきたら、支払うのを今回は拒否しようと考えていた。初めての経験だから内心ドキドキしていた。そして「皆様に安全会費をお願いして戴いているのですが、藤田様よろしいでしょうか?」と、聞かれ「はい!」と、簡単に答えてしまった。
 この2時間程だが、真剣に悩み考えていたことが馬鹿らしくなっていた。「まあ・・・いいか!」と、次の視力検査と写真の部屋に向った。
 この時、「藤田さん!」と、男性の声がした。声の方を見ると現・市会議員のH氏がいた。「久しぶりですね!」と言う彼に「この前、市役所のエレベーターで会ったじゃん!」と、答えた。このH氏だが、私より3歳ほど若く、明道中学校の後輩になるのだ。そうそう前回の市議会選挙では我が母校から3人の市議会議員が誕生した。(少し自慢!)
 時間が無いので会話もそこそこに視力検査室に入った。順番が来てCの↑↓←→をする。ところが最近の老眼現象か下の小さい物は見えるのだが、逆に大きいものがぼやけて見える。
 係の人が「えっ!」と、一瞬戸惑った様子に私も少し緊張気味となる。次に同じ検査機械で遠近検査?(両サイドに棒があり、その真ん中の棒が前後に移動する。3本の棒が一直線になった処で、スイッチを押す。この検査は大型免許所有者だけかも!)をした。これは、難なくクリアーしたのだが歳には勝てず目の衰え進行には、いささか悲しくなってきた。
 そう言えば、ここ数年は新聞には眼鏡がなくては読めない私、昔から左右1,5を自慢していたのだが、いつの頃からか極端に老眼になり始めた。誰かが「近視の人は老眼にはならない!」と、言っていたが本当だろうか。
 次に写真を撮るのだが、毎回この免許証の私の顔写真は指名手配犯の顔となるのだ。写真写りが悪いと昔から思っていたのだが、妻曰く「こんなもんだよ!」と、簡単に言う。  写真を撮り終わり「の線で教室に入って下さい」の係の人の案内で階段を登る。そうそう、このとかとかこの色分けには意味があるのだ。無違反の講習になるか、また時間の長い違反者の講習になるかが決まる。自慢するわけではないが、私は平成3年3月29日を最後に、無事故・無違反を邁進?している。つまり14年間もだ。(やはり自慢!)
 教室の入り口で3冊の本が渡された。
@交通の教則 A交通安全ふくい Bセーフティーロードマップ福井
「前の方からお座りください!」の係官の案内で、前から3列目の窓側の席についた。携帯電話をマナーモードにしてふと黒板上の時計を見ると、まだ9時前だった。講習は9時30分からだ。「タバコでも吸うかな!」と、思ったのだが約1時間の禁煙タイムにすることにした。
 手渡された3冊の本をパラパラと捲る。この間にも次々と講習者が入室してくる。ロードマップを捲り、高須町を確認した。「高須町・・・高須山・・・あった!」と、少し嬉しくなる。(あるのは当たりまえだ!)
「国見岳・・・ほおー、656Mもあるのか!」と、高須山があの付近では一番高いと思っていたので、少し残念の気分。
 ここで黒板の前に係官が立った。まだ9時を少し過ぎた頃だが注目してるとビデオをセットした。そして「本日の講習は9時30分からの予定です。まだ少し時間がありますので皆様には、最近この福井県内で起きました振り込め詐欺(オレオレ詐欺)のビデオを見ていただきます」と、説明があった。
 このビデオがドラマ仕立てで上手く出来ている。時間潰しと思い何気なく見ていたのだが、いつしか惹きこまれていた私だった。
 9時30分、先程の係官が講習を始めた。昨年度、北陸3県では福井県が事故数・負傷者数・死者数のいずれもが比率がダントツで悪い。確かに、「福井のドライバーのマナーは以前から悪い!」と、言われてきた。ここ数年、死者数は減る傾向を示しているのだが、人口が少ないこの福井県からするとまだまだ最悪の数値である。携帯電話・シートベルト・飲酒運転の事例を幾つか聞いて、はや予定の30分が過ぎた。
 以前は、この教室で新しい免許証が渡されたのだが、今回は階下のロビーで手渡されるらしい。「緑24番」の紙札を握り締めて、順番を待つ。
 何でも新しいものはいい気分になるものだが、免許証でも同じ気持ちになる。手渡された免許証を見た・・・・・「やはり指名手配犯だ・・・」本籍&住所&な名前の確認をし駐車場の車に乗った。「ゴールドだ!へっへっ・・・」と、まだ一度もゴールドになったことのない妻の顔が浮かんだ。(最悪の夫だ!)
 今から約20年前の話だが、私と妻が婚約期間中の事。妻がスピード違反か何かで、福井署に行くと言うので私も同行した事があった。交通課に行くと妻の顔を見て不思議そうな表情の警察官。「どこかでお会いしたことがありますね!」と、言うのだ。妻は「いいえ!」と、否定する。「そうですか!」と、警察官。この時、この警察官の後ろにはあるポスターが貼ってあった。「シートベルトを心がけましょう!」の福井県の大きなポスターだが、そのポスターは一人の女性が運転席でシートベルトをして、にっこり笑う笑顔があった。
 実は妻である。私の友人から私を通じて是非にと頼まれ、独身最後の彼女の記念として、福井県のモデルとなったポスターだった。この年、県内至る所に彼女のポスターが貼ってあり、その彼女の婚約者として少し自慢だった。そして、この福井署内にも何枚かそのポスターがあった。担当の若い警察官も暫くすると、妻とポスターを何回か見て「あっ!これ・・貴方ですね?」と、気付いた。その声に回りの警察官や職員も妻をみた。バツが悪そうな妻だった。担当の警察官も笑顔に変った。(で・・・結局・・・点数と罰金は・・・。内緒!)
このポスターだが、今でも記念として大事に我が藤田家の家宝?として残してある。(物置に・・・!たぶん・・・!)
 10時過ぎ、午前中休みをもらった私だったが、新しい免許証を助手席に、向った先は・・・高須町となった。珍しくいい天気の中、交通安全を気にしながら一路高須町に車を走らせた。
 いつもと変わりない高須町だった。そんなところがいいのだ。静かで風の音が聞こえる棚田への道。いつもの高台に立ち景色を見た。ここからの景色はやはり最高である。
 白波の日本海、曲がりくねった九頭竜川、そして福井平野が一望できる。この高須山の木々も秋が訪れている。深まりつつある秋の気配。紅葉も満喫できる。最高の自然の財産である。途中の田畑では地元のお母さんたちが黙々と農作業している。「やはり高須町は、私の癒しの場所だ!」と、再確認のひとときだった。
 夜、もうすぐ免許を取るであろう長男(高3)が私の免許証を手に取り「お父さんの免許証って、普通は無くて大型だけしか印がないよ!」と、言い出した。そうそう、一般の人の免許は、まず普通を取りその3年後に大型の資格が出来るのだ。この時、普通と大型に印が記入されるのだが、私の免許証は大型しか記入されていないのだ。
「ああ、これはお父さんが航空自衛隊にいた時に取ったからで、自衛隊員の場合は最初から大型でも特殊でも取れるんだよ!」と、答えると「えっ!そうなの」と、驚きの長男だった。「まあ、陸上自衛隊員はすぐに免許を取るけど、航空の方は先輩から順番に取るから時間がかかったよ。それに陸上はその基地の近くで教習するけど、航空は埼玉の入間基地にしか教習場がないから、大変だったよ!」の話に、もうどうでもよさそうな長男だった。(おいおい!お前から切りだした話だろ!)
 そうそう、最近のFBC夕方いちばんプラス1は、メインの川島アナと休み明けの大島アナ(こしひかり娘、髪型が変った!)のコンビは、そのトークや間が絶妙に面白くなってきた。それは、最近寒さが強まりつつあるが、「私の部屋は、一年中ホットカーぺットを敷いていますよ!」の大島アナに、川島アナは、無言で呆れ顔で次の進行に行く。番組を見ていた私は、飲んでいたコーヒーを吹き出してしまった。何か言ってほしそうな大島アナだったが、その二人の表情は最高に面白く感じられた。「げんき米」企画も無事終わりとなったが、これからもこの二人を応援しようと思う晩秋の私だった。
【前回のこの日記上にて、卓球の元世界チャンピオン・長谷川信彦氏のお名前を書かせていただきましたが、今月7日午前十時過ぎ、群馬県桐生市でお亡くなりました。享年58歳でした。長谷川氏はシングル・混合ダブルス・団体と3冠を含み世界王者に5度輝いた、日本が誇る卓球界のスーパースターでした。引退後は自費で「ハセガワ卓球会館」を作り、後輩たちに指導されていました。亡くなられた日も、その会館横の空き地に選手のランニングコースを作る為、お一人で木を伐採していて倒木の下敷きになったとの事です。心からご冥福をお祈り致します。】


△男の酒のつまみ・・・57
 鳥レバーが好きな私は、近所の肉屋に豚カツを買いに行った際、店主に生鳥レバーがあるか聞いてみた。「あるよ!」の声に「少し下さい!」と300グラム買ってみた。普段はスーパーでお惣菜として買うのだが、今回は自分で調理してみる事にした。
 きれいに水洗いしたレバーを鍋に入れ、水・薄口醤油味醂・お酒で中火で煮た。(長ネギを1本・臭み取り用)途中、味加減を見ながら砂糖を少し加え、今度は弱火で柔らかく煮込む。味付けは好みで。


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【十一月の四/冬支度の頃】11月13日(日)

 この時期になると、近くの中央公園では木々の雪つり作業が行われるのだが、いつこの作業が始められるのかと思う季節となった。この雪つり作業はベテランの職員や作業員の皆さんが熟練した技で見事な手さばきを披露してくれる。中央公園をいつもは足早で通り過ぎる人も、暫しその作業に見入る冬まぢかの名物行事になっている。
 昨日の朝、田中先生に電話をかけてみた。土曜日なので家でのんびりとしているのかと思っていたのだが、応答がない。休み返上で今日も学校で仕事かも知れないと思っていたところ、先生から電話があった。「田中です。今、敦賀にいるんです。」と、言う。「敦賀!敦賀で何してるんですか?」と、聞くと「教職員の会議なんですよ!」との答えだった。「夕方には福井の方に帰れます」で、「じゃ、福井に着いたらまた電話下さい」と、切った。土日でも先生方は忙しいものだと改めて思った。
 その夕方、少し底冷えのする頃先生から電話がかかった。「今、福井に着きました。これから一度、明道中学校に帰ります。」「じゃ、自宅の方に来て下さい!」と簡単な会話だった。高須町の佐々木さんにも電話しようと思ったのだが、その高須町の佐々木さんが昔からお世話になった方が昨日お亡くなりなった事を思い出し、やめる事にした。
 6時30分、田中先生が来られたのだが私は少し悪戯を思いつき買い物に出ていた。何の悪戯かと言えば、田中先生はこれまで何回か私の自宅に来られた事はあるのだが、いつもお茶かコーヒーばかりで、お酒を飲んだことがなかったのだ。当然、車で家路に向かう前に立ち寄る先生に、突然お酒をだしたら先生はどうするかを見たかったのである。
 しかし、日頃焼酎ばかり飲んでいる私、先生の好きなビールは冷蔵庫には無く、それに酒のつまみも買おうと近所のスーパーに出かけた。次男(小5)に留守と先生のお出迎えを頼み、車で5分のスーパーに行った。(健康のため歩け!)
「そう言えば、男の酒のつまみ(この日記に連載中!)を先生は今まで食べたことが無いはず!」と、簡単に出来る食材と先生が大好きなビールを買い、足早に帰宅した。すでに応接間で次男と談笑しておられた先生に挨拶をした私、早速悪戯の開始となった。「先生!飲みませんか?」と、言った。先生すかさず「だめですよ、車ですし・・・」と、答える。「じゃ、代行で帰ればいいじゃないですか!奥さんが待っておられます?」と、聞くと「いやいや、そんなんじゃないんですが・・・」と、先生。私の思いどうりの答えだった。私の前に用意していたビールの栓を開け「先生!飲みましょう!1時間だけ付き合って下さいよ!」と、強引な私の誘いに、先生も観念した様子で「いいんですか!あつかましくて・・・じゃ、頂きます!」と、コップを手に取られたのだった。
 まずは一杯・・・二杯・・・三杯・・・と序々にペースが早くなる二人、「男の酒のつまみ」は丁度帰宅した妻に任せ、あれやこれやと話をした。学校の事、PTA事、勿論高須町の事、それからホームページやFBCの川島アナ大島アナ(こしひかり娘)の最新の髪型と今朝の全国放送(朝だ!生です旅サラダ・日テレ系)で越前町からラッシャー板前との生中継の事と、色々な話題で中年二人は盛り上がった。
 そして、私の悪戯に見事に罠にはまった、可哀想な田中先生は、日頃の疲れも手伝ってか少し顔が赤く、ほろ酔い気味となっていた。「藤田さんは、本当にお酒強いですね!」と、先生。「いやいや、北海道で鍛えましたから!」と、私。
 妻と次男が頃合いを見て酒のつまみを出してくれる。本日のお品書きは・・・まず、お刺身(ひらめ&ふくらぎ)、厚揚げ焼き、ホタテのバター醤油焼き、自然薯(佐々木さん自家製)だった。「美味しいです、・・・これは、いけますよ!」と、先生満足のご様子。(そりゃ、本人前に不味いとは言えない!)
 結局、二人の飲み会は約3時間にもなり、本当にお疲れの田中先生にとっては、いい迷惑な夜となったのである。(先生ごめんね!)
 この後、馴染みの代行業者を呼びようやくご帰還となった田中先生を車の所まで次男とお見送りしたのだが、さぞや車中で文句を言っている先生の姿が目に浮かぶ私だった。
 今朝、妻と次男はなにやら綱引き大会で出かけた。長男はまだ起きてこず、のんびりとした日曜日の朝となった。二度寝しようかと考えたのだが、外は日が差す好天だ。そこで・・・自室でスポーツ観戦と決め込んだ。(なんじゃそりゃ!)スポーツ満載の本日、駅伝&野球&ゴルフと大いに一人で盛り上がり・・・満足満足となったのである。
 夕方、疲れ気味の次男が帰宅してきたのだが、「綱引きはどうだった?」との、質問に「・・・4位!」と、元気がない。「風呂に入って休みなさい!」と、私の言葉にも「・・・後で!」と、よほど負けたのがショックな次男だった。
 夜、風呂上りに咳を連発の次男だが、この次男はどういう訳か私のご幼少(そんないいもんではない!)の頃に似て身体が弱い。すぐに風邪をひくのだが、これから冬近くの季節、こちらも身体の冬支度が必要なようだ。


△男の酒のつまみ・・・58
 鮭の切り身でミニちゃんちゃん焼きをした。このちゃんちゃん焼きは、ご存知、北海道の名物料理。本来なら外で鉄板を使い、豪快にするものだが、本日は地味に料理する。
 フライパンにバターを溶かし、鮭を焼く。合わせ味噌(白&赤)と、味醂&酒で好みの味にする。鮭が少し焼けたところで、野菜(何でもいいのだが、キャベツ&人参&茄子&マイタケにした)を入れ、用意した合わせ味噌も入れ蓋をし、蒸し状態にする。キャベツがしんなりとしたら出来上がり。ビールでも焼酎でも日本酒でも合う。ワインは・・・試したことが無い!


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【十一月の五/棚田をお勉強!】11月14日(月)

 今現在、私たちの様々な情報源と言えば、テレビ&ラジオ&パソコン検索、そして新聞という事になるだろう。ニュースにより多くの情報を目と耳でとらえるテレビとラジオ。 パソコンの普及により世界のありとあらゆる事を検索出来る、素晴らしい今の時代。そして朝一番の活字による新聞が私のような無知な者を時代遅れから救いつつある。
 NIEと言う言葉を目や耳にされた方も多いと思うのだが、このNIEとは(Newspaper in Education)「教育に新聞を」と、学校等で新聞を教材として活用し学習活動する事を言う。このNIEには多くの学校が参加し、また各新聞社等も提供し協力している。活字離れが叫ばれる現在だが、やはり子供時代から新聞等を読み、知識を得ることは必要と考える。
 それは、小中高の児童・生徒ばかりではなく、私たち大人にとっても同じ事が言える。昔とは違い、手紙を書くことが少なくなった今、少し前はワープロを、今はパソコンを使う。時代の流れに伴い、大切なものを自ら無くしつつある私たち、手紙を書けば、漢字の知識不足にペンを動かすよりも辞書を引くことが断然多くなっている。「読めるけど、書けない!」そんな大人や子供が確実に多い世の中になっている。
 それを認識してか、最近のクイズ番組でも漢字クイズなどが増えてきた。家族で見て「あれ、何て読むんだっけ?」「あんな漢字あったっけ?」と、クイズ形式で勉強するのも面白く思う。新聞を読み、勿論最新の情報を知ることも大切なのだが、その活字の意味の重要性を日本人として再認識しなくてはならない。
 我が藤田家では3紙の新聞を購読しているのだが、朝夕この新聞を繰り返し読む事が最近多い。あえてどこの新聞?とは言わないが地元紙2紙とスポーツ紙である。(地元紙は2紙しか無いだろう!福井新聞&日刊県民福井)以前にもこの日記上で書いたのだが、私はこの3紙から興味のあるものを切り抜き保存している。それは、幾つかのジャンルに分けてファイルしているのだが、そのジャンルが年々増えてきた。
 この切抜きを始めた切っ掛けは、平成12年に母校、明道中学校のPTAの補導委員長になった時だった。それ以前は全く子供の学校の事に関心がなくPTAの事など妻任せにしていた私だったから、いざいきなり中学校のPTAの役をと言われた時には、勉強不足と言うか知識の無さに戸惑いを感じていた。当時の会長(私の一代前の会長)と,これも当時の県PTA連合会長(明道中副会長)とは、同じ順化地区なのでよく飲みに行ったのだが、3人で楽しく話しているのだが、何故か途中からこの二人は教育論議となる。そして、その高度な会話は到底、私の常識を超えたものだった。「テレビ寺子屋?・・・吉岡たすく先生?」「昭和22年の教育基本法?」「県P・・・市P?」何を聞いても、全く分からない私だった。二人の白熱した会話の応酬は、まるで異次元の世界かとも思われるほどのものだった。
 そこで、少し負けず嫌いの私、とりあえず担当となった補導関連(児童&生徒・学校関係)の新聞記事を切り抜きだした。注意してみると以外と多い、その事件事故。次にそれに付随する教育関連記事も集めだした。そして、これに趣味の野球&バスケ&ゴルフのスポーツ部門となり、サイエンス(地震・気象・宇宙)部門を加え、テロ関連・韓国&北朝鮮となっていった。当然、棚田オーナーとして農業関連も入り、私の棚には納まりきれない程のファイルの山がある。妻曰く「そんなに集めて、それをまた読む事があるの?」と、言うのだが・・・答えに苦しむ私だ。
 そうそう新聞ではその新聞独自のカラーがある。だから面白い。福井新聞でも日刊県民福井でもそれは同じだ。特に毎週の特集記事が私は好きだ。福井新聞の学校関連や日刊県民福井のサンデー版などは、必ずファイルしている。
 先日13日のそのサンデー版は、「平成の農地解放・急増する耕作放棄地対策」のタイトルで、分かりやすく説明されていた。そしてその中に「棚田はさびしい。しかし、人の手が加わると、あたたかくなる」の題での文があった。
 この筆者は、民俗研究者の結城登美雄(ゆうき・とみお)氏だが、その中身がこの高須城日記の読者の皆様にも興味があると独断で思い、お知らせすることにした。
 豊かなブナの森を背景に美しい棚田が広がる山形県大蔵村四ヶ村地区。縁あって仙台からここに通っている。日本の棚田百選にも選ばれた見事な風景の中に百戸ほどの農家が点在する。この農村の景観にひかれてか、近ごろ都会から訪れる人も増えてきた。人々は心いやされる空間を満喫し、満足げに帰っていくのだが、それを迎える村人の心は複雑に揺れている。村民アンケートによれば、農業の後継者がいると答えたのは七十六人中、わずか六人。あと何年ここで農業を続けられるのか、との問いには五割以上が三〜十年以内に確実にやめると答えている。棚田はギリギリのところで美しさを保っているのだ。加えて、ここは積雪三bを超す豪雪地帯であり、六百fが地滑り地域。のんびりと農業を営み、穏やかに暮らしているわけではない。
 過疎化、高齢化、労働力不足による耕作放棄地の増大という、日本の山間地が持つすべての悩みと不安を美しい棚田の村は抱えていた。もはや、個人の力だけでは限界である。ならば村全体で力を合わせて農業を営む手だてはないか。離農が離村につながり、やがてふるさとの消滅にならぬうちに何とか手をうちたい。夜遅くまでの真剣な村の話し合いが続く。
 しかし、課題は村の中だけにあるのではない。どこまで落ち込むのか米価。新たな「農業経営基盤強化推進法」の制定は、中山間地の農業切り捨て、平場(ひらば)の大規模農家中心に担い手を絞り込む政策ではないのか。解決するには多すぎる課題。たまに出かけて眺める棚田は美しいが、そこを生きていくのはラクではないぞと、つくづく思わされる。都市に暮らす人々と、その食料を支えて汗を流す棚田の村の人々。両者の距離を縮める方法はないものか。そんな棚田の村の往還(おうかん・@行きする道。街道。A人や車がゆききすること。往来。辞林調べ)の中で思い出されるのが民俗学者・宮本常一の言葉だ。
「自然はさびしい。しかし、人の手が加わると、あたたかくなる」
 自然に限るまい。農家も多くの人の手が加わることによって温かく甦らないだろうか。耕作放棄地の増大は私たちの食卓の危機であり、すでに生産領域の問題をこえて、食卓のゆくえに連動している。食を支える農漁民を失ってどんな食料自給率向上策があるというのか。農政だけをあてにせず、私たちが農業にどんな手を加えることができるのか。美しい棚田の村が私たちに問いかけている。(終)
 この文を読むと、高須の棚田が思い出される私だが、やはり多かれ少なかれ高須の棚田も同じような問題があるには間違いないだろう。過疎化や高齢化の問題を持つのは多くの農家の苦痛にも似た事情である。高須町の棚田に魅了され通いだして数年たつ私、このホームページの立ち上げに参加しyamazatoスタッフとして高須町の準住民のようにさせて頂いているのだが、真剣に高須町の将来の展望を考えたことがあるかの問いには・・・無言になるしかない。
 今、私に出来る事。地元の皆さんと協力して出来る事。逆に私だから出来る事。そんな事を考えてしまう。趣味や遊び感覚で高須町を思ったことはないが、これから真剣に考慮しなくてはいけない問題だろう。
 同じ紙面に書いてあった。
 人の手と心が継続して加わって初めて、農地はコメや野菜、果物を生み出す。いったん人が背を向けると、みるみるうちに荒れ果ててしまう。農地はただの地面ではない。農業は子育てに例える人もいるぐらいで、農地を育てる心がなくなれば、農地は荒れ、再生は難しいのが現実だ。耕作放棄された水田は2、3年で死んだ水田と化してしまう。
 農家の皆さんの古くから守り続けてこられた田畑、その田畑には先人たちの血と汗と涙が含まれている。その事を誰よりも知っているはずなのに、放置しなければならない苦汁の選択が今増えている。荒れた田畑は見たくない。読者の皆さんも真剣に考えましょう。
「私たちの手でも、あたたかい棚田になるはずだから!」


△男の酒のつまみ・・・59
 この季節になると、当然の事ながら豆腐を使うつまみは、冷奴から湯豆腐になる。鍋にも欠かせない豆腐だが、最近「おから」を口にすることが無くなった私。昔はどこの近所にも馴染みの豆腐屋あり、出来立ての豆腐やアツアツのがんもや厚揚げを家に買って帰ったものだった。そして、おからもタダ同然かサービスでよく頂いたものだった。おからの栄養の度合いは、今一知らないのだが「身体にいいから食べなさい!」と昔は母から言われたものだった。スーパーのお惣菜コーナーでそのおからを捜してみた。それほど大きくないパックに入りおからがあった。ほとんどのつまみを、手料理することを心がけている私だが、懐かしさのあまり買ってみた。軽く味付けのしてあるそのおからだったが、昔食べたであろう、その味を思いだしつつ食べた。「こんな味だったかな?」と、考えた。横にいた次男が「僕も食べてもいい!」と、言い出したので、「いいよ!」と言った。子供の好き嫌いを無くしたい私だから、次男のおからの感想を聞いた。
「ん・・・おからって、こんな味なの?もういいや・・・!」
 ぱさぱさ感のあるおからは、子供には苦手意識があるのかと考えたのだが、思わず「身体にいいんだから、食べないといけないんだよ!」と、言ってしまった。
 そのおから、おかずとしてじゃなく、つまみとしても食べないといけないと思う日本人の食の元だろう。


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【十一月の六/高須町、祝いの宴】11月15日(火)

 2週間ほど前だが、高須町の佐々木さんから電話があった。
「藤田さん、11月15日の火曜日って用事ある?」と、聞かれた。
「15日・・・何があるの?」と、聞き返したのだが、
「例のお祝いをするから、植木さんが是非、田中先生と来てほしいと言うんだけど!」と、佐々木さん。平日にするのかと驚いた私だったが、とりあえずその時間を聞いてみた。
「それが・・・午前11時かららしいよ!」の佐々木さんの言葉に再び驚いた私だった。
「11時!」と思わず大きな声を出してしまった。勿論、その時間帯は仕事中で、いくら自営業者といってもどうなるか分からない。ましてや、授業を持つ田中先生は、聞かなくても無理なはず。
「で・・・佐々木さんは?」と、聞くと「仕事!」と即答してきた。
「そうだよな!」と、出席を悩んだ私だった。しかし、植木さんの顔が何故か浮かび
「じゃ、俺だけでも出席させていただくわ!」と、返事したのだった。
確認の意味で田中先生にも聞いたのだが、その先生は簡単に「仕事です!」と、言う。
 このお祝いなのだが、この高須城日記【九月の十四】にも書いた、平成17年度・豊かなむらづくり優良団体に高須町が福井県から選ばれ、北陸農政局長賞を受賞した事のお祝いだった。
 金沢市内で行われた表彰式には、植木さんが出席し、それを「げんき米」でお馴染みのFBC福井放送が同行取材した。
 

 その表彰式の様子を見ていた川島アナ「涙がこぼれそうになりました。本当に感激しました」と、語っていた。
 高須町の嬉しい財産がまた一つ加わり、その受賞記念パーティーを高須町で開催するらしい。
 そんな晴れやかな場所に私などが出席させて頂くのもと、考えたのだがホームページの事を含み、参加させていただく事にしたのだった。
 朝10時15分、スーツ&ネクタイでと出かける間際まで悩んでいたのだが、普段から見られない姿で高須町にいけば地元の方に笑われるかと思い、ラフなジャケットを着て出かけた。珍しく、秋晴れの日となった。まるで、高須町のお祝いを祝福してるかのような、空だった。自衛隊出身者として時間を守る私、最低でも定刻より「5分前の精神」を自分自身に言い聞かせながら安全運転?で、高須町に向かった。
 高須町に近くなると好天に浮かれて、運転しながら鼻歌を歌いだした私だった。「もうひとつの土曜日」(浜田省吾)「輝きながら」(徳永英明)・・・しかし、どれも歌詞を覚えておらず断念した。では、なんの歌だったら歌えるか考えてみたのだが、答えは・・・何故か・・・軍歌になってしまった。航空自衛隊の新隊員時代、厳しい訓練に耐えようと同期全員が隊舎の屋上に上がり、肩を組んで涙を流し歌ったのが軍歌だった。しかし、当然戦後生まれの私たちが軍歌を知るはずもないと思われる方も多いはず。しかし、そこは自衛隊で・・・覚えさせられたのだった。「同期の桜」「月月火水木金金」などだった。私の好きな軍歌(自衛隊歌)「浜松航空隊歌」である。(何故か軍隊口調になってしまう!)
この「浜松航空隊歌」は、知らない方は多いとは思うのだが、今、お聞かせできないのが残念なほど、いい歌と言うか身が締まる歌なのだ。歌詞を紹介すると・・・・
潮(うしお)渦巻く 遠州灘に ターボジェットの爆音高く
胸が高鳴る 日の丸つけて 今日も編隊がっちり組めば・・
また、話が脱線しそうなのでハンドルを元に戻します。(毎度の事ですみません!)
 祝賀会が行われるのはいつもの研修センターで、高須城小学校を横目に見ながら坂道を進んだ。駐車場にはすでに何台か止まっている。「そう言えば、どんな方が出席されるのか聞いていなかった!」と、今更遅い私だった。
 研修会館の戸を開けると、厨房では地元の奥さんが大勢で準備のご様子。植木さんにご招待の挨拶をして応接間をみると、すでに何人かのお客様が来られていた。小心ものの私(どこが!)、すぐに応接間に座らず、別部屋の賞状と川島&大島アナのパネルの前に行った。「これは、本当にいい写真です!」と、後ろから声がした。振り返ると、福井市農政企画課の本多さんだった。
 何枚かの賞状の間に、大きいこのパネルは目立つ。床の間に一際目立つパネルだった。もしや、農政企画課の課長さんも来られているかと本多さんに聞いてみた。「来られていますよ!」と、本多さん。実は、ホームページの「あぜ道インタビュー」の次回を農政企画課の課長さんにと何ヶ月も前からお願いしてあったのだが、私の勝手な都合により遅れていたのだ。そこで、私は名刺を取り出しご挨拶となった。福井市農政企画課課長・舟木正芳と書かれている名刺を交換させていただき、その舟木様は心よく今月のインタビューを引き受けていただいた。同じく、次長の井上正明様ともご挨拶となった。県の農林水産部の幹部の方もお見えになっていて暫しの歓談となった。舟木課長からは、私が高須町のホームページ担当になった由縁を聞かれ、「良いことをしておられますね」と、お褒めの言葉を頂いた。
 その様子を微笑み顔で見ている植木さんだったが「FBCがまだ来られていませんので、今しばらく、お待ち下さい」と、説明があった。川島&大島アナも来るのかと、少し嬉しくなった私だったが県や市の幹部の方を待てせるのは申し訳なく、川島アナに電話をした。電話の向こうには元気な声の川島アナがいた。「すいません、今、九頭竜川を渡っているところです。大島を先に行かせましたので宜しくお願いします!」と、川島アナ。実は先ほどまで番組の取材をしていたらしい。植木さんにその事を伝えると、微笑みで答える植木さん。
 窓から外を見ると、1台の車が着いた。ドアが開き、こしひかり娘(大島アナ)の登場だ。大島アナ、車を降りると携帯で誰かと電話。(川島アナかな?)研修センターの戸が開き、
「こんにちは!」と、いつもの大きな声がした。
「声が大きい!」と、私が言うと応接間の皆さんも
「さすが、アナウンサーだね!」と、微笑む。
 その大島アナの到着を待つかのように、宴が始まった。
 

 植木さんからの挨拶で、そして、ご来賓の福井市議会議長の木村市助氏の乾杯の音頭で宴が開始された。
 私のテーブルには市の本多さんと、毎回棚田オーナーに稲の説明をして下さる、県農業経営支援部の田中勲氏だ。私を背に、そのテーブルには大島アナが一人でいる。(少し寂しそう!)そんな時、私の携帯が鳴る。川島アナだった。
「今、高須への道に入りました。フォーレスト・ゴルフ場付近です!」との事だった。早速、大島アナに
「川島アナ、今フォーレストの近くだそうですよ!で・・・ついでにワン・ラウンドしてから来るそうですよ!」と冗談を言うと
「ああ、そですか!・・・えっ!」と、冗談が通じない様子の大島アナだった。(ゴメン!)
川島アナの到着まで、間が持たなそうの大島アナに私は話をした。
「最近さ、川島さんとのトークは面白いよ!」
「そうですか!有り難うございます!」
「この間の、ホット・カーぺットの時のあの二人の間は絶品だね!それと、昨日の紹介を紹介しますを大島さんが言った後の、川島アナの何とも言えない表情は最高に面白かったよ」
「よく、見ていますね!」
嫌みとも虐めとも取れる私の話を笑顔で聞くこしひかり娘だった。そんな時、川島アナが到着した。ここ高須町でも大人気の二人のアナにサインをお願いと色紙を出すお母さん。快く引き受ける川島アナと大島アナ。
「普段と言うかよくサインするの?」と聞いた私。
「そうですね!たまにありますね」と、川島アナ。その横では色紙に黙々と書き込む大島アナ。見ていると「高須・・・」と書いた所で「いやーん!見ないで下さいよ!」と、色紙を隠す大島アナ。次に川島アナを見ると、自分の名前を芸能人のように崩して書いた。「えっ!初めて見ました!」と、驚いた大島アナ。「うん!たまにね!練習してたから」と、川島アナ。このコンビはやはり面白い。  それぞれのテーブルが和やかに話の花が咲いていた。
 その間も地元の皆さんはそれぞれのテーブルにおもてなしをして下さる。地元、高須産の食材を用い、心のこもった料理の数々が目の前に運ばれてきた。まずは、お蕎麦だ。新種の蕎麦でこれも地元産の天然の自然薯を繋ぎに使った蕎麦だが、その美味しさには全員が感動した。川島アナも「この腰の強さは最高です!」とお代わりしていた。蕎麦好きな私も、そして全員がお代わりするほどの美味しさだった。
 次に、猪の焼肉だった。塩・胡椒の味付けで食べるのだが、何故かいつもと違う味。地元の方に聞くと、季節により猪の味が違うと言う。そして、今回初めて食べる猪の足の部分、つまりスペアリブの部分だ。これがまた美味い。最高の味と言えるだろう。そして、先ほどから各テーブルの上では、ぐつぐつとしし鍋が美味しい匂いを嗅がせている。旬な野菜としし肉のコンビは、これもまた文句のつけようがなく美味しいものだ。
 この時点で、皆さんのお腹は満腹状態だった。しかし、これでは終わらない本日のもてなしの高須町の皆さん。高須産のこしひかりでのおにぎりが登場してきた。シンプルにうす塩での味付けだが、これがまたいい。川島&大島アナは「げんき米だ!」と、喜んで食べている。あの時(「げんき米」のFBC本社でのプレゼントの日)に、私がおにぎりを食べられなかった話をすると、川島アナが「実は私も、食べていないんですよ!」と言うのだ。どうやら当日のあの忙しさの中、食べる機会を失くしたようだ。改めてその味に感動している二人のアナ。「やはり、ここで食べるこのおにぎりは最高ですね!」と、満面の笑みだった。
 完全に満腹状態の皆さんだったが、最後にこちらも地元産のもち米を使った「おはぎ」が運ばれてきた。アズキ&きな粉の二種類。「もう食べられない!」と、全員が思う中、一人黙々とおはぎを食べる大島アナ。「べつ腹ですから!」と言わんばかりに美味しそうに食べている。楽しく、そして心のこもった持て成しが続き、約2時間が過ぎていた。
 ご来賓の方が席を立ち、最後に私と川島&大島アナが残った。まだまだそのテーブルの上には多くの料理が残っている。「皆さんで食べましょうよ!」と、お世話になった地元の皆さんも席に付き、二次会の開催となった。これだけの料理の準備には大変な時間がかかったはずと質問すると、「そうね!夜中から準備してたんやわ!」との答えに大島アナ「えっ!そんなあ、有り難うございます!」と、再び感激の様子。私たち3人と地元の皆さんとの和やかな懇親会がしばらく続いた。
「ここ(高須町)はいいです!落ち着きますね!」と、川島アナ。
「後で棚田に行きましょうよ、川島さん!」と、大島アナ。
「そうだね!行こう!」と、川島アナ。
 放送は終ったのだがまだまだ、この二人のアナウンサーの心の中で「げんき米」は続いていると確信した瞬間だった。最後に全員で記念撮影をしたのだが、どのお顔も笑顔に満ちていた。

 楽しい宴も終わりになり、地元の皆さんにお礼を言い研修センターを出た。「そうだ!俺も棚田に行こう」と、二人の後を追った。棚田が見えてきた。賑わいの後の静かな今の棚田だが、それもいい。そんな事を考えていると道の上から車が下りてきた。川島&大島アナだった。そう言えば、宴の席で「後で写真を撮らせてね」と、お願いをしていた事を忘れていた私。私の車に気が付いた川島アナ、車を後退させ棚田に逆戻りしてくれた。「げんき米」が育った田んぼを見る二人だが、やはり若いことはいい事だと思う、今月18日に節目の50を迎える私だった。(羨ましい!)
 

 棚田からの帰路、高須城小学校前に近づくと見覚えある方がいた。石村校長先生だった。車窓ごしに挨拶をすると、笑顔の石村先生。「あら!藤田さん。どうも!」と、声をかけて頂いた。高須城小学校を過ぎると前には川島アナが運転するFBCの車がいた。道に地元の人を見かけると「こんにちは・・・どうも!」と、車を止めお世話になった高須町の皆さんに丁寧な挨拶をする川島アナだった。
 またまたお世話になってしまった私だったが、田中先生の分まで、いやそれ以上の高須産の高須「愛」を頂いた。
 心から有り難うございました。そして、ご馳走さまでした。


△男の酒のつまみ・・・60
 この高須城日記を愛読してくれている川島アナ。「よく、いろんな話題を書けますね!」と、お褒めを頂いた今日だったが、そうそう17日から韓国に行くその川島アナ。今、何かと噂のキムチ作りにも挑戦すると聞いた。このキムチ、特に我が家族では私と長男(高3)の大好物!キムチチャーハン豚キムチは毎度の料理になっている。この豚キムチだが、簡単に豚を焼きそこにキムチを加えるだけでもいいのだが、そこは一工夫したくなる。
 本来、色々の野菜が入っているキムチ。豚を焼く時に細かく切った薄あげもこんがりと炒める。そこに醤油を数滴かけて、一炙りする。そこにキムチを合わせると以外と美味しいのだ。勿論、豆腐でも美味しい!


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【十一月の七/夜明け前の月と北極星】11月18日(金)

 最近なのだが朝早く目が覚める私。「歳を取ると目覚めが早い」と、昔から言うが全くその通りになってきたようだ。
 いよいよ来てしまった50の声。男は女性と比べて精神年齢が若いと言うが、私もまだまだ30歳代のつもりでいる。子供の頃、50歳ぐらいの人を見ると、「おじさん」「おじいさん」と、思っていたのだが自分がこの年齢を迎えると、「そんな事は無い!」と、自身を持って言える。(都合のいい男だ!)
 そんな夜明け前の朝、まだ誰も起きていない午前5時。(父は毎日、4時前に店に行く)一人リビングで寝起きの一服となっていた。昨日より朝の冷え込みが増してきた。「たまにはゴミ出しでもするか!」と、台所のゴミ収集日の月別表を見た。「今日は、プラスチックの日だな!」と確認して外に出た。肌寒く底冷えがする。「寒い!」と、思わず言ってしまう。この時間でも、ウォーキングで足羽山に向かう人達がいる。ゴミを町内の収集場所に置き、ふと空を見上げた。星が出ている。西の空(北西)には満月の月が出ている。近くには北極星もある。(たぶん!北極星だろう!)「あっ!ポラリスだ!」と、ひとり言。(まだ、冬ソナ気分!)
 それにしても綺麗な月である。ここから見る月の方向に高須町が・・・そして、その高須町のまだ向こうには、昨日韓国に行ったFBC川島アナがいる。(方向が少し違うかも!)
 よく?・・・たまに、テレビで「私○○アナウンサーと行く○○ツアー!」と、いう企画がある。今回の川島アナの韓国漬物紀行?もそうなのだが、以外と人気があるらしい。大島アナ(こしひかり娘)から聞いたのだが、「参加者が多くてうれしいです!」と、その人気ぶりを話していた。川島アナの人気と今のこの韓流ブームでは当然の事かもしれない。
 もし、大島アナ企画ツアーをするなら植木さんをはじめThe Yamazatoスタッフは全員参加だろう。(自分たちだけで行けって!)
 夜明け前の空を見て、つまらない事を色々考えてしまった誕生日の朝だ。
 午前中には雨が降ってきた。こんな日に限って外での仕事が多くある。仕事のあることはいい事だと思いながらも、手先まで感じとられる「悴む寒さ!」は、何とかしたい。
 お昼休み(昼食タイム)には、その寒さを感じた身体を温めようと、ラーメン&ライスにした。もちろん自分で作る。
 我が藤田家の昼食は、父と母は店でお弁当。妻もお弁当で長男(高3)は学食、次男(小5)は給食となっている。つまり、平日のこの昼食タイムは一人なる。簡単に手軽にと思う自分の昼食だが、ついつい手をかけたくなるのが、料理好きの悪いところ。ラーメンは出前一丁だが、肉と昨日親戚の畑で頂いたチンゲン菜を軽く塩&胡椒で炒め、のせた。ライスは当然、高須産のコシヒカリを食べる。大好きな漬物は、先日佐々木さんから頂いた、大根で・・・塩&たかのつめ&昆布で約10日間ほど漬けたものだ。簡単だが最高に贅沢な昼食である。5年前に80キロあった体重を68キロまで減らした私であるが、やはり高須産のコシヒカリの美味しい誘惑には勝てず、ついついおかわりをしてしまうことになる。
 午後、雨も止まず薄暗い空模様。携帯電話が鳴った。着信表示を見ると・・・「ん・・・あいつか!」と、ためらってしまう。【九月の五】以来の登場だろうか、同級生の口の煩い男からだった。「よりによって、この誕生日の日に!」と、思いながら電話に出た。
「おう!藤田か?」(電話かけてきて、聞くな!吉本新喜劇か?)
「あのな、俺こないだ高須町に行ってきたんやけどな」(お前は行くな!高須町に迷惑がかかる!)
「お前、何しに高須に?・・・」
「いや、なんちゅう事はないんやけどな、いっぺん高須町に行きとうなってな、ほら、ホームページの写真見てたやろ、そいで景色がいいって書いてあったからな、そいでや!」(お前が景色を眺めるって柄か!)
「で・・・どうだった?」
「おう!それが・・・途中で道に迷ってしまってな。あれ、俺のカーナビが悪いんか、高須までの道が途中から消えてしまって、それで苦労したんや!」(だから、高須町まで行ったのか?行けなかったのか?どっち?)
「どこで迷った?」(どうでもいいけど、一応聞いてみた!)
「それが、小学校過ぎて坂道がずっと続くやろ・・・」
「ああ、旧下郷小学校からか?」
「いや、高須城小学校って木の看板に書いてあったぞ!」(こいつ、ボケてるのか!)
「お前な、そこが高須や!」
「そやろ、そう思ったんやけどな。棚田がどこかわからんのや棚田がな!」
「で・・・小学校過ぎてからどうしたんや?」
「坂道を登ってな、何かそれらしい所まで行ったんやけどな、だんだん不安になってきてな、引き返したんや」
「俺に電話をくれればいいのに!」(迷惑だけど!)
「それがや、携帯かけたんやけど電波がな!」
「ああ、あの付近だと、auしかだめだから!」
「そうなんか!俺ボーダとドコモだから!」(なんで2機種持っている!)
「で・・・、どうした?」
「いや、逆戻りしたんやけど、そこでもまた道に迷ってな、どうにか小学校の所までは来たんや!」(ずっと迷っていればいいのに!)
「そうか、大変だったな!でも、また何で高須町に突然行こうなんてお前が?」
「理由なんて、特別はないんやけど、何か行ってみたくなったんや!しかし、何も無い所やの?」(大きなお世話だ!)
「あのな!そこが高須町の良いところなんだって。お前には理解しがたいだろうけど!」(絶対に無理!)
「おう!俺もそう思った。子供の頃から駅前の都会暮らしが当たり前やろ、だから何て言うか・・・田舎って言うか・・・故郷って言うか、何か気持ちが落ち着く処やな、あそこは」(福井の駅前が・・・都会暮らし!偉そうに言うな!)
「そうか、お前にも分かるか?」
「おう、また今度行きたくなったな」(行かなくていいっつぅの!)
「そうか!」
「それでや、小学校の化石の話があったやろ。あれを思い出してな」(いやな予感!)
「丁度、小学校の前に車を止めてあったから、化石を見たくなったんや」(おい、おい!)
「で・・・どうした!」
「あのビニールハウスがあるやろ、小学校の前に。あそこに車を止めて学校のグランドに入ったんや」(まさか!)
「で・・・中に入ったんか?」 「それが、一応気が引けてはいたんやけど、丁度校舎の中の女の先生と目が合ったような気がしてな、何か睨まれたような感じで、どうしようか迷ったんや」
「お前、授業時間中だったら迷惑な話だぞ!」
「おう、全然俺は面識も無いしな、そこで誰か先生が出てきたら藤田の名前を出して、同級生だから見学させて下さいって言おうと思ったんや」(俺の名前を出すな!)
「おいおい!」
「そやけど、その女の先生に不審人物に間違われるかなって思って、止めたんや」(十分、お前は不審人物だ!)
「そうか、残念だったな!」(よかった、先生たちに迷惑かけずに!)
「今度、高須に行く時は藤田と行くわ。俺の車で行こうな!」(絶対いやだ!お前のベンツは高須には似合わない!)
「そうだな!、今度な!」(誘うなよ!)
「これから、年末は忙しいから・・・また、今度な」(おい!お前が言い出した事やろ!)
「ラジャー!」
「ほんじゃな、高須城日記にまた俺の事書くんやろ?実名は出すなよ!」(誰が出すか!)
「まあ、書くかもな?」(当然、書かせてもらうよ!)
「じゃ!」
「おう!」
 電話の後、何故に高須町に行ったのか、その理由と言うか本心を再び聞きたくなったのだが、止めた私だった。
 高須町の皆さんに注意しておかなければならない。「白のベンツを見たらご用心!」
 夜、母が買ってきたケーキで誕生会となった。50歳になっても親からみれば、子供は子供だと改めて思った。我が藤田家では最後の誕生日となる私だが、誰の誕生日でもその中心は・・・やはり次男である。嬉しそうにケーキを食べる次男を見ると・・・・・それだけでいい、と思う今年の誕生日だった。
 さて先日、高須町にて美味しくご馳走になった猪だが、県内でも狩猟が解禁(15日)となった。この狩猟の対象だが以外と多くその種類があることに驚いた。福井新聞(15日付)によると、鳥類はカモ・キジ・ヤマドリなど29種類で獣類がイノシシ・ニホンジカ・ツキノワグマなど20種類という。最近では牛肉騒動で他の肉類に食を移す人が増えていると言うが、ジンギスカン(羊)人気もそのせいか。また、鹿肉の需要も増えつつあるらしい。
 留まるところをしらない日本人の食欲だが、私もその代表する一人だ。「やはり、美味しいものは食べたい!」が、本音だろう。日本人が好む魚の王様・マグロ(本まぐろ)の漁の規制が今、話題になっているが、やはり自分たちで食を作ることも考えなければならない時期にきている。
 当然、肉や魚とは言わないが、身近に作れる野菜などは、一度は試したいものだ。その事により、食の大切さが感じ取れるはず。自分で丹精こめて作ったものを自分で食べる。そんなことが今大切な世の中になりつつあるように思う。


△男の酒のつまみ・・・61
 新鮮な大根を掘ってきた。無論、親戚の畑での話しだが、次男が毎年、楽しみにしている行事だ。「もっと、もってきね!」と、親戚のおばちゃん。その声を聞いて、嬉しそうに大根を抜く次男。必要以上に収穫する次男。大根と言えば、漬物&おろし&煮物と色々できるが、今回はサラダでつまみとする。「大根サラダ」珍しくもないが、やはり土の付いた大根(新鮮)で作るものはシャキシャキ感が違う。大根の切る太さは・・・刺身に付いているツマよりは太くしたい。一度水できり、他の野菜を合わせてもいい。和風でもイタリアンでも好きなドレッシングで・・・・・。


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【十一月の八/スポーツ観戦で感動!】11月20日(日)

 ここ数日、天気の悪い日が続いている。もう何日も前から田中先生と約束していることがあった。「休日に天候が良ければ、紅葉を撮りに高須町に行きましょう!」と、このホームページ用に冬を迎える前の美しい高須町を写そうと言っていた。
 しかし、肌寒く冷たい雨が続き、恵まれた天気は中々来ない。昨日も自宅に来られた先生だが、「明日も天気が悪いようですね!明日は久しぶりに家族サービスします!」と、帰られた。
 私も、当然天候不順と決め込んでいた。ところが、本日「快晴!」・・・となった。ある程度だが、気象に詳しいはずの二人だが、その予想とは全く異なる素晴らしい青い空があった。「高須町へ行こう!」と、決めた私。佐々木さんへ渡す物を用意し、車に乗りかけた。
 ここで、母が私を呼ぶ。「今日、親戚が来るから留守番してくれない?」と、母。「誰が来るの?」と、聞くと「大関の兄ちゃん!」と、母。この大関の兄ちゃんとは、つまり母の兄で、大関とは坂井町(来年3月20日から坂井市)の地名であり、その母の実家から叔父が来るのだ。父は会合で留守、母はパーマに行くという。
 で、留守を仰せ付かった私だが、その叔父が何時頃来るのかわからない。妻と次男は買い物で出かけ、長男は・・・遅くまでのパソコン遊びで熟睡中。一人、気楽な日曜日になってしまった。田中先生や佐々木さんに電話をしようと思ったのだが、田中先生は家族サービス中で、高須町の佐々木さんは・・・「日曜出勤か、畑か、家族サービスだろう!」と、電話は止めることにした。
 のんびりとテレビを見ていたのだが、朝からゴルフの生中継(GAORA)が写っている。男子プロゴルフツアーダンロップフェニックストーナメントの最終日だった。その最終組、T・ウッズJ・フューリク、の世界の顔と日本の横尾要の3人だ。しかも、1番のスタートから中継している。解説は青木功だが、ラウンドリポーターが何故か、やしきたかじんがマイクを手にその最終組と同行している。
 世界ランク1位のウッズの高い弾道でピン側に落とすテクニックに感激する、やしきたかじん。もちろん、少し離れた場所からコメントしているのだが、正座にてそのウッズの一流のプレーを見ている。神がかりとも言える技を過去幾度もしているウッズだから、私も画面から目が離せない。
 同じ組の横尾選手にも日本人として頑張ってもらいたいのだが・・・実は、私個人的にはこの横尾要選手は・・・嫌いなのである。何故かと言うと、この横尾選手の奥さんは、あの、かとうれいこなのである。小池栄子MEGUMIの元の所属事務所(イエローキャブ)の初期の看板スターであった、かとうれいこがプロアマ戦の出会いで横尾選手と結婚した。(個人的感情で悔しい!)
 難コース(宮崎・フェニックスCC)にスコアを落とす選手が多い。当然、最終日のコース設定はより難度が高いはず。これが、私たちアマにはたまらなく、つまりゴルフの真髄を見られる事になる。
 だが、その中継が途中で終了してしまった。新聞のテレビ欄を見るとこのゴルフ中継は午後3時から再び始まるらしい。
「仕方ない!」と、諦め正午からの東京国際女子マラソンを待つ。高橋尚子が2年ぶりのレースとなる今回だが、その高橋選手は肉離れを起していると報道があった。高橋選手にとっては因縁のこのコース、前回35キロからの登り坂でまさかの失速で、アテネオリンピックの代表になれず、その年齢と度重なる怪我で選手生命の危機とも言われた。恩師、小出監督からの独立で「チームQ」を立上げ、孤軍奮闘で今回のレースに臨むことになった。
 スタートし序盤のレース展開でも見ていて、その足の状態を心配してしまう。「頼むから無理しないでほしい!でも最後まで頑張れ!」と、勝手な願い。42.195キロにはドラマがあると、言われるがそのドラマを作るのは選手本人である。折り返し地点で、先頭集団は5人。日本人選手は高橋一人だ。
 沿道では多くの声援が高橋選手を激励する。「高橋頑張れ!」「Qちゃん頑張れ!」私も同じように声を出した。
 以前とは違うレース展開に、不安を感じた人も多くいただろう。しかし、その不安を高橋は取り除いてくれた。因縁の最後の坂道(赤坂見附付近)の前でのスパートだ。「大丈夫なのか!」と、誰もが思ったはず。しかし、そのスパートの瞬間には鳥肌が立った私だった。その後は「強い!」としか言えない彼女のドラマだった。
 競技場で最終コーナーにかかる時、拳を高く上げてスタンドの観衆へアピールした瞬間、私は泣いていた。
「2年前に止まった時間が、再び動きだした!」今回のレースは感動の2時間24分39秒の素晴らしい贈り物を高橋尚子は私たちにくれた。そして、インタビューでの彼女のコメントでも「みなさん、諦めないで!」の言葉に日本中が感動をしたはず。33歳の高橋選手、次回の北京まで3年だが更なる期待をしてしまうほどの強すぎるレースだった。
「スポーツはいい!」と、昼食を食べるのも忘れテレビにくいいる私だった。親戚の叔父もまだ来ず、再びテレビを見た。
 午後3時、画面を2画面にした。朝に見た、男子ゴルフともう一つは女子ゴルフだ。男子ゴルフは予想通りスコアが落ちていた。そして、タイガーと・・・横尾要の争いとなっていた。「どうせ、タイガーの優勝だろう!」と、思いながらかなめちゃん、頑張れ!食い下がれ!」と、応援していた。
 最終18番でその横尾が追いつき、プレーオフになった。コース脇では、タイガーのお母さん、そして・・・横尾選手の奥さん、かとうれいこお子さんが映し出された。(やはり、綺麗だ!)プレーオフ4ホール目で、ようやくタイガーに軍配が上がったのだが、横尾選手のその健闘振りには脱帽した私だった。
 2画面のもう一つ、女子ゴルフでもドラマがある。この大会(大王製紙エリエール女子オープン)で、再び賞金ランク1位に返り咲きを狙う、宮里藍と上位に食い込みそれを阻止する女王、不動裕理。だが、宮里の強さが目立つテレビ中継だった。微妙なアンジュレーションの芝目を確実に読みパットを決めていく宮里藍。後半の連続バーデイには、やはり鳥肌が立った。「強い!」若干20の宮里だが、幼い頃からのその徹底したゴルフ教育と環境が今日の宮里藍を生んだ事は確かだ。
 共に6勝の宮里と不動、賞金の差は僅か61万円だ。昨年も同じように最終戦までもつれ込んだ賞金女王争いだが、今回その最終戦に全米ツアー選考会参加で欠場の宮里は出場しない。不動の連続賞金女王なるか、また宮里藍の初の女王となるかは、最終戦に不動が14位以内に入れば不動となる。目が離せなくなった。
 そして、この大会でシード権(来期のトーナメント出場)争いが話題を呼んだ。1打で天国と地獄がある。勿論、それが当たり前のプロの世界だが、その対象となるボーダーラインの選手の1打1打に、手に汗握る私だった。
 夕方、ようやく親戚の叔父が来たのだが、その時には母も父も帰宅していた。(高須に行けばよかった!)
 マラソンとゴルフに興奮の私だが、その夜再びバレーボールを見てしまった。グラチャンバレーの最終戦、日本対アメリカだった。
 日本チームには勝ってほしいとは思う私だが、この女子バレー、最近何かおかしくなっている。実力より人気が先行する女子バレー、当然全日本の代表選手として誰よりも努力し練習しているのはわかるのだが、その長身選手のパワー不足には物足りなさを感じてしまう。昔の日本バレーは技を磨き、幾つものオリジナルをあみ出してきた。一人時間差などのようにだ。
 しかし、今のバレーはその技を力でねじ伏せてきている。キューバやブラジルなどがそうだ。世界ランク1位のお隣の中国などはその力と技、そして高さも兼ね備えている。エースの高橋みゆきが外国でプレーしている中、その中心となる大友愛だが、人気が先行して何故か写真集を出した。「違う!」と、思うのは私だけではないはず。ボンミスが続く全日本チーム、紙一重でのプレーなのは理解出来るが、1点の重みを誰よりも分かっているはずの選手「基本に戻れ!」と、叫びたくなる。
 いささか興奮しながらのバレーボール観戦となってしまったのだが、それに比例して晩酌の量が増えていく。(バレーに関係ないだろう!)感動するはずのスポーツ観戦だが、このバレーではストレスを大いに感じてしまった私だった。
 このままでは眠れない・・・と感じていた時、そんな私を癒してくれた女の子がいた。浅田真央ちゃんだ。フィギュアGPフランス大会で見事な演技で優勝したのだ。15歳、まだ少女の真央ちゃんなのだが、見ている私たちを魅了してくれる。可憐な表情で、その持って生まれた才能と身体能力を生かし演技していく。
 世界レベルと言われる女子フィギュア陣、荒川村主(すぐり)恩田安藤といる。そして浅田と同年代でも素晴らしい才能を持った選手が多くいると言う。
 次回オリンピックには年齢制限(3ケ月足らず)で出場できない浅田真央選手だが、ここにきて特例を認めるよう日本の連盟?がSIU(国際スケート連盟)に具申した。勿論、「NO」の返事だったらしいのだが、この来年のオリンピック出場は浅田自身当初から考えていなかったはず。それなのに、ここにきてルールを無視してまで出場させたいと考えた協会関係者の考えには、憤りを覚える。「出る!」「出ない!」は別として、大人の勝手で振り回すことは止めてほしい。メダルに拘りつつある最近のスポーツ事情。結果も大事だが、15歳の彼女の将来を大切に考えてもらいたいものだ。
 高須町に行く事が出来なかった本日、テレビでのスポーツ観戦の一日だったが、数々のドラマがあった。感動&涙で全てを語れないが、やはり「スポーツは最高!」と、再認識した私だった。
 今月中には、高須町の素敵な美しい紅葉をお届けします!


△男の酒のつまみ・・・62
 スポーツ観戦で興奮しながらの本日の晩酌、テレビから目が離されない状態で、CM中での短時間のつまみ料理となった。冷蔵庫にはツナ缶があった。油を除き、ツナを皿に出す。玉葱を薄くスライス、花かつおと共にツナの上に乗せる。醤油と少しのマヨネーズで食べる。簡単でいい。


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【十一月の九/新潟のお米と福井のお米】11月22日(火)

 奥越では美しい紅葉が冬の足音が近づくまでの少しの間、人の目を癒してくれている。私も昔、鳩ヶ湯までは車で訪れてその紅葉を楽しんでいた事があった。しかし、その奥にある刈り込み池には一度も行ったことがなく、最近の新聞紙面で写るその美しさには、実際に自分の目で見たいと思うのである。冬期間には、その積雪量にて通行止めになるこの鳩ヶ湯や刈り込み池までの道。幼い頃、父に連れられ幾度と通った道だが、当時は手付かずの自然に包まれ静けさと木々の囁きだけをこの脳裏に記憶している。
 父の生まれはその道の途中で打波川(うちなみかわ)のせせらぎが聞こえる、中村(なかむら)と言う地区だった。当時(昭和40年代)までは、数十戸の家があり多少の賑わいもあったと覚えている。しかし、過疎化や時代の流れで、大野市や福井市に家を移す人がいて、今はもうこの集落に住む人はいない。
 冬場には陸の孤島となったこの集落だが、私が小学生の頃だったか父がその中村に行かなくてはならない事が起きた。途中までは車を使い、しかし当時は豪雪が続いていた頃、残り10キロは徒歩での移動となった。腰まである積雪の中、一歩一歩雪を身体全身で押しのけ歩いていたと言う。
 夕暮れが近づき、生まれ育った幾度と見た景色もこの時は違ったと言う。寒さと疲労が父を襲っていた。生まれた中村までは残り数キロのはず、だが降り続く雪に当然道がなく懐かしいはずの景色も違っていた。冬の怖さ、この時「もうだめだ!」と、父は感じていたと言う。
 その時、どこからともなく一匹の犬が近づいてきた。何故だか犬が苦手だった父は、「こんな所で、犬の餌になるのか!」と、思ったらしい。しかし、ある程度の距離を置いて父の様子を伺うその犬。犬を気にしながらも気力を出し、再び実家に向かう父の前をゆっくり父の速度に合わせて歩きだす犬。まるで、「僕に付いておいで!ワン!」と、言うようなその犬の感じだったという。
 約4時間、父と犬の雪中サバイバルが続いた。そして、ようやく中村の集落の明かりが見えた時、父は命の恩人、いや恩犬のその犬を実家にて餌でも上げようと思ったらしい。しかし、その中村集落の明かりが見えた所でその犬の姿が見えなくなったというのだ。その犬がいなければ、おそらく父は凍死していたと言っていた。今でも、その犬の事は忘れられない父だが、それと同時にその時以来、少し犬が好きになった父だった。
 冬場には想像も付かない箇所になる父の故郷。(八甲田山みたいに!)しかし、夏場には最高の避暑地になっていた。
 私も子供の頃には楽しみにしていた父の生まれ故郷への里帰り。ボンネットバス(路線バス)が狭い道を終点の鳩ヶ湯まで打波川沿いを往復する。対向車が来れば、お互いが道を譲りあう。中村の停留所でバスを降り、橋を渡ると集落の右手には神社がある。石垣の上に父の実家があった。昔の家、 大きな戸を開けると広がる板張りの間、中央部には大きな囲炉裏があった。右横には大きな木の階段があり二階へと続く。
 台所は昔ながらの薪を使う大きな竈(かまど)。朝、目が覚めると「雨が降っている!」と、勘違いする打波川の渓流の川音。その川では近所の子供たちが裸で泳いでいた。槍を使い岩魚や鮎を捕る。山には多くの食材がある。天然のじねんじょ・わらび・きのこ・わさびなどだ。そんな、懐かしい記憶が今蘇る、父の故郷だ。
 この記憶があるから、私はその面影に似た高須町を好きになったのかもしれない。大野の山奥のその集落と高須町を同じにしては高須町の皆さんにお叱りを受けるかもしれないが、どちらにも人を優しく包み込む人情がある。一人が困れば村人全員で補い、お祝い事があればまた村全体で祝福する。 人の心を肌で感じる事ができる、それが里山の良さだろう。
 そんな集落が日本には多くあった。いや、まだ多くあるはず。私たちがそんな「癒し」を求めて故郷に帰る日は必ず来ることになる。その為にも機会があれば自然と触れ合い、自然と共存し、自然を守る事を勉強しなければならないだろう。
 夕方、私の店に宅配便が来た。メーカーからの部品かと宛名を見ると、「新潟県・・・」と、なっていた。送り主は父の戦友関係からの人だった。毎年、この時期になると送られてくるその人からの暖かい贈り物。その中身は、新潟県南魚沼産のコシヒカリともち米だ。魚沼と言えば、昨年の災害以来そのこしひかりの収穫が激減したと言われている。そんな貴重なお米を頂いた。すでに精米してあるこしひかりは白く輝いていた。高須産のこしひかりと、この南魚沼産のこしひかり。全国ブランドになった、魚沼産と高須産を比較するのはいかがなものかと思うのだが、やはり食べ比べしたくなる。
炊き上がった魚沼産の味は・・・「やはり、美味しい!」で、高須産は・・・「こちらも、負けず劣らず美味しい!」やはり、どちらも美味しいとしか言えない。何故なら農家の人の顔がこのお米の中に見えるから・・・。


△男の酒のつまみ・・・63
 新潟は米どころ・・・つまりお酒も美味しい。幾つかの有名なお酒がある。以前だが、父に新潟の友人から名酒「越乃寒梅」が2本送られてきた。まず、お仏壇にそのままお供えした父。さすがに「今日は飲まないでおこう!」と、私。翌日、そのお酒がなくなっていた。父は余りお酒は飲まないし、当然そのお酒についても詳しくはない。父はその「越乃寒梅」を親戚にお歳暮として上げようとしていたのだ。当然、「待った!」をかけた私。
 驚く父にこの名酒の貴重価値を話し、普通のお酒とすり替えた。夜、「越乃寒梅」に酔いしれた私。あまりのその美味しさに2本の名酒は2晩で消えて行った。
 その日本酒にはイクラが合う。醤油漬けと塩漬けとあるが・・・どちらもいい。小鉢にそのイクラを入れ、一粒一粒を箸で摘み口へ。至福の時になる。


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【十一月の十/占いを信じますか?】11月23日(水)

 冬の到来を何で感じるかは・・・お米をかしく時である。「かしく」は福井弁?「研ぐ」が標準語なのか分からなくなったのだが、つまり水の冷たさを感じてくる季節となった。
 我が藤田家では、高須産のコシヒカリを炊く時の担当者は、いつからか私になっている。(どうしてか、分からない!)まあ、料理好きな私だからどうでもいいのだが、我が家のご夫人方(母&妻)は、・・・楽をしている!(まあ、いいか!)
 昨日の事だが、テレビの占いによると「さそり座は、あわてず、ゆっくりと過ごしましょう!」と、言っていた。都合のいい事ばかりを信じる私だが、この時も「ふーん!」と、他人事のように思っていた。「明日は勤労感謝の日で休日か!」と、前から気にかかっていたこの高須町のホームページの「あぜ道インタビュー」が7月23日の第4弾から暫く遠ざかっている事に悩んでいた。
 そこで、先日お願いしていた福井市役所農政企画課長の舟木さんにお願いしようと電話をかけてみることにした。そこで、いつも高須町でお世話になる同課の本多さんに舟木課長のご都合を聞いてみた。電話に出られた本多さんだったが「あっ藤田さん、今電話をしようと思っていたところだったんです!」と、何という偶然だろう。そして、舟木課長にアポをお願いしたところ「午後1時30分までに」と、快くお返事をいただいた。そして、舟木課長の次回にと、県農業経営支援部の田中さん(高須町でいつも稲の説明をして下さる先生)にも今日お願いしようと電話をかけてみた。勿論お忙しい田中さんだったが、こちらも「午後1時過ぎに」という事になった。福井市役所(大手3丁目)と田中さんの勤務先の福井県福井農林総合事務所(松本3丁目)までは、車で約5分。「ラッキー!」と、思いながら本業の仕事にと車を走らせていた。
 しかし、何か忘れているような気がしてならない。「22日・・・何かあったよな!今日は・・・」午前11時の時だった。
 暫く考えながら運転をしていると「あっ!明道中だ!」と、思い出した。明道中学校にはいつもの田中先生に用事ではなく、学校評議員として公開授業の参観を要請されていたのだ。しかも、その公開授業の時間帯は午前中が中心で、この時間だと現在3時間目が行われている。次の4時間目の授業開始は11時35分からである。路肩に車を止め携帯電話で明道中学校の田中先生に電話で確認してみることにした。「あっ藤田さん、お世話になっております!田中先生は、今、授業中ですが、本日の公開授業是非お待ちしております」と、いつもながらの丁寧な女先生の返答に、思わず「伺います!」と電話を切った。
 現在地は新田塚付近で・・・高須町の佐々木さんの会社近くだ。ここから明道中学校までは約10分弱。「よし、間に合う!」と、我が母校まで走った。11時20分、明道中学校駐車場。車を降りかけた時、携帯が鳴った。店の母からだった。「新田塚の○○さんが、修理に来てほしいって!1時までに来てって!」「えっ!1時!時間指定かよ」と、時計を見た。しかも、先程までその新田塚付近にいたのに・・・と、今さら言っても仕方がない。取り合えず、学校に入る前にこれからの時間の段取りをしてみた。「今から12時までは、ここ明道中で、新田塚の修理に約30分ぐらいで、市役所を先に、そして田中さんの所に・・・」と、タイムスケジュールができた。「完璧だ!」と、我ながら自画自賛状態のこの時だった。そして、朝の占いを完全に忘れていたのもこの時だった。
 職員玄関から入り、入校の署名をする。(顔パスで普段は書かない!すいません!しかし、本当は必ず記入しなければならない)職員室に行くと、田中先生が待っていた。先生の横の椅子に座りホームページの打ち合わせをしていると、女先生がいつもの美味しいコーヒーと・・・この日は、岐阜県土産の「起き上がり最中(もなか)」で、おもてなしをしてくれる。(いつも、すいません!)
 田中先生と私の毎度お馴染みの職員室での会話をしていると「ご苦労様です!本日の資料です」と、教頭先生がわざわざ公開授業の参考資料を持ってきて下さった。田中先生との会話に夢中になりすぎて、何をしに明道中学校に来たのか忘れていた私。急ぎ足で英語と社会の授業を参観した。静かな校舎内に響く、先生の声とチョークの音。市内の小学校や中学校の先生もその授業をメモを取りながら真剣な眼差しで見ている。私が教室の後ろから入ると、その参観の先生と目だけの無言の挨拶。そして、我が後輩たちはその参観者に気を取られる事なく、授業を受けている。「さすが!」と少し自慢。
 授業内容は2年生のこのクラスでは社会で、「日清・日露戦争と近代産業」が、テーマだった。そして、次に覗いた3年生では「市場経済と金融」を勉強していた。懐かしいこの校舎での授業風景は35年前の自分を思い出される。
 しばらく、その授業を見ていたのだがどうにも時間が気になる。教室の時計は12時05分だった。「やばい!」と、教室に一礼し退室した。
 小雨が降り続く中、学校を後に急ぎ修理先の新田塚に向かう。しかし、こんな時に限って渋滞(交差点)がある。ふと横の車を見ると、たぶん20歳代の女性、信号待ちと渋滞で、くわえタバコと携帯電話を同時進行中だった。しかもシートベルトを装着していない。(あまり見たくない、そんな女性の姿!)しかも、大宮交番の目の前での光景だ。
 12時20分、修理先に着いた。昔からのお得意様で、奥様とご主人が私の修理を見ながら、「お父さんは元気?」「子供さんは大きくなったでしょう?」と、聞かれる。そんな矢先、意外な事が起きた。予想外の修理箇所に工具(工具箱)が1つ無い。そこで、店までその工具を取りに帰ることにした。
 トンボ返りで再び修理を終えた時、時間は13時を過ぎていた。非常事態!信号が無い道を選び、市役所の駐車場についた時には、13時20分だった。急ぎ市役所の農政企画課の窓口に着くと、奥のデスクには笑顔の舟木課長が私を待っていた。取材&写真撮影中も和やかな職員の皆さん。先日の高須町での受賞記念の宴の席でお会いした井上次長さんも笑顔でその様子を見ておられた。
 市役所を後に、田中さんの待つ松本の合同庁舎に向かう。松本小学校に隣接するこの合同庁舎、以前何度か来た事はあるが、田中さんが勤務している農業経営支援部には初めてになる。電話で田中さんから「同じ部屋ばかりで、分かりにくいかもしれません、東側の部屋ですから!」と、ナビを受けていた。そう言えば、午前中の電話の時「田中さんをお願いします!」と、話したところ「おそれいります、この課には田中は3人おりますので・・・田中・・・何でしょう?」と聞かれた。同じ課に3人は大変だろうと思ったのだが、ここで田中先生の顔が浮かんだ私、「田中」って多い名前だなと少し笑ってしまった。(田中さん&田中先生、ごめんね!)
 そんな事を考えながら、目的の田中さんの居られる「農業経営支援部・技術経営支援課」に着いた。ここでも職員の皆さんは忙しいご様子。
 田中さんとの打ち合わせが終わり、ふと前方を見ると昨年から高須町で何度かお会いしている、そして新聞などでお顔を拝見している女性がおられた。目線が合い「先日はどうも、高須町でお会いした藤田です!」と、ご挨拶。名刺の交換となった。その名刺には「農業経営支援部・部長 荒木和代」と記されていた。「えっ!部長!」と、心の中で叫んだ私。その荒木部長、「植木さんからお噂をお聞きしています!」と、こちらも優しい笑顔だった。
 慌しい時間を過ごしたこの約2時間を思い返し「やはり占いは軽視できないな!」と、思いながら松本の庁舎を後にした。店に戻ると・・・父が「丁度いいところに帰ってきた、配達行って・・・今から!場所は松本ね!」「・・・・」暫く無言の私だった。
 そうそう、17・18・19日と韓国ツアーのFBC川島アナ。月曜日の「夕方いちばんプラス1」で韓国の土産話があると楽しみにしていたのだが、何故かスタジオには大島アナ(こしひかり娘)一人がいる。その大島アナ「川島アナウンサーは明日までお休みです!」と、少し寂しそう。そして、その川島アナ全国高校サッカーの組み合わせ抽選会場でインタビューしていた。そして、その翌日・・・また大島アナ一人がスタジオに「川島アナウンサーは、今日までお休みです!」と、大いに寂しそう。二人の絶妙のトークを聞けないのは残念だ。(まあ、いいか!)
 夜7時、自宅で高須町の佐々木さんと電話をしていた。その佐々木さん会社で残業中で、最近は祝日も土日もないらしい。「無理しないで!身体に気を付けて!」と、励ます私だが・・・何故かその横で、五目並べに夢中の次男(小5)と田中先生がいる。
「直くん・・・後1手で終わりだよ!」
「えっ!」
「よく、見てごらん!」
「ん・・・あっ!・・・違うな」
と、幸せな二人である。
「この二人は占いには無縁だ!」と、この時感じた私だった。

【訂正】
11月20日(日)付の高須城日記【十一月の八/スポーツ観戦で感動!】の文中において、国際スケート連盟(ISU)SIUと誤記しました。訂正させていただきます。


△男の酒のつまみ・・・64
 最近の朝夕の寒さには「今晩は鍋がいい!」と、思う事が多い。鍋の種類は多いし、そのご家庭ならではの鍋がある。その昔?「もつ鍋」が流行していたのだが九州地方とは違い、この福井では最近は食べているのだろうか。
 今のイチ押しは、何と言っても「キムチ鍋」だろう。私は今宵、簡単に豆腐・ニラ・豚肉などにキムチを加えた。
 色々と、アレンジできる鍋は福井の冬には最高の味となる。

※「我が家の鍋」のレシピを教えて下さい。投稿をお待ちしています。


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【十一月の十一/恋の行方は!】11月25日(金)

 午前中は思わず背伸びしたくなるほどの、快晴になった。私が運転する店の車の助手席には、珍しく父が乗っている。つまり、何年振りだろうか二人でお客様の所へ・・・出張修理に出かけた。
 82歳の父と50歳の息子の車中での会話は、何故か他人行儀なものだ。
「今日はいい天気やわ!」
「うん、まあね!」
「2時間ぐらいはかかる(修理)かな?」
「たぶんね!」
 福井市田原町の公共施設での複数台数の修理に「一人では一日仕事!」と、親子で行く事になった。約束の9時30分、担当の方が3人で待っていて下さっていた。父は頭を下げ「お待たせしました」と、名刺を取り出す。担当の方も「宜しくお願いします。お二人でされるのですね、有り難うございます」と、丁寧な担当の方。
 親子でそれぞれチェックを始め要領良くこなしていく。好天での中の外での仕事、30分過ぎた頃には、この時期では珍しく汗をかきだした。そんな時、「お寒い中、ご苦労様です!これ、飲んで下さい!」と、暖かい缶コーヒーを頂いた。暫し、喫煙タイムと缶コーヒータイムとなった。父は黙々と仕事中!(見習え!)
 ふと周りを見ると、煙草を吸う職員の姿がある。「そうか!公共施設は館内禁煙だから」と、喫煙者ならではの同じ悩み。
 最近では喫煙者の肩身が狭い。つい数年前までは、意外と堂々と煙草を吸っていたのだが、最近では、何か悪い事でもしているかのような、そんな雰囲気さえも感じられる。まあ、煙草を吸わない人の気持ちも理解できるから仕方がないが、妻などは私が煙草を持っただけで「ごほっ!ごほっ!」と、咳をする。(まだ、吸っていないのに!嫌みか!)
 再び修理を開始した私だが、その時一人の担当職員の方が話しかけてこられた。「私が新人の頃、お父さんにはお世話になりました。新人みんながよく、お店でたむろしてたんですよ」記憶の中に蘇る、私の小学生時代。何故か多くの人達が水道の点検の前に父の店に集合して、それぞれ担当の地区へと出かけて行った。「ええ、私も覚えています。小学生の頃ですね」と、話した。「もう40年ほど前になりますかね」と、暫し昭和を振り返る。お客様との会話も大事な事だが、「口を動かすより、手を動かせ!」と、昔に父に言われたこと思い出し、修理に専念した私。
 父との息の合った連携作業でどうにか予定の午前中で修理が終了した。修理が終わったことを報告すると、また担当職員3人の方が私たち親子をお見送り。本当に丁寧な方達だ。
 久しぶりの親子での出張修理を終え店に戻る車中、何故かその会話は・・・お互い途切れることはなかった。
 午後に入り、雲行きが怪しくなってきた。午前中の快晴が嘘のような天気だ。父と母は店に、再び私は車で修理に出かける。そんな時、携帯が鳴った。「藤田さん、今どこですか?」
 電話の向こうは、昔からの友人というか後輩で現在、片町でパブをしている男だった。「こんな時間に珍しいな!」と、私が言うと「夜、少し相談があるので店に寄ってもらえませんか?」と言う。「いいよ!」と、返事をして電話を切った私だが、その後輩のいつもと違う元気のない声に少し心配していた。
 福井市内の歓楽街・・・「片町」。昔は溢れる人並みで賑わっていた。景気の波に左右されるこの片町だが、最近特に人の少なさが目立つ。そう、何十年前だろうか、繊維業界が好景気に沸いた頃、片町で何件かハシゴをしタクシーで県外に繰り出した話もよく聞いたものだ。繊維めがねが福井の経済を動かすと言っていた時代だ。
 そんな片町の一角で、こじんまりとパブを経営している後輩の店に私が入ったのは、夜8時過ぎだった。店には顔馴染みの先客が2人。とりあえずカウンターに腰をおろした私。
 目の前には後輩が、何も言わずにターキーの水割りを置く。最近、焼酎とビールばかりの私の胃の中に、度数の高いお酒が流れていく。「ふうー」と、声が出る。店の中ではジャズが流れている。私が2杯目を口につけた時、カウンター内の後輩が話し出した。
「藤田さん、あっ先輩!相談があります」
「おう!何の話」と、私。
「・・・・・あの」と、小声の後輩。
 私はこの後輩からの電話を受けた時、2つの事を考えていた。1つは、このパブの経営の事。もう1つは、この店で出される軽食のメニューの事だった。
 昔からこの片町では店の入れ替わりが頻繁にあり、特にこのご時勢でどこの店もその経営状態は頭を抱えている。ご他分に漏れず、後輩の店もそれかと心配した私。そして、酒のつまみとなるメニューだが、この店の雰囲気というか、カラーに合うメニューが足りないと思っていた私。そのどちらかの相談だと思っていた。
 しかし、その後輩から出た言葉は「先輩!好きな人がいるんです!」だった。意外なその言葉に驚いた私「えっ!」と、聞き直した。この後輩だが37歳独身で、もちろん結婚は今までしたことなく、彼女が以前にいた・・・と、聞いた覚えもなかった。もちろん、その昔「お前、結婚しろよ!」と話題になった事もあったのだが、いつしかその話題も消えていっていた。無論、この後輩「男好き」ではない。この業界の店主にしては「優しく&真面目」が、この男のとりえだった。
 その後輩から「好きな人がいる」の言葉に嬉しくなった私だったが、当然「誰?俺の知ってる女(こ)?」と、聞いた。
「以前にこの店で会ったかもしれませんが、たぶん知らない女性です」と、後輩。
「で・・・その女性の歳は?」
「22です」
「えっ、22!」
「はい、22です!」
「・・・・・」
年齢差15は・・・今どき珍しくもない話だが(うらやましい!)、驚いたのは事実。
「で、何している人なの?」
「OLです!」
「どこの?」
「この近くの会社です!」
「ふーん」
矢継ぎばやにこんな会話が続いたのだが、肝心な事を聞いていない私。
「で・・・、相手はお前の事をどう思っているの?」
「それが、・・・この半年会っていないんです!」
「何で?」
「この店に来ないから!」
「来ないって、付き合ってるんじゃないの?」
「いや、何回か店に来て、それで・・・一目惚れしたんです!」
「はあっ!一目惚れ!それじゃ相手はお前の気持ちは知らないんだ!」
「はい!」
「いや、はいじゃないだろう」
変な会話というか、訳の分からない会話が続いた。
「で・・・その子の名前とか会社は知ってるのか?」
「はい」
「じゃ、連絡してみれば!」
「それが・・・」
「出来ないのか?」
「はい!」
「何で?」
「私の気持ちを伝えて、もし断られたらどうしようと思って!」
「そんなもん、言わなければわからないだろう!」
「そりゃそうですけど」
「だろう、お前の気持ちをその子に伝えてからの話だろう」
「はい・・・」
これが、37歳独身の小心者の実情かもしれない。(気持ちは分かる!)
 恋に晩生(おくて)なこの後輩、奥手というよりは心を閉ざし過ぎている後輩。この店に会社の仲間で来た彼女に一目惚れし、半年前までは月に2・3回は来店したらしい。しかし、あくまでお客と店主の関係の話で、そこから先はない。その彼女がここ半年姿を見せず、恋の悩みを丸抱えしていた後輩だった。
 会社を知ってはいるが、電話する勇気もなく、ましてやその会社近くで彼女を待つ根性もない後輩。
「で・・・お前、この半年間、何してたの?」
「新聞、読んでました!」
「新聞?」
「はい!」
「何で新聞なの?」
「いや、新聞に結婚欄あるでしょう」
「おお!あるな」
「その結婚欄には名前が出てるでしょう、男と女の!」
「ああ」
「もし、結婚してれば彼女の名前が書いてあるかなって思って!」
「バカかお前は!」
「はい!」
 情けないと言うか何とも言えない後輩が私の前にいる。好きな女性が出来た・・・そんな話は、どこにでも誰にでもある。しかし、恋は・・・形(かたち)を求める。特に37歳の男だったらなお更だろう。晩生&小心者、そんな事はこの際関係ない。「好き!」と自分が気づけば前に進まなければ男じゃない。それを、相手の事を毎日、新聞の結婚欄で捜す後輩には言葉を無くした私だった。ストーカーまがいをやれとは言わないが、彼女の会社近くで待ち、出てきた彼女に偶然逢った振りで「久しぶりです、最近店に来ませんね!また来て下さい。貴方に飲んでほしいカクテルを作っていたんですよ!だから、近いうちに是非!」こんな事ぐらい私だったら行動すると、後輩に話した。そんな私の話を真剣に聞く後輩だが、本当に実行に移すかどうか。
 後輩の恋の行方は・・・また、進展があればお話したい。
 さて、明日は土曜日なのだが・・・その26日と27日はイベントがある。そのイベントとは、FBCフェスタといい、県産業会館で催すらしい。そして、川島大島アナの「げんき米」のおにぎりが再び両日、振舞われるらしい。(取材しよう!)高須町のブース(売り場)もあると聞いたのでなお更、取材に行かなければならない。また、この様子は明日のこの日記で・・・・・。


△男の酒のつまみ・・・65
 この時期になると大野の親戚から頂く、大野の里芋。この有名になった大野の里芋だが、「里芋の煮っころがし」何故か何度チャレンジしても大野の味にはならない。勿論、その大野の親戚に調理方法を何度の聞いたのだが、結末はダメになる。なるべく、同じ大きさの里芋の皮を剥き、少なめの水で煮る。醤油&味醂&砂糖での味付けだが・・・やはりこの日も・・・藤田家の味になった。でも、この里芋・・・美味しいものは美味しい!


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【十一月の十二/再びFBC「げんき米」】11月26日(土)

「すみません!連絡遅れてしまいました!」昼前にこんな電話がかかってきた。田中先生からだった。昨日の夜から何度となく田中先生に電話をしていた私だったが、いつも留守の先生。ようやく連絡が取れたのだった。今日は福井県産業会館にてFBCフェスタがあり、その中であの「げんき米」のおにぎりが再び振舞われると聞いていた。その取材を田中先生と行こうと以前から約束していた。
 ところが、この日の田中先生は、ご家族から何やら頼まれていることがあるとかで手が空かない様子(さすが!)。そんな事を知りながら私は「先生、どうします?行きましょう!」と、お誘いをした。
「12時30分から、おにぎりを配るそうですよ!」と、再び強引なお誘いとなった。「それじゃ、一度帰宅してデジカメを持って、産業会館に向かいます!」と、田中先生。私のオフェンスに先生のディフェンスが負けた瞬間だった。土曜日ということもあり、次男を連れてのお出かけとなった。自宅から産業会館までは約15分。「産業会館前で逢いましょう!」と、田中先生と約束したのだが、この産業会館でのイベントは混雑が予想される。こんな時、携帯電話は便利だと改めて思いながら次男とともに産業会館に車を走らせていた。
 12時15分、産業会館に着いた。駐車場に車を止めようと空きスペースを捜すのだが、それよりも会館入り口の多くの人の列に目が移っていた。今回のこのFBCフェスタだが「ふくい食のめぐみ祭」と、題して健康長寿である福井県の食の原点を探ろうというものだ。今、タイムリーの話題だ。 「凄い人だね!お父さん」と、驚く次男。車を止め、次男とともに慌てその列に並んだ私。私たちの前には可愛い女の子と母親がいた。そして、その列をカウンターで数える係の人。「149・・150」
 5分ほど過ぎた頃だったろうか、一人のおばあちゃんが私の前に並ぶその女の子におにぎりを渡したのだ。「おばあちゃんかな?」と、思った私。その時、そのおばあちゃんが私を見て「藤田さんですよね!」と、声をかけられた。「はい!」と、私。何故知っているのかと疑問に思ったのだが、そのおばあちゃん、女の子におにぎりを渡すと立ち去ってしまった。
 その時、女の子のお母さんの声が聞こえた。「今の人、誰だろう?おにぎりを貰っちゃった!」と、言うのだ。益々、疑問を持った私だったが、その答えはおにぎりにあったのだ。「高須町の人だ!」と、気づいた私だった。
そんな時、携帯が鳴った。田中先生からだった。
「藤田さん、今どこですか?」
「今、並んでます!」
「(産業会館の)本館前に着きました!」
「了解!」
そして、1分後再び携帯が鳴った。妻からだった。
「今どこ?」
「今は産業会館なんだけど、列に並んでいるよ!」
「私も行くわ!」
「そうか!」簡単な夫婦の会話だった。  この列の正体なのだが、実は産業会館の入場への列ではなく、「げんき米」おにぎりの列としばらくしてから気づいた私。
「まあ、いいか!」と、その12時30分を次男と共に待つ事にしたのだ。しばらくすると田中先生がデジカメ片手にやって来た。「忙しいのにすいません先生!」と、私が言うと「いえいえ」と、優しい先生。「では、おにぎりの所で待ちます」と、入り口へ消えて行った。

「お待たせしました。只今から、おにぎりを開始します!」の係の人の声に先頭から少しずつ人の列が動いて行く。その「げんき米」のおにぎりを手渡ししているのは、当然・・・・・川島アナこしひかり娘(大島アナ)だった。
 一人一人に笑顔でおにぎりを渡している。私の番になったら「記念に握手して下さい!」「いつも、番組見ています!」と、言おうと企んでいたのだが・・・言えなかった。「あっ、藤田さん!」と、この列に並んでいた事に驚いていた川島アナ。次男を改めて紹介した大島アナは「こんにちは!」と、次男に笑顔を送っていた。私は川島アナから、次男は大島アナから「げんき米」のおにぎりを貰った。横では、その瞬間をデジカメで撮ろうと田中先生。しかし、混雑で中々思うような瞬間がとらえることが出来ない様子。
 おにぎりを手に次男はこの会場内でできる、食育○×クイズラリーにチャレンジした。
【問題】(○か×か)
@福井で産まれたコシヒカリは、来年で30才である。
A現在の日本の食料自給率は70%である。
B魚に多く含まれ、脳の働きに重要な役割を果たしている栄養素はDHAである。
Cポリフェノールを多く含むのは「早刈りそば」である。
D食事の望ましい組み合わせや量をイラストで示したものを「食事バランスガイド」と言う。
Eカルシウムの吸収を助ける働きをするのはビタミンCである。
(答えは最後に!)
 この問題用紙を片手に次男はヒントが隠されている、この会場の中に嬉しそうに消えて行った。何故、嬉しそうかと言えば、この問題に全問正解すれば記念品が貰えるからである。
 そんな時、田中先生と私の横に高須町の植木御大が来られた。この会場内に高須町の野菜やお米などが売られているブースがある。もちろん、他(県内)の地域からも多く出店している。高須町の売り場には、美味しいお米(高須産)や干し大根・あずき・菊などがあった。そして、その商品の上にはご存知FBC川島大島アナのあの写真パネルが置かれていた。

一際目立つ、高須町のブース。田中勲氏(農業経営支援部)も応援に、また、おにぎりを配り終えた川島&大島アナもこの高須町のブースにいる。最強の布陣だ。来場の方もこの高須町のブースに注目して、お米(おにぎり)の試食やその商品の購入へと賑わっている。植木さんや高須町の皆さんも笑顔で応対している。
 会場内を一回りした私と先生、ここで福井県の西川知事を発見した。「高須町のインタビューを知事にしましょうか?」と、私が言うと田中先生「えっ!」と驚いた様子。「冗談ですよ」と言うと「止めてください!」と安堵の田中先生だった。
 会場内は親子連れやご夫婦で賑わい、藁縄体験や豆つまみ(箸にて)競争などもあり、気が付くと次男は何度もその豆つまみにチャレンジしていた。
 各JAや地域のブースでは試食があり、その味に少し舌包みした私。そんな時、妻が来た。次男は妻と・・・また、豆つまみに行った。(今度は親子でかよ!)
 田中先生は高須町のブースを中心にデジカメを向けていた。しかし、ご家族の頼み事が気にかかる様子で約1時間で帰っていった。(先生有り難う!)
 妻と次男だが・・・まだ、豆つまみにチャレンジしている。係りの方も嬉しい悲鳴だろう。そんな妻と次男に「もう帰ろうか?」と、聞いた私。午後2時30分を過ぎていた。外に出ると心地よい風が吹いていた。駐車場に向かう時、会館の控え室に川島&大島アナの姿があった。挨拶でもと「大島さん!」と声をかけると、川島&大島アナその控え室の窓を開け初対面の妻に挨拶をしてくれた。「いつもお世話になっています!」と、川島アナ。「はじめまして!」と、大島アナ。
 12月の高須町での大収穫祭での再会を約束した。次男に二人のアナウンサーの印象を聞くと「お父さん、僕、初めてじゃないよ。だって、草取りの時、げんき米の田んぼで手伝ったもん」と、言う。そう言えば以前のFBCの番組情報で二人の後ろで白いカッパを着て、草取りをしていた次男が写っていた事を思いだした。次に妻に印象を聞くと「川島さんはテレビよりも素敵だった!大島さんは可愛いね!」と評価した。帰宅する私たち3人だが車は2台。やはり、次男は妻の車となった。その車の後に続く、一人寂しい私の車だが、次男の手を振る姿に少しの微笑み返しをした・・・私だった。

<食育○×クイズラリーの答え>
@ × 昭和31年に産まれて、来年で50才になる。
A × 日本の食料自給率は低く、40%しかない。
B ○ DHAとはドコサヘキサエン酸と言い、特にマグロ、ブリ、サバに多く含まれている。
C ○ そばにはポリフェノールの一種「ルチン」が多く含まれ、普通刈りそばの方が少ない。
D ○ 食事バランスガイドは、日ごろの食生活を見直すきっかけとなるものとして、今年作成された。
E × 腸管でカルシウムの吸収をよくする働きがあるのビタミンDである。


△男の酒のつまみ・・・66
 冷蔵庫を覗くと、佐々木さんから以前頂いた自然薯が少し残っていた。つまみを作ろうと冷蔵庫を開けたのだがその自然薯をどうしても使いたい私。そこで以前この日記で紹介したものを試みた。自然薯をすり、卵を入れ混ぜる。フライパンに油を引き、お好み焼き風に自然薯を丸く伸ばす。シンプルに長ねぎと花かつおで食べる。自然薯本来の味が口の中に漂う!


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【十二月の一/高須町も師走の入り】12月1日(木)

 冬の日本海側特有のどんよりとした空模様。ここ数日は雨が降り続いている。スカッとした天気は来春まで来ないのかと、毎年の事ながらやや気持ちが憂鬱になりかけている。
 この2日間、ある理由で徹夜続きなのだが意外にも体調は元気な新米50歳、朝9時に向かう先は・・・高須町だ。助手席には、その徹夜で作成した資料を乗せ雨の中いつものルートで高須町を目指す。
 一昨日の夜、田中先生に無理を言って資料の手伝いをして頂いた。私一人では対処出来ない、慣れないある資料作り。それでなくても学校で忙しい田中先生だが、「私でお役に立てるなら、是非!」と、大きな器材を搬入しての中年二人の仕事となった。「ここは・・・こうしましょう!」「こう説明した方がインパクトがあるんじゃない!」「この写真は使いましょう!」「これで、完璧だ!」と、男二人の作業が深夜まで続いた。
 この資料なのだが・・・何かと言うと・・・(今月中旬までは内緒!)
 高須町に入ると、小学校前の十字路には佐々木さんのお母さんともう一人が立ち話をしていた。何故か「ほっ!」とするそんな高須町の光景だ。小学校を過ぎ坂道を登り研修センターを過ぎると玄関横で植木さんの奥さんが大根と白菜を洗っておられた。
「こんにちは!」とご挨拶。笑顔の奥さんが植木さんを呼んでいただいた。少し風邪気味の植木御大だが、「寝るほどじゃない!」と、元気に応接間にての話となった。植木御大の体調を考えて少しの時間で帰ろうと思っていた私。資料に目を通していただき「OK」と、合格を頂くと奥様がお茶とお菓子を運んで下さった。暫くだけのつもりが植木御大の話に、ついつい引き込まれていく私、それほど植木さんのお話には奥の深さがあるのだ。高須町の事、行政の事と色々勉強になる話ばかりで、本当に関心させられるばかりの私だった。
 気が付くと12時近くになっていた。慌ててお暇をしようと席を立つと、奥様が「藤田さんは、大根や白菜を作ってるの?」と、聞かれた。「藤田さんは、町の真中だから作ってるはずがない!」と、植木御大。で、有難く大根と白菜を頂いた私だった。もう紅葉が終わりに近づいている高須町の木々を見ながら自宅に帰ったのは1時を少し回っていた。
 資料と補足資料の確認をして、次に向かうのは福井県庁だった。自分の店から県庁までは車で2分ほどだが、県庁と警察本部には何度と来たことはあるがこの県庁の地下駐車場に車を入れるのは初めてになる。ゲートで駐車券を受け取り係の人の誘導でなんなく車を入れた。手にはパネルや高須町で植木さんから預かったものや、田中先生と試行錯誤して作った資料などを抱えてエレベーターに乗る。
 8階に着き、ウロウロと目的の部屋を探す私。同じような担当部署があり困っていたのだが、「まあ・・・聞いてみよう!」と入ってみた。「すいません・・・○○○の担当の方は?」と、聞くと優しく応対してくれる女性職員。担当は男性の方で「先日、電話させて頂いた高須町の・・・」と言うと「あっ、ご苦労様です。それでは確認させて頂きます」と、丁寧なこの男性職員。「それでは、お預かりいたします」と、名刺交換後にこの部屋を後にした。
 帰りのエレベーターに乗ると、この資料作りの疲れと、「あそこを、こうすればよかった!」の反省で、疲れが出てきた私だった。「なるようにしかならない!」「だめもと!」と、自分に言い聞かせていた。再び車に戻り、先ほどの課で駐車券に印をおしてもらったものを片手にゲートに向かった。
「ご苦労様です!」と、係の人に券を渡すと「ナンバーは?」と、聞かれた。「はっ?」と、聞き返した私。「いや、車のナンバーが書いてないから!」と、係の人。その駐車券をよく見ると、確かに自分の車両ナンバーを記入する欄があった。ここで、慌てていた私だった。自分の店の車のナンバーを思い出せない。今年の春に購入した新車だが、それは言い訳にしかならない。そこで、一度車から降りてナンバープレートを見ようとしたのだが、ここでも予期せぬ事があった。ゲートで駐車券を渡す為、運転席側とゲートの差は僅か15センチ程だった。ドアが開けられない。都合がいい事に、後ろには車が来ておらず私は助手席から下車してナンバーを確認したのだった。係の人に「手間を取らせて、ゴメンなさい!」と、謝ると「いや、よくあるから!」との返事だった。初めての県庁駐車場でいささか緊張したわけでもないが、こんな事はよくある私だった。
 県庁の橋を渡ると信号待ち、私の前にパトカーがいた。思わずシートベルトの確認をしたのだが、そこは無事故無違反歴十数年の私、無意識のうちにシートベルトをしていた。
「ほっ!」と、しながら窓をみるとこの春この車を購入した際、近くの佐佳枝廼社で御祓いをしてもらった時の交通安全祈願のお札が張ってあった。そしてそこには、この車のナンバーがしっかりと書かれてあった。(こんなもんだ!)
 夜、自宅に帰り田中先生に今日一日の出来事を報告したのだが、笑うどころか「大変でしたね!お疲れ様でした!」と、慰めのお言葉を貰ってしまった。「先生も走る程忙しないから師走?」と、言うが電話の向こうの母校の職員室も、何やら忙しい音が聞こえていた。
 この県に提出した高須町の資料なのだが、今月中旬に審査があるらしい。「ダメもと」とは言いながら、ほんの少しは期待している私は、宝くじの抽選を待つ心境で・・・楽しみな、師走の入りである。(後日・・・報告します!)


△男の酒のつまみ・・・67
 週間の天気予報によると、来週には雪予報。雪となると何故だか「おでん」が食べたくなる私。徹夜疲れの本日だが、植木御大宅で頂いた大根と白菜を入れおでんをした。
 我が藤田家のおでんは、どこのご家庭にもあるようなごく普通のものである。蒟蒻(板&巻き)・竹輪・はんぺん・牛すじ・厚あげ・大根・ゆで卵などであるが、今日は白菜をロールキャベツ風に使いおでんの仲間にした。新鮮な白菜の甘いその味は「旨い!」と、言うしかない。父は少しのビールで、私は珍しく熱燗で・・・。
 冬は余り好きではない私だが、食を考えると「冬もいいな!」と、思う元来食いしん坊の本性が出てきてしまう。


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【十二月の二/雪化粧の朝】12月5日(月)

 このところ天候が悪く、昨日は「明日は嶺北平野部でも雪が降るでしょう!」と、嫌な予報があった。毎年の事ながらこの時期の雪予報には驚きはしない私。当然、車のタイヤはノーマルのままで、毎年翌新年のギリギリまで交換はしない。
 しかし本日の朝、目が覚めると以外と積もっていた雪に驚いた。北陸特有の水分を多く含んだ重たい雪が道路一面に積もり、行き交う車の流れを遅くしている。次男・長男と順番に車を乗せ、学校に送る。途中のガソリンスタンドでは順番待ちの車の列が目を惹いた。タイヤの交換だろうか。私の車は・・・まだまだ、ノーマル状態で・・・少しノロノロ運転。
「お父さん、大丈夫!」、子供二人に言われたのだが「全然大丈夫さ、お父さん北海道にいたからね!」と、訳のわからない返事で答えた。車の運転には以外と慎重な私なのだが、雪道やアイスバーンの運転が何故だか得意なのである。勿論、北海道での経験というのは満更嘘ではなく、雪道走行は鍛えられたのは事実だった。
 もう何十年前だったろうか、札幌駅から深夜ススキノのとある店まで、タクシーで行った時のこと「急ぎますので、飛ばして下さい!」と、タクシーの運転手に頼んだ事があった。 「いいよ!」と、運転手が答えたのだが、その飛ばし方は私の想像を遥かに超えていた。2月の深夜で、しかもアイスバーンの道だった。メーターを見ると100キロは超えていた。
 余りのスピードに少しの恐怖と、そのドライビングテク二ックに感心していた私。「さすが、運転上手いですね!」と、言うと「まあ・・・慣れてるからね!」と、少し自慢の運転手さん。「事故なんか起した事ないでしょう?」の質問には「なんもだ〜、時々あるさ〜」と、笑いながら簡単に答えられた。(当時はスパイクタイヤ使用だった!)雪道を走るとそんな当時の事が思い出されるのだ。
「こんな雪、そんなに積もらない。すぐに融けるさ」と、都合のいいように解釈する私。「高須の佐々木さんは・・・タイヤ交換しただろう・・・当然!」と、こちらも勝手に推理した私。同じ福井市内でも高須町は雪の量が違う事を知っている。しかも、高須町は坂道が続くため早めのタイヤ交換となるらしい。毎日、通勤で通う道だが雪が降るこの季節になると、深夜には凍結したりスリップしたりと大変だと、いつか佐々木さんが話していた。そうそう、田中先生が雪の頃になると、思い出したかのように笑いだすことがある。
 それは、私と田中先生が高須町の研修センターへホームページ作りで出かけた時の事。福井市内中心部には残雪もなく、私はスポーツサンダルを履いて田中先生の車で高須町を訪れた。
 ゴルフ場過ぎから以外と多い雪の量に、田中先生も私も驚いていた。当然、サンダルでは歩けない雪道。研修センター駐車場から入り口まで足を濡らしながら歩いた事があった。田中先生は長靴だった。その事を思い出して笑う田中先生。同じ福井市内でも違うものだと、感じた瞬間だった。
「長靴・・・を履くのは年に何回あるだろう?」と、考えてみたが、余り記憶にない私。当然、雪かきの時は履くのだがそれ以外となると、高須町での田んぼでの作業でしか履いた記憶がない。子供の頃は冬になると長靴ばかりの冬だった。38豪雪は、ランドセルを持たずスコップを手に登校した記憶がある。少し歩いては、長靴に入った雪を出しながらそれを何回も繰り返していた。それほど、昔は雪が多く降っていた。当時、母校の明道中学校でも3学期だったか、クラス対抗の雪の造型コンクールをグランドで開催していた。(今は無い!)近所の友達と足羽山の坂道や足羽川の堤防でスキーをした事もあった。
 年々、雪が少なくなりつつあるが、それもまた少し寂しいものだ。「スキー場だけ降ればいいのに!」と、昔はよく言ったものだが、そんな会話は最近聞かれない。
 韓国では、初雪が降ると恋人たちはデートをするらしいが、それもまたいい風習かもしれない。
 雪にはどことなく風情がある。北国の粉雪はスキー場の夜間照明に照らされると、温かみさえ感じられるほどだ。最近の雪不足により、雪だるまかまくらを作ることが無くなったと新聞に書いてあった。つまり、冬の親子のスキンシップが外での雪遊びから家の中でのゲームになったと言うのだ。
 異常気象&地球温暖化と言われて何年経つだろうか。昭和の古き懐かしい時代が思い出される、最近の私である。


△男の酒のつまみ・・・68
 最近、スーパーで味噌の種類の多さが目立つ。特に田楽用の甘・辛味噌がこのところの私のお気に入りだ。メーカー名は言えないのだが、私は福井の○○寺味噌が好きだ。大根をだしでゆで、この味噌を上にのせホクホク状態で食べる。至福の時である。


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【十二月の三/恋の行方は!・・・A】12月6日(火)

「ホワイト・クリスマス」と、言いたくなるような駅前のイルミネーション。クリスマスが近づくと至る所でこの色とりどりの綺麗な光が目を楽しませてくれる。中央公園でも、そして福井駅前でもだ。福井駅前では今年は風船を使い大きなモニュメントを作り、駅の乗降者や行きかう人の足を少しの間、止めている。恋人同士だろうか、手をつなぎこの風船のクリスマス・ツリーならぬクリスマス・モニュメントを見ている。その光景を見て「羨ましい!」と、思う中年男の私。
 そうそう、【十一月の十一】でお話した37歳パブ店長22歳OLとの恋物語だが・・・少し進展?があったのでお話します。
 昨日、早めの忘年会が片町の某居酒屋であり、2次会の後だがそのパブに寄ってみることにした私。月曜日ということもあり店の中は3人(常連客・男性)だった。私はいつものようにカウンターを前に席に付いた。そして、黙っいても出てくるターキーの水割りを飲んでいた。つまみは・・・期待はしていなかったが、「エイのヒレ」・・・だった。(他に無いのか!)
 カウンターの中では、グラスを洗いそして拭く37歳男がいる。
「で・・・その後、何か彼女にアプローチをしたのか?」と、聞いてみた。
「はい!」と、予想もしなかった返事がきた。
「おい、お前の気持ちを彼女に伝えたのか?」と、聞くと
「いや〜、まだそこまでは〜」と、じれったい答え。
「じゃ、何をしたんだよ。言えよ!全部!」と、少し興奮気味の私。
「いや〜実は、先輩のご指導の通りに、彼女の会社の近くで夕方待っていて、それで偶然逢ったふりをして誘ってみたんです」
「・・・それで」
「先週の土曜日に彼女がここに来てくれたんですよ」
「・・・それで」
「・・・・・」
「だから、彼女に告白したのか?」
「・・・・・」
「言えなかったのか?」
「はい!」
「はい、じゃないだろう!」
「友達も一緒だったんで」
「しかし、話すタイミングはあったろうが」
「はい!」
 じれったいこの37歳の男との会話は、やはりじれったいものだった。
「それで、何も話さなかったのか?」
「彼女が来てくれたのが嬉しくて!彼女の顔見て、声を聞いているだけで満足してたんです!」
「バカか、お前は!」
「・・・・・」
「携帯の番号ぐらい聞けよ!」
「あっ!聞きました!」
「嘘!よく聞けたな」
「偶然なんですけど、彼女たちが携帯の着メロの話してまして、私もその話に入っていたんです」
「お〜意外とやるじゃん!」
「はい!」
「で・・・彼女の着メロはなんだった」
「aikoでした!」
「ふ〜ん、お前は?」
「私は前から同じなんですけど、キル・ビルのテーマです」
「ああ、あれか!」
「それで、そのキル・ビルのテーマを聞かせたのか彼女に」
「はい!、皆でそれぞれの曲を聞かせあったんです」
「いいムードと言うか、いいきっかけになったんだな!」
「はい!」
「しかし、よく彼女が番号を教えてくれたな?」
「いや、自分から彼女たちに、今度みんなにあったカクテルを作るから出来たら連絡するからって言ったんです。それで、代表して彼女の番号を聞いたんです!」
「お〜お、やるね!」
「はい!」(嬉しそうな37歳のはにかんだ笑顔!)
「で・・・掛けたのか?電話」
「いえ、まだです」
「なんで?」
「掛けたいのは掛けたいんですけど・・・何を話していいのか分からなくて!」
「何でもいいんだよ!。カクテルの参考にしたいからって、好きな色とか花とか聞けばいいじゃないか!」
「・・・」
「好きだったら、電話掛けろよ!」
「はい!でも・・・」
「このままじゃ、先に進まないだろ!」
「俺、店を開けて、彼女が来ないか入り口を見てるんです」
「うん!」
「今日は来なかったって、店を閉める時、夜中ですよね」
「うん!」
「その時に彼女の声を聞きたくなるんです」
「分かる!」
「でも、携帯のボタンを押す勇気がなくて!」
「お前はDEENか!」
「はっ!」
「いや、DEENの歌の中にそういう詩があるんだよ!」
「そうですか」
「情けないよ、勇気を出せよ勇気を!」
「・・・・・」
「で・・・肝心な事なんだけど、彼女に彼氏はいるのか?」
「・・・わかりません!」
「・・・・・」
 少しの進展があったのか、なかったのかは・・・今の段階では何とも言えないのだが、この後輩の純な恋の行方は何処に向かっているのか・・・心配で・・・楽しみなラブ・ストーリーかも!
 また、この37歳のラブ・ストーリーに進展があれば随時報告します。そして、後輩にエールを送る意味でDEENの詩を送ります。
DEEN「翼を広げて」
  夏の落とし物 君と過ごした日々
   洗いたてのシャツのような笑顔
  今も 忘れられない
   真夜中 声が聴きたくなって
    無意識に ダイヤル回す
   だけど・・・ 話す勇気がなくて
  切なさ 抱きしめた
   翼を広げて 旅立つ君に
  そっとエールを送ろう
   誰のためじゃなく
  ただ君のため 愛してたよ
              (1番のみ)


△男の酒のつまみ・・・69
 どこのご家庭でもこの時期になるとシチューを作ると思うのだが、我が藤田家ではクリームシチューが大好きな家族ばかり・・・私以外は!
 私はビーフシチューが好きで、いつも一人単独メニューとなる。ごはんのおかずと言うよりは、私の場合には当然つまみとなる。市販のシチューで簡単に作るのだが、肉を焼き焦げ目が付く時、赤ワインで香りだし、そして出来上がりの前にも、赤ワインを少し加え味を整える。ビールにも日本酒のロックにも、勿論赤ワインにも合う。


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【十二月の四/感動の「星に願いを!」】12月7日(水)

 昨日、埼玉県にいる友人から電話があった。何年振りかの久しぶりの話についつい長話となった私だが、この友人は昔福井に2年程住んでいた事があり、福井を懐かしんでいた。「冬の福井もいいですね!」と、関東と北陸の会話を楽しんだ。「越前がに・若狭がれい・永平寺のたくわん・大野の里芋」など、最後には食の話にも花が咲いた。「こちらには、何もないですよ!やはり、福井はいいです!」と、今すぐにでも福井に来たいような口ぶりだった。
 今年もあと僅か、毎年の事ながら過ぎてみれば早い一年だったような気がする。私個人では、高須で始まり高須で終わるこの一年だった。
 そうそう高須町と言えば、12月に入りケーブルTVで秋(10/20・21)に行われた福井市小学校連合音楽会の模様が映し出されている。福井市内の小学校全校(44校・約2,700人)が合唱や楽器を用い約4分の演奏を行う。
 大規模校・小規模校と児童数に差はあるものの、それぞれ工夫を凝らしての発表をしている。ミュージカル調に歌う学校もあれば、和太鼓をたたき地域の伝統を披露する学校もある。
 私の母校、順化小学校だが・・・その人数の少なさに、改めて驚く。この通称・連音(れんおん)は多くの学校は6年生だけの発表となるのだが、小規模校となると高学年が力を合わせて披露することになる。順化小学校は、福井市中心部の県庁お堀横にある歴史ある学校であるが、ドーナツ化現象によりその児童数は減る一方である。市内中心部の小学校全体も少子化で軒並み減ってはいるのだが、このように改めて見ると何故か寂しくなる。私達が順化に通っていた頃は各学年4クラスはあった。しかし、今はほとんどの学年が1クラスとなっている。近隣校の春山・宝永も同じで、即ちこの小学校が進学する明道中学校も生徒数は減っていく。(宝永小は地区で明道中と進明中に分かれる)
 母校の順化は6年生1クラスでの登場となった。見ていた私は、その歌声よりも生徒数の少なさに「頑張れ!」と応援していた。横で次男(小5)と、この連音の模様を見ていたのだが「あっ、○○君だ!」と、別の意味で応援。「お前も来年は、これに出るんだよ」と、声をかけると「うん!」となにやら関心なさそうな返事だった。
 そして、私が楽しみにしているのは・・・高須城小学校である。昨年のこの連音、高須城小学校は佐々木さんの長男と次男の二人での発表となった。兄弟息を合わせての演奏に見ていた私も力が入っていた。人数の多い学校の後に登場した高須城小学校の佐々木さん兄弟だが、臆することなく堂々と素晴らしい演奏を聞かせてくれた。次男も嬉しそうに見ていた。妻は「何で全校生徒全部で出ないの?可哀想・・・先生は?」と、広い舞台にたった二人だけの登場を疑問に思っていた。「だって鷹巣小学校は先生も出てるよ、殿下小学校も先生出てたよ!」と、私に質問の連続だった。「いや、横でピアノを弾いてるんじゃないかな!」と、言うのだが何やら不満そうの妻。しかし、あの広い舞台で二人だけの演奏はきっといい経験になったはずである。
 そして、今年のその高須城小学校は・・・全校生徒3人と朝倉教頭先生の4人での登場となった。しかも、4人がギターを持っている。おそらく連音史上初めてだろう。ギターが得意の朝倉教頭先生の発案で今回の演奏となったのだろうか、素晴らしいアイデアである。そして曲目は「星に願いを!」である。相当練習したであろう、難しいギターを完璧にこなしている3人の児童。いつしか私の目から涙がこぼれていた。「上手い!」(私)「頑張れ!」(次男)「凄い!」(妻)「へえ〜やるね!」(長男・高3)と、全員が応援していた。
 演奏が終わると、会場から他校より多い拍手が沸き起こっていた。それほど素晴らしい感動の演奏だった。「感動した!」(小泉首相も見ていたらこんな言葉を言ったはず)
 来年の高須城小学校は佐々木さんの次男は中学生となり二人での登場となるはずであるが、おそらく先生と児童でまた素晴らしい演奏を期待したいものだ。

 世の中、この師走に来ても嫌な事件が相次いで起きている。マンション等の耐震虚偽騒動もそうなのだが、やはり気になるのは広島、そして茨城で起きた女児の痛ましい事件になる。同じ小学生を持つ親として、とても他人事では済まされない事件だ。日本の安全神話はとうの昔に無くなったと、言われているが、現実にこのような事件が相次ぐと安全神話を語るより、安全な地域作りを私たち自身の手で作らなければならない。「自分たちの所は、安心だ!」と、思う事は子を持つ親ならば絶対考えてはいけないだろう。学校・地域・家庭が真剣に協力しあい、自分たちで出来うる限りの事は必ず行動しなければ、事が起きてからでは遅すぎることになる。
 広島でも茨城でも事件の翌日などに見られる、登下校の様子だが、親と子がしっかりと手を繋ぎ学校の校門内まで送っている。当たり前のその様子だが、被害に遭われたご家族の心中はどうだろうと考える。その手を繋ぐはずの、愛する子はもういないのだ。憎むべき加害者の犯人。どこでだれが被害に見舞われるか予想も出来ないこの世の中だから、私たちが360度の視野を持って対処していかなければならない。 警察との連携、防犯ビデオ、見守り隊と県内でも様々な動きが見られる。しかし、100%の安全管理は到底できえない。
 より100%近くの安全管理を求めて、今すぐにでもアクションを起すべきだろう。文科省・県教委・市教委からの通達で各学校には危機管理マニュアルがある。しかし、このマニュアルは完璧なものかと問われれば、答えは「NO」と、言わなければならない。
 それぞれの学校の地域性を考慮し、ありとあらゆる想定を考え、そして校区内完全にリサーチして独自の危機管理マニュアルを作るべきだろう。児童や生徒たちには最低週1回の安全教育を学校で行い、家庭でも地域でもその協力体制を備えなければならない。
 最近、学校では従来から行われていた緊急連絡網を見直す所が多くある。「家に電話しても、誰も出ず連絡が取れない!」と、学校側は言う。共稼ぎが多い本県にはそういう家が多いのは今さら言う事ではない。携帯電話の普及により通信連絡手段は変化しつつある。1分1秒を急ぐ連絡内容ならば、なお更早急の改善が必要となる。
 今日のニュースで、ある小学校が取り上げられていた。あるパソコンソフトの導入で携帯メールでの緊急連絡体制を用いている学校だ。これは学校のパソコンから保護者の携帯にメールで連絡が入るのだが、その内容とは緊急連絡は勿論の事、詳しい不審者情報や下校時間の変更など、保護者にとっては有難いというべき内容が含まれている。この学校では保護者の同意により現在7割の加入者(保護者)があるという。このようなメールを使う事も一つの例なのだが、その地域や学校事情により確実に伝達できる方法を早急に導入すべきである。
 次男(小5)もランドセルには防犯ブザーが付いている。茨城の女児も同じく付いていた。しかし、目の前に危険が迫った時に、本当にその防犯ブザーを使用できるかと言えば疑問を持たなければならない。同じような事例が福井市内中心部でもあった。男子中学生が数人の少年に囲まれ恐喝されていた。多くの通行人が歩くその道だが、恐怖のあまり中学生は声を出し助けを求めることができなかったと言う。「かけこみ110番」が多くある市内中心部、「声を出し、どこでもいいから近くの店に助けを求めればよかったのに!」と、大人は言うのだが被害に遭ったその瞬間に冷静な判断は出来ない人は多いはずである。
 誰が被害者になるかわからないこの時代、個々での安全管理は勿論だが、より広い地域での、より100%に近い安全管理を今すぐに考えなければならない。広島、そして茨城の被害に遭われたお二人の女児には、心からご冥福をお祈りするとともに、残虐な犯人の一日も早い逮捕を願う。

 何故か真面目なそして暗い話になってしまったのだが、私達、The Yamazatoスタッフも個々に何かと忙しい師走になっている。佐々木さんと高島さんは連日の残業と、これに加えて土日の夜勤もあるらしい。「疲れがピークです!」と、佐々木さん電話の声も・・・何故だか元気!
 田中先生は・・・いつものように朝早くから夜遅くまで学校で授業や生徒へのプリントやらPTA関係やら、とにかく忙しい状態。「これが仕事ですから・・・!」と、こちらも元気!
 植木御大も先週には風邪気味だったのだが、「年末だから、色々とやることがあるんだわ!」と、じっとしていない。
 残る私は、2日前からおふくろの風邪がうつりダウンした。医者の話によると、例年より風邪の患者はこの時期多いらしい。毎年の事だが、我が藤田家では順番に風邪がうつっていく。久しぶりに高須町に行ける次男(当日、ボーイスカウトの行事があるのだが、私の命令で高須町を優先!)だが、その日曜日に熱が出ない事を祈ろう!
 今週日曜日、高須町で棚田オーナーの本年度最後の行事となる、収穫感謝祭が行われる。
 年に4回の棚田オーナーの集まり、本当に今年は賑わった高須町の一年だった。毎年参加のオーナーさんや今年が初参加のオーナーさんと、過去最多の参加者で始まった棚田オーナー制度。どのオーナーの皆さんもそれぞれ、高須町での思い出が出来た事であろう。
 春の田植え、草取りと案山子作り、そして秋の稲刈りとはさ掛け。番外編では高須町の体育祭。余り天気が良かったとは記憶はないが、それでも楽しい高須町での日々だった。
 オーナー同士や地元高須町の人々とも親しくなった方も多いはず。そんな一年の思い出を楽しく語り合い、美味しい料理を食べるのが、今度の収穫感謝祭である。「食の恵み」に感謝するのは、そのひと時に触れる事の出来た私であるから当然として、それ以上にお世話になった高須町の皆さんにも心から感謝しなければならない。棚田オーナーの行事がある度に朝早くから、また前日から準備をして頂いた地元・高須町の皆さん、今回の「収穫感謝祭」も、おそらく大変な準備をして頂く事になるだろう。私たち棚田オーナーは、そんな高須町の皆さんに何も恩返しはできないが、挨拶と心からの笑顔でお礼をしたい。


△男の酒のつまみ・・・70
 セロリが大好きな私だが、セロリの食べ方は、簡単にそのまま食べるか、マヨネーズなどを付けて食べるのが主になる。今回は少し贅沢に生ハムを使う。
 セロリを一口の大きさに切り、軽く塩を振る。(微量でいい!)ラップをして冷蔵庫で冷やす。食べる前に生ハムを巻く。勿論、好みでドレッシングやマヨネーズを付けてもいい。


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【十二月の五/女性パワーに完敗!】12月9日(金)

 最近の私と次男(小5)の秘かな楽しみ?として、毎週金曜日の夕方FBC「プラス1フライデー」「お願い!金曜スーパーマン」に応募することがある。この番組企画は、福井県内のスーパーで「1万円以内」のお買い物をして視聴者にプレゼントしてくれるというものだ。メールやFAXで視聴者が当日番組開始とともに応募し、めでたく当選した1名が電話で希望の商品をスーパー内にいるスーパーマン(スタッフ)に伝え、1万円を限度のお買い物となるのだ。
 勿論、当選した視聴者は当日にそのスーパーに行き、その商品を取りに行くのだが、福井市内のスーパーからの中継であっても越前市や近隣の市町村からの応募者が多いこの番組。私としては、福井市内のスーパーからの中継場合の応募としている。今日、16回目の応募となった。メールやFAXにて応募するのだが、私はFAX専門となっている。5時過ぎから6時丁度までが受付時間。しかし、応募者が多くその応募のFAXが遅れない事が多々ある。このような時は6時までFAXの前に張り付き、何回もトライすることになるのだ。だから、「送信されました!」の案内の声には、思わず嬉しくなってしまうのだ。締め切りの6時、この時間帯の放送は全国ニュース(日テレ)で、再びFBC福井放送からの中継は6時17分からとなる。CMが終わりスタジオ・スーパー・スタジオの順番で中継して最後に抽選となる。息をのみその抽選の結末を見守る、私と次男。そして、当選者が決まりスタジオから幸運の当選者に電話をかける。この時点で「本日は、FAXで応募の・・・福井市内の方ですね」と、紹介される。(ちなみに、この金曜日の司会は川島&大島アナではない)
 名前はこの時点で紹介されないため、テレビと自分の電話の両方を注目する事になる。スタジオでは当選者宅のコール音が鳴るのだが・・・我が藤田家の電話は鳴らない。すなわち、また外れとなってしまった。しかし、この「ドキドキ感!」がたまらなく心地よい最近である。「また、外れたねお父さん!」「まあね、でもいつか当たるさ!」、こんな呑気な親子の会話がある藤田家の毎週金曜日である。何とも、ささやかでスリルある、慎ましやかな?・・・・・金曜日のひと時だろうか。(こうなったら、意地でも当選するまで応募するぞ!)
 6時30分になり自宅に帰るが、本日妻が遅く帰宅する事を忘れていた私。慌てて食事の用意に取りかかる。冷蔵庫の中をチェックし、献立を考える。一応、料理大好きな私ではあるが、「お父さん、お腹減った!」の次男の声に、少し慌てることになった。前日、妻が買い物をしてくれていた、「おでん」の材料が目にとまり、「簡単!」と、仕度にかかった。
 大根の皮を剥き、卵を茹でる。・厚揚げ・牛すじ・はんぺん・竹輪・つみれと鍋に入れる。「ん・・・何か足りないな!」と、思うのだが、急いでの料理仕度で・・・思い出せない。その様子を横でノンビリ見学中の次男。全ての材料が鍋の中で入浴中となって、私は喫煙タイムとなった。そこで、次男に聞いてみた。「お前は、おでんの具の中で何が好きなの?」「ん・・・巻いた糸蒟蒻!」「そうか〜!えっ!」ここで忘れていた具材を思い出した私。もう一度聞いてみた私「牛すじとか、厚揚げとかは好きじゃないの?」「それも好きだけど、一番は巻いた糸蒟蒻!」「ああ、そう!」この次男の言葉に、どちらにしてもスーパーに行く事になった私だった。私が「お願い!金曜スーパーマン」になった瞬間だった。
 7時過ぎ、田中先生が学校帰りに来られた。日曜日の高須町の打ち合わせなのだが、何故か話は別のものとなる。広島や茨城の女児の事件を含めての、どう子供たちを守るべきなのか熱く語りあう。学校サイド・地域の協力・家庭での教育と、この議論はいくら時間があっても足りないくらいだ。
 そうそう、その田中先生は来週末に千葉県まで出張となるらしい。「何で、千葉まで?」と。聞くと「中学校の駅伝大会です!」と、言うのだ。思い出した私、明道中学校男子陸上部が先ごろ行われた県駅伝大会で優勝し、全国大会への出場となったのだ。その全国大会が千葉県であるらしい。「じゃ、新幹線で東京まで?」と、聞くと「いや〜、飛行機にしました!」と、先生。旅費は実費だそうで、先生も色々大変だと可哀想になった私。「千葉のどこであるの?」の問いには「・・・いや、それが忘れてしまいました!」と、毎日の多忙さで珍しく頭が一時空白となった先生だった。(千葉なら、お土産は・・・?)
 母校の健闘を願うより、ついついお土産を考えてしまった私だが、この時、千葉のお土産は落花生(らっかせい)しか思い浮かばなかった私。
 田中先生が帰られ、おでんでの晩酌となった私だがテレビにて好きなスポーツ番組を見ていた。女子ゴルフの宮里藍諸見里しのぶがアメリカから帰国してきた。共にアメリカで行われた来シーズンの最終予選会を見事なスコアーでクリアーしてきた二人。宮里は記録づくめの1位通過で諸見里は9位となった。このアメリカ女子ツアー最終予選会には、世界各国から138名の選手(プロ137名・アマ1名)が参加した。お隣の韓国からは13人、日本からは宮里を含め4人がチャレンジした。アメリカからは50人程の挑戦で、あの女王A・ソレンスタム(スウェ−デン)の妹も挑戦した。
 138名中22名が合格となったのだが、来年1年間のツアー権利をかけてのこの戦いは宮里&諸見里の二人にとって合格は当たり前の結果だったに違いない。共に沖縄県出身の二人だが、ジュニア時代からその名をとどろかせていた。中学までは共に沖縄で、高校になると宮里は宮城へ、諸見里は岡山と全国を見据えてその戦いの場をとなる高校を選んだ。それぞれ、アマ時代から幾つものタイトルを取った二人。ゴルフにかける真剣さは相当なものだった。
 アマ女王の名を欲しいままにした宮里、その宮里の下でいつも悔しい思いをしてきた諸見里と、そのライバル心は他人事ながら注目されてきた。華やかなプロデビューの藍ちゃん、そして未完の大器といわれるしのぶちゃん。
 そしてプロ2年目(2年間・賞金ランキング2位)の20歳の宮里とプロに合格したばかり(少ない試合数での来シーズン国内シード権獲得)の19歳の諸見里は、世界を相手に戦いの場を選んだ。帰国会見ではお互いが「チャンスがあれば勝ちに行きます!」(宮里)「できるだけ、早く1勝を!」(諸見里)と、コメントしていた。頼もしく、自信に満ち溢れた二人の記者会見だった。
 しかし、そんなに甘くない全米ツアー。女王A・ソレンスタムやK・ウェブと世界中から名立たる強豪選手が集まるこの世界、勿論早く優勝シーンは見たいものの、夢破れ中途半端のかたちで日本での国内ツアーに戻る姿は暫く見たくはないものだ。当然、そのレベルの高さを誰よりも認識している二人。とにかく大和撫子の健闘を心から祈りたい。
 何かと各界で注目される、最近の日本の女性だがその強さは「男性の弱さから来る!」とも言われている。「最近は、軟弱な男が多い!」と、言われる事が多く、本当に情けなくなったものだ。女性主導の最近の世の中「昔の日本男子は何処に行った!」と、言いたくなる。先日も私の前を歩いていた高校生のカップルの話だが、気弱な風の男子高校生が女子高校生に言い出した言葉に驚いた私だった。その男子高校生「ねえ!手を繋いでもいい?」と言い出した。少し強気の女子高校生のその答えは「やだよ!寒いから!」と、両手はポケットの中にある。その男子高校生だが、「はい!」と返事する。こんなヒヨワナ男が多くなれば、益々その女性パワーに陰を潜める事になる。何とも嘆かわしいその男子高校生だった。「頑張れ!日本男子よ!」
 そんな事を思い出していると、部屋のストーブの灯油切れのブザーがなった。「灯油入れてきてよ!」と、妻。「ハイハイ」と、私。我が藤田家も女性パワーに完敗となっている。


△男の酒のつまみ・・・71
 おでんに飽きて、何か別のものをと冷蔵庫を覗いた私。竹輪が3本残っていた。そこで竹輪の中にチーズとキュウリを入れての一品。また、焼き竹輪でもう一品の簡単つまみを作る。竹輪の穴に入る程の大きさにカットしたチーズとキュウリをそれぞれ竹輪に入れ、わさび醤油かマヨネーズで食べる。また、焼き竹輪は醤油に七味唐辛子を好みで入れ食べる。


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【十二月の六/「収穫感謝祭」の高須町】12月11日(日)

 本日は高須町の収穫感謝祭の日。
 朝6時前に起きた私は高須町のホームページを開いた。いつの間にかアクセス数が37万件を超えていた。4月に開設したこの高須町のホームページ、誰が見て下さっているのかと疑問を持ちながらのこの9ヶ月だったが予想を遥かに超えるアクセス数となっている。本当に嬉しい限りである。
 この「高須城日記」担当の私であるが、この2年間、いい加減な内容の恥ずかしい文での日記と反省ばかりの日々だった。福井県内はもとより、全国からのアクセスがあり本当に嬉しいのだが、自分の文才の無さに「もう少し勉強しておけば!」と、思うこの二年だった。それと同時に高須町のPRにもう少し貢献しておけばと振り返っている。(今さら言っても、もう遅い!)
 朝7時、まだ次男は起きてこない。ニュースでは、昨日起きた京都での塾講師の女児殺人事件が報じられている。こんな痛ましい事件が続くこの年末、「日本がどうにかなってしまっている!」と、言いたくなる世の中である。
 8時過ぎ、ようやく起きてきた次男は慌てて仕度している。
 おにぎり&水筒を用意し、妻も同乗して清水町(田中先生宅)経由で高須町を目指す。雨や小雪がフロントガラスを濡らしている。ノーマルタイヤのマイカーが少し心配だが、まだまだ余裕の高須町までのドライブとなった。
 高須町に着くと、まずは佐々木さん宅にて荷物をおろした。佐々木さんは夜勤明けで就寝中、静かに玄関を開け荷物を置いてすぐにお暇をする。
 9時30分受け付けの本日だが、まだ30分前、途中の道では地元高須町の皆さんが雪の中にもかかわらず道案内をしていた。何かあったのかと聞くと、しめ縄作りの会場が変更になり、高須城小学校の体育館をお借りすることになったと言うのだ。昨年も人気のこの正月用玄関飾りは倉庫内での受講になったのだが、今年はその受講を受ける棚田オーナーは過去最多の人数でより広い体育館に変更したというのだ。
 田中先生と次男と私が小学校に入ると、職員室には石村校長先生の姿があった。ガラス越しに挨拶をすると、わざわざ玄関まで出迎えして下さる石村校長先生、
「丁度、コーヒーが入ったところです。どうぞ!」と、少し冷えた身体に嬉しいお言葉を頂いた。職員室には昔懐かしい香りがあった。コーヒーを飲みながら、
「先生!この前の連音(高須城小学校は「星に願いを!」をギター演奏)良かったですね!」と、感動した事を話すと
「有り難うございます!」と、目を細めて嬉しそうな校長先生。
「子供達は本当に頑張りました!」と、改めてその連音を振り返っておられた。
 そんな時、職員室の戸が開いた。佐々木さんの次男(小6)と、高須城小学校4年の○○○ちゃんが元気よく入ってきた。久しぶりの我が次男と笑顔で挨拶、この後校舎内を探索していた。
 再び、戸が開くと今度は本日の玄関飾りの先生、畑さんの登場だった。この畑さん70歳?でしめ縄作り50年のベテランだ。昨年もこの畑さんに棚田オーナーがご指導頂いたのだが、畑さんが藁を扱うとさも簡単に見えるのだが、手先が不器用な私には、どうにも上手くいかない。自宅と店の新年を迎える大切な正月飾り、そこで畑さん手作りのものを頂いた。「畑さん、今年もお願いしますよ!」と、私がお願いすると「いいよ!」と、畑さん。今年も楽をしての正月飾りとなりそうだ。
 受付時間が来たので体育館に移動した田中先生と私と次男。受付には市農政企画課の本多さんや「あぜ道インタビュー」でお世話になった課長の舟木さんが来られていた。勿論、県農水部の皆さんも本日の収穫感謝祭に参加で、体育館の中は棚田オーナーや関係者の話にそれぞれ花が咲いていた。
 私は混雑が予想される受付をお手伝い(佐々木さんの代理)する。田中先生はデジカメ担当であちらこちらと動き回っている。植木御大も登場され、いよいよしめ縄作りの開始が近づいてきた。
 受付では、その玄関用しめ飾りを1本500円にて受付しているのだが、「私は2本作ります!」「家は3本、お願いします!」と、人気がある。用意していた元となる藁縄も足りなくなり、畑さんは急ぎ倉庫に取りに行く。
 植木御大だが、先程から外の雪を気にしている様子「雪、積もりますかね?」と、聞くと「うん、まあ!」と少し気のない返事。実はまだ会場に顔の見せていない棚田オーナーやFBCの川島アナウンサーを気にしていたのだ。突然の雪で道路状況が悪く参加予定の皆さんで会場にまだ来られていない方々を心配していたのだ。「川島さんに電話してみましょうか?」と、私が話すと「おう!掛けての」と、植木さん。受付の手伝いをしている私は、携帯を田中先生に渡し川島アナと会話してもらった。「川島さんですか?田中です。今、藤田さんの携帯から電話しています」と、丁寧な田中先生。その川島さんだが、この時すでに体育館の外に傘をさして着ていたのだ。
 約80名の棚田オーナーと県・市の関係者、取材の新聞記者と地元高須町の皆さん、合わせて約100名以上が体育館に揃ってのしめ縄作りとなった。植木御大の挨拶、県農林総合事務所農業経営支援部伊森課長のご挨拶で本年度最後の棚田オーナーの行事は始まった。

 そして、畑さん直伝のしめ飾り作りが始まった。体育館いっぱいスペースを取り、それぞれのオーナーが順番に飾り付けをしていく。この玄関用のしめ飾りだが、その独特の形で人気があり、岐阜県内でも一部販売されていると聞いた。

どのオーナーも笑顔で作業している。ふと目の前を見ると川島アナウンサーも次男や地元高須城小学校児童2人に囲まれて作業している。しかも2本を同時進行中だ。「これ、大島の分です!」と、正月用特番の収録(東京)のため本日参加出来ない大島アナウンサー(こしひかり娘)の分も作っていた。(やさしい川島アナ)
 そのしめ飾りも完成が近づくと、それぞれビニールの袋に入れて立派なしめ飾りとなった。毎年参加の女性はマイペースで淡々とこなしていく。「もう、何年もしてるから!」と、その手際の良さに地元の方も関心していた。

 次に小さな藁縄作りとなった。これは、干した藁を手で揉みながら作るのだが、これがまた難しい。「出来ない!」「編めない!」「簡単そうなのに、どうして!」と、声が上がる。確かに畑さんの藁の扱いを見ていると、さも簡単に仕上がっていくのだが、実際自分で行うと・・・出来ないのだ。
 ここで市の職員の皆さんも実技に入った。農政企画課の舟木課長はさすが、上手い手さばきだ。私の前で田中先生も作っている。こちらも見事な出来だった。以前「あぜ道インタビュー」でお世話になった、今年初参加の油井さんと中村さんご夫妻も仲良く作業中だ。その中村さんの奥さんだが「私、初めてです!」と言うのだが、これが上手く回りの人が驚いていた。ご主人の方はというと・・・コメントは控えます。

 約2時間のこの作業は楽しい体育館のひと時となっていた。川島アナの頭に藁のバンダナをかけている地元・高須城小学校の子供たち。そして、笑顔の川島アナ。いつの間にか寒さも飛んでいた体育館でのしめ飾り作りだった。

 正午過ぎ、いよいよ最後となる懇親会が研修センターで始まった。まず、市の舟木課長のご挨拶そして植木御大のこの一年のお礼と感謝の言葉が棚田オーナーに伝えられた。
 そして今年の棚田での収穫ランキングが発表された。5位・4位と名前が呼ばれた。そして、堂々の1位には・・・「FBC、川島さん!」と、紹介された。この収穫ランキングは同じ棚田面積からの計算によるもので、そのより多くの収穫高をランキング化したものだ。「えっ!私ですか?」と、驚いた様子の川島アナ。

 しかし、この一年間どの棚田オーナーより早くこの高須町で稲作に取り組み、誰よりも多くこの高須町に通った川島&大島アナ、当然の1位と心から祝福したい。どのオーナーからも暖かい拍手が沸き起こっていた。そして、この後、植木御大から重大発表があった。高須町の棚田で獲れたコシヒカリだが、その名前が披露されたのだ。「高須城山棚田、げんき米!と、名づけられた。再び歓声と共に拍手が鳴り響いていた研修センターだった。

 どのテーブルにも地元の食材が並んでいた。センターの外では地元の餅米での「餅つき」が始まった。出来立てのお餅が棚田オーナーに振舞われている。そして、その横ではイノシシのバーベキューがある。「美味しい!」「こんなの初めて!」「最高の味です!」と、棚田オーナーの声。テーブルにはそのイノシシの鍋も用意されている。勿論、「げんき米」のおにぎりも用意されていて、各テーブルからは歓声が起こっていた。約2時間の宴、どのオーナーも笑顔がこぼれていた。各テーブルに回り、ホームページの感想を聞いた私。「見てますよ!」「まだ、見てないんです!」と、半々の声。それでも、私の横のテーブルの女性からは「高須城日記の男の酒のつまみが参考になります!」と、嬉しい評価を頂いた。
 宴も終わりに近づき、小雪が降る中オーナーの皆さんが一年間の棚田での思い出を胸に帰っていく。「来年も参加します!」「是非、来年もここで会いましょう!」と、多くの声を頂いた私。何故か熱いものを感じていたのだった。
 賑わいも終わり、研修センターには植木御大と持て成しをして頂いた地元のみなさんと川島アナ、田中先生、そして私が残った。姿が見えない次男は地元の仲良し子供たちと雪の中を飛び回っている。ここで、起きたばかりの佐々木さんが登場して、お茶の時間となった。外は暗く、その中で白い雪が舞っている。そんな時、川島アナの携帯が鳴った。大島アナからだった。「本日、行けなくてすいません!」との内容だった。そんな心遣いが嬉しいこしひかり娘の笑顔が浮かんでいた私。植木御大も嬉しそうな顔で聞いていた。
 この一年の高須町での棚田オーナーの行事が全て終った。地元の皆さんに棚田オーナーを代表して心からの感謝の言葉を捧げたい。
「有り難うございました。そして、お疲れ様でした!」・・・・・「まだまだ今年の高須城日記は続きますよ!」お楽しみに!


△男の酒のつまみ・・・72
 北海道の友人から新鮮なタラバガ二が送られて来た。ここは焼きガ二でと、堅い殻を包丁で割く。塩味がほのかにあるタラバはやはり美味しいものだ。越前かにが高価で中々味わう事が出来ない私たち庶民だが、来年の禁漁までには・・・セイコだけでも食したいものだ。


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【十二月の七/大雪に除雪の朝】12月15日(木)

 高須町での今年度、棚田オーナー行事が全て終わり、少しの寂しさが感じられるこの週明けだったが、思いもよらぬ大雪が日本海側を襲った。近所の人、総出での朝の除雪となっているが6年振りと言われるこの12月の大雪。身体がまだ除雪モードに入力していなかった私には、いささか雪の重さが応える朝となっている。
 大野の親戚からの電話では「もう屋根の雪降ろしをせんとあかんのやわ!」と、雪に慣れているはずの福井人も困惑気味の様子。「福井はどう?」の質問も「市内も同じやわ!」と、応える。もちろん、奥越(大野・勝山)に比べれば福井市内の雪は、「たいした事ない!」と、言わざるえないが、それでも予測しなかった、大雪だった。
 次男(小5)などは、まだまだ嬉しいこの雪の毎日に、「かまくら作るかな!」とか「すべり台がいいかな!」と冬休み前から大はしゃぎとなっている。(本日、小学校は1時間登校時間が遅れるそうで、何故か喜んでいる次男!)
 気温も真冬日となり家の中のストーブが外の寒さを忘れさせてくれる。灯油の値段も昨年とは13円程高いようだがそんな事は言っていられない状況だ。深夜の地元テレビではライブで県内の大雪情報を流している。
 私の年代では大雪と言うと、38豪雪(当時、小1)56豪雪(当時、航空自衛隊)が思い出されるものだ。年々、暖冬で雪が少なくなっていると言われている。38豪雪や56豪雪は記憶の奥にしまっているのは、私だけではないはず。関東で数センチの雪が降ると、必ずその大雪?がニュースになり、転倒やスリップが相次ぎ救急車が出動する映像が映しだされる。
 雪国の私たちにとって「何で?」と、雪な不慣れなその様子を批評している。しかし、それは年々だが、雪国と言われた私たちにも同様な事態となりつつあるようだ。近年の雪の少なさに、この予期せぬ大雪に戸惑うことがある。確かに、38豪雪期と比較して、道路等の除雪体制は盤石のものがあるが、人それぞれの身体の中の雪に対する怖さが薄れつつあるようだ。「こんな雪ぐらい!」「まだ、大丈夫!」と、その雪に対する対処の甘さが年々大きくなっているようだ。
 自然の怖さ、自然の猛威と言われる近年の地球環境、外国で写しだされるその映像は、やがて身の回りで起きる事を想像しなくてはいけないだろう。
 さて、師走も半ばになり、いよいよ「今年も残すところ・・」と、言う時期に来た。しかし、その前にはクリスマスが控えている。大雪になりそのクリスマスムードも一休みの駅前の各商店街だが、従業員総出で雪カキをしながらも商魂逞しい店などはこの大雪の中でもクリスマスソングを流し行交う人の流れに「何か、忘れていませんか?」と、言わんばかりの歳末商戦を繰り広げている。
 綺麗に装飾された各店内には、このボーナス時期になると「えっ!0(ゼロ)が1つ多い!」と、叫びたくなるような物まで並べてある。そんな、商品の前であれこれ品定めしている若いカップルも、彼女の「これ・・・いいなあ」の甘い言葉に「いいよ!」と、奮発する彼氏!そんな光景が多く見かけられるのも、またこの福井駅前だ。
 女子高校生はこの寒さの中、マフラーをしながらも素足で短いスカートで登下校している。そして、男子高校生は雪の中でも懸命に自転車を扱いでいる。リムやスポークは雪まみれ、不安定なハンドルさばきでも離さない、携帯電話でのメール打ち。これもまた駅前での光景となっている。
 次男が通う、順化小学校。春のさくら、冬の雪に時期になると近くのテレビ局や新聞社がその児童の登下校をカメラに写す。そして昨日、その次男が「今日、○○新聞社の人が、カメラで僕たちの下校の様子を写してたよ!一列になって・・・とか、歩きながら雪遊びしてって言ったよ!」と、帰宅した私に報告した。この春もあったこんな次男からの話、そしてその春には、確かに新聞に写ってはいたものの黄色い学童帽子と足だけの次男だった。「また、写ってはいないから、期待しないでおけよ!」と、私が言うと「でも、たぶん大丈夫だよ!」と、自信ありの表情の次男。
 そして、本日の新聞には・・・・・やはり、なかった!
 1時間いつもより遅く登校した次男だが、その新聞を見ることなく、昨日の出来事がなかったかのように登校して行った。
 雪の福井は、春までが長く感じられるが、それでもその春の風が漂う頃までこの冬と暫しのお付き合いをしなくてはいけない。高須町では市内中心部以上に積雪がある。この冬も棚田は一面の銀世界となっている。棚田の賑わいの後は、暫くの静けさとなり、雪の下では春の日まで確実に育っている多くの新芽があるだろう。


△男の酒のつまみ・・・73
 スーパーで安売りのマグロを見つけた。そこでお粥用の小鍋で簡単「ねぎ&マグロ鍋」をする。鍋には昆布でだしをはり、少しの醤油と味醂(小さじ2杯)を好みで入れる。マグロと長ネギは一口代の大きさに切る。そのまま食べてもいいが、ポン酢&ごまダレで食べても美味しい。


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【十二月の八/雪との格闘!】12月16日(金)

 連日の雪予報にうんざりする毎日が続いている。「この冬一番の寒気が日本列島を・・・」と、テレビでの気象予報士のコメントだが、先週も同じ言葉を聞いたような気がしてならない。まあ、この大雪を気象予報士に文句を言ってもしょうがないのだが、朝から夜までと続く除雪には50歳の身体もいささか筋肉痛である。しかし、私の筋肉痛の話など自分でも忘れてしまうぐらいの今回の突然の寒波、奥越や今庄では積雪が2メートルに届く勢いだと新聞に書いてあった。高速道路は通行止め、即ち国道8号線もマヒし、車の渋滞が至る所で見られる。JRも30時間以上の足止めで、人の流れさえがストップ状態となっている。
 また流通の世界でも同じで、コンビニの陳列棚は定時配達の商品が届かず、店員がその対応に追われている。
 雪での被害も連日報道されている。屋根の雪おろし、除雪車での事故などで死者が出た。陸の孤島となった所もある。雪には慣れているはずの人が犠牲になっている今回の突然とも言える寒波は、やはり何かの前触れだろうか。自然の怖さを語るには少し早すぎるかもしれないが、「油断は禁物!」を改めて感じた私だった。
 今朝の話であるが5時過ぎに目を覚ました私、「そんなに雪は積もってはいないだろう!」と、外を見ると・・・・・積もっていた。昨晩から約10センチ程の降雪だったが、この10センチが朝の除雪をするか、しないかの微妙な判断となる私なのだ。確かに本日早朝には、除雪車の豪快なエンジン音は聞こえなかった。除雪車が出動するまでの積雪ではないのだろうが、だからと言って個人個人の除雪への判断は違うものだ。近所中の男達がスコップを手に一同に顔を合わせるのも、この雪かきならではの、冬の朝の光景だろう。「もう、嫌になるね!」「明日も降るらしいよ!」「身体の節々が痛い!」こんな会話の毎日だ。
 で・・・やはり今朝も除雪を決断した私。筋肉痛の身体は立ち上がるまでが辛い。「よっこらしょ!」(中年モード全快!)と、パジャマを脱ぎストーブの前で着替える。玄関を開けると、冷たい冬の寒さが顔と頭を寝む気から覚ましてくれる。長靴&軍手&スコップで雪との試合開始だ。
 今年の雪は何故か重たく感じられるが、新雪の下の根雪も除雪するとなると相当の力がいる。道路の雪、車などの重みで圧雪されている。それでも力任せにその雪と道路の間にスコップを入れる。見えてくる路面。この瞬間がたまらなく好きな私。自家用車前を綺麗に取り終える。しかし、自分の所だけでは・・・気がひける、ものだ。ついでにとお隣さんも除雪する。誰かが言つていたのだが「雪かきは程々に!」がいいらしい。綺麗にと無理をすれば、身体に悪いと新聞にも書いてあった。しかし、中途半端は・・・やはり、嫌な性格の私。汗をびっしょりかきながら、再び雪との格闘になる。
 約2時間の雪との試合で、再び筋肉痛が身体の節々を襲っている。再び降り出した雪を睨みながら自宅へ帰る。贅沢にもこの時ばかりは「朝風呂」で、身体を癒す私。汗だらけの下着が身体のひっつき、中々脱げない。私だけの雪かきの楽しみは、これから始まる体重計での測定だが、マイナス2キロと、なっていた。暫しのんびりと風呂に浸かり、指先からつま先までストレッチをする。手のひらにはスコップダコが出来かかっている。
 10時前、自営業ならではの遅い出勤となった。久しぶりに徒歩で母との店までのデートとなった。照手の自宅を出るとそのぬかるんだ道に足を取られ、転倒する母。「大丈夫!」の私の声に「慣れているから!」と、言う母。転ぶ事に慣れていると言うことなのか意味が理解出来ない。その母の手には大事そうに持つ手下げ鞄がある。中身は父と母とのお弁当である。「俺が持つよ!」と、手を差し出すと「頼むわ!」と、母。昭和4年生まれのこの母だが、その歩く姿はまだまだ健康でいてほしいと思う私だった。(ちなみに、私がフェ二ックス通りの信号待ちで、振り向くと母は片町通りにいた)
 夕方、下校した次男と再び雪かきとなった。この時、珍しく青空が覗かせている。「きれいな空だね」と、次男の声に煙草を咥えた私。7時頃、田中先生が学校帰りに寄るのでその車のスペースをと、道路の一部を除雪していた。その時、一台の車が止まった。「田中先生か?」と、思った私は、次の瞬間懐かしい顔に喜ぶ顔になった。幼馴染みのその顔は、私の自宅横の息子だった。1つ違い(年下)の彼は、現在少し離れた場所にて家庭を持っている。お隣さんで年も近いということで小学生の頃まではよく遊んだものだった。その彼は小さな頃から「虫好き」で、「虫大嫌い」の私とは対象的な存在だった。で・・・今の彼の職業は・・・某中学校の理科の先生になっていた。つまり、田中先生と高校・大学の同級生で同じ理科の先生ということだ。勿論、勤務している学校は違うのだがお互いがよく知っている「旧知の仲」なのだ。
「おう!久しぶり、元気か!」
「幸ちゃん!久しぶり、これ下の息子さんか?大きくなって。湊(みなと)じゃなくて、やはり順化に行ってるんか?」
「そう!」
「上の子は?」
「高3だよ!」
「ほんとか?」
「祐ちゃんどこは?」
「男3人やって!」
「へえ〜、もう大きいんやろ?」
「ほやって!」
 こんな会話がしばらく続いた。「田中先生がもうすぐ来るよ!」と、話すと「何で!」と、聞き返された。高須町の事を話すと「へえ〜、田中先生は真面目やでのう!」と、懐かしそうな彼だった。本当に不思議な縁だと感じた幼馴染み二人と先生二人。今度、3人で飲もうと約束をして幼馴染みを見送った私と次男だが、「また、飲むの?」と聞くのだ。「大人になったら分かるよ!」と、答えると「ふ〜ん!」と、雪遊びになった。
 7時過ぎ、田中先生が寄られたのだが雪が心配の様子で玄関先の会話で帰宅して行った。そうそう明日、田中先生は千葉県に行くらしいのだが、やはり心配なのは雪となる。飛行機(小松―羽田)が飛ぶかどうか、また翌日の帰路も心配となる。予報では「17日からは、この冬一番の寒気が日本列島を・・・」と、再び大雪情報が出ている。
 当分続く、この雪との戦いだが無理せず気長に付き合う事にしなければならないらしい。雪見酒とはいかないが今夜も空模様を気にしての晩酌となりそうだ。


△男の酒のつまみ・・・74
 福井名物と聞かれると、答えに困る程色々なものがある。最近では「焼き鯖寿司」が人気と言う。青もの大好きな私だが、スーパーで売られている「焼きさば」を買うと必ずする事がある。レンジでチンもいいのだが、フライパンを少し熱し、そこに冷めた焼き鯖を入れる。皮がパリパリとなりかけた所で、レモンを手に豪快に汁をかける。蓋をして鯖が熱くなればOK!勿論、醤油をかけて食べるのだが、レモン風味と醤油が鯖をより一層美味しくさせる。


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【十二月の九/千葉県から生中継】12月18日(日)

 暖冬だと思われていたこの冬だったが、予期せぬ年末からの寒波とその大雪に、普段は慣れているはずの県民も少し慌てた困惑の師走となっている。福井市内の至る所には高く積まれた雪山が見られる。除雪車が町角の何ヶ所かに臨時の集雪場として設けているのだが、それも限界近くになっている。
 朝から除雪車とダンプがフル稼働で、その積まれた雪を運搬している。その行き先は・・・足羽川となる。自宅近くの花月橋南側付近では堤防に何台もの雪を積んだダンプが来ている。これも冬の福井の見慣れた光景になっている。この金土日と大雪予報が日本海側に出され、空を見上げる毎日が続くのだが、私は少し別の意味で今、空を見上げている。
「田中先生、無事に千葉に着いただろうか?」「いや、この雪だから福井にいるのでは!」と、一人あれやこれやと思い考えている。
 何故、田中先生が千葉県にと・・・その理由は第13回全国中学校駅伝大会が本日、千葉県の昭和の森記念公園で開催され、その男子・福井県代表として我が母校、明道中学校が出場するのだ。田中先生はその応援として何人かの先生と共に千葉県に行ったのだ。前日から電話するのだが、連絡が取れず千葉に行ったのか、それとも福井にいるのか分からない私。母校の後輩達の奮起も期待するのだが、田中先生の所在も気になるところ。
 そんな時(朝7時)携帯が鳴った。田中先生からだった。「今、東京です!」と、元気な声。「今から会場まで地下鉄とJRを乗り継いで移動します」と、連絡が入った。「先生!結果を教えて」とだけ伝えると「了解しました」と返事がきた。
 この第13回・全国中学駅伝大会だが今年の福井県代表が男子は明道で初出場、女子は越前市の万葉中学校が2年連続2回目の出場となった。駅伝と言えば嶺南の学校が強いと思っていた私だから、この後輩たちの福井県大会優勝には驚きと嬉しさがあった。しかし、聞けば母校の優勝は二十九年振りの2回目らしく、その話にも驚いた私だった。
 スポーツ新聞を捲り、記事をさがす私。片隅に小さくその記事はあったのだが、その横では、やはり今日行われる「全日本女子実業団対抗駅伝大会」(岐阜県)が大きく取り上げられていた。
 後輩達の襷を繋ぐ完走と、一つでも上位の成績を願い、そしてこの全国大会出場での経験がこれからの彼らの人生での良い経験になることを考えながら、おそらく午後の連絡になるであろう田中先生からの最終成績を電話で待つことにした私だった。
 外は意外にも雪は降っていない午前中だった。朝から、また除雪か!と、考えていた私にとって嬉しい誤算となっていた。そこで、パソコン検索で「中学駅伝」を出してみた。すると・・・あった。しかも、区間速報の欄もある。勿論、まだスタート前でクリックしても表示されない。その時、携帯が鳴った。田中先生からだった。「今、地下鉄の駅です。」「先生、結果が分かったら教えてね」と短い会話で電話を切った。しかし、この時まだこれから始まる千葉から福井への生中継を考えもしなかった私だった。
「今、大会会場に着きました」(3回目)
「今、スタートしました!」(4回目)
「1区、45位です!トップとは約1分遅れです!頑張れ!」(5回目)
 こんな感じで千葉の田中先生から約10分ごとに連絡が入る。私は先生からの電話と、パソコンでの区間速報でその状況を推察している。
そして、最後の6区で健闘した6選手の襷は47位でゴールした。全48チーム中47位の結果だった。
「最後のアンカーは惜しかったです!でも、みんな頑張りました!」と、最後の電話が田中先生から入った。女子の万葉中も同じ47位で仲良く同着だった。結果はともかく、全国大会と名の付く大会に中々出場する機会などない選手達、特に母校の明道中の場合、陸上部に籍をおくのは2名だけで、残りの4名は他の部からのスケットとなっていた。合同練習も9月からと言うのを聞いたのだが、よく頑張ったと言える。
 他の3年生が夏には部活を終え、受験(高校入試)に備えているこの時期だが、この大会まで練習と勉強と両立した3年生選手を誉めてやりたいものだ。そして、貴重な体験が出来た彼らは、この大会に出場したことが、おそらく一生の思い出になるに違いない。
 テレビで見ていた「実業団対抗女子駅伝」だが、岐阜の雪と風の中、3連覇で優勝した三井住友海上よりも、最長区間(5区)で14人抜きしたワコール福士加代子(区間・17位から3位へ)の笑顔の爆走が印象に残った。
 夕方、気になる天気予報を見ようとテレビを付けた。そこに、携帯が鳴る。田中先生からだった。「今、福井に着きました。」と、元気な先生。飛行機も電車も混雑や不通が報じられる中、無事に福井に帰って来た先生。「親父が、早く帰って除雪しろ!って言うんですよ」と、お疲れの中帰宅しても除雪をしなければならない田中先生は大変だ。
 その田中先生だが、帰宅途中に寄られお土産を頂いた私、「明日の学校は、1時間遅れです」と、雪の為貴重な授業が変更となる。我が長男(高3)も緊急連絡で明日は休校となった。
 その電話を横で聞いていた次男(小5)も何か期待しているのか、そわそわしている。「お父さん、雪はまだ降るの?」「明日、学校あるのかな?」「お兄ちゃんの学校は、明日無いんだよね!」と私に質問攻め。(こいつ、明日休校になると期待している!)
 こんな時、ふと高須城小学校を考えた私。大雪になっても、児童3人は自宅から学校まで徒歩1分で着く距離だが、先生たちは大変だろう。先生が学校まで雪の為、行けないから休校とはならないはず。こんな事をついつい考えてしまった私だった。
 で・・・次男だが・・・学校からの電話は無く・・・翌日、普通通り学校に登校して行った。


△男の酒のつまみ・・・75
 甘えびを50尾程頂いた。ここは当然、さしみと言うか生でそのまま食べる。残りは天麩羅にする。家庭でする天麩羅はどうしてもシャキシャキ感がでない。そこで水に溶いた天婦羅子粉にマヨネーズを加える。これが、意外とそのシャキシャキ感が出るから驚くのだ。春のよもぎもマヨネーズを使おう!


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【十二月の十/懐かしい授業が】12月20日(火)

 次男(小5)の顔が笑顔の度合いが多くなってきた。終業式・冬休み・クリスマス・ケーキ・プレゼント・お正月と続くこの年末年始が近づいてきた。「もういくつ寝ると・・・」と、私も昔考えた時があった。子供にすれば楽しいイベントが続くのだから仕方のない事だろう。
 それにしても、この毎日の雪には、溜息しか出なくなってきた私。週間の天気予報を見ることが嫌になってくる。雪による被害はありとあらゆる所で猛威を振るっている。雪が降り、嬉しいはずのスキー場でさえ関西・中京圏からのお客がこの雪で福井に来れず閑古鳥状態で県内のスキーヤーも毎日の除雪で見込めない。また、温泉もキャンセルが相次ぐと報道されていた。冬の味覚、蟹漁も悪天候で船が出ず、2週間漁が出来ずに越前ガニが3倍の値になっている。水仙も大被害。また、ハウスが雪の重みで倒壊し収穫前の野菜などが被害にあった。それにしてもこの野菜の高騰はどうにかしてほしいものだ。高騰といえば灯油も同じで、「また少し値上がりを・・・」と、ガソリンスタンドの店長が頭を下げていた。
 私もこの雪によりスケジュールが狂っている。冬の高須町をとカメラを手に出かけたのだが、その雪の多さに途中で断念した。植木御大も除雪の毎日で大変な様子。佐々木さんも例年より一層、会社が忙しそうで電話での会話も普段より短いものになっている。田中先生は・・・何やら家のパソコンがウィルスに侵入されたか何かで、この高須町のホームページが更新出来ず、頭を抱えている。
 その先生だが、本日始めて田中先生の授業を見せてもらったのだ。明道中学校・学校評議員(3年目)の私だがこの評議員の会議は各学期に最低1回開催される。そしてその都度、生徒たちの授業の様子を見学し、また、学校の現状などを校長先生や教頭先生から報告される。平成12年度からPTAで、また、15年からは評議員としてこの明道中学校でいろんな先生の授業を見てはいるのだが、不思議に田中先生の教壇に立つ姿は見たことがなかった私。
 朝9時、除雪された通学路を通り母校に着く。校長室に入り校長先生・教頭先生それに他の評議員の方にご挨拶となる。このメンバーでは最年少の私だから、少しおとなしく猫をかぶる(最初だけ!)状態だ。コーヒーを頂ながら話題は雪となる。隣接する職員室に行くと田中先生の姿がない。「もしや、授業か?」と、少し期待する。評議員会が始まり、まず校内を回り、授業を参観するのだが、この日は保護者も同様に参観日で、多くの方が来校している。
 教室の中で自分の子の授業を見る親、また、気づかれないように廊下からそっと見る親それぞれだ。数学・英語と見学し、次に入った教室では国語の授業をしていた。若い綺麗な女の先生だった。(いいな!)
 この女の先生だが・・・とりあえず、K先生と言っておこう。確かこの明道中学校に赴任して3年目だったか、前の学校は何と高須城小学校なのだ。人気があり、マラソンでも県内の大会は必ず上位に入るこの先生だが、その授業で驚いたのは黒板に書いた字であった。「綺麗で上手い!」と、声を上げてしまった私。それほど綺麗な字であった。このK先生は書道教室に通っていたことは知ってはいたのだが、これほどまでとは思わなかった。
 次に、理科の授業を見学した。教室後ろの戸を開けると、教壇には白衣を着た田中先生がいた。授業は・・・地震?だった。震源地やその速度について真剣に授業を進める田中先生だった。普段見る、田中先生とは一味も二味も違うより真面目な先生がいる。(あたりまえだ!)約5分間、その授業を見学して、また次の教室に入る。寒いこの時期、保護者の事も考えて廊下にもストーブが臨時で置いてある。
 授業参観を終え校長室に戻り、会議に入った。この会議では、やはり生徒の安全対策がメインとなった。栃木や広島での痛ましい事件の後、全国の学校ではそれぞれ、その安全管理をより強化している。地域で、家庭で、学校でそれぞれが協力しあい、大事な子を守ることが大事である。この会議では明道中学校の現況や他校の取り組み方を聞いて、私達評議員の考えや意見を申し上げていく。福井市中心部でしかも校区が広い明道中学校には、今なにが必要なのか、何をすべきなのかを先生や保護者、そして地域ぐるみで考えることが不可欠である。このような内容で会議は、約2時間で終えた。
 再び、職員室の田中先生のもとに向かうのだが、先生はいない。また、次の授業なのかと会うことを諦め、職員玄関から車に乗った。保護者の車も多く校内の空きスペースは、車で混雑している。何回かハンドルを切り返し、ようやく校門から道路に出ようとした時、小雪が降る中、田中先生がスコップを手に除雪をしていた。授業&除雪と先生は大変な仕事だ。窓を開け「先生!いい授業でしたよ!」と、声をかけた。「おそれいります!」と、田中先生。
 母校での授業を見学すると、35年程前の自分の姿が蘇るような気がする。懐かしい学舎は、・・・・あの時のままである。(古い校舎だけど・・・中はピカピカですよ!)


△男の酒のつまみ・・・76
 冬至を迎える頃になると冷蔵庫には南瓜(カボチャ)がある。母はその南瓜と小豆を甘く煮るのだが、カボチャを少し頂いた私。一口の大きさに切ったカボチャを鍋に、鍋にはカボチャが少し隠れるくらいの水を張り、ほんだしと砂糖と少しの醤油で煮る、一度煮上がった時、弱火にし、この時ごま油を2・3滴入れる。味付けは好みで。


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【十二月の十一/冬休みと雪かき】12月23日(金)

 昨日の午後だが、いつもより多くの荷物を抱え下校してきた次男(小5)、終業式の後いよいよ少し長めの冬休みに突入となった。その次男を送ろうと店から自宅への途中、いつも寄る片町のスーパーに入った。次男はいつもこのスーパーで駄菓子を買うのだが、私は勿論、夜のつまみを買うのが目的である。
 馴染みとなりつつある私達親子、このスーパーの従業員とも無言で挨拶を交わす。しかし、商品の陳列棚にいつも戸惑う私で、あっちこっちと欲しい物を探していると、「藤田さん、何探しているの?」と、後ろから女性の声が聞こえる。振り返ると、ご近所の若奥様がいた。この奥様とは長男(高3)同士が小・中と同じで、明道中学校でもPTAで、この奥様には役員として活躍して頂いたのだ。「あのさ、ポン酢を・・・」「目の前にありますよ!」と、さすが常連主婦でどこに何があるのか熟知している。「有難う、助かった!」と、お礼を言うと店内の従業員から笑い声が聞こえている。
 男性がスーパーに来るというのは、最近珍しい事ではないのだが、私がこのスーパーに来る理由が・・・あるのだ。それは、レジの女性が凄い美人だからである。(やっぱり!)
 何度かレジを通る時、会話をするのだがその笑顔に緊張してしまう私。(妻には内緒!)毎度の事だが、レジで清算している時、必ず次男はこの場所にはいなく、お菓子コーナーで最後の悪あがきをしている。ようやく陳列棚からお気に入りのお菓子を1つ取ると、レジにいる私を見つめ「これ、お願い!」と、無言の目線を送ってくる。美人のレジの女性の手前、「ダメ!」とは言えず、「いいよ!」と、言ってしまう。
 買い物を終え、車に戻った。その時、次男が珍しい事を言い始めた。「お父さん、冬休みの宿題を今年中にやってしまうよ!」と、言うのだ。「おお!そうか、頑張れ!」と、エールを送った私。夏休みやこの冬休み、毎度の事ながらギリギリまで宿題をしなかった次男だったから、この言葉を聴いて嬉しくなっていた。自宅に帰り、通知表(あゆみ)を見せる次男。自分から見せるから当然良い成績だった。通知表を見ながら横で正座の次男を、叱って誉める
 小学5年生の次男。子供が少しづつ成長している事に親として嬉しさを感じる時だが、まだまだ子供でいて欲しくもある。
 自宅に帰り、コーヒーを飲みながら外を見ると雪が止んでいる。自宅前の道の両脇には高く積まれた雪がある。ここは少しでもと大通りの集雪場にその雪を運ぶことにした私。毎日の雪との戦いに腰も悲鳴をあげているのだが、そんな事は言っていられない。幾分、固くなっている雪を少しづつ運ぶと、汗が吹き出てくる。30分程過ぎた頃、次男もスコップを手に応援?に出てきた。私の真似をしてか、そのスコップに多くの雪を載せた次男だが「重い!」と一言で断念する。
「少しずつにしなさい!」と、私が言うと「でも、これぐらい・・・」と、再度チャレンジする。横歩きでゆっくりと集雪場にいくのだが、着くころにはスコップの上の雪は半分程になっている。そして、道路の上には次男が落とした雪が道標のように点々と転がっている。親子の雪かき・・・、こんな微笑ましい二人の作業だが、いつまでも続けたいと思う私だった。その次男だが「お父さん、高須町は雪・・・多いの?」と、聞く。「そりゃ・・・ここより多いよ!」と、返すと「じゃ、遊びにいけないね」と、残念そうな顔の次男だった。
 高須町・・・佐々木さんや植木御大の電話で、その雪の多さが伝わるのだが、癒しの里「高須町」だから雪の高須町も行きたいと思う雪かき親子だった。


△男の酒のつまみ・・・77
 大根おろし&鰻の蒲焼。妙な組み合わせだろうか?不意にこのコラボレーションを考えた私。鰻の蒲焼をひつまぶし(名古屋名物)のように細く切る。そしてレンジで少し熱目にする。大根おろしは根の辛い所をおろす。勿論、汁は少し切っておきたい。大根おろし&鰻を軽く混ぜて頂く。「どえりゃ〜」(名古屋弁)美味しいものだ。


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【十二月の十二/「げんき米」がフランス料理に!】12月27日(火)

「今年も残すところ後、何日・・・」と、秒読みをする日々が来ている。あれほど降り続いた雪も、福井市内ではここ数日は小康状態で、路面には懐かしくアスファルトたちが顔を覗かせている。でも、まだこれは年内の話で、雪本番となる1月2月の事を考えると気が重くなる。
 雪による被害は色々な面で予定を狂わせる事となったのだが、この高須町のホームページ上でも、クリスマス企画として楽しみにしていたFBC福井放送川島大島アナウンサーへのインタビューも新年企画に変更しなくてはいけなくなり、また、それにも増して、田中先生のパソコンが壊滅状態になりホームページの更新が16日以来、出来なくなった。(年内には修復できる予定とか?)ウイルスが原因なのか、それとも落雷によるものなのか、頭を抱え塞ぎこんでいる田中先生。(これもまた、可愛い姿!)
 世間では、クリスマスも終わり、新年を迎える準備が至る所で見られる。少しづつ掃除をする店や家、企業がある。我が家も高須町で作った正月飾りを玄関に飾る日が近づいてきている。
 そんな昨日の事だが、1本の電話がかかってきた。電話の先は、読売新聞福井支局の記者からだった。「高須町の植木さんからお聞きして、近所(支局から徒歩1分)の藤田さんから話を聞いてほしい!」との内容だった。つまり、取材内容は高須町の棚田についての事だった。
 30歳だと言うこの男性記者、実は何回か高須町にも足を運んでいた。兵庫県城崎(きのさき)近くの出身だと言うこの記者は、「高須町に行くと、故郷を思い出します!」と言う。そんな記者と私の和やかな雰囲気でインタビュー?世間話?が始まった。高須町での棚田オーナーに参加した理由や、思い出など、ほとんどがわき道にそれながら話をする私に笑顔で答える記者。
「大学はどこ?」「えっ、京都です!」「じゃ!京都大学?」「はい!」
 私得意の逆取材にはきはき答えるナイスな記者だった。そして「植木さんは凄い人ですね!あのような考え方や発想力を持つ人には敬服します!」と、真剣な眼差しで言う記者。今年また、一人「植木信者」が増えていた。
 取材は約1時間、最後に次男(小5)からも話が聞きたいと言うのだが、その次男は朝から友達の家に遊びに行っている。次男とは帰宅後、夕方電話でのインタビューを約束して帰社していった。
 夕方、その次男が帰宅してきた。取材理由を話し、自分が思う高須町の事を素直に答えればいいと話した私。だが次男の顔は明らかに緊張していた。「え〜っ!」「何、緊張しているの、電話だから」「え〜っ!」「高須の事を素直に答えればいいから」「うん!・・・え〜っ!」こんな会話が続いた。
 私の携帯で電話をかけた。簡単に挨拶をすませ携帯を次男に渡した。不慣れなインタビューで直立不動の次男、「はい!」・・・「はい!」・・・「そうです!」と、全くインタビューになってない。それでも、小学5年生の意地として自分が思う高須町での米作り体験を話そうとする次男(かわいい!)。約10分の電話でのインタビューを終えた次男だが、明らかに安堵の表情を浮かべ、「緊張したよ、お父さん!」と、少しの笑顔を覗かせていた。(記事は新年5日掲載予定)
 さて、本日27日は楽しみにしている番組があった。それは勿論、FBC「夕方いちばん・・・」は、昨日で年内の番組を終え、特番が放送される。昨日の夕方いちばんで今年最後放送のコメントとして「一番の思い出は、げんき米です!」と語ってくれた川島アナ
 その川島アナから、半月程前に「27日の番組で、げんき米を使いフランス料理を・・・」と、聞いていた私。「げんき米」「フランス料理」のコラボにいささか頭を悩ましていたのだが、どのような料理が出てくるのか楽しみにしていた。ビデオを予約して仕事に出かけていたのだが、やはり生で見たいと途中からは店の車から乗用車に乗り換えた。(車内テレビで見るため!警察には内緒!)
 午後4時前、その川島アナから電話があった。「今日、生放送です!高須城小学校の3人も出演のためもう来ています!」と、話す川島アナ。意味が分からない私。「げんき米」「フランス料理」までは何とか想像がつくのだが、「高須城小学校の3人」「生出演」「フランス料理」がどうしても結びつかないのだ。「是非、藤田さんも取材(ホームページ用)来て下さい!」と、川島アナのお誘いだったが現在地・芦原近くの私は渋滞に巻き込まれていた。
 午後4時54分、いよいよ番組が始まった。この時、私は車内テレビを切り(安全運転のため)、生放送が行われているFBC本社に向っていた。以前、渋滞が続く道なのだが、脇道を選び、どうにか6時前にはFBC本社近くの九頭竜川の橋を渡っていた。「間に合う!」と、思った私。ここで、再び車内テレビを付けた。スタジオには森本アナと遠藤アナがいた。そして、次の瞬間だった。「中継先の川島さん・・・」と遠藤アナの声。「中継先・・・?」「FBCじゃないの?」「どこから中継しているの?」と、次から次へと頭の中に疑問が沸き起こっていた。
 しばらく運転しながらテレビ画面を見つめていた。私の車は大和田のFBC本社前を通りかかっていた。本番前の川島アナに電話することも出来ず、簡単なパニックになっていた私は、もしや佐々木さんが子供たちと同行してると思い電話をかけるが、これもつながらず断念した。(佐々木さんは仕事場だった!)
 そして、中継が始まった。中継先は文京のフランス料理店からだった。つまり、この場所から車で約10分は移動にかかり・・・・・諦める事にした私だった。FBC本社でと勘違いしていた私・・・場所の確認をしなかった私・・・テレビをずっと見ておけばと反省する)
 正装の川島アナ、そしてその横には高須城小学校の全校児童3人(サトシ君ヒカル君ミサキちゃん)がいる。いささか緊張している模様だが、生放送だから仕方がない。そして、3人の横には福井商業からロッテに入団が決まった林投手がいる。
 5人のテーブルには「げんき米」を使った、美味しそうなフランス料理が運ばれてくる。シェフの創作料理だろうか、地鶏・フォアグラ・トリュフを惜しげもなく使った料理である。川島アナと林投手はともかく、高須城小学校の3人に、このフランス料理の味が分かるのだろうかと、疑問を持った。そして、それ以上にこの3人はフランス料理を食べた事があるのだろうかと思った私だった。「この料理にげんき米が入っているんだよ!」と、川島アナ「えっ!どこに?」と、ミサキちゃん(小4)。しかし、画面を通して感心したのは、この3人きちんとナイフ&フォークを使いこなしているのだ。デザートにも「げんき米」が使われているのだが「美味しい!」ミサキちゃん。計3品の料理に満足したのか、しないのか・・・とにかく、私が食べたいと思ったほどの料理だった。(だって、フォアグラとトリュフだよ!)
 おそらく、中継終了後には子供たちに付き添いの親たちが皆でフランス料理を食べたことだろう。(目に浮かぶ、そのテーブル!)
 そして、最後に川島アナのコメントだが「来年もげんき米を作ります!」・・・で、締めくくったのだった。(いいぞ!)
 車の中で、そのフランス料理をうらめしそうに見ていた私だが、中継先に行きオコボレでもと考えたのだが、プライド(そんなものは無い!)が許さず、寂しく車を自宅に向けた。
 ところで大島アナ(こしひかり娘)だが、別の中継先(ハーモニーホールふくい)にいて、こちらも綺麗にドレスアップしてバイオリン独奏の紹介をしていたらしい。(また、髪型変えた!)
 自宅に帰えると、何故か次男の大きな笑い声が聞こえてきた。「どうしたの?」と、聞くと「だって、3人の顔が・・・緊張してるんだもん!」と、まだ笑っている次男。(人の事が言えるか!)
 高須城小学校の3人と順化小学校の次男は仲良し4人組、テレビ生出演と新聞社の取材と形は違うものの、それぞれ良い経験になったはず。高須町の棚田が縁で多くの人と出会い、色々な予期せぬ素晴らしい経験をしている。これから、大きく羽ばたくだろうこの4人の子供たちには、大いなる未来が待っている。

 さて、今年最後の高須城日記になりましたが、読者の皆様、今年一年この高須城日記をご愛顧頂き有難うございました。福井県内そして全国からのたくさんのアクセスで、ついつい私なりにキーをたたく回数が多くなり、内容的につまらないものも多々ありました。
 お世話になった高須町の皆様、棚田オーナーの皆様、高須山にハイキングされた皆様、そして、来年こそ「癒しの里・高須町」とご縁をもたれるであろう皆様、このホームページをご覧の皆様、すべての皆様が良い新年をお迎えになることを心から願いまして平成17年最後の高須城日記を終えさせて頂きます。有難うございました。


△男の酒のつまみ・・・78
 フランス料理・・・とはいかないが(食べたかった!)
 セイコかに大好きの私。身の方は当たり前に酢で食べるのだが甲羅は別。甲羅に付いている赤い内子などセイコかにの美味しい部分を綺麗に取る。料理の前に甲羅の中に日本酒(熱燗)を入れ・・・至福の時!(3杯はいける!)
 甲羅を洗い、甲羅の上に先ほどの内子や身を入れ白ワインを少し、スライスチーズを蓋がわりとする。粉チーズをふりかけ、レンジでチン!時間があればマカロニを入れて、グラタン風もいいですよ。


高須城日記U(新春編)に続く


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