高須城日記U(新春編)
(平成十七年度・棚田オーナー/福井市 藤田幸治)
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【一月の一/謹賀新年・戌年男の舞】1月1日(日)
皆様、新年明けましておめでとうございます。私の平成十八年書き初め・・・ならぬ、打ち初めの高須城日記ですが本年も宜しくお願い致します。
この時ぞとばかり掃除に追われた大晦日でしたが、何とか無事に新年を迎えることが出来ました。それにしても、洗車だの家の内外の掃除と普段から掃除をしてるつもりでも、想像以上に汚れは溜まっているもの。居間のテレビ画面を拭いた次男などは「わっ!真黒だ」と、手のテッシュを見て驚いていた。
「原因は・・・お父さんの煙草だよ!」と、話すと「じゃ、煙草を止めたら!」と、注意をされた。家族6人が店や自宅と奔走しての恒例の大掃除だが、この時ばかりは母や妻の指示に従い「はい、はい」と、動かなければならない。それでも、隙をみて長めの休憩を取る私。
次男に注意されたその煙草で一休みなのだが、テレビを付けるとこしひかり娘(大島アナ)が映っていた。25ch(北陸朝日放送)での番組で爆笑問題が司会だったのだが、系列の女子アナが多く出演していて、クイズ形式で優勝者を決定すると言う。最初の組に登場した大島アナだが、この日は余り目立たず騒がずで・・・予選落ちだった。(でも、何故ハブヌンチャクなのか?・・・あっ!問題の一つで、沖縄の有名なカラオケ店主がショーをするのだが、あるヌンチャクを使い凄く危険なショーでお客さんを冷や冷やドキドキさせると言う。さて、そのヌンチャクの先には何が付いているのか?・・・が問題で・・・答えは「鎌」です)
珍しく、御淑やかな大島アナを見てしまった私だが、楽しみにしていた「高校サッカー」を次に見た。丸岡高校対佐賀東だった。前半の良い時間に先制点を挙げた丸岡だったが、ディフェンスの甘さが気にかかっていた。後半、その予感が的中して同点になり、PK対決で負けてしまった。小阪教頭先生最後の大会で気負う選手たちだったのだが、国立競技場まで勝ち進めなかったのは、残念だった。そして、その丸岡高校のベンチ情報を伝えていたのは、川島アナだった。茨城県出身の川島アナだが、関東(丸岡高校の試合は千葉県・市原臨海競技場)で開催されているこの大会だから暫しの帰省となるのか、福井にトンボ帰りになるのか、どちらにしてもアナウンサーは大変な仕事である。
夕方、大掃除を終え妻と次男で今年最後となるお買い物に出かけた。どこの売り場でも混雑している。食品売り場は特にすごい人で、正月用おせちコーナーには品定めしている人で賑わっている。我が藤田家は、数年前から大晦日の夜は手巻き寿司で元日の夜はすき焼きとなる。勿論、おせち料理はあるのだが時代なのか長男も次男も余り食べない。特に、お雑煮となると「僕、お餅2つ!」「僕は、1つ!」と、少ない。どうしても、美味しい白米(高須産こしひかり・げんき米)がいいようだ。
とにかく、手巻き寿司用のお刺身各種とすき焼き用お肉を買うのだが、あれやこれやと(どれにしようか)迷うのだ。
最近、私のつまみの影響で刺身類が大好きになった次男、これまで手巻き寿司となると、「僕はシーチキン巻き!」オンリーだったのだが、バリエーションが増え刺身を選ぶのにも参加するようになった。大量の刺身類や蛸や蟹を買い、次は牛肉(すき焼き用)を買う。これは、私の担当で・・・約2キロの高級和牛?を購入した。(年に数回だから、いいか!)
スーパーで大量に食材を買い、家に戻ると父が玄関で正月用しめ飾りを付けていた。そう、次男が高須町で作ったあのしめ飾りである。昨年から店と自宅では高須町のしめ飾りが付けられるのだが、その形が珍しいのかご近所の方から「どこで買ったの?」と、よく聞かれるのだ。「僕が作ったんだよ!」と、説明する次男だがやはり嬉しそうな顔だ。
夜になるとようやくいつもの落ち着きをみせる、我が家族だが、手巻き寿司を食べながら「紅白」(父&母)「格闘系」(長男)「ドラえもん」(次男)「紅白&格闘系」(私&妻)と別々になる。五木ひろし「命」の父と母はその登場となる深夜まで就寝を我慢するところとなる。私は新聞の紅白登場順を見ながら、お気に入りの歌手の所だけを見る事にしている。
2画面での落ち着きのないテレビ鑑賞だが・・・幸田来未と曙VSボビーの時間だけはノーマルで見ていた。
除夜の鐘が遠くで聞こえ、新年を迎えたところで次男を連れ、近所の神社に参拝に行く。何人かの参拝客が来ていたのだが、皆さんいつもより長い参拝となっている気がした。次男と私も家族の健康や高須棚田の豊作を願いながら、手を合わせた。そして、横にある「おみくじ」を引くと・・・次男は「大吉」、私は「中吉」だった。そう言えば、今年が年男となる次男(12歳)だが、横に並ぶと少しづつではあるのだが身長が伸びているような気がしている。いつかは、その身長は追いこされるのだが、早く抜いてほしいような、まだまだ抜いてほしくないような複雑な心境である。
深夜1時前、新年の参拝から帰宅した次男だが「もう寝なさい!」の私の言葉に素直に聞く。何故なら、明日朝には祖父母から「お年玉」が貰えるからだ。余程期待しているのか嬉しいのか、その表現を変な舞で表している。これが今の小学生だろうか。自分が小学生の頃、千円を貰えれば飛び上がるほど嬉しかったのに、今は一万円と十倍になっている。
元日・・・朝、食卓には父と母、それに妻と私。長男と次男はまだまだ初夢の中なのだろう。父と私は正月ならではの熱燗で初酒となる。つまみは、おせちの中の紅白の蒲鉾・いくら・きんぴら・海老で、ついつい飲みすぎてしまう。お雑煮を食べた頃だが、やはり朝からのお酒は眠りを誘う。
元旦の駅伝(実業団)を見ながら暫し仮眠となった私。妻は新聞のチラシを見ながら、明日の福袋をどこで買うのか迷っている様子だ。(毎年の事!)遅く起きた、長男と次男はお年玉を大事そうに抱え、満面の笑みを浮かべながら何回も袋の中を見ている。(これも、毎年の事!)「無駄使いするなよ!」と、私の言葉にも「うん!」と軽く返事をする次男だが、どうやら明日、そのお年玉でゲームソフトを買う事に決めているようだ。(今年もゲームか・・・!)
昨年末から大雪となったこの冬だが、珍しくこの元日には晴れていて、雪たちも雲の中のコタツで正月気分となっているようだ。
新年を迎え、家族の健康と店の繁栄、そして高須町での豊作を願った私だが、人生の折り返しとなる五十を過ぎ、新たなる目標(内緒!)を誓う平成十八年元日となった。
△男の酒のつまみ・・・79
正月となると、七草粥までどうにも胃が重くなる食べ物が続くのだが、時々あっさりとしたものが欲しくなる。
サラダ感覚で、レタス・薄くスライスしたキュウリ・トマト・それに蒲鉾を少し炒めたものを食べる。ドレッシングは簡単にポン酢とサラダ油を1:1で混ぜたものでOK!材料はお好きなものを・・・でも、あっさり感を忘れずに・・・。
【一月の二/ふくい食育元年!】1月5日(木)
この正月三が日を、のんびりと過ごした私。テレビの前と食卓の往復がメインで、後は寝て過ごした。特に正月恒例の大好きな「箱根駅伝」(2・3日)を満喫した。応援していた駒沢大学の五連覇は意外の結末となり、予想もしていなかった亜細亜大学の初優勝となった。この伝統の箱根駅伝だが、やはり今年もドラマがあった。今大会は駒沢大・順天堂大・東海大・日本大・日体大と優勝候補が戦前の予想だった。しかし、エースはいないものの総合力の駒沢大が優勝と誰もが思っていたに違いなかった。
往路の5区で昨年の快走を再び見せた、順大の今井選手(坂登りのスペシャリスト)はやはり凄いと言うべきで、その順大が往路優勝で駒沢大が2位で好位置に付けていた。「やはり、駒沢か!」と感じていた。
翌日、30秒差のスタートで順大・駒沢と復路をスタートして行く。いつ駒沢が追いつくのかと期待しながら見ていたのだがその差は縮まらない。そして、私が「駒沢はダメだ!」と思った瞬間が来た。それは6区で駒沢の選手が給水の水を頭・足とかけた瞬間だった。実は、この箱根駅伝の回想の番組が年末にあった。その中で、確か駒沢のOBが「あの行為は、今でも何故あんな事をしたのか、解らない!」と、言ったものだが、それは給水でやはり水を足にかけた行為だったのだ。
1月の箱根路、風は冷たく選手が感じる体感温度を下回る事は明白である。「無意識のうちに水をかけた!」とOBが語っていたが、その行為を同じ駒沢の選手がしてしまったのだ。
この直後、筋肉が硬直し足が動かなくなった駒沢大は大きな差を取られてしまう事となった。それでも、今回のドラマとなった平塚―戸塚間(21.5キロ)で順大の難波選手の脱水症状の間、駒沢が抜き返し8区までは1位となっていた。私もレース(自転車のロード)で経験があるが、この脱水症状は突然襲って来るのだ。足は動かずどうする事も出来ない。慌てて給水するのだが、一度止まりかけた足は回復することはないのだ。「チャンスだ、行け!駒沢!」と、叫ぶ私の横で涙を見せながら、その順大選手を応援する妻。「頑張れ!頑張れ!もう少し!」と泣いている。
実況(中継車)のアナウンサーも涙声になっていた。主将として、4年生最後の箱根の駅伝として、襷にかけるチームも思いを感じながら1歩1歩と次の選手が待つ中継所まで意識が朦朧としながら足を動かす。
おそらく、この中継を見ていた視聴者は感動を覚えたことだろう。6区での給水問題では冷たい風が吹いていた、だが8区では気温10度、そして予想以上に日が差していた。スポーツには筋書きのないドラマがある・・・だから、面白い。
さて、新年に入り元日、3日と新聞各紙の特色として農業や食育が多く取り上げられていた。こしひかりが誕生して今年で50年、全国でも長寿の県と有名になった我が故郷・福井県、その福井の食文化が私たちに大切なものを今・・・
いや昔から与えてくれていた。それを、当たり前のように考えもせず口にしていた。贅沢とは程遠い食生活をしていた私の両親の時代、高度経済成長の中、欲しいもの食べたいものはある程度与えられていた私たちの子供時代、そして今・・・その親が自分の子供に食べさす食品は、どうだろうかと真剣に考えてみたことがあるだろうか。安全?産地?品質?など余り考えてはいないのが正直なところではないだろうか。
この日本は今、世界のありとあらゆる食が入ってきている。世界一とも言われるその食の宝庫の日本、必ずしも安全と言える食の流通は無いような気がする。BSE牛肉問題も誰を信じて購入すればいいのか疑問を持つ。食料自給率約40%のこの日本、私たち日本人の食糧を賄う外国産だが、その農地面積は日本の農地の約2.5倍にもなると言うのだ。野菜・肉・魚と輸入される日本の食の安全面は、本当に大丈夫なのか?、また、今後それはどうなっていくのか?、そんな事を考えると、やはり少しでも自分たちで作る事をしなければならないだろう。少しでもいいから自分たちで・・・。
今、休耕地が年々増えつつある。遊ばせた土地、つまり土壌は再び生き返らせるには大変な労力がいる。いや、一度死に掛けた土地を生き返らせる事は、出来ないとも言える。
「農業をやろう!」とは言わない。「農業に少しでも、携わろう!」と、言いたい。高齢化&過疎化に悩む農業、だが、その経験豊富な先生(農業従事者)に今その経験を学ぶ必要があるのではないだろうか。近年、農業分野に参加するという企業が増えてきた。「土地を遊ばせたくない」「これからは農業新時代です!」と、企業のコメント。利益重視だった大手企業が農業に参入する時代が来ている。大都会のビルの地下で米作りが行われていたり、同じように想像もつかないビルのスペースで野菜が育てられている。
真すぐなキュウリ、虫食いがないキャベツや白菜・・・こんな野菜が今、あたり前のようにスーパーに並べられている。これは、私たちが見た目でそんな野菜を買うからで、そのような野菜しか売れないからだろう。しかし、曲がったキュウリ・虫食いの痕が残るキャベツや白菜が本当の農家の野菜ではないだろうか。太陽の下で農家の皆さんの手塩にかけて育てられた野菜が本来の昔からの日本の野菜の姿である。見た目重視よりも、安全な野菜を今私たちの子供に教えなければならない。
食育の大切さを私たちが再発見する時がきている。「ふくい食育元年」と、言うべき時がきた。少しでもいいから食を勉強し次世代に繋げていかなければならないだろう。
△男の酒のつまみ・・・80
セロリが大好きな私だが、そのほとんどがマヨネーズを付けて食べる。今回は少し風変わりの食べ方を紹介しよう。マヨネーズをベースにマスタード、和風ドレッシングを3:1:1でよくかき混ぜる。ドレッシングはお好みの物を・・・イタリアンでも青しそでもOK!
【一月の三/高須町は今年も熱い!】1月6日(金)
新年早々、この北陸地方には新たな寒波が来ている。特に新潟県津南町では屋根雪などが道路に壁のように積まれ、その移動にも新たな雪にも苦慮しているようだ。一部では自衛隊の災害派遣が発動されたと言う。これからが雪本番となる日本海側、少しでも雪が降らない事を祈りつつ、新潟と同じように私達も雪対策を考慮しなければならないだろう。
さて、昨年の高須町は色々な意味で多くの賑わいを見せた一年だった。過去最高の棚田オーナー参加者の皆さんで賑わい、北陸農政局の局長賞を頂き、またFBC福井放送(げんき米プロジェクト・ライススタイル)や福井新聞(四季バージョン)や報道各社のお陰で、一躍有名になった年だった。
そんな年の翌年は、どうしてもトーンダウンしてしまうものだ。昨年末の事だが、「来年はどうしよう!」「地道にホームページで頑張ろう!」と、スタッフみんなで話していたのだった。しかし、そんな我々の心配も新年早々に吹き飛ぶ嬉しい記事が新聞に掲載された。昨年のこの日記【十二月の十二】の中で紹介した、読売新聞の取材が1月5日付で、さらに、本日付の福井新聞で同じく高須町が大きく取り上げられていた。この二日続けての紙面の掲載には、田中先生も「これは・・・凄いです!今年も、高須町は賑わいますよ!」と、興奮していた。で・・・高須町の佐々木さんはと言うと「ほう・・・!」と、こちらは意外にも冷静な様子。
では、この紙面を見過ごした方に全文を紹介します。
(読売新聞・1月5日付)
【すこやか福井】・・・食育の現場から(農業体験)
「棚田貸し、山菜採りも」
福井市西部の山あいにある高須町。海抜約200bのこの地区の山肌には、棚田が広がる。昼夜の寒暖を生かした米作りが盛んな地区だ。47世帯164人のうち、高齢者世帯が6割超。そんな小さな地区の取り組みが、いま、注目されている。過疎に悩む同地区は、2000年、耕作されなくなった水田に着目。60〜70歳代を中心にした住民16人が、「高須城山棚田オーナー」制度をスタートさせた。オーナーには、100平方bの水田を貸し、田植えから稲刈りまでを体験してもらう。同地区の山林を、山菜採りなどにも開放している。
「よう来たのぉ」「おじいちゃん、おばあちゃん、元気やったか」昨年12月11日、同町の集落センター。約50人が参加した収穫感謝祭。地区住民と同市内や関西などのオーナーの家族らは、約3か月ぶりに顔を合わせ、弾んだ声であいさつを交わした。感謝祭では、地区のお年寄りの指導で、都会っ子たちが手でわらをもみながらしめ縄を作り、棚田でとれた米で作ったぼたもちなどを食べた。
「米はどうやってできるかを知り、おいしい高須の農作物を食べてほしい」。区長の植木正義さん(76)は、そう願う。
05年4月に開設したホームページは、37万件以上のアクセス。そんな影響もあり、始めた4年前は約20組だったのだが、昨年は37組121人が、オーナーに参加した。
福井市大手、藤田幸治さん(50)は、二男直人君(11)らと一緒に04年から参加している。田植えではぬるぬるとした泥の感触に心地良さを感じ、稲刈りでは黄金色の稲穂が実った稲を運び、育った半年間の重みを学んだ。
「米を作るのがすごい大変なことだとわかった。食べ物を無駄にしてはダメだと思った。学校や家でできないことがたくさんあって楽しかった」。直人君は、野菜などの好き嫌いも少なくなった。農業体験は親や地区住民にも変化を与えた。
「初めは興味本位だったが、大切なものが学べる宝の山と感じるようになった。子どもは、日常では得られない苦労や困難を経験し、食べ物を大切にする心や観察力がついてきた」。
藤田さんは、これからも続けるつもりだ。
植木さんも「有名になることで化粧をしたり、元気になったり。地区の年寄りが変わった」。棚田オーナーを始めて以降、運動会や食事会などにも地域外の子どもたちを招き、自家製の作物を使った料理を振る舞い、交流も盛んになった。食を考え、地区の活性化や、人が足を踏み入れる里山保全にも一役買い、「一石三鳥」の効果が出てきた。
植木さんの構想は膨らむ。「短期でも長期でも滞在できる施設を作り、最終的には住んでもらいたい。衣食住の3要素を忘れたら、人間形成にならん。本来の食の姿を取り戻すためにも力を入れたい」
県内全体の耕作放棄地は05年で16万3507eと、10年前(7万1000e)と比べ、2.3倍に増加。全農地の4%を占める。販売農家の従事者数は05年で、7万9685人と10年前(10万5023人)から24%も減少。後継者不足は農業生産にも影響を与え、深刻な問題だ。
体験農業事業の立ち上げに携わり、グリ−ンツーリズムに詳しい拓殖大北海道短大の橋本信教授は「農業体験で食べている元がわかる。農業と無縁の食生活を見直し、食と命の大切さを理解するきっかけになり、心身も豊かにする。子どもが農家の応援団になり、農業に携わる人も出てくるだろう」と話している。
(福井新聞・1月6日付)
高齢化集落に活気もう一度
「高須町へ移住して」子どものいる家庭、大歓迎
一軒家、田畑 格安で提供
住民の高齢化と過疎に悩む福井市高須町は、人口を増やして活性化を図ろうと集落内に移住する人の募集をスタートさせた。一軒家や田畑を格安で提供するなど、集落を挙げて受け入れ準備を整えている。
高須城山の中腹にある高須町では、現在四十七戸約百五十人が暮らしている。六十五歳以上が六割以上を占め、高齢化が深刻な問題。「自分が元気なうちはいいが、将来はどうなるか分からず不安」という声が上がっていた。昨年から住民でつくる「村づくり推進委員会」で今後の方向性を議論した結果、「自分たちの代で集落をなくしてしまうのはいけない」という意見が強く、地域内に五軒ある空き家や田畑を活用し、移住希望者を募ることに決めた。
住宅は集落内にある一軒家を月に一万円前後で提供。田畑の貸し出しはそれぞれの希望に応じて対応し、広さに制限は設けない。農業を本格的に始めたいという人はもちろん、土日だけでも農業をしたいという人には地元農家の生産組合が管理を支援する。高須町に住みたい人は誰でも歓迎するという。
昨年末には、四年前から始めた棚田オーナー制度の利用者から「集落内の畑を貸してほしい」という申し出があるなど、集落の魅力をPRしてきた推進委員会の狙いが徐々に浸透し始めている。
植木正義委員長(76)は「まずは廃校の危機にある小学校の存続が目標なので、子どものいる家庭は大歓迎。若い力を取り入れ、もう一度活気のある高須町を取り戻したい」と話している。(終)
高齢化&過疎化に悩むのは全国でも多くある。少子化に伴い人口も減少傾向にある現在、農村ばかりか町や市、県単位でもその対策に乗り出している。高須町にある高須城小学校も何度も言うようだが、全校児童3人で今春(4月)には2名(6年・5年)となる。しかも、新入生の予定は無く、存続の危機は高須町住民の悩みとなっている。「子どもの笑い声が響く町」は住民の願いである。団塊世代が今、農業に取り組むという話は多く聞くようになってきた。また、若い農業従事者も増えつつある。高須町の美味しいお米を守るのは先人たちの願いと今、高須町でその農業を継承してきた住民の皆さんの思いであろう。
新たな一歩、高須町の未来への幕開け、植木御大を中心に高須町の皆さんは明るく前向きに今年も農作業に取り組む事だろう。
雪がうず高く積まれた高須町の道路脇、田畑も一面の銀世界。だがその雪は春の訪れと共に融け、高須山の清らかな水となり田畑の土に新しい息吹きをもたらす。
△男の酒のつまみ・・・81
私は子どもの頃から、どうゆう訳か銀杏の入ったがんもどきが好きだった。中を箸で開き、銀杏があると嬉しくて好んで食べていた。スーパーでそのガンモを探した。ようやく見つけた。家に帰りおでんダシでガンモに味付けする。和がらしを付けて頂く・・・最高!
【一月の四/七草粥に正月忘れ】1月7日(土)
毎日の新聞やニュースで見る、冬型の天気図もほとほと飽きて嫌になりつつある。暫しの曇り空をみては除雪をするのだが、気温が低く凍りついた雪の下はスコップの先が曲がるほどである。除雪をすれば汗をかき、洗濯物が増え、ストーブの前は臨時の物干し場になる。これが冬の福井であろうか。
正月から一週間が過ぎ、幾分増えたであろう体重もこの毎日の除雪作業により戻りつつある。お餅を食べ過ぎ重く感じる胃も、そろそろ正月忘れをしなくてはならない。そんなこの時期、日本の伝統との言うべき正月過ぎの「七草粥」は、この時期有難いと言えるだろう。
春の七草(1月7日)、セリ・ナズナ・ゴギョウ・ハコベラ・ホトケノザ・スズナ・スズシロの七つは私でもどうにか覚えている。しかし、余り食べない「秋の七草」は・・・言えない。そこで、辞書で調べてみると、秋に咲く代表的な7種の草花とあり、ハギ・ススキ・クズ・ナデシコ・オミナエシ・フジバカマ・キキョウとある。毎年クイズや、常識問題として話題になる「七草」だが、・・・正直言うと、よく知らないのである。私の母に聞くと「そんなもんは、昔はそこらへんに、生えていたからどこにでもあった!」と、簡単に言う。しかし、農家の皆さんはともかく、スーパーのパック売りが当たり前の私たちには、一度でいいから自前で揃えてみたい・・・が、願望である。高須町だったら全て揃うであろう。そんな七草を少しお勉強してみよう。
七草を1月7日にお粥にして食べるという習慣は、江戸時代に広まったそうで、この七草はその時代や土地によって多くなったり逆に少なくなった時もあったそうです。では、どうして七草を食べるのかと言えば、年頭にあたって豊年を祈願し「今年一年、家族みんなが元気で健やかに暮らせるように」と、願う事から始まったそうです。
では、どうしてお粥かと言えば、七草は早春にいち早く芽吹くことから邪気を払うと言われ、無病息災を祈り七草のお粥を食べたと言われています。昔はまな板の上でその草をたたく回数も決まっていたそうです。七草はいわば日本のハーブで、胃腸に負担がかからないようにお粥にして食べることになったそうです。
では、本当に七草にはどんな栄養や効果があるのかと調べてみると・・・・。
【セリ】
鉄分が多く含まれ、増血作用がある。
【ナズナ】
熱を下げ、また、お通じにも良い作用がある。
【ハコベラ】
タンパク質が比較的多く含まれ、ミネラルや栄養が多くあり、昔から薬草として重宝されてきた。
【スズナ・スズシロ】
ビタミンがたっぷりで、ジアスターゼが消化を促進する。
【ゴギョウ】
吐き気や痔、解熱効果がある。
【ホトケノザ】
歯痛効果がある。
以上のように言われていますが、この七草の効能についてはその土地により異なる伝承があるため、保証はできないらしいです。
それでは、秋の七草は・・・と言えば、春の七草が薬膳として食べるに対して、秋は見て楽しむものと言われています。勿論、クズ・オミナエシ・フジバカマ・キキョウなどの葉や根は食用や薬として用いることもできるそうです。
「春の七草は身体を癒し・・・秋の七草は心を癒す・・・」
先人たちは身近にある自然の宝と、上手に暮らしていたのですね!
△男の酒のつまみ・・・82
本日はつまみ・・・ではなく、その七草粥を作ります。
七草を軽く茹で、水にさらし、硬く絞り、細かく刻みます。炊飯器はお粥炊き、七草は炊き上がる直前に入れるのがベスト!お好みの塩加減で味を整えて下さい。
今年の旧暦に、七草粥を食べるのもいいもんですよ!
2006年は2月4日(土)だと思いますが、一度調べて下さいね!
【一月の五/雪の始業式】1月10日(火)
お正月のおまけ?と言うか2連休となった昨日。毎年の事だが成人式は何故か天気が・・・今回は、まあまあ・・・いいか。(でも足元が悪く、晴れ着の女の子が可哀想!)
明日から3学期(始業式)が始まるわけだが、我が家の長男も二男も意外とのんびりと構えている。特に二男だが、順化小学校の3人のクラスメイトを招き、TVゲームや雪合戦だの大はしゃぎしている。「子供は風の子!」と、言ったのは私達の子供時代までだったろうか、外での遊びも寒さを少し感じると、家の中に入りゲームで遊ぶ事になる。
夕方、その友達のお父さんが迎えにきたのだが、何故か疲れた顔をしている。新年の挨拶を交わして、世間話をしていると「実は、勝山の親戚で除雪の手伝いをしてきたんです。勝山の雪は半端じゃないですよ!」と、言うのだ。福井市内でも連日の雪の対処に身体が限界状態なのに、奥越となれば想像以上だろう。屋根に積もる雪だが、下ろしてもまた、翌朝には積もっている。屋根の軋む音、屋根雪が落ちる音にも敏感になり夜も熟睡できない高齢者宅が多くあると言う。
そして、「おれおれ詐欺!」ではないが、新手の犯罪がニュースになった。その高齢者宅を狙った「雪降ろし詐欺!」だ。よくこんな事を次から次と考えるものだと逆に関心してしまうのだが、当然この行為は許されるものではない。弱者を狙う犯罪、これも地域ぐるみで防犯しなくてはならない。
高須町も当然、高齢者が多いのだが雪対策は大丈夫なのか、少し心配してしまう。以前、佐々木さんに「冬はどうなるの?」と、聞いた事があった。「道路は意外と早く除雪されるよ!」と、言うのだが問題は高須町の民家の屋根雪はどうなのか、おそらく地域ぐるみで協力して実施しているのだろう。足羽川にある何箇所かの雪捨て場も例年にない高さになり、すでに桜並木の堤防の高さとなっている。時々、それを見に行く二男だが「凄い高さになっているよ!」と、興奮気味だ。
今月、来月の雪本番だが積雪が少ない事を祈るしかないが、時折ある気温の上昇による雪崩(表層・全層)や融雪洪水も心配しなくてはならない。
さて本日、いよいよ新学期(3学期)が始まった。雪が降る中、登校していく長男と二男だが、心なしかいつもより厚着で家を出て行った。このところ、マイナスとなっている気温は身体の芯から底冷えが感じられる。
午前11時、始業式が終わった頃に今年初めて明道中学校を訪れた。3年生は高校受験が目前で心なしかピリピリムードが漂う校内だ。職員玄関から職員室に向かうと途中の校長室から校長先生が出てこられた。お互い頭を45度?に下げ、新年のご挨拶となった。昨年度に進明中学校から赴任された江岸校長先生だが、この3月には定年退職となられる。在校1年と寂しい限りだが、そのやさしいお人柄にはいつも心を癒された私だ。
職員室に入ると、田中先生が白衣(理科の実験用)を着て忙しそうにしていた。そして、他の先生方もいつにも増してピリピリ感がある。受験前のこの時期、毎年のことだが関係ない私も何故か背筋を伸ばすようになる。約5分ほどだが田中先生と会話をして学校を後にした。
夕方、始業式の後から昨日に続き二男と遊ぶ友人たちだが、こちらはまだまだお気楽ムードで外や室内で元気に遊び回っている。4月には6年生となるのだが、この子たち全員が明道中学校に進学し部活や勉強などで成長していくだろう。
高須城の3人の児童もそうなのだが、環境は違うものの同じ福井っ子!いつまでも仲良く元気でいてほしいと思う私だが、大いなる未来に向けて羽ばたく姿を・・・「輝け!飛べ!」と願う。
△男の酒のつまみ・・・83
本場・韓国のキムチを友人から頂いた。辛さはさほど感じないのだが、やはり美味しい。もちろんそのままたべてもいいのだが、キムチ鍋をした。豚肉と豆腐、冷蔵庫にある野菜を加え・・・そして大根を薄く切ったものを入れた。シンプルだが身体が熱くなるほど美味しい。
【一月の六/我が家もインフルエンザ】1月15日(日)
この時期になると毎年の事だが風邪が流行り、新聞紙上を賑わす。インフルエンザも猛威を振るい、学年閉鎖や休校などになる学校もちらほらと出てくるのがこの頃だ。
新年に家族全員が元気で・・・と、お参りをしたのだが、まず最初に、昨日から大正13年生まれの父がダウンした。日頃から健康そのものとご近所から言われているのだが、年に1回は寝込むことになる。今回も戦争当時のマラリアが原因か?と思っていたのだが、医者に行くと「インフルエンザです!」と言われ何やら驚いて帰宅してきた。薬を飲みお粥を食べ、そして大きなマスクをし布団の中に入った父。
ここで心配なのは子供たちにうつらないかなのだが、我が家族は毎年、仲良く順番にその風邪などをひいていくのだ。しかも以外に男が・・・弱い!女性陣の身体の強い事に驚くのだが、今回は少し違った内容になった。
父の後、インフルエンザになったのは、妻だった。微熱だが身体の節々が痛いと言っていた。念のために病院に行ったのだが、点滴を受けての帰宅で・・・やはりインフルエンザだった。妻も大きなマスクをし寝室に隔離状態となった。父と妻「お粥2人前!」と、なった。その様子を見ている長男も二男も学校から帰ると自らうがいと手洗いをしている。(いつもしていないのに!)
「タミフル」が昨年末と今年、大きな話題になっていたが、これほどインフルエンザが流行れば、何とかしてほしい気持ちになる。そうそう、FBCの川島アナも田中先生も風邪で非常に辛いと言っていた。とにかく、残りの家族がうつらないようにしなければいけないのだが・・・その患者の2人が・・・じっとしていないのだ。おとなしく寝ていてくれればいいのに、あっちこっちと動くのだ。たしかドクターによれば「一週間は安静に・・・!」と、言われていたのに、菌を撒き散らすがごとく動き回っている。
父はとにかく、じっとしておらず隙をみては起き出し除雪をしている。妻も何やら寝室と居間とを往復し落ち着きが無い。
そんな本日だが、夕方から町内の新年会があった。普段は店(大手)の方は私が、そして、自宅(照手)