■ポルトガルからの贈り物
今から120年ほど前のハワイには、世界各国から移民があいつぎ、その中でもポルトガル移民が最も多く、1879年8月23日に到着した移民船の中には様々なポルトガルの生活物資が積み込まれていた。その中に「ブラーギニャ」と言う4本弦で出来たポルトガルの民族楽器がウクレレの原型と言われていいます。またその移民船の中には演奏家と楽器職人がいた事により、ブラーギニャはすぐにハワイの楽器として根を下ろしました。
その移民の中の一人「Manuel
Nunes」がウクレレの創始者で、職人でもあり演奏家でもあった「Espirito
Santo」と「Aubusto
Dias」の2人と共に移民後、すぐにウクレレの製造に着手し、1880には「Nunes」と言うブランド名で最初のショップオープン。ブラーギニャにない大きなオリジナルな点はハワイで生産される「コア材」を使用した事であった。
その後、DiasはNunesのもとを離れ、1884年に「DIAS」と言うブランド名でウクレレの製造と修理ショップを持ち、またSantoも1888年までに彼自身のギターとウクレレショップをオープンさせた。
■跳ねる蚤
ハワイで誕生したウクレレ。この「ウクレレ」と言う名前の起源については幾つかの説があります。ウクレレの原型と言われるブラーギニャは当時「ピラリイリイ」(ちいさなバイオリン)と呼ばれていましたが、それがどうして「ウクレレ」となったのでしょう。
一般的な説は「ウク」が「蚤」で「レレ」が「飛び跳ねる」を意味するハワイ語で、「ウクレレ」は「跳ねる蚤」と言う事です。
英国人で陸軍公務員であった「Edward
Purvis」が小柄で動きが機敏であったことから「ウクレレ」と言うニックネームが付けられていた。その彼が得意とした楽器がブラーギニャであったことからもニックネームを取って「ウクレレ」と呼ばれた説。
演奏家であった移民の一人「Joao
Fernandez」がブラーギニャを演奏する時の動が、まるで蚤が跳ね回るように見えた所から付けられたと言う説。またそのFernandezがホノルル港に着く上で、波止場にひょいと跳んだところから始ったと言う伝説もあります。
ハワイ王朝最後の女王「Lili'uokalani」は「跳ねる蚤」と言う解釈を好まず、「ウク」には「贈り物」「レレ」には「到来する」と言う意味もあるので「ポルポトからやってきた贈り物」と言うように解釈をしていた説。
と他にも幾つか説がありますが、いずれにしても現在のところ明確にはなっていません。
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