鹿児島の春

一月
 正月
 師走も押し迫ってくるると、木戸から庭にけて、白砂をまいて、門松を立てる門松は、「竹、松・・」の簡単なものであったと記憶している。また、神棚・かまど・農具・などい ろんなところに餅・橙を供える。白砂を取りにいけないときは、シラス台地から取れるシラスをまいたものである。
 この白砂をまくという風習は、江戸時代に殿様が薩摩に帰られるのを白砂をまいて迎えたものが風習として残っているものらしい。
 元旦は、雑煮を食べるのが現在の、一般的な風習であると思うが。昔は、元旦から雑煮を食べたことは、なかtった。元旦に食べるものといえば、お椀の中に入った大き
 な里芋でした。これは、年取りの里芋といわれるそうです。
 現在では、正月から餅を食べますが、私が小さいころは、正月の15日の「女正月」を言われていた日以降に食べていた記憶があります。このと時の雑煮は、餅と菜っ葉 しか入っていない醤油味の質素なものでありました。
 正月は、何もしない(料理)ということで、包丁・鋏等の刃物類から農機具らも一切触っていけないと年寄りからよくいわれたものです。
一月十五日
 女正月 女は何もしない。正月に備えた餅を雑煮にして食す。
 二月
 厄払い
 三月
 3月の節句
 三月の節句の時期には、いまでは、あまり見られなくなったが、それぞれの家で、アズキカン(小豆羹)というアズキ色の蒸し羊羹・フクレ(黒砂糖、小麦粉、重曹を使い  ふっくらと仕上げた,食感の良いお菓)・シグレ(小豆餡、砂糖、米粉等使い 少々もっちりとした、蒸し菓子)イコモチ(煎粉餅)・コレモチ(高麗餅)等の菓子を作っていた 家の土間や、庭先で大きな 釜でお湯を沸かし、何段もの蒸し器を重ね祖母らが作っていました。

 羊羹は、いま普段食べている羊羹からすると、そんなにおいしいものとは、感じなかったが、春の時期の楽しみの一つでした。
  鹿児島の菓子屋さんでは、今でも作って販売しているみたいです。
 また、もう一つ有名なもので「あくまき」という菓子(もち?)(餅米を木灰汁に一晩浸し、孟宗竹の竹皮に包み3時間程煮込み作ります。竹の皮だんご同様、節句菓子とし て鹿児島では有名です。戦国時代には薩摩兵児の兵糧としても使われたそうです。 長持ちするもので、小さい頃は家の軒下によく吊るしてあったのを思い出します。
 餅米を煮たものですから、甘辛いとかいうことは、ありません。きな粉等をつけて食べる一般的かと思います。
 
 彼岸
 鹿児島では、彼岸の入りの日から終わりまでの間に、がラッパ(河童)が山から川に下ってくると言いいます。雨の降る夜などに、山から川筋などで、ピィーピィーと鳥のような鳴き声をたてながら、川 から海の方へ下って行くそうです。
 春の彼岸に下った河童は、秋の彼岸にまた、山へ帰ってくるといいます。
 私が小さい頃、40年ぐらい前の話ですが、祖母から河童が山から海へ下って行く声が聞こえるとよく聞かされたものです。実際は、 河童なんていないのでしょうけど子供の頃は、何か不思議な怖い思い出が残っています。河童の声が聞こえる場所は、家の裏側の山に雨が降った水が流れるような自然にできた、溝みたいなところから聞こ えいました。この溝を通って雨水は、田んぼに注ぎ海まで流れついています。
 

 四月
 女男河原(おんだんこら) 4月4日 白山神社の祭日
 白山めい、横岳めいといって足の弱い人は横岳へ、強健なものは本岳にのぼり参拝して岳花といって高山植物の枝を持ち帰るのを誇りとして帰途田畑の川原へ、特に  この日は、「おんだんこら」に集合すれば、それを迎えのひとたちが弁当を仕立てて集まり1大歓楽場となる。現在もこの行事は賑わったいる。
 五月
 あくまき
 鹿児島では、あくまきは、保存がきくことから、もとは薩摩藩の兵糧職として用いられていたようです。それが一般に家庭で食べられるようになり、5『月の端午の節句の お祝いと重宝され、お供えや進物用には菖蒲とヨモギの葉をさして厄払いの意味をこめおり、五月の節句の行事食には欠かせないものとなりました。

 竹の皮にもち米まく
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