現代のその先

                                著者:竹嶋能治

はじめに

  さて、何から語るべきか、私自身の中でも纏まっていない。しかし、平和ぼけして危機意 識の薄れている日本人に、人類に忍び寄る危険が切迫していることに早く気付いて貰いた いから、思うがままに書き記すこととした。

  テーマは、私の頭に憑いて離れることのない、地球温暖化と環境破壊、そして人類の存 亡である。今では誰もが、この言葉を認識していると信じているが、これから人類の活動が 制限される位に深刻だと受け止めている人は、少ないのではなかろうか。それをこれから、 公的機関から公開されている情報等を中心に、私の抱く懸念として述べていく。

  さきに申し上げておくが、暇のある時に、考え付いたことを少しづつ記していくので、毎日 文章の加筆や修正が加わることになる。また、公開されている情報を多く引用することがあ るが、出典元は明記するつもりでいるが、基本は無断リンク、無断引用なので、出典元当事 者から連絡があれば、出典・引用を取り外すこともあり得る。

  何とか、このホームページが閉鎖されないように、読者の方々の危機意識が育てば良い なと思っている。何故、そこまでしてホームページを開設したのか、それは、公的機関が公開 している情報は、危機を訴えているにも関わらず、難解な文章で人々の心に届きにくく、誰も その情報を真摯に捉えようとしないからである。

  このようなことを言う私は今、環境対策担当を経験した公務員であったが、担当者とし てその危機を住民に伝えるこが出来なかったことを反省し、このような形でも、皆様にお伝え できれば良いと願っている。それほど、温暖化による人類の危機は、切迫していると私は考え ているのである。

−−本文−−

序章

  いきなり、ショッキングなニュースが、飛び込んで来た。秋葉原の歩行者天国に、車を突 っ込み複数人をはね、さらに運転していた者が、複数の通行人をサバイバルナイフで切り付 け、死者も出た。一種のテロである。読者の皆様は、こういったテロに対する意識を、普段か ら準備しておられるだろうか。私の持論の中には、このようなテロ的行為も、常に脳裏から離 れることはない。「袖擦り合うも多少の縁」という諺があるが、今は昔、袖擦り合ったら、イコ ールストレスといった時代に入っていると、認識していいのではないだろうか。

  この事件の後、この事件のことについて、私は精神科医に持論を求められたが、前段で 言ったとおり、人口の増加による自然淘汰であると答えた。人類は繁栄を極め過ぎた。それ が温暖化をもたらし、自然の猛威にさらされる危険を増大させたとともに、自ら人口を抑制し ようとする行動、というより活動をするようになっている、その現象がテロであり、因子がスト レスなのだと思う。

  余談はさておき、地球温暖化を知る上で、IPCC(気候変動に関する政府間パネル)の存 在は、欠くことのできない組織であることは、万国民の知るところであろう。IPCCは、現在起 きている地球温暖化の現象が、人為起源であることを明確に指摘・報告したことで、2007年 にはノーベル平和賞の栄誉に輝いた。

  2007年のIPCCは第4次であり、1990年に第1次を開催して以来、慎重であった地球 温暖化人為起源説を、とうとう、人為起源と考えなければ説明できないという科学的根拠を、 全世界に示したのである。

  私がIPCCを高評価し関心を高めているのは、人為起源を言い切ったという他に、地球温 暖化を扱う国際機関であること、そして何より、気候変動・環境という一つのテーマの下に、様々 な分野の科学者が集結している組織であることだ。これまで、同じテーマであっても、各々の 分野に特化し別々の研究成果を上げるのが、科学者と呼ばれる人達の特徴で、IPCCのよう に各分野集大成の研究成果を目の当たりにすることが、私にはとても斬新に映ったからだ。

  これは、温暖化を語る上でも、対策を考える上でも、非常に心強いばかりだと感じる。だか らといって、温暖化問題が解決した、あるいは解決の目途がたったと思うのは、早計である。

  冒頭に、人口の増加がストレス社会を生んでいることを述べたが、人口の増加による悪影 響は、それだけではない。人類は、自然の生物であることに疑いはない。しかし、自然以外の ものを創り出すという、高度な英知を持っている。この能力は、人口が多くなる程、色々な物 の見方を生み出し、ますますその種を増加させるとともに、大自然に存在しないものを創造し た。

  元来自然の生物は、その存在の許容範囲を超える程度の繁栄を極めると、野鼠の集団 自殺や、肉食獣の共食いといった様に、その数量を自然調節するものだ。人類はそれをしな いで、他の自然を破壊し、経済という自然界にない文化を発展させ、自然の許容範囲を超え 繁栄を極めているのである。したがって、温暖化効果ガスが増加し、IPCCが警鐘するような 自然の驚異にさらされることになっている。

  思い起こせば35〜40年前、私が小学校の時には、世界人口が約42億人だったのが、 今や約60億人になっている。日本の人口も、約1億人だったのが、1億2千万人強となって いる。自然の生命体が、何を食い物にしてここまで繁栄したのか、大自然に対しどの様な暴 挙を行ってきたのか、推して知るべしである。

  この様に人口が増え続けている中で、日本の人口は、近年その増加率が小さくなってき ている。これは、日本の地理的要因か、経済的要因かは判別できないが、自然の抑制力が 働いていると考えると、人類もやはり自然の生物であるという事実に、符合するのではない だろうか。これ以上人口が増えたら、日本はどうなるだろうと、普段から恐怖を感じている私 にとっては、少し安堵する傾向である。人口の年齢別構成を考えずにいれば、の話であるが。

排出権取引

  2008年7月、洞爺湖サミットでは、温暖化問題と原油価格の高騰が、先進国の共通課題 として取り上げられるだろう。そして、既にEUでは当然のように行われている排出権取引が、 世界共通の温暖化問題の解決策のように、広がりを見せることが予想される。まるで、先物 取引市場のように。

  サミットの開催国でもあり議長国でもある日本の福田首相は、温暖化効果ガスの排出を 2050年までに、現在の60〜80%に目標を定めることで調整を図る決意でいる。それは、 セクター(部門)別で目標値を定めることで、達成可能と考えての発言であるらしい。はたして、 そうであろうか。

  日本政府や関係機関、関係者はマスコミを通じてよく言う「昭和30年代の生活にたち返れ」 と。現実に現代人が、それを受け止めることができるだろうか。これほど便益を享受して生活 を送る現代人が、ある程度の不便を我慢できるだろうか。贅沢なことなら、我慢できるかも知 れないが、便利(横着)を我慢することは、「無駄の削減」で培った合理主義を否定するに等 しい。それに、昭和30年代には、発展するだろうという夢があったが、今その年代の生活を するということは、経済発展を放棄することを意味し、将来の夢を人々が見えなくするだけで ある。

  排出権の売買は、同じようなことを世界市場で取引しようとするもので、富める国は経済 発展を減速こそすれ排出権を買い繁栄し続け、緑豊かな貧しい国は化石燃料に因る経済発 展を放棄することになる。欲するがままに化石燃料を喰らい、温室効果ガスを思うがままに排 出し発展してきた国が、食事を摂るために、または暖をとるために薪を燃やしている国の人々 に、薪を燃すなとつきつけるのである。何か、不思議を感じないだろうか。

経済成長

  先頃サミット(先進国首脳会議)が開催され、与党の人気が急下降していることを払拭す るため、我が国首相は「温暖化対策」で世界のリーダーシップを発揮し、逆転起死回生を目論 んだところであるが、他国の首脳の賛同を得ず失敗に終わった。

  ご承知のとおり、これまでの経済成長は大量消費を、あるいは、生産性の向上を土台にし ている。いずれも、消費が根本であることに変わりはない。しかし、温暖化対策を考えると、消 費することは、悪である。消費しないこと、あるいは、消費量を減らすことに資本を投下するこ とこそが、究極の対策であることに疑いはない。

  世界経済が低迷し効果的対応策が打てない各国首脳、高度成長期にある中国首脳に、生産→ 消費→生産の経済活動(サイクル)の速度を、今以上に緩めるような提案が、この時期に受け入 れられるはずもない。思い起こせば、温暖化対策の合意が得られた「京都議定書」の頃は、先進 国の景気は悪くなかったし、日本も「いざなぎ景気超え」の好況であった。   景気回復に注力しなければならない各国が、温暖化対策で生産性を落とすことより、今より 多くの消費を喚起し、生産活力を創造することに躍起にならざるを得ない現況では、温暖化対策 は推進できないであろう。しばらく、直接的な温暖化対策は、休止状態が続くであろう。

  しかしこの休息のために、「ポイント オブ ノーリターン」を越えてしまうことが、より 鮮明な予測となってしまうことを、受け止めなければならない。   IPCCの報告書にも、温暖化対策の推進と経済成長とは、相反するものとして記述されて いるのだから、このことは必然である。

  余談ではあるが、日本は「デフレスパイラル」でありながら、何故?か好況であった。通貨 量が多くないのに、景気が良いと感じていたのである。普通なら、お金が利ざやを産んで舞戻っ て来るからこそ、人は景気が良いと感じるものなんだと、私は思う。   なのに何故か、手元を通る貨幣量が多くならない、あるいは微減にも関わらず、皆が好況感 を抱いていたのである、不思議?ですね。   これは全くの主観であるが、お金を周し続けていれば、いつかは微増になって返って来ると いう甘い観測、または、確かに微増で戻って来たけど、企業や経営者だけが備蓄して、結果、返 らなかったり、流通量が減ったりして景気後退に急変したのだと考える。このことを確かめるに は、所得別人口分布図を見ると判別できそうだが、多分、今まで多くの国民が意識していた「中 流階級の中位または高位程度の生活をしている」のとは裏腹な現実を、目の当たりにしそうだ。

  さておき、日本では「エコポイント」や「エコ減税」で、景気対策と温暖化対策、両立して いるかに見えていないだろうか?まあ、私の論をご覧になる方に、そんな甘い見解を持っている 方はいないと思うが。   その通りである。一時的な景気対策としては、有効である。しかし、すでに個人の貯蓄、懐 は冷え切っており底打ちに近いことと、一旦そのエコ商品を購入してしまえば買い替え周期(消 費サイクル)が長く、経済効果の持続は困難だと私は見ている。

  地球上のエネルギー(または資源)を、姿や形を変えてでも消費し、そうしたエネルギーの 循環こそが経済活動であったし、そこに経済成長もあった。しかし、温暖化対策とは、そのエネ ルギー循環の速度を落とすか、資源に復することが求められる。エネルギーを消費してはいけな いのである。   地球温暖化か経済成長の停止か、人類は究極の選択を迫られている。きっと、は、どの国も経済 の停滞は選択しないであろう、温暖化は必至である。温暖化の弊害は切迫感が薄いが、確実に永 久に続く。人間が享受している高度な文明の中でも、熱に弱いものから利用不可能になっていく だろう。

惑星地球の興亡

  はてさて、とうとう政権が交代しましたね。新首相が国連総会で、温暖化効果ガスの25%削減 を公言し、会員の拍手喝采を浴びたことは、温暖化対策の幕開けを予感した読者も多いはずです。   しかし、これまでに加えて新たな手法を具体的に示したものでなく、単なる意気込みとしか感じ られず、少々疑心暗鬼でいるのは私だけでしょうか。政治的パフォーマンスとしては、大いなる成 功かも知れませんが・・・。

  本筋に戻しましょう。   実のところ私は、今の温暖化現象を、天体としての地球の氷河期サイクルの中で、小氷期の前の 温暖期に入ってきていると感じています。これは、その氷河期サイクルが想像以上に永く、単純に断言 できるものではないのですが。   そしてそれは、人為起源により温暖期に突入してしまったのではないかと、危惧しています。   この観測については、まだまだ情報収集と研究が必要なので、持論として紹介する程度とします。

・・・・・なかなか書き進まず、というか書き切れず、私の見解を興味を持ってご覧の読者に申し訳ない のですが、私の見解や持論を早く知りたい方は、次のアドレスにメールを送って下さい。あくまで一人ごと、 一個人としての考えですので、ご意見には答えかねますので、ご了承願います。・・・・・                    yocchu@kore.mitene.or.jp