高須城日記T

  (平成十六年度・棚田オーナー/ 福井市 藤田幸治) 

 

【四月/春蝉の声】

 心地よい春の日差しが気持ちをウキウキさせる。今日は次男(小4)と田植えの見学に行く。もちろん私自身は何度か田植えの光景は目にしたことはあるが、次男は初めてである。

年頭「今年は親子で米作りに挑戦する」と誓いを立てたものの初めての事なのでいささか不安である。

福井市高須城、JR福井駅から車で約30分。この地、高須城での棚田オーナーになったからである。自分達の田植えを経験する前に是非近くで雰囲気だけでも体験したかったのが本音である。

「子育てと米作りは似たものである」と誰かがいった。子育てを妻まかせにしている私が米作りにチャレンジとは・・・。

 自宅から次男と父子二人、普段交わさない米作りの会話をしながら一路、車は高須城へと向かった。車窓からはこの時期どこの田んぼも田植えに盛を出している光景が見える。

何故、私が高須城での棚田オーナーになり米作りをすることになったかは、一人の人物との出会いからだった。

佐々木孝治氏49歳、サラリーマンであるが代々この高須城で農業を営んでいる。3年前、ふとした事で知り合いになった。佐々木氏はこの地、高須城小学校のPTA会長で、私も当時、福井市明道(めいどう)中学校の会長で福井市PTA連合会の同じ委員会に籍を置いた。委員長、副委員長ということで何度か酒を酌み交わし歳も同じということで親しくさせてもらうようになった。

初めて私がこの高須城を訪れたのが2年前の3月、高須城小学校で地元の方の前で講演会をさせて頂いた。その時、全校生徒7人、教職員8人という人数に驚いた。

現在は生徒数4人(6年1/5年1/4年1/3年1名)という。しかも来年度からは新入生の入学はないと言う。しかし、子供達の総合学習での発表は素晴らしいものだった。笑顔で声も大きく、何より自身に満ち溢れていた。大規模校ではできないものがここにはある。

そしてこの環境である。不便さを感じないと言ったら嘘になるかもしれないが、まさにマイナスイオンの世界がここにある。自然に恵まれ、人々の優しい笑顔、そして美味しい食材がここにある。私は、一度でこの地が好きになった。正直、暮らしの一部をここに置きたい気持ちにかられたのであった。

 

話しは戻し、次男は始めて訪れたこの地に眼が丸くなっていた。福井市中心部、県庁横にある順化(じゅんか)小学校に通うこの子には車でたった30分の、この自然に恵まれたこの地にこれることに驚きがあったのか。

 さっそく佐々木氏の田植え現場を訪ねた。そこには声も掛けられない緊張感と真剣さがあった。暫くは、遠くから見学をした。邪魔はできない。佐々木氏の二人の男の子(小6/小5)も手伝いをしていた。わが子とは初対面同士、時折目は合うものの話をすることはなかった。明らかにわが子に緊張が走っていた。佐々木氏の作業が一段落すると親同士は会話に花が咲くものの子供同士は以前無言状態。お互いの子の顔を見ていると、何故か面白い。お互い意識はしている。

 ここで佐々木氏のアイデアがものを言った。農道を軽トラで荷台に子供3人を乗せた。(警察には内緒)デコボコ道にバランスを取る3人、笑い声と共に会話が交ざりだした。早いものであるものの5分もしないうちに友達になりお互い名前で呼び合うようになった。このあと、親二人は次の田植え現場に、また子供たちは佐々木氏の自宅でゲームという状況になった。

 田植えの大変さは実際体験してみないと分からないが、今は機械での作業だ。棚田では、手作業だと言うから大変なことに変わりない。

夕方まで佐々木氏のお宅にてお世話になり、結局田植えの邪魔をしにきたようだが楽しかった一日だった。

帰りに新鮮な竹の子を頂いた。高須城は山菜も多くあるし宝の山の地である。次はいよいよ田植えである。

 

男の酒のつまみ・・・1

 筍を米ぬかでボイルし、竹串でやわらかさをみる。薄くスライスし天麩羅にする。塩にて食べると最高。

また、ヨモギも草の上の部分摘み取り同じように天麩羅に。

程よい苦味がまた酒に合う。タラの芽も揚げ今日は飲みすぎかな。

 

 

【五月/雨音の囁き】5月9日()

 いよいよ今日は田植えである。あいにくの小雨日和だが恵みの雨と想うことにした。お弁当を作り子供と7時過ぎには車に乗った。何故だか子供は手にゲームディスクを持っている。どうやら田植えよりそのあとの佐々木氏の子供同士の遊びが目的なのか。

 標高250mのところに棚田がある。田植えの終わった田んぼを見ながら車を進めると、まだ手の付けられてない田が見えてきた。受付を早めに済ませ子供と田植えの用意をしようと思ったがその子供がいない。探すと田んぼのあぜ道で遊ぶ3人の子供の姿がある。当然佐々木さんの子とうちの子である。まるで昔からの友達のような会話をしている。

 午前9時、今年度の高須城棚田オーナーの開始である。21組93人の参加という。もちろん福井県内の人が多いが中には大阪からの参加もある。今年で3年目のこのオーナー制度だが人気があり、ほとんどの家族やグループが翌年も参加するという。福井市農政企画課の加畑さんの司会で始まり課長の山本さんの挨拶、そしてこの地高須城の自治会長でもありまた棚田オーナー委員会(18人)の代表である植木正義氏の挨拶があった。植木さんとは一度お会いしたことがあるが、威厳のあるなかにも新しい発想を持つ方だ。高須城の活性化を真剣に考えておられる。

 植木さんの説明の後、いよいよ田植え開始だ。コシヒカリを植えるのだが素人には稲を見ただけでは、アキタコマチもササニシキも分からない。地元の先生(おばーちゃん)の指導で始まったが、この先生がすごい。何がすごいか、あぜ道を歩くスピードより田んぼの中の方が速いのだ。当然私たちは一足が大変だ。ぬかるみの中に長靴を取られながらの作業である。

 30分経過、腰が痛くなってきた。私の田んぼには応援の佐々木さんと子供二人、課長の山本さんそして指導の先生と私と息子。今さらながらプロは早くて綺麗に植えていく。

途中幾度か休憩をいれながらどうにか皆さんのお力を得て3時間後終了した。汗と泥に着ていたものは酷い状態になっていた。昔の機械を用いない時代は大変だったろうなと思いつつ満足感にひたっていた。子供は田んぼにいた虫を手に取りはしゃいでいる。初めての経験であろう。いい経験である。

 棚田オーナーの皆さんは農業用水で手や顔そして泥だらけの長靴を洗っている。どの顔も笑顔がある。終了後参加者に筍が配られた。雨により午後からの予定(山菜取りと城山までの散策)はキャンセルになった。

 

 私は佐々木さんのお宅でシャワーを借り。そしてもう一つの楽しみである庭先でのバーべキュウとビールに午後のひと時に酔いしれた。

 

△男の酒つまみ・・・2

 厚揚げ(出来れば少し高く有名な厚揚げ)を6等分に切り、油をひいたフライパンに入れ焦げ目が軽く付くまで焼く。

大皿に焼いた厚揚げを入れ、多めの刻み葱をかけ、その上にかつおぶしも大盛り。すこし甘めの醤油をかける。みょうがを刻んでかけてもいい。日本酒でもビールにでも最高に合う。

 

 

【五月/こだまする声】5月30日(日)

今日は高須城小学校での体育祭。半月程前、棚田オーナーの私にも案内状が送付されてきた。当然参加させて頂くのだが次男はカブスカウト行事のため妻と途中参加となる。いつものように早めに高須城に着いた。学校の様子を見に行くと準備をしていた。今年から同校の新校長として赴任された石村先生、そしてマラソン大好き山本教頭先生、地区の皆さん児童が全員で準備していた。私も看板の取り付けなどを手伝いさせてもらった。午前9時開始だが、この30分前から来賓の方、そして福井地区消防音楽隊のファイアーエンゼルスの皆さんが駆けつけてきた。来賓には、県会議員、市会議員、地区の郵便局長、交番の駐在さん。参加者は全校生徒4人、もちろん地区の方、卒業生した中学生も参加。地域全員参加だ。この学校には失礼ではあるがすごい。もちろん、地区の体育祭であるから当然と言えば当然かもしれないが、何か楽しみな体育祭になりそうだ。児童4人からは開口一番「直クンはまだなの?」と聞かれた。

いつのまにか次男は、佐々木さんの子供さんばかりか他の児童とも友達になっていたとは驚きだった。開会式後来賓の鷹巣郵便局長の上田彦哉氏が話ししに来てくれた。彼とは中学校の同級生で佐々木さん同様、PTA関係で3年前に再会していた。真面目で優しく、歌の上手い男である。また、鷹巣交番の小西さんも以前、私の講演会に来ていただいた。二人とも私が棚田オーナーに参加したと聞き驚いていたようである。

 この体育祭、地域の特色ならではの色々の競技がある。大根おろし競争、藁を用いたなわない競争、農業用一輪車を使った宅急便競争などである。私はほとんどの競技に参加させてもらったが、馴れないものばかりで失敗の連続。しかし、面白い。児童から、地域のお年寄りそして来賓の皆さんも全員参加の体育祭である。

 ふと気がつくと、児童がいつの間にか5人なっていた。息子が違和感なくこの小学校の一人になっていた。妻も加わり参加賞の収集に楽しませてもらった。午前の競技が終わるころ、心配していた雨が降り出し昼食後は閉会となったが、それでも児童からお年寄りまで地域の全員の声が山々にこだました素敵な体育祭だった。

 

男の酒のつまみ・・・3

 地元、高須城のイノシシ肉は最高。イノシシといえばぼたん鍋だろうが、簡単に塩・こしょうで網焼き、これがまたいける。脂身も最高。サラダとともに食べると納得の旨さ。

 

 

【七月/ちまき作り】7月11()

 田植えから約2ヶ月。今日は稲の成長を助けるための草刈作業と案山子作りコンクール、そしてチマキ作りだ。まず草刈だが草取りの言葉の方が適切だろう。稲の周りには多くの草が生えている。無農薬のため稲の生長を妨げる草はきれいに取り除かなければならない。これもまた大変な作業である。プロの農家の方は春の田植えから秋の収穫時期まで毎日が大変ということが少しなりとも理解できた。

 約2時間の草取りの後、案山子を作る。各自のアイデアでどんな案山子でも良いとのことである。この案山子コンクールは参加者相互で投票しあい上位者には商品がでると聞いていた。

 実は、秘かに上位を狙っていた。普通のありきたりの案山子では目立たないだろうと考えたわたしは、この地縁の人物をこの高須城の物で作成しようと思った。それは、室町時代つまり南北朝の争いでの畑 時能(はた ときよし)を竹で作る事だった。

 

concept:平成の時、畑時能が乱世から甦り、この静穏の高須の大地で我々をそしてこの大地を見守る.

 

1週間前に佐々木さんの竹林にて竹を3本ほど頂き準備を始めた。本体・兜・鎧・刀・を竹で作れば少しは目立つかなと考えた。地元の方から不謹慎と言われるかもしれないが、そこは笑ってごまかそう。

しかし、若竹を切ったのが失敗だった。完璧に作ったはずが本番1日前には竹が縮小していたのだ。誰がどう見ても侍には見えない。やり直す気力もなく当日、余った竹でどうにか案山子を作ってみた。案の定他のオーナーや地元の方から「これ何」と質問攻めになった。20回は説明しただろうか。感心する人、失笑する人さまざまだったが、まあ畑時能案山子の完成だ。

 案山子コンクールの発表はチマキ作りの後、チマキ作りも初めての経験だ。今日は次男が不参加のため他のオーナーと会話をしながら作った。これもまた難しいものだ。独特の葉の巻き方、地元の先生のやり方を見ては同じようにしているつもりだが、何故か出来上がりが違う。完成したものを少し頂けるということでなんとか家族への土産には心配しなくてもよさそうだ。

 最後に案山子コンクールの発表だ。この時点で多少の期待はあったのは事実だが、半ば諦めていた。3位・2位と発表され1位が同点で二人いると言う。そして呼ばれた名は・・

「藤田さん」・・・・。「えっ、俺」・・・・。

賞品のお米を頂き最高に嬉しい瞬間だった。畑時能さんのおかげでした。

 ちなみに、同じ1位のご家族は、次男と同じクラスの方で長谷川さん、これもまた嬉しいことだった。

 

男の酒のつまみ・・・4

 鍋にお湯を、塩を多めに入れスパゲティーを半分に折りいれる。シーチキンときゅうりのスライスを用意し、アルデンテで取り出し交ぜ合わせる。酢は好みで入れマヨネーズとコラボ。私はウースターソースを少しかけて食すのが好きだ。

 

 

【七月/自然の怒り】

 7月18日()は福井県にとって自然の怖さを知る1日となった。集中豪雨である。早朝よりあるイベント参加のため清水町の健康の森に行っていた。経験したこともないほどの激しい雨。滝のように降っている。当然イベントは中止となり、午前6時過ぎに家路についた。途中、道路に雨が溜まっていた。家まで1kという所で車が何台か立ち往生している。タイヤの所まで水がきて私の車もエンジンストップした。

なんとかエンジンをかけて家まで着いた。しかし、まだこれから起きることに誰も気付いてはいなかった。この時までは。

 自宅のすぐ横に足羽川があるのだが、お昼前には堤防のギリギリまで水がきていた。テレビからは続々と市内各所の避難指示がでている。私のところも入っている。私の幼児期に伊勢湾台風で足羽川が氾濫した記憶がある。堤防にサーカスが来ていたのだが、その動物たちが濁流に流されていった。

 私の自宅側はコンクリートの防波堤。対面土の防波堤。自衛隊に在籍した経験から対岸が危ないと思った。午後1時過ぎ約2k上流の所で決壊した。対岸だった。

 そんな時電話が鳴った。佐々木さんからだった。「大丈夫ですか?」と聞かれたが、私は棚田の状況の方が心配だった。初めて米作りを体験して収穫はまだだが,それよりも稲作の農家の方はどれほど被害状況に頭を抱えておられることだろうと思った。

 時間の経過とともにテレビでは、県内の被害状況が流れている。死傷者もでている。いたる所で床上、床下浸水になっている。幸い私の所は難をのがれたが、県内被害甚大だ。

 うれしかったのは、県内外より多くのボランティアの方達が駆けつけて来てくれた。長男(高2)も参加した。

 高須城は大丈夫だろうか?・・・。不安は的中した。

 

 

【七月/爪あと】7月24()

 集中豪雨の後、佐々木さんと幾度となく話をした。高須城も至るところで被害があったそうだ。次男を連れてボランティアに行くことにした。高須城に向かう途中にも多くの被害がみられた。ニュースや新聞にも載っていない地域にも爪あとが見られる。

 高須城に着くと棚田の様子を見に行くことにした。途中道路の至るところで木々が倒れ、岩がころがっている。棚田への道は途中から通行止めになっていた。車から徒歩で棚田に向かう。素人目にも被害があるようだが、最小限に抑えられている。地元の皆さんの管理のお陰であることはいうまだもない。案山子コンクール1位の畑時能は、・・・いなかった。あの雨では仕方ないだろう。

 佐々木さんとともに佐々木さんの田んぼに向った。土砂が稲を覆いつくしていた。少しでもとスコップなどを用い取り除いた。汗を拭いながら周りをみわたしたが以前の景色とは違っていた。ここには応援はこない。こんなところは多くあると佐々木さんは言う。自分でやるしかないのだ。

 半日しか手伝いできなかったが少しはお役にたてたかな。

自己満足にしかならない。行政での応援を期待せざるをえない。

 

 

【九月/実りの秋】9月26日(日)

 棚田オーナーとしては、3回目の高須城だ。今日は稲刈りとはさ掛け作業の予定だ。どの棚田も稲穂が実っている。次男もカマを持ち準備OKの様子。今日はやる気を見せているがその横には、高須城小の4人の児童がいる。どうやら作業後の遊びが待っているようだ。感謝の気持ちをこめてカマで切っていく。本当にこの半年間色々なことがあっての収穫だ。地元の皆さんも応援、笑顔の共同作業だ。

 

男の酒のつまみ・・・5

 川魚に永平寺味噌(甘めの味噌なら何でも良い)を塗り、遠火でじっくり焼く。塩焼きもいいが、これもまたいける。

 

 

【十二月/大収穫祭】12月12日(日)

 いよいよ最後の日がきた。最後と言うのもおかしいが棚田オーナーとして4回目,個人では、20回以上高須城に寄せていただいた。その度に佐々木さんご家族にお世話になった。

 朝8時30分、集合時間の1時間前集落農業倉庫のまえでは、地元の方が、焚き火で暖かく迎えてくれる。子供たちのために焼き芋もしてくれている。

 まず最初は、お正月用のしめ縄作り(玄関飾り)だ。収穫後の乾燥した藁を使い作る。地元の先生の指導のもと次男と作業開始だ。次男と同じクラスのオーナーの長谷川君も参加している。そして、お馴染み4人の地元小学生はも必ず近くにいる。このしめ縄作り、大変難しい。何故先生がするとああも上手く出来るのか、すごすぎる。どうにか、いやほとんど先生の手をお借りして完成。息子と二人、自分で作ったことにして持って帰ろうと口約束。

 午後からは、いよいよ鍋を囲んでの交歓会。イノシシ鍋だ。

「ご一緒しましょう」と長谷川さんの手招きで、長谷川さんのご家族5人と我が藤田家2名。鍋をつつくことになった。

最初の3分は静かだった。あっという間に地元の子4人が座っている。順化小と高須城小の交流会となった。

 外では、地元の皆さんがイノシシ肉を焼いていて下さる。何から何まで私たち棚田オーナーの世話をしていただける。お酒も地元の方のご好意でいただいた。最高においしいぼたん鍋だ。

 この会の締めは、植木さんだ。挨拶で我々棚田オーナーに感謝の言葉をいただいたが、逆である。私たちが高須城の皆さんに心からお礼を言わなければならない。

本当にお世話になりました、そして有り難うございました。

 

 

これで、棚田オーナーの高須城日記(平成十六年度)を終えます。有り難うございました。来年度もお楽しみに・・・。