WORLD MUSIC

カリブ海〜スティールドラム

 

 

カリブ海の諸島と音楽について

照り付ける太陽と青い海、極彩色の装い、おおらなか人々...カリブ海の島々には、そう言った印象がありますね。例えば、ジャマイカのレゲエ音楽とラスタ・カラーのイメージは世界中の知れ渡っているのではないでしょうか。また、ジャマイカでは世界的なレゲエミュージシャン、ボブ・マリーは英雄としてあつかわれています。

人々は音楽をもとめ、音楽は生活に欠く事の出来ない物です。また、祭りともなると多くの音楽が町中から聞こえてきます。音楽を愛し、祭りを愛する彼らは楽天的にみえるかもしれませんが、そこには長い闘いの歴史もありました。スティールドラムの歴史にその苦悩の一端をみる事ができるかもしれません。

スティールドラムの歴史

スティールドラムは20世紀に入ってから新しいく生まれた楽器です。ドラム缶を素材にするという一風かわった楽器ですが、旋律を奏でることも可能で、単純にみえながらも合奏となると実に多くの音階が表現できます。これは、インドネシアのガムラン音楽と似ているかもしれません。

スティールドラムが生まれた舞台となったのはカリブ海に浮かぶ小アンティール諸島の中のトリニダード島です。南北アメリカ大陸の多くがそうであったように、この島にも労働力としてアフリカ大陸から人々が連れて来られました。彼らは、異教徒の道具としてドラムの使用を禁じられていました。アフリカのドラムのように、彼らもまたドラムでの対話が出来たのです。ドラムによる会話や密談を防ぐという理由もそこにはあったのでしょう。

ところが、カーニバルの際、祝おうにもドラム抜きでは祭りにはなりません。そこで、彼らは竹筒を用いたバンブードラムを作りました。しかし、それもまた禁じられてしまいました。このような状況の中で、ドラム缶に目を付けたのは第二次世界対戦の最中でした。彼らはアメリカ軍の基地に残されたドラム缶を用いてドラムを作ることを思い立ったのでした。やがて、スティールドラムはカリブ海の諸島に広まり、カーニバルには欠かせない楽器となりました。様々な抑圧をうけながらも、知恵と工夫で生まれたこの楽器は、今ではこの地方の最も重要な民族楽器となっています。

スティールドラムの構造

彼らはドラム缶をそのまま叩くのではなく、ドラム缶に驚くべき工夫をしました。ドラム缶の上部を適当な位置で輪切りにし、上蓋にノミと槌で大小の花びら状の刻みをつけることで、音階を出せるようにしたのです。

 

 

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