鹿児島県の歴史散策
熊襲の穴
 熊襲のの穴は、この地点からおよそ5メートルのところにあり、昔熊襲族が居住していた穴で、熊襲の首領、川上タケルが女装した日本武尊に誅殺されたところで一名嬢着の穴ともいわれます。
第一の洞穴は、奥行き22メートル、幅10メートルで百畳敷位の広さがあり、さらに右正面から第二洞穴につながっておりますが、現在入口が崩れて中へ入れません。
第二洞穴は、約三百畳敷位の広さといわれています。

鹿児島県の隼人塚   熊襲の穴

史跡 隼人塚
大正10年3月3日、国の史跡に指定された。

「古事記」、「日本書記」「風土記」等に記載されている古代南九州の住民のクマソ・隼人族の反乱(隼人の反乱は、養老4年・西暦720年)にちなんだ史跡として指定された。
反乱の時殺されたクマソ・隼人の霊が祟りをんしたので、sの供養のために隼人塚が建立されたと伝えれる。ただし建立をはっきり書いた文献・考古学資料などは発見されていない。

史跡の規模
376m

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