最近、痴漢冤罪を扱った映画『それでも僕はやってない』が上映されるなど、痴漢冤罪に注目が集まっています。 その中で、これまた注目を集めていた判決が、本日大阪地裁で下されました。 痴漢冤罪が発生する原因として、被害者の証言しか具体的な証拠がないことが挙げられます。後は、痴漢をしたとされる被疑者の自白のみ。これのみで、痴漢裁判が行われることは珍しくありません。 そこにいわゆる「痴漢ゆすり」の生じる隙間があります。触られてもいないのに電車の中で「この人、痴漢です!」といきなり言われて駅員に突き出され、「今なら示談も可能ですよ」と迫られる。痴漢をした覚えは全くないのだが、会社にバレたらどんなことになるのか見当もつかない。かと言って、裁判まで争うことも考えたが、被害者の証言だけで行われる裁判では怖すぎる・・・・こういった男性側の社会的地位を利用した「ゆすり」が起こりかねません。 こういった流れを裁判所も自覚したのか、近年では痴漢裁判で無罪判決を出す事例が増えてきました。 平成18年の東京高裁判決、翌19年の大阪高裁判決、今年5月の奈良地裁判決などは、被害者の証言だけでは犯人を断定できないとの理由で、無罪判決が出ています。 基本的に裁判は、「疑わしきは罰せず」。つまり、「疑わしいというだけでは、罪を問うことはできない」とのスタンスに立ちます。確たる証拠がなければ、被告を罰することはできないということですね。痴漢は卑劣な犯罪です。その被害者を助ける意味もこめて、裁判所は痴漢判決で有罪を出したのですが、それが行過ぎると痴漢冤罪を生みかねない。その自戒と司法警察への訓戒の意味もこめて、近年では「被害者の証言だけでは・・・・ちょっと、きびしいですよ」という方向へ変わっているように感じます。 さて、今日の大阪地裁の判決が注目されたのは、証言者が2人いたことです。被害者の証言だけでは・・・・証拠としてはちょっときびしいですねという裁判所のスタンスは、証言者が2人になったらどのように変わるのか。そこに耳目が集まりました。 アサヒ コムより JR大阪環状線の電車内で女子高生2人に痴漢行為をしたとして、大阪府迷惑防止条例違反の罪に問われた兵庫県芦屋市の男性会社員(31)に対し、大阪地裁は1日、無罪(求刑懲役6カ月)の判決を言い渡した。中川博之裁判長は「痴漢被害は認められるが、会社員の行為だとするには合理的な疑いの余地がある」と述べた。 男性は昨年5月28日朝、JR大阪環状線の桜ノ宮―京橋駅間を走行中の車内で、女子高生(当時15)の尻を触ったとして現行犯逮捕された。さらに、その直前の天満―桜ノ宮駅を走行中に、別の女子高生(同17)の胸にひじを押しつけたとする容疑とあわせて、同7月に起訴された。 判決は、15歳の女子高生の痴漢被害を認定。そのうえで「紺色のスーツの袖を見て、会社員が痴漢だと思った」とする証言を検討し、「ありふれた色であり、会社員以外に同じ色のスーツを着た人が周囲にいた可能性を否定できない」と指摘した。 さらに、17歳の女子高生については被告の会社員のひじが胸にあたったと認定したうえで、「会社員が故意だったと認めるには合理的な疑いが残り、犯罪の証明がない」と判断した。男性は捜査段階から一貫して無罪を主張。公判でも「被害者の女子高生は『紺色のスーツの袖を見た』としか証言しておらず、被告を犯人とする立証はされていない」と訴えた。 一方、検察側は「被害者の証言は具体的で信用性が高い。痴漢ができる位置に立っていたのは被告しかいない」と主張していた。 別な報道によると、被害者の男性会社員は 「警察に無罪を訴えても聞き入れてもらえず、つらかった。何度も『やりました』とうそをついてでも家に 帰りたいと思った」 と語っています。この男性は、痴漢冤罪を扱った著書を読み、友人らの協力を得て同時刻の電車内での再現実験も実施したとのこと。 この男性がやったのか、やっていないのかを論じることは、本論の目的ではありません。ただ、ひとつ言えることは、痴漢の容疑をかけられた人が「やりました」と認めてしまえば、その人は有罪になってしまうという危うさです。 警察―検察という司法警察は、裁判に負けることにより、「なぜこのような痴漢冤罪が発生するのだ」 「警察はどのような取調べをしたのだ」「自白の強要はなかったのか」といった非難にさらされます。 しかし、マスコミはそうではありません。せめて、マスコミは判決が有罪と確定するまでは実名報道はすべきではないと考えます。これによって、ある程度の冤罪被害は避けられるのではないでしょうか。 なぜ、「痴漢ゆすり」が出てくるのか。それは、現行の裁判制度と報道とを比較した際に、訴えられることよりも報道による被害の方があまりにも甚大な被害をもたらすからです。少なくとも、痴漢の被疑者として逮捕されているのですから、他の犯罪を犯す可能性は少なく、実名報道しなくとも社会的影響は少ないのです。 マスコミには、是非このあたりを考えていただきたいものです。 『日々是口実』トップに戻る |