自民党は、この国を滅ぼすつもりなのでしょうか。


読売新聞より


 自民党の「外国人材交流推進議員連盟」(会長=中川秀直・元幹事長)がまとめた  日本の移民政策に関する提言案が7日、明らかになった。
 人口減少社会において国力を伸ばすには、移民を大幅に受け入れる必要があるとし、「日本の総人口の10%(約1000万人)を移民が占める『多民族共生国家』を今後50年間で目指す」と明記した。週明けの会合で正式に取りまとめ、福田首相に提案する。

 1000万人規模の移民は、現在、永住資格を持つ一般・特別永住者(87万人)の約12倍にあたる。案では、これら移民と共生する「移民国家」の理念などを定めた「移民法」の制定や「移民庁」の設置を提言。地方自治体に外国人住民基本台帳制度を導入し、在日外国人に行政サービスを提供しやすい態勢を整えることなども盛り込んだ。
 入国後10年以上としている永住許可を「7年」に緩和するよう求めたほか、年齢や素行など様々な要件を課している帰化制度も、「原則として入国後10年」で日本国籍を取得できるように改めるべきだとした。

 永田町で「移民国家の理念」などという、愚にもつかない屁理屈をこねくり回している暇があるならば、まず、移民先進地であるヨーロッパへと視察に行ってきなさい。そうすれば、いかに移民受け入れが国家治安を脅かすかがわかることでしょう。


 フランスは、旧植民地である北アフリカ諸国から移民を受け入れました。「このままでは、フランスという国家そのものの存亡にかかわる」というくらいの少子化に喘いでいたことが最大の原因です。もちろん、安い賃金で働く労働力確保という面もあったのでしょう。

 フランスサッカー界の国民的英雄であるジダンは、なにゆえに国民的英雄になりえたのか。それは、彼が移民の子孫だからです。つまり、「フランス人とフランス移民の統合」という意味合いが強かったのですね。

 逆に言えば、統合の象徴が求められるくらいに、両者の間での対立は先鋭化していたということです。2002年の大統領選挙では、ジャン=マリー・ル・ペンが、ジョスパー首相(当時)を超える第2位の得票を得ました。結果としてシラクに大差では敗れたのですが、ペンの主張は実にシンプルなもので、「移民は国へ帰れ!」というものだったのです。
 「フランスはフランス人のものだ。移民は国へ帰れ!」というペンの主張を支持した人々の狂熱さは、未だにフランスの移民問題が根深いことを知らしめたのでした。

これはほんの一例です。

 同様の問題が、トルコ人を大量に移民として受け入れたドイツでも起きています。少子化という社会環境と低賃金労働を人々が嫌うという傾向が高まり、ドイツは1961年にとること二カ国間条約を締結し、トルコ移民を受け入れるようになりました。なぜトルコ?という疑問も湧きますが、元々第1次世界大戦は同盟国として戦ったこともあるので、結びつきは強いのかもしれません。
 さあ、そうすると何が起きるのか。まず、宗教が違うので、トルコ人街にモスクが立ち始めます。イスラムの礼拝堂、トルコカフェ、トルコレストラン、トルコ系の銀行、トルコ系の旅行会社、トルコ人による医者、宝石店、雑貨屋・・・・・これは、まさしくドイツのなかにひとつの国ができるようなものです。

 中道左派のシュレーダー政権は多文化主義を唱えました。まさに、自民党議員たちがいう「移民国家の理念」そのものです。
 しかし、政府の勇ましい掛け声にもかかわらず、2世・3世のトルコ系移民は反社会的な活動を展開します。

 それはもっともな話なのです。戦後の西ドイツ時代は、戦争からの復興という名目もあり好景気が続きました。そこで大量の労働力を必要とした政府は移民を受け入れたのです。言うなれば、その時代に西ドイツに来たトルコの人々は「西ドイツに行けば、今よりも豊かな生活ができる」と考えたのでしょう。
 しかし、その次の世代になれば、西ドイツで生まれて西ドイツで育った人々です。親の世代ならば、トルコでの生活と比較することが可能ですが、第2世代になれば、西ドイツの生活しか知りません。「なぜ、おれたちはトルコ人というだけで差別されなければならないのだ?」という感情が発生して当然なのです。



 結局、シュレーダーの多文化主義は破綻しました。





 元々保守が強いのがバイエルン州ですが(オーストリアと接するドイツ最大の州。ちなみに州都はミュンヘン)、この州では、ドイツ移民にはドイツ語を教えることを義務化し、教えない親には罰金を課すとの新法が検討されています。


 その他にも、2つの州で市民権を求める移民に対してテストを実施しています。
 テストの内容は、「文化と一般知識」

 この内容が、また、べらぼうに難しいものでして、ドイツマスコミが言うには「ドイツ人でも合格しないだろう」とのこと。つまり、そうまでしても移民を制限したいと考えているのです。



 ドイツにおける外国人は、730万人。そのうち、トルコ移民は200万を超えます。ドイツの人口が8200万人
であることを考えると、トルコ移民は1割にも満たないのです。にもかかわらず、深刻な移民問題の引き金になっていることを自民党議員たちは知るべきでしょう。




 移民には開放的と思われているイギリスでも、南アジア系の移民による商店街焼き討ちなどが大きな衝撃を国民に与えました。







 仮に、1000万人の移民を受け入れた場合、彼らはこの国に均等に分散するのでしょうか。否、私はそんな単純な考えは持ちえません。

 普通に考えるならば、彼らは一斉に都市部に向かうことでしょう。そして、そこで同じ国家の者たちとコミュニティを作るはずです。世界中の大都市には中華街があるではありませんか。
 我々日本人も、移民としてリトル・トーキョーを作ってきました。そして、ボリビアではサンファン・デ・ヤパカニ市という市が、日系移民によって作り上げられているのです。私はスペイン語を解さないのですが、おそらくヤパカニとは「日本人の」という意味なのでしょう。
 こういった事例を思い起こすとき、1億2000万人の国家に1000万人の移民を受け入れることがいかに危険な行為であるかがわかります。




 最近では、この勝山でも外国人を配偶者とされる方々も増えてきました。ひとつの世帯に外国の方がひとりいる・・・・これは、わかりやすいのです。その外国の方の顔が見え、性格もわかる。受け入れる側としても、色々な苦労はあれども、ひとつの家族としてやっていこうとする意思がある・・・・その意味で、わかりやすい。

 ならば、これが勝山市レベルになってくるとどうなるのか。

勝山市における、外国人登録をしている在留資格者は、

 ブラジル   3人
 カナダ    2人
 中国   238人
 インドネシア 4人
 ノルウエー  1人
 フィリピン  19人
 ロシア     1人
 ・・・・・・・・・・・・etc

などとなっています。すでに勝山市という括りまで大きくしてしまうと、外国の方々は「集まる」のですね。それは止むを得ないのでしょう。中国人労働者たちが大挙して自転車で買い物に出かける姿は、もはや日常の光景になってしましました。同国の人々で集まる・・・・これは人間の心情として、実にまっとうなものであろうと思います。
 そして、勝山市という括りまでならば、まだ、我々はこれら外国の人々と接することができます。まだ、外国の人々の「顔」が見えるからです。

 しかし、日本国という括りにまでなってしまった場合、我々は外国の人々に対して「国家として」「日本人として」接せざるをえない。そこでは、もはや外国の人々の「顔」は見えません。「想像力」との闘いになってきます。
この「想像力」というのが、案外とやっかいな代物です。関東大震災のときの「朝鮮人が井戸に毒を入れた」というデマに象徴されるように、人々の「想像力」は思わぬ方向に行動を誘引します。
 
 「その想像力を良い方向へもって行きましょうよ。外国人も人。私たちも人。人類は皆、兄弟じゃありませんか?」
などというお花畑に我々は住んでいません。もしも、そんな想像力を共有し合えるならば、移民問題よりも先に戦争がこの世からなくなっているはずです。

 結論として、我々の想像力では、移民を1000万人も受け入れた際に、外国の人々は「我々VS日本人」という対立軸でものごとを考えなければならなくなる・・・・そうなれば、ヨーロッパで繰り広げられた移民問題の焼き直しです。

 






かつて、日本国は大量の移民を受け入れた経験が一度だけあります。

皆さん、ピンと来ますか?

そう、満州国ですね。

「移民との共生」などと自民党議員は言っていますが、それを満州国で言い換えれば「五族協和」に他なりません。

 満州国については、未だにその全貌が明らかになっていないように思われます。戦後の政治的な意図により、その非ばかりがあげつらわれる満州国ですが、国家成立から人口が飛躍的に伸びていったこと、特に中国本土からの移民が増えていったことから考えても、案外と治世そのものは悪くなかったのかもしれません。
(もっとも、その成立における手法そのものは政治的センスを疑いますが)

あの満州国における大量の移民は、満州国の国土そのものの大きさが可能にしたのです。いうなれば、日系移民がブラジルに行くようなものでしょう。あれもブラジルという未開拓の地がそれを可能にしました。

しかし、日本のどこに未開拓の地があるのでしょうか。





我々はもう一度、じっくりと考えてみるべき時期に差し掛かっています。

なぜ、国境というものがあるのか。

なぜ、国家というものが存続しているのか。









 


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