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セピア色の航海記
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40年前(昭和43年)小浜港(福井県)から三国港(福井県)までの航海記です。
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予定を三時間オーバして午後5時17フィートのヨット「さゆりU」は小浜港を
出港した。今日の予定は敦賀港だったが今からは無理であろう。
あいにく空はどんより曇りべたなぎである。しかたなしにセールを下ろし
船外機をかける。船外機はヤマハの7馬力のものである。
ガソリンは20リッター缶が2缶積んである。プロパンガス、バッテリー
その他雑品で船足は遅い。
蘇洞門が見え初めたころから、あたりは急に暗くなり雨が降り出した。
夕立である。急いで雨具を取り出しK君に渡しキャビンに入り横になった。
たたくような雨である。タイプUの薄いベニアに波があたる音が
不気味である。時々直径15cmばかりの窓から入る雷光が目にしみる。
でも雷は遠いようである。
半時間ほどして舵を変わる。少し雨は小降りになったようである。
K君は雨具を着けていたがすぶぬれになっていた。
久須夜岳が不気味に黒い影を投げている。時々雷光があると辺りを昼間の
ように明るく見せてくれる。
灯台が2つ見える。海図を広げコースを確認する。たよりは灯台の灯だけである。
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舳先がかきよせる波に夜光虫がキラキラ光る。
舵を変わる。キャビンに入り無線機を入れた。アンテナはマストの
上に垂直アンテナが取り付けてある。出力5W、見通し距離なら
2〜300kmは軽く届く。入感なし。
CQをだすがノイズが入るだけで応答はない。
あきらめラジオのスイッチを入れる。ポンコツジープからはずした
カーラジオである。トランジスターだが電気をよくくう。
少しバッテリーを気にしながらボリュームをあげた。ビリーボーンの
「波路はるかに」が聞こえてきた。この曲を聴くとこんな船足の遅い船
でも快速艇に乗っているような気分になる。
うっとりしているとK君が外から叫んでいる。
顔を出すと「変だ」と言うのでデッキに飛び出た。
雨はやんでいた。灯台が3つ見える。いままで2つだったのが3つである。
中の1つがやけにはっきりしている。10分ほど進むと原因がわかった。
いか釣りの灯りらしい。波のゆれで漁火が見え隠れしていたのを灯台と
間違えそうになったのである。
その漁火をめざす。漁船がジーゼルをまわしながら漁師が糸をたぐっていた。
「お前ら、どこへいくんや」と聞かれ「早瀬や」と返答する。
「早瀬はあっちや」と指さされた方向に向う。
常神半島を回るとまたイカつり船にあった。今度は釣り客船である。
つれる様子もなく具をしまい始めたようである。
「どこへ行くんや」と聞かれ「早瀬」というと「ついて来い」と言うので後をおった。
ジーゼルの音が心地よい。快速である。見る間に船間が広がっていく。
追うのをあきらめゆっくり入港することにする。
するとしばらくして、その船が帰ってきた。
Uターンして船足をゆるめた。こんどはぴったり後につく。
驚いたことに入港する手前に大網が入っている。
これでは網にひっかかったかもしれない。
11時半無事早瀬港に入る。安心したとたん腹のへりが気になりだした。
ガスに火を入れインスタントラーメンをつくる。
12時過ぎ横になるが熟睡はできなかった。外海のうねりが伝わってくる。
その上2時ころから雨がふりだした。今度はシトシトとした雨である。
おかげでフトンまでがじっとり湿ってきて気持ちが悪い。
うつらうつらして1日目の晩はすぎた。
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翌日6時NHKの天気予報をきく。晴れたり曇ったり
時々雷雨ありとのことだった。7時過ぎ出港する。
美浜の原電沖を過ぎるころには晴れ間が見えてきた。
海図をみるとこの辺は網がある。気をつけて走る。
案の定敦賀半島の先には大網が入っていた。沖まで
続いており、先が見えない。磯の方をまわることにする。
大網から1時間ほど走ると霧の為敦賀半島は
みえなくなった。風は追い風である。ランニングで
船は快走する。敦賀港から出てくる貨物船が霧のなかから
ポーと現れては消えていく。
やがて霧もはれてきたのでフトンをデッキに乾す。
3時すぎから波の頭がくずれだした。急いでフトンを入れる。
10分もすると風が益々強くなり波のしぶきがはげしくなった。
船は大きくヒールし2人ともずぶぬれである。
30分も走ると山がみえだした。四ケの浦である。
あと少しで入港というところで風はバッタリ止んでしまった。
四ケの浦は山を切り開いた村落で海から急に山となって
おり平地がほとんどない。浜も少ない。
近くの店にはいりスイカを仕入れる。
敦賀からそう遠くないのにすごい越前弁である。
すぐ出港する。風もでてきてアビームで快走する。
交代で舵をとり、合間にデッキで寝そべる。
時々スプレーが焼きついた体を冷やしてくれる。
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このあたりは灯台が多い。1本が見えなくなると、すぐ次の灯台が現れる。多いときは3本も
見えることがある。港はほとんどが人工のものである。セメントの防波堤とテトラポットから
出来た小さな港がほとんどである。
その港をとりかこむように民家が集まっている。越前岬は常神半島や敦賀半島のように
はっきりした先端が確認できない。知らない間に岬を過ぎてしまった。
5時ころから空がおかしくなり雨が降り出した。気温も下がり肌寒い。港を見つけ入港する。
越廼である。港内は広い。近くの造船所のおやじさんが船を見に来た。話しているうちに
うちの造船所にも見に来いということで、寄せてもらう。
モータボートが製作中であった。6人乗りで船外機を船内に収納した
ものである。こういうタイプの船をみるのははじめてであった。
久しぶりに風呂にはいり熟睡する。
越廼の朝は早い。4時うっすらと空が白むと漁師たちは船に集まってくる。
そのうち1隻が出港すると次から次と出港する。まるで競争である。
おかげで越廼は5時に出港できた。快晴である。
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走りながらご飯を炊く。
2時間も走ると山がみえなくなった。海岸線は単調である。
11時ころ三国港が見えてきた。銀色のタンクが光って見えその左に
東尋坊がうっすら見える。
このあたりは遠浅である。用心して大回りして三国ヨットハーバーに近づく。
水平帽をかぶった人がモヤイをとってくれた。ヨットクラブの人々は
皆親切であった。3、4日目は三国周辺で過ごしヨットクラブで食事を
いただいた。
4日目は「さゆりU」をヨットレースの本部艇として提供し1日中レースを
観戦した。
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これは当時勤務していた会社の機関紙に掲載されたものです。
私にとってはじめてのロングクルージングである。
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